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過去は未来を保障しません [評論]



今月紹介した皆さんの記事にも出ていましたが、「インフレ」という言葉が、しばしば、出るようになりました。もともと、有名な言葉ですから、日常会話で使っても違和感のない言葉です。ただ、日本は、「インフレ」よりも「デフレ」のほうが有名な珍しい国です。こんな国は、世界で日本だけかもしれません。
そんな日本で、「インフレ」が脚光を浴び始めたのは、世界各地に「インフレ」現象が出てきているからだと思います。
どこの国の国民にとっても「インフレ」は危険な存在ですが、日本の皆さんが恐怖心を持つまでにはなっていません。ただ、ヒタヒタと、「インフレ」の波が近づいてきていることを感じている人はいます。それは、「物・サービス」の値上げのニュースが多くなってきているからです。世界的な原材料価格の高騰の影響で、生産者物価が上昇しているのですから、消費者物価に反映するのは当然の結果だと思います。
「インフレ」に対応することは、どこの国でも簡単なことではありませんが、世界で一番難易度が高いのは、日本だと思いますので、その認識を持つためにも、「インフレ」の怖さについて書いておこうと思います。
日本の場合、実際には、「インフレ」ではなく、「スタグフレーション」という現象ですが、「物品・サービス」が値上げされるという点では同じ現象です。
これまで、タバコや電気料金の値上げは書きましたが、それは、ほんの一例に過ぎません。
2021年度に値上げされたものは、約40社の商品とサービスがあります。
ここには、ステルス値上げ(中身を減らす)や電気料金、ガス料金、ガソリン・灯油、社会保険料等の値上げは入っていません。
2022年度は、更に、多くの値上げが予想されています。本格的な値上げの波は、今年から始まります。既に値上げした商品の再値上げもあると思います。電気料金は6カ月連続で値上げされています。この値上げの波が、どのくらい続くのかはわかりません。
特に、原材料を輸入に頼っている商品の値上げは避けられません。もしも、円安が進行すれば、値上げに拍車がかかります。いや、円安が日本の命取りになります。
インフレの波が起きると、国際的な資源価格には関係のないものまで値上げされます。庶民の出費で最も大きいものが家賃ですが、家賃だって値上げの対象になる日がやってきます。住む場所を失うわけにはいきませんので、食費を切り詰めることになります。
1月からは、ゆうちょ銀行が手数料の新設を実施します。ゆうちょ銀行の記事しか見ていませんが、多分、全ての金融機関で手数料の新設が行われると思います。
その値上げ項目を見ただけでは、実感は湧きませんが、項目を見てみましょう。
払い込みサービスを現金で利用する場合の加算料金の新設、硬貨取扱料金の新設、金種指定料金の新設、ATM硬貨預払料金の新設、郵便局以外の場所にあるATM利用料金の新設となっています。
国のキャッシュレス化推進の一端なのでしょうが、現金主義の方は気を付けてください。

「インフレ」と「スタグフレーション」の違いは昨年書きました。
今、日本で起きているのは、明らかに「スタグフレーション」です。
経済成長のない物価上昇を、賃金上昇のない物価の上昇を、「スタグフレーション」と呼びます。
確かに、政府高官は、値上げを推奨していますが、日本にとって、値上げは万々歳なのでしょうか。そうは思えません。普通の国の論理を持ち出すのはいかがなものかと思います。日本は普通の国ではありません。日本には特殊事情があり、別の結果を生み出します。
その特殊事情とは、「可処分所得という壁」と「不安感という壁」のことです。
可処分所得の壁とは、何でしょう。
可処分所得とは、給料から税金と保険料を支払い、教育資金や老後資金の積み立てをし、国民が自由に使えるお金です。この可処分所得は、この数十年、全く、増えていません。いえ、税金と保険料が増えていますので、手元に残る可処分所得は減っています。デフレだから、生活が成り立っていると言っても過言ではありません。ですから、インフレは、直接、庶民生活に影響します。
身近な例を見てみましょう。
「すき屋」が牛丼の並盛を50円値上げしました。350円が400円になったのです。
仮に、毎日、「すき屋」で牛丼を食べていた人がいたとしましょう。
値上げ前の、1カ月の牛丼代は、10,500円です。
値上げ後の、1カ月の牛丼代は、12,000円になります。
もしも、この人が10,500円しか手持ち金がなかったとすると、約4日間は牛丼を諦めなくてはなりません。これが、可処分所得の壁です。もちろん、牛丼大好きな人もいるでしょうから、12,000円を工面して食べてくれる人もいるでしょうが、これを機に、牛丼代を7,000円にする人もいると思います。
世界の食品価格(牛丼の場合は牛肉)を見ると、今の高騰は始まったばかりで、今後も、価格高騰は続くと考えなくてはなりません。
可処分所得が変わらない状況で、相次ぐ値上げで、牛丼が1000円になったとしたら、牛丼が2000円になったら、食べてくれる人が、どれだけいるのでしょう。
無い袖は振れません。
「すき屋」の経営は、成り立たなくなると思います。
では、不安感の壁とは、何でしょう。
私のように人生の残年数が少ない場合は、やりくりで凌げるのかもしれませんが、若い方はそうはいきません。それが、2つ目の不安感の壁です。
国民の大半の方が、将来に不安を感じています。
将来に備えるためには、貯金しかありません。ただ、普通の方は、努力しなければ貯金なんてできません。今は、誰もが努力をし、節約意識を持つ時代です。マクロの数字でも、国民貯蓄は増え続けています。誰もが、老後を心配しているのです。
今は、1カ月12,000円の牛丼代は払えるけど、老後のことを考えて、値上げを機に、400円の牛丼を諦めて、300円のコンビニ弁当にするかもしれません。あれも値上げ、これも値上げという状況になれば、コンビニ弁当だって売れなくなるかもしれません。
この不安感の壁は、更なる不安感を生み、際限がありません。
つまり、2つの壁がある限り、値上げしてもGDPが増えることにはならないのです。
前提条件として、可処分所得の増加と将来不安の払拭がなければ、インフレによる経済成長は出来ません。
今の日本の現状は、どうなっているでしょう。
前提条件が成り立っていません。
何が起きるのか。
国民生活が圧迫されるだけです。
昨年、消費者物価は若干上昇したと言われています。もしも、携帯料金の値下げがなければ、物価上昇率は2%を越えていたという人もいます。既に、スタグフレーションは始まっているのかもしれません。

アメリカは、6%のインフレで、政府もFRBも大騒ぎです。
トルコでは、20%のインフレだと言われています。それだけではなく、通貨の下落により、約1000種類の薬が入手困難となっているそうです。トルコ在住の日本人の方は、生活必需品でも、価格が5倍になったものもあると話しています。
世界は、今、インフレへと舵を切りつつあります。
インフレに対応するために、多くの国が金利を上げ始めました。既に、50カ国くらいの国が金利を上げ、金融引き締めに動き始めました。アメリカFRBも早期にテーパリングを行い、金利を上げると言っています。世界の趨勢が利上げに向かっている時に、日本は金融緩和を続けると言っています。それほど日本は特殊な国だということです。他に選択肢がないのですから、仕方ありません。
ただ、トルコは何を勘違いしたのか、15%の金利を14%に下げました。イスラムの教えに従ったという理由だそうです。利下げにも驚きましたが、15%の金利にも驚きました。先進国では、ゼロ金利に慣れていますが、トルコは違うようです。トルコの金融機関の貸出金利は20%とか30%だそうです。日本の闇金並みの利息を金融機関は要求します。
利下げを機に、トルコ・リラが急落しています。1ユーロ4.57リラが1ユーロ20.0リラになりました。これを日本円に換算してみると、1ドル110円が1ドル480円になることと同じです。
もしも、仮に、1ドル480円になったとして、電気料金が4倍になったとしましょう。1カ月の電気代が7000円の家庭の負担は、1カ月28,000円の負担になります。1ドル1000円になって、電気料金が8倍になったとすると、1カ月56,000円の負担になります。1ドル10,000円になって、電気料金が80倍になったとすると、その前に国は崩壊していますが、1カ月560,000円の負担になります。確かに、これは机上の計算に過ぎません。では、そんな事態にはならないという確証はあるのでしょうか。いいえ、何が起きても不思議ではないと思います。日本は、インフレだけではなく、円安の影響にも翻弄されます。いや、円安の影響のほうが大きいと思います。なぜか、不幸は群れてやってきます。このメカニズムが解明できれば、それなりの対応ができるのですが、今のところ不明です。
ただ、コロナ第6波が世界の経済活動を抑制しますから、インフレは一時的に落ち着くかもしれません。しかし、インフレの世界潮流は、今年、どこかの時点で、再び動き始めます。
インフレ率は、あくまでも、平均値です。
物によっては、数倍、数十倍の価格高騰が起きます。
ですから、個人個人でインフレの影響は違います。
生活必需品、特に、食糧のインフレは、多くの庶民を直撃します。
スタグフレーション率が何パーセントまで許容できるのかというデータはないと思いますが、決して、大きな率ではないと思います。5%でも、かなり厳しいと思います。
仮に、スタグフレーション率が、トルコ並みの、20%になったとしましょう。
庶民にできることは、生活水準を落とすことです。
つまり、これは、貧困化が進むということです。
既に、日本のエンゲル係数は途上国に近づくほどの右肩上がりです。
問題は、裕福な人が節約するという問題ではなく、相対的貧困者と呼ばれている人達が、絶対的貧困者へ近づくという問題です。
この国に何人の相対的貧困者が存在しているのか、知りません。生活保護受給者だけでも200万人を超えているのですから、多分、100万人単位か1000万人単位だと思います。
仮に、相対的貧困者が1000万人だとして、その1割の人が絶対的貧困者へと転落するとした場合、100万人の人が、今日明日の食糧が手に入らない境遇になります。
世界第3位の経済大国の日本に、100万人規模の難民キャンプができるようなものです。国連が、日本に救援物資を出してくれるとは思えません。
国は、相対的貧困者の数も、絶対的貧困者の数も把握していないと思います。
国は、どうやって、絶対的貧困者を把握し、支援するのでしょう。また、その財源はどこにあるのでしょう。生活保護の申請は水際で阻止していますので、生活保護受給者は簡単には増えません。落ちこぼれる人が増えるだけです。
年末恒例の「炊き出し」では、100万人は救えません。
しかも、スタグフレーションは、いつ終息するのかわかりません。
経済が成長しないのですから、税収は増えません。
残された選択肢は、増税です。
庶民は、物価上昇と増税で、更に、疲弊します。
古くから、善政、悪政、苛政という言葉があります。善き政治と悪しき政治と苛酷な政治を表す言葉です。現在が悪政だとすると、この先は、苛政になるかもしれません。
更に残念なことに、貧困は、暴力を生み出します。これは、いつの時代でも、どこの国でも起きる現象です。私達は、苛政+暴力の世界を生きることになります。

日本はインフレに対応する手段を持っていません。
世界のインフレに振り回されるだけです。
日本は達磨さん状態ですから、ガードをする手も、パンチを出す手もありません。足がありませんので、逃げることも出来ません。
ただただ、打たれ続けるだけです。
しかも、日本の場合はインフレではなく、スタグフレーションです。
全く、打つ手がありません。
なぜ、こんな国になってしまったのでしょう。
原因は2つあります。
国家運営に失敗しました。
国民が熱意を失いました。
「お上」と「下々」というシステムを維持し、協力して、この国を駄目にしたのです。
皆で、気付かないまま、よろよろと、赤信号へ向かっているのです。
まるで、夢遊病者です。
では、何が欠けていたのでしょう。
目的と責務です。
目的もなく、責務も明確ではなく、誰もが好き勝手をし、過去に縛られ、既得権益を優先し、「自分さえよければ」「今さえよければ」「俺には関係ねぇ」と、皆で合唱し、国を衰退させてしまった結果です。
誰に責任があるのでしょう。
「お上」に丸投げし、熱意を失った、主権者である国民に責任があると思います。
ですから、国民がスタグフレーションで困窮するのは、国民の自業自得なのです。
スタグフレーションで値上がりするのは、牛丼だけではありません。あらゆる物が値上がりします。中には、何倍、何十倍になるものもあります。
そんな危険が、皆さんの目の前にあるのです。
もう、手遅れですが、それでも、気付いたほうがいいと思います。
国の価値を決めるのは、国民の意識です。
国民が頑張るしか方法はありません。
日本人が、これまでになかった新しい資源を見つけてもよかったと思います。
日本人が、これまでになかった新しい技術を見つけてもよかったと思います。
日本人が、世界に類を見ない生産性を実現していてもよかったと思います。
しかし、日本人は、皆で「俺には関係ねぇ」と言っていたのです。
これで、国民の生活が守られるとは思えません。
まさに、自業自得です。
努力が報われるという法則はありません。しかし、努力がなければ、奇跡でさえ起きません。過去は過去です。過去が未来を保障してくれるわけではありません。私達は、未来に向けて生きていくしかないのです。これが、人間の宿命です。
国民の皆さん、悲劇は皆さんの目の前にあります。どうか、目を醒ましてください。


2022-01-06



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このままドツボにはまりますか [評論]



小沢一郎という政治家がいます。
往年の勢いはなくなり、立憲民主党で老後を過ごしている政治家ですが、私達の年代の人間にとっては、華々しく、辣腕で、平然と悪事を働く、これぞ政治家という印象でした。逮捕はされませんでしたが、田中角栄二世と言ってもいいのかもしれません。
その小沢一郎が、自民党批判を繰り返しています。
もしかすると、自民党批判をするという条件で立憲民主党に置いてもらっているのかもしれません。だとすると、寂しい話です。
私と同年代だと思いますが、もう、先はないのですから、自民党批判などという「せこい」ことをせずに、国家、国民のために一肌脱ぐ時だと思います。経験豊富な政治家ですから、政治そのものを一刀両断するだけの知見は持っていると思います。小沢がやるべきことは、自民党批判ではないと思います。
小沢発言の中に、「自民党は、国を私物化している」という批判があります。
過去に、国を私物化した経験を持つ小沢が言うと、やけに説得力があります。
それでも、少なくとも、「お前が、言うな」と言いたくなります。
自民党と名指しせずに、「政治家が、国を私物化している」と言ってくれれば、「ふむ、ふむ」と頷けるのに残念です。
この国、やっぱ、変だと思います。
国会議員って、一体、何者なのでしょう。
今は、その答がありません。
国家運営の定義もなく、国会議員の定義もありません。ですから、その目的も責務も明確ではありません。国会議員は何をやってもいいのです。こういう存在を、鵺のような存在と呼ぶのでしょう。そう解釈すると、色々なことが腑に落ちます。

東京8区で落選し、比例復活もできなかった石原伸晃元衆議院議員が、内閣官房参与に抜擢されましたが、石原の政治団体が、雇用調整助成金というコロナ支援策を利用し、公金を申請し、収入としていたことで、8日間で職を辞しました。岸田総理は、風を読む達人ですから、ここは、石原に引導を渡す場面だと判断したようです。
石原については、落選したことで、その才能を惜しんだという話は聞こえません。親の七光りで議員をやっていた、お坊ちゃま議員に過ぎないのではないでしょうか。何を勘違いしたのか、本人は、体力も能力もあると見栄を切っていました。「おい、おい」
雇用調整助成金は、コロナで、失業の危険がある人達を救済する目的で作られた支援策です。国会議員は、コロナで収入が減ったのでしょうか。秘書や事務員をリストラしなければならないほど困っていたのでしょうか。
多分、そうではありません。貰えるものは1円でも逃さない、という助平根性によるものだったと推定されます。この事件は、「国の私物化」なんて大きな問題ではなく、個人の資質の問題だと思える事件でした。
「語るに落ちる」という言葉は、石原のためにあるのかもしれません。
その後、石原だけではなく、与野党の議員の「公金喰い」が発覚していますが、国民の皆さんは、もっと怒るべきだと思います。そして、「なんで、こんなことになるんだ」と言ってください。その疑問を掘り下げていけば、「言葉の定義」にぶつかります。
余談ですが、政治家の先生方は「政治にはコストがかかる」と言います。だから、文書交通費だって必要だと言います。それ、ちょっと、違うと思います。政治にカネがかかるのではなく、選挙にカネがかかるのです。先生方は、国会議員で居続けるためにカネをかけているのです。これは、政治とは関係ない話だと思います。民間でも、定年退職の時代ではなくなりました。生涯政治家という生き方は、そろそろ、やめる時だと思います。
では、岸田総理は、なぜ、石原を内閣官房参与に抜擢したのでしょう。
「お友達優遇」だと言う方がいますが、そうではないと思います。
政界だけではないと思いますが、利害を超越した友人関係なんて存在しません。そういう友人関係が成り立つのは、私達貧乏人の世界だけだと思います。
石原は、石原派という派閥の長でした。10人しかいない弱小派閥ですが、選挙後は7人に減ったそうですが、岸田さんは、数が欲しかったのだと思います。
これなら、小沢発言の「自民党は、国を私物化している」に該当するのかもしれません。
岸田さんは、信念もなく、国家戦略もなく、人当たりの良さだけで権力を手に入れてしまったために、この先、権力の維持には苦労すると思います。ただ、岸田さんは政界遊泳では苦労を重ねてきた人ですから、本領発揮の舞台なのかもしれません。
でも、今の時代は、そつなく、丸く収める、国家運営が求められているのでしょうか。そうではないと思います。今の時代は、革命が求められている時代だと思います。
勇ましかった言葉も、時間と共に丸くなり、毒にも薬にもならない権力を作ろうとしているように見えます。総理の執務室に「小さな失敗は容認。大きな失敗は厳禁」という額がかかっているかどうかは知りませんが、岸田さんの心の壁には、そんな額がかかっていると思います。政権の延命が最大の目標であれば、間違っているとは言えません。岸田政権の延命には、この方法しかないのかもしれません。政権の延命が最重要課題だという点でも、小沢の言う「国の私物化」は妥当な批判だと思います。
政界が特別なのではありません。どこの集団でも、世渡り上手な人が出世する現象は見られます。それが人間社会なのですから、四の五の言っても意味はありません。
ただ、日本史上初めて、国家崩壊という試練を迎えているこの国にとっては、歓迎できるものではありません。
いろいろな相手に迎合することが上手ですから、大きな失敗はしないと思いますので、権力の維持はそれなりにできるかもしれません。特に、夏の参議院選挙は岸田政権の命運を決めますので、世論には迎合しなければなりません。世論の風は、よく観察していて、素早く対応しています。岸田の頭の中は、「どうすれば、この政権を続けられるのか」という課題で埋まっていると思います。この国の将来とか国民生活なんて、彼の頭の中には存在していないと思います。政権延命のためなら、国民に胡麻をすることなんて簡単なことなのでしょう。国民のためではなく、あくまでも、自分のためです。ま、お見事と言えば、お見事なのでしょうが、一国のリーダーとしてはいかがなものでしょう。
日本の未来は、岸田総理の誕生で、さらに暗くなったと思います。
いや、ドツボは、揺るぎのないものになったと思います。
なぜ、よりによってこんな時期に岸田政権が誕生してしまったのか。
ほんとに、不幸が不幸を呼ぶという原則は、半端ではありません。
「では、誰が総理になればよかったのだ」と問われると困ります。
日本の現状を理解している人は、一人もいません。
いや、いるのかもしれませんが、個人の「欲」が優先されています。
ここに登場した、小沢も岸田も石原も、私には「欲」の亡者にしか見えません。国民生活を最優先で考えている人はいません。小沢は、かつて、「国民生活が一番」というスローガンを掲げていたと記憶していますが、あれも「欲」が生み出したスローガンに過ぎなかったということなのでしょう。
小沢さん。
なぜ、「自民党は、国を私物化」しているのでしょう。
そこを、考えてみてください。
目的もなく、責務も明確ではありませんから、国を私物化することが可能なのです。
特に、「欲」では誰にも負けないような人達が政治家になっているのです。彼等にとっては、私物化しないほうが、非常識なのだと思います。
小沢さんが岸田さんの立場にあれば、やはり、「国を私物化」していたと思います。
国民の皆さん、小さなことでも、「これ、なんか、変だな」ということを掘り下げみてください。きっと、「言葉の定義」にぶつかります。どうか、そのことに気付いて欲しいと思います。たかが「言葉の定義」だと思っているのでしょうが、「言葉の定義」をすれば、この国は根っ子から変わります。

別の「私物化現象」を見てみましょう。
自民党は、ドブ板選挙を得意としています。
ドブ板選挙で力を発揮するのが、県議会議員であり市議会議員です。
広島の買収事件でも明らかになった構図ですが、あの構図は広島にだけあるのではありません。全国、どの地域でも、同じことが行われています。広島事件は、氷山の一角にすぎないのです。47都道府県、全域で、行われていることです。
朝日が、新潟5区の「裏金強要疑惑」という報道をしています。
素人の私には、どこまで真実なのかはわかりません。ただ、「火のない所に煙は立たない」という例えもありますので、根も葉もない話ではないのでしょう。
自民党の泉田裕彦衆院議員(比例北陸信越ブロック)が同党の星野伊佐夫新潟県議から「裏金を要求された」と主張する疑惑です。
ドブ板選挙の仲間が、カネのことで、喧嘩し始めたのです。
関係者は「表に出すようなことだったのか」と言っています。こういう話は、裏で決着をつけるものです。
泉田は星野との会話を録音したデータを、県の自民党支部へ提出したそうです。
朝日の取材によれば、その会話は次のような生々しい会話だったそうです。
「このままなら、比例引っかからんから」
「とにかく必要経費を早くまこう、もう余裕がない。選挙がはじまってからなんて、バカはいない。今でも遅いくらいだ」
「2千万や3千万なんかね、もったいないなら人生終わるよ」
「悔いが残る、1億や2億の話ではなくなるから。2千万や3千万の金をね、惜しんで一生投げちゃいけない」
こういう会話が、実際に交わされているであろうことは、容易に想像できます。
ただ、仲間である人達が、裏事情を表に出して、なぜ、争うのか。
多分、泉田も鵺、星野も鵺だとしたら、鵺同士の闘いが場外乱闘になってしまったということなのかもしれません。新潟県民の皆さん、ご愁傷様です。いや、新潟に特有の問題ではありませんので、全国の国民の皆さん、ご愁傷様です。政治家は、誰も、国民生活を守ろうとはしていません。
多分、皆さんは、「ふむ、ふむ」で済ましてしまうのだと思います。
「ふむ、ふむ」が自分の首を絞めていることに、そろそろ気付いたほうがいいです。
今回の騒動の根底にあるのは、「一票の格差」問題だと言われています。
新潟でも選挙区調整が始まると言われています。
国会議員にとっての最重要課題は、「国会議員であり続けること」です。決して、「国民生活を守る」ことではありません。
泉田議員は、次の選挙を考えて、星野県議の追い落としに着手したということのようです。
星野県議は、新潟地方政界では「ドン」と呼ばれるような人だそうですから、党の公認を取るためには、地方政界を自分に有利な人に任せたいと思うのは自然です。
何もなければ、次の衆議院選挙は4年後ですが、衆議院の場合は、途中で、いつ選挙が行われても不思議ではありません。泉田議員の焦りも理解できます。
さて、鵺同士の闘いは、どうなるのでしょう。
お二人は、全力投球で頑張っているものと思いますが、その熱意を、国民生活や住民生活に振り向けてくれれば、少しは国が変わるのかもしれません。

氷山の一角が、時々顔を出しますが、これは、たまたま、の出来事です。
この国は、硬直化した利権構造で運営されているのです。
テーブルの上に税金を乗せて、利権集団がバイキング(喰い放題)をやっているのが日本です。日本って、そんな裕福な国なのでしょうか。
しかし、誰一人、利権を失いたいと思っている人はいません。
いや、利権を守るためであれば、何でもします。1円でも逃しません。
そんな国が、改善や改革で、何とかなるものなのでしょうか。
人間の情念は、「欲」は、半端なものではありません。最強の存在です。
自浄能力や正義や常識に頼っていて、何とかなるのでしょうか。
そうではないと思います。
病も、ここまで重症になれば、手術しか選択肢はないと思います。
国家運営の場合の手術とは、革命のことです。
もちろん、百姓一揆でも武力革命でもありません。
必要なのは、文化の革命です。
「言葉の定義」をするという文化の創造です。
文化の革命には、「お上」に所属する人達の猛反対が起きます。それは、利権を失うことを意味しているからです。「お上」は、「子供達の未来を守る」ためにあるのではありません。「山口組」ではありませんが、「お上組」に所属する組員は、全精力を「自分の利権を守る」ことに注ぎ込んでいるのです。これは、暴力団の構図と同じです。違うのは、その縄張りを国が決めているということだけです。
彼等は権力を持っているのですから、その力は強大です。
そんな国で、革命を成功させようとすれば、方法は一つしかありません。
それは、国民が束になって権力と向き合うことです。
もちろん、こんなことは夢物語です。
しかし、その夢を実現することでしか、この国は救われません。
さあ、国民の皆さん、どうしますか。
このまま、ドツボにはまりますか。
答えてくれなくても大丈夫です。国民の皆さんの答は知っています。
「俺には関係ねぇ」ですよね。
今日取り上げた出来事は、どれをとっても、些細な出来事です。
でも、一事が万事だとすると、この些細な出来事が国を壊す力になり得るのです。


2022-01-05



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長期金利次第で [評論]



今月は、他人様の記事紹介ばかりになってしまいましたが、決して、手を抜いているわけではありません。この国の将来を危惧する方が増えているという現実があります。そういう記事を紹介して、現状認識をすることは、必要だと思っています。
私のような素人が、「日本は、ヤバイことになりますよ」なんて書いても、ヨタ話にしか聞こえませんが、専門家が書き始めたということは、ヤバイ事態が始まるということです。警鐘を鳴らす専門家は、まだ少数ですが、この数が増えると、ほんとに、ヤバイ現実が目に見えるようになるということです。これで、マスコミが騒ぎ始めると、ヤバイ事態は最盛期を迎えているということになります。私の予測は、いつも、まだ煙も見えていないのに「燃えてるぞ」という予測ばかりです。素人の予測は、データもなく、学問的な背景もなく、そこにあるのは直感だけですから、信用されなくても致し方ありません。ただ、私は、この直感が中々の優れものだと思っています。
今日は、経済学者の池田信夫氏の記事を紹介します。
池田氏は、経済学のプロですから、現状分析と将来予測については、的確な見解を示してくれます。ただ、原因究明や対策立案は苦手なようで、「なんとかなるのだろう」「なるようにしかならない」という結論を使いたがる人のようです。
もちろん、誰からも愛されるような人ではないようで、いろいろな批判もあります。日本人には珍しく、あまり「いい人」ではないのかもしれません。ただ、素人の私から見れば、洞察力はあると思います。


池田 信夫氏の記事。
 世界的にインフレ懸念が強まっている。アメリカの10月の消費者物価上昇率は31年ぶりに6.2%になり、FRB(連邦準備制度理事会)は政策金利の引き上げを検討している。日本でも企業物価上昇率は40年ぶりに8.0%になった。
 今回のインフレの原因は一時的なサプライチェーンの混乱だという見方もあったが、12月になってFRBは「インフレは一時的な現象ではない」と見解を改めた。しかし日本の消費者物価上昇率は、11月の速報値でも0.1%である。何が起こっているのだろうか。
「狂乱物価」の原因は過剰流動性だった
 世界的なインフレの直接の原因は、10月の当コラム「脱炭素化で『新型スタグフレーション』がやってくる」でも指摘したように、ヨーロッパを中心とする脱炭素化の動きで化石燃料への投資が減り、資源価格が上昇したことだ。
 しかし原因は、それだけではない。ハーバード大学のケネス・ロゴフは、今回のインフレが1970年代に似ているという。これは一般には「石油ショック」だと思われているが、原油価格の上昇はきっかけに過ぎない。
 本質的な問題は財政赤字による過剰流動性だった。アメリカ政府はベトナム戦争で大きな赤字を抱え、インフレになっていた。そこに1973年10月のOPEC(石油輸出国機構)の原油輸出禁止で原油価格が一挙に4倍になり、世界のサプライチェーンは大混乱になった。
 当時のケインズ政策では、不況のときは財政赤字を増やして需要不足を補い、インフレになったら金利を上げて需要を抑制するのが常識だったが、英米では失業率とインフレ率が同時に10%を超えるスタグフレーションになったので、財政支出を増やした。中央銀行の独立性がなかったので、不況の最中に金利を上げることはできなかった。
 このため企業が資源の買い占めに走り、労働組合が賃上げを要求し、それがコスト上昇を招いてインフレを加速するインフレ・スパイラルが起こったのだ。
 日本でも物価が1年に20%以上も上がる「狂乱物価」が起こったが、その主犯は日銀だった。1973年5月から10%を超えるインフレになっていた。
日銀が1972年からマネタリーベースを40%以上も増やしたのは、1971年の「ニクソン・ショック」後の円高を抑えるための調整インフレだった。OPECは、充満した過剰流動性に火をつけただけだ。
問題は「インフレ予想」の暴走だ
 このとき重要だったのは、インフレ予想が形成されたことだ。たとえば予想インフレ率が5%だったら、労働組合は3%の賃上げに5%上乗せして8%の賃上げを要求し、それが価格に転嫁されるとインフレが加速する。
 1973年の第1次石油危機では日本も大インフレに見舞われたが、1979年の第2次石油危機では、それほど大きなインフレは起こらなかった。このとき日本銀行が、公定歩合を引き上げたためだ。
 それまでの常識では、不況のとき金利を上げることは考えられなかったが、日銀の前川総裁は公定歩合を9%に上げてインフレを抑え込んだ。当時は日本の財政赤字は少なかったので不況はそれほど深刻にはならず、日本は先進国の中でいち早く経済が回復した。
 アメリカでもFRBのボルカー議長は利上げに踏み切り、イギリスでもサッチャー首相が金利を上げた。これは英米では失業率の上昇をもたらしたが、結果的にはインフレが止まり、それによって不況も収まった。
 この経験から考えると、スタグフレーションを防ぐために政府・日銀がやるべきなのは政策金利を上げる出口戦略だが、これは困難である。
 今の日本でインフレ予想が起こっていないのは、日銀が2%のインフレ目標を掲げても、債券市場が信じていないためだが、本当にインフレが起こると市場が予想すると、
 名目金利=実質金利+予想インフレ率
なので、長期金利が上昇する。予想インフレ率を示すブレークイーブンインフレ率(BEI)は今年後半からゆるやかに上がっており、直近では0.4%である。これは債券市場がインフレを織り込み始めたことを示している。
日本の政府債務は70年代の100倍
 今後のインフレ局面で最大のリスクは、ロゴフも指摘するように、物価上昇ではなく金利上昇である。政府債務は、1970年代とは比較にならないほど大きく積み上がっている。日本の国債残高は1971年には9.5兆円だったが、今はその100倍の1000兆円を超えた。
 その半分を日銀が保有しているので「統合政府でみれば心配ない」とMMT(現代貨幣理論)は言うが、これは誤りである。日銀は政府の一部なので、国債を日銀が買うのは親会社の社債を子会社が買うようなものだから、統合政府の債務は同じである。
 国債という長期債務が日銀当座預金という超短期債務に置き換わっただけで、金利リスクは大きくなった。538兆円にのぼる日銀当座預金の金利(今はマイナス0.1%)が2%上がると、年間10兆円以上の金利負担が発生し、自己資本6兆円の日銀は債務超過になる。
 さらに問題なのは、民間の金融機関が保有している500兆円近い国債である。金利が上がると、既発債に評価損が発生する。もしインフレ目標が実現して、1000兆円の国債の金利が2%上がると、約100兆円の評価損が出る。
 日銀の保有資産は取得原価で評価されているが、民間の金融機関の資産は時価評価なので、自己資本の小さい地方銀行は、債務超過になるリスクが大きい。これによって1998年のような金融危機(取り付け)が起こるおそれがある。
 しかし日本では今のところ、消費者物価上昇率は0.1%である。これは20年以上にわたってデフレ基調が続いたため、企業がコストを小売り価格に転嫁しないで賃金を抑制してきたことが原因だろうが、それも限界に近づいている。来年(2022年)の初めにはインフレが始まり、金利も上がるおそれが強い。
 今回は資源価格も脱炭素化が進められる限り、上がり続けるので、インフレ予想が形成されやすい。長期金利は日銀がイールドカーブ・コントロールで抑制できるが、そうすると70年代のようにインフレが暴走する。金利を上げると、金融危機が起こる。
 このジレンマは70年代にはなかったので誰も予想していないが、市場がインフレ予想を信じると、長期金利が2%になることは十分ありうる。そのとき積み上がった1000兆円の国債は、日本経済を破壊する時限爆弾になるのだ。


アメリカのFRBが、3月までに現在の緩和政策を終了し、年内に、3回の利上げを予定していると報じられています。アメリカが動けば、世界は、利上げ方向へ一気に動き出します。利上げに動いている国は、既に、数十カ国あります。
世界潮流が利上げへと動き出せば、日本は窮地に立たされます。
「前門の虎と後門の狼」という言葉があります。前門の虎が金利上昇による金利負担の上昇だとすると、後門の狼は円安よる物価高騰です。どちらも、日本経済を壊します。日本は、前にも後ろにも行けないのです。
日本の国債残高について、MMT論者ではない多くの経済学者が、これまでは「今のところ、問題ない」と答えてきました。誰も「問題ない」とは言っていません。「今のところ」という枕詞が曲者なのです。FRBの発表は、この「今のところ」という枕詞が崩壊する可能性が高くなったことを意味します。
日本国内では、FRBの発表を大事件だと捉えていません。しかし、池田氏は「おい、事件だぞ」と言っています。この点でも優れた洞察力だと思います。
皆さんは、この記事を読んで、どう思いましたか。
MMT理論では「インフレにならないこと」が大前提になっていますので、既に、アメリカではMMT理論は成り立たなくなっています。
MMT理論の壮大な実験場になっている日本が、インフレになれば、池田氏が心配しているように「日本経済を破壊する時限爆弾」が爆発します。
MMT理論では、インフレになれば、貨幣供給の蛇口を絞め、市中から貨幣を回収し、金利を上げなければならないと言っています。アメリカは、それをやろうとしています。
でも、日本は、日銀保有の国債だけでも500兆円もの貨幣供給をやっています。こんな大金、とても、回収はできません。無理に回収すれば、経済が壊れます。
では、金利を上げられるのか、と言えば、金利を上げれば自分の首を絞めてしまいます。
インフレに襲われても、日本には、インフレを抑制する手段がないのです。
ところが、その日本に、インフレの臭いがし始めています。
企業物価と消費者物価の乖離がそのことを示唆しています。
多くの企業が、コストの上昇に苦慮しています。A社だけが値上げをするのは危険です。B社とC社と協議し、カルテルに見えない工夫をしながら、値上げをしなければ、業界の衰退を招くのは止められません。競合会社は、水面下での調整を加速させていると思います。
経済成長をしている国であれば、個人所得が増えますので、インフレとの競争が可能ですが、そうではない日本の国民生活は、一方的にインフレに苦しめられることになります。そういう時代は、既に、目の前にあるのかもしれません。いや、今年がその1年目なのかもしれません。去年から、値上げのニュースは度々報じられています。
もしも、世界潮流がインフレになれば、日本だけが別世界を享受できるわけではありません。それは、原油価格の上昇が日本にも影響を与えたことを見れば歴然としています。
しかし、日本は、インフレになっても、指を咥えて見ている事しか出来ません。
しかも、インフレは、事実上の青天井です。
インフレで何が始まるのか。
長期金利が上昇します。
池田氏も指摘していますが、民間に500兆円もの国債が存在しているのです。
金利が上がるということは、評価損が発生するということです。民間企業は、その評価損を黙って受け入れるようなことはしません。いや、社内規制があって、出来ません。国際規制に合わせるために国内規制があり、国内規制に合わせるために社内規制があります。国際規制を変えない限り社内規制は変えられません。企業は評価損を受け入れられないようになっています。
「1998年のような金融危機(取り付け)が起こるおそれがある」と書いていますが、その前に、民間企業は、国債を手放します。でも、買い手はいません。民間企業は、売り抜けるためにプレミアム金利をつけて、売ることになります。これは、市中から長期金利の上昇が始まるということです。もちろん、クズのような債権でも買ってくれるファンドは海外にはあります。誰が最後にババを引くかというゲームが始まります。このゲームは、日銀も国も止める手立てを持っていません。長期金利は、民間主導で、勝手に上昇するのです。
「国債の金利が2%上がると、約100兆円の評価損が出る」と書かれていますが、金利上昇は2%で収まるという保障はありません。ギリシャが経済危機になった時には、20%以上の金利上昇が起きました。
更に、長期金利は、国債にだけ適用されているわけではありません。地方自治体の地方債にも、民間の社債にも、個人の借金にも影響します。
何が起きるのか、容易に想像できると思います。
そうです。日本経済の、日本の金融システムの崩壊です。
海底火山が噴火して、突如、島ができるように、不良債権の山が、突如として隆起するのです。その身近な例を見てみましょう。
仮に、3000万円の住宅ローンを組んで家を買った人がいたとしましょう。
そして、金利は、0.5%だとしましょう。
長期金利が、10%とか20%になったら、年間で、300万円とか、600万円の利息を支払わなければなりません。ローンの返済が、月額25万円から50万円も増えるのです。多分、この利息を支払える人はいないと思います。住宅ローンを持っている人のほぼ100%に近い人が、破産手続きをしなければなりません。
では、その資金は誰が融資しているのでしょう。
住宅ローンは、金融機関の大きな柱になっています。金融機関は、今ある住宅ローン融資残高分に相当する不良債権を、突如、抱えることになります。
この不良債権に耐えられる金融機関が、何社あるのでしょう。
もちろん、国には財源がありませんから、金融機関に国費を投入することはできません。
金融機関の選択肢は、倒産しかありません。
金融機関が倒産するということは、金融システムが機能しなくなるということであり、経済全体が麻痺することになり、次々と企業が倒産します。路頭に迷う人達が大量に生まれます。大恐慌の出現です。
では、住宅ローンで破産した国民は、家を失った人達は、どこに住むのでしょう。
当然、需給バランスが壊れ、賃貸のアパートやマンションの賃料は急騰します。
車の中で、一家が生活するのですか。
しかも、職を失う人が大量に出るのです。
生活保護を申請しても、国にカネはありません。
このシミュレーションが正しいのかどうかはわかりません。
いや、もっと悲惨な状況になるのではないかと思います。
以前にも書きましたが、長期金利次第で、この国は簡単に破綻するのです。
私が言っている、世界一の貧困国が実現することになるのかもしれません。
インフレ、円の暴落、長期金利の上昇、国力衰退、中国の巨大化とアメリカの衰退。
この国は、四面楚歌の状況にあります。
一番、蓋然性が高いのは、国家破綻だと思います。振り返って見れば、日本は、これまでも、今も、破綻に向けて邁進してきたのです。突然、偶然、破綻するのではありません。日本の破綻は必然なのです。


2022-01-04



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日本再生のステップ [評論]



今日も、記事を紹介します。
大前研一氏の記事です。
最近では、日本の賃金が上昇していないことを多くの方が言うようになりました。
失われた10年という言葉が古くなり、最近は、誰もが、失われた30年と言います。
少しずつ現状認識が広がってきているということだと思います。
今日、大前氏の記事を紹介するのは、彼が「国力衰退」に言及しているからです。
口には出さなくても、多くの方が、漠然と「国力衰退」を認識するようになりました。
しかし、大前氏だけではなく、的確な処方箋を提示している方は、いません。
いや、岸田総理を始めとして、それらしき提案をする方はいますが、とても、処方箋になるような代物ではありません。
日本の病は、軽傷ではありません。生死にかかわるほどの重症です。
その点の認識は、まだ、欠けたままです。
誰もが、改善や改革で何とかなると思っているのです。
成長戦略やイノベーションや表層的な構造改革で何とかなる、と思っているのです。
無理です。
日本の処方箋は、根っ子を変える、文化の革命しかないと思います。
私が、文化とか歴史とか国体のことを書いているのは、根っ子を変えないと、この国は沈んでいくだけだと思うからです。日本が衰退している原因は、民主主義風王政並立封建制度という国体にあると思います。それは、2000年の歴史と対峙しなければならないということです。こんなこと、誰も言いません。国力衰退の原因が曖昧文化だなんて誰も気付きません。でも、原因は、そこにしかないと思います。
実に多くの方が、「何とかしたい」と思って努力してきたと思います。
しかし、トレンドは、全く、変わっていません。
それは、根っ子の原因に気付いていないからだと思います。
文化とか歴史とか国体は、目には見えません。
それは、空気が目に見えない存在であることと一緒です。
ですから、そのことに気付いてくれている人がいません。
「国力衰退」に言及してくれたことは、一歩前進ですが、それは、ほんの一歩に過ぎません。
根っ子に気付くまでには、まだ、長い道程が必要です。
その間、どんどん、この国は衰えていくのです。
でも。
根っ子に気付いたとしても、行動メカニズムを見つけなければ、猫に小判です。
ほんと、気の遠くなるような道程が私達の前にはあるのです。
それでも、一歩ずつでも前進するしかありません。
そういう意味では、貴重な記事だと思います。
「国力衰退」と、その先にある「国家崩壊」を漠然と理解している方は、それなりにいると思います。
しかし、「どうすればいいのか」は誰も見つけていません。
現状認識が出来る人は増えてきましたが、原因の究明が出来ている方はいません。原因を見つけていませんので、対策は作れません。誰もが、結果を、何とか「捻じ曲げよう」とするだけですから、原因を探す努力もしません。
だから、ずるずると、じわじわと、しかし、着実に壊れていっているのです。
日本再生ステップ。
1. 現状の認識。
2. 原因の究明。
3. 対策の立案。
4. 行動メカニズムの発見。
5. 行動。
日本再生までのステップが5つあるとすると、ほんの少数の人達が、1番目の現状認識の一歩目に辿り着いたところです。ステップ2~5は、全くの手付かずです。
日本崩壊との競争ですが、とても、私達に勝算があるようには見えません。


大前研一氏の記事。
本稿執筆時点で、外国為替市場の円相場は1ドル=113円台後半の円安ドル高で推移している。日経平均株価は3万円を割り込んだままで、日本国債の値下がりも進み、日本は円安・株安・債券安の「トリプル安」に見舞われている。
 その一方で、新型コロナウイルスのワクチン接種が進んで世界的に経済活動が再開したため、原油の需要が急拡大して原油価格が高騰し、欧米ではインフレ傾向が強い。日本も円安が重なってエネルギー価格や原材料などの輸入品価格が上昇し、インフレになる可能性が高まっている。
 周知の通り、日本銀行は2013年1月から2%の物価上昇率目標を実現するために大規模な金融緩和を続けているわけだが、これから怖いのは欧米との相対的な金利差でさらに円安が進み、インフレに歯止めがかからなくなることだ。
 しかも、アメリカのFRB(連邦準備制度理事会)が量的緩和の規模を縮小して2022年からゼロ金利を解除(利上げ)する方針を明らかにした。アメリカの金利上昇は世界的な金利上昇につながるので、日本も利上げに踏み切らざるを得なくなるだろう。
 金利上昇は、過去最高の1992兆円(2021年6月末時点)に膨らんでいる個人金融資産を消費に出動させるためには追い風となる。しかし、世界の資金が米ドルに還流してアメリカのインフレが加速すれば、日本も国内需給とは関係なく、アメリカに誘発されたインフレになる。それがコントロール不能な状況に陥ったら、国債を大量に抱え込んでいる日銀がインプロージョン(内部爆発)を起こしてジ・エンドだ。その時は、公的年金積立金の50%を国内の債券と株式で運用しているGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)も道連れである。
 そもそも安倍晋三政権の経済政策「アベノミクス」とそれに呼応した日銀の黒田東彦総裁による異次元金融緩和の「アベクロバズーカ」は、円安とインフレを誘導するためだった。つまり、円安で輸出産業が潤えば賃金が上がり、景気が良くなるという論理だった。
 しかし、アベノミクスのスタートから9年が経過しても、そうはなっていない。結果的に今は原材料の輸入コスト高による企業の業績悪化、商品の値上がり、家計へのシワ寄せ、消費減退など、円安のメリットよりデメリットのほうが大きい「悪い円安」になっている。
 しかも、日本の賃金は20年以上にわたってほとんど上がっていない。厚生労働省の「賃金構造基本統計調査」によると、日本の一般労働者の2020年の平均月給は30万7700円で、2001年からわずか1900円増えたにすぎない。
 また、OECD(経済協力開発機構)の調査では、2020年の購買力平価ベースの平均年収は、日本が35か国中22位の3万8515ドル、韓国が19位の4万1960ドル、OECD平均が4万9165ドル、1位のアメリカが6万9392ドルである。日本の平均年収は、韓国より約40万円、OECD平均より約120万円、アメリカより約350万円も低くなってしまったのだ。
 安倍元首相は、在任中にアベノミクスの成果を強調して「今世紀に入って最も高い水準の賃上げを実現している」と繰り返し喧伝していた。それに対して私は本連載で賃金の国際比較を示して何度も反論してきたが、結局、安倍元首相は自らの非を認めていない。岸田文雄首相も基本的にアベノミクスを継承する方針だから、結果は同じだろう。現在の円安は日本の国力が衰えていることの象徴である。


さすが、大前氏です。的確な現状認識をしていると思います。
「円安は国力衰退の象徴」という見識も間違っていません。
でも、国力の衰退は、結果です。原因ではありません。
国力衰退の原因に言及して欲しかったと思います。
多分、その原因を見つけていれば、彼は書いていたと思います。
大前氏は、本気で、原因究明をしたわけではないと思います。
「国力衰退」に辿り着いて、そこで安心してしまったのかもしれません。
私も、「国力衰退」を見つけた時、「見つけた」と思いましたし、得意気に書きました。
でも、違っていました。国力の衰退は、結果だったのです。失敗です。
「国力衰退」の原因を見つけなければ、全く、意味がない事に気付きました。
ステップ2の、根っ子の原因である文化に辿り着いた時も、同じです。
ステップ3の、対策として「言葉の定義」を提案した時も、そうです。
失敗の連続です。
ステップ5の行動がなければ、何の意味もないのです。
それなのに、私は、まだ、ステップ4の、行動メカニズムを見つけていません。
「お前は、何度、失敗すれば気が済むんだ」と言われても仕方ありません。ほんとに、失敗ばかりです。
これでは、原因も知らず、対策も見つけていない岸田総理と50歩100歩です。
国民が、行動を起こさない限り、何も始まりません。
しかし、これが最大の難関です。
私に、行動メカニズムを見つけることが出来るのでしょうか。
全く、自信がありません。
多分、99%、見つけることは出来ないと思います。
1%の奇跡に賭けるしかありません。
日本は現状を変える必要はなく、再生も必要ないという方は少ないと思います。
変えなければ、変わらなければ、未来はないと思っているから、国民の皆さんは不安なのです。行動メカニズムが見つかれば、国民は行動してくれます。ただ、この国の国民の皆さんは、「奥ゆかしい人」ばかりですから、率先して動くことはしません。「奥ゆかしい人」を、「いい人」を、演じている国民の皆さんが、どうすれば変ってくれるのでしょう。ドツボにはまらないと、変われないのでしょうか。
多分、そうなのでしょう。
ただ、それだと、余りにも犠牲が大きすぎます。
100年も200年も、ドツボの世界で生きていたら、ドツボこそが自分の居場所だと思ってしまうかもしれません。
そうなれば、ドツボから這い上がることだって出来ないかもしれません。
ドツボにはまる前に、行動を起こすべきだと思います。
ステップ5まで進めて、初めて、日本は再生のスタート地点に立てるのです。
と言うことは、途中で挫折すれば、日本再生はあり得ないことになります。私も、途中で挫折することになりそうです。

私が若い頃は、この国は、右肩上がりの国でした。
社会に出たばかりの、しかも事務職だった私が、生産性向上の製造部品を提案し、現場で採用され、生産性が上がったこともありました。これは、老人の昔話や自慢話ではありません。当時は、それが珍しいことではなかったのです。
それは、周りの空気が、そういう空気だったからです。些細なものが集まって、右肩上がりを実現していたのだと思います。
70年前の日本人は、焦土と化した国土を目にして、意志とか、熱意という目に見えないもので、この国を復興させたのだと思います。「何とかなる」と思ったのではなく「何とかしたい」と思う熱意が、奇跡を生んだのだと思います。
敗戦で一時的に統治システムが機能しなくなったことも、国民が熱意を持てる時代を生み出したのかもしれません。日本人は、一時的に「下々」意識を失っていたのです。
環境が、いろいろなものが、絶妙なバランスで、奇跡という結果を生んだのだと思います。一つでも欠けていれば、奇跡は起きていなかったと思います。
今の日本にあるのは、澱んだ空気だと思います。無いのは、「何とかしたい」という意志と熱意とそれらの絶妙なバランスだと思います。だとすると、この国を変えることが出来るのは「文化」くらいしか思いつきません。
もちろん、戦後復興という奇跡を再現できる可能性は残っていますが、「柳の下に二匹目の泥鰌はいない」という諺があるように、同じ奇跡は起きないと思います。それは、過去と同じ環境は、二度と生まれないからです。私達の経験は、何の役にも立たないと思います。
私達は、いつも、何かを創造し続けなくてはならないのだと思います。
これは、簡単なことではありません。
必要なのは、多分、熱量だと思います。
そして、その熱量は、多くの国民の小さな熱量が集まって、国を変えるような熱量になるのではないかと思います。
目に見えない力を、それも二番煎じの力ではなく、新しい力を生み出し、その力を借りないと出来ないことなのかもしれません。
多分、それが、新しい文化の創造なのだと思います。
2000年の歴史で、初めてのことですし、確信はありませんが、個人的な提案に過ぎませんが、「曖昧文化」の対極にある「定義する文化」を生み出すことではないかと思っています。
少なくとも、小手先のスローガンや政策で何とかなるようなものではないと思います。
国力が衰退しているということは、国民が、国力を繁栄させようという意志を思っていないということだと思います。
そんな意志も熱意も感じないのは私だけなのでしょうか。
皆さん、「俺には関係ねぇ」と思っているように見えます。
だから、この国は衰退しているのです。


2022-01-03



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国民だって何もしていない [評論]



先月も数人の方の記事を参照してもらいましたが、この国の現状と将来を心配し、警鐘を鳴らす方が増えていると感じています。
ただ、どなたの記事も、警鐘ですから、実際の対策は程遠いのが現状です。
もちろん、現状認識と警鐘は、どんな時代でも必要です。
しかし。
実際に対策を実施するのは政治の仕事ですが、政治は動こうとしません。
政治を動かすために必要なのは、国民の意識と行動ですが、国民も動きません。
警鐘ばかりが鳴るだけで、何かが変わるという空気は感じません。
「おい、こんなに危機的状態なのだぞ、何とかしろ」という文章と、常識的で表面的な対応策の提案に終始していて、これでは「嘆き節」です。
数少ない警鐘者の腰を折るようなことを言っているのかもしれませんが、気が付いている方には、現状と未来の不安を打破する提案が求められています。
いや、提案だけでは足りません。行動メカニズムの解明が必要です。
結果を出すためには、行動が必要なのです。
国民の皆さんが、どうすれば、動いてくれるのか、そのメカニズムを見つけなければ、山ほどの警鐘を鳴らしたとしても、どんな対策を提示しても、何の効果もありません。
「嘆き節」で終わってしまいます。
私も、警鐘と提案を書いていますが、「嘆き節」に過ぎません。
「俺は警鐘を鳴らしたからな」「俺は提案をしたからな」では、何の役にも立たないのです。
私は、この10年間。
現状を認識しよう。
将来を予測しよう。
対策を考えよう。
それが出来たら完成だと思っていました。
違いました。
行動メカニズムを見つけなければ、全てが無駄になるのです。
何もしなかったことと同じなのです。
その事に気付いて愕然としました。
でも、それが現実なのです。
私は、まだ、行動メカニズムを見つけることができていません。
この先、見つけることができるのかどうか、わかりません。多分、無理です。
当面は、現状認識と将来予測と対策立案という自慰行為を続けるしかないようです。
ま、「何もしないよりは」と自分を慰めながら、やるしかありません。
ですから、このブログを読んでくださる皆さんは、冷ややかな目で見ていただけばいいと思います。実現する目途がないのですから、屁のツッパリにもならない戯言だと思ってくださっていいのです。
ただ、壊れることに変わりはありませんので、自己防衛手段は、考えてください。
間違いなく、この国はドツボにはまります。

今日も、警鐘を鳴らしている方の文章を抜粋転記したいと思います。
植田統さんという方の文章です。
全文を読みたい方は、JBpressのサイトで読んでください。
植田さんも書いていますが、自己防衛手段は、海外移住しかありません。既に、海外移住をした方は先見の明があったということですが、まだ、間に合います。豊富な資産をお持ちの方は、是非、検討してみてください。ただ、私のような貧乏人には、選択肢はありません。貧乏人には、自己防衛手段は、ないのです。世界一の最貧国になって、のたうち回るしかありません。ま、自分が選んだ道ですから、仕方ありません。

植田統さんの記事。
日本の将来はお先真っ暗だ。人口は減る、国内総生産(GDP)は成長しない、国内市場は縮小する、財政赤字は膨らみ続ける、給与は上がらない。その一方で、デフレが続いたおかげで物の値段は安く、国民の生活は安定している。
 でも、それは「今のところは」という但し書き付きの状態だ。なにせ財政は破綻しかかり、それに対して政治家は何のアクションも起こそうとしないどころか、さらに財政を悪化させようとしているからだ。
 そんな状況を見て、海外のグローバル企業は日本を見捨て始めた。日本企業も生産拠点を海外に移転し、日本で稼いだ巨額の資金を海外企業の買収に投資し始めた。
 個人レベルでも、優秀な人材は日本企業を見捨て外資系に転職し、若くてアグレッシブな起業家はシリコンバレーや深圳に活路を求め、資産家は海外株への投資を本格化させ始めた。
 こうした現実を直視し、それを止める魅力的な方策を今のうちに打ち出さないと、日本国自体が空洞化し見捨てられていく。それなのに、岸田総理にとてもその覚悟があるとは思えない。
国内全法人ベースの海外生産比率(海外の現地法人の売上高を海外に出ていない企業を含めた国内の売上高と現地法人売上高の合計で割ったもの)は、2010年度には18.1%であったものが、2018年度には25.1%へと伸びた。
 海外進出企業ベースの海外生産比率(海外の現地法人の売上高を海外進出している企業の国内売上高と現地法人売上高の合計で割ったもの)はさらに大きく、2010年度に31.9%であったものが、2018年度には38.2%だ。最も海外生産が進んでいる輸送機械では、国内全法人ベースの海外生産比率が46.9%にも達しているのである。
 日本企業の海外M&Aについては、2010年に300億ドル(約3兆円)だったが、2018年には1680億ドル(約17兆円)にまで伸びている。ちなみに、日本企業の設備投資金額は49兆円だから、いかに大きな金額が海外M&Aにつぎ込まれているかがわかる。
 これに対し、日本企業同士のM&Aは900億ドル(約9兆円)程度、海外企業による日本企業のM&Aは100億ドル(約1兆円)にも満たない。日本企業の多くが、海外市場に活路を求め、海外企業は日本市場を見捨てている。
本屋に行って株式投資の本を見れば、米国株投資が全盛であり、日本株より米国株に投資をした方が得だと思う投資家が急激に増えていることがわかる。政府が設立しようとしている大学向けの10兆円ファンドも、海外投資をして運用利回りを上げることが前提だ。 
 なぜ日本企業も日本人個人も日本脱出を試みるのか。その原因は明らかだ。
 毎年40~50万人の人口が減る人口減少社会となって、国内市場が縮小していく。しかも、高齢化が進んでいくから購買力も低下していく。この結果、日本企業の国内売上は低迷する。だから、海外市場出ていくしかなくなる。でも、海外市場でも、動きの早い欧米企業や中国企業との競争には勝てない。
こうした状況を打開するには、ビジネスモデルを変革し、自ら新たな技術、新たな市場を開拓しなければならない。だが、会社の経営陣は頭の固い年寄りばかりで、ITもグローバルもわからず、若手の出してくる革新的な提案を受けいれない。いつまでも様子見が続き、それが競争力の低下に拍車をかけている。新しい技術や市場というものがわからないので、リスクを取って決断する勇気がないのだ。
過去30年競争に負け続けた日本企業に勤めるビジネスパーソンは、戦意を喪失している。自分の懐具合を見れば、給与も増えていない。もはや韓国にも給与で抜かれてしまったというニュースに愕然とする。日本国を見れば借金だらけ。年金財政、健保財政も悪化し、自分の将来への不安が募る。
 今のうちにもう少し稼いでおきたいと思うが、他の日本企業へ転職しても給与は上がらない。そこで、外資系企業への転職を考えてみたものの、英語ができず国際性もないので、とてもやっていける自信がない。ましてや、海外へ行って働くという勇気もない。つまり、八方ふさがりという現実に慄然としている状況だ。
その時に、個人レベルでできることと言えば、自分の資産の国際化しかない。そこで、思いついたのが米国株投資だ。
 一般のビジネスパーソンレベルだとこれ以外にできることはないが、超のつくお金持ちは、相続税のないシンガポールに全財産を持って移住する人もたくさんいる。
日本国、日本人の根本的な考え方、マインドセットを変えていかなければ、何も変わらない。時間のかかる作業であるからこそ、早急に変革に取り組み始めることが必要だ。


この方は、日本人の「考え方」を変えなければならないということに気付いています。
その通りだと思います。結果を変えるのではなく、「考え方」を変える必要があります。このことに気付いている方は、ほんとに、少ないです。私が提唱している「曖昧文化」を「定義する文化」に変えることも、「考え方」を変えることです。
ただ、それを実現する方法がないのです。
これまでも、じわじわ、ずるずると衰えてきたこの国は、この先も、粛々と、衰え続けます。つまり、この国は、ご指摘の通り「お先真っ暗」なのです。
国民の皆さんは、「いい人」で「大人しい人」で「奥ゆかしい人」ばかりですが、この「お先真っ暗」は感じ取っています。だから、不安なのです。
しかし、行動はしません。
それは、「いい人」を演じることをやめた時に、何が起きるのか不安だからです。
2000年も演じ続けてきたのですから、そう簡単にはやめることができません。
でも、今起きていることは、日本史上、初めての試練です。
「何とかなる」ような代物ではありません。
皆さんが感じている不安を不安のままにしておけば、ドツボにはまるのです。それも、半端なドツボではなく、世界一の貧困国になるのです。北朝鮮の国民でも、真っ青になるくらいの貧困国になるのです。
国民が「何とかする」しか方法はありません。
そんなことは、政治の現実を見れば歴然としています。「お上」に期待をしていても、何も実現しません。
国民の皆さんは、今、判断を求められているのです。
ドツボにはまるかどうかの判断です。
今のところ、皆さんは、ドツボを選択しています。
「俺は、そんな選択していない」と言うでしょう。
いや、いや、私は、皆さんが積極的に選択しているとは言っていません。
「何もしない」という選択も、立派な選択なのです。
それは、ずるずる、じわじわ、粛々、という壊れ方を見ればわかっていただけますよね。
皆さんは、「何か、しましたか」
いいえ、何もしていません。
「俺には関係ねぇ」と言っているだけです。
これこそ、究極の自己責任だと思います。
皆さんが選んだ道ですから、私に四の五の言う権利はありません。
「どうぞ、ご自由に」としか言えません。
今は、まさに、正念場です。「背に腹は代えられない」状況にあります。
「いい人」を演じ続けることをやめるよう、提案したいです。
最貧国になってから、「俺達には生きる権利がある」なんて言ってみても、何の役にも立ちません。「どうぞ、勝手に、生き残ってください」と言われるだけです。
今なら、まだ、国民が一丸となれば、もしかすると、生き残る道があるかもしれません。
挑戦する価値はあると思います。
それでも、国民の皆さんは、きっと、「何もしない」のだと思います。
ですから、皆さんが責任を取るのです。
これ、当たり前のことです。
どうして、このことに気付かないのか、私には理解できません。
諄いようですが、誰のせいでもありません。国民の皆さんが選んだことです。


2022-01-02



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消極的選択でも崩壊は崩壊 [評論]

消極的選択でも崩壊は崩壊


この世には、正面切って逆らえない言葉がいろいろとあります。今日のテーマの「歴史と伝統」も、その1つです。
「歴史と伝統」という言葉を、どちらかと言えば、誇らしく受け止めている方が多いのではないかと思います。
いや、少し、表現を変えてみましょう。
「歴史と伝統」を積極的に否定する方はいないのではないでしょうか。
いや、もう少し、変えてみます。
そもそも、巷で言われている「歴史と伝統」って、何でしょう。
誰も、こんな疑問は持ちません。
何となく、「ふむ、ふむ」で、受け入れているのではないでしょうか。
天皇崇拝者、神社集団、多くの自民党議員は、「歴史と伝統」を口にします。
「歴史と伝統」は、私達が、敬意を払い、尊重し、従うべきものなのでしょうか。
違うと思います。
もちろん、これは個人の勝手な言い分です。私は「歴史と伝統」なんて「糞喰らえ」と思っています。そんなものよりも、今生きている国民の生活を、未来の国民の生活を守ることのほうが、はるかに重要だと思います。言い換えれば、過去よりも、現在と未来のほうが私達には重要だと思うのです。
変人の私が言うことですから、これは戯言だと思って読んでください。

さて、「歴史と伝統」は、私達の生活を楽にしてくれるのでしょうか。
もちろん、生活にゆとりがあり、趣味三昧が許される時代であれば、「歴史と伝統」は立派なアイテムになると思います。環境次第で「歴史と伝統」の価値は変わります。
今は、「歴史と伝統」が価値ある存在の時代なのでしょうか。
いつの間にか、深く考えることもなく、歴史を大切に、伝統を大切に、と思ってしまっているように見えます。いわゆる、空気です。「歴史と伝統」も、この国を動かしている空気の1つだと思います。目に見える利益はありませんが、逆に、直接の害はありませんので、いや、害はないと思い込んでいますので、歴史と伝統に目鯨を立てる人はいません。
確かに、権力者から見れば、「歴史と伝統」は華々しくて、誇るべき、成果なのかもしれません。でも、私達は権力者ではありません。
歴史って、何でしょう。
日本史年表を見れば一目瞭然ですが、権力者の歴史が書かれています。権力者の歴史だけが私達の歴史なのでしょうか。
もしも、庶民の歴史が歴史年表になったら、誇らしい書き物なのでしょうか。
もしも、庶民史を書けば、そこに書かれるのは、凌辱であり、強制であり、略奪であり、貧困であり、血と涙だと思います。
多くの庶民の貧困がなければ、文化や伝統は生まれませんでした。
庶民にとっての「歴史と伝統」は、本当は、屈辱の歴史なのです。
神社仏閣や都の建造物、大仏や仏像、枕草子や源氏物語、私達が誇りに思っている文化は、どうやって生まれたのでしょう。庶民の犠牲なしには生まれませんでした。
「歴史と伝統」を正当化し、誇りだと勘違いさせているのも、権力者の利益のためです。
「歴史と伝統」を大事にするということは、「お上」と「下々」という関係を容認することです。それが、歴史ですから。
こんなことを書くと「お前は、左翼か」と言われると思いますが、私は、左翼ではありません。右翼に異を唱えるのが左翼ではありません。
右翼の方が1割、左翼の方が1割だとすると、8割の方は、右翼でも左翼でもないのです。しかし、この8割の方は、寄るべき理念がないために、流浪の民になっています。皆さんは、天皇制や封建制がいいのですか、それとも、共産国家がいいのですか。そんな方は少ないと思います。明らかに、民主制がいいと思っている方が大半だと思います。しかし、民主主義の定義が曖昧なために、国民の理念になれていないのです。だから、「右か、左か」と言ってしまうのです。
封建制度でもなく、共産国でもなく、民主国家であることが庶民の本音です。

国民による国民のための国が民主国家だとすると、国は、国民生活を守ることが最優先課題になります。
しかし、貧しい人が増えているのが現状です。
国民生活が守られているとは、言えません。
全国に、「子ども食堂」が増えていることを見ても、明らかだと思います。
一方、権力者と言われる人達(お上と呼ばれるグループに所属している人達)は、庶民の数十倍の収入を得ていて、我が世の春を謳歌しています。
「お上」の一員になった国会議員は、口には出しませんが、「俺は頑張って国会議員になった。お前は頑張ったのか。これって、自己責任なんじゃないか」と思っているようです。
誰だって、自己責任だと言われれば、反論できません。でも、「お上」の一員になることが国民の目標なのでしょうか。
「お上」と「下々」という認識は民主国家では存在しないはずですが、民主国家に「お上」と「下々」という形を無理にはめ込もうとしているから、この国は衰退しているのです。
「下々」だと決めつけられた国民は、つい、「俺には関係ねぇ」と思ってしまいます。国力が国民力だとすると、主役である国民が「俺には関係ねぇ」と言っていて、国が繁栄するとは思えません。
だから、国力が衰退し、貧困層が増えているのです。
私達の国は、民主国家という看板は掲げていますが、民主国家ではありません。
それは、民主主義の定義も、国の定義も、国民の定義もないからです。
「なあ、なあ」「まあ、まあ」という空気で運営されているのです。「歴史と伝統」もその空気を生み出している一つです。
私達の国は、「歴史と伝統」に従い、民主主義風・王政並立・封建制度という制度で国家運営をやっているのです。この制度は、定義がありませんので、何でも正しいのです。何でも正しいということは、力関係で正しいことが決まってしまうのです。
では、左翼の方が言うように、貧しい人に、カネをばら撒けばいいのでしょうか。
そうではありません。
貧しい人を作らないような国家運営をしなければならないと思います。
それでも、不運は、いつの時代でも健在です。ですから、全ての国民が貧しくならないという国家運営はできません。ですから、1億2千万人で、100万人を助けるシステムは必要です。でも、1億2千万人で国会議員や官僚の優雅な生活を支えるのは間違いです。
では、どうすれば、貧しい人を作らないような国家運営ができるのでしょう。
国の目的と国民の目的を作り、国の責務と国民の責務を明確にし、限りなく全員で豊かな国を作ることです。
人間も動物ですから、栄養を摂らなければ生きていけません。そのためには、カネが必要です。ですから、国民は富を創り出さなければなりません。これは、人間の宿命です。人類が誕生した時から、ずっと、私達は食べるために生きているのです。これは、最強で最大の原則なのです。
私達は、「歴史と伝統」で飯を食っているわけではありません。「お上」が推奨する「歴史と伝統」は、腹の足しにはならないのです。「歴史と伝統」は、「お上」が「お上」という立場を守りたいための材料に過ぎません。何よりも、庶民にとっての「歴史と伝統」は、屈辱以外の何者でもありません。
「歴史」とは、2000年も続く、「お上」と「下々」という社会を指しているのです。
「お上」と「下々」という目に見えない呪縛から自由にならねばなりません。もちろん、この「お上」と「下々」という社会で、私達が幸せになれるのであれば、何の問題もありません。「下々」でも万歳です。しかし、もう、このままでは、私達は生き延びることですら無理になりつつあります。
もう、手遅れかもしれませんが、いや、手遅れだと思いますが、この国に必要なのは、国民が意識を変えることです。社会を変えることです。極論であれば、市民革命でもいいと思います。私達は「下々」ではなく「国民」になって、頑張るしかないのです。
誤解があるといけませんので、あえて、書きますが、「国民のために」「国民に寄り添って」「貧しい人達にカネをばら撒け」と言っている野党の皆さんも、「お上」の一員です。しかも、何の役にも立たない、理念の欠片もない、ただのゴク潰しにすぎません。自民党が悪代官だとすると、野党の皆さんは、文句タラタラの「お上」に仕える下男にすぎません。
歓迎はできませんが、自民党が権力を維持したいと思う気持ちは、理解できます。いや、人間は「欲」の塊ですから、仕方ないと思います。たとえ、自民党が「自分さえよければ」をやっていても、それを阻止する方法がないのであれば、国民が市民革命を起こせないのであれば、諦めるしかないのかもしれません。
でも、国民から数千万票の支持を貰っている野党は、それでいいのでしょうか。
理念を確立し、市民の先頭に立って市民革命をするだけの義理はあるのではないでしょうか。多分、そんな気はないのでしょう。とりあえず、今のままでも、数千万円のカネは貰えますから。
今、この国に必要なのは、言葉の定義であり、目的と責務であり、市民革命を含む国民の「熱」だと思います。死になくないのであれば、行動するしかありません。今こそ、百姓一揆を起こす時だと思います。
なんてことを言っても、誰一人賛同してくれる人はいません。
ですから、この国は、粛々と、壊れ続けます。
国民の皆さんは、消極的選択ではありますが、崩壊を選択しているのです。
「俺は、知らなかった。そんな話、聞いていない」なんて言わないでくださいよ。
皆さんには、それを知る責務があるのです。

このまま時代が流れていけば、経済の視点でも人口の視点でも、私達の国は時代を遡ることになるかもしれません。平安時代へ、縄文時代へと向かいます。
では、平安時代は、「歴史と伝統」が褒め称えるような、優雅な世界なのでしょうか。
平安時代と言われれば、十二単を連想される方もいるかもしれませんが、私が想像しているのは、庶民の暮らしのことです。芥川龍之介の「羅生門」を思い出してください。羅生門の界隈は死体の捨て場所になっていたのです。貧乏人が貧乏人の身ぐるみを剥ぐような時代の話です。
小説の中の光景ですが、現代の私達には想像もできない世界なのでしょうか。
私には、それほど遠い世界だとは思えません。
人間は、貧すれば鈍するのです。日頃、どれほど立派なことを言っていても、自分の身が危険になれば、生き残ろうとするのです。それが、人間です。
例えば、財政破綻をし、巨大地震に襲われ、凶作に見舞われ、食糧が枯渇した時、私達はどうするのでしょう。何度も書いていますが、不幸は束になってやって来るのです。
私は、「いい人」ではありませんが、「いい人」を演じることはできないと思います。必死に生き残ろうとすると思います。
国民の皆さんは、「いい人」を演じ続けるのでしょうか。
そうは、ならないと思います。
それでも、縄文時代まで遡ってしまえば、それなりに落ち着くのかもしれません。
人口の規模では、平安時代が500万人、縄文時代が数万人です。
平安時代の人口構成では、85%が農民でした。縄文時代は、ほとんどの人が、農耕と狩猟で生きていました。私達も、食うためには、農民になるしかありません。
他国に征服されなければ、日本の将来も、同じような人口構成になるものと思います。
これ以上想像すると、更に悲惨な未来になりますから、想像しません。
縄文時代も平安時代も私達の歴史です。
ただ、平安時代と言っても、平安絵巻のような優雅な世界ではなく、「羅生門」の世界へ戻るということです。
皆さんは、「歴史と伝統」を誇りにしますか。

この国のあり方に大きな影響を与えた人物がいます。
徳川家康という人です。彼は、凄い人だと思います。
平安時代にも戦国時代にも「お上」と「下々」という形はありましたが、それを完成させたのが徳川家康だと思います。
織田信長が天下を統一し、信長流の統治をしていれば、この国は別の国になっていたのかもしれません。
1603年に江戸幕府を開き、260年にわたる徳川時代の基礎を作りました。
それだけではありません。
2022年の今日も、家康が完成させた「お上」と「下々」は健在です。
家康は、死後、日光東照宮へ祀られましたが、そこにある三匹の猿は、今でも、日本中に睨みを利かせています。
400年間、影響を与えている人物は、徳川家康だけではないでしょうか。
でも、その400年の間に、何人の人達が理不尽な死を迎えたのか考えたことはあるのでしょうか。女性差別も根深く残っています。
これが、私達が大切にしている「歴史と伝統」の正体です。
昔も今も、貧乏人は虫けらと同じなのです。
この国は、2000年間ずっと、今でも、「お上」のための国です。
私達には、今の生活があり、未来の生活があります。「歴史と伝統」が私達の生活にとって利益でないのであれば、何の意味もありません。
国というシステムを運営する人達は必要ですが、「お上」は要りません。
皆さんは「下々」でいいのですか。
なんてことを言っても、どうすることもできませんよね。
何一つ確かなことはなく、全て、曖昧の中で、決まってしまうのですから、どうすることもできません。もちろん、独裁国ではありませんので、「お上」だけが得をしているわけではありません。貧乏人にも、おこぼれはあるのです。この匙加減が、実に絶妙に運営されているのです。
庶民は、貧乏人は、「お上」の国を打倒すべく立ち上がろうにも、立ち上がれません。
それは、根拠がないからです。
だから、「俺には関係ねぇ」と言うしかないのです。
コロナという大惨事に見舞われても、50%台の投票率に終わってしまうのは、多くの国民が「俺には関係ねぇ」と思っているからです。いや、手の打ちようがないと思っているからだと思います。
それは、この国が、民主主義風王政並立封建制度というやり方で運営されているからです。
「歴史と伝統」という呪縛のなかにいるからです。
今の私達の生活や、子供達の未来の生活よりも「歴史と伝統」のほうが大事なのでしょうか。
こんな視点で「歴史と伝統」を見る人はいないのでしょう。
見直してみませんか。
私は、私達の生活や子供達の未来の生活のための価値基準を作りましょう、と提案しています。そのために、「言葉の定義」をしてみてくださいとお願いしています。
このことに気付いてくれる日が来るのでしょうか。
国民の皆さんは、行動してくれるのでしょうか。
多分、そうはならないと思います。
それでも、奇跡が起きることを願って、書き続けるしかありません。


2022-01-01



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