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消費税の廃止 [評論]



今日は、昨年の参議院での、れいわ新選組の山本太郎代表のことについて書きます。
「こいつ、馬鹿じゃねーの」と一笑に付すような発言ですが、取り上げることにしました。馬鹿について書きます。

参議院予算委員会での山本太郎議員の質問です。
「国民生活は苦しい」
だから。
「消費税の廃止」
「季節ごとの一律給付」
「社会保険料の減免」
を実現してもらいたい。
そして。
「国民の皆さん、政府は国民を殺しにきてますよ」
「ペンペン草も生えないような将来が待っていますよ」
「みんなでひっくり返しましょう。れいわ新選組がその先頭に立ちます」

質問を受ける側の閣僚は無表情を装っていますが、内心では、「こいつ、馬鹿か」と思っていたでしょう。
さあ、茶番劇の開幕です。
阿吽の呼吸の上に成り立っている馴れ合いの出来レースです。
これが、国会の常識なのでしょうか。
コストをかけて選挙をし、コストをかけて国会議員を雇い、コストをかけて国会を運営していますが、何一つ成果が出ません。全部、無駄金です。
国家を運営する仕事を託された人達が、茶番劇を演じ、「ふむ、ふむ」に終始し、「なあ、なあ、まあ、まあ」で一件落着する。
こんな国が繁栄することはありません。国が衰退するのは必然だと思います。

山本代表の質問が、いかに「馬鹿馬鹿しい」質問なのか、少し見てみます。
国民の生活が苦しくなっていることは、正しい指摘です。
国民負担が重くなっていることも、正しい指摘です。
しかし、国民負担を減らせ、という提案は正しくありません。
なぜなら、実現不可能だからです。
れいわ新撰組は政権与党ではなく、弱小野党ですから、実現する必要はありませんが、弱者の恫喝は見苦しいと思います。
もちろん、物理的には、「消費税の廃止」も「季節ごとの一律給付」も「社会保険料の減免」も不可能ではありませんが、それは、生活が苦しいAさんの犠牲を、生活が苦しいBさんに移すだけで、問題の解決にはなりません。
国防も社会保障も止めれば、消費税減税は可能です。
医療を自由診療にし、介護を全額個人負担にし、年金制度を廃止すれば、社会保険料の減免も可能です。ただ、Aさんは楽になるかもしれませんが、Bさんが死にます。
膨れ上がっている借金を、さらに増やせば、給付金の支給も可能です。
つまり、国家運営を止めれば、いや、公的業務を戸籍等の業務だけにすれば、山本代表の提案は実現できます。
でも、そんなことは実現不能です。
なぜなら、AさんもBさんも国民だからです。Aさんを守って、Bさんを殺す国は、Bさんを守って、Aさんを殺している自民党と同じことをやるだけです。
次に。
国民が地獄に堕ち、多くの犠牲者を出すという指摘も、間違っていません。
ペンペン草も生えないような将来が待っていることも、正しい指摘です。
でも、れいわ新撰組に政権を委ねても、同じ結果になります。
何も解決しません。
山本代表は、ここでも間違っています。
国会は、国民生活を守る責務を果たしていません。
では、れいわ新選組の山本太郎代表は、何をしているのでしょう。
国会で、自分のための選挙活動をしているに過ぎません。短い時間で最大の効果を期待すれば、多少、無茶なことも言わなければならないのでしょう。中継がある予算委員会は絶好の宣伝チャンスです。票が欲しいだけのパフォーマンスなんです。国民の中には、騙される人もいるのでしょうが、それほど日本国民は馬鹿ではありません。
ただ、山本太郎に一票を投じた国民は存在するのですから、全員が馬鹿ではないと言い切れませんが、ほとんどの国民が馬鹿ではありません。
日本国民は、確かに、ヘタレではありますが、無知ではありますが、馬鹿ではありません。
税金や社会保険料を徴収しなくても、これまでの生活が維持できると考える国民は、ほんの少数です。ただ、現に、山本太郎が国会議員になっているのですから、そんなこともわからない馬鹿が存在していることは否定しません。
では、れいわ新撰組に票を入れている方は、ほんとに、馬鹿なのでしょうか。
いや、そんなこと、承知の上なのだと思います。山本代表も、そのことは理解していると思います。
だとすると、結局、馬鹿な国民は存在しないのです。
山本代表は、承知の上で、馬鹿なことをやっているのです。
では、なぜ、馬鹿げた提案をするのでしょう。
現状を変えたい、と思っているのでしょう。「やけくそ」と言ってもいいと思います。それは、袋小路に押し込められ、出口が見えない状態に耐えられないからです。
気持ちはわかります。
袋小路を壊してしまいたいという欲求が生まれるのも頷けます。
でも、そんなことして、国民が喜ぶとは思えません。
ただ、「もう、やけくそだ」と思っている国民もいますので、山本代表の難癖に同調してくれる人は、多くはありませんが、いると思います。その人達の票が欲しいという強い「欲」に目が眩んでいる選挙パフォーマンスに過ぎませんが、その気持ちはわかりますが、それでは何も解決しません。
解決策を持っていない苛立ちが、攻撃的で、馬鹿な提案をしてしまう理由です。
これは、れいわ新撰組だけではありません。
誰も、解決策を持っていないのです。
自民党が主張している、生産性向上をしても、賃上げをしても、新しい資本主義でも、解決策にはなりません。
ですから、れいわ新撰組だけが悪いわけではありません。
「苛立ち」に正面から向き合っているという意味では、きっと、山本代表は「いい人」なんだと思います。もちろん、岸田さんも「いい人」ですから、「いい人」が全ての免罪符になるわけはなく、政治家として望ましい政治家ではありません。
政治家には政治家としての責務がありますが、その事を誰も知りません。
明らかに実現不可能なことに、茶番劇に、時間を使う余裕はありません。
やはり、責務の欠如が諸悪の根源なのだと思います。

れいわ新撰組が政権を取るなんて事態は、起きません。
それは、山本代表にもわかっていると思います。
だから、何でも言える。
そんな人が国家運営の一員なのですから、この国は救われません。
でも、今は、それが認められています。
誰が、何をやっても、何を言っても、構いません。責任を取る必要がありません。
岸田さんや山本さんだけではなく、政治家の皆さんには、「この国には、何が欠けているのか」「なぜ、国力が衰退しているのか」を真剣に考えてもらいたいと思います。
国会では、その議論をしてもらいたいです。

国会の茶番を見ていれば、この国が衰退しているのは、仕方ないと思います。
その原因は、平たく言えば「やる気」がないことだと思います。
「やる気」とは、人間の「意志」です。国家運営を担っている人達にも、国民にも、国力衰退を止めようという「意志」がありません。
「何が何でも、国民生活を守る」という「意志」がありません。
なぜ、「意志」がないのでしょう。
大谷翔平が世界最高のスポーツ選手になったのは、体力と才能だけではないと思います。彼には「勝ちたい」という強い「意志」があったから、世界の大谷翔平になったのだと思います。それは、「世界一」という目的があったからだと思います。
「なあ、なあ、まあ、まあ」では、「目的」を持つことができません。
そして、「目的」がなければ、「意志」は生まれません。
国会議員に富を生み出す力はありません。国会議員は富を浪費するだけです。
では、国会議員は何のために存在しているのでしょう。
富を生み出してくれる国民に「その気」になって貰うために存在しています。
その為には、「お上」と「下々」という意識を根底から変える必要があります。
そして、国としての「目的」を確立することです。
その「目的」を達成するために、誰が何をしなければならないかを明確にすることです。
総理大臣の責務、政治家の責務、官僚の責務、企業経営者の責務、国民の責務を明確にし、国として「目的」を達成する努力をしなければ、国力が衰退し、国民生活は苦しくなり、最終的には、民族そのものが絶滅する環境を作り出してしまいます。
それぞれの立場の人が、それぞれの立場の責務を果たすことで、国は繁栄することができるのです。その国家運営に、どれほど多くの国民が参加してくれるかで、繁栄の度合いは変わります。今は、ほとんどの国民が参加していませんので、国が衰退しているのです。
今、この国に必要なのは、「消費税の廃止」でも「季節ごとの一律給付」でも「社会保険料の減免」でもありません。
必要なのは「目的」の確立と「責務」の明確化です。
「目的」を持ち、それを達成する「意志」を持たねば、国は衰えます。
「俺には関係ねぇ」「自分さえよければ」では、「目的」は達成できません。
山本氏も岸田氏も馬鹿ではありません。考える力を持っています。
ですから、考えて欲しいと思います。
取り敢えず、「選挙」は棚に上げておきましょう。
「そもそも、なぜ、国が存在しているのか」を考えてください。
そうです。
国は、国民生活を守るために存在しているのです。
選挙のために存在しているのではありません。
当たり前のことですが、当たり前過ぎて、忘れているだけだと思います。
歴史を見れば、どんなシステムにも限界はあります。
天皇による支配が限界を迎えて武家による統治システムが生まれました。
武家による支配が限界を迎えて明治維新になりました。
しかし、未だに封建的な手法で、国を統治しようとしています。
もう、封建的手法で国を統治するのは限界なのです。
国民の、国民による、国民のための、システムを構築する時です。
ただ、そこには、大きな壁があります。
明治維新から150年も経過したのに、未だに、封建主義的手法から脱皮できません。
その原因が、文化です。
「なあ、なあ、まあ、まあ」文化を卒業しなければ、新しいシステムは生まれません。
個別の、目先の、政策が不要だとは思いません。
でも、もう、それでは、どうすることもできないほど、この国は弱っています。
今のジリ貧は、この先も続きます。
この国が再生するためには、どうしても、文化を変える必要があります。


2024-01-03



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