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古い格言は生きています [評論]



「後悔先に立たず」という格言があります。
ほとんどの方が、実際に体験したことのある格言です。
しかし、それなのに、いつも、私達は同じ過ちを繰り返します。
ですから、この過ちは、今後も、永遠に、続けることになると思います。
ま、私達は人間ですから、仕方のないことです。

ここで、今、まさに不幸のどん底にあるウクライナで、ある方がインタビューした記事から、今のウクライナ人の後悔を見てみましょう。戦争が始まってしまったことによる、後悔の言葉です。まさに、「後悔先に立たず」の実例です。
「まさか攻めてくるとは思わなかった」
「最後の最後まで信じていませんでした」
「攻めてくるかもしれないという人もいたが、私も私の友達もそんなことは起こるわけないと信じていなかった」
「ロシアの侵攻を防ぐために、自分の国の政府を慎重に選ぶことが必要だった」
「この国では汚職が多く、たくさんの政治家が賄賂を使って当選している。だが、政府の人は安全な執務室から出てくることはなく、被害にあうのは市民ばかり。だからこそ、政府には友好的な外交を結んでほしい。我々はもっと外交政策が得意な政治家を選ぶべきだった」
「ロシアとウクライナの国境に壁を建設しておけばよかったんだ」
「ウクライナは旧ソ連の一部であった際に核兵器が配備されていたが、独立時に自己防衛のための核兵器を撤廃した。今、思えば、当時の政治家の決断は間違いだった。なぜなら、私達が核兵器を撤廃したせいで、ロシアは自信を持ってウクライナへの侵略を開始したのだから」
「もし戦争が始まると知っていたら、自分の子どもたちを守るために銃の扱い方を学んだり、数日間耐えしのげるだけの食糧の確保をしていただろう。また、身の安全のために家の地下に防空壕を掘っておいたと思う」
「2014年にクリミアとドンバス、ルガンスクを奪われた時に、軍事力の増強をしておくべきだった。それなのに何もせず、さらにこの8年間で我々の警戒心は途切れてしまい、今日の結果になった」
「戦争を引き起こさないためには、より多くの武器を生産したり、購入したりすることが必要だったんだ」
「私だったら、オリガルヒ(旧ソ連圏で力を持つ財閥)からお金を回収して、日本や韓国、台湾から多連装ロケット砲などの武器を購入していた」
「ウクライナは自国の防衛のために、もっと武器を用意すべきだった。もっと飛行機や戦車、もっと強い武器が必要だったと思う」
「日本だっていつ攻められるかわからないのだから、備えるべきだ」
「他国との同盟や外交努力をすべき」
「食糧供給などを見直すべき」
「政府に泣きつく前に、自分たちの領土を守るという強いコミュニティを持つことだ」
「ウクライナには、『もし平和を望むのなら、戦争に備えなさい』という格言がある。平和を望むなら、平和を守るための戦争に備えなければいけない。もちろん戦争なんて起こらないことが一番ですが、平和を守るためには有事に備えるべきです」

いくら後悔しても、いくら嘆いても、ロシアの攻撃は毎日続いています。いや、まだまだ、続きます。
ロシアの攻撃によって、人々の生活に欠かすことができない、電気・ガス・水道も被害に遭っています。現地からの映像は、ボロボロに破壊された集合住宅ばかりです。
でも、今は、戦争に負けたら、もっと悲惨な目に遭うことが想像できるから、未来を救うためにウクライナ人は戦っています。
想像力を持つのが遅すぎたことで、これだけの被害に遭っているのです。
これが、「後悔先に立たず」の現実です。
ウクライナの人達は、自分に、国民に、問題があったことを認識しています。
それが、正しい認識だと思います。
私は、この戦争が始まった時から、ウクライナに問題があったと書いてきました。ロシアに戦争を始めさせた、プーチンに、簡単に勝てると思わせたウクライナの失態です。想像力があれば、プーチンの妄想は防げたと思います。

世界の主要国は、ほぼ二分され、第三次世界大戦の機運は盛り上がっていますが、今日は、第三次世界大戦の話ではありません。もちろん、第三次世界大戦への備えも必要ですが、日本には、それ以外にも、国民生活を破壊する未来が待っています。それが、自分で勝手に壊れる「自壊」です。
ここでも、必要になるのは、想像力です。
日本は、今、じりじりと、ずるずると、壊れ続けていますが、いつかは、大きく壊れる日がやって来ます。
その時、私達は、何に困るのでしょう。
国が崩壊するということは、通貨の価値が無くなるということです。日本円の価値が無くなれば、国民生活の基盤である燃料と食料の輸入が出来なくなるのです。
政府は、最後まで水道の供給には、全力を挙げると思いますが、電気・ガス・鉄道・運送という社会インフラは、経済原理で動きますから、崩壊からそれほどの時間を経ずに供給が停止されるものと思います。
スーパーやコンビニも消えます。
一番困るのが、食料の確保です。
人間は、食べなければ生き続けられません。
1週間くらいなら、水だけで生き延びることもできるかもしれませんが、1カ月は無理です。
「戦後の食糧難の時代も、何とかなったじゃないか」と言う方もいるかもしれません。
何とかなったのでしょうか。
栄養失調で多くの方が亡くなったことは、あまり知られていません。
食料の確保が、どれだけ大変だったのかを知っている人も少なくなりました。
ひもじさを知っている人も、私達の世代までだと思います。
更に。
敗戦の時の環境と、今の環境は、違います。
多分、一番違うのは、当時は、「復興」という暗黙の目的が国民に共有されていたことだと思います。今は、目的がありません。ただ、今日は、それ以外の物理的な違いを見てみます。
敗戦時の人口は、約9000万人でした。食料自給率は約70%でした。
今は、人口が1億2000万人で、食料自給率は約40%です。
農地が、農業従事者が、どれだけ減少したのか調べていませんが、激減していると思います。取り敢えず、頑張るしかないと思うかもしれませんが、頑張れる場所(農地)も、頑張る人(農民)も減少していますので、無い袖は振れませんので、「何とかなる」ことはありません。
敗戦時の環境と今の環境は、全く、別物なんです。
ですから、大量の餓死者が出ることは、避けられません。
何人の餓死者が出るかは、その時になってみなければわかりませんが、数百万人とか数千万人の可能性だって否定できません。
こんなこと、皆さんは、想像しているのでしょうか。
そうは、思えません。
「ああ、あの時・・・・・・」になるのは容易に想像できます。
未来の皆さんが「あの時」というのが、今です。
私は、極度の悲観論者ですから、「不幸は不幸を呼ぶ」と思っています。
破綻した日本で。
東南海地震や首都直下地震が起きたら。
中国が軍事侵攻してきたら。
北朝鮮のミサイルが飛んで来たら。
異常気象で農作物が大きな被害に遭ったら。
原子力発電所が事故を起こしたら。
どれも、あり得ないことではありません。踏んだり蹴ったりの事態だってあり得るのです。
だとすると、「自壊」なんてことは、あってはならないことです。
でも、国力衰退は進行しています。「衰退」の先にあるのは「崩壊」です。
ですから、国力衰退を止めることは不可避であり、喫緊の課題です。
そのことを理解している方はいるのですが、その方法を見つけることができません。
今、どうしても、必要なのが、想像力だと思います。
ただし、単に、想像力があればいいのか、と言うと、そうではないようです。
日本人の、とくに頭脳明晰な人材を集めている場所が、官庁です。頭脳ということでは、大企業を何十社集めても、官庁に太刀打ちできません。
官僚の皆さんは、知識も豊富です。数字の意味も理解しています。想像力も持っています。
しかし、実際には、そんな頭脳明晰集団が束になっても、国力衰退を阻止できていません。もう、30年、いや、50年、いやいや、80年、彼等の頭脳は、本来の働きをしていないように見えます。
だとすると、想像力というものには、いろいろな想像力が存在していて、官僚機構には、今、必要とされている想像力が欠けていると考えざるを得ません。
そうだとすると。
私は、官僚に欠けているのは、妄想力なのではないかと思います。もしも、妄想力が必要だとすると、官僚の皆さんの頭脳明晰が邪魔しているのではないでしょうか。優秀であるがゆえに陥っている国家運営連続失敗なのではないかと思います。
私には、官僚の皆さんは、この30年間、まるで、二〇三高地の戦いのように、玉砕戦を挑んでいるように見えます。歴史上の二〇三高地では、勝ち戦になりましたが、平成・令和の戦いでは、勝ち戦になりません。ただただ、消耗するだけです。
妄想力を働かせて、文化の革命が必要だということに気付いて欲しいです。


2023-06-05



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F16戦闘機の供与 [評論]



ロシアの大統領であるウラジミール・プーチンというたった一人の人物の決断が、世界中をかき乱しています。ロシアとウクライナを壊しているだけではなく、世界のあらゆる国々を、この戦争のコストを負担せざるを得ない状況に追い込みました。地球上に生存する数十億人の人間の中の、たった一人の人間の決断が、全ての人に負担を強いているのです。たとえ、この戦争が終わっても、人々の負担は続きます。
今日は、今も続いている戦争の、少し先を想像してみます。

G7の直前、イギリスとオランダが、ウクライナへの戦闘機供与の枠組みを作りました。
そして、G7では、アメリカが欧州の保有しているF16戦闘機の供与を承認する方向へと舵を切りました。
このことは、ウクライナ戦争に大きな影響を与えます。
F16戦闘機の訓練が、3カ月かかるのか半年かかるのかはわかりませんが、もしも、F16戦闘機が投入されたら、戦況は大きく動くとされています。
ウクライナが、今、準備している春の大反撃を延期して、F16戦闘機を待ち、秋の大反撃を実行すれば、ロシアは危機的な状況を迎える可能性があります。
もちろん、F16戦闘機ではゲームチェンジャーになれない、と言う人もいますので、あくまでも、個人的な想像です。しかも、私は素人ですから、信用していただかなくてもいいです。
それでも、F16戦闘機は、多目的戦闘機で、いろいろなことが出来ます。一世代前の戦闘機ですが、空対地の能力が優れています。ウクライナにあるロシア軍のレーダー施設や地対空ミサイルの施設を攻撃する能力があります。これは、ウクライナが航空優勢を獲得する可能性があるということです。
ウクライナ戦争の当初、飛行場への攻撃もありましたし、ロシアの空挺部隊も投入されましたが、その後、ロシア空軍は活躍していません。ウクライナ領から離れた場所でのミサイル攻撃はしますが、ウクライナの上空を我が物顔に飛び回るような活躍をしていません。近代戦では航空優勢が基本だと言われていますが、この戦争では、ロシアもウクライナも航空優勢を持てていません。
もしも、F16戦闘機が投入されることで、ウクライナが航空優勢を獲得すれば、ロシア地上軍は、かなり、苦しい戦いをしなければなりません。ロシアが構築した防衛線は、対戦車戦を想定した防衛線です。防衛線の後方にあるレーダー、ミサイル、長距離砲。補給基地を攻撃されたら、前線は戦闘力を失います。
F16戦闘機の供与は、この戦争の様子を一変させる可能性があるのです。
もしかすると、ロシア軍は、東部からも、南部からも、クリミアからも撤退を余儀なくされるかもしれません。
ウクライナがロシア領に攻め入ることは、NATOの反対があって出来ないと思いますが、明らかに、ロシアの負けになります。
そうなった時に、プーチンは権力を維持できるのでしょうか。
それが、大問題になります。
もしかすると、失脚するかもしれませんし、国外逃亡を余儀なくされるかもしれませんし、暗殺されるかもしれません。
プーチンにとっては、大変、ヤバイことになります。
では、プーチンは、そんな状況を座して見ているのでしょうか。
そんなことはしないと思います。
専制君主にとっては、地球よりも、人類よりも、国よりも、自分の命が一番重いのです。
プーチンは、持てる力を全て使うと思います。
プーチンの最後の切り札は核兵器です。
もう、これまでのように、恫喝のための核兵器ではなく、戦況を変えるための兵器として使うことになります。

ロシアの戦争分析は、第二次世界大戦当時のままなのかもしれません。
近代戦では、航空優勢が戦争の帰趨を決めることは常識とされていますが、ロシアでは、そうなっていないのかもしれません。大祖国戦争の記憶が強すぎることと、最後には核兵器があるという神話があり、戦争分析が近代化しなかったのかもしれません。
戦争開始当初、ロシア軍は航空優勢を取るチャンスはありました。一時的に、ロシアが航空優勢を獲得したように見えた時期はありましたが、結果的に失敗しました。
もしも、ロシアが航空優勢を持っていれば、NATOから搬入される武器弾薬を、その搬送路上で叩くことができたはずです。未だに、ウクライナの鉄道は機能しています。
では、ロシアの基本的な戦略はどこにあるのでしょう。
ロシアは、部分動員で30万人の兵士を投入しましたが、今も、40万人の職業軍人を募集していますが、総動員令という噂もありますが、これらは、どれも人海戦術です。ロシアには、第二次世界大戦でドイツと戦い、2000万人の犠牲を出しながらも、ドイツに勝ったという過去があります。ロシアでの、あの大祖国戦争と言われる戦いは、その後のロシアに大きな影響力を残したようです。今やっている人海戦術は、同じことをやろうとしているのかもしれません。
ロシア軍の参謀の能力がどれほどのものかはわかりません。でも、航空優勢が戦争の最大の要素であることに気付かないとは思えません。ただ、F16戦闘機の供与が実現し、ロシア軍の後方部隊が叩かれてから気付いたのでは遅いと思います。
今は、まだ、「戦争をエスカレートさせるような支援はやめろ」と非難するだけです。
今のロシア軍に危機感があるようには見えません。
F16戦闘機が実戦に参加するまでには、まだ、数カ月あります。
ロシアの味方をしたいとは思いませんが、ロシアは可能な限り速やかに、F16戦闘機の供与に対して対抗策を発表すべきだと思います。
ロシアができる有効な対応策は、核兵器しかありません。
もう、恫喝の時間は終わっています。
そうです、実際に核爆発を起こすしかないと思います。
では、どんな方法が考えられるのでしょう。
正しい分析かどうかはわかりませんが、プーチンの対応を妄想してみます。
ロシアが声明を出します。
「警告として、黒海に核ミサイル着弾させる。通行する船舶は注意するように」
「それだけではない」
「1機目のF16が、ウクライナ領に入った時点で、ウクライナ領内に核ミサイル1発を着弾させる」
「2機目、3機目でも、同じ」
「F16を20機供与するとすれば、20回、ウクライナに核ミサイルが着弾することになる」
「20機を超えた場合は、周辺国だけではなく、NATO主要国も標的にする。その時は、戦略核弾頭になる可能性を否定しない」
「これは、脅しではない。決して、誤解しないように」

もしも、プーチンが、こんな具体的なメッセージを出したら、ウクライナ、NATO、アメリカは、どう対応するのでしょう。
実際に、黒海で核ミサイルが爆発したら、F16戦闘機供与は出来ないと思います。
ウクライナ軍が、春か、夏か、秋の大反撃をしたとしても、F16戦闘機なしに、ロシア軍をウクライ領から撤退させることは難しいと思います。
戦線は膠着します。
ロシアにとっても、ウクライナにとっても、その時点で、停戦交渉に入るという選択肢しか残されていないと思います。
プーチンの大勝利とはなりませんが、占領地を確定できるのですから、プーチンの勝利にはなります。
つまり、核兵器を持っている国は、何をやってもいい、という実績が作れます。
プーチンは、時間をかけて力を蓄え、再び、キーウを攻略すれば、ウクライナ全土を掌握することも可能です。

こんな話、日本には関係ないと思っているかもしれません。
「ウクライナ人は可哀そうだが、ウクライナ戦争なんて、俺には関係ねぇ」と思っている日本国民の皆さん、それは、誤解です。
ウクライナ戦争は、日本の皆さんの生活に直接影響を与えます。
停戦であれ、和平であれ、どんな形であれ、戦争はいつか終わります。
戦争が終わって必要になるのは、ウクライナの復興です。
ウクライナの戦後復興は「日本が主力」として実行することが、国際世論になっていて、岸田総理も「任せておけ」と言っています。
ウクライナの戦後復興には、数百兆円の資金が必要だと言われています。
日本に求められる資金は、100兆円かもしれません。
しかし、日本の現状を見ると、国力衰退で四苦八苦しています。国防費も少子化対策費も、それ以外の国家運営費用も、底をついていて目途が立っていません。
どうするのですか。
想像してみましょう。
乱暴な試算ですが、ウクライナの戦後復興に年間10兆円、国防費に5兆円、少子化対策費に5兆円、その他の国家運営費(これは、利権のために便乗するだけですが)に10兆円必要だとしてみましょう。合計で、年間30兆円の税収増が必要になります。仮に、消費税1%で2.5兆円の増収になるとすると、消費税換算で12%の増税が必要になります。そうです、消費税は10%ではなく、22%になります。
遥か彼方のウクライナで停戦が実現すると、日本の消費税が増税になる。「そんな馬鹿な」と思うかもしれませんが、そうなるのです。無い袖は振れませんから。
残念なことに、30兆円もの増税をしても、日本は借金をし続けなければ国家運営ができません。国力衰退も、着々と進行します。
どうするんですか。
先送りを続けながら、じわじわ、ずるずる、と衰退をするのですか。
それほど遠くない未来に、限界は来ます。
国家崩壊です。
本気で考えることを、強く推奨します。

プーチンがプーチンの理屈で始めた戦争で、多くの命、多くの生活、多くの街、戦費を含めて多くの富、が失われただけではなく、日本人を含め、多くの国の国民が、ウクライナの復興資金に苦しむことになります。
それでも、プーチンを罰する術を持たない私達は、どうすればいいのでしょう。
いや、プーチンを罰したところで、失われたものが蘇るわけではありません。
どうすることも出来ません。
元々、地球上に、万人共通の正義など存在していませんでした。
私達は、今も、その現実の前で、立ちすくむことしかできません。
いや、地球上には、地球が誕生して以来、弱肉強食というルールが揺るぎないルールとして存在しているだけで、それは、今も、変わりません。
これこそが、現実なのです。
争いは、人間の欲から生まれます。
だとすると、人間が人間である限り、争いは無くなりません。
多分、平和や正義を実現する処方箋は、この世に存在しないのだと思います。
もちろん、私にも何一つ提案するものがありません。
人類の絶滅は、天変地異がなくても実現するのです。

では、どうすればいのでしょう。
原因は、プーチンですか。
確かに、こんな戦争を始めたプーチンが悪いことは誰の目にも明らかです。
でも、「プーチンが悪い」と言ってみたところで、プーチンに逮捕状を出してみたって、仮に「ごめんなさい」とプーチンが言っても、何も解決しません。
この先、プーチンのような人間は、二度と出てこないのでしょうか。
いいえ、プーチンよりも更に悪逆非道な人間は、必ず出て来ます。
地球は、人間がいる限り、危険が一杯なのです。
悲しいことですが、これが現実です。
危険が一杯の惑星に住んでいる以上、対応するのが人間の責務です。
どこの国も、自分の国がウクライナにならないように、自分で自分を守る必要があります。
ただ、自分で自分を守るためには、経済力が欠かせません。
日本の場合、国力衰退を止め、国民が豊かになり、国防費でも少子化対策費でも、その増額に耐えられるようにならなければなりません。
それが、自分で自分を守るという言葉の意味です。


2023-06-04



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真の軍事大国 [評論]



2023年も前半を終わろうとしていますが、世界の不穏な動きは衰えません。
国際関係の不安定化の最大の要因は、日米欧先進国の衰退によるものであり、それを代表する米中関係の不安定化ですが、それが世界規模で拡散しているように見えます。
その不穏な空気醸成の先頭を走っているのがプーチンですが、追い詰められたプーチンが、更なる不穏を作り出す環境も見えてきています。
一時期、北朝鮮の核ミサイル問題が大きな国際問題でしたが、今では、北朝鮮問題は、その比重を大きく下げています。核ミサイル開発が進んでいるにも拘わらず、です。これは、それだけ、世界に不安材料が増えてきたということだと思います。
アフリカ大陸の各国の政情不安は、昨日今日の問題ではありませんが、収まる気配がありません。
中近東は、静かに見えますが、波乱のマグマが溜まり続けているように見えます。
フランスのマクロンが、経済的な利益のために、中国にゴマ摺り外交を始めました。
中国の習近平は、スパイ法を強化しています。習近平の判断で、海外企業の社員を全員逮捕することも可能になりました。台湾有事の時の準備だと言われています。
インドは、漁夫の利を手放しません。アメリカが、モディ首相を国賓として招待すると言っていますが、インドは変わりません。

そんな世界情勢の中、日本は、ほんとに、平和です。
内閣支持率が上昇し、50%を超えた、という調査もあります。
国民の皆さんは、何を見ているのでしょう。
皆さんにも、何となく、六公四民という地獄の入り口は見えていると思います。
そして、皆さんが漠然と心配している六公四民は、必ず、現実になります。
それは、防衛費と少子化対策費の増加は一時的な費用ではないからです。恒久的な費用には、恒久的な財源が必要です。今、財源をかき集めているのは、得意とする、先送りをしているだけです。この先、恒久財源は必ず必要になります。それは、六公四民は避けられないということです。その、六公四民というレールを敷いたのが、岸田さんです。その岸田政権を、皆さんは支持しているのです。それは、六公四民を受け入れるということですが、そのことは承知しているのでしょうか。皆さんは、自分の墓を掘っているのですよ。
国をあるレールの上に乗せるのは簡単なことではありません。これまで、日本が得意としてきたのは、先ず、既成事実を作って、後は、なし崩しで、いつの間にかレールの上に乗ってしまっているというやり方です。これが、「なあ、なあ」「まあ、まあ」の国の利点なのかもしれません。岸田さんは、歴史的な偉業を達成するつもりなのでしょうが、結果的に六公四民の国を作ってしまいます。総理大臣の成果と国民生活を比べた時、岸田さんにとってどちらが重要かと言われたら、間違いなく、総理大臣の成果だと思います。
皆さんは、そんな器の小さな人に、この国を任せているのです。
「じゃあ、誰に託せばいいのだ。誰もいないじゃないか」と言うかもしれません。
これまでは、与えられた選択肢の「どちらが、ましか」で、何とかなってきたかもしれません。しかし、もう、過去の延長線上に日本の未来はありません。だったら、皆さんには、自分で、新しい選択肢を作るという方法しかないと思います。
主権者である国民は、誰かが餌を与えてくれるのを待つポチではありません。皆さんが、自ら、餌を作るしかないのです。岸田が駄目なら、国民生活を守ってくれるリーダーを皆さんが、新しく、作るしかないのです。
皆さんの中には、六公四民なんて、「俺には関係ねぇ」と思っている人もいるでしょう。
六公四民に関係しない国民なんて、一人もいません。日本に住んでいる限り、逃げ切ることはできません。例えば、消費税が増税され、いや、必ず増税になりますが、「俺には関係ねぇ」から払わないと言って、通りますか。「俺には関係ねぇ」と言う人には、スーパーが増税分を値引きしてくれますか。あり得ません。それでも、強引に商品を持って帰れば、あなたは窃盗罪で逮捕されます。「俺には関係ねぇ」と言えるのは、山奥で自給自足の生活をしている人だけです。
責任を取るのは、国民の皆さんです。「どこかの誰かが、うまいこと、やってくれる」なんて都合のいいことは起きません。責任を取らされる皆さんが、自分で、自分を、守るしかないのです。
六公四民の先にあるのは、七公三民です。七公三民の国とは、大量の餓死者が出ている北朝鮮と同じような国になるという意味です。七公三民が笑い話では済まなくなるかもしれないのに、ほんと、不思議な国民です。私には、理解できません。

民主主義には、欠点も弱点も弊害もあると言われています。
特に、似非民主主義の国では、それが致命傷になる可能性があります。
岸田さんのような「小人」をリーダーにしてしまうことは、大きな弊害、いや、致命的な欠点になるのだと思います。
岸田さんは悪人ではありません。いや、標準よりも上の善人なのだと思います。
岸田さんは、防衛費の倍増も、異次元の少子化対策も、誰も出来なかった「いい事」をやっていると、本人は、酔いしれているかもしれません。
しかし、岸田さんは、国は「国民生活を守る」ために存在しているという簡単な道理がわかっていません。いや、岸田さんだけではありませんが。
防衛費の倍増も、異次元の少子化対策も必要ですが、それは、先ず、国民を豊かにしてからやることです。
年々、国民を貧しくさせておいて、正しいことのためであれば、年貢を重くすることが正しいと勘違いしているのが岸田さんです。
たとえ、目的が正しくても、そのやり方を間違えてしまえば、それは、悪政になります。
岸田さんは、その道理がわかっていません。
これでは、国を守るという崇高な目的のためであれば、国民を貧困のどん底に閉じ込めていてもいいと考えている金正恩と同じです。
何よりも不幸なのは、国民が未だに「下々」のままで、どんなに最悪な「お上」であっても、我慢してしまうことです。「いい人」を演じることも大好きです。岸田政権を支持しているということは、そういうことです。
国民にも、岸田さんが、「いい事」をしているように見えているのだと思います。
それは、国民も、岸田さんと同じで、道理がわかっていないからです。
繁栄への相乗効果もあれば、衰退への相乗効果もあるのです。自分が最悪であることに気付いていない総理大臣と国民の組み合わせは、足し算ではなく、最悪の二乗になります。
ところが、最悪の組み合わせであることに、誰も気付いていません。
最悪の結果が出るのは、時間の問題だと思います。
これまで、日本の歯車は、空回りをしてきましたが、これからは、噛み合わせが狂い、暴走することになりそうです。

私には、今の国会が、江戸末期の江戸城老中の間に見えてしまいます。
その象徴的な出来事を見て見ましょう。やってきたのは、ペリーではなく、TIME誌です。
岸田総理がTIME誌のインタビューで何を語ったのかは別にして、TIME誌は宣伝文句として、「数十年続けてきた平和主義を放棄し、真の軍事大国になる」ことが日本の選択である、という見出しを発表しました。
岸田さんが言った言葉ではなく、インタビュー内容を要約し、現実の日本の政策を勘案し、岸田さんが言いたいことを短い言葉で表し、宣伝文句としたのでしょう。
その宣伝文句に吃驚した日本政府は、TIME誌に抗議しました。内閣府と外務省は、蜂の巣をつついたような大騒ぎになっていたと推察します。
その結果、TIME誌の宣伝文句が変更になりました。
現在の宣伝文句は、「首相は平和主義だった日本に、国際舞台でより積極的な役割を与えようとしている」に変更されたそうです。
日本が得意とする玉虫色の曖昧表現を採用しろと迫ったのでしょう。
では、TIME誌が間違ったのでしょうか。
TIME誌の本文を読んだ人の中には、「間違っていないんじゃない」という人もいます。
では、日本は、政府が主張する、国際舞台でより積極的な役割を果たすために、実際に、何をしているのでしょう。
防衛費を倍増しています。これ、現実です。
今、日本の軍事力ランキングは世界第8位です。
世界第8位の国が、防衛費を倍増するのです。
TIME誌が「真の軍事大国になる」と宣伝したのも、不思議ではありません。
確かに、TIME誌の言葉は挑戦的な言葉ですが、間違っているわけではありません。
ただ、日本の防衛費を倍増したくらいでは軍事大国にはなれません。そんなことは、TIME誌もわかっているでしょうが、TIME誌は、雑誌を売ることが仕事です。そのために、刺激的な言葉を使うのは雑誌社としては普通のことだと思います。
G7の議長国になり、TIME誌の表紙を飾るのです。
岸田さんは、舞い上がってしまったのではないでしょうか。
他の国のリーダーと違って、ほんとに、幼くて、可愛らしい、リーダーです。
岸田さんの本来の使命は、防衛費の増額でも、少子化対策費の捻出でもなく、ましてや、六公四民の国にすることでもありません。
岸田さんがやらねばならないのは、国力衰退を止め、豊かな国を作るために、新しい資本主義などと言う戯言ではなく、政治家や官僚の目を醒まさせ、国民の目を醒まさせ、自らの力で生き抜く国を作ることです。国民の意識が国の未来を決めるのです。そのためには、言葉の定義をすることから始める必要があります。ここまで追い詰められると、「なあ、なあ」「まあ、まあ」では国民を守ることは出来ません。

ただ、岸田さんとTIME誌のゴタゴタ劇は、些細なことに過ぎません。
それでも、折角ですから、日本が「真の軍事大国」になれるのか、いや、「国際舞台でより積極的な役割」を果たせるのかを見てみましょう。
どちらも、無理です。
その理由は簡単なものです。
衰退国家には、軍事大国になることも、国際的な役割を果たすこともできません。
経済力の裏打ちがなければ、どちらも、実現しないのです。
先程書きましたが、直面しているのは防衛費や少子化対策費の増額だけではありません。
総理大臣が、外遊して、カネをばら撒いていますが、あれは、岸田さん個人のカネですか。そうではありません。あれは、皆さんが納めた税金です。
防衛費も、少子化対策費も、他国への資金援助も、全て、皆さんの税金で賄われるのです。
では、皆さんは、まだまだ、余裕で、増税に耐えられるのですか。
とても、無理ですよね。
皆さんの収入が増え、自然増収があるのであれば、増税することなく、何とかなります。以前の日本は、そういう国でした。それは、国力が増大していたからです。
しかし、衰退国家には、それが出来ません。皆さんの収入は、減っているのです。
日本の衰退は、明らかに、末期症状です。
衰退国家のリーダーである岸田総理は、現状認識もなく、防衛費の増額や国際貢献の話を海外の雑誌社に、得意気に語っているのです。国民生活なんて念頭にありません。
皆さんは、そんなリーダーでいいのですか。
もちろん、岸田さん以外の人がやっても、同じです。
それは、誰もが「なあ、なあ」「まあ、まあ」でやっているからです。
問題は、岸田さんではなく、「なあ、なあ」「まあ、まあ」なんです。
このままでは、七公三民だって、夢ではありません。
このままだと、皆さんの生活は、それほど遠くない未来に、破壊されます。
ここまで追い詰められると、そのことに気付くしかないと思います。
ただ、日本の致命傷は総理大臣ではありません。
日本以外の国は、国民に活気があります。少々、リーダーの質が悪くても、逞しく稼いでくれます。日本の場合は、最後の砦である国民の皆さんが「俺には関係ねぇ」と言っているのです。リーダーの資質の良し悪しが、そのまま、国の良し悪しになってしまうのです。
ですから、この国は、必ず、潰れます。
その結果が出た後では、どうすることも出来ません。
どうか、気付いてください。
国民の皆さんは、正真正銘、最後の砦なのです。
そのことに、今、気付くしか、ないと思います。
皆さんが「いい人」を演じていれば、自分で自分の首を絞めることになります。
多分、まっ先に地獄へ行くのは「いい人」の皆さんだと思います。


2023-06-03



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歴史と伝統と文化 [評論]



5月9日、ロシアの対独戦勝記念日という祝日に、軍事パレードが行われました。
世界が注目したのは、プーチン大統領の演説です。
ほぼ、去年と同じ約10分間、ロシアが正しいことをやっているという主張と、国内・国外の同志の賛同を得たいという願いが込められていたと思います。
私には違和感だらけの演説でしたが、ロシア国民は「ふむ、ふむ」と聞いていたのかもしれません。日本国民の皆さんも、大ぶろしきを広げている岸田さんの話を「ふむ、ふむ」と聞いているのですから、ロシア国民も同じかもしれません。
南シナ海で悪逆非道の振舞をする中国が、「国際法を遵守せよ」と言ったり、性的暴行で訴えられ、「恥ずべき行為があった」という有罪判決を受けたトランプが「恥ずべき評決だ」と言ったり、アメリカを筆頭に、中国、ロシア、北朝鮮、イランは、「少なくとも、お前が、言うな」ということを平気で、口にします。
今回の演説でも、ロシアがウクライナに軍事侵攻したことは棚に上げて、国際秩序を壊しているのは西側であり、攻撃を受けているのはロシアであり、自分達(ウクライナも含む)は被害者であると言っています。

今、プーチンが一番欲しいと願っているものが、ロシア国民の愛国心なのだと思います。自ら進んで戦死してくれる国民を熱望しています。
それが、演説の中の「われわれは、祖国への愛、信仰と伝統的価値観、先祖代々の慣習、すべての民族と文化への敬意を決して捨てない」という部分だと思います。
「あれっ」
どこかで似たような言葉を聞いたことがあります。
「歴史と伝統、民族と文化」
日本でも、右側の皆さんが、よく口にする言葉です。
念のためですが、私は左翼ではありません。中国、ロシア、北朝鮮のような国に住みたいという願望は、全くありません。
でも、「歴史と伝統、民族と文化」至上の社会で生きたいとも思いません。
私は、民主主義の社会で生活したいと願っています。

「歴史と伝統と文化」と言われると、どことなく反論出来ないニュアンスがあって、正面切って反対し辛いものがあります。
でも、「歴史って、何ですか」「伝統って、何ですか」「文化って、何ですか」と問うてみると、とても曖昧な答えしかありません。
権力闘争をしてきたのが歴史であり、日本だけではなく、どこの国でも同じことが歴史になっています。国の歴史とは、権力闘争の歴史そのものです。
権力闘争の中では、民は、常に、被害者でした。
ですから、民にとっての歴史は、被害の歴史なのです。民は、富を奪われ、命を奪われてきたのです。
そして、その長い歴史が、伝統と呼ばれているのです。
本来であれば、歴史と伝統は、民にとって、負の遺産に過ぎません。
でも、権力者は、歴史を、伝統を、文化を、「大切にしろ」と言います。
それを、私達は「ふむ、ふむ」と頷いていていいのでしょうか。
伝統には、いろいろな側面があり、伝統工芸も伝統ですが、権力者が支配する社会も伝統なのです。土下座ですら、文化だと思います。
この2000年間、私達「民」は、常に、虐げられてきました。それが私達の「歴史と伝統」だと思います。優雅な生活を享受してきたのは、天皇であり、貴族であり、武士であり、軍人でした。敗戦後、その後を継いだのが自民党です。
私達庶民にとって「歴史と伝統」は、ほんとに価値のあるものなのでしょうか。
違うと思います。
でも、この「歴史と伝統」という言葉は、今でも大きな影響力を持っています。
この「歴史と伝統」という言葉を具体的な言葉に言い換えると、「お上」と「下々」という階級制度になります。そして、21世紀の今でも、私達の社会の根底にあるのは、「お上」と「下々」という階級制度です。
何度も書きますが、私達の国は民主国家ではありません。
民主主義風王政並立封建制度の国です。
天皇制と封建制を1つの鍋に入れ、そこへ風味として民主主義を入れた、ごった煮が、この国の国体です。その始まりは明治ですが、明治維新では、意識して、そういう国体を作ったのでしょう。当初は、そうするしかなかったのだと思いますが、それが、「なあ、なあ」「まあ、まあ」で今でも続いています。その根底にあるのは、今でも、「お上」と「下々」です。
2000年間、私達庶民は、ずっと「下々」でしたから、もう、「下々」体質が体に染みついています。私達は、意識する前に「下々」なのです。

本気で「民主主義とは」という言葉の定義をしたら、現実は、辻褄の合わないことばかりだと思います。
その一例を憲法で見てみます。
岸田総理は、憲法改正をすると言っています。
国会の憲法審査会で議論がされています。
ところが、そこで議論している国会議員は、誰一人、「民主主義とは」という定義を持っていないのです。それは、民主主義の定義がなく、「なあ、なあ」「まあ、まあ」で済むからです。もちろん、「国とは、国会議員とは」という言葉の定義も持っていません。
もちろん、国体が「民主主義風王政並立封建制度」であろうと、私達が「下々」であろうと、社会が「なあ、なあ」「まあ、まあ」で成り立っていようと、私達が豊かな生活が出来るのであれば、構いません。
でも、今は、そうなっていません。
「お上」は、私達庶民が必死で稼いだカネをピンハネしています。時間の問題で、六公四民になります。
生活が苦しくて、子供の食費を削らなければならない家庭が数多く存在しています。
「子ども食堂」は増えるばかりです。
子供を持てない人が増え続けています。
苦しい生活を強いられているのは、全部、国民なのです。
「国民が主権者」という謳い文句のある民主主義ですが、「なあ、なあ」「まあ、まあ」で、ただの謳い文句で、いいのでしょうか。国会議員の子供が、1日1食しか食べていないという話は聞いたことがありません。
80年ほど遅れましたが、先ずは、歴史と伝統を棚に上げて、「民主主義とは」の定義をするべきだと思います。
今、この国は、ずるずると、ぐずぐずの状態のまま、地獄へ向かって滑り落ちて行こうとしています。しかし、足元が「なあ、なあ」「まあ、まあ」で、まさに「ぐずぐず状態」のままですから、踏みとどまることが出来ません。
足は、硬い大地の上で踏ん張らなければ、力が出ません。
その大地になれるのが、言葉の定義だと思います。
では、憲法審査会は何を議論しているのでしょう。
現行憲法のどこを手直しするかを議論しています。民主主義国の憲法になっていないことに気付いていないから、手直しでいいと思っているのです。
民主主義国の憲法の第一条が、どうして天皇条項なのかについて、なぜ、議論しないのですか。
それは、日本が民主主義国ではないからです。
どうして、日本は、民主主義国ではないのですか。
それは、自民党が権力を握っているからです。
では、どうして、自民党は、民主主義に反対なのですか。
それは、天皇制こそが、日本の国体だと思っているからです。
ただ、自民党は、その事を公表していません。
そんなことをすれば、国民の反発を買うからです。選挙に不利になることはできません。
でも、ほとんどの自民党議員が日本会議のメンバーなのですから、関係の深い日本会議の目的を見ればわかります。
ここで、日本会議に関する記事を転載します。
彼等の目的は。
・美しい伝統の国柄を明日の日本へ(皇室を中心に、同じ歴史、文化、伝統を共有という一体感)
・新しい時代にふさわしい新憲法を(日本の歴史、伝統に基づいた憲法)
・国の名誉と国民の命を守る政治を(歴史認識問題と危機管理)
・日本の感性をはぐくむ教育の創造を(愛国心や道徳心、公共心を大切にする教育)
・国の安全を高め世界への平和貢献を(国を守る気概と集団的自衛権の行使)
・共存共栄の心でむすぶ世界との友好を
だそうです。
これが、自民党と日本会議の理想の国体です。美しい言葉の羅列ですが、その裏側にあるのは権力と利権です。国民生活は、二の次三の次です。
つまり、日本は、自民党が政権を持っている限り、民主主義国へはなりません。
では、自民党以外の政党なら、民主主義国へなれるのでしょうか。
いいえ、そうはなりません。
それは、どの政党も、民主主義の定義を持っていないからです。
間違ってはいますが、少なくとも、自民党は理想を持っています。他の政党には、それがありません。共産主義は論外ですから、共産党は除きました。
もしも、皆さんが、民主主義の国に住みたいのであれば、国民の生活を託せる政党は、1つもありません。
もちろん、皆さんが、天皇制の国や共産主義国に住みたいのであれば、別です。
民主主義国に住みたいと思っているのは、私の個人の願いにすぎません。
多分、皆さんは、そんなこと、考えたこともないのではないかと思います。
それは、「なあ、なあ」「まあ、まあ」が心地いいからです。
でも、このまま「なあ、なあ」「まあ、まあ」を続ければ、この国は壊れます。
壊れてもいい、飢えてもいい、のであれば、皆さんの選択を否定する権利は、私にはありません。「どうぞ、ご自由に」と言うだけです。
それでいいのですか。
子供達の未来を奪ってしまっていいのですか。
いや、既に、未来を諦めてしまった子供達が大勢います。
私達大人が、そういう社会を作ってしまったのです。
大人として、いかがなものかと思います。
国民の皆さん一人一人に責任があると思います。


2023-06-02



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無知な総理と無知な国民 [評論]



このブログでは、「国力衰退」と「日本崩壊」を主なテーマにして書いてきました。
弱小ブログであることと私の提案が常識外れのものであるために、「言葉の定義」は、国民の皆さんに全く伝わりません。何度も、何度も、「もう、やめよう」と思いました。でも、崩壊を防ぐ方法が他にないのですから、書き続けるしかないと思って続けています。自分でも「無駄なことを」と思うことがありますが、他に方法がないのですから、仕方ありません。確かに、「文化を変えましょう」なんて提案を真剣に考えてくれる人なんていないのかもしれませんが、他に方法がありません。
読んでくれた皆さんでも、ヨタ話の類として読んでくれたものと思います。
しかし、最近では、多くの方が「国力衰退」と「日本崩壊」に言及し始め、もはや、ヨタ話では済まない状況が生まれています。
そんな風潮の記事の表題等を、いくつか見て見ましょう。
「国家と無理心中するだけ」
「日本が衰退期であることは否めない」
「90%の日本国民が超貧困層に」
「日本には恐ろしい未来が待っている」
「日本は衰退中の老人国家」
「日本が、衰退途上国にカテゴライズされている」
「衰え続ける日本、根本的問題は」
「衰退日本にトドメを刺す」
「衰退する日本の現状」
「人口減と借金で、30年後に日本終了」
10年前は、こんな表題はいくら探しても見つかりませんでした。
今、このような文章を書いている方に、「ヨタ話を書いている」という意識は、微塵もないと思います。
国力衰退に気付く人が増えたということは、これが、私達の現実なのです。いや、現実は存在していたのですから、どうして、今まで気付かなかったのか、それが不思議です。
まだ、大きな国民世論にまでは育っていませんが、時間の問題で、衰退に気付く人が増え続けていくものと思います。だって、大多数の国民は、薄々とではあっても、そのことを知っているからです。ただ、国民の皆さんは「いい人」ばかりですから、あまり大騒ぎはしません。それでも、意識は大きく変化していくと思います。
それは、六公四民、物価上昇、賃金減少、経済凋落、金融危機、倒産・失業・社会不安、いろいろな負の材料が束になって押し寄せてくるからです。自然災害も無視できません。
いろいろな方が、現状に問題意識を持ってくれたことは、とても、いい事です。
国民の皆さんの不安感も、当然のことだと思います。
でも、今のやり方を続ければ、「日本崩壊」が現実になります。
それは、原因の究明、いや、「原因の、原因の、原因」に誰一人気付いていないからです。
これでは、対処のしようがありません。
皆さんは、日本崩壊の生き証人になるのです。阿鼻叫喚を叫ぶのは皆さんです。
ですから、どうか、一日も早く、自分と自分の家族を守る方法を見つけてください。国家崩壊という巨大な奔流に巻き込まれたら、先ず、助かりません。何かが出来るとすれば、今です。もう手遅れかもしれませんが、騙されたと思って言葉の定義をしてください。

いろいろな方が、いろいろな視点から、衰退の原因を上げています。
国家運営の失敗。
人口減少。
無気力な国民。
どの視点も間違っていません。
でも、それは。原因の1つにすぎません。
なぜ、国家運営は失敗しているのか。そして、なぜ、同時に、人口は減少しているのか。そして、なぜ、同時に、国民は無気力になったのか。全てに共通する原因は何なのか。
個別の原因に対処していても、衰退は止まりません。個々の原因の原因を「原因の原因」と呼ぶならば、その「原因の原因」に対処しなければ、事態は変わりません。
私達は、この「原因の原因」を見つけていないのです。
これは、わたしの個人的な意見に過ぎませんが、原因の原因は、「目的と責務が曖昧」だからだと思います。これは、確かに私の個人的な意見ですが、原因の原因を見つけている人がいないのですから、今のところ、これが唯一の原因の原因なのだと思います。
目的と責務なんて言っても、皆さんには、何のことなのかわからないと思いますが、少し、掘り下げて現実を見れば、わかると思います。政治家だけが、官僚だけが、責務を果たしていないのではありません。国民の皆さんを含む、全ての日本人が責務を果たしていないから、この国は衰退しているのです。
では。
なぜ、この国には目的がなく、責務が明確ではないのでしょう。
それは、言葉の定義をしなかったからです。
では。
なぜ、私達は、言葉の定義をしなかったのでしょう。
それは、私達が、言葉の定義をするという文化を持っていなかったからです。
私達の文化は、曖昧文化と呼ばれています。
曖昧文化の下では、言葉の定義という概念は存在していません。いや、言葉の定義をしないことが、曖昧文化の神髄なのです。
つまり、原因の原因の原因は、文化なんです。
このことに気付いている人が一人もいません。
これでは、対処できません。

この曖昧文化を、下世話な言葉で、わかりやすく言えば、「なあ、なあ」「まあ、まあ」です。あらゆることに境目がありません。
目的であれ、責務であれ、曖昧にすることが、私達の文化なのですから、個々人には明確な責務がありません。結果、誰も責任を取らなくて済むのです。
これは、楽です。
皆で楽をしてきたのです。
「俺には関係ねぇ」と言っても許されてしまいます。
皆で仲良く楽をしていて、国が豊かになるなんてことは起きません。
これでは、潰れないほうが不思議です。
本来、国にも、国民にも、責務があります。「俺には関係ねぇ」と言える人は、一人もいません。私達は、それを「なあ、なあ」「まあ、まあ」で誤魔化してきたのです。

この30年間、日本政府は、何もしなかったわけではありません。いや、「何とかしたい」と数々の政策を実施してきました。でも、国力衰退は粛々と進んでいます。それは、これまでの「やり方」が間違っていたことを証明しています。
もしも、この窮地を脱したいと思うのなら、文化を変えるしか方法はないと思います。
確かに、これまでは、「なあ、なあ」「まあ、まあ」で何とかなってきましたので、多くの方が、「まあ、いつものように、何とかなるだろう」と思っています。中には「なるようにしかならねえ」「俺には関係ねぇ」と思っている人も大勢いると思います。
実際に、これまでは、「なあ、なあ」「まあ、まあ」で何とかなってきました。
しかし、実は、「なあ、なあ」「まあ、まあ」は万能ではなかったのです。
この先、その事が、明らかになります。日本の歴史上、初めてかもしれません。
今、「なあ、なあ」「まあ、まあ」が、限界を迎えているのだと思います。

「なあ、なあ」「まあ、まあ」は曖昧文化から生まれました。
確かに、「なあ、なあ」「まあ、まあ」は優れものです。多くの方にとって、心地良いものでもありました。しかし、国が崩壊してしまったのでは元も子もありません。
中には、「なあ、なあ」「まあ、まあ」に問題があるのではないかということに、薄っすらと気付いている人もいます。しかし、この「なあ、なあ」「まあ、まあ」は、特定の場所にあるのではなく、国にも、国民にも、社会にも存在しているのです。いや、この国は、「なあ、なあ」「まあ、まあ」で出来ていると言っても過言ではありません。それが、文化というものだと思います。特定の誰かが「なあ、なあ」「まあ、まあ」をやめれば済むという話ではありません。

日本衰退の原因の原因の原因は、文化なんです。
曖昧文化の「曖昧」という言葉の対極にあるのが「定義」という概念だと思います。
「曖昧」は意識的に境界線を作らないことで成り立っていて、「定義」は意識的に境界線を作ることで成り立ちます。
一見、「曖昧」のほうが楽に見えますが、その結果が国力衰退です。その先にあるのは崩壊です。地獄に堕ちて七転八倒するくらいなら、責務を果たすほうが楽だと思います。
国民の皆さんは、「このまま、楽をしたいですか」、それとも、「崩壊を回避したいですか」、と問われているのです。
もちろん、楽をして、崩壊を回避したいと思うでしょう。
しかし、残念ですが、そういう選択肢はありません。選択肢は2つしかありません。「曖昧」を選択するか、「定義」を選択するかの、どちらかです。もちろん、3つ目の選択肢があるのであれば、そんな選択肢はないと思いますが、提示してください。

皆さんが、国家崩壊を望まないのであれば、「定義」を選択することをお勧めします。
先ず。
「国とは、何ですか」
「国民とは、何ですか」
「民主主義とは、何ですか」
という言葉の定義をしてください。
言葉の定義をすれば。
国とは、国民生活を守るために作られた人為的なシステムだと言うことに気付くはずです。
今、総理大臣がやっていることは、狭い視野では間違っていません。
確かに、外敵から国民を守ることも必要です。人口減少を防ぐための対策も必要です。
では、そのために、国のシステムを六公四民にすれば、国民生活を守れるのでしょうか。
それは、違います。
六公四民は、それだけで、国民生活を破壊します。
防衛も少子化対策も、国民生活を犠牲にして達成しても意味がないのです。
先ず、国を豊かにし、国民を豊かにし、国民生活を犠牲にしなくても済む範囲で税を集め、それで、国防も、少子化対策もしなければなりません。
こんなこと、当たり前のことです。
では、誰が、この国を豊かにするのですか。
それが出来るのは、国民だけです。
国民には、国を豊かにする責務があるのです。
「俺には関係ねぇ」では済みません。
ところが、誰一人、自分の責務を知りません。
総理大臣も国民も、自分の責務を知らないのですから、責務を果たそうと思うこともありません。
だから、この国は衰退しているのです。
総理も国民も、皆さん、紛れもなく「いい人」なんですが、無知な総理と無知な国民の組み合わせは、最悪の組み合わせだと思います。
私達は、袋小路に追い込まれ、曖昧文化にどっぷりと浸かり、何事も「なあ、なあ」「まあ、まあ」で誤魔化し、「俺には関係ねぇ」と嘯き、皆で仲良く地獄へ堕ちようとしているのです。無知という罪に対する罰としては重いかもしれませんが、仕方ありません。
皆さんは、言葉の定義をするという習慣を持っていませんでした。ただ、それだけのことで、窮地に立っているのです。ほんと、理不尽なことだと思いま。
誰かが、このことに気付いてくれることを期待したいです。

日本人は優秀な民族です。
やれば、出来る子なんです。
奇跡の戦後復興だって、やってのけたのです。
ほんと、もったいないと思います。


2023-06-01



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