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海外移住の勧め [評論]



私達庶民には無縁の話ですが、海外移住について書きます。
私は、多くの皆さんが海外移住することを、願っています。
その理由は、出来るだけ多くの方が、生き残って欲しいと思うからです。
国家崩壊から自分の身を守る方法は海外移住しかありません。
せめて、大金持ちの皆さんには、日本人として、生き延びて欲しいと思います。情緒的な願いかもしれませんが、地球上から特定の民族が消えるのは、間違っていると思います。
少しずつ、海外移住が増えているという話題もありますが、まだ、限定的だと思います。
多分、私が大金持ちだとしても、海外移住には抵抗があります。それは、日本人にとっては、この国の自然環境が、とても心地いいからだと思います。
しかし、この国は地獄になります。
確率はそれほど高くはないかもしれませんが、民族の絶滅もあり得ます。
国民が貧しくなり、企業が貧しくなり、国が貧しくなった時、誰が原子力発電所と使用済み核燃料の管理をするのでしょう。放置されれば、この国は核汚染国になり、そこに住む人は短命になり、時間をかけて消滅する危険があります。
例えば、1000年後の世界で、「昔、日本という国があって、とても、いい人達が暮らしていたが、今は、誰も住んでいない、いや、住めない土地になってしまった。世界に日本民族の末裔はいるが、純粋な日本民族は絶滅してしまったのです」と言う日が来るかもしれません。
金持ちの方も、大金持ちの方も、貧困に喘ぐ国になります。
海外移住という選択肢を持っている方は、その権利を行使するべきだと思います。
その前に、必ず、資産税が復活する時が来ますので、それほど時間はありません。金持ちも貧乏人も関係なく、財産は根こそぎ奪われると考えてください。それで立ち直ればいいのですが、その保障はありません。
心情的なデメリットには目をつぶり、ここは、生き延びるメリットに着目して欲しいと思います。移住先の国を、どう決めるのかは難しいと思いますが、検討してみてください。

海外移住のメリットの1つが相続税の問題です。
お金持ちと大金持ちの方の相続税の税率を見てみます。
   財産額      税率 
1億円 ~ 2億円    40%
2億円 ~ 3億円    45%
3億円 ~ 6億円    50%
6億円 ~        55%
例えば、10億円の財産を持っている方の相続税は、5億5000万円です。
では、世界の相続税の税率を見てみます。
1位:日本(55%)
2位:韓国(50%)
3位:フランス(45%)
4位:英国、米国(40%)
6位:スペイン(34%)
7位:アイルランド(33%)
8位:ベルギー、ドイツ(30%)
10位:チリ(25%)
11位:ギリシャ、オランダ(20%)
13位:フィンランド(19%)
14位:デンマーク(15%)
15位:アイスランド、トルコ(10%)
仮に、デンマークに移住した場合、相続税は15%ですから、4億円の差が出ます。
アメリカに移住するだけで、1億5000万円の節約になります。
お金持ちの方は、私のような貧乏人と違い、金銭感覚が厳しく、「1円を大事にする」と言われます。そんな皆さんが、数億円を無駄にするのは間違っていると思います。確かに、海外移住には問題も多いと思いますが、検討する価値はあると思います。
なぜ、相続税は、国によって、こんな差が出るのでしょう。
昔は、相続税は存在していませんでした。
日本で、相続税が始まったのは、1905年だそうです。
最初は、日露戦争の戦費調達のために、臨時に導入されたものですが、それが、得意の「なし崩し」により、現在まで続く恒久税になったのです。しかも、世界1位の税率です。日本らしいと言えば日本らしい結果だと思いますが、相続税改正の要求は出ません。有権者の多くは貧乏人ですから、相続税なんて「俺には関係ねぇ」と思っています。相続税を変更するためには法改正が必要であり、法改正をするのは、選挙にしか興味のない国会議員です。ですから、選挙に影響しない案件には、誰も動きません。いや、減税は、税金から収入を得ている国会議員にとって、最終的に自分の首を絞めることになるのですから、やりません。
国によって、相続税の扱いは違います。
相続税を廃止した国も存在します。
国家運営の姿勢と国民の意識に差があるのだと思います。
自民党の得意技が「先送り」と「なし崩し」だと書きましたが、これは、自民党だけではなく、歴代の日本の国家運営者の得意技のようです。
日本では、昔から、徴税意識が強かったのではないかと思います。封建時代でも度々検地が行われていたのは、徴税意識の強さだと思います。
「獲れるものは1円でも獲る」
「一度獲ったものは手放さない」
公平・公正を旗印にすれば、「強欲」が正当化できるのです。
権力者は、民の富を奪う権利があると考えられていたのかもしれません。天皇であれ、将軍であれ、権力を手にした人達が優雅な生活をしていたのは当然の権利だと思っていたのでしょう。だとすると、五公五民も六公四民も七公三民も、権力者にとって、違和感はないのかもしれません。
でも、これ、何か違うと思います。
なぜ、国というシステムがあるのでしょう。誰のための国なのでしょう。国の主役は、国民なのですか、それとも、権力者なのですか。
やはり、元凶は、「国とは」という言葉の定義が欠落していることだと思います。
話は逸れてしまいましたが、現実は現実ですから、やはり、海外移住がお金持ちの皆さんには利益のあることだと思います。
お金持ちの方には、自分で働いて収入を得る以外にも、収入の方法があります。それが、投資です。日本は、投資に関しては後進国ですから、投資の先進国へ行けば、投資環境は格段に上がると思います。
10億円の財産をお持ちの方であれば、その半分を投資に回すことで、手数料を払っても、5%の利回りが確保できるのであれば、年間2500万円の収入が得られます。年収2500万円の家族が一人いることになります。手数料は、その衣食住の費用だと思えば、惜しくはありません。
投資のシステムは、元々、金持ちがそのシステムを作っているのですから、金持ちが得をするシステムになっているのです。それを利用しない手はないと思います。
そうやって財産を増やしても、日本に住んでいれば、相続税で55%失うのですから、海外移住は選択肢になり得ると思います。

では、相続税には縁のない人達に、海外移住は選択肢にならないのでしょうか。
若者にとっては選択肢になると思います。
ただ、簡単ではありません。
先ず、言語の問題があります。日本語は独特な言語ですから、手に入れることが大変ですが、手放すことも大変です。それでも、不可能ではありません。
出来れば、子供の頃から、外国語の会話に慣れておく必要があります。小中学生の子供には判断が難しいでしょうから、周囲にいる大人の責任は大きいと思います。
言語を手に入れたら、高校、大学で、世界に通用するスキルを身につける勉強をし、日本で就職したとしても、早い時期に、海外へ挑戦するべきだと思います。
もしも、移住先で生計が立てられるようになれば、日本が破綻した時、親兄弟を呼び寄せることも可能です。
それほどの時間は残されていませんので、どこまで出来るのかわかりませんが、何もしないよりはいいと思います。
「国が潰れるって、それ、あんたの妄想だろ」
そうかもしれません。
でも、皆さんだって、不安を持っているのは明らかだと思いますが、違いますか。
10年前なら、こんな話、ヨタ話で済んでいました。
でも、今は、一抹の不安があるのではありませんか。
この先、皆さんの不安は、更に、深まります。
国民の不安は、間違っていません。多くの国民の皆さんが不安を持てば、もう、ヨタ話では済みません。その不安は現実になります。
もしも、そうなった場合、「あちゃー」で済むのですか。
たとえ、10億円の財産を持っていても、財産は役に立ちません。
現金が必要でも、不動産は売れません。
価値のある芸術品でも金貨でも、国内では売れません。
自分の預金も銀行から引き出せなくなります。
その時になって、海外に移住しようとしても、送金が出来ません。
ビザが手に入らなければ、出国も出来ません。日本人は難民扱いになります。
経済活動がどこまで収縮するのかは想像もつきませんが、収入のある無しに拘わらず、日々の食料は必要です。食料は手に入るのでしょうか。
人間は、日常に慣れてしまうと、それが当たり前で、永遠に続くと勘違いしてしまいます。しかし、そんな保障はどこにもないのです。
私達の日常には関係がないと思っている債券、株、通貨が暴落すれば、私達の日常生活は破壊されます。それだけならば、まだ、耐えられるかもしれません。
私は、何度も、「不幸の神様は、群れたがる」と書いています。人間は、1つや2つの不幸には耐えられますし、対応もできます。しかし、3つ、4つ、5つ、となるとお手上げです。
しかし、不幸な出来事は、重なるものなのです。
現実の前では、常識や人道上の配慮は、簡単に覆されます。
子ども食堂が大幅に増加したというニュースを書いたことがあります。
では、子ども食堂を運営している方が、自分の食料ですら調達できなくなる国になった時、子ども食堂は続けられるのですか。
フードバンクに寄付をしていた個人や企業が、継続して、食料品を寄付するのでしょうか。
いいえ、誰もが、自分が生きていくことを優先せざるを得なくなります。
多くの方の善意で栄養を補給していた弱者は、行き場を失います。
だからと言って、善意で手を差し伸べていた人達を非難することはできません。
国が崩壊すれば、社会保障が停止されます。
それ以前に、企業倒産が増え、失業者が増えます。
それは、税も保険料も支払えない人が増えるということです。
国費が支出できなくなり、保険料を納付しない人が増える、と言うことは、医療費が高騰するということです。数千万人もの年金生活者の年金も支払われません。更に、障害者の方、生活保護を受けている方も、収入がなくなります。
誰かが助けてくれるのでしょうか。
いいえ、誰もが、自分の食料を調達することで手一杯になります。
国が貧しくなるということは、あらゆる物資が不足するということです。
最も不足するのは食料ですが、医薬品も手に入らなくなります。
貧困国では、麻酔のない手術は当たり前です。
簡単な市販薬も入手困難になります。
そうです、皆さんの生活基盤は、悉く破壊されるということです。
更に、電力会社は、公共交通機関を運営している企業は、経営が成り立つのでしょうか。
こんな不吉な妄想をしているのは私だけかもしれません。
では、私が妄想しなければ、こんなことにはならないのでしょうか。
いいえ、現実は、常に、過酷なものです。
海外移住なんてすることなく、穏やかな毎日を過ごせる国を維持したほうがいいに決まっています。
その為には、国力衰退を止めなくてはなりません。
どこかの誰かが、やってくれるなんてことは夢です。
皆さんが、やるしかありません。


2023-12-05



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国家破綻という一択 [評論]



金融崩壊という道筋をつけたのは黒田日銀ですが、今、金融崩壊の仕上げ段階の第二章が植田日銀によって始まろうとしている。なんてことを、素人の私が言っても、何の助けにもなりません。ただ、専門家の意見もいろいろで、「ヤバイ」のか「大丈夫」なのか、よくわかりません。多分、「なんでも、あり」なのだと思います。
金融市場は専門性が高いだけではなく、その守備範囲も広いので、私のような素人には理解できないことばかりです。
ただ、金融分野の異変は、時には、国家存立を危険にするほどのインパクトがあります。
そのために、国には金融を管理する専門の組織があります。
日本の場合、その役目を担っているのが日本銀行です。もちろん、内閣府も財務省も金融庁も深く関与しています。金融は、中央銀行と重要官庁が管理するほどの分野です。
今日は、通貨と金利について、素人目線で考えてみます。素人目線ですから、間違ったことを書く可能性は、非常に高く、読み飛ばしてもらったほうがいいかもしれません。

平穏無事な時には、ニュースになりませんが、最近、「円安」のニュースはよく報じられます。それは、今が平穏無事な環境ではないことを示しています。世界を見渡すと、不穏な空気に覆われている国が至る所にありますし、空気は様々に形を変え、伝播する性質を持っていますので、仕方ありません。
世界から隔絶して存続する国はありません。
例え、国が鎖国政策を取っていた江戸時代の日本であっても、長崎でのオランダとの通商や清国との通商は存在していました。
今は、資金も物資も、世界中を駆け回っています。
国の数だけ通貨が存在しますので、通貨と物資、通貨と通貨を交換する時には、その基準となる指標が必要となり、世界為替市場が生まれました。これは、価値は市場が決めるという資本主義のやり方です。
1ドルと交換する円は150円とするのが、今の為替相場です。
かつては、1ドルが70円台の時代もありましたから、その時代と比べると円の価値は半分になった計算になります。例えば、シカゴに行って、10ドルのハンバーガーがあったとします。以前は700円で買えましたが、今は1500円出さなければ買えません。
欧州の為替専門家の方が、顧客に対して「日本円は、トルコリラやアルゼンチンペソと同じカテゴリーの通貨になった」とリポートしているそうです。トルコリラやアルゼンチンペソは、投資という視点からは、現在、最も危険な通貨とされています。
通貨を取引する基準である為替相場は、誰でも参加できる投資市場になっていて、世界中の資金が取引に参加しています。日本では「FX投資」と呼ばれています。世界中で「FX投資」が盛んになったことで、その資金量は膨大なものになりました。
今は、為替相場をコントロールできる国はありません。それは、資金量が違い過ぎるからです。日本では、未だに、為替介入がニュースになりますが、日本政府がどれほど円買いをしても、数円、数日、よくても数週間の効果しかありません。
では、通貨の価値は、どうやって決まるのでしょう。
最終的には、国の信用度で決まります。
その信用度を計る物差しは多岐にわたっていて、国としての総合的な価値で決まります。それを、アメリカドルを例に見てみます。
例えば、トランプが南北戦争を始めたら、世界でドルを使う人は激減します。
例えば、中国が世界最強の軍事力を手に入れて、アジアやアフリカを支配下に置き、アメリカが守りに入ったら、ドルは敬遠されることになります。
例えば、アメリカで大恐慌が起きたら、アメリカドルの信用は失墜します。
例えば、アメリカが移民政策を破棄し、著しい人口減少国になったら、ドルは世界の基軸通貨ではなくなります。
通貨の価値を決めるのは、国としての総合力ですから、経済で、安全保障で、人口で、社会の安定性で、何らかの疑義が生まれると、価値が下がることになります。
もちろん、「通貨安」が起きても、私達の生活に影響がないのであれば、通貨がただのステータスに過ぎないのであれば、問題はありません。
でも、「通貨安」は、私達の生活を直撃します。
その現象が、今、皆さんの身の回りで起きています。
仮に、1ドル120円が安定した為替相場だとすると、1ドル150円になれば、輸入物価がその分高騰します。ウクライナ戦争で資源不足が起きているだけではなく、「円安」の影響で石油の買い入れ価格が円ベースで高騰した結果、電気代が私達の生活を圧迫しています。
少し極端な例を考えてみます。
仮に、1ドルが、500円に、1000円に、10000円になったら、電気代は5倍10倍100倍になります。仮に、今、電気代が1万円の家庭で、電気代が5万円10万円100万円になったら、私達は、電気のない生活をしなければなりません。
私達の生活を支えているのは電気だけではありません。食料も輸入に頼っています。食生活も大幅に変えなければ生きていくことができなくなります。
「円安」は、国民生活を破壊し、国家存亡の危機になり得るのです。
今、私達の国は、人口減少、経済停滞、国力衰退というトレンドが進んでいます。国の総合力は日々、衰えているのです。
国の総合力の衰えという現状の、先にあるのは、「円安」です。
「お先真っ暗」だと言っても過言ではないと思います。

衰退国家にとって、金融市場の危険要素は「為替」だけではありません。
「金利」も大きな危険要素です。
先進国で、未だに、マイナス金利政策を続けているのは、日本だけです。
植田氏は、日銀の総裁に就任して早々にYCCの許容範囲を広げたことで、「日銀も政策変更するのか」という観測が流れましたが、既に落ち着きました。短期的には、金融緩和政策は継続されることが確認されています。
植田日銀にたいする評価は、まだ出ていません。従来の政策継続か、出口に向かう政策変更かが見えていません。植田総裁からは、どちらの発言もあります。
インフレ率は、日銀の想定を超えていますので、インフレを抑えるために、政策変更をすることは自然なことだと思いますが、政策の変更は出来ていません。
なぜ、日本だけが政策変更できないのでしょう。
それは、金融を引き締め、金利を上昇させれば、副作用が大きいからだと言われています。でも、多くの国が副作用を承知で金利を上げています。と言うことは、日本の副作用は他国に比べて大きくなると考えられているからだと思います。
ただ、素人の私には、どこに本物の問題があるのかがよくわかりません。
素人の勝手な想像を書いてみたいと思います。
日銀は、日本国債を約600兆円保有しています。600兆円という数字は、国家予算の5年分に当たるほどの大金です。
仮に、長期金利が3%になったとすると、日銀は、日本国債という不良債権を600兆円も抱え、時価決算をすれば債務超過になることは容易に想像できます。ただ、植田総裁は、一時的に債務超過の状態があっても問題ないと言っています。それが正しい判断なのかどうか、私にはわかりません。もちろん、植田さんは、「ヤバイ」とは言わないでしょう。
債務超過を抱える中央銀行は、国内だけではなく国外に対しても信用問題になります。それは、国の信用を落とすことになります。国際的な信用失墜は通貨に影響します。
長期金利が上昇するということは、国債だけではなく、地方債も社債も住宅ローンの金利も変わるということです。それは、地方自治体や企業の資金調達を難しくし、景気を下押しします。そもそも、金融引き締め政策は、加熱するインフレを抑制するために、意識的に景気を下押しする政策ですから、当然のことです。
住宅ローンの金利が高くなれば、住宅の販売にも影響します。ただでさえバブルだと言われている住宅市場に大きな影響を与えます。また、住宅ローンを組んでいる人の大半が変動金利を選択していますので、短期間で、返済金額も増えます。
中でも、最も影響を受けるのが国家財政です。
国は、新規国債と借り換え国債を合わせると、毎年、約100兆円の国債を発行していると言われています。毎年です。今は、ほぼ無利息に近い金利で調達できていた国債が、多額の金利負担をしなくてはならなくなります。仮に、金利が3%になると、毎年、3兆円の金利負担が発生します。これを10年続ければ、毎年、30兆円が金利で消えてしまいます。そんな金利を払い続けることは不可能です。
しかし、日本は、国家運営を借金で賄っています。借金をしなければ、国が運営できません。国が運営できないということは、医療、年金、介護、生活保護、障碍者手当等々の社会保障費が支払えないということです。
ですから、金利が上昇するということは、社会に直接影響が出るということです。
少し、フラットに考えてみると、国の借金運営も、日銀の国債購入も慣れてしまっていますが、本来は、禁じ手です。副作用で窮地に落ちることもあります。
正常化することはいい事ですが、金融緩和政策をやめて、金融引き締め政策に転換するということは、日銀が国債を買わなくなるということです。ここにも大きな問題があります。

日銀が買ってくれなくなったら、誰が、国債を買ってくれるのでしょう。
金融機関です。
では、金融機関は、その資金を、どうやって調達するのでしょう。
国民の預貯金、企業の内部留保金です。
では、国民の預貯金や企業の内部留保金は減らないのでしょうか。
現在、国民の金融資産は2000兆円だと言われていますが、この2000兆円は、増えるのでしょうか、それとも、減るのでしょうか。
長期的に見れば、減少します。それも、大幅に減少する時が来ます。
それは、相続税だけを考えても、明らかだと思います。
国民金融資産の2000兆円の6割は60代から上の世代の資産です。今後、30年で、どれほどの相続税税収が増えるのかは知りませんが、明らかに、国民資産は減ります。
相続税は、増税されていますし、まだ、この先も増税されます。
今の勤労世帯は、生活費を賄うことに手一杯で、貯蓄ができません。20代から50代の貯蓄率は、とても低く、将来に不安があります。その人達が、高齢者になる日が来ます。30年も経てば、国民金融資産は、様変わりしていると思います。
金融機関は、どこかの時点で、国債購入の資金が調達できなくなります。
ところが、国債の発行額は、年々、増加しています。
いずれ、国債の買い手がいない環境が生まれます。
今は、究極の「先送り」をやっている最中だと思います。
ほんとに、金融だけではなく、この国のあらゆる分野で、「先送り」があふれています。これまで、「先送り」で「何とかなってきた」ので、「〇〇の一つ覚え」になってしまったのでしょうが、「先送り」では「何ともならない」ことだってあるのです。
残念ながら、金融分野で「先送り」はできても、「なし崩し」をする方法がありません。
いや、1つ、あります。
第二次世界大戦の敗戦後、政府は、資産税で、強制的に借金をチャラにした経験があります。あれも、立派な「なし崩し」です。あの時は、既に、国が壊滅的な状態でしたから、騒ぎは大きくなりませんでした。あの時と同じことを今やれば、国民には暴挙にしか見えないと思います。敗戦後と同じになるということは、国家破綻であり、国民の皆さんは「飢える」ということですが、皆さん、大丈夫ですか。
「老後資金を貯めてください」と推奨しておいて、ある日、突然、その虎の子を、資産税で根こそぎ強制的に徴税されるのです。「国家存亡の時ですから、自助でお願いします」と言われます。ほんとに、皆さん、大丈夫なのですか。「ふむ、ふむ」では済みません。私達は、毎日、食べなければならないのです。
この国が破綻するのは、予定の行動にしか見えません。今は、破綻という最終局面にむかって「先送り」をしている時代なのです。
私達の国は、総力を挙げて、一日でも「先延ばし」が出来るように力を尽くしています。政府は「先送り」こそが国家運営だと思っているのでしょう。
でも、「先送り」は「先延ばし」に過ぎず、どこかで、力尽きる時が来ます。国民の皆さんが持っている将来不安は、皆さんの直感がその事を知っているからです。
この30年間、いや、50年間、日本は、国家運営に失敗したのです。
後世の人達から見れば、一目瞭然なのでしょうが、渦中にいる私達には、見えていません。破綻して、初めて、「あちゃー」と言うことになります。
政府・日銀は、「何も心配ない」「大丈夫です」と言います。そりゃあ、政府・日銀が「危ないです」「ヤバイです」なんて言ったら、その時点でクラッシュが始まりますので、口が裂けても悲観的な発言はしません。なぜか、民間の専門家の皆さんも、口を濁します。「ヤバイ」ことがわかっていて、口にチャックをしているように見えてしまいます。多くの素人が「ヤバイ」と感じるものは、大抵、「ヤバイ」のです。
私達が、正しい判断をするしかないのですが、金融は難しすぎます。
「カクカク、シカジカで、こうなります」と確定的なことが言えれば楽なのですが、それが出来ません。
それでも、「危険が一杯」であることは否定できません。
「先送り」の結果が「国家破綻」という一択しかないのであれば、心構えは必要かもしれません。心構えなんて、何の役にも立たないのでしょうが、多少の気休めにはなります。


2023-12-04



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江戸末期の日本 [評論]



先月、年内に解散総選挙があると予測しました。外れていたら「ごめんなさい」と書きましたが、見事、外れたようです。申し訳ありません。
これで、岸田さんの総理大臣を続けたいという願いは、頓挫しました。
自民党議員と官僚から、総掛かりで反対され、解散は諦めたようです。
「右も、左も」「あれも、これも」「ふむ、ふむ」「へら、へら」で政界を泳いできた岸田さんでも、難しいのが選挙です。
来年の自民党総裁選挙では、「岸田では選挙を戦えない」が主流になると思われます。
政治家にとって、最大で唯一の目的は、自分の選挙です。「強欲」と二人連れですから、そのエネルギーは半端ではありません。
選挙では、「先送り」と「なし崩し」という得意技が使えませんが、自民党には伝家の宝刀があります。「総理の顔のすげ替え」です。もちろん、限度はありますが、なかなか、優秀な手法です。これまで、何度も、この手で窮地を凌いできました。総理大臣の顔を替えても、自民党は変わらないのに、なぜか、国民は「ほい、ほい」と票を入れます。ほんとに、不思議な国民です。
ただ、今回は、この伝家の宝刀が功を奏するかどうか、わかりません。
有権者である国民の皆さんの空気が、これまでと、少し、違います。
多くの国民の皆さんが、実際に、「痛み」を感じているからです。
原因は、生活に直接影響する物価高です。しかも、増税が待ち構えています。
自民党にとってドル箱だった老人票が、これまでは、惰性や「何となく」で自民党に投票していた老人が、当てにできないということです。自民党の受け皿になれるような政党は存在しませんが、それでも、「自民党に投票するのは、今回は、止めておこう」と考える人が増えると予測できます。それは、自民党の一人負けがあり得るということです。
では、国民の判断は正しいのでしょうか。
いいえ、間違っています。
自民党が政権を維持すれば、「なし崩し増税」が現実になり、崩壊します。
野党が政権を取れば、バラマキで自滅します。
どの政党も、日本再生のプランを持っていないのですから、事態が好転することはありません。どの政党が政権を取っても、国民生活は壊れます。自民党政権を続けたほうが、少しは「先送り」ができると思いますが、行き着く場所は同じ「ドツボ」です。
自民党か、それ以外の党か、という価値判断そのものが間違っているのです。
国民の皆さんは、自分は何もせず、棚から牡丹餅が落ちてくるのを待っていますが、そんな美味しい話は存在しません。自分達が、汗をかかなければ、努力をしなければ、「ドツボ」に落ちても文句は言えないのです。私が無茶なお願いをしているのでしょうか。皆さんは、生活をするために、汗をかいていませんか、努力をしていませんか。いいえ、皆さん、頑張っていると思います。国家運営でも、同じです。ここは、皆さんの国です。しかも、皆さんは主権者です。汗をかくことも、努力をすることも、当たり前のことだと思います。
皆さんは、自分の手で、新しい政治集団を作るしかないのです。もちろん、皆さんに政治家になれ、と言っているのではありません。言葉の定義をすればいいのです。

日本の空気は、澱んでいます。
「訳もなく、不安」
「空気が、不快」
「気持ちが、ザワザワする」
「明日は、どうなるの」
今、多くの国民の皆さんが、不快と不安を感じています。
多分、今の状況は、江戸末期の日本と似ているのではないかと想像します。
江戸末期、この国を統治していた徳川幕府の老中に事態を打開する力はありませんでした。武家による国家統治というシステムが限界を超えていましたが、自己否定できないためにダラダラと続けていたのです。今の自民党政権も、かつての老中と同じように見えます。
迷走し始めた、いや、元々、何も持っていなかった岸田総理への批判が増えているのは、岸田さん個人の問題だけではないと思います。こんな時代でなければ、「なあ、なあ、まあ、まあ」の申し子のような岸田さんは、総理大臣を無難にこなせたのかもしれません。
日本の閉塞感の元凶は、岸田文雄や井伊直弼ではありません。国家統治システム(民主主義風王政並立封建制度)そのものが限界を迎えているのです。

自然界にも潮流がありますが、黒潮は、遠くから見ていると区別がつきません。
同じように、人間社会に現れる潮流も、物理的には見えないものです。
でも、人間は、その潮流を肌で感じることはできます。
その潮流が悪しき潮流の場合、皆さんは、不快や不安という感情を持つのだと思います。
今、この国を覆っている悪しき潮流とは、国力衰退という潮流です。
この点でも、徳川末期と似ています。
潮流も、ここまで大きくなってしまうと、その流れを変えるのは簡単ではありません。
人は、特に、潮流を認識していない人は、「何とかしよう」として、目先の対策を、小手先で、打とうとします。これを、弥縫策と呼びます。しかし、弥縫策を弄しても、潮流の勢いはビクともしません。逆に、弥縫策を打てば打つほど、潮流にエネルギーを供給する結果になります。
それが、今、この国で起きていることです。
バラマキと借金と増税の話しか出て来ません。
まさに、どれも、典型的な弥縫策です。
何が問題なのかは明らかだと思います。
誰もが、「何か、変」だと感じているのですが、「何を、どうすれば、いいのか」がわからない。そのことが問題なのです。ただ、これは、今に始まったことではなく、この2000年間、私達はその答を見つけていません。
江戸末期でも、「何を、どうすれば、いいのか」がわからない人達が、「とりあえず、昔に戻してみよう」と考えて、尊王思想を持ち出しました。天皇の権威が失われて長い時間が過ぎましたが、その間にも、何度となく利用されてきたのが天皇です。日本の権力闘争の定番と言ってもいいと思いますが、先祖がえりをして成功することは難しいと思います。
「錦の御旗」を掲げて政権交代を成し遂げた明治政府は民主主義を選択する道もあったのですが、尊王思想を利用したことで、天皇制を看板に掲げるしかありませんでした。
しかし、その看板は、第二次世界大戦の敗戦で、結果的に失敗します。
それは、原因を見つけていないからです。
いや、表面的な原因に振り回されているのです。
原因には、その原因の原因があり、原因の原因には、その原因があるのです。
この原因の原因の原因を見つけるしか道はありませんが、これが、至難の業です。
でも、誰かが見つける以外に方法はないと思います。
潮流は、物理的に見えるものではありません。
直感で知ることは可能ですが、それは、漠然とした形をしていて、対応策を立案する材料を見つけることは出来ません。それでも、現実を認識し、それを強く憂慮している人が、潮流を変える道筋を見つけ、時代を変えてきたのが、人間の歴史です。人間には、そんな力があるのです。その時に、力になったのが、学者と呼ばれる人達です。日本では、まだ、2000年間成功していませんが、誰かが打開策を見つけるしかありません。
学者は、肉体的な力ではなく、仮説を組み立て、想像をたくましくして、潮流を具体的な形として見せる仕事をする力を持っています。
ただ、学者であれば、いいのかと言うと、そうではありません。
知識を吸収し、それを他者に教えることを仕事とするのが学者です。
ただ、彼等は、自分が吸収した知識を越えることはできません。しかし、今、必要なのは、学者が学者を越えることです。
現在、いや、過去も、それを越えた人は、それほど多くはないと思います。
余り名前は知られていませんが、江戸時代末期に河田小龍という学者がいました。
狩野派を学んだ画家ですが、ジョン万次郎との出会いが河田小龍を変えました。世界に目を向けたのです。その河田小龍の私塾「墨雲洞」に通ったのが坂本龍馬です。河田小龍は坂本龍馬に「世界を見よ」と教えました。河田小龍との出会いがなければ、歴史上の坂本龍馬は存在していなかったかもしれません。
今の日本に、河田小龍や坂本龍馬は存在しているのでしょうか。
私が知らないだけで、存在しているのかもしれませんが、未だに世に出て来ません。
江戸城の老中であれば、世界の激動に触れた人はいたかもしれませんが、土佐の片田舎で、「世界を見よ」なんてことを言う人は珍しいと思います。そんな土佐に、たまたま、坂本龍馬がいて、たまたま、「墨雲洞」で河田小龍と出会ったなんてことは、奇跡的な出来事だったのかもしれません。
その後、坂本龍馬は、多くの人と出会い、多くの学者と出会い、多くの知識を吸収し、「この国を変えなければ、日本は植民地になってしまう」と確信したのだと思います。命を懸けて、日本中を走り回り、日本が変わる力の1つになりました。もちろん、坂本龍馬が倒幕したわけではありませんが、坂本龍馬が存在していなければ、違う歴史もあったのではないかと思います。
しかし、残念なことに、河田小龍と坂本龍馬の出会いは成功しませんでした。
あの時代、ほんの少しですが、市民革命が起きる可能性を秘めていたと思います。しかし、市民蜂起にはならずに、権力闘争になり、徳川に代わって長州が権力を握りました。これを、元の木阿弥と言うのだと思います。私達が、未だに「下々」を続けているのは、国民が何事も成し遂げていないからだと思います。
もしも、坂本龍馬が暗殺されずに江戸時代が終わり、明治政府が発足していたら、坂本龍馬は海外に逃げ出していたと思います。坂本龍馬は貧困階級の下級武士でした。彼は、この国を民のための国にしたいと願っていたと思います。ですから、天皇制という封建制度を引き継いだ明治政府のあり様には、落胆していたと思います。
歴史上、「なあ、なあ、まあ、まあ」文化に毒されなかった唯一の人物は、織田信長だったと思いますが、織田信長が日本の民を幸せにしたかどうかは、わかりません。それは、信長が民主主義的思想を持っていたかどうかわからないからです。信長が天下平定をしていたら、天皇に代わって、自分が「神」になっていたのではないかと想像します。
この国は、2000年間変わっていません。国の統治システムや権力者は様々に変わりましたが、「文化」は変わっていません。「文化」を変えようとした人は存在しません。いや、そもそも、「文化」に着目する人なんていないと思います。しかし、ここまで行き詰ると、「文化」を変えるくらいしか方法はないと思います。今こそ、明治維新で出来なかったことをやる時だと思います。
「文化」が2000年間変わらないことが、いい事なのか悪いことなのかは議論の必要がありますが、少なくとも、今は、民が不幸になる道を歩んでいるようにしか見えません。結果が出てからでは遅いと思いますので、私達は新しい道を見つける必要があるように見えます。もちろん、「なあ、なあ、まあ、まあ」文化を「言葉を定義する」文化に変えても、それで成功するかどうかはわかりません。でも、何もしなければ、いや、弥縫策に終始していたら、皆さんの生活は、間違いなく、破壊されることになります。既に、生活が壊れて四苦八苦している人が増えていますが、まだ、国民全員が同じドツボに落ちているわけではありません。今なら、まだ、多少の修正は可能なのではないかと思います。先ずは、国力衰退という潮流を止めなければなりません。そして、反転させなければなりません。全ての皆さんの生活を安定させるまでには長い時間が必要ですが、皆でドツボに落ちるよりはいいと思います。
国民という視点から見た時、市民革命になる可能性があった明治維新ですが、ただの権力闘争になったために失敗だったと思います。国民は、この2000年間、何一つやっていません。2000年間、ずっと、棚から牡丹餅が落ちてくるのを待っていただけです。自分の生活を守るために、自分が汗をかくのは当たり前だと思いますが、そうはしませんでした。
国民の皆さん。
今は、「自分さえよければ」と「俺には関係ねぇ」は封印してください。
国民の皆さんの生活を、守れるのは、皆さんしかいないのです。
既存の政治家に国民生活を守る能力はありません。それは、もう、充分、証明されていると思います。
そのために、どうか、言葉の定義をしてください。そして、国家運営のシステムを変えてください。それ以外に、国民の皆さんの生活を守る方法はないと思います。


2023-12-03



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飢餓への一本道 [評論]



私は、これまで、国力衰退を、諄いほど、話題にしてきました。この先も、この課題から逃れることは出来ないと思っています。
数字を示して、いろいろな事象を指摘してきたように、衰退の事象は至る所に出ているのですから、否定できない現実として認めるしかないと思います。
当初、きっと、皆さんには、私が変人に見えたと思います。いや、「大人の対応ができない馬鹿な奴だ」と思われていたかもしれません。
「わかっていても、口には出さない。それが大人」という常識を全否定するつもりはありませんが、国力衰退に目をつぶることが「大人の対応」だとは思えません。逆に、「大人の責任放棄」に見えます。「なあ、なあ、まあ、まあ」や「見て見ぬふり」は楽ですが、それは、「逃げ」だと思います。
胸を張って「俺は変人じゃない」と言う度胸はありませんが、自分でも「ひょっとすると、俺、変かも」と思うこともありますが、国力衰退に関しては、間違いなく現実なのだという確信があります。確かに、大人の対応は苦手ですが。
ただ、少し、空気は変わってきたように思います。
最近、「衰退」と言う言葉を多く見るようになりました。
突然、「大人の対応」を忘れた人が増えたのでしょうか。
そうではないと思います。
「見て見ぬふり」をし、「俺には関係ねぇ」と思い込んでいた皆さんも、さすがに、「これは、ヤバそうだ」と思ったようです。
GDP4位転落のニュースだけが原因だとは思えません。
多くの方が、漠然とではありますが、この国の衰退を肌で感じているからだと思います。
確かに、1つ1つの事象は小さなことかもしれませんが、これだけ広い範囲で衰退の現象が表面化してきているということは、全体が腐り始めているということだと思います。私達に見えるのは氷山の一角にすぎません。海に沈んでいる部分の衰退は、途方もなく大きく、その氷山が至る所にあるのです。人間は、いや、動物は、危険を察知する本能を持っています。本能という点では、衰えたとは言え、人間も動物です。どうしても、感じてしまうものだと思います。これは、理屈ではありません。
多くの方が「ヤバそう」と感じるものは、実際に「ヤバイ」のです。
少しずつですが、現状認識が出来たことは歓迎すべきことです。
現状認識が広がることは、政府にとっては不都合なのでしょうが、国民にとっては、悪いことではありません。これは、岸田総理の唯一の功績なのかもしれません。
ただ、現状認識は、出発点に過ぎません。
もちろん、スタート地点にすら立てないよりはいいと思いますが、この先には、原因究明と対応策の立案という難問が待っています。これが、とても、厄介です。
30年かけて現状認識が出来たとして、この先、30年かけて原因を見つけるのでしょうか。でも、その先には、30年かけて対応策の立案が待っています。対応策の実行に30年必要だとしたら、更に、その効果が出るまでに30年必要だとしたら、150年の時間が必要だということです。
私達に、そんな時間はあるのでしょうか。
無い、と思います。

今日も、小さなニュースですが、衰退の事例を見てみます。
世界的に権威のあるイギリスの科学誌『ネイチャー』が、「日本の研究は、もはや世界トップクラスではない」という記事を掲載した、というニュースです。
研究・開発・実用化には、多くの時間が必要ですが、研究がなければ、開発も実用化もありません。研究は、経済の源なんです。
今の時代は、世界に売れるものを生み出さなければ、利益を生み出しません。
私達は、他国が開発したものを買うだけの消費者になります。
しかし、経済が衰退すれば、購買力は生まれませんので、消費すらできなくなります。
研究が成果を出すまでに、10年、20年、30年かかるとすると、10年先、20年先、30年先の日本は、今よりも更に衰退するということです。
つまり、日本は、既に、夢も希望もない国になっているのです。
これが、現実です。
では、今日から、明日から、研究成果が出せるのかと言うと、環境と人材と資金を調えなければ実現しません。
では、環境と人材と資金は、どうすれば手に入るのでしょう。
自然発生的に実現するようなものではないと思います。
必要なのは、私達の意志なのだと思います。それも、多くの人の強い意志です。
私達とは、国、企業、個人、という総合的なものです。しかも、その意志を共有する必要があります。バラバラでは、成果は得られません。
この国に、そういう環境、意志はあるのでしょうか。
ありません。
ないから、衰退しているのです。
人間の行動の原点は「意志」だと思います。
その気もないのに研究などしないものです。
この国を覆っている空気は、「自分さえよければ」と「俺には関係ねぇ」です。
そもそも、意志のない人が、「その気になる」なんてことはありません。
しかも、求められているのは総合力です。
何が欠けているのでしょう。
そうです。この国には「目的」がないのです。
この30年間、国力は衰退する一方の中で、ノーベル賞受賞者が多く出ました。
しかし、ノーベル賞受賞者の多くが老人でした。ノーベル賞は、過去の業績を評価するものですから、老人の受賞が増えるのは当然です。
彼等は、「世界に追いつき、追い越せ」という「目的」があった時代の功績を認められたのです。明治維新の時の「列強の植民地になりたくない」という目的は、それほど多くの国民に共有されていませんでしたが、敗戦後の「世界に追いつき、追い越せ」という「目的」は、多くの国民に共有されました。そんな国民の中の、特別に頑張った人達がノーベル賞を貰いましたが、多くの国民がノーベル賞を受賞してもいいくらいの成果を挙げ、日本は繁栄したのです。アメリカを抜くことは出来ませんでしたが、世界第2位の経済大国になったことで、その目的は終わりました。
今の日本に、目的はありません。
ですから、この先、日本人のノーベル賞受賞者は出なくなります。

上記のニュースは、減少した、というものですが、増加したものもあります。
エンゲル係数が上昇したことはご存知だと思います。先進国1位のイタリアの数字は知りませんが、イタリアを抜いてナンバー1になったかもしれません。
「食」が手に入る内は、大丈夫でしょうが、全国的な数値はありませんが、「食」に苦しむ人が増えています。週に何日かは食事を抜いているという人が増えているのです。「私達の未来に待っているのは食糧難ですよ」と何度も指摘していますが、既に、それを体験している人が存在しているのです。今は、1万人なのか、100万人なのかわかりませんが、食料が手に入らない人が1000万人に、1億人になる日がやってくる可能性が非常に高いのです。そんな人の中に、育ち盛りの子供もいます。
子ども食堂の数が、2022年度に、7331ヶ所になったというニュースがあります。
2016年には、319ヶ所でした。当時、私にも出来ることはないかと調べたことがあります。行動には結び付きませんでしたが、関心は強かったと思います。この8年間で20倍以上に増えたのです。これは、驚異的な増加率だと思います。
ただ、物価高と寄付の減少が運営を困難にしているという話もあります。
子ども食堂が、フードバンクをどれほど利用しているのか実情は知りませんが、フードバンク自体の運営も厳しくなっていると言われています。
このフードバンクという言葉の認知度がどのくらいなのかは知りませんが、需要増と供給減で、世界的に運営が厳しくなっているという話もあります。
フードバンクの歴史は、それほど古くはありません。
公的な機関ではなく、民間の有志によって運営されています。子ども食堂もそうですが、フードバンクも寄付とボランティアで運営されています。
フードバンクというお店があるわけではなく、市民が「食料を下さい」と言って訪ねる場所でもありません。行政や指定の団体が資格審査をして紹介するという方法で配布先を決めているそうです。
フードバンクは。1967年にアメリカで始まったと言われています。
日本で設立されたのは、2002年だそうです。
まだ、20年の歴史ですから、認知度は高いとは言えませんが、食料が手に入らない人にとっては、有難い存在です。
ただ、子ども食堂やフードバンクがニュースになるというのは、決して、歓迎できる状況ではありません。
民間施設であることと歴史が短いこともあって、全国的な、まとまったデータが手に入りません。メディアが、取材した個別のフードバンクの情報が存在するだけです。
そんな情報の中に、最近は、フードバンクの需要が増えたというニュースも散見されます。また、配布する食料の入手に困っているというニュースもあります。
日本のデータではありませんが、イギリスのフードバンクの苦境がニュースになっています。先進国の中で、衰退国家の先頭を走っているのが日本ですが、日本を追っているのがイギリスだと思います。
そんなニュースを転載しておきます。
「英国民の7人に1人に当たる約1130万人が昨年に貧困のため飢えに直面したとする調査を、英フードバンク慈善団体トラッセル・トラストが28日公表した。社会保障制度の機能不全と、緩和の兆しが見えない生活費危機が原因とした。
英国の経済規模は世界6位だが、ほぼ全労働者の賃上げ幅がインフレ上昇に追いついておらず、1年以上にわたり圧力にさらされている。
トラッセル・トラストは全英1300カ所でフードバンクを運営し、3月までの1年間に過去最多の300万食を提供。これは前年から37%増加し、5年前の2倍を超える水準だという」
イギリスでは、ホームレスの増加も問題になっています。それは、イギリスには賃貸住宅が少なく、その賃貸料が上昇しているために、家賃を払えない人が増え、ホームレスが増えているそうです。
住む場所を失い、食料を買う資金もない、俗に言う「貧乏人」が増加しているのです。もしかすると、その点では、日本はイギリスに追い越されてしまったのかもしれません。
でも、日本の貧困化も進みますので、イギリスを追い越す日も近いのかもしれません。
国力衰退というトレンドは、貧困化を生み、食糧難に、そして、餓死に向かいます。
貧困化と食糧難は、もう、芽を出しています。早晩、貧困化と食糧難は、その範囲と深度を大きくし、餓死が日常になる日を迎えることになります。
これが、国力衰退という名の、一本道です。
餓死の世界を迎えた後では、そこから脱出するのは容易ではありません。
予見できる今、行動を起こす必要があると思います。
もう、得意の「先送り」では、ドツボに直行するようなものです。
私達は、大変危険な岐路に立っているのです。
どうか、行動してください。
もう、不平不満や文句を言ったり、ニックネーム遊びをしたり、非難、批判をしたりしている場合ではないと思います。
このままでは、崩壊を止めることは難しいと思います。
行動する時だと思います。
なんてことを、このブログで何度言及しても、どうすることも出来ません。
それでも、他に方法はないのでしょう。
皆さん、ほんとに、このままでいいのですか。
どうか。
言葉の定義をしてください。
責務を明確にしてください。
目的を持ってください。
そして、国力衰退を止めてください。
皆さんには、それが出来るのです。いや、皆さんにしかできません。


2023-12-02



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令和時代の皆さん [評論]



少数の経済学者の方が、日本経済の衰退に警鐘を鳴らしています。いや、逆から見ると、ほとんどの学者の皆さんが「見て見ぬふり」をしているということです。突出しないこと。権力に逆らわないこと。大勢に迎合すること。何事も安全第一。これが、学者の皆さんの共通の認識のように見えます。その点では、多くの方が、見事に一致協力しています。しかし、学者の皆さんも生活者なのですから、「学問に向き合え」なんて無理は言えません。
なぜ、こんなことになってしまうのでしょう。
それは、この国の運営を担っている、権力の頂点に立っている、自民党が、自分の目的しか見ていないからです。自分の身分を守ることに手一杯です。
自民党の目的は、以前も書きましたが、「自民党政権を維持する」ことです。それ以外のことは何も見ようとしません。自民党にとっては、国も国民も眼中にありません。ただ、ひたすら、政権を維持し、自分を守ることに邁進しています。
それでも、最悪なのは、自民党の国家運営ではありません。
人間は、「自分さえよければ」をやる生き物です。自民党だけではなく、これは、誰もがやることです。ですから、自民党を責めても、何も解決しない、という点で、原因の1つではありますが、自民党を批判しても何も得るものがありません。
経済衰退で一番被害を受けるのは国民なのに、その国民が「俺には関係ねぇ」と言っています。私には、このことのほうが問題だと思います。
もちろん、国民だって、「自分さえよければ」をやる生き物なのです。
つまり、皆が、等しく、悪いのです。
ただ、両者が、全く等しいというわけではありません。
ここに成績不振の外注比率の高い企業があったとします。発注元の企業は、外注先の仕事に関心がなく、外注先の製品には不良品が多く、以前からのお付き合いという理由で同じ会社に外注しているのですから、企業業績は落ちる一方です。この場合、発注元の企業と外注先の企業と、どちらに責任があるのでしょう。両社とも悪いのですが、発注権を持っている発注元の企業のほうが悪いのではないでしょうか。別の外注先を見つければ、業績が回復する可能性があります。その努力をしない発注元企業のほうが、責任は重いと思います。
大昔、トヨタ自動車の研修会に参加したことがあります。トヨタは、アッセンブリー企業ですから、外注先管理はとても重視していて、外注先の社員を集めて、缶詰にして、数日、研修会という名目の教育を行っていました。その時、トヨタの社員が言っていました。「どんな商品でも、探せば、必ず、見つかる。見つからないのは努力をしていない、ということです」と。「見つからなければ、新しく、会社を立ち上げる人に協力する」とも言っていました。彼等は本気でした。だから、世界のトヨタになったのです。
国力衰退の責任は、皆にありますが、投票権という大きな権利を持っている、主権者の責任のほうが重いと思います。
そうは言っても。皆さん、人間ですから、「自分さえよければ」をやめることは無理ですから、どうすることもできないのです。
だとすると、「自分さえよければ」ができないシステムを作るしかないと思います。そのためにも、責務の明確化は必要だと思います。責務が明確になったからと言って、「自分さえよければ」がゼロになることはありませんが、減らすことはできると思います。
また、誰だって、自分以外の誰かに責任転嫁したいです。
いや、責任を追及すれば、自分にお鉢が回ってくることだってありますので、できれば、触れたくありません。
こういう時には、「なあ、なあ、まあ、まあ」は最高の道具になります。
「確かに、俺にも責任はあるかもしれない。でも、それは、皆だって、同じだろ。目鯨を立てるのはやめようよ。なっ。赤信号だって皆で渡れば大丈夫さ」
これが、ずるずると、衰退している原因です。
つまり、この国の衰退の原因は、人間が持っている自浄能力を邪魔している、この「なあ、なあ、まあ、まあ」文化なのです。
何度も、諄々と書いて済みません。
でも、このままでいいとは思えません。
後進国の仲間入りも時間の問題だと言われています。
後進国と言われる国々を見てください。
貧しい生活をしているのは誰ですか。
国民です。
権力者は豊かな生活を、国によっては、贅沢な暮らしをしています。
と言うことは、国が衰退すれば、国民が貧乏籤を引くということです。
自分を守らなければならないのは、国民の皆さんなのです。
多分、そのことは、皆さんも、何となく、漠然と、感じていると思います。
でも、どうすればいいのか、それがわかりません。
そこが問題なんです。
学問を研究している学者の方が、その答を見つけるのが筋なのでしょうが、残念ながら、明治から令和まで、答を見つけている学者が一人もいません。いるのかもしれませんが、私は知りません。いや、私だけではなく、ほとんどの人が知らないと思います。
これは、学術会議が偏向していることに原因があるのではないと思います。単に、学者の皆さんが、自分の立場を守ることに専念しているからだと思います。学者だけではなく、多くの方が「守り」に入っていますので、これも仕方ありません。
答は、待っていても出て来ないと思います。
ほぼ100年、いや、200年、答は出て来ませんでしたので、もう、これ以上待っていても、無理だと思います。
でも、衰退は、どんどん、進んでいます。
皆さんが、貧乏籤を引く日は迫っています。
皆さんも、そのことは、薄々と、わかっているはずです。

ほんとに、答はないのでしょうか。
「言葉の定義」という提案では答えにならないのでしょうか。
どこの馬の骨かもわからない石田の提案など信用できないという気持ちは、よくわかります。私も、この提案で、この国が絶対に立ち直れる、と保証はできません。でも、可能性はあると思います。
誰か、他に、立ち直る可能性がある提案をしている方はいますか。
生産性ですか、構造改革ですか、新しい資本主義ですか。
全く役に立たないとは言いませんが、ここまで状況が悪くなると、死期を、ほんの少し「先延ばし」する効果しか期待できないと思います。
もちろん、「言葉の定義」で成功するかどうかは、やってみなければ、わかりません。でも、立ち直る可能性はあると思います。
「言葉の定義」をする目的は、国と国民の目的と責務を明確にするためです。
「国って、何」
「国民って、何に」
「民主主義って、何」
それを深掘りして答えを出せば、そこから、責務が見えてきます。
責務が明確になれば、自然と、目的も決まると思います。
私は、国の目的も、国民の目的も、「子供達の未来を守る」ことだと思っていますが、「国民生活を守る」ことでも構いません。少なくとも、「自民党を守る」ことではありません。
国の責務と国民の責務が明確になれば、個々の立場の責務も明確になります。
総理大臣には総理大臣の、政治家には政治家の、官僚には官僚の、企業経営者には企業経営者の責務があります。もちろん、国民にも国民の責務があります。
ここで、私が想像している国民の責務について書いてみたいと思います。これは、私の私見ですから、答ではありません。
国民生活は、去年より今年、今年よりも来年、少しずつであっても、豊かになることが国民生活を守るという意味だと思います。
では、国民生活を豊かにするために必要なものは何でしょう。
富だと思います。
新しい富を生み出すことが、国民生活を守ることになります。
では、誰が、その富を生み出すのでしょう。
総理大臣ですか、政治家ですか、官僚ですか、企業経営者ですか。
彼等には、富を生み出せません。
富を生み出せるのは、国民です。
総理大臣や政治家や官僚や企業経営者は、国民をサポートするのが仕事です。
しかし、従来の「お上と下々」というシステムでは、この主客が転倒しています。政府は国民の外注先だと何度も書いていますが、今は、政府のほうが偉いと思っています。政府だけが、そう思っているのではありません。国民も、そう思っています。
国民生活を守るためには、国民が富を生み出すしか方法がないのです。
しかし、国民は、自分の責務を知りませんから、「俺には関係ねぇ」と思っています。
そんな国が衰退するのは当たり前です。
もしも、「国民生活を守る」ことが、この国の目的であれば、今のシステムでは達成することは不可能です。自民党の目的は「自民党政権の維持」です。これでは、国民生活は守れません。ましてや、今の総理大臣は、自分が1日でも長く総理大臣をやることが目的になっています。自民党と岸田総理には、国民生活という影も形もありません。それでも、皆さんは自民党に投票します。これでは、「〇〇の見本」に見えてしまいます。
「じゃあ、お前は、どの党に投票しろ、と言うのだ」
もちろん、既存政党の中に、国民生活を託す政党はありません。
ですから、言葉の定義をして、「責務を果たしてくれる政党に投票します」と言えばいいのです。新しい政党は、自然にできます。
高度経済成長の時代、社長も部長も課長も一般社員も、同じ方向を向いていました。生産性を上げよう、歩留まりを上げよう、無駄を省こう、1円でも安いものを作ろう、もっといい製品を作ろう、と必死でした。それは、あの時代には暗黙の「目的」があったからです。廃墟から立ち上がった私達日本人の多くが、「世界に追いつき、世界を追い越そう」と願っていました。敗戦のリベンジを経済で達成しようとしたのです。その目的があったから一枚岩になれたのです。
今の日本に目的はありません。
「俺には関係ねぇ」と言っても構わないのです。
どうしても、目的は必要です。
でも、今あるのは、中身のないスローガンばかりです。しかも、コロコロ変わります。
目的は、中身があって、初めて、目的になるのです。
その中身が、責務です。
それぞれの立場で、そこで必要とされる責務を各人が果たして、初めて、目的が目的になり、国民生活が守れるのです。
私が解説するまでもなく、こんなこと当たり前のことです。

では、定義と責務と目的があれば、それでいいのか、と言うと、そうではありません。
国とは、誰か特定の人を指しているのではありません。国とは、システムなのです。
目的を達成するためのシステムが、必要、かつ、不可欠です。
なぜなら、目的を達成するために動くのは、人間だからです。
人間は、必ず、「欲」に負けます。特に、権限を持った人間は、「欲」に弱いです。必ず、「自分さえよければ」をやる人が出て来ます。ですから、それを修正するシステムを構築しておくことは必須だと思います。
私は、まだ、そのシステムの中身について、考えたことがありません。でも、必要不可欠であることだけは理解できます。
やらねばならないことは、山積みです。
困難の連続だと思います。
でも、歴史を変えるということは、そういうことだと思います。

言葉の定義は、最初の一歩に過ぎませんが、確かに、言葉の定義をすると、国民にも痛みはありますが、それでも、餓死者が普通に出るような国になるよりは、ましだと思います。
この仕事は、令和の時代の皆さんにしかできません。
多分、令和の次の元号の時代の人達は、食糧を調達することに日々を奪われ、そんな力は残っていないと思います。


2023-12-01



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