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Fの感想文 [文学系]



****** [ F ] ******


F02
大胆。
その大胆さに拍手を贈ろう。
正解発表で、作者が女子か男子かを知りたい。
もし、女子なら、意識して女子を抑えたのか、もし、男子なら、背伸びをしたのか。
親はリアルに描けているので、どこか漫画に登場してくる主人公にも見える。
自分の娘が「男になりたい」と言ったら、どうするか。
私は、きっと、「いいんじゃない」と言いそう。
私は、無責任な父親かもしれない。
いや、そもそも、誰かが誰かの責任を背負うことなどできないのだ。
怒る父親の気持ちの方が、私には理解できない。
でも、こういう親父、いるんですよね。

F03
重厚。
まるで、千年も万年も遡ってしまったようだが、心地よい。
その豊富な知識には頭が下がる。
特に、主人公が名もなく朽ちていくのが、秀逸である。
感想文まで、似てきてしまいました。
これだけの影響力を持てるのは、すごい、と思います。
こんな作品が書ければ、いいのにな、と羨ましく思いました。

F06
Fにやってきて、そういえば、イルカに乗った少年が話題になっていたような気がする。
でも、あの歌は1200年前に流行した歌のはずだから、知っている人はいないはず。
だとすると、覆面作家の中に異星人が紛れ込んでいるのか。
でも、ココが可愛いから、許すとしよう。
スルスルと読ましてもらいました。
もう少し字数があれば、ドラマになったのに。
ほんと、6,000字はきつい。

F07
Eグループにも哲学がありましたが、今回は哲学の豊作の年なのでしょうか。
いたずら好きの老師なんて、かっこいいじゃないですか。
もちろん、初々しい若者の魔術師も、いいです。
皆、いい人ばかりです。
私も、悪意のない魔術の世界へ行きたくなりました。
それとも、人間社会が腐りすぎたのでしょうか。
これが、ファンタジーというもの、なのですか。
ええ、私は、未だにファンタジーが理解できていない爺です。

F08
次の文章で、この作品を読んでよかったと思いました。
「風もないのに一定間隔で長い黒髪がなびいていた」
誰でも、そう思うんだ。
それと、正義の味方は、いつでも、生き返る。
数十年前のアニメでは定番でした。
アニメ作家の神経は、どうなっているのだろう。
ガンダムでは見なかったし、最近のアニメでは、あの表現はやめたのだろうか。
そうだとすると、懐かしい気がする。
ただ、ガンダムでも、巨大岩石の飛び交う宇宙空間で、宇宙船が直進しているのが、わからない。広大な空間があるにもかかわらず、岩石群の中へ突入していくのは、なぜ。
宇宙船より大きな岩石が、宇宙船の横を猛スピードで通り抜けていくのに、船内でコーヒーを飲んでいられるのは、なぜ。すれ違えば、時速300キロでしかない新幹線だって揺れます。質量の違いなど実感出来ない地球人の疑問なのだろうか。ま、そこがファンタジーの醍醐味なんだろうけど、ついていけない。私のリアリティーの許容範囲が狭いということなんだろう。
「宇宙戦艦ヤマト」が始まったのは、私が社会人になって数年後です。当時は独身寮にいましたが、残業を拒否して、晩飯をそそくさと食べて、テレビのある娯楽室で場所取りをしたのを覚えています。当日は、娯楽室が満室になりました。また、過去に観た映画の中の総合一位は「風の谷のナウシカ」です。決して、ファンタジーと遠く離れた場所に住んでいるわけではないのに、「十二国記」や「No.6」が読めないのはなぜなのだろう。多分、ゲーム機が存在していなかったことに原因があるのではないだろうか。でも、冬木洋子さんも、ネジ子さんも、小野不由美さんも、あさのあつこさんも、ファンタジー書いているし、やはり、個性の問題なのかな。よくわからない。

F10
物語です。
いいですね。
ちょっと、武士道シックスティーンを連想しました。
でも、兼人、このままで、大丈夫なのだろうか。
誰かを救っている場合じゃなくなるかも。
この6,000字はプロローグに過ぎない。
そして、ドラマが始まるのです。
とても、楽しく読ませてもらいました。

F11
ああ、よかった。
ハッピーエンドだ。
プロットがしっかりしている。
もちろん、文章にも癖がなく、とても読みやすい。
ただ、これは私の偏見でしかありませんが、これがファンタジーでなければと思ってしまうのです。
異質の海に飛び込むのは、結構、負担が大きいことに気づきました。
現世に戻らなくては。


2016-02-29



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覆面作家企画7の一口感想 [文学系]


最初に、お願いです。
作者名を当てるイベントにも拘わらず、推理も出来ずに参加している私。異星人になった気分です。それも、他の惑星からやってきたのではなく、異星人でありながら土の中から這い出てきたもぐら怪獣です。せめて、感想を書いてすり抜けようとしているこの貧しい性根を、どうか、大目に見てやってくださるようにお願いします。
次に、謝罪です。
ファンタジー好きの皆さんが集まって開いたイベントなのに、「ファンタジー、よくわかりません」という人間が乱入していることを謝らねばなりません。「なんで、こんな奴がいるの ?」と思っているのでしょう。そうなんです。反省しております。次回は、よく考えます。
最後に、お断りです。
前回は1グループ4作品の感想を書きました。今回は、前回よりは多くの一口感想を書きましたが、全作品ではありません。皆さんは体験したことがないと思いますが、老齢になると持続力が失われます。突然、ポキンと折れるのです。年々、その間隔は短くなっていきます。その結果が飛び飛びの感想になってしまった原因です。ま、自信はありませんが、次回はもっと持続力が失われていると思いますが、次回参加できたら、全作品に挑戦したいと思っています。せめて、意気込みだけでも。
ファンタジーは、よくわかりませんので、感想がずれていると思います。
読者目線での感想ですから、文芸評論とは呼べません。
しかも、世間の非常識が私の常識ですから、参考にはなりません。
どうか、軽く読み飛ばしてください。

それと、私は鉄板ですから、Fの感想を公開してもいいようなものですが、ルールに従い、Fの感想は正解発表後にします。
あと、A~Eを1ページにしてしまいましたので、スクロールお願いします。


****** [ A ] ******

A01
どうなるの。
どうするの。
おい、おい、こんなに字数を使っていてもいいの。
しかし、最後の一文で救われました。
「結末は、まだずっと先」
ですよね。
この手があったか。
次回、参加するのであれば、これ使わせてもらおうかな。

A02
わけもわからず、読み進め、わからないまま、終わった。
それでも、二人が無事だったことは嬉しい。
でも、自分が、読むことを投げ出さなかったのは、なぜなのだろう。
きっと、わかる人が読めば、面白い小説なんだと思う。
わからない私でも、ワクワクしながら読んだのだから。

A04
含蓄という言葉があります。
こういう物語を指して言う言葉だと思います。
ウィルは、壺の中に残っていた「希望」が溺れてしまった、と言う。
船があったとしても、どこへ行くのだろう、と言う。
食べ物が汚染されていることを知っていても、食べるしかない、と言う。
今住んでいる島も、いつか沈むだろう、と言う。
それでも、大人になったら、テスと結婚したい、と思うウィル。
不条理。個人的には、大好きです。
もちろん、小説の中だけです。

A05
怖いけど、面白い。
何が怖いって、女ほど怖いものはない(覆面で言っちゃいけない言葉?)。
平然と男を刺し、平然として男の刃を受ける。
男に利用されることが当たり前だった時代に、自分を持ってしまった。
男の意のままに動いているが、心は別の場所にある。
救いは、姫の心が、他の男にあるのではなく、地中にあることだ。
これが、女の矜持なのか。
「お疲れ様」と褒めてあげたい。

A06
いいお話でした。
このまま、終わればいいのですが。
そうはいきません。
大人の、男たちの慾に翻弄される日が間近に迫っているのです。
愛よりも慾の方が強いのは、いつの時代でも同じです。
このままでは、終わりません。
でも、このままで終わって欲しい。


****** [ B ] ******

B01
もしもし、図書館のお姉さん。
あなた、心の罠に嵌っていますよ。
DV被害者の方に、特徴的にある勘違いです。
あなたは、愛していると思っているあなたを愛しているだけです。
目を覚ますべきです。暴力男なんて最低です。
暴力が愛情表現・・・・とんでもありません。
でも、主人公が光を見つけたのであれば、その光を信じようとしているのなら、お姉さんは誰かの光になれたのです。
今度は、自分の光を見つけてください。暴力ではない愛を。

B03
男の私が「ふむ、ふむ、わかる、わかる」と言っても、嘘っぽいけど、これがわかるんです。こういう関係、男同士ではないのかもしれませんが、男女の間ではあると思います。
だから、あさちゃんの気持ち、わかります。
そんなあさちゃんの心理描写が、リアルで素晴らしいです。
負けてたまるかと思いながら、また、負けるんじゃないかという不安がある。
負けちゃいけません。奈央は、あさちゃんがいなくても、平然と生きていけます。
別の太陽を見つけちゃいますから。
実は、奈央は悪魔の化身なんです。ほらっ、あなたの傍にもいますよ。

B04
この作者は、ゲームの世界で育った人なのだろう。
同世代であれば、情景が鮮やかに描けるのだろうが、私には無理。
それでも、わからないまま、ワクワクしながら読みました。
もちろん、1/10も理解しないままですが。
つまり、文章は心地よいということです。
これでいいのだ。

B05
これは、壮大な叙事詩です。
圧倒されました。
これは、私ごときが感想を書いてはいけない作品です。

B06
「わかる、わかる」という女子は多いのではないでしょうか。
普通の小売店では、仕入先と喧嘩なんてできません。
こっちの方が首になってしまいます。
でも、我慢できずにクレームを申し入れた店があって、オーギュストさんは首になってしまいます。クレームを申し入れた店の店員さんは無事だったのでしょうか。
でも、容易にギロチンの刃が想像できるところは、怖い。
文章は、安心して、読めました。

B07
なぜ、人間は神を生み出したのか。
なぜ、神話の世界でも神を必要とするのか。
この作品は、それを問うている。
ピジャヴィカは、更なる苦悩の世界へ堕ちてしまった。
光は影になれない。影も光にはなれない。永遠に。
それでも、心は自由でいたいと言う。
違うのだ。
心が自由だったことなど、一度もないのに。

B08
女流作家の作品で、この流れは読んだことがある。
男子には、なかなか、書けない。
この文章なら、男目線で書いたらどんな作品になるのだろうと思った。
もちろん、樽見さんが既婚者ではないという前提です。
不倫になるのであれば、女目線の方が面白い。

B09
おぉぉぉ 何という美しさだ。
これは、絶対に、絵にしてもらいたい。
心地よい文章、心躍る展開。
これなら、私でも、入っていける。
これが、ファンタジーなのか。
恐るべし、ファンタジー。
個人の趣味丸出しですが、ありがとう。


****** [ C ] ******

C02
宇宙物は読んだことがないので、よくわかりませんが、いちいち、ルビが格好いいと感じてしまうのは部外者だからでしょうか。こだわりがあるのは、いいことだと思います。きっと、コード番号にも作者なりの意味づけがあるのでしょう。もしかすると、作者にとって、コード番号を考えている時が至福の時だったりして。ただ、「これは絶対に外せない」というこだわりを捨てた時に、新しい道が始まることも、よくあることです。
プログラムが感情を持ってしまうことは、不幸でしかありませんが、その不幸がなければ物語にはなりません。困ったことです。

C03
これは、実体験を書いたのでしょうか。旦那との距離感が実に生々しいと感じてしまいました。女性店員という第三者が介在したことで、旦那が走りだし、汗をかいて戻ってくるのも、とても現実的に受け取れました。子どもが、いい子だから、お母さんも、お父さんも、いい人なのだと思います。色々ありますので、是非、末長くお幸せにと祈ります。今が一番幸せな時なのです。願わくば、旦那さんを大切に。

C04
哀しいお話でした。
私達は、人間に都合よく解釈していますから、天使は幸せを運んでくれると思いこんでいますが、もし、実際に天使がいたら、人間の餌食になる天使だっている筈。天使の司法解剖をしたという話は聞きませんので、きっと、跡形もなく消えてしまうのでしょうが、人間は、どう反応するのでしょう。余計なお世話かも。

C05
返還時の香港での出来事のようですが、多分、返還前の香港でも、返還後の香港でも同じような事件は頻発しているものと思います。香港の街では、大半の人が犯罪者に見えてしまうのは、日本の街に慣れてしまっているから、なのかもしれません。
主人公も敵役の警察も、疲れ切った様子で書かれていますが、アメリカ産の刑事物に似ていると思いました。日本の刑事物も疲れと二人連れのような刑事はいますが、アメリカほどではありません。アメリカの刑事はゾンビ状態です。実際の刑事が、どんな様子なのかは知りませんが、私のところへ事情聴取に来た刑事は、明るくて元気な人でした。今でも、あの人、ほんとに刑事だったのかと疑っています。

C06
少し怖いお話ですが、しっかりと書かれています。作者は言葉にこだわりを持っているのでしょう。それが随所に出てきます。「それが善きものであるはずがない」という言葉では、その言葉だけで読んだ甲斐があったと感じてしまいました。
実は、という後日談の方が物語になりそうな作品ですので、是非、続きをお願いしたいものです。

C08
理想の親なんてものは存在しない、という現実を説明することは不可能です。高校生で「さとり」を開いてしまえば夢がありませんし、悩みこそが、寂しさこそが、不条理こそが青春なんだよ、と言ってみても受け入れてもらえない。だから、こうやって文章にしてぶつけることは「あり」なんだと思う。いい子にしてると、疲れると思う。

C09
いやあ、面白かったです。
一番受けたのは名前です。「あれ」と「それ」と「どちら」。ハーレーまで出てきてしまいました。ところが、中身は濃い。飲み込まれてしまいました。
主人公が美形男子という部分で、抵抗はありましたが、それは認めることにしました。是非、ぜひ、現代物を書いてもらいたいものです。どんな作品になるのか、とても楽しみ。

C10
私は、この世界のことはわかっていないので、ネズミとお姫様と塔は、もしかすると三点セットなのかもしれない。でも、文章はしっかりしているし、引き込んでくれる。ただ、異世界に飛び込めない自分がいることも、確か。年齢のせいにしておこう。
この世界の作品の、読書量が少なすぎて自信は持てないが、質の高い作品だと思いました。


****** [ D ] ******

D01
やられた。
題材、構成、これぞ超短編の見本みたい。
こういうことが、出来るんだ、という驚き。
まだ、全作品は読んでいないけど、ベストスリーは間違いない。
4秒でもなく、5秒でもなく、4.5秒。
想像できそうにないけど、想像してみたくなる。
でも、きっと、つまらないことを考えているんだと思う。
目を開けていても、何か考えるのだろうか。
その景色に圧倒されて、頭、真っ白なのではないだろうか。
なんて、余計なことしか考えない。

D02
D01を読んで、当然、次はD02。
私がブロック分けの担当だったとしても、きっと、並べたと思う。
一人語りのホラー作品。
D01が男子的発想だとすると、D02は紛れもなく女子。
でも、これが書けるということは、凄いことだと思う。
作者も、結構、自信を持っていたりして。
大丈夫です。
自信を持ってください。折角、小説を書いているのですから、あなたには、その権利があります。
(※注)って、R-15ですよね。私には、未だに、R-15がわからない。

D03
不思議な作品でした。
童話だと思えれば、気が楽なのでしょうが、そうとも思えないし。
笑顔を食べて心が育ち、その心を食べて光が生まれるのであれば、どこにも犠牲がないように思うのだけど、でも、そんなに都合のよいことはないのであって、どこかに、何かが潜んでいるとしか思えない。続きを読んでみなければわからないが、なんか、宿題をもらったようで、ちょっと、落ち着かない。しかも、ここはDグループですから。
そんな、不思議がありました。

D04
これは、苦手です。
名前が苦手、地名が苦手、環境が苦手。
まるで、カラマーゾフを読んでいるような、不安感。
日本語って、その文字の骨格で覚えることができますが、カタカナを一列に並べられると、どれも同じ物に見えてしまう。
それでも、心は、伝わります。
故郷にいる大切な人を救うために、死の淵から這いあがってきたのを見て、とても安心しました。
きっと、○○○○さんに巡り合えます。
氷砂糖の介在しないキスも出来ます。
がんばれ、○○○君。
そこが、フィクションの素晴らしいところですから。

D05
愛です。
狂おしいほどの愛です。
愛は、大きければ大きいほど、すれ違うのです。
愛は、大きければ大きいほど、不条理を呼ぶのです。
その愛を見て、何でもない平穏が幸せなのだと、気付くのでしょうか。
そんな愛を書かなければならない作者は、救われるのでしょうか。
ハッピーエンドでなくってもいいのです。
うおぉぉぉぉぉと叫んでもいいのです。
きっと、それが、愛なんです。

D06
凄い。
いや、すごい。
頭の中が空白になってしまいました。
想い出すこともなかった、古文の授業。
でも、こんなに、古文って香り高かっただろうか。
いえ、いえ、これこそ、才能です。
うちひしがれた気分です。
才能のない私には、書くことのできないものです。
Dグループを読む気力がなくなりました。
これ以上、傷つきたくないです。
怖いです。

D07
ごめんなさい。
日本語でも目が回るのに、英語では、取り付く島もありませんでした。
ですから、感想は書けません。
でも、全員が英語で書いていたら、どうしたのだろう、と思いました。
その時は、私も英語で書いているわけですから、読んだのでしょう。
いや、いや、パスしていたと思います。
なぜ、こんなことで悩むのだろう。
細かいことが気になるのです。私の悪い癖。
おまえは、杉下右京か。

D08
R18-Gって ???????
スペクタクル大河ドラマ。
帝を示すアイテムは、いつの時代でも守られてきた。
アイテムに頼らなくてはならないのが人間の弱さだとも知らずに。
だか、文章には気品があります。
無理矢理書けば、書けるのかもしれないが、私が書けば気品は乗せられない。
これは、この方の文章です。
いや、この方にしか書けない文章です。
この方は、大化けするかもしれない。
書いて、書いて、書きまくれ。

D09
面白いです。
文章は、あまり気にしていないのかもしれませんが、読者の目を次へ次へと引っ張ります。これ、とても重要な要素だと思います。
プロットにも才能を感じますので、公募の鬼になることをお勧めします。
時流は探偵物のようですから、探偵物もいいと思いますが、個人的には時代物を書かれた方がいいように思います。歴史物ではなく、時代物。
「放っておいてくれ」
「ごめんなさい」

D10
予測した通りの結末になりました。
そもそも、人身御供に屈強な男子が選ばれたという話は聞きません。
非力な、若い女子が選ばれるのです。
その選考過程では、気の弱さも重要な要素なのでしょう。
この神は、村のことはあまり知らないようですから、きっと、黒幕がいるのです。
そう考えると、ハンナが可哀そう。
でも、この世は不条理で織りなされているのですから仕方ありません。

D11
文句なしに二重丸。素晴らしい。
マリナは、再び、光を見ることが出来る。
読者は、そう信じて、読む。
そして、光を背負ったマリナがいる。
おおお、神よ、何という奇跡だ。
文章も、テンポも申し分なく、作者の意のままにハッピーエンド。
セスの病が伏線になっていて、クライマックス。
何と素晴らしい。
褒め言葉が見つからずに、読者の方が慌ててしまう。
そんな作品でした。


****** [ E ] ******

E03
ダブルハッピーエンド。
よくあるパターンですが、なかなか、書けないものです。
ハッピーそのものが描けないのですから、私にとっては、ダブルは遠い存在です。
構想に10年かけても書けない私は、尊敬の眼差しで見るしかありません。
1年かけて、書いたわけではないでしょうから、ハッピーを書き慣れているのでしょう。
羨ましい限りです。
きっと、作者の生き様が影響していると思うと、ますます、自分が情けなくなります。

E04
よく、こんなこと考えましたね。
最初は、プロローグだと思っていたら、そのまま、続いて、びっくり。
心神耗弱で無罪判決。
刑法は何をしたいのか。よくわからない。
終わりにしてくれた方が、本人も幸せなのではないだろうかと考えてしまう。どんな狂気でも、安定したものではないと思うので、その斑模様の中で、素になった時、苦しくならないのだろうかと心配してしまうのです。もっとも、こんなこと考えてしまう人間には、殺人なんて大事業はできないのであって、私には、何が出来るのだろうと考えてしまう。

E05
主人公の「俺」には、名前があったっけ。
いや、名前のない「俺」が一番すっきりする。
これも、作者の意図なのか。
突っ込みたくなる部分はあったが、そこはスル―することにして、主人公の「俺」の不幸は自分が閉じ込められてしまった経緯を聞かされたことではないだろうか。
現在でも、自分が閉じ込められているのに、その経緯を知らないという幸運のおかげで、多くの人たちが生きている。
そう考えると、ぞっとします。

E06
確かに、現代語で「語り部」をするよりは、この方が似合っている。
ただ、読み方に注文をつけないと、人は理解してくれない。
ルビがないと伝わらないところが、残念な部分だ。
文字数は少ないので、エピソードを入れてもらいたかった。
面白い作品になりそうなのに、残念です。
前回、Aグループの「はに」さんが、同じことをやっていました。
でも、今回は不参加のようです。
これって、誰にでも同じような衝動があるということなのでしょうか。

E08
面白い。
面白い。
面白い。
何度でも、面白い。
最初から最後まで、ニヤニヤが止まりませんでした。
読み終わった時。
覆面に参加してよかった、と思った瞬間です。
このまま、出版する方法はないのだろうか。
脱帽です。

E09
これは、哲学です。
孤独の中で、これまで、どうして、生きてこれたのか、不思議です。
でも、文章は、とても、心地よいです。
もっと、もっと、読んでいたいと思いました。


2015-12-25



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覆面7へのお礼 [文学系]



Fグループのjijiです。
先ず、意気込みテンプレートに沿わない内容なので、謝ります。
それは、推理に役立つ情報を提供するという本来の目的が、私の場合は必要とされていないからです。誰一人、迷ってもくれません。選挙の開票速報で、出口調査もなく、開票率0パーセントでも「当確」が出るようなものです。
でも、楽しいです。
皆さんのワクワク感が、極上の料理なのです。
マイナーな楽しみ方ですが、どうか、混ぜてください。
推理パワーはありませんので、読者目線で、できるだけ感想を書こうと思っています。
前回の意気込みテンプレートで書きましたが、娘が「覆面」について楽しそうに話をしていたのを聞いて、「俺も、俺も」と歳甲斐もなく参加してしまいました。歳をとっても尻軽の生き方は変わらないようです。
前回、琴子さんの真似をして、鉄板同盟を作ろうと提案しましたが、別ブロックになれば、それも役に立たないと、断念しました。一応、中世スコットランドの紛争を書こうと思い、プロットも考えたのですが、文章にはしませんでした。今回、琴子さんがどれほどの覆面を被れたかはわかりませんが、私でも琴子さんの推理だけは出来そうな気がしています。そうです、私は裏切り者です。琴子さんの刃が喉元に突きつけられているような気分です。ごめんなさい。
私を推理する場合は、推理する必要はありません。どなたかが、「jiji 確定」と言えば、その方の推理を信用して、迷わずに確定して大丈夫です。それが、正解率100パーセントの強みです。
今回、主催者から解放されたネジ子さんが、とても、活き活きとしているように感じられ、心温まる想いです。御苦労さまでした。
今回の主催をしてくれる覆面主催者さんのご苦労は並大抵ではないと思いますが、なにとぞ、よろしくお願いいたします。


2015-12-04



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読書感想文 [文学系]



高田郁の「あい」について。
「あい」が文庫本になり、早速読みました。
作者の優しさが、邪魔になる場合もあるのでしょうが、高田作品に溢れる優しさは好きです。高田作品の特徴は「優しさ」だと思いますが、きっと、高田さんは根っから優しい人なのではないかと思います。
「あい」は歴史小説という解説だったので躊躇しましたが、こういう歴史小説なら大歓迎です。歴史小説は、調査事項が羅列されます。歴史小説は歴史ではなく小説なのですから、史実に縛られるのではなく、物語に比重を置いてもらいたいと思っています。ノンフィクション作家といわれる吉村昭の作品が読めるのは、彼がノンフィクションという場に立ち、物語を意識しているからなのかもしれません。
高田郁さんは売れっ子作家ですから、出版社の圧力も強いと思いますが、できれば、丁寧に小説を書いてもらいたいと願っています。多くの作家がある時期から「あれっ」と思うような作品を発表することがありますが、出版社の要求に応じ続けた結果ではないかと思うことがあります。
読者側の個人差もあるのでしょうが、小説には薫り高い小説と一気読みできる小説と箸にも棒にもかからない小説の三種類があるように思っています。
どこが薫り高いのか、は具体的に指摘できませんが、薫り高いとしか表現しようがない小説があるのです。一人の作家が薫り高い小説とそうではない小説を書くのではなく、その作家が書くと薫り高い作品になってしまうという類のものです。しかし、ベストセラー作家が、薫り高い作品を書くとは限りません。逆に、寡作な作家の中に、そういう作家がいることが多いようです。純文学かどうかという意味ではありません。
高田郁さんといえば、「みをつくし料理帖」ですが、私は「出世花」や「あい」の方が好きです。逆に、「みをつくし料理帖」がベストセラーであることが不思議です。その原因は、多分、私の嗜好が一般的ではないという証明なのでしょう。宮部みゆきが読めない理由も自分では解説できません。でも、宮部みゆきの方が売れているようです。ですから、これはあくまでも個人の趣味です。
私にとって薫り高い小説というのは、文章でもなく、題材でもなく、ストーリーでもないように思います。作者の個人情報を知りませんので、作者の生き様や人格はわかりません。優しい人なのかどうかもわかりません。作者の視点なのかもしれません。でも、ある作家が書くと、土の匂い、潮の匂い、空の匂い、洪水や極寒の匂いまで薫り高く伝わってきます。人間の醜さや優しさまでも同じです。不思議です。
「あい」を読んでいて、私は何度も本を閉じました。それは、読み終わってしまうのが「もったいない」と思ったからです。もっと、高田ワールドに浸っていたいという願いだったのかもしれません。こういう小説に出会うことは、それほど多くはありません。
少し褒めすぎかもしれませんが、これは嗜好の問題ですからお許しください。
自分が書いた小説がどんな場所にあるのかは、まったくわかりません。多分、箸にも棒にもかからない小説以下の小説なのでしょう。自分で自分の小説を読んでも評価できないのはなぜなのか、それは、今でも疑問です。ただ、書く前と、書いている時と、書いた後に別々の自分がいたような感触を持っています。「あい」のような小説を書いてみたいという気持はありますが、ペンを握ると書けません。これが、才能なのでしょうか。
心を震わせてくれる小説や絵画や音楽に出会った時だけは、人間に生まれてよかったと思います。そんなチャンスは、滅多にありませんが。

読書感想文を書いていて、こんな平和な時代に終わりが来るなんて思いもよりません。
でも、11年後、今日明日の水と食料の確保に走り回らねばならない私達は、その上、電気もない環境では、読書に費やす時間など持てません。
いつか、忘れてしまうのでしょう。
今は、読書を贅沢という人は少ないと思います。でも、11年後の日本では贅沢な趣味になります。環境が変われば、あらゆる基準が変わるのです。


2015-04-03



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覆面企画6を終えて [文学系]


意気込みと後書きを同時更新です。
これは違反ですが、鉄板ですから、ご勘弁を。
ちょっとだけ、感想文もおまけに付けました。



意気込みテンプレート

■作者名
jiji

■自己紹介、プロフィールページはありますか?
ありません。
ブログでは、年齢不詳、性別不詳、経歴不詳になっています。
プロフィール的なものという意味では、ブログのカテゴリーの文学系の中に「文学との出会い」という記事があります。参考にはならないと思いますが。

■好きな(得意な)ジャンルはなんですか?
得意なジャンルはありません。
好きなジャンルだと、FTを除いた全てのジャンルです。
十二国記の1冊目で挫折しましたので、自分にFTの世界は無理だと思いました。
不思議ですね。漫画やアニメは、好きなのに。多分、そういう世代なのでしょう。
「サスケ」を読んだ時の衝撃は、今でも憶えています。「ナウシカ」を観た時の感動も、憶えています。それなのに、十二国記には入っていけませんでした。

■好きな作家さん&作品を教えてください。
今は、原田マハさんに夢中です。
全部、好きです。
文庫本は読んでしまったので、困っています。
単行本に手を出すようなことがあれば、病気です。

■最近読んだ本の中で、オススメの1冊と言えば何ですか?
やはり、原田マハさんの「さいはての彼女」でしょうか。

■創作以外の趣味はなんですか?
読書です。
ほとんど、活字中毒です。
大昔に創作で生計を立てようとして失敗し、読む人になったのですが、書籍代がかさみ、その節約のために創作を再開しました。実に不純な動機だと自分でも思います。

■今まで、覆面作家企画に参加されたことはありますか?
覆面作家企画5に参加しました。

■前回参加時、あなたの作品はどなたの作品だと推理されましたか?
誰も勘違いをしてくれませんでした。完敗です。

■前回と同じブロックだった作者さん、今回もいますか?
みずきあかねさん。
楠瑞稀さん。

■この作品を書くのに、どのくらい時間がかかりましたか?
10日。

■ズバリ言って、今回、あなたの作品を推理するのは簡単ですか?
簡単だと思います。
探偵さんの力量は半端ではありません。

■この企画のために書いた作品、他にもありましたか?
物語を3つ考え、2つ書きました。

■その作品を提出しなかった理由は?
よくわかりません。もう一つの方が隠れることができたのかもしれません。

■この企画への参加作品以外で、一番最近書いた作品は?
「告発」です。

■その作品は、推理のための重要なヒントになりますか?
どうでしょうか。

■企画への意気込みをどうぞ
前回、理不尽な作品だと多くの方に嫌われました。
ですから、今回は。
ハッピーエンドか。
ファンタジー作品か。
もっと理不尽な物語か。
悩みましたが、多分、無益な悩みだったように思います。
当てられても、当てられなくても、楽しいのですから、それでいいです。
私を除けば、平均年齢は、多分、30代だと思います。そんな皆さんが、子供のように、目をキラキラさせている様子は、とても素晴らしいです。世の中に、そういう場所が少なくなったように感じています。そんな場所の片隅にいることだけで、それだけで充分です。

どなたかの意気込みテンプレートで「主催のネジ子様に心からの感謝を捧げるとともに、一参加者として楽しい企画になるよう精一杯頑張ります」というコメントがありました。
覆面作家企画が楽しいのは、皆さんの努力の結果だと思います。
でも、そんな場を提供してくれたネジ子さんには、脱帽です。作業量と気遣いは大変な負担だと思います。ありがとうございました。



後書きテンプレート

■参加ブロック、作品番号、作品タイトル、
Gブロック G09 火球少女

■ジャンル
学園・スポーツ・ラブストーリー

■推理をかわすための作戦は?
ジャンルとハッピーエンド

■作品のネタを思いついたきっかけは?
やはり、ワールドカップのメッシ
メッシがボールを持つと、人が集まります。その群衆の中から、メッシとボールだけが出てくる。アニメではよくあるシーンのようで、楽しかった。

■ストーリーの構築において気を使った点、苦労した点などあれば教えて下さい。
ひたすら、ハッピーエンドを目指して
ともかく、6,000字が、私にとっては苦行でした。

■その作品の続編または長編化のご予定は?
気力があれば。
でも、ラブストーリーは似合いませんから、書かない、いや、書けないと思います。
覆面用に考えた3つの物語の内、時代物のプロットを作り始めています。不条理と理不尽と欲が、山盛りの時代物です。
一度、時代物の長編を書いてみたい。

■その作品で気に入っている箇所はどこですか?
魔物になるところ
ある日、公園で遊ぶ2歳か3歳の女の子が、女を演じているのを見て「魔物だ」と思いました。うちの娘は、髪にリボンをつけていないと男の子に間違われ、その後も男前を通しましたので、魔物になりそこなったのかと心配しましたが、魔物にも種族があることが判明しました。少し変わり種の魔物になったようです。目出度し、目出度し。
一方、男は、生まれて死ぬまで単細胞を貫きます。だから、いくつになっても夢を追いかけます。騙されても、騙されても、まだ魔物の存在に気付かずに、また騙されます。でも、それは騙されているのではなく、男が勝手に勘違いしている独り相撲なのです。
私も、勘違い組ですが、結構、それでいいのかも。これ、負け惜しみです。

■推理期間中、褒められた点は?
「クリアミス」なのか「クリヤミス」なのか、1分後にはわからなくなっていると思います。「ダイアモンド」か「ダイヤモンド」か、もわかりません。時代を感じてしまいますが、仕方ありません。時代のせいにしてしまいましょう。
少し意味は違いますが、前回も「ウインナ」と「ソーセージ」で失敗しています。これは、明らかな失敗です。基本的に、カタカナに弱い、かも。これは、推理のヒントかな。
次から、気を付けます。

■推理されてみて、いかがでしたか?
驚き。
前回も、今回も、鉄板。
「鉄板と呼ばれた男」になってしまいました。
かっこ悪っ。
でも、鉄板組って、多いよねって慰めています。
「へへへへへ」と笑えたら、どんなに爽快か。
覆面企画の探偵さんの力量は、プロの領域だと思います。
私が警視庁刑事部長だったら、ヘッドハンティングしたいと思います。
ただ、仕事になってしまうと楽しくありませんので、すぐに辞表を出しそうですが。

■正解以外に、あなたの名前があがった作品はありましたか?
ありません。

■あなたの作品の作者だと推理された方はいましたか?
いません。

■推理してみて、いかがでしたか?
私に推理は無理です

■あなたの推理はどのくらいの正解率でしたか?
せめて、娘の作品だけでも、と推理してみましたが、正解率、0%でした。

■この企画に参加して、改めて気づいたことはありますか?
この国には、いい人が圧倒的に多い、ということ。
多くの才能が埋もれていること。
そして、覆面は女子率が高いこと。プロの作家も女子率上がっているし、国会議員もこのくらい女子率が高くなれば、日本の政治も変わるかもしれない。人口の半分は女性です。では、女性が選挙で男性に投票するのは、なぜなのだろう。それは、女性だから。実にわかり易い法則です。国会議員の女子率は、簡単には上がりません。
でも、テレビCMにもありますが、「僕は将来総理大臣になって、君をファーストレディにする。だから、付き合ってほしい」と言う男子に対して「ごめん。私が総理大臣を目指しているから」と断るシーンがあります。こういう女子が増えれば、日本は変わるかもしれない。これも、革命の一手法なのかもしれません。あっ、申し遅れましたが、私はこの国は革命でしか変われないと思っています。
私は、ブログで小説と評論を書いています。どちらも、テーマは「理不尽」ですが、評論の内容は、日本崩壊です。12年後に、この国は亡び、6,000万人から1億2,000万人の犠牲者が出るという、小説のような時事評論です。もちろん、ファンタジーではありません。実際に起きることです。その中で、この国を救えるのは市民革命しかないと書いていますので、革命の話が出てしまいました。

■参加作品の中で印象深いタイトルの作品をあげてください。
「この気持ちにつける名前をまだ知らない」

■参加作品の中で面白かった3作品&一言感想、お願いします。
これは、あくまでも、個人の趣味です。
尚、ファンタジーに関しては、小野不由美が読めないのですから、好き嫌いを言う資格がありません。一度「ファンタジーを書いたぞ」と自慢げに言いましたが、「これ、ファンタジーじゃないじゃん」と言われました。しょんぼり。
ですから、覆面の中では肩身が狭いです。
私の選考基準は、こんな人にプロの書き手さんになってもらいたいという基準で選びました。読みたい本が少なくなってきて、困っているのです。皆さん、早くプロになって。
私が好きな小説は、1行読む毎にその世界が「見え」てくる「物語」です。
昔、まだ女流作家が少なかった頃、女性ならではのきめ細やかさが好きになれず、数十年、女流作家を読んだことがありませんでした。男性作家の本も読む本がなくなってきて、再び、女流作家に目を向けましたが、驚きました。今は、女流作家をむさぼるように読んでいます。私がやっていたのは、ただのハラスメントだったのかもしれません。
私の好きな作品(無理矢理、強引に、3つに絞りました)。
[D04] アマヤドリズム
[D11] 葬送
[E03] 火を目指して飛んでいけ
正解発表の前に、選びましたので、男性の作品か女性の作品かはわかりません。偏見はなくしたつもりですが、もしも、この3作品の作者が全員男性だったら、ごめんなさい。まだ、偏見があるということです。
3作品だけ書きましたが、私の作品を除いて、多くの方に可能性を感じています。
ぜひ、いい作品を書いてください。
皆さん、楽しい時間をありがとうございます。
参加者の皆さんに、愛を。
探偵の皆さんに、増量した愛を。
私の作品を、うっかり間違ったふりをして、ミスジャッジしてくれる探偵さんには、最大の愛を。いません、でしたが。
でも、ネジ子さんには、無条件で最大の愛を。




感想

参加させてもらったお礼に何かしなければ。
でも。
推理なんて、100年早い。
パワー不足で全作品の感想は書けない。
で、1グループ4作品の、ごく短い感想を書きました。
感想と言うよりは、つぶやきと言った方がいいかもしれません。
これ、「お礼に、私も感想を書いた」という自己満足です。
最初から推理を放棄していますので、どなたのサイトにもお邪魔していません。作品を作品として読んだ素直な感想です。しかも、読者目線です。
また、正解発表の前に書きましたので、女性の作品か男性の作品かわかりません。
女性の作品の感想は難しそうです。
しかも、覆面参加者の男子率が10%以下だとすると、大変危険。
いっぱい、山のように、地雷を踏んでいるのかもしれません。
どうか、大目に見てください。
ツイッターでは、サイト年齢が話題になっていました。
私は「意気込み」で覆面参加者の平均年齢30代と書きましたが、実際には、どうなのでしょう。夢を膨らませると、40代? 50代?  60代?  70代? そんなわけないか。えっ、そうなの。まだ、私でも射程圏内? いくらなんでも、それは、ないか。
実年齢は関係ありません。皆さん、十分に若いです。
参加者の皆さんにとって、今回のお題の「火」は、どうも、あの世と繋がっていたように思えます。小説を書く人は、比較的、あちらの世界にも近い場所に立っている人が多いように感じます。それは、一般人よりも、想像という力を日常的に使うからかもしれません。
このお題は、そんな人達に火をつけてしまったのではないかと思っています。
生と死の間に、火がある作品が多いと感じました。
なぜ、お題が「火」になったのか、ネジ子さんの後日談があるといいなと思っています。



A03 「鬼の泪」
三浦しおんを連想しました。
ファンタジー色を抜くと、悲しいシリアスになります。
それでも、「鬼の所為」にしてしまいたいことは、この世にいっぱいあります。
だから、きっと、鬼の所為で正解なのでは。
最後に、主人公は自業自得だと言っているが、そんなこと言ってると壊れちゃうよ。
人間は、誰かのせいにして、悪事を働く。それが宿命なのです。
目をつぶってみたって、理不尽は消えてくれません。
ただ、人間は悪に染まってからでも、優しさに戻ってこれるのです。
余談ですが、若者は、寮生活に憧れるものなのだろうか。私には、よくわからない。
ハリポタの影響?
男子寮でも、女子寮でも、きっと、臭いと思う。かなり。

A08 「dead???:エンドorスタート」
なかなか複雑で面白かったです。
ちょっと、文字数が足りなかったかもしれませんね。
文字数無制限で、書きたいように書けば、もっと面白くなると思う。
よりによって、枝豆で窒息、とか、結構、受ける。
ただ、姉が死んでいて、ここで、弟が死ぬと、この親は子供を二人とも失うことになります。親の気持ちを考えると、運命が変わって、とても嬉しいです。
この世にも、おせっかいな死神がいれば、いいのに。

A09 「火消し参り」
私も、火を消しに行ってみたい。
でも、お墓は怖いし。
そもそも、あれは、ただの火ではありませんし。
あの、消された火は、どうなるの。
「そういうものなの」でしたね。
それでも、絶対に怖いよね。
そんな中、けなげに火を消す仕事に従事する女の子。頑張れ。
それよりも、私は、お父さんに感心します。こんな怖い仕事、男には無理ですって。
女子に任せるべし。イタコだって女子の仕事です。
ハローワークに行って、こんな仕事があったら、どうしょう。

A10 「キャンドル・ミッドナイト」
一緒に旅を満喫しました。
でも、これで、終わり?
終わり?
滅茶苦茶、欲求不満です。
清々しい文章と、背徳感と、恐怖の予感があって、これで、終わり。
プロローグのプロロで終わってしまったようで、この気持ち、どこへ。
お願いします。
もう少し、書いてください。

B02 「誰か」
「僕は彼らの関係を薄ら悟り始めていた」って、どんな関係。
私には、読み終わっても、わからなかった。
不幸の続きが不幸で、最後も不幸で終わる。
炎の中で、うごめく気配は、不幸の延長戦。
不幸を見ている人も、不幸。
不幸を伝えることは大切です。そういう意味で成功している。
幸福とは自分の中にしか見つからないものだからです。
健康で、文章が書けて、覆面にも参加できる。こんな幸福は滅多にありません。
爺、丸出しで、ごめんなさい。
できれば、隣家の火が延焼し、主人公も火の中。
現世とは、そういうものなのでは。
それでも、ハッピーエンドになるフィクションがあれば、嬉しい。
ないよね。

B09 「狐の嫁入り」
この作者は、時代小説をかなり読んでいるように感じました。
宇江佐真理の作品だと言われても、信じたと思う。
お紺ちゃんのたくましさと太吉の人の良さ、平成時代でも通用する。
それにしても、これだけの文字数で、ここまで書くとは。
「おぬし、なにもの」
無料で読めて、ちょつと、得をしたような気分です。

B10 「kindling!」
ファンタジーは、よくわからない。
でも、ファンタジー音痴の私でも、情景が目の前に広がる。
そこがいい。
お題が火ではなく、水だったら、作者はどうしたのか。
放水車になっている女の子を想像して、ニヤついてしまった。
どちらにしても、女は魔物、なのです。

B11 「夜の灯しびと」
年寄りの私でも、瓦斯燈を見たことはありませんが、見えるようです。
瓦斯燈に点火する光景を画いた絵があったような記憶があります。
きっと、このおじさんも山高帽を被っていたのだろう。
この作品を書いたのが男性だったら、私の天地は逆になります。
私には想像すらできない女性目線が随所に出てきます。
こういう作品が書ければ、覆面かぶれるのに。

C03 「時よ止まれ、汝は美しい」
探偵としての素質が皆無な私が、唯一、推理したのがこの作品です。
題名で、間違いないと思い。読んで、いかにも書きそうだなと思い、くまごろうに決定。
ところが、あっけなく、本人に否定されました。
最後に悪魔と取引する場面がありましたが、取引しないという選択肢があったのだろうかと考えました。ほとんどの男は取引するでしょう。そうだろうか。
謎の女、水浦あかり。その爽やかにみえる笑顔の向こうには、何があるのか。
本物の恐怖は、この先にある。きっと。
私的には、推理だけではなく、困った作品になりました。

C06 「あの温もりを思い出せない」
これは、困った。
年齢のせいか、頭の中で一生懸命、助言を探している自分がいる。
その全部が、当てはまるようで、無意味のようで。
カウンセリングしてる場所じゃないだろ、と思い、読者に戻る。
それだけ、作中に引き込んでくれたわけで。
困りました。
でも、もしかして、本気で悩んでる。
まだ、言うか。

C08 「火刑に処す」
胸苦しいお話でしたが、この話、好きです。
幼いころは、胸苦しくなると、ほんとに、息が出来なくなるように感じたものです。
ところが、次第に、胸苦しさと、呼吸困難に因果関係がなくなり、独立していきます。
これが、大人になるということなのでしょうか。
ついには、胸苦しさを自覚することも無くなります。
幼い時は、大人になりたいと思った愚かな時間がありました。
今は、なぜ、幼い時間は、あんなにも短かったのだろうと不平を言っています。
もっとも、この年齢で胸苦しくなると、心筋梗塞です。
気を付けなくては。

C11 「この気持ちにつける名前をまだ知らない」
先ず、この題名に、やられました。
この方は、きっと、詩作もやるのでしょう。
今回の、私の個人的なお題は、どうも、「女は魔物」だったようです。
多くの皆さんが、魔物を書いている。
現実の男は単細胞で、強そうな幹や枝を持っていても、根が浅いものです。
実際の女は、細い幹としなやかな枝に見えますが、その根は大地にしっかりと食い込んでいます。そして、悩みを栄養にして、着実にその根っ子を太く揺らぎのないものにしていきます。
これは、宿命なのでしょう。根性という言葉は、この男女差から生まれたのかも。
儚き者、そなたの名は男。

D01 「とある罪人の告白」
主人公の朔は、どうするのでしょう。
守人ですから、今で言えば公務員なのでしょう。
公務員ですから、罪に問われることはなく、うやむやになります。
でも、依願退職はしなくてはなりません。
朔の、その後。
山の中の大きな岩に向かって鑿を振るう出家者の話を読んだことがあります。
一生かけて、岩に仏像を彫りこむのです。
人の心は、それで救われることもあるのでしょうか。
贖罪そのものが、不可能事に思えてしまう。
どうすれば、ハッピーエンドになるのだろう。

D02 「顔」
これは、なに。
5回も読んでしまった。
でも、まだ、わかんない。
わからなくても、読み返してしまう魔力。
段々、自分が又吉になったような気分になってくる。
女狐に騙されて、狂ってみるのも、乙かもしれない。
いや、でも、わかんない。
ファンタジーということに、しておこう。
ファンタジーでも、やっぱり、魔物は魔物。

D04 「アマヤドリズム」
多くのプロ作家が音楽物を書いていますが、その定番は学園物です。
主人公が悩み多き営業ウーマンで、メンバーは3人。でも、全世代網羅。
いや、いや、雨と悩みが参加しているので、メンバーは5人。
これは、新しい切り口なのではないかと思います。
後書きテンプレートにも書きましたが、私の中ではベスト3に入っています。
いい作品なので、敢えて、苦言を書きます。
あの雨音の擬音、あれをもう少し工夫してくれると嬉しいです。
アニメに出来て、小説や漫画では出来ないこと。それが、音楽です。
アニメでの音楽の力は、強力です。
小説に音楽を持ち込めれば、これは、世紀の大発明です。
なんか、無茶言って、ごめん。

D11 「葬送」
素晴らしい。
何度でも言いますが、素晴らしい作品です。
これだけ短い文の中に、周到なプロットがある。
思い出語りが好きではない私が、納得してしまった。
でも、ベスト3にだけは、クレームをつけます。
「あなたがいて、ただいまとあなたが帰ってきたら」で「うっ」と停まりました。
このお母さんだったら、「あなた」よりも「あんた」の方が、一直線だったのかも。
こういうクレーム、私は嫌いです。ごめんなさい、許してください。

E02 「キドニーパイをひとくち」
料理物は、この20年で、ジャンルを確立したのだろうか。
私は、自分で料理をしますが、料理物を書く勇気はありません。
だから、料理物を書く人を尊敬してしまいます。
しかも、この作品の料理は、全部、カタカナ料理です。
食べたこともない、見たこともない料理ですが、夢を膨らませてしまいます。
美味しい料理の中に、人間関係というスパイスを効かせて、物語になっています。
この先の、ストーさんを見てみたいです。できれば、ロンドンを舞台にして。
辛い境遇の中から生まれる、最高のキドニーパイを食べたい。
少し、塩味を抑えておいてください。きっと、私の涙が味付けしますから。
ところで、キドニーパイって、どんな味 ?
一度も食べたことがないのに、無性に食べてみたい。

E03 「火を目指して飛んでいけ」
泣いてしまいました。
まさか、覆面で泣けるとは思いませんでした。
老人は涙腺も老化していると言われますが、それが原因ではありません。
日常と風景と天上が見渡せるような、心地よさ。
邪悪な心にさえ潜む優しさ。
物語になっている。
最高です。
ベスト3ですから、敢えて、苦言を。
数行でいいから、「たまちゃん」を書いて欲しかった。
くどいですが、最高です。

E05 「グラスキャンドルライト」
あれっ。
愛の引き摺り女って、実在するんですか。
フィクションの世界でのことですよね。
あっ、これもフィクションか。
憎しみは引き摺れますが、愛は忘却という小さな箱に仕舞われますよね。永遠に。
これ、フィクションですから、当然、フィクションですよね。
ま、逆バージョンは存在しないでしょうから、これも、ありなのか。
いや、やっぱ、ありえない。
タクのバラードは、多分、本音なのだろう。
男は、一生でも引き摺ることが可能です。
これ、作者、男の人?
それとも、地雷?

E12 「プロメテウスの崖」
文字数を数えていませんが。
たとえ、6,000字を越えて10,000字だったとしても。
私は、納得できません。
私が書けば、20,000字は必要です。
超短編を読んだ気がしません。
これなら、戦闘場面で、思い切り文字数が使えます。
この文字数で、ここまでの内容をどうすれば納めることができるのか。
これは、才能だと思います。
澄んだ目で遠くを見つめる女戦士を想像してしまいました。
この方が絵も描くのであれば、主人公の絵を見てみたいです。

F06 「夕星☆えとらんぜ」
文武両道超絶美形、人格者。完璧超人。
おい、おい。
たとえ、金星の調査隊員でも、こんな男を許すことなどできないぞ。
加賀瀬修暗殺団を結成だ。
暗殺団団長に推薦しようとしていた森ちゃん。
団長候補が恋をしたのでは、洒落になりませんよ。
これは、文武ヘロヘロ超絶非美形、人格破綻者、完璧落ちこぼれの泣き言です。
でも、森ちゃんは恋に堕ちるのです。女ですから。
えーい。やけくそだ。エールを贈っちゃおう。
森ちゃん、頑張れ。

F07 「火のないところに煙をたてるお仕事です」
怖エー。
これは、絶対に、ホラー小説に違いない。
そう思いたくなるほど、リアルな物語。
いいですね。
小説は、こうでなくっちゃ。
こんな感想書くと、また、嫌われるかも。

F08 「凱旋の火矢は墜されたし」
この方も、きっと鉄板と呼ばれているのでしょう。
これを、フェイクでは書けません。
厚さ5ミリもあるような革製の背表紙の本を手に取ったような感触です。
文章も重厚で、この物語を語るに相応しい。
ただ、6,000字は、読者を欲求不満にさせます。
戦いの様子も、人間関係も、時間の流れも、もっと、もっと、知りたいです。
主人公の人生は、きっと、簡単な25年ではなかったと思います。
そして、孫をその手に抱いたときの主人公の胸の中に吹く風を感じてみたい。
ぜひ、長編で書いてください。
もしも、次の覆面が開催されたら、この方の文章を真似してみたい。ネジ子さん、その時は、同じグループに入れてくださいね。

F10 「灯油あります。」
この方の年齢を知りたい。
私よりも、年上??
真空管ラジオを組み立てた経験があるとか。
ただの博識ではない、体験したことがあるような知識。
無条件で、この作品、大好きです。
理数系に弱い私は、ニヤニヤして読みました。
でも、理数系に強くないと、こういうものは書けない。残念。
すぐにでも、文庫本で出版してもらいたいけど。
正解発表の後で、サイトにお邪魔します。

G01 「いきたいと希う」
行き場をなくした時、伊織や大和に出会えたら、どんなに楽だろう。
生きたいと死にたいは、どうして両立するのだろう。
死にたいと思うと、部屋の隅にある埃も、天井の染みも、見えない空気さえも、ものすごく大事なものに見えてくる。死にたいけど、生きていたいんです。
多分、狂気と道連れにならなければ、あちらの世界へは行けないのだと思う。
そんな時、死にたい気持ちを持ち去ってくれる幽霊に出会えたら、とても嬉しい。
大丈夫。杏奈は、まだ生きていける。
いじめで自殺した子供達は、伊織や大和に遭えなかったのだろうか。
それが、とても、悲しい。

G02 「火宅咲(わら)う」
親にギャーギャーと言われて育った人は、少なくないと思います。そして、子供の頃に受けたギャー爆弾は、結構、尾を引くのです。
私の場合は、比較的、そんな被害に遭うこともなく、おかげで自堕落に育ってしまい、自業自得だと後悔していますが、この主人公は、追いつめられてしまったようです。
どちらがいいのか、私にはわかりません。
他人様の人生ですから、出る幕はありませんが、できれば、生きていて欲しいものです。
先日、北海道で祖母と母にギャー爆弾を落とされていた17歳の女子高生が、祖母と母を殺すという事件がありました。これも、悲しすぎる事件です。大人の思い込みが悲劇を引き寄せるのだとすると、大人は、私も含めて自分を振り返る必要があるかもしれません。

G04 「蝋燭」
これは、復讐劇ですよね。
でも、これでは心中劇になってしまいます。
自分だけの逃げ道を作っておきましょうよ。
でも、島の管理者へはキャンプをするという交渉を自分でしています。
つまり、最初から、完全犯罪を諦めています。
計画しましょうよ。完全犯罪は可能です。
姉と妹と一人の男、数が合いませんし、妹は男を愛している訳でもありません。
死んじゃいけません。
これを書いた人、女性?
えっ、これも、地雷?

G05 「金糸雀に雨」
いい話です。
物語になっているお話は、大好きです。
背中に羽が生えていても、団長が横暴でも、いいです。
この作品は、読者の中で、情景が作られます。
雨も、どんよりとした雲も、すでに読者のものなのです。
これは、いい作品の持つ魔術だと思います。
サーカス団についていきたい「よだか」を諭すところは、立派です。
二人が大きくなって、約束を忘れていなければ、また、会えるかもしれません。
でも、生き延びることができるのかどうか、それが不安です。
時々、思うのですが、私達は誰かを思いやる気持ちを、どこかに置き忘れているのではないかと。
感性も想像力もなくした人間に未来はあるのでしょうか。



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「告発」によせて [文学系]



久しぶりに、超短編ですが、小説をアップしました。
小説を書いていない訳ではありません。
「いじめ」がテーマですが、重松清さんの影響です。

最近、重松清さんにハマっているのです。
「とんび」がテレビドラマになったことをきっかけにして、重松作品を初めて読んでみました。そして、自分が「いじめ」をテーマにしたら、どんな物語になるのだろうと思ったのがきっかけです。
先日、数えてみると、文庫本で22冊を読んでいました。彼の作品の1/3くらいは読んだことになるのでしょう。
ともかく、泣きたい時は重松作品です。これだけ、泣かせてくれる作家は初めてです。
基本的に、文章がいい。読書の場合、これが、絶対条件です。自分がいい文章を書けているかどうかは、横に置いておきます。
重松作品は「いじめ」のテーマが多い。「いじめ」ばかりを追求した本もありますが、私は彼の作品の中では「いじめ」の占有率が小さな作品が好きです。「いじめ」のテーマがなければ重松作品でなくなるのかもしれませんので、拒否はしませんが、さりげなく書かれている作品の方が「いじめ」を意識できるような気がしています。
それと、家族がテーマです。
そして、家族の死もテーマです。
そんな中で、健気に生きていく「生きる」をテーマにしています。
ですから、彼の書くものは、いつも前向きになります。
「えらいなあ」と思います。
たぶん、彼は人間を信じているのだと思います。
私が書くと、いつも、後ろ向きなものになります。それは、私が人間を信じていないことが原因なのだろうと思っています。
超短編の「告発」を書きましたが、結果的に、やはり前向きではありません。
私は、暗くて、砂を噛むような物語しか書けないのだと思っています。
読後感に清々しさがありません。そんな小説を読んでくれと言う私が間違っているのでしょう。でも、これしか書けないのですから仕方ありません。
きっと、私に小説を書く才能が欠けていることの証拠なのでしょう。
今書いている長編も暗いです。途中で止まっている長編も暗い。新しい物語のプロットも暗いものです。もう、これは病気です。きっと、この泥沼からは出られないのだろうと思うようになりました。
私自身が時代の閉塞感に押しつぶされていて、健気さや清々しさがおとぎ話にすぎない、とどこかで思っているのかもしれません。小説はおとぎ話なのですから、「そんな感覚では小説など書けないよ」と言われれば、「ごめんなさい」と言うしかありません。
つまらないことを書いてしまいました。


2013-04-04



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金子みすゞふたたび [文学系]



今野勉氏の「金子みすゞふたたび」という本を読みました。
ノン・フィクションに嵌っているわけではありません。フィクションの世界にいると、ノン・フィクションは一種の清涼剤のような役目を果たしてくれます。ノン・フィクションを読むと、無性にフィクションが書きたくなるのは何故でしょうか。
以前に、文学系日記の「弱き者によせて」で金子みすゞのことを書きました。
その中で「金子みすゞは優しい風にのせて、人の心に理不尽をそっと伝えてくれます」と書きました。私の金子みすゞ観は少し違うのかもしれません。
著者の今野氏は、NHKスペシャルで放映された「金子みすゞの世界」を演出した方です。私はNHKを見ませんので、放送の内容は知りません。そのテレビ番組から10年後、氏は再び金子みすゞの調査を始めます。この本は、その調査の克明な内容と、新しいみすゞ像の発見を書いた本です。氏はみすゞが生まれた家はどこかということに、多くの時間を使い、家族の関係を推理し、みすゞは巷で言われているような原因で自殺したのではないと結論付けました。すると、10年前に読んだ詩と、その10年後に読んだ詩が全く別の意味を持っているのに気付かされたと書いています。
この本を読んだ後でも、私の理解が正しい解釈でなかったとしても、私は金子みすゞが伝えたかったのは、やはり理不尽だと思っています。優しい風にのせて、と思っていましたが、決して優しいだけの風ではなかったということなのでしょう。
童謡というジャンルに発表していた作品ではありましたが、みすゞの作品は童謡を超えた場所にあった。著者は、西條八十の童謡は時代とともに消えていったが、みすゞの詩は、詩として残ったと書いています。私もみすゞの作品は文学だと思っています。
他にはない、独特の世界を創り出した作家だと思うと、その死が悔やまれます。これほど、読まれるようになったことを知った時、みすゞはどう思うのでしょうか。西方の海の果てに旅立ったみすゞが、そのことを知る機会はあるのでしょうか。いや、彼女にとっての西方の海の果ては、安らぎの場所だったのでしょう。
金子みすゞに興味があり、ある程度忍耐強い方にはお勧めします。小学館文庫です。

詩を読むと、いつも自分に問いかけます。感受性は途切れていないか、失くしていないか、忘れていないか、と。
私がやっていることは支離滅裂とも言えます。本業は生活費を稼ぐことです。家事もやります。小説も書きます。時には、詩も書きます。預言者になったり、評論家になったりして、日本の心配までします。変人でしかないのに、どこか開き直っている嫌な奴だと思うこともあります。救いようがありません。それでも、感受性だけは捨てたくないと思い続けています。
石田の詩など、読みたいと思う人はいないかもしれませんが、もし、退屈しているのであれば読んでやってください。

私という君へ
君は
心、震わせていますか
美しいものに
優しいものに
君は
心、涙していますか
悲しいことに
辛いことに
君は
心、飛び立っていますか
新しいことに
明日に
君は
心、抱きしめてますか
大切な人達の心を
そして、自分の心を


2012-02-18



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武士の娘 [文学系]



杉本鉞子著の「武士の娘」という本を読みました。
原題は「A Daughter of the Samurai」です。大岩美代という方が訳したものです。
英語で書かれた、日本人による、日本の生活の話です。杉本鉞子氏は明治6年に、旧長岡藩の家老の家に生まれ、幼少時代はまだ越後の国という呼び方が相応しい土地で過ごしました。ところが、結婚した相手がアメリカで貿易商をやっていた兄の友人の日本人でした。少し、ややこしいですね。アメリカで生活していると、アメリカ人から「日本では、こんな時、どうするの」「日本にも、こんなお祭りはありますか」と日本のことをよく聞かれたそうです。日本のことを、アメリカ人に話しているうちにいろいろなことを書きとめるようになり、自分の生い立ちや生活をまとめたようです。
明治初期の地方都市の歴史の一部でもあったのでしょう。日本に大名というお殿様が何人いたのか調べていませんが、仮に100人とします。禄高によって多少の違いはあったかもしれませんが、一つの藩に5人の家老職の人がいたとすると、全国では500人です。徳川将軍家を別にすれは、武家社会の頂点にいた500人です。その娘なのですから、お姫様になります。明治維新以降に生まれていますので、既に姫君ではなかったのですが、まだまだ武家社会の空気はなくなっていない時代だったと思います。
結婚相手が決まり、渡米するために、明治の初期に英語を習得する目的でミッションスクールに通います。教師も外国人が多くいたというのですから驚きです。あの時代、英語の勉強をしていた女学生など数えるぐらいしかいません。特別の場所にいた特別のお嬢さんの生活史のようなもので、現在の私達が読むと別世界の雰囲気もありました。
なぜ、こんなことを書くのかというと、この本は世界で七ヶ国語に翻訳されている書物なのです。原文が英語だったので翻訳しやすかったのだと思いますが、見知らぬ国の方がこの本を読んで、日本人を理解したのだとすると、少し心配になりました。
翻訳ですから、文章力は原作者だけのものではないと思いますが、文章は活き活きとしていて、大変読みやすいものになっていました。自伝に近いものですが、時代と歴史と当時の女性の意識に触れるという意味では、それなりに楽しい本でした。
いつの世でも、女は逞しいのだと、あらためて感じさせられました。

著者の生まれた家には仏壇が大切な場所にあり、お寺や神社の話も出てきます。本人はミッションスクールに通い、クリスチャンの洗礼も受けたようですが、日本人のキリスト教信者だったようです。キリスト教やイスラム教は排他的な宗教ですが、仏教は少し違います。と言うより、日本人の宗教観が異質なのかもしれません。
日本では仏教も神道も山の神も海の神も、等しく神であり、それを無理なく受け入れるのが日本人です。日本人は、キリストもモハメッドも仏陀も通り超えた無限の場所にいる筈の神のような大きなものを神だと思っている部分があります。私の母もクリスチャンですが、父は建前では浄土真宗の不信心者ですし、私に至っては無神論者です。でも、母は夫にも私にも宗教のことで何かを要求したことはありません。日本人クリスチャンは、自分だけがクリスチャンであれば、そこで完結できるようです。
私は、若いころに無銭旅行に出たことがあります。食費以外はお金を使わない旅行です。ですから、ひたすら歩き、野宿します。でも、寒い時期でしたので野宿は大変です。ある日、寝場所を確保しようと、教会の牧師の家を訪ねました。汚れた旅人ですから、危険だと思ったようで、断られました。また、別の日に、お寺を訪ねて本堂の片隅を貸して欲しいと頼みました。早朝に和尚と掃除をする条件で、本堂を貸してもらいました。朝になり、和尚と境内を掃除して、礼を言って出かけようとしたら、「めしを食っていけ」と言われました。「なに、家族と同じものしか出せん」と言われ、私は有難く朝食をいただきました。そのときのみそ汁の味は今でも忘れません。私が無神論者だと言っても、あの和尚なら笑い飛ばしてくれるでしょう。
私の母はキリスト教で救われたと思ったでしょうし、私はキリスト教に不信感を持ちました。国家でも企業でも宗教でも、その担い手の資質によるという説に説得力があるように思います。
読書感想文の筈でしたが、また、脇道に逸れてしまいました。
小説を書くということは、私の場合、挫折を捜す旅のようなものなのですが、何故か捨てることができません。書く度に、自分の書いたものに挫折しますし、素晴らしい作品に出逢うと、やはり挫折しそうになります。それでも、また、書き始める。ほとんど、病気といってもいいのかもしれません。
前回、吉村昭の本を読んでいると書きましたが、今も、氏の「間宮林蔵」を読んでいます。但し、私は雑食ですから同時並行で他の作家も読んでいます。最近読んだものは、吉村昭、杉本鉞子、北方水滸伝・陽令伝、新保祐一、堂場瞬一、太田欄三、藤沢修平、山本周五郎、薬丸岳、深町秋生等で、何の脈絡もない内容になっています。
私は女流作家を苦手にしていますので、杉本鉞子は異例です。しかし、最近は女流作家が増えてきました。これは、時代を反映しているように思います。先日参加した「覆面作家企画」でも、皆さん無名の小説書きですが、やはり女性の方に才能があるように感じました。スポーツ界でも女子が活躍しています。男子も頑張れ、です。


2011-11-13



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時代という魔物 [文学系]



これは、読書感想文です。
誰でもそうなのかもしれませんが、ある本を読みますと、その作家の本ばかり読む癖があります。今は吉村昭氏の本です。
吉村明氏の「破獄」を読み、私はノンフィクションを書いてみたかったのだということに気がつきました。ところが、私には、「破獄」のような小説は書けません。
日本崩壊論を書いたのは、ノンフィクションが書きたくても書けない自分を納得させるための代替行動だったようです。反省すべきことかもしれません。

読まれた方も多いと思いますが、「破獄」は無期懲役刑が確定している囚人の話です。
青森刑務所、秋田刑務所、網走刑務所、そして札幌刑務所。四回も脱獄を成功させた、ある男の物語です。時代は昭和11年から昭和22年までの10年間です。主人公はその後、府中刑務所で刑期を終え、釈放されました。吉村明氏はノンフィクション作家だと思っていますが、記録文学だと捉えている方もいるようです。
語り手は、全編にわたって青森、秋田、網走、札幌、府中の刑務官です。
物語の半分は時代背景に費やされていますので、刑務所という特別な場所から見た戦前、戦中、戦後の昭和史でもあります。囚人を主人公とした物語としては成功した作品とは思いませんが、ノンフィクションの部分は秀逸だと感じました。そこに、この本の存在価値があります。
学校の社会科で勉強する現代史は、ほとんど項目だけの歴史です。この小説にはその現代史の一面が書きこまれているような気がしました。
若者の中には、日本とアメリカが戦争していたことを知らない人もいるようですが、私達は日本の現代史を社会科の授業とは別のカリキュラムで勉強すべきではないでしょうか。
軍国主義、戦争、空襲、沖縄戦、広島・長崎の原爆、敗戦、そして占領。300万人以上の人命を失った事実に対して、我々は無関心が過ぎるのではないかと危惧します。戦中から戦後にかけての食糧難の時代には、栄養失調が原因で亡くなられた方が大勢いました。誰もが空腹に苦しめられました。でも、国民の記憶からは消えようとしています。
為政者のミスリードで悲惨な目に会った庶民は、間違いなく犠牲者でした。昭和史を正しく認識することが、現在の、そして未来の日本には是非とも必要なことだと思います。
この平成という時代も、為政者のミスリードにより地獄へと突き進んでいます。
昭和史を学べば、人間とは、何と愚かな生き物なのだろうと感じずにはおられません。その愚かさから逃れるヒントは我々の中に、我々の歴史の中にあるように思います。
この「破獄」という小説には、なぜ日本が戦争に突入してしまったのか、については書かれていませんでしたが、結果として、国民が悲惨な生活を強いられたことは書かれています。言葉だけでも悲惨なのですから、実生活はさらに悲惨だったのでしょう。庶民に責任はあったのでしょうか。あるとすれば、無知だったという責任だと思います。
為政者のミスリードは戦争だけではありません。この先、日本が滅びるのは戦争によるものではありませんが、明らかに国家運営の失敗です。そこに必要とされているのは「勇気」だと思います。勇気の中でも一番難しい撤退する勇気だと思います。戦争でも、この先にある日本崩壊でも撤退する勇気があれば、民を守ることはできるのだと思います。国家にとって、その威信を守ることは不可欠ですが、それ以上に欠かせないのが、民を守る事です。そこが非常に曖昧になっているのですが、このことを抜きにしては、国家の存在理由は見出せません。第二次世界大戦では、結果的に民を守れませんでした。これは、為政者のミスリードだと思います。
ただ、当時の世界の潮流は覇権の時代でした。大きな潮流は人間の手では止めることはできません。また、単独の国がその潮流を止めることもできません。ですから、当時の日本が軍国主義に走ったことを、批判しても意味がありません。でも、どこかで引き返す勇気が必要だったとは思うのです。きっと、不様に見えるでしょう。でも、敢えてその勇気を持つことが求められていたのではないでしょうか。民を守ることが原点にあれば、可能だったように思います。これこそが、国益という言葉に相応しいと思います。
今の世界の潮流は格差社会です。世界中で格差是正の要求が出ていること。それがその証明です。現在も一歩引くことが求められています。
時代の潮流とは、恐ろしいものです。時代が変われば、なぜ、あの時、あんなことをしたのか不思議に思います。でも、我々はその時代という魔物の中に住んでいる訳ですから、それを見極めることは至難の業です。
日本人の中には、軍国主義反対を唱えていれば、過ちは繰り返されないと信じている人達がいます。それは、感性の貧しさです。人間はなんと愚かな存在なのでしょう。
国家運営の過ちが、多くの人命(日本人だけでなく他国の方も)を奪い、全国民に飢えの苦しみを与えました。これは、消すことのできない事実です。体験された方々の大半は亡くなられています。体験がなくても、人間には理性がある筈ですが、この理性というものは、余り役には立たないようです。
軍国主義であろうと、格差社会であろうと、国家運営の過ちだと認識すればいいのですが、それがなかなかできません。お上は、いつも自分達の過ちを認めようとしませんし、過ちだと指摘されることも嫌います。力づくで真実を曲げようとするために、益々過ちの中へとのめり込んでいってしまいます。その犠牲になるのは、いつでも私達国民だと相場が決まっているのも辛い事です。
これは、読書感想文です。日本崩壊論ではありません。
これ以上書くと、日本崩壊論に戻ってしまいますので、この辺でやめます。

小説の本文の最後に解説のページがあります。その解説者が「かつて文学者はアウトサイダーであり、社会にそむいた存在であった」と書いています。これが真実だとは断言しませんが、文学にはそういう側面はあると思います。久しぶりにアウトサイダーという言葉を目にしました。私も趣味で小説を書いていますが、自分はアウトサイダーという立場に立って書いているのだろうかと自問してしまいました。そして、アウトサイダーという言葉を懐かしいと感じたことに少し驚きました。大昔(高校生の頃)、コリン・ウィルソンの「アウトサイダー」を読んだことを思い出したのですが、いつの間にかその時の新鮮な感覚を失くしていたのかもしれない。人間界が不条理の坩堝だと、私に教えてくれたのはコリン・ウィルソンやカミュでした。人間が、絶望と希望で織られた細い糸の上を歩く危険な存在であることを教えてくれたのはニーチェでした。人間は、その宿命から逃れていませんし、これからも逃れることはできないでしょう。過去の歴史も、今、私達が作っている歴史も、そのことを証明しています。
アウトサイダーでなければ見えない景色もあります。ですから、アウトサイダーという認識を忘れかけていた自分は反省しなくてはならないと思いました。

吉村昭氏の作品は、まだ5冊しか読んでいません。
「破獄」と「漂流」と「羆嵐」と「冬の鷹」と「ポーツマスの旗」です。
私の小説のテーマは理不尽ですが、吉村氏の理不尽に比べると幼稚園児のような理不尽に思えて仕方がありません。可能な限り作り物を排除しようとする姿勢が、理不尽を際立たせるのかもしれません。
多分、同じ題材を私が書けば、作り物を山のように書いてしまいそうです。
「羆嵐」で人骨を噛み砕く場面がありますが、私に書けるかどうか。
妊婦を襲い、その胎児を食べる羆を、淡々と書く自信はありません。
文中、「腹、破らんでくれ」と羆に哀願するような叫び声がきこえた。と書かれています。
これは、私には書けません。
文中、羆撃ちの名人の話として、最初に食した人間が女の場合、羆は女ばかりを食するようになる、と書かれています。
想像だけで書かれたものではない重みがあると感じました。


2011-11-12



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弱き者よ、によせて [文学系]


私の願望は、ハッピーエンド。
しかし、その願望はもう脅迫になっているのかもしれません。
結果、作文の起承転結という基本を逸脱し、見事、失敗作になった印象があります。

詩人・金子みすずが、あの暗い人生からあの優しい詩を書いたのは何故なのだろう。
それは、やはり、才能なのではないだろうか。
金子みすずを読むと、涙が溢れます。同時に、打ちのめされます。
「金子みすずの世界」に行くと、そこには悲しくて辛くて、それでいて、優しい風が吹いています。その世界にいると、自分の卑小さがまるで実体を持った悪魔となって襲いかかってきます。そんな時、自分が三流以下の存在であることが、よくわかります。
私が伝えたいのは「理不尽」ですが、金子みすずは優しい風にのせて、人の心に理不尽をそっと伝えてくれます。きっと、これが文学なのでしょう。
小説を書き終えると、いつも砂を噛むことになります。
書き続けていれば、いつか、悲しい存在でしかない人の心を、その悲しみに優しい風を纏わせて届けることができるのだろうか。
私は、政治家や官僚を罵倒することしかできない、程度の低い人間に過ぎないのではないだろうか。きっと、私の存在そのものが理不尽なのだと思います。
いつものことですが、辛抱強さが自慢の方に「弱き者よ」を届けます。


2011-4-3



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文学との出会い [文学系]


曲がりなりにも小説を書いているのですから、文学に関する日記もなくてはなりません。今日は少しだけそんな日記を書いてみます。
その前に、小説置き場なのになぜ経済や政治の話が多いのか。変ですよね。
それは、私の職業が「博徒」だからです。勿論、丁半博打の博徒ではなく、株取引という博打をしている博徒の方です。株取引で大損を出した経験のある方ならおわかりになると思いますが、社会的に認知されているとは言え、株取引は博打です。私も以前は大損を出したことがあります。最近は満足とは言えませんが、最低限の生活費はこの博打で稼いでおります。そういう立場ですから、小説はどうしても趣味の範囲を出ません。それが致命傷かもしれない、などと自分を慰める理由にしていることを否定しません。
さて、趣味は人それぞれですから、小学生の頃に自分の趣味が小説になることなど想像もしていませんでした。人の趣味をある方向に向けるものは、環境と人との出会いにあるように思います。例えば、父親が高校球児だったとか、天文学の好きな学校の先生に出会ったとか、お祖父ちゃんがアマチュア5段の棋士だったとか、です。
私の父は技術者で文学には全く縁のない人でした。ところが、中学生の時に家庭教師をお願いした隣家のお兄さんが作家志望だったのです。
父親がサラリーマンで各地を転勤する場合は、単身赴任という選択肢がありますが、私の場合は単身転校でした。中学二年の時に、東京の祖父の家に預けられました。そして、たまたま、隣の家にドイツ文学を専攻する大学院の学生さんがいたのです。英語もドイツ語もネイティブに喋る学生でしたので、英語の家庭教師をお願いしたようなのですが、ご本人は文学を職業にしたいと考えている人でした。二年弱ですが、私は文学青年を先生に持つ出来の悪い生徒になりました。
その家は広く、二階には外国人家族が住んでいました。別の場所にも家を持っていて、そこも外国人に貸していました。お父さんがいたのかどうか覚えていません。多分、家賃収入で生計を立てていたのだと思います。先生の外国語が流暢だったのは、店子とのコミュニケーションをとるために必要だったのでしょう。専攻はドイツ語でしたから、ドイツからお客さんが来た時は通訳としても活躍していたようです。
先生の部屋は四畳半程度の狭い部屋でしたが、壁は本棚になっていました。英語の勉強に行っていたのですが、どうも文学の話の方が多かったようです。
「どんな本を読みましたか」と聞かれましたが、私は本の名前を言えませんでした。今ほど漫画全盛期ではありませんでしたが、漫画か漫画に少し毛の生えた読み物しか読んだ事がなかったからです。
「どれでも、好きな本を持って帰っていいよ」と言われ、私はできるだけ薄い本を選びました。読書に意欲があった訳ではなく、成り行きで本を借りて帰っただけです。
「どうだった」と本の感想を聞かれても、答えられません。借りて帰った本はヘルマン・ヘッセの「車輪の下」です。おいそれと読める訳でもなく、ましてや感想など思いもよりません。それでも、成り行きで、次から次へと本を借りて帰ることになり、本を返すためには読むしかない状況に追い込まれてしまいました。これが、私の文学との出会いです。先生は同人誌を発行していて、その本も貰って帰ります。読書を趣味にしていない人間にとっては、かなり苦しい状況でした。
高校受験ではありますが、私はまぎれもなく受験生でした。あの状況が受験勉強になったのかどうか、はなはだ疑問です。高校に進学して、家庭教師と生徒の関係は終わりましたが、歳の離れた友人になっていたようです。夜中にラーメンを食べに行ったり、映画を見に行ったり。そして、旅行に行かないかと誘われて旅行にも行きました。彼は作家志望でしたからその小旅行を短編小説にしました。高校生という設定ではありませんでしたが、私も登場人物になっています。後になって、彼はその紀行記で芥川賞を取りましたが、私は大学に行っていた頃ですから、友達付き合いはありませんでした。今なら、芥川賞作家と友達だと自慢しただろうと思いますが、あの時の、私の反応は「へえ」で終わったように思います。随分歳が離れていたと思うのですが、友達付き合いをしてくれたのは何故だろう。彼は温厚で優しい人です。理由はそんな彼の人柄によるものだと思いますが、今となっては確かめる方法はありません。
彼は六人兄弟の三番目でしたが、早世の家系(他の兄弟の方も早くに亡くなった方がいます)だったようで、若くして亡くなりました。私の文章を見たら、彼はどう言っただろうかと思います。きっと、にこにこと笑いながら「いいんじゃないですか」と言うような気がします。そんな鷹揚な雰囲気を持った人でした。
当時の私は、文学を志すという考えはありませんでした。サラリーマンの息子ですから、サラリーマンになるのだという漠然とした固定観念に安心していたのかもしれません。
彼との出会いが私にとって良かったのか悪かったのか、未だにわかりません。高校の時から読書量が増え、ほとんど中毒症状になっていました。そして、大学受験に失敗。当然です。ほとんどの時間を読書に使っていましたから、受験勉強は形だけのものでした。余談ですが、私は一番というものに縁のない人間でしたが、高校時代に一番を取った事があります。学年で一番の欠課時間数という不名誉なチャンピオンです。学校を休んでいたのではなく、授業に出なかったことによる欠課時間です。図書室や屋上、時には喫茶店が私の常駐場所になっていました。卒業できたのが不思議なくらいです。こんな書き方をするとひ弱な文学少年みたいですけど、実際は殴り合いの喧嘩もする硬派学生でした。犯罪に手を染めてはいませんでしたが、隠れ不良の学生だったと思います。担任の先生に恵まれていて、その先生のおかげで卒業できたのだと思っています。
浪人して思った事、それは読書のできる環境を手に入れることでした。浪人中は小説を読まないと決めてましたが、頭の中は勝手にプロットを追いかけている状態です。それだけのことで、文章を書いていたわけではありません。本が読めないから夢想に耽っていただけの事です。それでも、何とかぎりぎり滑り込みの状態でしたが、三流大学に入学することができました。今から思えば実に甘い考えで生きていたと思います。よく、人生はプラスマイナスゼロだと言われます。その後の私の人生を見てみると、その通りだな、と納得してしまいます。
多分、大学の二回生だった頃だと思います。単位をとるために「表現法」という授業をとりました。夏休みの宿題で短文を出せば単位をくれる先生だと聞いていたからです。私は子供と犬の昼下がりという短文を提出しました。犬は「カール」という名前のシェパードで、私の実家で飼っていた頭のいい犬です。書いたのは私の実体験でしたが、先生の評価はAの上に、はてなマークがついていました。「どこかで見たような文章で気になります。これがオリジナルであれば、才能を感じさせます」というコメントです。どうやら、先生は盗作と判断したようです。盗作は学生の常套手段ですから、先生も抜かりなく読んでいたのでしょう。オリジナルかどうかが判定基準だったらしく、単位は貰えませんでした。ただ、私は初めて自分の文章を他人に読んでもらったことで、満足感がありました。でも、それだけの事で、文章を書いてみようと思うまでには至りませんでした。大学の四年間はほとんど遊ぶことばかりで、実にいい加減な学生でした。今が、いい加減ではないという意味ではありません。10年後には、今の私がいい加減な生き方をしていることにきっと気付くのでしょうが、まだ気付けていません。自分で納得のいくものが書けていないということが証明なのでしょう。自分で書きたい物語のおぼろげな輪郭は見えているように感じているのですが、そこに辿りつけるのかどうか、わかりません。
真面目に創作活動をせずに生きてきましたが、過去に一度、文学だけに生きてみようとしたことがありました。会社を辞め、失業保険を貰いながら小説を書こうとしたのです。誰からも無謀だと言われました。
あの時は一行の文章も書けませんでした。ただただ、息苦しくて、逃れたくて、言い訳ばかりして、無残な結果になりました。私の転落人生の始まりです。学生の頃は「いい子」だったと思いますが、それ以降は無謀の連続です。墓場まで持っていきたい過去が色々とあります。自伝小説のようなものは書きたくありません。
今の境遇は私に合っているのかもしれません。きっと強靭な精神を持ち合わせていないのでしょう。逃げ腰で書き飛ばしていると言われても反論はできません。
泣き言ばかり言ってるのなら、やめてしまえば。そう思う事もあります。
政治家や官僚を罵倒している時は強気な人間に見えるかもしれませんが、実際は気弱で根性無しが私の本質なのだと思います。
それでも、書きたい物語が書けるように、原稿用紙とは向き合います。シーシフォスの神話を地で行く事になるのかもしれませんが、行ける所まで行ってみようと。
二足の草鞋を履いている私が言うのも変ですが、小説なのに文章にはあまり拘っていません。読み易ければそれでいいと思っています。「そこがいけない」と言われてしまいそうですが、全体から人の生き様が感じられるものになれば成功だと思っています。ところが、そこが一番の難題でもあるのです。
私は人間の生き様を書きたい。純粋培養された善人や悪人ではなく、善人にも悪人にもなれる人間を書きたい。あなたも、あなたも、そして私も、自分の胸に手を当てれば、人間としてやってはいけないことをやった経験があると思います。それが生身の人間だと思うのです。そうでなければ人間の辞書に葛藤や後悔や懺悔という単語は必要ではありません。悪も善も、そんなあらゆるものを併せ持っているのが人間であり、そのことに苦しむのが人間のありのままの姿だと思うのです。もしも、文章に3D表現が可能であれば、立体映像の主人公を殴り殺したい思い、ある時は抱きしめて一緒に涙を流したいと思う、そんな主人公を書きたい。読んでくれる人の中に、一人でも二人でも、そんな主人公を身近に感じてくれるような、そんな人間の生き様を書きたい。格好いい主人公ではなく、実に格好悪い主人公が理想なのに、どこかで格好良く仕上げてしまう。これは弱さだと思います。
そういう観点からは、過去の作品は全て不合格です。だから、書き続けるのでしょう。いつか、納得のいく物語ができるまで。
他人の小説は、いいところも悪いところもわかるのですが、自分が書いたものはよくわかりません。何がいけないのか、どこに欠陥があるのかがわかれば、少しは向上出来るのでしょうが、どうも客観的に自分の作品を読めない。自分の作品を読み返していると、いつのまにか書き手になっているのです。困った事です。作り手ですから褒められれば嬉しいのですが、自分のためには辛口の批評が必要なのだと思うのです。
趣味とはいえ、書くことにかなりの時間を使っています。株で勝つ方法を研究する方が理に適っていると思うのに、プロットや展開で悩んでいる自分は何なのだろう。まして、日本崩壊などと訳のわからないことを言うのは何故。私が心配することではない、ですよね。それでも、訳のわからない事をやってしまうのが人間なのだと、どこかで自分を正当化する事だけは抜け目なくやっている。どうしようもない、弱虫です。
何を書いても「ボヤキ」になってしまう。ごめんなさい。
以前の日記で、私は読書に関しては雑食家だと言いました。極端な言い方かもしれませんが活字が好きなんだと思います。小説、ノンフィクション、哲学、詩、何でも手当たり次第ですのでポリシーがないと言えば確かにそうなのでしょう。苦手な分野は古文と俳句や短歌、そして女流作家です。読んだ事がないという意味ではありません。途中で挫折してしまうのです。女流作家でも、すごいなこの作者と思う人は何人もいますが、例えば宮部みゆき等は読めません。勿論、男性作家でも同じことなのだと思いますが、途中でギブアップしてしまう作品に女流作家が多いということも確かです。饒舌な作者が女流作家に多いのかもしれません。これは作者の責任ではなく、私の趣味の問題ですから、勝手にすればという範疇に入ります。
小説を書いているのに、私の日記は突然として話題が飛ぶ事があります。日記ですから、どうか大目に見てやってください。
中学や高校の授業に「哲学」という科目はできないのでしょうか。学校の授業になると、文科省は歴史を教えたがるのですが、哲学史ではなく哲学そのものに取り組む授業があればいいのに、と思います。哲学科在籍の大学生以外に哲学書を購入する若者はいるのでしょうか。哲学書との出会いは、人によっては衝撃的なものがあります。そのために人生が微妙に方向を変えてしまうことにもなりますが、「いい子」ばかりの社会がベストだとは思えないのです。
人は結論を欲しがる生き物ですが、そんなもの、どこにも無いのではないかと思っています。お笑い草なのかもしれませんが、いつまでも悩みを持っていたいし、そんな当たり前の人生を歩む主人公を書きたいと思います。前途多難。

最後に、文学に関する日記は、何故か重いと感じました。あれもこれも、書きたいことはいくらでもあると思っていましたが、書けません。ヨタ話の方が楽だと再認識させられたことを白状せざるをえません。ただし、ヨタ話を書くためにこのブログを作った訳ではありませんので、整合性を欠くブログになっていることを認めます。たかがブログ、されどブログ。難しい、です。


2010-9-18




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読書について [文学系]

読書という領域では雑食で、文学は「何でもあり」というのが持論です。
言いかえれば究極の文学は存在しないと思っています。
文体であれ思想であれ、何か光るものがあれば、読者に何かを与えてくれたなら、それで成功だと思っているのです。
なぜ、こんなことを書くことになったのか。
灰谷健次郎さんの「天の瞳」を読んだからだと思います。
灰谷さんの足元にも及ばないのに失礼ですが、物語は成功、思想は「一寸、ご勘弁を」という感想です。
灰谷さんの伝えたいことは、その物語ではなく思想だと思うので、作者にとっての「いい読者」にはなれませんでした。
でも、物語が成功なら、それでいいのでは、と思ってしまいます。
私には、教科書に載るような物語は書けません。
でも、私でも心の故郷になるような物語を書いてみたいという願望はあるのです。
いつか、そんな日が来ることを夢見ていますが、多分、永遠に来ないとも思っています。

本も残っていないし、題名も忘れてしまいましたが、以前に灰谷さんの作品を一冊だけ読んだことがあります。母が「これ面白い」と言って、くれた本です。母はクリスチャンでボランティア(目立ちたがりの偽物ではありません)で、灰谷さんの思想を丸ごと受け入れてしまうような善人です。ですが、いつか読むべき本という私のデータベースに灰谷さんの名前は残りませんでした。
ならば、なぜ、「天の瞳」を読んだのか。
冒頭に書きましたが、私は雑食ですので、どんな作家の本でも読みます。
ひょっとすると、活字中毒という病気かもしれません。
本を読まないと、薬が切れた時の中毒患者のように禁断症状が起きるのです。
でも、これって、結構、金食い虫なんですよね。安い文庫本しか読みませんが、大変なんです。
自分で物語を書くようになった理由の一つに、読むより書く方が安上がりだろうという不遜な動機も隠れているのです。
多分、読書量はかなり多いと思います。ところが、それなりに評価してしまうので選択の範囲は狭くなってしまいます。それが悩みです。結果、書店に行っても買う本がないということになるのです。書店での本選びは、それなりに苦行になります。誰にでも経験のあることですが、文庫の棚の前をウロウロ。そんな時、平積みでシリーズ八冊もある本は、私にとっては大きな魅力になります。そして、書店の営業方針に負けてしまうのです。
つまり、私の読書は常に不純な動機から出ているらしいのです。
「天の瞳」を読んでみて、損をしたとは思っていません。
でも、私はアウトローの物語を書きたいという願望をさらに強くしてしまいました。灰谷さん、ごめんなさい。
太古の昔からある永遠のテーマ「理不尽」にこそ、人間を感じるのです。
私にとって、読書とは、自分を奮い立たせる材料なのかもしれません。でも、金がかかるんです。助けてくれ。これって、もっともっと、書け、ということなのかも。

先ほど、クリスチャンという言葉が出てきました。余談を一つ。
ある日、私は無銭旅行に出ました。旅行で金がかかるのは、交通費と宿代です。だから、交通費と宿代を遣わない旅行という意味です。冬でした。無人のお堂で寝たこともありますが、寒いので一夜の宿を探しました。教会を見つけて、礼拝堂で寝る許可を求めたところ、「うさんくさい」という目つきで断られました。無銭旅行なので、私の身なりは立派なものではありませんでした。次にお寺に行きました。本堂で寝る許可をもらいました。朝、境内の掃除をすることが条件でしたが、屋根の下は暖かいと思いました。翌朝、和尚と一緒に境内を掃きました。「朝飯を食って行け」と言われて、その暖かいお味噌汁に、思わず涙するところでした。その時から、クリスチャンは偽善者だと決めつけることにしたのですが、身内にもクリスチャンがいたことを忘れていました。つまらん話ですが、これが現実です。世の中、いい人や、いい子ばかりではなく、と言うか、いい人やいい子は少なく、そうでない人の方がはるかに多い訳でして、理不尽なことの方が多いと相場は決まっているようです。いい人やいい子の話を書く人も、希少価値だと思って書いていると思えば納得です。

人間は悪行を行う生き物です。今の時代、その標本に苦労することはありません。悪行をなす人間を、まるで存在しないかのごとき扱いにしていたのでは、片手落ちというものだと思います。
私は、人間の悪行を書きたい。
「私は悪行などいたしません」と言っている奴等に悪人が多いのも、定番なんですね。
一人一人が人類滅亡に、少しづつ手を貸しているのです。
人類滅亡の日に、世界中の人間は「俺のせいではない」と全員で言って、死に絶えていくのでしょう。
人間なんですから、仕方ないのですが、少しだけ寂しいと思いませんか。

私の書く物語の行きつく先。それは「暴動のすすめ」という物語かもしれません。
「次なる悪行をなそうと思うなら、先ず、悔い改めよ、さすれば、汝の魂は救われる」

2009-08-22



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