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老害を何とかしろ [評論]



今日は、国会議員定年制を提案したいと思います。
これまで、多くの方が出した提案ですが、実現していませんので、あらためて、提案したいと思います。
一般企業の社内規定と同様に、国会内規定として、60歳を定年と定め、努力義務として65歳まで延長するという案はいかがでしょうか。
これだけでも、政治は、ほんの少し変わると思います。
じやあ、誰が、その規定を作るのか。
政治家に、好きにやらせておいて出来るとは思えません。
やはり、国民にしか出来ないことだと思います。
でも、「国民が」って、そんな仕組み、どこにもありません。
そりゃあ、そうです。仕組みを作る政治家が、自分達の自由度を危険に晒すような仕組みを作るはずがありません。もちろん、国民も、自分達が仕組みを作る仕事をする立場にあるとは思っていません。ですから、そんな仕組みは存在しません。
しかし、選挙制度に問題があることは、ここでは棚上げにしておいたとしても、国が国民生活を守る仕事を疎かにしているのであれば、それを糺す責務は国民にあります。誰かが、善意で、あなたを守ってくれるわけではありません。自分の身は自分で守るのです。そのためには、面倒でも、責務を果たすしかないのです。
先ずは、国民の皆さんに、国民には、国政を糺す責務があることを知ってもらわねばなりません。国民の「責務」が曖昧だと、スタート地点にさえ立てないからです。
国民には、現在、選挙以外に国政参画の仕組みがありません。その選挙が組織票に支配され、低投票率が当たり前であれば、政治家は、何でもできるのです。自分に投票してくれる人に利益分配をしていれば、自分の身は安全なのです。国民生活なんて、どうでもいい。
でも、現に、国会議員定年制は実現していません。
では、政治家の老害は、どうするのですか。
政治家の老害は、国民生活に大きな影響を与えます。いや、現に、与えています。
そんなこと、誰もが知っています。
それなのに。
「そんなの、無理だろ」でいいのでしょうか。
皆さんには、それほど余裕があるのですか。政治家の老害くらいでは、生活に影響はないと思っているのですか。この先、増税の嵐がやって来ますが、大丈夫ですか。後の祭りになることはないのですか。

ここで、老害政治家の代表として、問題発言の多い政治家の発言を見てみましょう。
そうです、問題発言の正横綱に君臨している、自民党の麻生さんです。
麻生さんは、1940年生まれだそうですから、今年で83歳になります。
私には、麻生さんの思考は昭和で止まっているように見えるのですが、そんな人物が、政権与党の副総裁を務めているのです。
麻生さん以外にも、昭和思考で止まっている人は多くいます。
そんな人達が、この国の舵取りをしているのです。
そんな国が、前を向いて進んでいけるのでしょうか。
いいえ、昭和から抜け出せていません。
だから、この国の国力は衰退し続けているのです。
では、老害を排除すれば、この国が再生するのか、と言うと、そんな簡単なことではありません。でも、老害の排除は、必要十分条件ではありませんが、数多くある必要条件の1つではあると思います。
ほんとに、麻生さんは、トンチンカンな発言を多くしてくれます。
「ああ、又か」と思うだけで、世間は大目に見てくれます。
これも、人徳と言うのでしょうか。
違うと思います。
馬鹿もここまで極めると、許してもらえるということなのだと思います。
麻生さんは、ただ、お頭が弱いだけなのです。
思考能力に欠ける部分を逆手に取っているところは、政治家らしいと思いますが、それは、傍迷惑でしかないと思います。
そんな麻生さんの最近の発言を見てみましょう。
少子化に関する講演での発言です。
「(少子化の)一番大きな理由は出産するときの女性の年齢が高齢化しているからです」
「中長期的には日本の最大の問題だ」
これが、政権与党の副総裁の発言です。
どうやら、「女が悪い」ということのようです。
「今は、昭和か」と突っ込みを入れたくなります。
逆に言えば「俺達は、悪くない」ということなのでしょう。
こんな人が、こんな老害政治家が、この国の国家運営をしているのです。
女性の皆さんは、反乱を起こすべきだと思います。
反乱なんて起こせないと思っているかもしれません。
いいえ、民主国家では、女性でも反乱を起こせるのです。
民主国家では、銃ではなく、投票という武器があるのです。
「俺様は、お偉い政治家様だぞ」と言っても、国民の票がなければ、ただの人です。
だとすると、麻生さんに一票を投じている地元の皆さんは、この国の衰退に力を貸しているということになります。そんな場所が、日本には数多くあります。多くの国民が、老害政治家に力を与えているのです。つまり、国力衰退は、国民が作っているのです。
ただ、野党に票を入れようにも、投票するに値する政治家がいません。
この国には、国民生活を守ってくれる、女性を守ってくれる政党は1つもないのです。
これ、誰の責任なのでしょう。
馬鹿な政治家のやりたい放題を許しているのは、麻生さんにトンチンカン発言をさせているのは、老害政治家に票を入れている国民の皆さんです。
この事実は、否定しようがありません。
国民の皆さんが、自分の生活を守りたいのであれば、相応の汗をかかねば手に入りません。もう、「なあ、なあ」「まあ、まあ」では、自分の身を守れない時代になっているのです。棚から牡丹餅が落ちてくるのを待っていても、そんな奇跡は起きません。皆さん自身が自分の生活を守るしかないのです。
そのためには、既存の政党ではなく、新しい政治集団を生み出す必要があります。私達には、国民生活を守ることを目的とした政治集団が必要なのです。
どうすれば、そんな政治集団が生まれるのでしょう。
国民の皆さんが、言葉の定義をし、目的と責務を明確にすれば、自然に生まれます。
なぜなら、国の責務は国民生活を守ることだからです。
そして、何よりも重要なことは、皆さんが投票権を持っているということです。
国民生活を守る政党を生み出し、そこへ投票すればいいのです。
こんなに簡単な理屈に、なぜ、気付かないのでしょう。
「俺は何もしないけど、誰かが、何とかしてくれ」なんて都合のいい話が通用する時代ではありません。確かに、言葉の定義をするのは面倒です。目的と責務を明確にすれば、国民の皆さんにも、相応の痛みは出ます。でも、このまま、ドツボに突っ込んで行くよりはいいと思います。
この国を再生するのは、国民の皆さんです。麻生さんではありません。

麻生さんは、少子化の最大の原因は晩婚化にあると言っています。
「勝手なことを言う女が悪い」と言っています。
そうなんでしょうか。
晩婚化も、少子化の1つの要因ではありますが、最大の原因ではありません。
女性が、我儘を言っているわけでもありません。
麻生さんには、現実が見えていない。いや、見ようとしていない。いやいや、見えないふりをしている。
国力衰退という現実が、それを放置した結果が、何ら手を打たなかった国が、少子化を招いたのです。庶民の声を聞くと、「責任転嫁をするな」という意見が多いように思います。私だけが馬鹿なことを言っているわけではないようです。
ただ、原因究明も対策もなく、庶民は、文句を並べるだけです。これでは、お先真っ暗ですし、麻生さんも、言いたい放題です。これは、国の、国家運営者の、国民の、「責務」が明確になっていないことが原因です。政治家に「やりたい放題、言いたい放題」をさせているのは、国民の皆さんです。どうして、そのことに気付かないのか、ほんとに、不思議でなりません。解決方法はあるのです。言葉の定義をすればいいだけです。

晩婚化だけではなく、お一人様世帯が増え続けています。
残念ながら、お一人様では、子は生まれません。いや、物理的には生まれますが、ほとんどの方が経済的な困難に直面しますので、生みません。
晩婚化も、未婚者の増大も、みんな、庶民の自己防衛のためです。
国力衰退に押し流されまいとする庶民の抵抗です。
そんなことも理解できない国家運営者に、この国を任せておいてはいけません。
これは、国民の皆さんの問題なのです。
少子化が、晩婚化が、麻生さんの言う「中長期的には日本の最大の問題」なのではありません。麻生さんのような人が国家運営をしていることが、「俺には関係ねぇ」と言っている国民の皆さんが、日本の最大の問題なのです。
少子化の原因は、国力衰退です。
若者は、男も女も、「生活が楽ではない、余裕もない、結婚なんてして、地獄を見るのは勘弁してもらいたい」と思っています。たとえ晩婚であっても、結婚して、子供を産んでくれる若者は、神様のような存在なのです。それを、麻生さんは批判しているのです。これ、老害以外の何ものでもないと思います。
馬鹿げた提案ですが、少子化対策の第一歩として、議員定年制を提案します。
ただ、これで、現状が劇的に変化するわけではありません。気休め程度の効果しかありません。もしも、何かを変えたいのであれば、国民の皆さんが言葉の定義をして、「目的」と「責務」を見つけてください。生産性向上を唱えても、DXを唱えても、この国は再生しません。ましてや、「新しい資本主義」などと寝言を言っていたのでは、救われません。国民の皆さんの意識を変えるしか方法はないと思います。このままだと、ズブズブと沈んでいくだけです。
ここは、皆さんの国です。老害政治家の国ではありません。


2023-02-05



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少子化対策という旗印 [評論]



今日はフィクションを書こうと思います。
もっとも、私が書いているのは、いつも、将来予測ばかりですから、全てがフィクションなのかもしれません。ただ、今回のフィクションは、いかにもフィクションです。笑っていただければ嬉しいです。

某年某月某日、某所で、某会議がありました。
極秘会議であり、その事を知っている人間は限られています。総理大臣も、公邸にいることになっており、総理秘書の一人が総理役を演じるという念の入れようです。
会議の部屋は、窓もなく、何の飾りもない小会議室。テーブルの真ん中にペットボトルが置かれているだけです。携帯電話の電源も切られ、メモを取ことも禁止です。
出席者は、総理大臣と3人の閣僚、自民党議員3人、財務省幹部3人の10名です。
参加者は、挨拶することもなく席に着き、置かれていた資料に目を通し始めた。
最初に口を開いたのは、議事進行をする財務省のA氏です。
「資料は回収しますので、よろしくお願いいたします」
部屋は、ページをめくる音だけしかしない。
「ふう」
最初に資料を読み終えた議員が、大きな息を吐いた。
魑魅魍魎を代表するような政治家と官僚が、小さな部屋で、集中しているせいか、部屋には「泥沼」のような臭気が満ちていた。
全員が資料を読み終えた後に、A氏が発言した。
「忌憚のないご意見を、お願いいたします」
年長の議員が口を開いた。
「これで、うまく、行くのかね」
「いいえ、先生が、上手くいくようにご尽力頂くのです」
別の議員が発言する。
「時期が悪い」
「では、いつなら、よろしいのですか」
「・・・・」
若手の議員、若手と言っても65歳だが、硬い表情で言った。
「少子化対策という手は、いい手だとは思うが、私も、時期が悪いと思う」
「皆さん、同じ意見だと思って、いいですか。この案で押し切ろうという方は、おられませんか」
「・・・・・」
しばらく、沈黙が続いた。
「総理、いかがいたしましょう」
「確かに、時期は悪い。私も、そう思う。しかし、放置するわけにもいかない」
「でも、皆さんは、先延ばしにしろ、と言っておられます」
「弱ったな」
この秘密会議は5回目になる。A氏は、これまで、秘密が守られたことが奇跡のように思えた。もう、限界だと感じている。今日、結論が得られなければ、仕切り直しをしなくてはならない。会議のメンバーには、徹底的にレクチャーした。総理大臣には、個別に、何度も、レクチャーした。金融と財政が危機的状況であることは、政治家も理解しているはずだ。しかし、政治家は動かない。政治家は、国家的危機に対応することよりも、選挙のほうを優先する。
「財務省主導」とか「財務省の陰謀」と騒ぐのはマスコミだけではない。いや、マスコミにリークしているのは政治家なのだ。官僚主導への抵抗感は強い。特に、財務省に牛耳られていると思い込むと、政治家はムキになる。予算が彼等の利権の源泉なのだから、仕方ないと言えば仕方ない。
「どうだろう」
総理が重い口を開いた。
「私に、一任して、もらえないだろうか」
「それは、構わないが、私は協力できない。いや、大きな声で反対することになる。総理の手勢でやるのは、総理の自由です。もちろん、この会議もなかったことにしてもらいます」
「私も、それでいい」
別の議員も、「勝手にしろ」とばかりに、総理の顔を見た。
公式の場では、総理の要望は優先されるように思われているが、それは、あくまでも、根回しが済んでいることが条件になる。この会議も根回しなのだが、失敗に終わりそうだとA氏は、小さくため息をついた。後は、総理大臣の手腕にかかっている。自民党の反対派と野党の反対を抑えての増税は、ハードルが高い。この総理に、それが可能なのか、A氏は、総理大臣の横顔を見た。たたでさえ、党内基盤の弱い人だ。押し切るのは無理だろう。
「わかりました。この会議は、無かったことにしましょう」
皆が、総理の顔を見た。
総理は、腕を組み、目を閉じた。
諦めるのか、強行するのか、A氏にも判断できなかった。
「では、そういうことで」
反対派の筆頭株の老人が立ち上がった。
総理に賛成してくれるのは、一人か二人。
決を取れば、増税案は否決される。
A氏は、総理が、明確に否決されるのを防いだのだと思いたかった。
部屋には、総理とA氏だけが残った。
「済まなかったね、A君」
「いえ、力足らずで申し訳ありません」
「いや、まだまだ、力は貸してもらいますよ」
「勿論です」
実現するかどうかはわからないが、総理は、やる気らしい。
評判の良くない総理だが、この人が、この国を救うことになるのかもしれない。いや、救うことはできないだろう。増税は、ただの先延ばしに過ぎないが、財務省は、何もやらないよりはいいと思っている。
少子化対策を旗印にして増税をするように提案してきたのは総理だった。少子化対策を自分の成果にしたいという願いが、総理を動かしたのだろう。
前回、社会保障費で増税に成功したからと言って、少子化対策で増税に成功するかどうかは未知数だった。でも、他に、旗印がない事も確かなのだから、総理の提案は正しい提案なのだと思い、財務省はその提案に乗った。自分の提案でなければ、総理は諦めていただろう。
日本円が暴落していないのも、日本の国債がジャンク級になっていないのも、日本には徴税余力があると思われていることによる。国民負担率から見ても、日本の徴税余力は限界に来ているのだが、いつまでも増税しなければ、日本には徴税余力がない事を世界に知らせることになる。日本は、見栄を張り続けなければならない。政権が変わっても、この現実は何も変わらない。自民党以外の政党が政権を取っても、増税からは逃れられない。
歪な形ではあったが、これで、消費税増税の方針は決まった。

ここまでが、フル・フィクションです。
何となく決まっていく様子を書きたかったのですが、うまく書けたかどうか。
少子化対策という旗印の増税が終われば、次は、脱炭素税の増税だと言われています。防衛力強化の本格的な増税も待っています。増税は、終わることはありません。なぜなら、国力が成長していないから、税収が増えることはないからです。ここ数年、税収が増えたという宣伝がされていますが、少し長い目で見れば、税収減は明らかになると思います。
国が困れば、国民から搾り取るという構図は、この2000年間、何も変わっていません。国民の皆さんの負担は、今後、ますます厳しいことになります。苛政と言われる「6公4民」の日も、それほど遠い未来の話ではないかもしれません。
ここからは、少し、現実が入ります。
東京都の小池知事が、「全ての、0歳から18歳の子供を対象に、月額5000円の給付金を支給する」と言いました。小池知事は「異次元の・・・」とは言っていません。
その理由は。
今の少子化を看過できない。東京は、いろいろなものが高いから、それを是正したい。給付金は、毎月、給付して、初めて意味を持つ。子育てに所得制限を設けるのは間違っている。ということのようです。
それに対する街の声。
「ありがたい」「5000円じゃなー」「英断だと思う」というものでしたが、総じて肯定的な意見が多かったように思います。ただ、これが少子化対策になるとは思えません。
子育て政策で一歩先を行く明石市の市長も肯定しています。
小池都知事は、「明石市に触発されて」とは言っていませんが、影響はあったと思います。
それよりも、小池知事は、「さあ、岸田さん、どうしますか」と言いたいのではないかと思います。岸田さんは、「異次元の少子化対策をする」と言っていました。「東京が、5000円出したのに、国が・・・・」というものではないかと思います。

少子化対策が風潮になってくれるのはいいことだと思います。
政府が、どんな「異次元対策」を打ち出してくるのかは、今の時点ではわかりませんが、多分、いや、間違いなく、弥縫策しか出てこないと思います。
そもそも、国が子供のために支出する予算は、OECD諸国の中で、下から2番目です。現状が、逆の意味で、異次元の子供対策なのです。もしも、岸田さんが「異次元の対策」を出すのであれば、北欧の国々を追い抜くくらいの勢いが必要になります。そんなこと、不可能です。ですから、最初から、岸田式「異次元対策」は「口先対策」でしかないのです。
国力が衰退する国では、国民の貧困化が進む国では、少子化は避けられません。
国が豊かになれば、国民が豊かになれば、勝手に人口は増えるのです。たとえ、先進国であっても、劇的な人口増加が望めないとしても、微増、或いは、微減であれば可能だと思います。
フランスは、少子化対策に成功した国だと言われていますが、それでも、合計特殊出生率は1.9です。フランスは、まさに、異次元の少子化対策をしました。1993年に、1.6まで低下した出生率を1.9まで回復したのです。しかし、それは、30年前です。日本では、フランスのような異次元対策は出来ないと思いますが、たとえ、同じことをしたとしても、30年前と今では、時代が違いますし、環境も違います。同じ成果が得られるとは思えません。
それと、少子化対策にはカネがかかります。
そんなカネ、この国には、もう、ありません。
もっとも、少子化対策は、増税の旗印に過ぎませんので、少子化対策が功を奏することはないものと思います。
いつも、スローガンばかりで、成果が実ったことはありません。
特に、この30年間では、成果はゼロです。
しかし、国民の皆さんは、「それで、良し」としています。
責任者である国民が「良し」と言っているのですから、それでいいのでしょう。
この国の国力衰退は、誰が見ても、どう贔屓目に見ても、明らかです。
しかし、国民は、自分がドツボにはまるのに、「俺には関係ねぇ」と言っています。
日本国民の皆さんは、ほんとに、救いようがありません。
国力衰退は、もう、原因ではなく、既に、結果になっています。
誰も、その原因を見つけようとしません。
原因には、その原因があるのですが、そんなこと、無関心です。
原因の原因の原因となると、別の惑星の話になります。
国力衰退が結果ではなく、まだ、原因だと思っている一部の人は、構造改革とか生産性向上を提案します。確かに、原因が真の原因なら、その原因を取り除けば、現実は変わります。でも、結果になってしまうと、どう足掻いても、変わりません。新しいものを創造することでしか、埋め合わせはできません。
実務的な、表層的な対応策では、この国の衰退は止まらないのです。
もっとも、私も、昔は、同じようなことを提案していましたから、大口は叩けません。
日本は、崩壊への階段を、また一段、登ることになりそうです。
こんな国で、子供を産み、育てようと思わなくても不思議ではありません。
先進国なのに、その日の食事に困る子供達が大勢います。
しかし、皆さんは、「俺には関係ねぇ」と思っています。
これは、間違っていると思います。
国民の皆さん。
皆さんは、追い詰められているのです。
確かに、じわじわと、ずるずると、何となく、ではありますが、追い詰められています。
この先に、皆さんの未来はあるのですか。
いいえ、ありません。このまま、ずるずると、破滅へと向かうのです。皆さんは、今、破滅への道を歩いているのです。
もちろん、これは、皆さん自身のせいなのですから、文句は言えません。
でも、子供達を巻き添えにするのは間違っていると思います。
もしも、皆さんの目的が、生きる意味が、「子供達の未来を守る」ことであったなら、こんなことにはなっていなかったと思います。
どうか、気付いてください。言葉の定義をして、目的と責務を見つけてください。
これ以外に、「異次元の少子化対策」はないように思えます。


2023-02-04



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風雲急を告げる [評論]



昨年、北朝鮮は大量のミサイル発射実験を行いました。
年末には、新しいロケット砲の実験も行いました。
口径600ミリの大型多連装ロケットだそうです。
これまで、北朝鮮が保有していた多連装ロケットは、口径300ミリですから、大きさが倍になっています。それは、爆薬の量も倍になるということです。北朝鮮の発表によれば、韓国全域を射程圏に収め、戦術核の搭載も可能だということです。つまり、核弾頭を搭載するために、口径を倍にしたのです。
一連の北朝鮮の軍事力強化には、これまでにない、本気度が窺えます。
ウクライナ戦争や台湾有事に注目が集まっていますが、朝鮮半島有事は大丈夫なのでしょうか。

韓国は、北朝鮮融和政策の極左政権から、アメリカとの同盟重視の保守政権に変わりました。韓国のブレは、いつも、困ったものです。
いつまで保守政権が続くのかわかりませんが、とりあえず、今のところは、大規模な米韓合同軍事演習も行われています。どのような演習が行われているのか知りませんが、朝鮮半島でも、ウクライナ戦争と同じような戦争が起きるとは限りません。もし、戦争が始まるとしたら、北朝鮮軍は、ミサイルと核で戦うと思います。それも、短期決戦です。1週間で、韓国を焦土にしなければなりません。北朝鮮軍に勝機があるとすれば、そこにしかないと思うからです。

アメリカが日本を核攻撃して以来、核兵器は一度も使われていません。
ですから、アメリカの核の傘が、実際に使用されたことはありません。
傘が役に立つかどうかは、誰も知らないのです。
アメリカは、ほんとに、核兵器を使うのでしょうか。
自国領に核爆弾が着弾すれば、躊躇なく、使うと思いますが、他国の領土に着弾した核爆弾に対して、アメリカが核兵器を使うかどうかは、誰にもわかりません。そのことは、韓国も心配しています。アメリカの許可は出ていませんが、韓国世論は、自国の核武装に賛成しています。アメリカの許可が必要だというのも、変な話ですが。

双方の宣伝戦が熱を帯びてきているように思います。
とても、危険だと思います。
そんな中で、12月に、「韓国軍、大丈夫なのか」という事件が起きました。
北朝鮮の5機の無人機が韓国領に侵入し、大統領執務室の近くまで飛来しました。
迎撃すべく韓国空軍が対応しましたが、無人機を撃墜することはできませんでした。
それだけではなく、迎撃に飛び立った戦闘機が一機、離陸に失敗して墜落しました。
しかも、無人機に生物化学兵器が搭載されていたら、ソウルの半数が死傷することになっていたという試算も出ています。まだ、北朝鮮が保有する無人機は1000機程度だそうですが、韓国の対応を見た北朝鮮は、無人機の増産に励むことになります。
大統領は激怒し、国民は呆れてます。

朝鮮戦争が停戦になってから、約70年が経過します。
この70年間の韓国と北朝鮮の経済発展の差は、北朝鮮に軍事的劣勢を強いてきました。
ただ、70年という時間は、双方に慣れを生んでいるのかもしれません。
一人だけ、新鮮な感覚で、必死になっている人物がいます。金正恩です。
スイスに留学していた金正恩は、2011年に北朝鮮のリーダーになった時、その客観的な軍事情勢を知っていたと思います。金正恩は、その劣勢を、均衡に引き上げ、優位を獲得することが使命だと考えたのかもしれません。考えに考えた末に得た結論が、ミサイルと核だったのだと思います。この10年間、金正恩は、その目標に挑戦し続け、成果を挙げています。まだ、米韓合同軍の軍事力には敵いませんが、短期的、限定的な軍事力では、互角の戦いができるところまで来たと思います。それは、核開発があってのことだとすると、金正恩は、自分の考えに自信を持ったと思います。
金正恩は、核弾頭の増産と更なるミサイル開発と量産を指示したと伝えられています。
アメリカ軍を考慮に入れなければ、両国の軍事力は、歪な形ではありますが、対等になったのかもしれません。

韓国大統領は、軍に対して、「一戦を辞さない構えで、敵のあらゆる挑発に対し確実に報復しなければならない」「1000倍にして返せ」と言っています。
軍の無最高司令官の、この発言は、気概を示すという意味ではいいのでしょうが、軍がその気になったら、「ヤバイ」と思います。
宣伝戦ですから、過激な言葉が出てきます。
韓国側の発言が過激になったために、そう感じるのかもしれません。
一方、北朝鮮は、尻尾を振ってくれていた前政権に対しても、容赦のない罵詈雑言を浴びせていたために、北朝鮮の態度に変化はないように見えますが、どこか切羽詰まった雰囲気を感じます。
それは、両国共、経済の不安を抱えているからなのではないかと思います。
韓国は、生産人口の減少、歪な経済構造、硬直した労使関係、中国の圧力、どれをとっても負の臭いがします。韓国社会に閉塞感が出ていても不思議ではありません。韓国経済の絶頂期は終わっているのかもしれません。
北朝鮮は、一国の命運をかける覚悟で戦争に臨まなければなりませんので、米韓合同軍が軍事的優位を保っていれば、戦争にはなりません。ただ、韓国軍が北朝鮮領に侵攻することはできません。それは、核報復があるからです。一方、北朝鮮軍は、勝利の可能性が高ければ、韓国領に侵攻が可能です。以前より、在韓米軍の存在意義は、高くなっています。
そんな複雑な環境の中で、挑発と報復を繰り返していたら、不測の事態が起きる可能性があります。
その時に、金正恩がどんな行動に出るのか。その事を理解している人はいないと思います。あらゆるシナリオを想定しておかねばなりません。
金正恩は「核兵器は、戦争抑制が第1の任務だが、抑制に失敗した場合、第2の使命も決行する。第2の使命は防衛でない別のものだ」と言っています。
確率は低いシナリオかもしれませんが、核の先制使用もあり得るということです。
北朝鮮が、ミサイルとロケット砲で、韓国全土に飽和攻撃を仕掛け、その中に20発の核弾頭を入れておいたとすると、一定数の核爆弾は韓国国内で爆発することになります。ミサイル防衛システムは、全てのミサイルを撃墜できるものではありません。特に、飽和攻撃には対処できません。仮に、7割のミサイルを撃墜したとしても、残りの3割は着弾します。それは、ウクライナ戦争でも証明されています。20発の核弾頭の内、6発の核弾頭は核爆発を起こすことになるのです。
当然、韓国に駐留している米軍にも被害が出ます。
もしも、アメリカ軍が、核に対して核で報復するのであれば、核弾頭が北朝鮮に向かいます。それを防ぐ手段は北朝鮮にありません。
北朝鮮は、そのことは承知していますから、連続して第2波の攻撃を行うかもしれません。
韓国軍は、第1波の攻撃で損傷を出していますので、5割しか撃墜できなかったとすると、10発の核弾頭が着弾することになります。
もしも、アメリカ軍が、核兵器で相応の報復をしたとすると、朝鮮半島で、合わせて32発の核爆弾が爆発することになります。
戦術核の爆発は小さいと言われますが、それは、巨大な核兵器に比べて小さいだけであり、通常兵器とは意味が違います。
朝鮮半島は、北も南も、ズタズタ、ボロボロ、になります。

日本には、影響がないのでしょうか。
そうはならないと思います。
朝鮮半島の上空は放射性物質の宝庫となり、季節風が、その放射性物質を運んできます。
日本でも、広い範囲で、放射性物質による被害が発生します。特に、農作物と水源の汚染が国民生活を苦しいものに変えます。
もしも、このようなシナリオがあり得るとすると、不思議なことが1つあります。
アメリカ軍の韓国駐留は継続されるのか、という疑問です。
北朝鮮の核開発が成功したことで、朝鮮半島はとても危険な地域になりました。
数万人のアメリカ兵と数万人のアメリカ兵の家族が犠牲になる可能性があるのです。アメリカが、世界の警察官役を辞めると言い始めたのはオバマ大統領の時代です。あの時点で、海外派兵の大義は失われています。そんな時代に、大量のアメリカ軍兵士の死は、アメリカ国内で受け入れられるのでしょうか。
そう考えると、アメリカ軍の韓国撤退もあり得るのではないかと思います。
もしかすると。
韓国を見捨て、台湾を見捨て、日本を見捨てる。
それが、時代の流れなのかもしれません。
あり得ないことではないように思います。
もちろん、素人の勝手な感想に過ぎませんが、そんなことになっても、私は「ふむ、ふむ」と頷くことになりそうです。
私は、朝鮮半島が、静かに、「風雲急を告げ」ているように見えます。

いや、朝鮮半島だけではないのかもしれません。
ウクライナ戦争で、世界の空気は変わったように見えます。
空気は伝染するのかもしれません。
イスラエルでネタニエフ氏が、再び首相になりました。イランの核開発も進んでいます。イスラエルが電撃的に、イランを、核施設を、攻撃する可能性は高まっています。
それ以外にも、地域紛争はあります。
世界が、戦争モードに入っているのかもしれません。
もしも、世界のどこかで、第二、第三のウクライナ戦争が始まれば、世界の空気は、一気に第三次世界大戦へと向かうのかもしれません。
国連は機能していません。
アメリカも世界に背を向けています。
世界秩序は失われていると考えたほうがいいと思います。
人間は、理性的な判断だけをするわけではありません。
「何でもあり」の世界が、すぐ、そこに、来ているのかもしれません。
第二次世界大戦の後、世界は「1対1」になり、ソ連が崩壊して「1対n」になり、アメリカが世界に背を向けて「n対n」という混沌の世界になりました。
ウクライナ戦争は、混沌の世界の到来を知らせる号砲だったのかもしれません。


2023-02-03



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文化は見えません [評論]



以前にも、部分的に触れたことがある「未来の年表」という本について書きます。
これまでは、紹介文しか読んでいませんでしたが、今回、「未来の年表 業界大変化」という本を購入しました。920円でした。
著者の方には、申し訳ありませんが、やはり、捨て金でした。
「あとがき」でも書かれていますが、大変、ご苦労されたようです。
その努力には、敬意を表しますが、これでは、日本再生はできません。
それは、提案らしきものがありますが、実現の可能性があるようには思えないからです。
今日は、著者である河合雅司氏の提案について書きたいと思います。
この「未来の年表」シリーズは、4冊あり、90万部売れたそうです。
「未来の年表 業界大変化」は五冊目になるようです。この本が10万部売れれば、100万部売れたベストセラーです。
で、少しでも、何か変わりましたか。
国力衰退のスピードは弱くなりましたか。
そんな様子は、見受けられません。
つまり、ここでも、警鐘や提案は、何の役にも立っていないということです。
それが、現実なのです。

一応、念のために、河合氏の提案を見てみましょう。
提案は、「未来のトリセツ」という表題になっています。
1. 量的拡大モデルと決別する
2. 残す事業とやめる事業を選別する
3. 製品・サービスの付加価値を高める
4. 無形資産投資でブランド力を高める
5. 一人当たりの労働生産性を向上させる
6. 全従業員のスキルアップを図る
7. 年功序列の人事制度をやめる
8. 若者を分散させないようにする
9. 多極分散ではなく多極集中で商圏を維持する
10. 輸出相手国の将来人口を把握する

著者の河合氏も、何も動かないことに苛立っているように見えます。
「おわりに」というページでは、そんな苛立ちが見えます。
だから、日本再生のための提言を書いたのだと思います。
確かに、精神論ではなく、個別具体的な提案です。
でも、的を外しています。
私が提案する「定義」や「目的」や「責務」なんかより、はるかに実務的な提案じゃないかと思われるかもしれません。
でも、これ、誰が実現するのでしょう。
国民の皆さんは、「俺には関係ねぇ」と思っています。国家運営を担っている人達は、自分の「利」しか考えていません。では、誰が、実行するのでしょう。
しかも、この提案を実行するのは、全部、経済界です。
今のように、政治が好き勝手をやっていて、民間だけが頑張れるのでしょか。
国民意識が、今のままなら、手を挙げる人はいないのではないでしょうか。
「提案しましたからね。後は、頑張ってください」では、何も動きません。
多分、どれも、実現しないと思います。
それでも、百歩、いや、千歩、いやいや、万歩譲りましょう。
もしも、仮に、万が一、あり得ないことだとは思いますが、誰かが実行したとして、何年、かかるのでしょう。仮に、国力衰退にブレーキをかけるのに、半分の項目が実現していなければならないとすると、それだけでも、50年かかると思います。残り、半分を実現するのに、更に50年必要だとしたら、日本再生が始まるのは、100年先になります。この国は、とても、そこまでは、もたないと思います。
昨日書いた「日本の自殺」と同じで、河合氏の提案も「絵に描いた餅」です。
もちろん、実践処方箋がない私の提案も、「絵に描いた餅」です。

警鐘や提案は、あったほうが、いいに決まっています。
しかし。
私達の問題は、「どうすれば、実現するのか」という実践処方箋がないことです。
まだ、誰も、この壁を破れていません。
多分、世界の文献を読んでも、そんな処方箋はないと思います。
仕方ない、と言えば、仕方ありません。それは、この国が崩壊先進国だからです。日本は前人未到の場所にいるのです。日本人が壁を打ち破るしかないのだと思います。
今、必要なのは、個別具体的な提案の段階ではないということです。
今、この国に必要なことは、国民意識を変えることです。
国民意識が変われば、政治も経済も変わります。
いや、国民意識が変わらなければ、何も動かないと思います。
もちろん、国民意識を変えることに成功した後には、個別具体的な提案は必要です。
その時には、この河合氏の提案は役に立ちます。

河合氏の「未来の年表」は、日本が、将来、ズタズタ、ボロボロの状態になることを、人口減少という切り口で、示してくれています。それも、観念論ではなく、数字で示しています。大変な労力だったと思います。
しかし、日本の課題は、人口減少だけではありません。
ですから、日本の未来は、「未来の年表」よりも悲惨なものになるということです。
しかし、それを回避する実践処方箋がありません。
千の提案をしても、万の提案を持ち寄っても、意味がないのです。
ですから、国力衰退は、着実に進行しているのです。
私が提案している「言葉の定義」は、実現すれば、国民意識は変わります。国民意識が変われば、個別具体的な提案を実現する可能性も生まれます。もちろん、可能性に過ぎませんが、何もないよりはいいと思います。
しかし、私の提案の弱点は、国民の皆さんに、定義をしてもらう方法がないことです。
組織的な行動が可能な団体が、例えば、政府とかメディアが、主導すれば参加してくれる国民もいると思いますが、政府とかメディアは、「利」を失うことになりますから、「言葉の定義」なんてしません。
ですから、自分の生活を守らなければならない国民が、自発的に、「言葉の定義」をしなければなりません。
しかし、「俺には関係ねぇ」と言っている国民が、そんな行動をすることはありません。
つまり、実践する方法がないのです。
実践する方法がない提案は「絵に描いた餅」です。
ですから、この国が崩壊することは、今の時点でも、確定しているのです。

ほとんど使われなくなった言葉ですが、「雪隠詰め」という言葉があります。「二進も三進もいかない」という言葉もあります。右にも左にも、前にも後ろにも、動けない状態を表す言葉です。今の日本が、まさに、その状態です。ですから、ほとんどの国民が、不安感と閉塞感と焦燥感を持っています。
もう一つ言葉を追加すれば、「自縄自縛」だと思います。環境の変化と時間の経過に対応していたら、いつの間にか、自分で自分を縛ることになってしまっていたのです。それは、原理原則を持たず、先送りを続け、都度都度、新しい事態に恣意的に対応した結果でもあります。臨機応変とか応用力という言葉を使えば、いいことのように思えますが、いい結果が得られるとは限りません。
なぜ、こんな状態になっているのでしょう。
それは、この国が、国家統治システムとして、民主主義風王政並立封建制度というシステムを採用しているからです。民主主義制度ではありませんので、国民生活を守る必要はありません。民主主義と天皇制と封建制は、本来であれば、並び立つことは不可能です。それを実現できたのは、この国の曖昧文化の功績です。曖昧文化は、環境さえ許せば、他に類を見ない素晴らしい文化だと思います。でも、万能ではありません。特定の環境下では、この文化が民族を滅ぼしてしまう可能性だってあるのです。
ただ、厄介なことに、文化は見えません。
更に、何事にも、建前と本音が共存します。国家統治システムにしても、日本は民主主義国であると標榜していて、民主主義風王政並立封建制度なんて言葉は、一切、表には出て来ません。建前と本音が違うことも当たり前のことです。
ですから、現に起きている事象に対応するだけでは、流れは変わりません。
原因の原因の原因に対応するしかないのだと思います。
それは、私達が対応すべき相手は、文化だということです。

どうすれば、いいのでしょう。
少し、歴史を遡ってみましょう。
明治維新で、日本は大きく変わりました。
もしも、あの時、あの内戦がなければ、日本は欧米列強の植民地になっていたでしょう、
ですから、結果的に、明治維新は正しい選択だったと言えます。
ただ、あの時、民主主義を採用していたら、日本は、もっと、変わっていたと思います。
しかし、日本は、歴史と伝統に従い、天皇制を選択しました。
日本の近代史には、歴史と伝統を断ち切るチャンスが2度ありました。明治維新と敗戦です。しかし、私達は2度とも、そのチャンスを無駄にしました。明治維新の時は、やむを得ない状況があったとしても、敗戦の時を逃したことが、今の崩壊へと繋がっています。
明治維新は、権力闘争です。
徳川という支配者を、長州と薩摩が武力で倒したのです。
長州と薩摩は、尊王という大義を掲げて、謀反人という烙印を回避しました。
旗を貸してもらった恩義もあり、天皇制にすることが、都合がよかったのだと思います。
当初は、時期を見て、民主国家にする意図はあったのかもしれませんが、世界の潮流が、それを許さなかったのかもしれません。明治・大正の自由民権運動は、弾圧され、民主主義への道は閉ざされました。
明治政府は、天皇を神格化することで、何をやっても許される、という免罪符を手に入れ、その流れが、大正、昭和へと引き継がれ、第二次世界大戦の敗戦まで続きました。
敗戦を契機にして、民主主義国になるチャンスがあったにもかかわらず、憲法の第一条に天皇条項を書き入れることで、天皇制を温存してしまいました。日本の封建制度の始まりは天皇制です。支配者が、天皇か征夷大将軍かの違いはありますが、天皇制も立派な封建制度です。
その結果、アメリカから押し付けられた民主主義と、歴史と伝統に縛られた天皇制と封建制度を混ぜ合わせ、民主主義風王政並立封建制度という国体が生まれました。
つまり、今でも、歴史と伝統の支配が続いているということです。この国は、基本的に、今でも、封建制度の国です。民主主義国ではありません。「お上」と「下々」という意識は、一度も失われたことがありません。
ですから、先程挙げた「未来のトリセツ」は、誰もが、「お上」の仕事だと思っています。
その勘違いを治さなければ、どんな提案も実現しません。本来、「未来のトリセツ」は、国民が、自分の責務として成し遂げねばならないことなのです。
しかし、国民の皆さんに、その気はありません。皆さんは、自分が「下々」だと信じ切っています。自分に責務があることを知りません。
言葉の定義から始めるしかありませんが、国民の皆さんは動きません。
ですから、今、進行している、この国の崩壊を止める方法は、ないのです。


2023-02-02



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耐えてください [評論]



「日本の自殺」という本がある、そうです。
約50年前に、月刊誌文芸春秋に発表された「日本は没落する」という論考が一冊の書籍になったものだそうです。私は、いつものように、本文は読んでいません。
宣伝文句を読んで買うと、いつも後悔しますので、買いません。
宣伝文句というものは、その本の本質を紹介するものなので、宣伝文句以上の中身が本に書かれているわけではないようです。つまり、宣伝文句だけで充分なのだと思います。
「日本の自殺」という論考も、「このままだと日本は没落するから、何とかしろ」という警鐘なのですが、警鐘が役に立ったという歴史的事実は、どこかに存在しているのでしょうか。
多分、警鐘は警鐘で、現実とは無縁のものということなのだと思います。
多分、どう抗っても、壊れるものは壊れるし、死ぬものは死ぬのだと思います。
私も、何とか気付いて欲しいと思って、日本崩壊とか国力衰退という警鐘を鳴らしていますが、何の役にも立ちません。これは、私のブログが弱小ブログであることが原因ではないのかもしれません。警鐘を鳴らしている人は大勢います。お偉い学者先生の警鐘でも、何も変わらなかったのですから、警鐘そのものに意味がないのかもしれません。
ですから、この国は、壊れます。これは、必然なのだと思います。
この国には、壊れる条件が満載なのですから、仕方ありません。
問題は、「壊れたら、どうなるのか」ですが、国民生活は、金正恩のいない北朝鮮になると想像してもらえばいいと思います。
多分、そんなことは、それなりに、多くの方が想像していると思いますが、それでも、何も出来ずに、壊れてしまうのだと思います。
その通りなのでしょうが、歴史や必然に抗ってでも、抵抗したいというのも、人間の性なのでしょう。私も、抵抗したいです。個人の力なんて、屁のツッパリにもなりませんし、勝ち目はありませんが、それでも、抵抗したいです。

さて、「日本の自殺」では、ローマの滅亡も、来るべき日本の滅亡も、その原因は「自壊」だとしています。だから、タイトルが「自殺」になっています。
仮に、中国に征服されて、中国領日本自治区になったとしても、真の原因は、中国による征服ではなく「自壊」なのだとしています。
「自壊」の原因は、思想の欠如だとしています。
私も、そう思います。
ただ、問題は、その思想です。
新しい思想を生み出すのでしょうか。
無理だと思います。
では、既存の思想を、どう利用するのでしょう。
仮に、日本に相応しい思想が見つかったとしても、その思想に基づいた行動をしなければ、思想は何の役にも立ちません。
新しい思想と哲学が必要ですが、そう簡単には生まれません。この先、生まれるかどうかもわかりません。
ですから、代用品を探すしかないのだと思います。
既存の西欧の思想の新解釈でも、中国の思想の新解釈でも、日本独自の思想でも構いませんが、どうしても欠かせないものが整合性だと思います。
その上で、その思想が、日本人の行動原理になるのであれば、この際、どんな思想でもいいと思います。
ただ、思想が存在していたとしても、思想の存在と思想の実践は、全く、別物であり、実践しなければ、どんなに立派な思想であっても、何の役にも立ちません。
「日本の自殺」のように、学者先生の書くものは、リアリズムに欠けるようです。過去の事象は的確に捉えますが、未来のことは、曖昧に書きます。警鐘にはなりますが、提案にはなりません。学術書は、多分、そういうものなのだと思います。提案らしきものはありますが、曖昧な、ふわふわしたものです。

ここで、「日本の自殺」を書いた人達の対応策を見てみましょう。
第一に、国民が狭い利己的な欲求の追求に没頭したとき、経済社会は自壊する。
第二に、国民は自分のことは自分で解決するという自立の精神をもたねばならない。福祉主義はそれを壊す。
第三に、エリートが「精神の貴族主義」を失って大衆迎合に陥ったときに国は滅ぶ。
第四に、年上の世代はいたずらに年下の世代にへつらってはならない。
第五に、人間の幸福は決して賃金の額や年金の多寡や、物量の豊富さによって計れるものではない。
どの提言も、至極、真っ当なものです。
でも、この提言が、役に立つとは、とても、思えません。
誰が、実践するのでしょう。
いや、実践するモチベーションは、どこにあるのでしょう。
更に、「日本は没落する」という確固たる認識を持っていない人達が、何か、行動することなんてあるのでしょうか。漠然とした不安では、行動に結びつきません。
スローガンでは、いや、思想であっても、現実は変わりません。
言葉は必要です。しかし、それ以上に必要なのが、行動です。
そして、厄介なことに、言葉と行動の間には、とてつもないほどの距離があるのです。
「日本の自殺」を書いた人達の提言は、「絵に描いた餅」だということです。
別に、私は、「日本の自殺」という提言にケチをつけているのではありません。
上記の提言を実現するのは、リーダーを含む国民です。そのことを、国民には責務があることを、誰一人、知らないのです。だから、「絵に描いた餅」になるしかないのです。

私は、言葉の定義をして、目的と責務を見つけませんか、と提言しています。
私の提言は、思想ではなく、あくまでも、その代用品ですが、それでも、その構築そのものが、ほぼ、不可能です。それは、私が、国民の皆さんに、自ら、言葉の定義に参加してください、と言っているからです。しかし、国民の皆さんは、間違いなく、参加してくれません。国民の皆さんにとっては、国家崩壊でも、他人事に過ぎません。「俺には関係ねぇ。それは、お上の仕事だ」と信じています。この国が、国民を、そういう国民にしたのです。
では、現状の「なあ、なあ」「まあ、まあ」体制で「利」を得ている人達が、政治家、官僚、学者、メディアの皆さんが、言葉の定義をして、目的と責務を明確にすることがあるのでしょうか。いいえ、ありません。なぜなら、「利」を失うからです。
つまり、私の提言も、「絵に描いた餅」なのです。
ただ、言葉の定義をする目的は、国と国民の目的と責務を明確にすることです。目的と責務が明確になれば、行動のモチベーションが生まれますので、実践の可能性が生まれます。
ただ、実際には、国民の皆さんが、言葉の定義をすることはないと思いますので、どう転んでも「絵に描いた餅」です。まさに、「れば、たら、もし」でしかないのです。
それでも。
ドツボに落ちるのは、国民の皆さんですから、国民の皆さんには、言葉の定義をする動機があります。そこに、一縷の望みがあると信じて、くどくどと、言葉の定義という提言をしていますし、続けていきます。
もちろん、奇跡でも起きない限り、実現することはありません。それでも、奇跡が起きることを願い、提言し続けるしかないのです。「徒労」以外の何ものでもないと思いますが、言葉の定義しか、「子供達の未来を守る」方法は、ないように思えてなりません。
私の目的は、「子供達の未来を守る」ことです。
実は、皆さんの目的も、「子供達の未来を守る」ことなのです。生命体の究極の目的は、「永遠」です。そのためには、「子供達の未来を守る」しかないのです。
もしも、「子供達の未来を守る」方法があるのであれば、言葉の定義なんて必要ありません。「なあ、なあ」「まあ、まあ」でも、歴史と伝統でも、「お上」と「下々」でも、共産主義でも、何でも構いません。
でも、今のままでは、子供達の未来は守られません。これだけは、確信できます。
しかし、どうすればいいのか、わかりません。
どうすれば、国民の皆さんが参加してくれるのか、全く、わかりません。
50年前に提言された「日本の自殺」は、錚々たる方々が提案したことだと思います。
しかし、この国は、何も、変わっていません。
この危機を、お偉い学者先生方が知っていても、役に立たなかったのです。
国民が「ヤバイ」と思って、行動してくれなくては、山は動かないのだと思います。
しかし、それを知らせる方法がありません。
私は、発信力のあるいろいろな方に、いろいろな団体に、言葉の定義について提案しましたが、反応は全くありませんでした。
国民の皆さんに、この危険を知らせる方法は、その対処方法を知ってもらう方法は、この弱小ブログしかないのです。
「日本の自殺」を書かれたお偉い学者先生方の提言も、名もなき貧乏人の私の提言も、この国の衰退を止めることはできないようです。
ですから、この国は滅びます。
いつの日か、誰もが「崩壊」を認めざるを得ない環境になります。
ずるずると、今の状態が続き、崩壊の度合いが大きくなった後、多くの皆さんが壊れたことを認めるような状況が生まれ、そこから、騒ぎが大きくなるものと思います。その契機になるのは、世界恐慌、円安、国債破綻、戦争、災害と数多く存在します。しかし、真の原因は、「自壊」です。衰退し続けているこの国が、変化に耐えらないことが致命傷です。

ま、今でも、手遅れなのですから、その時点で騒いでも対応策はありません。この国が、皆さんの目の前で壊れていくのを、皆さんは、見ている事しかできません。
自分の生活も壊れるのですから、かなりの苦痛を伴うことになると思います。
でも、耐えてください。他に、選択肢はありません。時間を遡れば、選択肢はあったのですが、皆さんは、それを選ばなかったのです。耐えてください。


2023-02-01



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