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他山の石 [評論]



中国の数字は、公的な数字であっても信頼性と透明性が希薄で、不都合な数字は堂々と隠蔽することもありますので、中国を分析する時は、空気で類推するしかありません。
そんな中国経済に、更なる不透明感が浮上しています。
特に、不動産部門での空気が悪化しています。
永年、「中国の不動産はバブルで、近々、弾けるだろう」と言われ続けて、何年経過したのかわかりませんが、いよいよ、それが現実になろうとしているように見えます。
中国からは、「バブルだと!! 弾けるだと!! 全然、大丈夫じゃないか。中国を貶めようとするアメリカの陰謀に過ぎない」と言われてきました。
実際に、「弾ける、弾ける」と言われ続けても、住宅は作り続けられ、不動産価格は上げ続けてきました。中国の皆さんも、渦中にいる時は気付けなかったかもしれませんが、今、振り返って見ると、「バブルだったんだ」と認識できるのではないかと思います。
しかし、大手不動産会社の中国恒大集団がデフォルトを起こした頃から空気は変わりました。再建中であるとして発表していなかった決算を発表し、2021年度と2022年度の2年間の純損失は810億ドル(日本円で16兆円)になりました。2022年の負債総額は約48兆円だそうです。さすが中国です。1企業の負債総額が、日本の国家予算の約半分です。
これでも、まだ、中国の不動産バブルは、完全には弾けていないのでしょう。
多分、これからが本物のバブル崩壊の時期になるのだと思います。中国政府の手腕が問われますが、多分、何とかするのでしょう。でも、痛みは免れません。
バブルは、人間の「欲」が引き起こす心理現象だと言われます。
「原子力神話」とか「土地神話」とか「安全神話」と呼ばれる「神話」が数多くありますが、安全ではないから、どれも、神話が必要だったのだと思います。
中国でも、土地神話、住宅神話が、更に、「欲」を膨らませ、住宅価格は天井知らずの上昇をしました。実需の倍以上の投機が、その神話を支えていると言われました。中国政府は、何度も「家は住むもので、投資するものではない」と言ってきました。しかし、中国人は儲け話が大好きです。桁外れに好きです。それが、ここまでバブルを膨らませる原動力になったのだと思います。
今、中国人は、不動産を買おうとしません。今、人気なのは定期預金だそうです。
経済の基本原理を見てみましょう。
「物の価格は、需要と供給が一致する場所で決まる」という原則があります。その原則を、一時的に無視するのが投機ですが、投機も最後は辻褄を合わせます。
需要の倍以上の住宅が、既に、建設されている、という説があります。そうであれば、住宅価格は、この先、現在の半値になるということです。儲け話が大好きな中国人は、損失についても敏感です。住宅を投資対象としている人達にとって、将来、価格が下がるかもしれない住宅に投資しようとする人は、この先も減ります。これ、当たり前のことです。
ここからが、中国不動産バブルの見せ場になるのだと思います。
中国の不動産市場の規模は、GDPの30%あると言われています。これも、真実はわかりませんが、正しい数字だとすると、国の経済にとっても打撃です。
不動産業界は、ただ、マンション建設をしているだけではありません。建物以外にも多くの産業が関連しています。何よりも、住宅建設には多額の資金を必要とし、その資金は借金です。つまり、金融業界が関与しています。そして、少しずつですが、金融業界の不穏な空気も醸成され始めています。このほうが、厄介です。
中国経済がどこまで壊れるのかは、まだ、誰にもわかりません。しかも、確かな数字は出て来ませんから、この先も、実際の壊れ方は推測するしかありません。

さて、「他山の石」という言葉があります。
中国でバブルが弾けようが、経済停滞しようが、他人様のことですから、「どうぞ、ご自由に」と言うしかありませんが、他人様から「どうぞ、ご自由に」と言われるのは、少し、キツイです。
やはり、原理原則は、それなりに尊重しなければいけないのでは、と思います。
中国の「バブルだと!! 弾けるだと!! 全然、大丈夫じゃないか」という空気は、私達にとって「他山の石」なのではないかと思うのです。
日本の「財政破綻だと。馬鹿言っちゃいけない。ここまで借金しても、全然、大丈夫じゃないか」という空気だって、正しいとは言えないと思います。
原理原則を無視しても、いいことなどありません。
中国は、家を作り過ぎて、バブルが弾けました。
日本は、借金をし過ぎて、国を崩壊させます。
どちらも、バランスが取れなくなった時に破綻します。古人は、これを「過ぎたるは及ばざるがごとし」と言いました。これも、人間社会の定説のようです。
厄介なのは、バランスを壊す大きな要因が人間の心理だということです。そして、人間の気持ちは、簡単に、コロコロと変わるものです。
中国の場合、これまで、あれほどの購買意欲を持っていた中国人民が、マンションを買わなくなりました。「損をするかもしれない」という人間の気持ちが、不動産業界を変えてしまったのです。
日本の場合でも、金融機関にカネを預けていたら危険だという環境が生まれれば、債券市場が機能しなくなります。今は、誰もが安心して金融機関にカネを預けています。その安全神話が壊れたら、皆さんはどうするでしょう。何が、その導火線になるのかは見えていませんが、人間心理は思わぬことに反応することがあります。それがデマであっても、風評であっても、人間心理は影響を受けます。
もしも、仮に、多くの国民が預金を引き出したら、金融機関の流動資産は一気に減少します。預金の引き出しに応じるために、他の資産の売却が必要になることもあります。そんな環境では、国債購入なんてできません。
経済活動は、需要と供給があって成り立ちます。どちらが無くなっても駄目です。
債券市場も経済活動の場です。需要の側にいる金融機関が現金不足になったら、債券の購入はできません。つまり、国民の行動が、根拠のある無しに拘わらず、変化したら、国は借金が出来ない環境になるのです。
国債を発行しても応札がないという環境が生まれたとしても、「はい。そうですか」では終われません。国は、何としても、国債を売らねばなりません。
日本国内に資金がないのであれば、海外資金に頼るしかありません。
海外に日本国債を買ってもらうためには、高い金利を提示するしかありません。法外に高い金利を示したとしても、日本の国債を買ってくれる投資家は多くはありません。それは、日本国債がデフォルトする可能性が高いからです。それは、ハイリスク・ハイリターンの市場でしか売買できないということです。
仮に。15%の金利を示して販売したとすると、年間15兆円の負担が生じます。それも、借金をして返すしか方法がありませんので、国債発行額は増え続けます。海外の投資家が、「これ以上、無理だろう」と判断したら、そこで、日本国債はデフォルトします。
日本国債がデフォルトするということは、国債は国民の皆さんの預貯金が原資ですから、皆さんの預貯金がゼロになるということです。

さて、上記の計算式は、ルール通りの時の計算式です。
しかし、日本では、大幅にルール違反をしていますので、計算式を複雑にしています。それが、借金の半分を、500兆円強の日本国債を、円を発行している日本銀行が買っていることです。これは、自分で発行した債券を自分で買って消費しているようなものであり、不正な錬金術であり、フェアではありません。これが許されるのであれば、世界にデフォルトする国なんて存在しないことになります。今は、まだ、国際収支の黒字で「円」は認められていますが、いつか、必ず、このトリックが表面化し、「円」が暴落する日が来ます。
国債のデフォルトだけが国家破綻の原因になるのではありません。
通貨の暴落も、国家破綻の原因になります。
ズルをしたって、どこかでバレるのが、世の常です。

人間には、「慣れ」という心理が働きます。
異常も、継続すると「慣れ」ます。「慣れ」ると、つい、異常を忘れますが、そのダメージは蓄積します。ただ、ダメージはアナログで結果を出しますので、気付いた時には修復できなくなっています。後で振り返れば「異常だったよな」と誰もが認めることでも、「慣れ」があると気付けないのです。毎年、借金を源資として国家予算を組んでいることは、明らかに異常ですが、「慣れ」てしまえば、それが当たり前になってしまいます。
ほんとに、怖いことです。
それを是正するのは、原理原則ですが、人間は、つい、そのことを忘れます。
「ここまで大丈夫なのだから、まだまだ、大丈夫だろう」
これを、助平根性と呼ぶのだと思います。
実際の経済活動は教科書通りにいくわけではありません。
でも、それは、教科書を忘れてしまっていいという意味ではありません。
基本とか良識を忘れて、いい事などないのです。
原理原則は、助平根性でどうにかなるものではないという謙虚さが必要です。
私達は、中国の不動産バブルを笑える立場にいません。
私達だって、借金バブルに浸かっているのです。多分、日本の借金バブルの副作用のほうが、桁違いの激烈な結果を招くことになります。
人間の営みは教科書通りにはいきません。
だからと言って、原理原則を無視してもいいということにはなりません。
やり過ぎの修正には勇気が必要ですが、人間社会では、常に、修正が必要です。
国家運営を担う皆さん、どうか、勇気を持ってください。
国民の皆さん、自分の生活を守るために、行動してください。


2023-09-05



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同情はできません [評論]



太古の昔から、人間社会と不条理は切っても切れない関係にあると思います。それは、宇宙の物理的な法則と人間の「欲」が鬩ぎ合い、そこから零れ落ちて硬い結晶になったものが不条理なのではないかと思うからです。ですから、人間社会では「どうしようもない」ことは普通に存在します。ただ、その不条理の量は、社会によって差があるように見えます。不条理は人間の「欲」が生み出しているものなのですから、不条理の少ない社会のほうが生き易いとすると、それを制御するのも人間の仕事だと思います。
その不条理に泣いている国民がいます。福島の漁業関係者の皆さんです。
確かに、気の毒だとは思いますが、同情はできません。
それは、福島の漁業関係者の皆さんを含む、国民の皆さんの自業自得だからです。
この国は、未だに、封建制度下にあります。「下々」は、この2000年間、ずっと、「泣き寝入り」をしてきました。そして、今も悔し涙を流し、「泣き寝入り」するしか選択肢がない人達がいます。でも、どうすることもできません。なぜなら、皆さんは「国民」ではなく「下々」だからです。
皆さんは、いつまで「下々」を続けるつもりですか。
もちろん、国民になったからと言って、無条件に納得できる結果がえられるわけではありません、それでも、今よりは、納得しやすい環境が生まれると無思います。
「何もしなくても、正義は勝つ」なんて、思っていませんか。
「我慢していれば、正義が勝つ」なんて、思っていませんか。
「いい人を演じていれば、正義が勝つ」なんて、思っていませんか。
「お上の指示を守っていれば、正義が実現する」なんて、思っていませんか。
それ全部、勘違いです。不条理は存在するのです。正義は、向こうからやってくるのではありません。正義は、皆さんが意識して勝ち取るものなのです。
少しでも、不条理が少なくなる社会を作るしか方法はありません。そんな社会を作るのは、総理大臣ではなく、皆さんです。国民の皆さんの意識次第で、そういう社会は作ることが可能なのです。

8月に、「放射性物質を除去した汚染水」の海洋放出が始まりました。
放出に賛成する方は「処理水」と呼び、反対する方は「汚染水」と呼んでいます。
ここでは、両者の間を取り「汚染処理水」と呼んでみます。
政治的な思惑で反対している中国と韓国は、今は、除きます。
海洋放出に賛成しているのは政府と東京電力で、反対しているのは、漁業関係者です。
ま、誰が見ても、漁業関係者に勝ち目はありません。
先日も、自民党の得意技は「先送り」と「なし崩し」だと書きましたが、この事案でも、その得意技が使われました。
政府と東電は2015年に「関係者の理解なしには(処理水の)いかなる処分も行わない」と地元漁業者に約束することで「先送り」をし、ほとぼりを冷ますための一定の時間を置き、関係者の理解はないまま、補助金をチラつかせて、海洋放出を決めて、8月に「なし崩し」的に実行されました。いつものやり方です。
漁業関係者は、「騙された」と言っているそうですが、違うと思います。「なあ、なあ」「まあ、まあ」の社会では、日常的に起きる、ありふれた事です。
漁業関係者の皆さんは2015年に約束した時に、「約束を守らなかった時には、具体的に、どう責任を取ってくれるのですか」と言って、責任の取り方を明確にしておく必要がありました。これは、権力と対峙する時の国民の責務です。
でも、「なあ、なあ」「まあ、まあ」の世界では、こんな対応を取る人はいません。ですから、これは、「なあ、なあ」「まあ、まあ」で約束をしたと思い込んでいた漁業関係者の自業自得です。
政府は、最初から、「先送り」と「なし崩し」をするつもりでした。
日本では、一事が万事、この「先送り」と「なし崩し」で何とかなるのです。それは、日本社会が「なあ、なあ」「まあ、まあ」で動いているからです。
閣議決定の前に、政府と漁業関係者の会合がありました。あれは、「なし崩し」のための儀式に過ぎませんが、その中での、岸田総理の発言を見てみたいと思います。
「漁業者の『これまで通り漁業を続けたい』という思いを重く受け止めている。国として海洋放出を行う以上、安全に完遂すること、また安心してなりわいを継続できるよう必要な対策をとり続けることを、たとえ今後数十年の長期にわたろうとも、全責任を持って対応することを約束する」
私には、身のない、虚しい、具体性のない、口先発言にしか聞こえません。儀式で使われる祝詞ですから、総理は定型文を読み上げただけだと思います。
当然、漁業関係者の賛同は得られませんでした。でも、政府にとっては、儀式をすることが大事な事であって、漁業関係者の賛同を得ることが目的ではありませんでした。
政府も、「なし崩し」が褒められることではないとわかっています。自分を納得させるためにも、是非とも、儀式が必要なのだと思います。
「汚染処理水」の海洋放出は、30年続くと言われています。
ただ、当初の予定は、ほぼ、反故にされますので、50年、100年と続くことになると思われます。その間に、失敗や手違いは、必ず、起きます。ですから、ほぼ、間違いなく、福島の魚の放射能汚染は再発します。汚染が発生する度に、復旧に長い時間が必要になるのです。
では、海洋放出をせず、福島県を「汚染処理水」タンクで埋め尽くし、日本全土をタンクで埋め尽くすことができるかと言うと、それも出来ません。
誰かが泣くしかありません。

どうすれば、いいのでしょう。
多分、どうすることも出来ないのだと思います。
岸田総理は、また、「全責任を持って対応することを約束する」と言っていますが、これは、新たに「先送り」をする、と言っていることと同じです。
国は、以前に「約束します」と言っていましたが、約束を守りましたか。漁業関係者の皆さんは、取るに足らない漁民なのですか。違います。皆さんは、国民です。補助金を出せば「生活を守る」ことになるのですか。違うと思います。「生活を守る」ということは、「誇り」を守るということだと思います。皆さんは、「我々は、補助金が欲しいのではない。漁がしたいんだ」と言っています。それは、「誇り」を失いたくないということだと思います。
漁業関係者の皆さんだけではなく、多くの国民の皆さんも、国の責務を知りません。そんな国で、「誇りを守る」なんて言っても通用しません。
先ず、やらねばならないのは、国の責務を明らかにすることだと思います。それをやらなかった国民の皆さんに責任があるのです。
それと、悪しき風習が、漁業関係者の皆さんと国民の間を遠ざけています。それが左翼の皆さんの、いつもの、政局に利用しようとする助平根性丸出しの、「反対、反対」です。まるで、中国共産党の出先機関みたいです。国民の皆さんは、左翼が声を出すと、身を引きます。これでは、福島の皆さんを、国と左翼が協力して潰しているように見えてしまいます。

何か方法はないのでしょうか。
ありません。
ただ、解決策にはなりませんが、漁業関係者の皆さんが、「不条理だけど、仕方がない」と納得する方法はあるかもしれません。
その為には、「約束とは」「責任とは」という言葉の定義が必要なのだと思います。
責任の取り方を、「なあ、なあ」「まあ、まあ」ではなく、法律にしておけば、「不条理だけど、仕方がない」と諦めがつけられるかもしれないと思うのです。
例えば、根本原因は、原子力発電にあるとして、原子力行政を進めた、国会議員100人、官僚100人、東京電力社員100人が辞職して責任を取るとしてみましょう。首にされる国会議員、官僚、東電社員にとっては、不条理でしかありません。今は、漁業関係者だけが不条理の中にいます。もしも、他にも不条理を受け入れる人達がいれば、「何で、俺達だけが」と思っている漁業関係者は、「仕方ない」と思えるかもしれません。
国は、補助金を出せば責任を取っていることになると思っているようですが、その補助金の源資は税金です。責任を取っているのは国ではなく国民です。国家運営をしている皆さんは、総理大臣は、何1つ責任を取っていません。
岸田さんは、漁業関係者に被害が出た時には、議員辞職するのでしょうか。
しません。
5年後の、10年後の総理大臣が、責任を取って議員辞職をするのでしょうか。
そんなことは、しないと思います。
「先送り」のための約束は、空約束であり、何の価値もありません。
国家運営に携わった者は、原子力発電で儲けた電力会社は、誰も責任を取らないでは、納得がいかないと思うのです。
政治家の言う「責任」は言葉だけです。自分の身を切る「責任」が存在して、初めて「責任を取る」という言葉が意味を持つのだと思います。
刑法では、人を殺せば懲役刑、3人殺せば死刑、という決まりがあります。
なぜ、国家運営には、その法律がないのでしょう。
法律を作っているのは、国家運営者だからです。自分が不利益になる法律は作りません。
どうしようもないことは、必ず、起きます。人間社会では、一部の誰かが、不利益を被る状況は必ず生まれるのです。
後は、それを、どう、納得するかの問題だと思います。
公平・公正・平等は実現しません。
でも、近づける努力は必要だと思います。
次善の策でしかありませんが、漁業関係者も国会議員も官僚も東京電力社員も不利益を被るのであれば、「仕方ない」と納得することは可能だと思います。
漁業関係者の皆さんは悔しい思いをしているでしょう。
でも、それは、皆さんが「なあ、なあ」「まあ、まあ」の社会を容認しているからです。
封建制度下の社会では、「下々」は「泣き寝入り」が当たり前です。
皆さんは、未だに、その「泣き寝入り」をしているのですから、皆さんは、「お上」にとって、お手本になるような、立派な「下々」なんです。「泣き寝入り」が悔しいのであれば、先ずは、「下々」を卒業することだと思います。
「お上」が「私が悪うございました」と言うとでも思っているのですか。
それは、甘いと思います。棚から牡丹餅は落ちてきません。自分の身は自分で守るしかないのです。そのためには、「下々」ではなく、「国民」になることです。ただ、何もせずに国民になれるわけではありません。勝ち取るしかないのです。
その努力をしなかった国民の皆さんの自業自得だと思います。
「どうしろ、と言うのだ」
そうなんです。国民の皆さんは、どうすればいいのか、そこがわかりません。
ですから、私は言葉の定義を提案しています。もっとも、誰一人耳を傾けてくれる国民の方はいませんので、何の役にも立っていません。でも、国民の賛同を得られたら、もしかすると、何かが変わるかもしれません。

言葉の定義は、責務を明確にするためです。
責務を明確にし、その責務に沿った法律で国を運営すれば、被害を受ける国民を無くすことは出来ないとしても、納得感は得られると思います。
ただ、これは、恐ろしいほどの仕事量ですから、簡単に実現するとは思いません。
でも、責務を明確にし、それをオーソライズするだけでも、この国は変わります。
それは、自己規制がかかるからです。「こんなことやっていたら、ヤバイかも」と思えば、「自分さえよければ」や「俺には関係ねぇ」は随分減ると思います。「先送り」と「なし崩し」も簡単ではなくなると思います。
福島の漁業関係者だけではなく、ほとんどの国民の皆さんは、未だに「下々」を守っています。今は、福島の漁業関係者が悔しい思いをしていますが、この先は、多くの皆さんが悔しい思いを、泣き寝入りを、体験することになります。
今の福島の漁業関係者の皆さんの姿は、明日の国民の皆さんの姿です。

これまでの、日本の歴史の中で、言葉の定義、責務の明確化、目的の創造を提案した人はいないのではないかと思っています。2000年の歴史の中で初めてのことだと思います。
ですから、理解されないとしても不思議ではありません。
でも、この国は、今、瀕死の状態です。
私達が変わらなければ、朽ち果てるだけだと思います。
皆さんは不安です。はっきりとしたものではないけど、何となく、不安です。
それは、皆さんの直感が、そのことに気付いているからなのです。
放置していて、いいのでしょうか。
私は、軍事クーデターを起こせと言っているのではありません。
言葉の定義をしてみませんか、言っているのです。
そんなに難しいことなのでしょうか。


2023-09-04



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戦う覚悟



「また、麻生さん、やってしまったのか」と思いましたが、いつもの失言とは少し違うようです。失言王の麻生さんですから仕方ないのかもしれませんが、外交での失言は失言では済みません。
立憲民主党や共産党の批判も、的を外しています。
与党、野党、中国外交部の3者の発言を見た時、的を外していないのは中国外交部だけというのは、とても深刻だと思います。あの威圧的で、暴力的で、品位に欠ける中国外交部の発言が、真っ当な主張に聞こえてしまうのは、ヤバイと思います。
こういう状況を「救いようのない状況」と呼ぶのだと思います。

台湾を訪問している麻生さんは、講演で、台湾情勢について語りました。
「今ほど日本、台湾、米国を始めとした有志国に強い抑止力を機能させる覚悟が求められる時代はない。戦う覚悟です」
「台湾の人たちの生活、幸せ、繁栄を維持するため、現状を守り抜く覚悟を蔡英文総統の後に総統になられる方にも持っていただき、同じ価値観を持つわれわれと一緒に戦っていただけることを心から期待する」

立憲民主党の岡田幹事長の批判。
「台湾有事にならないためにどうするかが求められているなかで、非常に軽率だ」
「政治家は国民の命と暮らしを預かっている。軽々にいう話ではありません」
共産党の小池書記局長の批判。
「明らかに専守防衛に反する。極めて挑発的な発言だ」
「相手に恐怖を与えることであって、まさに軍事対軍事の悪循環を引き起こすことものだと批判してきました。麻生氏の発言は、まさに抑止という考え方の危険性を赤裸々に語っている」
お二人とも、「戦う覚悟」という言葉に反応したようですが、「どうやって、この国を守るのか」という提案をすることなく、言葉尻を捉えて批判する姿勢に、違和感は感じないのでしょうか。「外交で」とか「話し合いで」とは言っていませんが、多分、そういうことなのでしょう。でも、「外交や話し合い」で解決しなかった時、彼等はどう責任を取るつもりなのでしょう。政権政党にならなければ、問題ないのかもしれません。いや、そもそも、政治は責任をとる能力を持っていません。責任が取れるのは国民だけです。だから、国民は主権者と呼ばれているのです。
ロシアによるウクライナ軍事侵攻という現実を見てしまった今、立憲や共産の批判には国民を説得する力がなくなりました。そのことを、どう考えているのでしょう。国民の皆さんは、自民党にも優しいですが、立憲や共産に対しても、ほんとに優しい「いい人」ばかりです。どっちもどっち、これが、まさに、「なあ、なあ」「まあ、まあ」です。
でも、真の日本の課題は「覚悟」でも「軽率」でも「挑発」でもありません。
言葉遊びに終始していること自体が、問題なのです。
「なあ、なあ」「まあ、まあ」の中では、何も見えてきません。
そもそも、麻生発言は、「戦う覚悟」がない日本の政治家が、口先だけで「戦う覚悟」が必要だと言っている茶番に過ぎません。台湾もアメリカも、ジョークとしか受け取ってくれないと思います。もしも、麻生さんが、本気で「戦う覚悟」が必要だと思っているのであれば、台湾で講演するのではなく、日本国内で、何度も何度も、国民に訴えなくてはなりません。他人様に「戦う覚悟」を求めるのは、間違いです。

ついでに、中国の反応も書いておきます。
「身の程知らず」
中国の批判は、的を射ています。まさに、「身の程持知らず」です。
中国人民解放軍は、兵員数で日本の10倍、兵器でも圧倒的な優位を持っている軍です。
これは、「覚悟」でどうにかなるような差ではありません。
中国人民解放軍に対応できる軍は、アメリカ軍しかありません。
しかし、台湾有事の際に、アメリカ軍が介入するかどうかは、わかりません。
アメリカも、政府と国防省は一枚岩ではありません。政府と議会もそうです。最終的には世論が決めることになると思いますが、その行方はわかりません。
麻生さんは、政府と調整したと言っているそうですが、アメリカ政府との調整は、アメリカ国防省との調整は、アメリカ世論との調整は、出来ているのでしょうか。もしも、アメリカとの調整が出来ていないのであれば、失言になると思います。
台湾とアメリカに火中の栗を拾わせて、日本は逃げようとしているという批判もあります。もし、そうなのであれば、麻生さんは国益を毀損させています。
国内問題での失言は、相手が「いい人」ばかりの日本国民ですが、外交での失言の場合、相手は海千山千の猛者ばかりです。失言王の麻生さんでは、心配です。

そもそも、麻生発言は、現実から遊離している「お伽話」に過ぎません。
日本人に「戦う覚悟」なんて全くないのに、なぜ、その現実を無視するのか、そこが理解できません。
麻生さんは、自分が銃を持つつもりはないでしょうから、簡単に「戦う覚悟」なんて言葉を使いますが、国民は、戦うつもり、さらさら、ありませんから。
誰が戦うのでしょう。自衛隊員だけが戦うのでしょうか。
約20万人の自衛隊の皆さんには、覚悟があると言われますが、私は、半信半疑です。
戦争では、敵の軍隊を全滅させる必要などありません。
軍は、1/3が犠牲になると機能しなくなると言われていますが、5万人が犠牲になったとして、残った15万人の自衛隊員は玉砕するまで戦う覚悟なんて持てるのでしょうか。総崩れになるような気がします。国民のバックアップなしに、自衛隊員が最後まで命を懸けるとは思えません。日本では、他国の侵略に対して銃を取ると答えた人は1割しかいません。その1割の中に兵士になれる年齢の人が何人いるのか疑問です。そんな国で、自衛隊員だけが孤軍奮闘出来るとは思えないのです。中国人民解放軍は、日本軍を相手にするのではなく、国民と分断されている自衛隊を相手にすればいいのです。日本の自衛隊は、ロシアの傭兵部隊ワグネルと同じです。ロシアにはロシア軍がありますが、日本には日本軍がありません。傭兵部隊と変わらない自衛隊員の戦闘意欲を叩き潰せば、200万人で20万人を叩けば、中国の勝利です。だから、中国は「身の程知らず」と言ったのです。
政府が安保法制を改定したところで、敵基地攻撃能力を持ったところで、自民党副総裁が「戦う覚悟」と言ったところで、国民意識が変わらなければ、戦えません。
先ず、国民意識を変えることから始めなければ、まさに、中国が指摘したように「身の程知らず」になります。
ほとんどの国民が「戦うのは自衛隊の仕事で、俺には関係ねぇ」と思っています、
もしも、仮に、戦争になってしまったら、国民の皆さんはどうするのでしょう。
日本政府は、焦って、徴兵制度を作るでしょう。
ただ、100万人徴兵したって、中国には敵いません。勝つためには3倍の兵力が必要だと言われますが、600万人の徴兵なんて可能なのでしょうか。
そもそも、徴兵制度が機能すると考えるのは、考えが甘いと思います。
大量の国外脱出が始まると思います。
ロシアでさえ、30万人徴兵の時、100万人のロシア人が国外脱出したと言われています。日本では、2000万人が国外脱出するかもしれません。陸路での脱出ルートはありませんので、困難を極めますが、知恵を絞ってでも脱出することになります。そんな国で、自衛隊員だけが戦うのですか。自衛隊員は人柱なんですか。違うと思います。

私は、「戦う覚悟」なんて必要ないと言っているのではありません。
国にも、国民にも、「戦う覚悟」は不可欠のものです。
それは、現実として、「ならず者国家」は存在するという事実があるからです。
ただ、「覚悟」は、自分が決めることであり、他人に求めるものではありません。
「覚悟、覚悟」と騒ぐことは、「平和、平和」と騒ぐことと同じで何の価値もありません。
先ず、国民が自分の責務を知る必要があることを、知ることです。
その上で、私達は、この国を中国領日本自治区にしない方法を見つける必要があります。
何故なら、人間には「誇り」が必要だからです。
チベットを、新疆ウイグルを、香港を見てください。
中国に占領されたら、同じ境遇に立たねばならないのです。
では、「戦う覚悟」って、何なんでしょう。
その答は、今のウクライナにあります。
中国と日本の差ほどではありませんが、ロシアとウクライナの国力・軍事力には大きな差があります。
そんなウクライナが、なぜ、まだ、ロシアと戦えているのでしょう。
欧米からの武器支援があるからだ、と言う人がいるかもしれません。
もちろん、武器支援がなければウクライナは戦えません。
でも、武器があっても、それを使う人がいなければ、武器は何の役にも立ちません。
ウクライナは、国民が戦っているから、戦争に負けていないのです。
では、ウクライナ人は、なぜ、戦っているのでしょう。
国を守り、「子供達の未来を守る」ために戦っているのです。
あれが、「戦う覚悟」です。
もちろん、ウクライナにも徴兵逃れはありますし、多くの戦死者を出していますので恐怖心もあります。それでも、戦う人は戦っています。少なくとも、今の日本人には、ウクライナ人の真似はできません。
日本の皆さんは、「俺には関係ねぇ」とマジで思っています。
自国の国民に「戦う覚悟」がないのに、台湾で「戦う覚悟」が必要だと主張する麻生さんは、言葉遊びをしているだけです。
現実を直視し、将来を想像し、言葉の定義をし、自分達の責務と目的を明確にし、地に足をつけた行動が必要なのだと思います。

麻生さんの台湾訪問の目的は、来年の台湾総統選挙に注文を付けに行ったという説もあります。
総統選挙で親中派、もしくは、中国優和派の候補が勝利すれば、中国領台湾自治区にならないとしても、中国との新しい契約を結ぶ可能性があります。短期的に見て、そのほうが台湾の利益になりますので、可能性は低くはありません。
しかし、台湾の将来を決めるのは、日本でもアメリカでも中国でもなく、台湾人です。
台湾の将来は台湾人が決め、その結果も台湾人が背負うのです。
もしも、来年の総統選に影響を与えることが麻生さんの目的だとすると、それは「余計なお世話」というものだと思います。中国は「内政干渉だ」と言っていますが、これも、中国が言うことのほうが正しいと思います。
もちろん、水面下で働きかけることは必要です。
でも、講演で言うべきこととは思えません。
麻生さんは、元々、思慮に欠ける無責任男ですから、本人は正しいことをしていると思っているのでしょうが、いつもいつも、ピントがずれます。少なくとも、麻生さんを外交に利用するのはやめなければなりません。それが岸田さんに求められる最低限の見識だと思います。そもそも、駄目政治家の見本のような麻生さんに一票を投じている選挙区の皆さんに、大きな責任があります。
「じゃあ、誰に投票すればいいのだ」
その通りです。だから、国民の手で新しい政治集団を創ることをお勧めしています。

どの側面から見ても、麻生さんの台湾訪問、講演、「戦う覚悟」は正しくありません。
これは、いつもの「失言」ではなく、国益を毀損する「失態」だと思います。
これは、「なあ、なあ」「まあ、まあ」が国内専用だと言うことを知らない「愚か者」がやることです。
「主権とは、国とは」という言葉の定義をしていれば、こんなことは起きません。
「言葉の定義」をしないことによる弊害が至る所で日本の将来を危うくしています。

日本という国にも、日本人という民族にも、素晴らしいものが数多くあります。
しかし、私達は、今、その素晴らしい国を破壊し、最悪の場合、民族の絶滅だってあり得るドツボへと向かっています。
残念ながら、「誇り」は、それなりの基盤が必要です。その基盤がなければ、「誇り」なんて、簡単に瓦解します。「貧すれば鈍する」という言葉があるように、私達は、その「誇り」も失う可能性があるのです。「誇り」は、失って、初めて知ることになるのかもしれません。
私達がいるのは土俵際です。両脚は俵の上にあります。
これまでのやり方では、このまま、土俵下に転落します。
どうか、そのことに気付いて欲しいと思います。


2023-09-03



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お殿様 [評論]



このブログは、暗くて、悪しき未来の話ばかりです。
明るくて、ハッピーな未来のほうが、誰にとっても望ましいものですが、現実は、そうはいきません。
私達は、自分の生活のために、子供達の未来のために、悪しき未来を回避する必要があると思っています。そのためには、悪しき未来を知らなければなりません。
今日も、悪しき未来の話です。

7月、WHOが「鳥インフルエンザのヒト感染に警告を出した」という記事がありました。
WHOは、鳥インフルエンザが、すでに26種類の哺乳類への感染を確認しており、人間への感染は避けられないと言っています。
鳥インフルエンザ「H5N1ウイルス」の人間への最初の感染例は1997年の香港で始まりました。その後、東南アジアや中国などアジアを中心に多数の感染者を出し、2003年から2019年2月までの感染者数は860人で、うち454人が死亡したそうです。この数字は致死率が52.8%であることを示しています。
ウイルスは常に変異し続けています。
今後、鳥インフルエンザ「H5N1ウイルス」が、どう変化するかはわかりません。弱毒化する可能性もありますので、希望は持ちたいと思いますが、どんな現実がやってくるかは、その時になってみなければわかりません。
ヒト・ヒト感染が始まるのは時間の問題だとすると、事前の対策が重要になりますが、日本の場合は、得意の「先送り」が対応を遅らせる可能性があります。いや、ほとんど、何の対応もないまま感染爆発に遭遇すると考えるほうがいいと思います。
鳥インフルエンザに感染した鶏が数千羽、数万羽の単位で殺処分されていることを見ると、感染力の強いウイルスのようです。
もしも、鳥インフルエンザのウイルスが本格的にヒト・ヒト感染するウイルスに変異した時は、新型コロナウイルスとは別物になります。
もちろん、ワクチンや治療薬の研究は行われていると思いますが、仮に、致死率が10%まで抑えられたとしても、新型コロナの10倍の死亡者が出ます。
今は、鳥インフルエンザは四類に分類されていますが、ヒト・ヒト感染が始まれば、一類に分類されるほどの感染症になります。
日本の新型コロナの感染者数は、累計で、約3千3百万人です。
もしも、致死率が10%だと仮定すると、鳥インフルエンザでは、330万人が死にます。この330万人は、都道府県別人口分布の10位に当たる静岡県の人口に匹敵します。
新型コロナの致死率1%でも、あれほどの大混乱を巻き起こしたことを考えると、致死率10%とか50%は、天地をひっくり返すほどの混乱になると思います。しかも「ぶっつけ本番」で遭遇することになります。
電気・ガス・水道・鉄道・物流・医療といった社会インフラを支えてくれている人達が、自分の命の危険を承知で仕事をしてくれるのでしょうか。どんな仕事をしていても、人命は人命です。彼等が家に閉じこもったとしても文句は言えません。
多分、社会も経済も麻痺します。
それは、弱者が、感染症以外の原因で淘汰されることを意味します。

仮に、鳥インフルエンザウイルスによるパンデミックが、5年後に起きたとしましょう。
5年後の日本は、どんな国になっているでしょうか。
国力衰退は、5年分進んでいます。
世界環境の変化度合いによりますが、GDPのマイナス成長が始まっているかもしれません。当然、税収は減少していて、国家財政は、青息吐息だと思います。
六公四民は、実現しているかもしれません。いや、七公三民の可能性も排除できません。
新型コロナで大盤振る舞いをしましたが、鳥インフルエンザでは、そんな余力はありません。いや、又、大盤振る舞いをするかもしれませんが、パンデミックではなく、国家崩壊が先にやって来る可能性があります。
私達は、今、「毒を喰らわば皿まで」という言葉を実践しています。
「1200兆円も借金しているのだから、あと100兆円余分に借りても、いけるんじゃない」
「鳥インフルエンザだから、あと200兆円借りようぜ」
「大丈夫、大丈夫、ここまで借りても潰れてないんだから、問題ないって」

ここで、借金のメカニズムを単純化して考えてみます。
借金も商取引です。
商取引は、買い手と売り手が存在して、成り立ちます。
国が借金をするということは、国が、国債を発行して売り手となり、金融機関が買い手として現金の用意ができて、初めて、取引が成立します。
もしも、金融機関が現金を用意できなければ、商取引は成立せず、国は、借金そのものが出来なくなります。
では、金融機関は、その現金をどうやって調達するのでしょう。
個人の預貯金、企業の流動資産を集めて、調達します。
ところが。
鳥インフルエンザで経済が麻痺し、個人や企業が、現金を一斉に引き出したら、金融機関は払い戻しに応じなければなりません。現金を用意するために、債券を売却する必要も出て来ます。そんな時には、新しい債券の購入はできません。
それは、個人や企業が、資産を現金化する必要が出た時には、債券を買う人がいなくなるということです。
国が、債権の販売ができなくなったら、財政運営は出来なくなります。
これが、デフォルトです。
個人と企業の資産が、借金の総額よりも多ければ、国債の購買力はあります。
しかし、個人と企業の資産が大きく減少したり、国債残高が個人と企業の資産よりも大きくなった時には、国債発行による借金は出来なくなります。
これが、単純なメカニズムです。
国力が衰退し、国民所得が減少していますが、それでも、個人や企業は必死に貯金します。
それは、「いざ」となった時に使うためです。
もしも、その「いざ」を鳥インフルエンザが生み出した場合には、商取引の均衡が破綻することになります。
それは、デフォルトが起きるということです。
では、国がデフォルトすれば、何が起きるのでしょう。
国が負担している社会保障費が支払い不能になります。
「無い袖は振れない」状態になるのです。
この「無い袖」の「袖」とは、現金のことです。
借金できなければ、現金が入りません。
現金を手に入れるためには、増税をするしかありません。
六公四民では、足りません。
七公三民だって、八公二民だってあり得ます。
鳥インフルエンザで、命の危険に直面し、増税で生活が圧迫され、弱い立場の人から淘汰されていくことになります。
「まさか、そんなことには、ならんだろう」
確かに、ここに書いたことは極端な例ですが、否定できるのでしょうか。
いいえ、可能性は否定できません。
実際にどうなるのかは、誰にもわかりませんが、この予測に近い状態が起きた時に、私達には何か手段はあるのでしょうか。
ないと思います。
ということは、このような状態を招かないような国家運営をしなければならない、ということです。
でも、今は、そのような国家運営はされていません。
鳥インフルエンザパンデミックに備えて、南海トラフ地震のような巨大地震に備えて、基金を用意するという国家運営はされていません。
今は、借金をするのではなく、予測されている災害に対処するために基金を積み立てる必要がある時だと思います。
それが、あるべき国家運営の姿です。
なぜなら、国は、国民生活を守るために存在しているシステムだからです。
先送りをして、出たとこ勝負では、大変危険です。
国は、責務を果たそうとしていません。

政治家のお偉い先生方は「政治は、結果責任だ」と言います。
では、結果が出て、その責任を取った政治家はいたのでしょうか。
そんな政治家は、過去に、存在していないと思います。
確かに、軍人の中には、結果責任をとり、自刃した人がいますが、政治家は、そんなことはしません。国家運営に従事している官僚の皆さんは、「トカゲのしっぽ」にされて責任を取らされることはありますが、政治家はそんなヘマはしません。
結果責任とは、責任を免除されているという言葉のようです。
なぜ、こんな不条理がまかり通っているのか。
それは、責務が明確ではないからです。
目的もありません。
政治家は、やりたい放題、「自分さえよければ」が公的に認められている特権階級だということです。
江戸時代の「お殿様」と同じです。
政治家は、「お殿様」なんですか。
今は、「お殿様」という名称ではなく「お偉い先生様」と呼ばれています。
でも、本人は、「お殿様」の積りなのでしょう。
政治家は、当然のように、主権者よりも、「お殿様」のほうが偉いと思っています。
日本は、民主国家ではありませんので、致し方ありません。
でも、皆さんは、それでいいのですか。
これって、政治家になれなかった皆さんの自己責任なんですか。
違うと思います。
民主主義は、そういう制度ではありません。
やはり。
ここは「国とは、国民とは、民主主義とは」という言葉の定義をして、責務を明確にし、目的を持つ必要があるのだと思います。
鳥インフルエンザパンデミックであろうと、南海トラフ地震のような巨大地震であろうと、実害を受けるのは国民の皆さんです。
国民の皆さんにも、責務があります。
自分の生活を守ること。
家族の生活を守ること。
皆さんの仲間である国民の生活を守ること。
それが、国民の皆さんの責務です。
民主主義国家では、お殿様や独裁者のために、国というシステムがあるのではありません。
国というシステムは、国民の皆さんの生活を守るためにあるのです。
言葉の定義をすれば、当たり前のことなのですが、何もかも「ぼんやり」としたシステムの中では、国民生活は守れない仕組みになっているのです。
どうか、そのことに気付いて欲しいと思います。


2023-09-02



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私達の得意技は先送り [評論]



何とか持ち堪えていた岸田政権ですが、いよいよ、追い詰められました。
でも、岸田さん、心配はいりません。選挙権を持っている国民の皆さんは「いい人」ばかりですから、自民党内での権力闘争に勝てば、大丈夫です。
多分、岸田さんも、「追い詰められている」とは思っていないでしょう。
それは、岸田さんには、強い味方がいるからです。
「いい人」と「いい人、ぶりっ子」の国民の皆さんです。
言い方を変えれば、忠実な「下々」の国民です。
「いい人」と「いい人、ぶりっ子」を足すと7~8割くらいの国民が味方になってくれます。今は、その半数ほどが迷っていますが、今は迷っているだけで、最終的には味方に戻ってくれると思っているのではないでしょうか。
でも、実際に追い詰められているのは、岸田さんではありません。
追い詰められているのは、国民の皆さんです。
岸田さんも国民の皆さんも、そのことに気付いていません。
元々、「空っぽ」だった政権ですから、こうなることは必然だったかもしれません。岸田さん個人にも、問題はありましたが、総理大臣が誰になっても、大差はないとすると、これは、総理大臣の資質の問題ではないと思います。何度も、諄いかもしれませんが、これは、この国の統治システムの問題です。そろそろ、そのことに気付くべきです。
もう、「なあ、なあ」「まあ、まあ」「先送り」「なし崩し」では、やっていけなくなっています。古き良き時代(民主主義風王政並立封建制度)は限界を超えています。
ところが、政治家も学者もジャーナリストも、国民も、誰一人、「統治システムを変えよう」という声を出しません。その最大の原因は、皆さんが、この国は民主国家だと思い込んでいることにあります。でも、実際には、この国は、民主主義風国家ではありますが、民主国家ではありません。国全体で、「民主主義とは」という定義を共有していないのですから、気付けないのも仕方ありません。
それは、原因の原因の原因を見つけた人がいないからです。
この国の行き詰まりの原因は、国力衰退です。国力衰退の原因は、目的と責務の欠如です。目的と責務の欠如の原因は、言葉の定義をしない文化です。
原因の原因の原因が文化であることに気付いた人がいません。
確かに、気付き難いとは思いますが、気付かなければ、このまま朽ちてしまいます。
そんな国で、国力衰退と国民負担の増加というトレンドは、着実に、前に進んでいます。今のトレンドの行き着く先は、皆さんもご存知だと思いますが、ドツボです。
非難や批判は満ちています。
小手先や口先の提案はありますが、日本の国力衰退はビクともしません。
国民世論も揺れています。
そんな社会環境にある皆さんは、無意識に、何か得体のしれない何かが近づいていることを察知しているようですが、不安ですが、何をしたらいいのか、わかりません。
わかりませんが、わかったふりをして、「ふむ、ふむ」と頷いて、「先送り」をします。
今日は、岸田さんの「先送り」がテーマですが、岸田さんは、単に、国民の写し鏡なのかもしれません。
皆さんは、どうして不安なんですか。
「順風満帆だ」と思っている人が何人いるでしょう。
皆さんの心は、ザワザワしていると想像します。
国民の皆さんだって、今の状況が「ヤバイ」ってことは知っているはずです。
この国の皆さんは、「馬鹿」ではありません。いや、かなり「優秀」な国民だと思います。ただ、皆さんは「知らない」だけです。「馬鹿」ではありませんが、「無知」です。
厄介なことに、たとえ、馬鹿でも無知でも、国が潰れた時の責任は、国民の皆さんが取らされるのです。この鉄則だけは、古今東西、覆ったことはありません。
この国では、これまで、民が「何かをした」という体験がありません。
ずっと、「お上」に丸投げしてきました。
でも、そんなことで何とかなる時代は終わっています。
その結末は、火を見るより明らかだと思います。
皆さんには、「自分の生活を守る」という責務があります。それは法則でもあります。この法則は、人類誕生の時から現在まで、そして、この先も、変わりません。皆さんの生活は皆さんが守るのです。
大きな潮流(国力衰退と国民負担の増加というトレンド)の前では、個人の力では、「自分の生活を守る」という責務を果たすことはできません。大きな潮流に対峙するためには大きな力が必要です。その大きな力を持っているのは、国民だけです。それも、1つの目的のために結集した時の国民の力だけです。このことは、日本だけではなく、どの国でも同じです。
ただ、勘違いしないでください。
野党やメディアがやっているように、批判しろ、とか、非難しろ、と言っているのではありません。批判や非難には何の力もありません。
求められているのは、行動です。
行動と言われると、「〇〇の1つ覚え」のデモを考える人もいるでしょう。しかし、この国の現状はデモ程度では、どうにもなりません。逆に、国民が国民一揆を起こしたら、それだけで、この国は潰れます。必要なのは、的を射た行動です。的を射た行動とは、原因の原因の原因を知った上での行動です。
先ず、知ることです。
この窮地を乗り越えられるのは、出来るだけ多くの国民の皆さんが、「子供達の未来を守る」という同じ目的を持つことなのです。それ以外に、今のところ、道はありません。
少し、根っ子にあるものを見てみましょう。
なぜ、私達は、今、ここにいるのでしょう。
なぜ、人類は、これまで、数十万年も生き延びてきたのでしょう。
人類が、この地球上に存在し始めた時から、私達の願いは「永遠」だったのです。
「永遠」なんて、意味がないと言えば、意味のない事ですが、明確な論理的根拠はありませんが、「永遠」こそが人類の願いだったのです。これは、人類に限定した願いではなく、あらゆる生命体の願いでした。そのために、食べ、子を産み、育ててきたのです。
これまでの長い歴史の中で、「永遠」を否定する思想も価値観も生まれませんでした。忘れているかもしれませんが、今でも、私達の願いは「永遠」なのです。
もちろん、地獄を這うような「永遠」も永遠です。でも、出来れば、幸せな生活のほうがいいと思います。大きな脳に恵まれた人類は、それを自分の手で勝ち取ることができるのです。それが出来るのは人間だけです。
ただ、何もしないで、幸せな生活だけが欲しいという願いは叶いません。それが可能であれば、貧富の差や国力差なんて生まれません。何もしなくていいのであれば、地球上のすべての人類が幸せな生活を享受しているはずです。でも、現実は違います。
私達が、自分の生活を守るということは、簡単なことではありません。必ず、それを阻害するものが存在します。そのほとんどは、人間の「欲」ですが。
その原因を見つけ、原因の原因を見つけ、原因の原因の原因を見つけ、それに対処し、現在の、そして、将来の、幸せな生活を阻害している要因を克服するしか方法はありません。そのためには、多くの国民の皆さんの力が必要なのです。これは、特定のどこかの誰かが実現できるようなものではありません。集団で勝ち取るしかないのです。
もしも、「万能の王」が実在するのであれば、その「王」に全てを委ねるという選択肢はあります。でも、そんな人間は実在しません。多くの民の小さな努力を積み重ねるしか方法はないのです。リーダーシップなんて必要ない、と言っているのではありません。国民と同じ目的を持ち、リーダーの責務を知っている人が、国民の先頭に立つことで、より良き未来を手に入れることは可能です。しかし、その基盤は、あくまで、国民の目的なのです。
現在、国民は目的を持たず、国のリーダーは、「なあ、なあ」「まあ、まあ」「先送り」「なし崩し」で、責任を放棄しているのです。皆で、仲良く、この国をズタズタボロボロにしようとしているのです。
皆さんの未来は、子供達の未来は、真っ暗です。
それほど遠くない未来に、皆さんの生活は根底から壊れると思います。
多くの国民の皆さんの阿鼻叫喚が、今から聞こえるようです。
「ほんとに、皆さん、いいのですか」と問いたいです。

政治だけが悪いわけではありませんが、今の政治は、押しも押されぬ阻害要因です。
これほど「なあ、なあ」「まあ、まあ」「先送り」に特化した政権は珍しいと思います。
岸田政権はフラフラしているように思っている方もいるでしょうが、全くブレていない部分が1つだけあります。
「先送り」です。
どの局面でも、防衛費財源でも、少子化対策財源でも、デジタル化でも、「先送り」を貫徹しています。見事と言うしかありません。
「先送り」と「なし崩し」という合わせ技は、自民党が最も得意とする政治手法ですが、岸田政権ほど、堂々と、いや、臆面もなく、「先送り」をする政権は珍しいと思います。これまでは、「先送り」と「なし崩し」が見えないようにするだけの努力があったように思いますが、岸田政権は、「先送り」を隠すのではなく、総理記者会見を開く度に、前面に押し出しています。もっとも、隠そうが前面に出そうが、本質は「先送り」と「なし崩し」なのですから、この比較には意味がないのかもしれません。
ただ、「先送り」の先にあるのは「なし崩し」です。
ほとぼりが冷めた頃に、頭脳明晰な官僚が知恵を絞って最適な言葉を見つけ、国民負担は重くなります。これまでも、そうやって、国民負担は増えてきたのです。
消費税の導入の時も、国民は反対しました。
議論するからと言って「先送り」をし、ほとぼりが褪めた頃に消費税は導入されました。
10%に増税された時も、国民は反対でしたが、「社会保障の充実のために」という殺し文句を投げられ、国民は「ふむ、ふむ」と頷いて、増税されました。あの時も、6割強の国民が「いい人、ぶりっ子」をして、増税に賛成したのです。
この先も、国民は、きっと、「いい人、ぶりっ子」をすると思います。
私には、救いようのない国民に見えます。
「生活が苦しい」と嘆きながら、「お上」のご指示には「ふむ、ふむ」と言ってしまう。皆さんは、ほんとに、忠実な「下々」です。歴史と伝統は脈々と続いています。多分、自分でも、不思議だと思っているのではないでしょうか。つい、癖で、「ふむ、ふむ」と言ってしまうのです。ほんとに、「いい人」です。
それでも、国民の皆さんも、薄々とではあっても、危険は感じています。
しかし、どうすればいいのか。
それが、わかりません。
いや、「俺達下々には無理だ」と、はなから、諦めています。
この国の民は、自分の力で、国のあり様を変えたという体験がないからです。
民が国を変えるということは簡単なことではありませんが、いろいろな国で実践されていますので、不可能ではありません。しかも、私の提案は、武力を必要としていません。言葉で戦うことはできるのです。
しかし、ほとんどの人が「いい人」で、未だに土下座をしていますし、「下々」意識が染みついていますので、忖度や遠慮が先に立ち、エネルギーは生まれません。「お上に逆らうなんて、そんな恐ろしい、罪なことは、できない」と思い込んでいます。
しかし。
国が崩壊するということは、国民の皆さんの生活が破壊されるということです。
多くの国民の皆さんが、地獄へ堕とされるのを見るのは辛いです。
でも、これが、現実です。
くどいですが、国民の皆さん、「ほんとに、このままで、いいのですか」


2023-09-01



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