SSブログ

気休め [評論]



このブログでは、国家崩壊までの時間が10年を切った時から、崩壊の解説と崩壊回避の提言を諦め、経過報告を主眼として書いてきました。日本は、着実に、一歩一歩、破滅へと進んでいるのが現状です。小さな出来事ですが、また、一歩、前進しましたので、そのことを書いておきます。

政府の骨太方針が変わったそうです。
骨太方針とは、予算編成の基準になるものです。
「消費税の増税」という文字が消え、「債務残高の対GDP比」というトリックが盛り込まれました。「債務残高の対GDP比」というトリックについては、何年か前に書きましたので、ここでは省略します。
骨太方針から文字が消えたにもかかわらず、官房長官は「消費税増税の方針に変更はありません」と言い切りました。方針に変更がないのであれば、文字を消す必要もありませんが、文字は証拠として残りますが、記者会見での言葉は証拠能力に欠けます。記者会見の言葉であれば「怪文書」だと言っても問題になりません。野党への撒き餌になるくらいです。
いつものように、曖昧という隘路を利用する上手なやり方です。もう慣れていますので、実に、堂々とした様子で、記者も追及できなかったのでしょう。
同じく、「プライマリーバランスの黒字化目標に変更はありません」と明言しました。目標は、どこまで行っても目標ですから、目標を変える必要はないのです。官房長官は、目標を達成するとは言っていません。内閣府の試算でも、目標が達成できないことは明白になっています。目標の達成が可能であれば、「債務残高の対GDP比」というトリックを追加する必要もありません。
なんという無責任な記者会見なのでしょう。

政府と官邸記者クラブとの間には、暗黙の取り決めがありますから、どこの記者も、根っ子に触れる質問をしません。この国にジャーナリズムなんてものは、一度も存在したことがありませんし、国民目線なんて死語になっていますから、仕方のないことですが、なれ合いの記者会見をやっている政府も報道機関も、そのなれ合いが周知の事実なっていることに恥じることもなく続けていることにすら慣れてしまっている。この厚顔無恥は、大変、見苦しいものがあるということに気付いて欲しいものです。
別の日の記者会見では、東京新聞社会部の望月記者(女性)が、加計問題について23回も質問を繰り返しました。同じ質問はやめてくださいという事務方に向かって「ご返事をいただけないので、質問しています」と切り返しました。文科省の再調査は、望月記者の成果だともいわれています。官邸記者クラブの人間ではなかったし、政治部の記者でもなかったので、できたことなのでしょうが、記者クラブの人達はどう思ったのでしょう。「部外者が余計なことをしやがって」と憎々しく思っていたのではないかと思います。明らかに、記者クラブの人達のほうが間違っていると思いますが、実に嘆かわしいことです。
それにしても、破滅へ向かっている日本丸を、皆で、一致協力して、後押ししていることに、誰も気付いていないのは不幸としか言えません。破滅へと向かっているのに、基本は「なあなあ」「まあまあ」です。実に、「お見事」としか表現できません。どこの報道機関も、戦前の朝日新聞社と同じことをやっているのです。ま、朝日新聞が、今でも、平然と生き残っているのですから、許されるのでしょう。敗戦後、その朝日新聞を支えたのが国民なのですから、もう、どうすることもできません。お手挙げです。こんな政府を選んだのも、国民です。他に政権を担当できる政党がいないのですから、仕方ありませんが、ここまで自民党を大きくする必要は、全くありません。役立たずの民進党が増えるのも困りますし、どうすればいいのでしょう。日本共産党に一票を投ずる選択肢しかないのでしょうか。
逆に、ごく一部の方なのだろうと思いますが、政府が記者会見をしてくれるのは有難いことなのだと主張する方がいます。その理由は、世界には記者会見さえ開かない国がいくらでもある、というものです。そのレベルの低さに驚きました。また、記者会見が無くなれば、報道機関はどうやって情報を手に入れるのだ、と言います。私達は、「お上」の温情で情報を貰っているという認識のようです。多分、大手の報道機関も同じ考えなのでしょうが、それが、とても、有難いことだと言っています。これでは封建社会そのものです。この方の「民主主義とは」の定義を聞いてみたいものです。「お上」のご意向を、有難くお伺いすることが民主主義ではありません。定義がないと、こんな勘違いをする人も出てくるのです。いや、この国の現状が民主主義ではないことを、この方は証明しているようなものです。国家が情報開示をするから、民主国家なのです。なぜなら、政府は国民の外注先なのですから、出資者への報告は当然のことです。民主国家では、中国や北朝鮮と同じやり方は通用しません。この方、肩書はジャーナリストだそうです。とても、寒いです。

消費税増税以外の増税と社会保障費の削減は継続されますが、消費税増税は三度延期されることになりそうです。
消費税増税という文字を消した本当の理由は、衆議院選挙と憲法改正の国民投票を控え、影響の大きい消費税増税という文字は不吉だと思ったからにすぎません。
安倍総理が、1年前に消費税増税延期を決めた時、「2019年度の増税は、延期しません」と大見得を切ったことを憶えている方もいるでしょう。でも、増税ですから、一分一秒でも「先送り」が望ましいと考えている国民は、気にしません。いや、また増税を延期してくれるのであれば自民党に一票を入れてもいいと思う方が増えるかもしれません。
何度も書きますが、8%への消費税増税の時、国民の6割から7割の方が賛成しました。あの時の国民の皆さんは、どこへ消えてしまったのでしょう。宙を浮遊していて、風の吹くまま移動しているとしか思えませんが、それでいいのでしょうか。最終責任は、国民が取ることに、全く気付いていません。怖ろしいことです。

国際的な意識調査によると、「自分の子供達は、自分達より豊かな生活ができる」と思っている人は、新興国の人達であり、先進国では、50%を割り込んでいます。先進国の人達は「子供達の未来には、夢も希望もない」と感じているようです。
アメリカでは、37%の人達しか、ドイツでは、36%の人達しか、イギリスでは24%の人達しか「子供達は、自分達より豊かな生活ができる」と思っていないようです。
では、日本では、どうなのでしょう。
日本では19%の人達が、「子供達は、自分達より豊かな生活ができる」と思っているようです。
仮に、「わからない」と回答した人が30%いたとすると、「子供達の未来には、夢も希望もない」と感じている人は、50%もいるということです。
もちろん、この調査では、国民性が大きく影響します。私のような悲観論者がいる日本では、どうしても否定的な結論が出てきます。それにしても、率の差はあったとしても、全体として悲観的な意識を持っていることに変わりはありません。
逆に、19%もの人達が、「子供達は、自分達より豊かな生活ができる」と思っていることに、驚きました。どんな人たちが、そう思っているのでしょう。私には想像できません。
仮に、50%の人達が「子供達の未来には、夢も希望もない」と感じているのであれば、どうして、その人達は声を出さないのでしょう。
まさに、不思議の国の国民です。

国民が声を出さないのですから、政府は平然と「先送り」をすることができます。
消費税増税が無くなった訳ではありません。「先送り」されただけです。
財政健全化の謳い文句だった「プライマリーバランスの黒字化」も「先送り」のツールでしたが、時間の経過とともに失敗が見えてきましたので、「プライマリーバランスの黒字化」よりも効き目の強い薬を処方することになったのです。それが、「債務残高の対GDP比」というトリックです。これは、将来の経済成長の数字を、細工するだけで、長期間「先送り」が可能になる、優れた効能のある薬ですが、「先送り」の薬ですから、どこかで限界を迎えます。
最後には、「政府と日銀の一体化」という薬を使う日がやってきます。もっとも、これは劇薬ですから、その副作用も強く、長期間の治療には不向きです。
最近、金融緩和政策の出口戦略という言葉が出てくるようになりました。それは、アメリカが出口戦略へと移行し、EUの方向性も出口を意識したものになってきましたので、日本でも、出口戦略はどうなるのかという心配が民間から生まれたことによります。しかし、日銀は、出口戦略に関しての具体的な方向性は出しません。
いや、出せません。
度々、書いていますが、日本は出口戦略不在の金融緩和政策を採用しているからです。
日本の金融緩和政策は、表向きでは「デフレ脱却」のためだとされていますが、その目的は民間資金が枯渇してきましたので、日銀による国債購入が真の目的です。日銀が国債を購入しなければ、財政が成り立たない時期がやってくるのです。そのために、日銀は、一刻も休むことなく、買い続けなければなりません。未来永劫です。いや、日本そのものが破綻する迄、買い続けなければなりません。最初から、出口はないのです。
現在は、年間80兆円の購入ですが、新発国債だけを消化するためであれば、40兆円でも大丈夫です。ですから、購入枠を40兆円まで縮小することは可能です。それを出口戦略だと言い出すかもしれませんが、その場合は、長期金利が上昇する危険がありますので、かなり、勇気が必要です。出口戦略に着手したアメリカは、数年以内に長期金利が5%前後になると言われています。日本で、長期金利が5%になったら、大変なことになります。もしも、長期金利を0%に抑えたいのであれば、80兆円の購入枠は減らせないでしょう。
日本の金融緩和政策は、行ける所まで行って、後は、ガラガラガラと崩れるのを待つしかありません。

参考までに、ある信用金庫の理事長へのインタビュー記事を抜粋しておきます。理事長は信用金庫のトップです。その現場の責任者の方が、現在の金融システムは「修羅場になったら誰も手をつけられない状態で壊れていく」と予測しているのです。日本の金融機関の中で、最初に壊れていくのは信用金庫なのでしょう。既に、その信号は黄色く点灯しているのかもしれません。ですから、これは、現場の方の本音の声だと思います。財務省も金融庁も、信用金庫や地方銀行が淘汰されるであろうことは承知しています。たかが、信用金庫、たかが、地方銀行で済むとは思えません。金融機関の信用の失墜は、大きな障害になります。蟻の一穴が、大きな穴に発展するのは、よくあることです。

  黒田東彦日銀総裁が異次元緩和を導入した13年4月。増田理事長は直後に開いた営業店長会議の冒頭で、「止めたくても止められないエンドレスの政策を選択したという意味で、日銀はパンドラの箱を開けた」と訓示した。この4年間を振り返り「案の定そうなりつつあり、いずれ耐えられない金融機関が増えてくる」と語る。
  黒田総裁は5月16日、都内のセミナーで、自身の来年4月の任期満了後の金融政策運営について、「誰がトップであっても、日銀には将来の緩和解除にうまく対処する十分な手段がある」と述べた。増田氏は「いざ何かが起きた時は恐らく、これは想定外の出来事で、前の人がやったことだと言って終わりで、誰も責任を取らないのではないか」とみる。
   日銀は昨年9月、量を目標とした従来の枠組みを転換して長短金利操作を導入。10年物国債金利で0%程度の目標を設定した。増田氏は「日銀は長期金利をコントロールできると言っているが、絶対にできない。一時的にできるように見えても、今は皆、日銀の言うことを聞いているふりをしているだけだ」と懐疑的だ。「修羅場になったら誰も手をつけられない状態で壊れていく」と予測する。
  増田氏は「今の金融政策の下では、時間がたてばたつほど生き残れる金融機関の数は減っていき、そして誰もいなくなる。何をそんなに心配しているのかと言われるような、心配性の人たちしか生き残れない」と危機感をあらわにしている。

どこまで「先送り」ができるのか、それが官僚の腕の見せ所になります。5年なのか、10年なのか、15年なのか、わかりませんが、最長不倒距離に挑戦しているのが、日本財政です。
私の予測では、それが9年後です。
どんどん煮詰まってきています。
私達はその渦中にいますので、見え難いのですが、振り返ってみれば、誰の目にも「俺たちは、なんて馬鹿なことをしていたんだ」ということが見えるような簡単なことです。
私達は、対処療法を捜すことに熱中するあまり、原則を見落としています。これは、明らかに、視野狭窄という病気です。
余りにも当たり前のことですから、気付きにくいのかもしれません。しかし、いつの時代でも、どこの国でも「借金は返す」という経済原則があるのです。商品やサービスを買った場合、その代金を支払うことが原則です。代金の支払いを約束手形で支払った場合は、その約束の期日に現金を用意することが原則です。当たり前のことです。経済は、原則が守られているから回っているのです。同じように、借金の場合も期日までに返済しなければなりません。これも、原則です。原則を無視した経済活動なんて存在しません。その原則を破るということは、経済を破壊するということです。
民間で原則破りが横行しても、その影響は限定されますが、国が原則を破れば、国民が全員でその責任を取らねばなりません。
国民は、漠然と「まさか、国がそんなこと、するはずがない」と信じているのでしょう。
いけないのは、政府とつながっている人達が、一般専門家という肩書で「日本の借金は心配するほどのものではありません」と言いますので、国民はそれを信じてしまうのです。「日本には、腐るほど資産があるし、国債の半分は日銀が持っているのです」という説明です。それが、どうして財政破綻を回避することになるのかは説明しません。いや、説明できないから、説明しないのです。しかも、経済の専門家が言うのですから、国民は信じてしまいます。もしも、発信力のある方が、例えば竹中平蔵氏が「日本財政は危ない」などと発言すれば、嵐になります。そうなれば、その方の所から、あらゆる人達が離れていきます。もちろん、仕事も名声も、終わります。
ですから、「心配ありません」と言います。でも、実際に国が壊れてしまえば、そんな発言のことを憶えている人はいませんので、今は、何を言ってもいいのです。このくらい大きな問題になれば、責任ある発言などする必要はないのです。もっとも、「心配ありません」と言う人が増えてくると、庶民は、逆に、「危ないんじゃないか」と感じます。これは、自己保身本能ですから、仕方ありません。ただ、そう感じた時は、もう、手遅れですから、どうすることもできませんが、そうやって、歴史は作られてきたのです。「歴史は繰り返す」というのも歴史ですが、歴史とは人間の営みなのですから逃れることができません。
さきほど引用した理事長の心配とは、随分かけ離れています。理事長は現場責任者であり、社員やその家族に対する責任を負っています。私なら、竹中平蔵氏の言葉よりも、信用金庫の理事長の言葉を信じます。
昔から、都合の良い話が現実になったことはありません。
実際には、「まさか」が現実になる日が来るのです。
70年前も、国民は、「日本が負けるわけがない」と信じていました。
でも、現実は、無残な敗戦でした。
国でも、企業でも、個人でも、無い袖は振れないことに変わりはありません。
こんな当たり前のことが、忘れられているのです。
せめて、このブログを読んだ方だけでも、覚悟は持っておいてください。
もちろん、何の役にも立たない「覚悟」ですが、無いよりはあったほうがいいかもしれません。気休めくらいにはなります。

もう一つ、気休めを書いておきます。
共謀罪が、施行された時は、石田のブログには触れないようにすることをお勧めします。このブログは、政府にとっては危険思想そのものです。ブログを読んだだけで共謀罪に問われる可能性があります。もっとも、過去に遡られたら、逃れる術はありませんので、気休めにしかならない可能性もあります。ごめんなさい。



冒頭で、崩壊回避の提言を諦めた、と書きました。
ここで、あらためて、その理由を書いておきます。
崩壊回避の妙案や奇策は存在しません。国の構造を民主化するしか方法はないのです。民主化に必要なものは、国民の意思です。しかし、日本の国民にその意識はありません。それは、「お上」が「皆さんは、民主国家の国民なんですよ」と洗脳することに成功しているからです。それを、覆すことは、個人の手に余ります。
私の勝手な定義ですが、国家の唯一の目的は「国民の生命と財産を守る」ことだと思っています。それが、民主主義国家だと思います。国家は、そのためだけに存在していると言っても過言ではありません。しかし、世界の歴史を見ても、日本の歴史を見ても、守られなかった国民の生命と財産は、山のようにあるのが現実です。
このままでは、同じ結末を迎える日がやってきます。
国家が「国民の生命と財産を守る」ためには、常に、100年の計を立てておかねばなりません。それが民主国家の責務ですが、実現していません。
国民が「その気」にならなければ、民主化はできません。民主化とは、文字通り国民主権国家の樹立です。主権者である国民の生命と財産を守ることに特化された組織が必要なのです。私達は、その組織を維持するために税金を納めているのです。
結果的に、国民の生命と財産が守れなければ、国家の存在意義はありません。民主化すれば、成功すると断言は出来ませんが、少なくとも、目的だけははっきりしますので、軌道修正ができるチャンスを手に入れることはできます。
残念ですが、この国には「国とは、国民とは、民主主義とは」という定義さえ存在していません。ですから、国家が国民の生命と財産を守る組織なのだという定義もありません。
この国は、未だに、封建制度から抜け出せていませんので、国民の生命と財産の価値は決して高くありません。守るふりはしますが、別に守らなくてもいいのです。
国民の皆さんは、未だに、小の虫のままなのです。
でも、国民が、「それでもいい」と思っているのですから、どうすることもできません。
崩壊回避の提言を断念したのは、そのことが決め手でした。
国民が目を覚まし、要求しなければ、民主化は実現しません。これが、現実です。
「誰かが」「何とか」なんてことは、現実として起きないものなのです。
多くの国民の生命と財産が失われることが見えているのに、どうすることもできません。
私だけの責任ではありませんが、申し訳ないと思っています。


2017-07-02



nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(1) 
共通テーマ:blog

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 1