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読書について [文学系]

読書という領域では雑食で、文学は「何でもあり」というのが持論です。
言いかえれば究極の文学は存在しないと思っています。
文体であれ思想であれ、何か光るものがあれば、読者に何かを与えてくれたなら、それで成功だと思っているのです。
なぜ、こんなことを書くことになったのか。
灰谷健次郎さんの「天の瞳」を読んだからだと思います。
灰谷さんの足元にも及ばないのに失礼ですが、物語は成功、思想は「一寸、ご勘弁を」という感想です。
灰谷さんの伝えたいことは、その物語ではなく思想だと思うので、作者にとっての「いい読者」にはなれませんでした。
でも、物語が成功なら、それでいいのでは、と思ってしまいます。
私には、教科書に載るような物語は書けません。
でも、私でも心の故郷になるような物語を書いてみたいという願望はあるのです。
いつか、そんな日が来ることを夢見ていますが、多分、永遠に来ないとも思っています。

本も残っていないし、題名も忘れてしまいましたが、以前に灰谷さんの作品を一冊だけ読んだことがあります。母が「これ面白い」と言って、くれた本です。母はクリスチャンでボランティア(目立ちたがりの偽物ではありません)で、灰谷さんの思想を丸ごと受け入れてしまうような善人です。ですが、いつか読むべき本という私のデータベースに灰谷さんの名前は残りませんでした。
ならば、なぜ、「天の瞳」を読んだのか。
冒頭に書きましたが、私は雑食ですので、どんな作家の本でも読みます。
ひょっとすると、活字中毒という病気かもしれません。
本を読まないと、薬が切れた時の中毒患者のように禁断症状が起きるのです。
でも、これって、結構、金食い虫なんですよね。安い文庫本しか読みませんが、大変なんです。
自分で物語を書くようになった理由の一つに、読むより書く方が安上がりだろうという不遜な動機も隠れているのです。
多分、読書量はかなり多いと思います。ところが、それなりに評価してしまうので選択の範囲は狭くなってしまいます。それが悩みです。結果、書店に行っても買う本がないということになるのです。書店での本選びは、それなりに苦行になります。誰にでも経験のあることですが、文庫の棚の前をウロウロ。そんな時、平積みでシリーズ八冊もある本は、私にとっては大きな魅力になります。そして、書店の営業方針に負けてしまうのです。
つまり、私の読書は常に不純な動機から出ているらしいのです。
「天の瞳」を読んでみて、損をしたとは思っていません。
でも、私はアウトローの物語を書きたいという願望をさらに強くしてしまいました。灰谷さん、ごめんなさい。
太古の昔からある永遠のテーマ「理不尽」にこそ、人間を感じるのです。
私にとって、読書とは、自分を奮い立たせる材料なのかもしれません。でも、金がかかるんです。助けてくれ。これって、もっともっと、書け、ということなのかも。

先ほど、クリスチャンという言葉が出てきました。余談を一つ。
ある日、私は無銭旅行に出ました。旅行で金がかかるのは、交通費と宿代です。だから、交通費と宿代を遣わない旅行という意味です。冬でした。無人のお堂で寝たこともありますが、寒いので一夜の宿を探しました。教会を見つけて、礼拝堂で寝る許可を求めたところ、「うさんくさい」という目つきで断られました。無銭旅行なので、私の身なりは立派なものではありませんでした。次にお寺に行きました。本堂で寝る許可をもらいました。朝、境内の掃除をすることが条件でしたが、屋根の下は暖かいと思いました。翌朝、和尚と一緒に境内を掃きました。「朝飯を食って行け」と言われて、その暖かいお味噌汁に、思わず涙するところでした。その時から、クリスチャンは偽善者だと決めつけることにしたのですが、身内にもクリスチャンがいたことを忘れていました。つまらん話ですが、これが現実です。世の中、いい人や、いい子ばかりではなく、と言うか、いい人やいい子は少なく、そうでない人の方がはるかに多い訳でして、理不尽なことの方が多いと相場は決まっているようです。いい人やいい子の話を書く人も、希少価値だと思って書いていると思えば納得です。

人間は悪行を行う生き物です。今の時代、その標本に苦労することはありません。悪行をなす人間を、まるで存在しないかのごとき扱いにしていたのでは、片手落ちというものだと思います。
私は、人間の悪行を書きたい。
「私は悪行などいたしません」と言っている奴等に悪人が多いのも、定番なんですね。
一人一人が人類滅亡に、少しづつ手を貸しているのです。
人類滅亡の日に、世界中の人間は「俺のせいではない」と全員で言って、死に絶えていくのでしょう。
人間なんですから、仕方ないのですが、少しだけ寂しいと思いませんか。

私の書く物語の行きつく先。それは「暴動のすすめ」という物語かもしれません。
「次なる悪行をなそうと思うなら、先ず、悔い改めよ、さすれば、汝の魂は救われる」

2009-08-22



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