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死について [評論]



今月は、頑張って、4本書きました。全部、暗い話題ばかりですが、時間があって、気が向いたら、読んでください。もしかすると、石田は頑張ってはいけないのかもしれません。暗い話を4本も読むのは、大変です。ごめんなさい。

最近、フィナンシャルプランナー(FPと呼ばれています)という仕事をする方が増えていると聞きます。高齢化社会だからこそ誕生した職業だと思います。
私は、FPという仕事が商売として成り立っていることに驚きました。
「私の老後は、大丈夫でしょうか」という心配をしている方がいるのです。
いや、大抵の人は心配していますが、それを、誰かに有料であっても相談したいと思っている人がいるということのようです。
実際に、FPの事務所に相談に行く人がいるから、商売になっているのです。
相談料がいくらかかるのか知りませんが、私には、その相談料を貯金するほうが老後の足しになるように思えてなりません。なぜなら、自分の老後設計が出来ない人が、他人の意見を聞いたところで、何かが出来るとは思えないのです。ただの、気休めなのか、諦めなのか、道楽なのか。不思議な現象です。
「あなたは、貧困老人の予備軍ですよ」と言われて、何とかなるものなのでしょうか。
老後設計をしてあり、自分の老後は何とかなるという自信のある方は、相談には行かないでしょう。自分の老後に何らかの不安を感じた時点で、その方は、貧困老人の予備軍であり、そこからの巻き返しはほとんど不可能だと思います。
参考までに、別の側面から現状を見てみましょう。
厚生労働省によりますと、今年3月の時点で生活保護を受けている世帯は全国で164万1532世帯と、前の月から2588世帯増えました。増加は3か月ぶりで、統計を取り始めた1951年以降で最も多くなっています。  世帯別では、「母子世帯」や「現役世代」が減少した一方、65歳以上の「高齢者世帯」が増加していて、85万5586世帯と全体の半数を超えています。  このうち9割は単身世帯で、厚労省は、「身寄りがおらず、貯蓄や年金だけでは暮らせない1人暮らしの高齢者が増えている」と分析しています。
念のために、将来も見てみましょう。
これは、現在の数字であり、問題ではあるが、危機的な状態ではないと言われます。その通りかもしれません。では、10年後は、どうなんですか。今年で老人の数がピークを迎えたわけではありません。まだまだ、増えるのです。しかも、この10年で一気に増えます。仮に、10年後の老人人口が、4,000万人とすると、1割の老人が生活保護を頼ったとしても400万人です。仮に、5割の老人(2,000万人)が、生活保護なしには生きていけないとすると、これは、危機的状況なのではありませんか。それだけではありません。物価が高騰すれば、老人が必死に貯めた資金は、役に立たなくなります。9割の老人(3,600万人)が生活保護を必要としたら、その財源はどこにあるのでしょう。誰か、こんなことにはならないと胸を叩ける人がいるのでしょうか。

FPの方は、宣伝を兼ねて、いろいろと発信しています。
「老後資金は、1,500万円あれば大丈夫」という宣伝文句も、よく見ます。
きっと、それを信用する人もいるのでしょう。
では、そのFPの方の前提条件を見てみましょう。
職業は、普通のサラリーマンであること。この場合は、多分、大企業の社員です。
借金は、ゼロであること。
子供は、独立して生計を立てていること。
夫婦は、健康であること。
その上で。
年金は、22万円だそうです。
生活費は、20万円あれば、大丈夫。
医療費は、最大で4万円。
介護が必要になれば、特養に入ればいいと言っています。
出来れば、70歳でも、80歳でも、夫だけではなく妻も働いた方がいいと言います。
こんな条件に合う方が、どれほど、いるのでしょう。
この雛形のような方が、一人もいないと言うつもりはありません。仮に、10%の老人が該当するものとしましょう。では、90%の老人は、どうすればいいのでしょう。いや、多分、FPの皆さんは、この10%の人達を相手に商売ができればいいと考えているのでしょう。90%の老人の相談を受けたとしても、助言することはありません。
多分、FPの方のところへ相談に行っている方は、50代か60代の方でしょう。目の前に自分の老後が見えてきた人達です。
FPの方は「節約しなさい。収入の道を探しなさい」と助言するのでしょうが、残念ですが、手遅れです。100万円貯めるだけでも至難の業です。それが、現実です。
70代の私には、1,500万円は、冗談にしか聞こえません。
介護が必要になれば、特養に入るという前提になっていますが、特養に入るためには、一定の条件をクリアしなくてはなりませんし、特養でも、年間100万円程度の費用が必要になると言われています。では、70歳で、要介護5になって、100歳まで生きたら、どうするのでしょう。仮に、年金が、月額22万円あったとしても、それが永続するという保証はどこにもありません。国も、月額10万円の年金は、削減し難いと思いますが、22万円の年金は削減の対象になります。しかも、成功していませんが、国はインフレを目標にしています。インフレになれば、介護費用が増えるのは当然です。それ以前に、特養には、簡単に入所できません。今でも、多くの方が行列を作って待っています。入所申し込みをして入所できるまでの期間は5年とも言われています。その上、これから先は、老人人口が増える一方です。特養は、ますます、狭き門になります。老々介護という選択肢しか残らないとすると、事件が増えるのは、致し方のないことです。でも、介護を舐めちゃいけません。体力も気力も、持続できなくなります。老後資金のない方には、夫の首を絞めるか、妻の首を絞めるか、という将来が待っています。これは、私の実感です。悲しいことに、妻の首を絞めている自分の姿をリアルに想像できてしまうのです。まだ、やっていませんが。
つまり、有料であっても、民間の老人介護施設に入所するという選択肢しかないのです。残余生存年数が、どのくらいあるのかは誰にもわかりませんので、余裕のある資金計画が必要になります。1,500万円の老後資金でそれが賄えるとは、とても、思えません。
FPの方は、商売ですから、石田のように絶望的なことは、絶対に、言いません。「頑張りましょう」と励ましてくれると思います。でも、ほんとに、頑張れるのでしょうか。
では、FPの方のところへ相談に行かない、20代30代40代の方は、どうなのでしょう。
残念ながら、更に劣悪な環境で老後を迎えることになります。
老後資金で問題になるのは、医療費と介護費です。
この課題を解決しない限り、国民の不安は消えません。
20代30代40代の方は、本気で、国立姥捨て山制度と安楽死法案の成立を要求すべきです。
他に方法はありません。
老後の最大の問題は、「いつ死ねるのか」がわからないことです。
もしも、仮に、70歳で安楽死する法律があれば、不安は解消します。70歳までの生活設計をすればいいのであれば、消費も増えますし、財政も負担が減りますし、何よりも安心感が生まれます。
私だけではなく、姥捨て山施設に入所し、安楽死をしたいと願っている老人は少なくないと思います。多分、20代30代40代の方も、その時が来れば実感として理解できると思います。



今日は、少し、長くなりますが、ロイターの記事を掲載しておきます。

「2025年問題」と呼ばれる壁に日本が突き当たるまであと7年半。2025年には、団塊の世代が全員75歳以上の後期高齢者となり、国民の3人に1人が65歳以上、5人に1人が75歳以上という、国家というコミュニティーにとって未踏の領域に達する。
高齢化に伴う医療費や介護費などの社会保障費の急増が懸念されている。
「国民の健康寿命が延伸する社会」の実現を掲げる厚生労働省は、男性で約9年、女性で13年弱とされる「要介護期間」(平均寿命と健康寿命の格差)を縮小すべく、病気や介護の予防と健康管理に向けた取り組みを推進している。
<弱っても死ねない>
健康寿命を延ばすことは確かに大事だが、良いことばかりでもない。京都市伏見区の社会福祉法人「同和園」付属診療所長で医師の中村仁一氏は「弱っても死ねない身体づくり」をすることによって、逆に、要介護期間も延び、生涯の医療費と介護費用が増えてしまう、と指摘する。
大事なのは、人生の最後に来る「健康寿命が尽きた後」の要介護状態をどう生きるかだと中村氏は語る。「無理に引き延ばしても費用がかかるだけで、決して本人の幸せにはつながらない。要介護期間の短縮こそ、われわれが向き合うべき問題だが、このことに対する働きかけは、全く見当たらない」
背景には、社会や制度の変化、医療の進歩に対する過信や、死の文化の喪失などがあるという。
昭和30年代までは、点滴注射や酸素吸入をされたり、無理やり口の中に食べ物を押し込まれたりすることもなく、自宅で好きなものを、無理せず食べられるだけ、という状況で、皆が穏やかに死んでいった。
死は日常の出来事であり、代々、文化として受け継がれていた。
ところが、医療保険制度が整備され、核家族化が進み、介護力が低下。老人医療の無料化によって、死期が近づくと病院へという流れとなり、人が自然に死んでいく時の様相がどんなものかさえ、分からなくなった。
未知ゆえに、死が恐ろしいものへと変貌した結果、人々はそれを「見ないよう、考えないようになってしまった」と中村氏は語る。さらに、医学の進歩が「死」すらも解決してくれるのではないかという過信も広がっていった。
<医療業界によるマインド・コントロール>
本来、病気やケガを治すのは、本人が生まれながらにして持っている自然治癒力だが、大半の日本人は、治してくれるのは、医者や薬だと思っている。
とはいえ、日進月歩とされる近代医学によって病人が減ったかといえば、現実はまるで逆で、高血圧の患者が4000万人以上、糖尿病は予備軍を入れて2000万人、骨粗しょう症は1400万人など、日本中が病人だらけになっている。
結局、進歩したとされる近代医療技術も、しょせん中途半端なハーフウェイ・テクノロジーと言わざるを得ない、と中村氏は語る。
医療業界にも責任がある。
「私たち医者はこれまで、まれな、かなり特異なケースを前面に押し出し、素人判断で様子を見ていて重篤になったらどうするのか、万一こじらせて手遅れになったらどうするのか、など業界を挙げて国民を脅し、思考停止状態にしてきた」と中村氏。
こうしたマインド・コントロールは、薄利多売の医療保険制度の上に成り立っている。つまり、1人でも多くの患者を診ないことには、経営も生活も成り立たない仕組みなのだ。さらに、今の高齢者はこのマインド・コントロールが効いている関係上、「欲が深く、よくならないのは、医者の腕が悪いからと考え、さらに大きな病院にかかり、専門医を探すようになる」と同氏は語る。
しかし、実際は、専門医は病名をつける専門家であって、必ずしもそれを治す専門家ではない。
また、近くに高度医療が可能な病院ができると安心だとされるが、医療には不確実性がつきものであり、最終的には賭けの要素がある。
「医療の恐ろしいところは、どんな状態でも助ければいい、一分一秒でも長く生かせばいい」という点だ、と中村氏は言う。そうなると、完治不能な高齢者が高度医療で一命を取りとめたとしても、まともな状態で生還する確率は低下し、高度な医療が重度の障害者を作りだすことになる。
「修繕に出す前よりひどい状態になっているにも関わらず、公然とカネを受け取って、引きとれと堂々と言える業界は、他にはない」と中村氏は言う。
<自力で食べられなくなったら寿命>
制度や社会が「死」を非日常に追いやり、死の文化も哲学も失ってしまった日本では、医療業界は自己保存本能に終始し、行政も本質的な解決策を避けている。
こうした現状で、多くの日本人を最後に待ち受けるのは「医療の虐待」と「介護の拷問」で、なかなか安らかには死なせてもらえない。
自然に安らかに死ぬには、医療・介護の現場と利用者の双方に意識改革が必要だ。
日本人は、食べないから死ぬと、どうしても思ってしまいがちだが、事実は逆だ。飲み食いが出来なくなれば、あるいは、飲み食いをしなくなれば、それは寿命が来たということ。これはあらゆる生き物に共通する自然な最期の姿で、人間も例外ではない。
しかし、現代日本の介護現場には「食べないから死ぬ」という強い思い込みがあり、どうしても、長い時間をかけて、強制的に食料や飲料を利用者の口に押し込んでしまう。
その結果、下痢をしたり、むくんだり、気道からの分泌物(痰)が増えて、1日に何回も痰を吸引するという、本人に苦痛をもたらす荒業をしなければならなくなる。
介護の現場で大事なことは、自分たちの思いを優先させるのではなく、この行為が本当に利用者のためになっているのか、もしかして負担をかけてはいないかと、言葉を発せられない利用者に対しても、その態度や表情から類推することだ。
人の最期を看取るというのは、一言で言えば、人が枯れるのを手伝うことであり、少なくとも枯れるのを邪魔しないこと。水やりは、枯れることを妨害する行為で、点滴注射などは論外だとの考えもある。
今こそ、国民一人ひとりが、真剣にわがこととして、生きること、死ぬことを考えなくてはならない。
これは医療の問題ではなく人生の問題で、医療は人生を豊かに幸せに、そして人間らしく死ぬために利用する1つの手段に過ぎない。ところが、医療は今、病気の管理を超えて人間管理にまで及び、人生を支配するに至っている。
利用者は、平素から医療のみならず、介護においても、限定的な利用を考え、意思表示をして、周囲とよく話し合うことが必要だ。
死を考えることは、「死に方」を考えることではなく、いのちが有限であることを視野の片隅において、それまでをどう生きるかを考えることだ。
「2025年問題を解決する要は、自力でものが食べられなくなったら寿命(が来た)との考えを、年寄りのあいだの合意にすること。そして、できれば穏やかに死んでみせて、決して死は恐ろしいものではないのだと、後輩たちに示すこと」だと中村氏は語る。



私の祖父は自然死でした。
そういう時代だったのです。
寝付いて、食事が出来なくなり、体力が落ちていきます。
ある日、祖父が、どうしても、食堂で食事がしたいと言ったので、学生だった私が背中におぶって食堂に連れて行きました。皆が食事をする様子を満足そうに見ていましたが、本人は、一箸か二箸を付けただけでした。祖父は、その日から数週間後に静かに息を引き取りました。軽かった祖父の体を思い出します。
そして、今でも、祖父は立派に生きたと思っています。

逆に、私の母は、「医療の虐待」と「介護の拷問」に苦しみました。それは、私が医師を説得できなかったためです。きっと、あの世では、きつく叱られることになります。

私は、自分が倒れた時のために、「医療の虐待」と「介護の拷問」を拒否する書面を子供に渡してあります。私は、今でも、母を苦しめたことを後悔しています。母の将来を想定して、同じような書面を貰っておけばよかった、と思っています。ほんとに、後悔は苦い味しかしません。


2017-07-01



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