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金子みすゞふたたび [文学系]



今野勉氏の「金子みすゞふたたび」という本を読みました。
ノン・フィクションに嵌っているわけではありません。フィクションの世界にいると、ノン・フィクションは一種の清涼剤のような役目を果たしてくれます。ノン・フィクションを読むと、無性にフィクションが書きたくなるのは何故でしょうか。
以前に、文学系日記の「弱き者によせて」で金子みすゞのことを書きました。
その中で「金子みすゞは優しい風にのせて、人の心に理不尽をそっと伝えてくれます」と書きました。私の金子みすゞ観は少し違うのかもしれません。
著者の今野氏は、NHKスペシャルで放映された「金子みすゞの世界」を演出した方です。私はNHKを見ませんので、放送の内容は知りません。そのテレビ番組から10年後、氏は再び金子みすゞの調査を始めます。この本は、その調査の克明な内容と、新しいみすゞ像の発見を書いた本です。氏はみすゞが生まれた家はどこかということに、多くの時間を使い、家族の関係を推理し、みすゞは巷で言われているような原因で自殺したのではないと結論付けました。すると、10年前に読んだ詩と、その10年後に読んだ詩が全く別の意味を持っているのに気付かされたと書いています。
この本を読んだ後でも、私の理解が正しい解釈でなかったとしても、私は金子みすゞが伝えたかったのは、やはり理不尽だと思っています。優しい風にのせて、と思っていましたが、決して優しいだけの風ではなかったということなのでしょう。
童謡というジャンルに発表していた作品ではありましたが、みすゞの作品は童謡を超えた場所にあった。著者は、西條八十の童謡は時代とともに消えていったが、みすゞの詩は、詩として残ったと書いています。私もみすゞの作品は文学だと思っています。
他にはない、独特の世界を創り出した作家だと思うと、その死が悔やまれます。これほど、読まれるようになったことを知った時、みすゞはどう思うのでしょうか。西方の海の果てに旅立ったみすゞが、そのことを知る機会はあるのでしょうか。いや、彼女にとっての西方の海の果ては、安らぎの場所だったのでしょう。
金子みすゞに興味があり、ある程度忍耐強い方にはお勧めします。小学館文庫です。

詩を読むと、いつも自分に問いかけます。感受性は途切れていないか、失くしていないか、忘れていないか、と。
私がやっていることは支離滅裂とも言えます。本業は生活費を稼ぐことです。家事もやります。小説も書きます。時には、詩も書きます。預言者になったり、評論家になったりして、日本の心配までします。変人でしかないのに、どこか開き直っている嫌な奴だと思うこともあります。救いようがありません。それでも、感受性だけは捨てたくないと思い続けています。
石田の詩など、読みたいと思う人はいないかもしれませんが、もし、退屈しているのであれば読んでやってください。

私という君へ
君は
心、震わせていますか
美しいものに
優しいものに
君は
心、涙していますか
悲しいことに
辛いことに
君は
心、飛び立っていますか
新しいことに
明日に
君は
心、抱きしめてますか
大切な人達の心を
そして、自分の心を


2012-02-18



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