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国民生活を守る法律 [評論]



中国の国家運営は、法家的統治に基づくと言われます。
法家的統治とは、「法と称する厳罰中心の支配」という法家の考えで、秦王朝以降の歴代王朝の支配を支えた統治方法です。習政権でも、次々と法律を作り、既存の法律を変えています。権力者が、法という武器を使って、人民を支配することが目的とされます。
これは、中国版の「歴史と伝統」だと思います。
どこの国でも、歴史と伝統を利用することは、魅力的な統治方法のようです。
それは、雛形があり、結果も出ているからだと思います。
ただ、そこで見落とされているのが、時代ではないかと思います。周囲の環境が全く同じであれば、同じ結果を生む可能性は高いと思いますが、実際には、環境も、時代も、人々の意識も、違います。
それでも、支配者は、歴史と伝統に頼ろうとします。それは、一番楽だからと思います。
もしも、法は正義で、法の執行者には正義がある、のであればいいのですが、法そのものが間違っている場合は、法は正義と呼んでもいいのでしょうか。
では、無茶をやっているのは中国共産党だけなのかと言うと、そうではありません。
どこの国も、法を使って権力を維持しています。
しかし、法が正義だとは言えない場合もあります。
国家権力とは、法と武力です。法と武力なしに権力の維持はできません。
無政府状態の国では、様々な強者の支配下に置かれ、国民の安定した生活は望めません。
ですから、統治システムは必要です。法も武力も必要なのです。
問題は、法が国民にとって適切な法なのか、武力が暴走することはないのか、が課題になります。
今日は、「国民生活を守る」ことに寄与していない法律の話を書きます。
最近話題になった政治資金規正法も悪法の1つです。
取り上げるのは、放送法です。
このブログでは、年に1回程度は、NHK問題を話題にしています。
今回、新しい歴史が作られましたので、その事について書きます。割増金のニュースです。

NHK(日本放送協会)は14日、東京都内の3世帯を相手に起こしていた受信料裁判に関して、東京地裁でNHKの請求を認める判決が言い渡されたと発表した。判決では、うち1世帯について、受信料(42,180円)および割増金(26,640円)の請求が認められた。割増金に関する裁判所の判断が出たのは初めてです。

なぜ、このような判決が出たのか。
それは、割増金を課金する法律ができたからです。
裁判所は、法に則り判断する機関です。いや、裁判所は。「法を守る」ことが仕事であり「国民生活を守る」ことが仕事ではないと思っています。「国民生活を守る」仕事は立法府と行政府の仕事だから。「俺には関係ねぇ」と思っているようです。
そうであったとしても、もしも、国の目的が「国民生活を守る」ことであれば、裁判所の判決にも、「法そのものに疑義がある」という注釈が付くことになると思います。
しかし、この国の目的は「国民生活を守る」ことではありません。
いや、いや、目的そのものが存在しません。
では、なぜ、このような法律ができるのでしょう。
それは、放送法が出来た時に遡る必要があります。
ここからは、私の想像ですから、何の証拠もありません。でも、大きくは外れていないと思います。そもそも、放送は、国家権力を周知徹底し、国民を支配するために欠かすことが出来ないツールです。それを実践しているのが、中国国営テレビです。独裁国以外にも国営テレビは存在しますが、それは、いざと言う時にプロパガンダを流すためです。
日本でも、戦前のラジオ放送は、大日本帝国陸軍の広報機関のような使われ方をしました。
戦後、建前では民主国家ということになりましたが、国として、放送と言うツールを失うことを危惧した人達がいたと思います。しかし、国の予算は限られていましたので、国営放送を持つ余裕がありませんでした。「だったら、視聴者にカネを出させれば、いいんじゃないか」という知恵者がいたと想像します。敗戦後ですから、国には貧乏人しかいません。重課税を求めれば、反発が起きることは容易に想像できます。そこで、「視聴料を支払え」という言葉ではなく「契約しなければならない」という言葉を使いました。その後の受信料の歴史を見れば、受信料という名の税金であることは明らかです。
しかし、経緯はどうであれ、法律に「受信契約を結ばなければならない」という条文があれば、裁判所は、その条文を守らなければなりません。
NHKの受信料収入は、年間7000億円だと言われます。放送法が存在していなければ、国民負担は毎年7000億円少なかったことになります。
この30年で、日本の貧困層は大幅に増えました。
NHK受信料が負担になっている方も大勢いると思います。
その点でも、国は「国民生活を守る」という目的を逸脱しています。

私は、NHK受信料を支払っていませんが、NHKの出資者は国民です。出資者の利益を守らなければならない立場にいるのがNHKです。では、NHKは、出資者の利益を守っているのでしょうか。いいえ、国の管轄下にあり、国民の管轄下にはありません。出資者である国民の生活を守るために、政権に対峙している組織ではありません。筋が通りません。こういう時は、どこかに欺瞞があるということだと思います。それが、放送法です。
もしも、NHKが出資者である国民の利益を守るための放送に特化すれば、国は放送法を変えるでしょうし、NHKの予算も承認しないと思います。集金の根拠を失ったNHKは、解散するしかありません。NHKが現在でも存続できているのは放送法によるものです。
国の意向に従うしかNHKの選択肢はないのです。
国とNHKは、持ちつ持たれつの関係です。NHKは受信料で運営が出来、国はいつでも国営放送に変更出来る放送局が持てる。出資者の利益に応える機関ではありません。詐欺みたいなものです。国が広報機関を持ちたいという意図は理解します。であれば、税金で運営する国営放送局にすればいいと思います。
もしも、今のまま、出資者の利益を追求しない放送局であれば、NHKとは契約すべきでありません。でも、NHKが国民の利益を守るための活動をするのであれば、NHKと契約する価値はあると思います。
NHKは、度々、「NHKは公共放送です」と主張します。
今は、「公共」という言葉が定義されていませんので、便利に使われているだけですが、本物の公共放送になれば、国民は理解してくれると思います。もちろん、私も受信料を支払います。
では、「公共とは」何でしょう。
多くの国民にとってなくてはならないものが、「公共」であり「公共インフラ」だと思います。例えば、電気や鉄道は、生活に欠かせませんので、「公共インフラ」と呼ばれています。もしも、電気が遮断されれば、その時から私達の生活は立ち行かなくなります。
では、NHKがなくなったら、私達の生活は成り立たないのでしょうか。
いいえ、何の問題もありません。
それは、NHK放送が「公共インフラ」ではないということです。
「言葉の定義」をしない社会では、公共機関ではない組織が「私達は公共放送です」と言い続ければ、何となく、公共放送になってしまうのです。「公共放送だから、皆で支えなければ」と言えば、皆さんは「ふむ、ふむ」と言うのです。でも、実際には、NHKがなくても、私達の生活は困りません。国営放送を必要としているのは国であり、国民ではありません。
では、NHKは不要なのでしょうか。
そうではないと思います。
NHKが、国民にとってなくてはならない存在になればいいのです。「国民生活を守る」放送をすればいいのです。
「ローマは一日にして成らず」という言葉があります。
NHKの歴史が何年なのか知りませんが、今のNHKは多くの財産も持つ組織に育っています。その財産は、国民が出資して出来た財産です。ですから、本物の、「国民生活を守る」ための放送局になればいいのだと思います。
では、NHKに何が出来るのかの提案をします。
NHKは全国に組織を持っています。
集客能力もあります。
何よりも、放送する様々な設備とノーハウを持っています。
出資者が国民で、これだけの能力を持っている組織はNHKだけです。
NHKだから、出来ることがあります。
言葉の定義をする国民会議という組織を作り、全国で国民に集まってもらい、国民に「国とは、国民とは、民主主義とは」という言葉の定義について議論をしてもらい、責務と目的を生み出し、それを番組として放送すればいいのです。
こんなことが出来るのは、NHKしかないと思います。
言葉の定義をすれば、目的は「国民生活を守る」ことになると思います。
政権批判をすれば、国から圧力がかかりますが、「言葉の定義をする」ことを否定はできないと思います。「言葉の定義」から導き出された「目的と責務」が明確になれば、政府は圧力をかけてくるでしょうが、その時点では国民意識が変わっているので、国家権力は力を持ちません。民主国家では、法と武力という国家権力よりも、国民のほうが強いのです。
この国は、今、国力衰退と貧困化という未曽有の課題を抱えています。2000年の歴史の中で、これほどの危機を迎えた時代はないと思います。
それを克服するためには、多くの国民の協力が必要です。
国の責務、国民の責務、政治家の責務、官僚の責務、企業経営者の責務、裁判官の責務、メディアの責務、学者の責務、等々、ありとあらゆる人達の責務を明確にし、皆さんに責務を果たしてもらわなければ、国力衰退と貧困化は克服できないと思います。

私の所にも、これまで、NHKの契約を取る外注さんが何度も来ました。コロナ以降は、来ていませんが、契約を促す文書は来ています。東京に続き大阪でも裁判が始まるようですが、私の所へは訴状は来ていません。裁判所に訴えてくれれば、法廷で、公的な場で、お願いしたいと思っています。素人ですから、とても、太刀打ちはできないのかもしれませんが、それでも、問題提起にはなると思います。
私は、これまでも、契約しない、とは言っていません。
契約はするけど、こちらの要求も契約書に入れてくださいとお願いしています。
私の要求は、NHKが本物の公共放送になってくれることです。
「国民生活を守ってくれる」NHKになれば、言葉の定義をする国民会議を運営してくれるのであれば、喜んで契約します。

国民のためのNHKになったら、国は指を咥えて見ているのかというと、そんなことはないと思います。法律を改正して、NHKを国営放送にしてしまえばいいのです。
その上で、言葉の定義をする国民会議を解散すればいいと思います。
ただ、一度、知ってしまったことは、簡単には元に戻せません。
国民意識の変化は、元には戻れません。
多くの国民が、「国会議員の責務を守ってくれる候補者に投票する」と言い出せば、政治家は、その要求を受け入れる以外に国会議員になる道はありません。
それは、国そのものが変わるということです。
もちろん、国民も、国民の責務を果たさなければなりませんが、日本国民なら、可能だと思っています。それは、戦後復興で証明されています。もちろん、戦後の日本人と今の日本人は同じではありません。ですから、成功しない場合もあります。その時は、地獄へ堕ちればいいだけです。どのみち、地獄へは行くことになるのですから。


2024-04-04



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