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パラサイトシングル [評論]



国家崩壊のような、本物の危機が現実になるためには、多くの要因が必要になります。
例えば、財政破綻が起きたとします。しかし、経済基盤が盤石で、食料も豊富にあり、社会不安もなければ、財政再建は可能になりますから、本物の危機にはなりません。もちろん、犠牲者は出ますが、国家崩壊するほどの犠牲者は出ないと思います。
しかし、経済が衰退していて、食料が不足していて、社会不安が大きければ、財政破綻を引き金とした国家崩壊という本物の危機が実現します。
本物の危機は、多くの要因が一点に収斂した時に、発生するものだと思われます。
では、日本の経済基盤はどうなのか、食料はどうなのか、社会不安はどうなのか。
今日は、その社会不安について書きます。
社会不安と言っても、その要因も一つではありません。これまでも、数々の不安要因について書いてきましたが、多くの負の要因が一堂に会した時に、最終的に、臨界点に達するほどの社会不安という危機に至るものと思います。そういう時には、不思議と、経済もどん底になっているものです。財政も限界を超えているでしょう。食料自給率は、今よりも悪化していることも考えられます。不幸は不幸を呼びます。「何も、こんな時に限って」ということが起きるのは、なぜなのでしょう。この不思議の謎解きは、今でも解けません。
社会不安と数には密接な関係があります。
例えば、全国で火災が頻発し、10名の死者が出たとしても、社会不安にはなりません。こういう災害は度々起きていますが、国民はパニックにはなっていません。しかし、もしも、火事で10万人の死者が出たら、100万人の死者が出たらどうでしょう。たかが火事、だとは言っておれません。大きな社会不安の原因になります。
そんな社会不安の要因の一つに、パラサイトシングルリスクがあります。崩壊の要因としては大きくありませんが、崩壊の原動力の一つとしては、力を発揮します。
パラサイトシングル。
あまり有名な言葉ではありませんが、どこかで聞いたことがあると思われる方もいるのではないでしょうか。直訳すれば「寄生する独身者」になります。親の収入や財産に頼り、生活している独身者のことです。親が老齢になり、年金生活者になってからは、親の年金で生活している人達のことです。
独立した生計を営み、家庭を持ち、仕事をしている人達でさえ老後資金が貯められないという現実があります。パラサイトシングルの皆さんに、老後資金という発想はありません。生活を親に頼っているのですから、自分で資金を貯める必要はないのです。それは、親が考えることであり、自分の守備範囲ではないからです。
パラサイトシングルの増加は、本人の高齢化と、親の高齢化により、社会不安になる日が近づいていると言われています。
過去にも、親の死体を隠して、親の年金を受給し続けて生活していた子供達(もちろん、その時は、もう大人です)が事件になったことがありました。この先、このような事件が増加するものと思われます。親の死亡を公にすれば、年金が停止され、生活ができなくなるのですから、臭いを我慢し、死体を隠すことくらいやらねばなりません。多分、成仏できない親も、子供の生活費のためであれば、許してくれます。悲しいことですが、これが現実です。
統計から、トレンドを見てみましょう。
2015年に、50歳まで一度も結婚したことのない人は男性で23.37%、女性は14.06%で、男性の4人に1人、女性の7人に1人だそうです。この数字を見れば一目瞭然ですが、日本は男社会です。生涯に二人の妻を持つ男がいるから、女性の未婚率が低くなるわけで、シングルマザーが苦境に立っている現状も見えてきます。もちろん、未婚率は少子化に貢献しています。今の社会構造なら、未婚率の増加は、まだ続くと思わねばなりません。
45歳―54歳で親と同居している未婚者の数は、1980年の18万人から2016年には158万人に増加したそうです。このうち、基礎的生活条件を親に依存している可能性があるとされるのは31万人だそうです。
この基礎的生活条件を親に依存しているパラサイトシングルには収入がありませんから、生活の保障をしてくれていた親が亡くなった時、彼らの生活は破綻し、親の資産や貯金を食いつぶした後は、生活保護というパターンにならざるをえないと言われています。
1995年から2010年の間に、40代・50代人口は0.91倍と減っているのに、未婚者は1.89倍、そのうち単身世帯が1.71倍、親と同居が2.34倍に増えているそうです。
この傾向は、今後、増加すると予測されています。個人的な予測ですが、増加ではなく、劇的に増加すると思います。生き抜くのが難しい社会になっているだけではなく、平和ボケが異常とは認められていない社会では、成人した子供が親に頼る生き方は、それほど異様なこととは認識されていません。現在、30万人であっても、これが20年後に、300万人になるかもしれませんし、1,000万人になっても不思議ではない社会構造が出来つつあります。仮に500万人のパラサイトシングルが存在する社会が生まれたとして、人口減少の真っただ中にある社会が正常に機能するのでしょうか。社会不安と数には相関関係があると書きましたが、500万人のパラサイトシングルは、もう、立派な社会不安だと思います。
余談ですが、アパートやマンションを建設する個人が増加していると言われています。「老後を家賃収入で、悠々自適の生活を送ってみませんか」という宣伝文句に騙されているとしか思えません。もう、そんな時代ではありません。人口は減少しているのです。現役世代の収入も減少しているのです。空き家は増加するばかりです。これは、決して、需要と供給のミスマッチの問題ではありません。アパートやマンションだって、供給過剰の時代になるのです。パラサイトシングルが増加しているということは、親の家に転がり込む人が増えているという現実があり、貸家の需要が減少しているということです。収入が無いか、収入が少ない人にとって、実家は最後の選択肢なのです。特に、東京の家賃は高すぎます。実家に住めば、家賃の負担は必要ありません。実家の親世代は昭和生まれであり、まだ、昭和の残滓の中に生きている方が多いのですから「何とかなる」と考えるのでしょう。
また、「ひきこもり」の高齢化も進んでいます。内閣府は昨年9月、15―39歳のひきこもりが2015年調査で54万1000人いるとの統計を発表しました。前回調査の2010年時点より、約15万人減っていますが、これは調査対象の年齢が39歳で切られているからであって、単に対象者が40代に入っていっただけだとされています。当然、「ひきこもり」を選択した、かつての若者も、50代になり60代になり、自分で生計を立てた経験がありませんから、親の死亡により生活の基盤を失います。そもそも、社会生活の経験がありませんので、外に出ることができません。廃屋と孤独死と白骨死体という事件が、それほど珍しくない時代になるようです。
現在でも、生活保護受給者に占める老人の割合は、年々、増加しています。20年後には、生活保護を受給する主な世代は老人世代になります。でも、ほんの少しだけ想像してみてください。3人に1人は老人ですし、パラサイトシングルだけではなく、老後資金を用意できない老人が大半ですから、多くの老人が生活保護を求めます。これで、生活保護制度が持続できるとは思えないのです。
ここでは、パラサイトシングルに焦点を当てていますが、それ以上に問題なのが、親に寄生せずに、独立した生計を立てている人達であっても、老後資金が用意できていないという現実です。年金保険料を支払っていない方も多数います。年金保険料を支払っていて、老齢年金だけで生活できたとしても、医療費や介護費はどうやって支払うのでしょう。多くの老人が生活保護制度に群がらざるを得ません。その老人の群れを支えるのは、ますます、少なくなるだけではなく、貧しくなる若者達であり、彼等が納めさせられた税金です。これは、無茶というものです。
65歳になっていない皆さん。
20代30代40代50代の皆さん。
大丈夫ですか。
年金制度も、医療制度も、生活保護制度も、破綻するしかありません。それが、高齢化社会の宿命なのです。今でも、老後資金の用意が出来ない方が大半です。しかし、例外なく、誰もが、老人になるのです。今以上に保険料や税金が高くなって、どうやって自分の老後資金を用意するのでしょう。そして、皆さんが老人になった時、社会福祉制度がないとしたら、どうやって生活するのですか。「あの時、老人を姥捨て山に送るべきだったんだ」と思っても、後の祭りです。ここで言う「あの時・・」というのは、今のことです。私のように安楽死を希望する老人だっているのです。姥捨て山と安楽死をセットにした法律を作れば、この国は生き返ります。高齢化社会を乗り切る方法は他にありません。どこかで、無茶をしなくてはならないのです。だったら、老人がその役目を引き受けてもいいのではありませんか。
20代30代40代50代の皆さん、大丈夫なのですか。声を出す必要はないのですか。
非難を覚悟で、「老人を駆逐しろ」と言わなくてもいいのですか。
皆さんは、いい人達ばかりですから、波風を立てるようなことはしないのでしょう。
皆さんからは、「俺に、何ができるんだ」「仕方ないだろう」「なるようにしか、ならない」という答えが返ってきます。どこかで、漠然と「何とかなる」と思っているのかもしれません。確かに、いい人達の群れですが、これで、大丈夫なのでしょうか。
のたうちまわるのは、まだ年金制度や生活保護制度がある今の老人達ではなく、20代30代40代50代の皆さんなのです。
ほんとに、それで、いいのでしょうか。
本人が、「それでいい」と言っているのですから、どうすることもできませんが、現実は想定よりも、はるかに、厳しいものになります。いや、何も想定していないのでしょう。そんな現実に直面しても、超然としていられる方が、どれほどいるのでしょう。そんな人は、いないのではないでしょうか。10年後20年後30年後40年後に、もがき苦しむのは、皆さんなのです。臍を噛むことになりますが、いいのでしょうか。
何度も書きますが、ほんとに、それで、いいのでしょうか。
最近、ほんの少数ですが、このような問題提起をする方が出てきました。
しかし、誰も、気にしません。
まるで、他人事のようです。
いや、もちろん、大半の方が不安な気持ちは持っていますが、その不安に気付くことを拒絶しているように見えます。多分、無意識に自分を守ろうとしているのだと思います。だって、本気で想像すれば、自分の将来を数字で見てみれば、目を塞ぐほど怖ろしいことだと気づいてしまいます。そんな未来、見たくないという気持ちはわかります。でも、それが現実だとしたら、気付くべきなのではありませんか。
ただ、本人が「それでいい」と言っているのだから、いいのかもしれません。
人間は、実際に苦しみに直面しなければ、何もしようとしません。これは、何万年前の人間も、何億年前の人間も同じだったのでしょう。予測の技術が進んだ現在でも、何も変わっていません。人間は、地獄に落ちて、初めて騒ぎ始めます。でも、「後の祭り」という言葉だってあるのです。現実と後悔とのダブルパンチですから、これは、きついです。
もっとも、原因もわからず、対策も持っていませんので、どうすればいいのかがわからないという現実もあります。では、原因を究明しようとしているのでしょうか。対策を求めているのでしょうか。それも、ありません。そこにあるのは「何とかなる、だろう」「誰かが、何とか、するだろう」という助平根性だけです。これでは、救われることはありません。
ここで、いつものように無茶な提案をしてみます。
いつものように、眉に唾をお願いします。尚、このブログを読まれた後は洗顔することをお勧めします。大量の唾を使用しますので、決して衛生的な行為とは言えません。
今は、国家運営システムの転換をしなければならない時代になっているのです。もちろん、日本だけではなく、世界の国がその対応を迫られています。ただ、日本は、老齢化という滅亡へ続く直線競技場で行われる地球規模のレースの先頭を走っていますので、最初に犠牲になるのは私達日本人です。日本は、世界に先んじて崩壊する運命にあるのです。長寿をお祝いしていた時代がありましたが、今では、長寿は国を亡ぼす要因になってしまいました。バッシングが怖くて、誰も言いませんが、視点を変える潮時なのではありませんか。
どうして、こんなことになってしまったのでしょう。
それは、何度も書きますが、私達の目は、未来を見るのではなく、過去を見ているのですから仕方ありません。過去に縛られ、現状維持が最大の関心事になっています。特に、国民の安寧を求めなければならない国家運営が、古いシステムから抜け出せていません。
国は、統計数値を発表しますが、それはただの数字でしかなく、対策とは別の存在なのです。数字を発表したことで、一件落着です。本来であれば、統計数値に基づき、国の指針を決めるはずでしたが、何のために統計を取り、数値を発表しているのかも曖昧になってしまい、ただのルーチンワークになりました。しかし、その数値は仮想空間に存在しているのではなく、皆さんの現実の中にあるのです。誰もが、そのことに気付かぬふりをしています。
崩壊の原因は、時代に追い付いていない国家運営システムですが、どこを探しても、その回答は見つかりません。数値を見れば、対策を立案しなければならないのは自明の理なのですが、対策を立案するという意識がありません。いや、対策を立案すれば、既得権益が毀損されるから、立案できないのです。
それは、私達が、水分と「欲」で出来ている人間だから、仕方がないのかもしれません。
では、私達が人間を辞めれば、どんな対策があるのでしょう。
皆で貧しくなり、国民の自給自足を助ける国家運営をすることです。もちろん、こんな対策は実現不可能ですが、それに近い対策を考えなければなりません。
生きたければ、食べたければ、自分で土を耕して働くしか選択肢のないシステムを作ることです。人類は、そうやって生き延びてきたのです。全員が貧しくなれば、誰も助けてくれる人はいません。老人は、大人しく、姥捨て山に向かう社会に戻ります。若者の中にも、命を落とす人は出てくるでしょう。そうです、自分の命と引き換えにすれば、自給自足に邁進するしか選択肢はなくなるのです。荒療治ですが、こんな無茶な方法しか残されていないほど、この国はどん詰まりにいるのです。この方法は、財政破綻で国家崩壊をした時でも、有効な対策になります。いつも書きますが、「何とかなる」という言葉はありますが、「何ともならない」という言葉もあるのです。
しかし、私達は、人間を辞めることはできませんので、不幸や苦しみは、一秒でも先延ばしにしたいと願います。しかし、先延ばしは、どこまで行っても先延ばしですから、結果的に、多くの犠牲者を出し、自給自足のシステムを採用せざるを得なくなります。だったら、最初から、そうすればいいのですが、私達人間には、それができません。
つまり、地獄は、私達が選択した必然的な結果だと言うことです。
行き着く場所は同じなのですが、行き着いてみないと理解できないのが残念です。
実現不可能と思われることに、果敢に挑戦するのか、それとも、時の流れに任せて、先送りをして、地獄に落ちるのかを選択しなければならない時が来ているのです。しかし、私達は、助平根性を捨てられませんので、限りなく100%に近い確率で、ドツボに嵌る運命にあります。
20代30代40代50代の皆さん。
ほんとに、これで、いいのですか。
皆さんの子供達に、こんな社会を渡してもいいのですか。
もっとも、自分のためなら、平気で子供達を犠牲にする大人達は、今に始まったことではありませんので、きっと、平気なのでしょう。教科書には書かれていませんが、人間は太古の昔から、自分の利益のために多くの子供達を犠牲にして生きてきました。地獄の辞書には「人道上」という言葉は書かれていません。子供に熱湯を浴びせたり、床に叩きつけたりする親がいますが、あれは、未来の私達の姿なのです。
だから、これも、運命として享受するしかないのかもしれません。
でも、今度の危機は、歴史を変えるような、想像を絶するような厳しさになります。
私は、地獄という言葉を使っていますが、まだ生ぬるいのかもしれません。
ほんとに、これで、いいのでしょうか。

こんなことを書けば、「だったら、お前が、なんとかしろよ」と言う方がいます。
こういう発言をする方は、どんな場面でも出てきます。「では、あなたは、どうすればいいと思いますか」と問うと、「何とかなる」と答えるのです。
でも、この発言は、実は的を射ているのです。
「だったら、お前が・・・」という言葉を「だったら、国民が・・・」という言葉に変えれば、意味を持ちます。
現実として、一人では、国民は何も出来ません。
でも、国民全体であれば、いや、多数の国民の意識が変われば、不可能なことではありません。こんな当たり前のこと、気付いて欲しいと思います。
国民意識を変えることでしか、このどん詰まりを突き破ることが出来ないことに、一日でも早く気付いて欲しいものです。
「お上」が何とかしてくれる、という通説は妄想にすぎないと思ってください。
10年前、20年前、30年前にも、将来、少子高齢化の社会がやって来るという数値はありました。もしも、「お上」がその対策をとっていたら、そろそろ実を結ぶ頃だと思いますが、少子高齢化は悪化するばかりです。つまり、「お上」は何もしなかったのです。そんな「お上」を信じるほうが間違っているのです。日本国民は、どこまで「いい人」なんでしょう。
勝手な時事評論を書いていますが、昔は、国民に対する「怒り」の気持ちが大きかったように思います。でも、最近は「悲しさ」しか感じません。将来、こんなにも多くの人達が地獄を彷徨うことになるのだと思うと、悲しいです。特に、未来のない子供達を見ると、泣けてきます。君達は、何のために生まれてきたのだろう。幸せになるためだったんじゃないのですか。もちろん、全員が幸せになれるとは限りません。でも、全員で地獄を這いずり回る必要もないと思うのです。


2017-06-01



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