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相対的貧困率44・1% [評論]



最初に、貧困に関するニュースです。

阿部彩・東京都立大教授が、65歳以上の一人暮らしの女性の相対的貧困率が、44・1%にのぼる、と発表した。
厚労省が発表している現役世代のひとり親世帯(44・5%)と同じ。
同じ「高齢」「単身」でも男性の貧困率は30・0%で、女性と14・1ポイントの開きがある。

30・0%や44・1%や44・5%は、低い数値なのでしょうか。
そうではないと思います。
高齢男性の3人に1人、高齢女性の2人に1人が、貧困であるという現実は、決して、「ふむ、ふむ」で済ませてはいけない問題だと思います。
今の高齢者は優遇されていると言われています。現在、25歳の働き手の若者が、40年後に年金を受給できるかどうかが危ぶまれていることを考えると、40年後よりも現在の高齢者は恵まれていると言われるかもしれません。
ほんとに、そうなんでしょうか。
30・0%や44・1%の貧困率が恵まれているとは思えません。しかも、40年後には、90・0%や99・1%になるのであれば、国家運営が間違っている、ということなのではないでしょうか。今でも、失敗。40年後も、失敗。失敗続きの国家運営をこのまま続けていていいのでしょうか。
日本は、着実に、貧困国に向かって進んでいます。
今でも、生活が苦しい人がこれだけ多くいる、ということは、将来は、もっと悲惨な未来が待っているということだと思います。
「ふむ、ふむ」と頷いていてはいけないのだと思います。
国家運営は、ある時から、180度変わるなんてことは起きません。
長い時間が必要です。
そのためには、今から、国家運営を変えなければならないと思います。
「国は、何のために、存在しているのか」を考えて欲しいと思います。
私は、国は「国民生活を守る」ために存在していると思います。
保守系の方は、目的を曖昧にしたまま、よく「歴史と伝統」を口にします。
古き、良き、伝統を大切にすることで、自分達に都合の良い社会を実現したいのでしょう。
「保守」という言葉にあるように、「守る」ことが第一義になります。
「守る」ことは大切です。「国民生活を守る」ことも「子供達の未来を守る」ことも、「守る」ことですが、保守派の皆さんは、なぜか、「過去」を守ろうとします。過去の何を守るのでしょう。また、過去を守れば、現在を、未来を、守れるという保障はどこにあるのでしょう。いや、過去は、そんなに素晴らしい社会だったのでしょうか。確かに、豊かさを実感した人達はいましたが、それは、ごく一部の人だけです。その一部の人達の古き良き時代は、大勢の人達にとっては、古き悪しき時代だったのです。古き良き過去と古き悪しき過去は表裏一体なのです。
日本の歴史から見ると、古き、良き、時代は、人によって違います。
天皇と貴族が権力を握った時代は、貴族にとっては良き時代です。
武士が権力を握った時代は、武士にとっては良き時代です。
商人が実権を握った時代は、商人にとっては良き時代です。
残念ながら、これまで、民が権力を握った時代は存在していませんので、民にとっての古き良き時代は存在していません。
過去を守るということは、貴族、武士、商人の良き時代を守るということで、民を守ることではありません。2000年間、貴族、武士、商人が栄えた時代で、民は、常に、古き、悪しき、時代を生きてきたのです。
ただ、貴族も武士も商人も、自力で権力を手に入れました。
民は、自力では、何もしていません。
ロシア革命では、民が権力を取るために戦いましたが、共産主義というイデオロギーが独裁でしか機能しないことが露呈し、民が良き時代を実現することはできませんでした。
フランス革命も、部分的には成功したのかもしれませんが、現在のフランスを見る限り、民のための民主国家になっているとは思えません。
民主国家で革命に成功した例は、まだ、存在しません。
ですから、私が提唱している「言葉の定義をする」革命で、それが実現するのかどうかは未知数です。
でも、何もしなければ、民にとっての良き時代は来ません。
それは、歴史が証明しています。
追い詰められ、追い詰められ、もう、失うものが何もなくなった時に、民は行動を起こすのかもしれません。
でも、切羽詰まって、感情に左右されて、国家運営の設計なんてできるのでしょうか。
難しいと思います。
革命を主導した一部の民が権力を握ることになり、多くの国民は、悲惨な民であり続けることになると思います。
ですから、権力で国を統治するという概念を捨てる必要があると思います。
では、何で、国を統治するのか。
それが、「目的と責務」だと思います。

今日取り上げた貧困率は、ほんの一例に過ぎません。
50年前から、65歳以上の一人暮らしの女性の相対的貧困率が、44・1%だったわけではありません。
悪化しているのです。
当然、この先は、国力衰退が進み、この悪化が進行するのです。
あなたの生活が、あなたの子供達の生活が、あなたの孫達の生活が、悪化するのです。
それを放置しておいていいのでしょうか。
皆さんには、責任が無いのでしょうか。
皆さんは、「俺には関係ねぇ」「なるようにしかならない」「どうしようもない」「俺ではない、誰かが、何とか、してくれ」と言うと思います。
2000年間、そうやって、皆さんは、何もしなかったのです。

さて、別のニュースも見てみます。

世界28カ国2万630人を対象に、2023年11月22日から12月6日の期間に実施された、世界最大規模の世論調査会社イプソスの「ポピュリズムに関するグローバル調査2024」の結果がニュースになっていました。
問 「あなたの国は衰退していると思いますか」
答 「衰退していると思う」と回答した人が、68%。
2016年時点では40%だったが、8年で1.7倍に増加し、28カ国中、5番目に多い結果となった。
問 「一般市民と政治や経済のエリート層との間に大きな格差があると感じていますか」
答 「感じている」と答えた人が75%。
こちらも28カ国中で5番目に多い数字になった。2016年に比べ約1.6倍に増えている。
問 「あなたは、税金の使い道として何を重視しますか」
答 1位は、「貧困と社会不平等の緩和」だった。

68%には、驚きました。私は、国民は国力衰退に気が付いていないから何もしないのだと思っていました。ところが、7割もの国民が、知っていて、何もしていなかったのです。これは、もう、確信犯です。だとすると、国民の皆さんは、自分の責務も知っているのかもしれません。それでも、何もしないのです。つまり、私が何を提案しても無駄だということです。
更に、一般市民が無視されていると感じている人が7割です。そして、税金の使い道で、最も求められているのが「貧困と社会不平等の緩和」です。
つまり、国民の皆さんは、国力衰退と貧困が、この国の最大の課題だと認識しているのです。にも拘らず、皆さんは「俺には関係ねぇ」と思ったままです。
このブログでは、諄いほど「国力衰退」という言葉を使ってきました。私が妄想していた訳ではなく、国民の皆さんは、現実を把握していたのです。
それでも、「何とかしよう」という人が、一人もいません。
いや、「何とかしなければ」と思っている方は、数多くいると思います。
しかし、行動を起こす人は一人もいません。
皆さんが、「俺ではない、誰かが、何とかしてくれ」と思っているのです。皆が「自分以外の誰かが」と言っているのですから、「誰も」行動しません。
国力衰退に対応するために、提案している方も、います。
しかし、どの提案も、国力衰退に対応できるとは、誰も、思っていません。
もちろん、私が提案している「言葉の定義」も、そう思われているのでしょう。それは、私の説得力不足、能力不足に、起因しているのだと思いますが、残念ながら、それも現実です。いや、そうではないのかもしれません。やはり、「俺には関係ねぇ」なのでしょう。
私は、「言葉の定義」以外の方法で、この状況を乗り越えられるとは、今でも思っていません。今のところ、「言葉の定義」が唯一無二の対応だと思っています。もちろん、更に有効な方法がないとは言いません。そのような提案が出てくることを期待します。
「言葉の定義」の目的は、国民の皆さんの意識を変えることであり、国民の皆さんが迷った時に戻ることのできる原理原則という場所を提供することです。
しかし、それを国民の皆さんに伝えることができていません。
と思っていました。
どうやら、違うようです。私のような3流の頭脳でも気が付いたのですから、皆さんは、とっくに、知っていたのだと思います。
困ったことです。どうすれば、いいのでしょう。答はないのかもしれません。
ここ数年、個別の課題に対して、「言葉の定義」で対応できるのかどうかを検証してきました。そして、対応可能だと書いてきました。
もちろん、「独りよがり」の部分も多々あると思います。
それでも、どの提案よりも、可能性は高いと思っています。
ただ、「文化を変えましょう」なんて提案は、地味で分かり難いものですから、説得が難しいです。今のところ、私は、国民の皆さんが「言葉の定義」に挑戦する気になってくれる方法を見つけられずにいます。もう少し、考えてみます。
でも、国力衰退は、容赦なく、進んでいます。
その下落スピードは、速まっていると思います。
国家運営を担当している老害議員はカネに目が眩み、女性議員はパリで羽を伸ばし、若手議員は破廉恥パーティーで鼻の下を伸ばしています。
誰も、国民生活なんて考えてもいません。
これでは、国が潰れても不思議ではありません。
正に、今は、国民の皆さんの窮地です。
それなのに、国民の皆さんは、何も、行動を起こしません。皆さんには、「関係ねぇ」のでしょうか。皆さんには、毛の先ほどの責任もないのでしょうか。
そうではないと思います。ここは、皆さんの国であり、皆さんに責任があるのです。「俺には関係ねぇ」と言える国民は一人もいません。
この国を救えるのは、国民の皆さんしかいないと思います。
国民の皆さんには、その責務があります。
多くの国民が、貧困を実感しているのに、国が衰退していることを知っているのに、この国は、まるで、平和な国のように振舞っています。
「これまでも、何度も、危機に遭遇してきたが、何とかなった。だから、今度も、何とかなるさ」「なるようにしか、ならない」「俺に出来ることは、何もない」が国民の皆さんの本音なのかもしれません。
でも、それ、勘違いです。いや、大間違いです。
「何ともならない」ことだって起きるのです。それが、目の前に迫っている国家崩壊です。これまで体験したことのない悲劇が実際に起きるのです。貧困に喘ぎ、餓死者の山を築き、再生までに数百年を必要とする時代が来るのです。まさに、生き地獄の時代です。今を生きている皆さんが何もしなかったことで、仮に、500年間生き地獄が続くとすると、1467年の応仁の乱から、2024年の今日まで、地獄を生きなければならない、ということです。皆さん、大丈夫ですか。


2024-04-03



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