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読書感想文 [文学系]



高田郁の「あい」について。
「あい」が文庫本になり、早速読みました。
作者の優しさが、邪魔になる場合もあるのでしょうが、高田作品に溢れる優しさは好きです。高田作品の特徴は「優しさ」だと思いますが、きっと、高田さんは根っから優しい人なのではないかと思います。
「あい」は歴史小説という解説だったので躊躇しましたが、こういう歴史小説なら大歓迎です。歴史小説は、調査事項が羅列されます。歴史小説は歴史ではなく小説なのですから、史実に縛られるのではなく、物語に比重を置いてもらいたいと思っています。ノンフィクション作家といわれる吉村昭の作品が読めるのは、彼がノンフィクションという場に立ち、物語を意識しているからなのかもしれません。
高田郁さんは売れっ子作家ですから、出版社の圧力も強いと思いますが、できれば、丁寧に小説を書いてもらいたいと願っています。多くの作家がある時期から「あれっ」と思うような作品を発表することがありますが、出版社の要求に応じ続けた結果ではないかと思うことがあります。
読者側の個人差もあるのでしょうが、小説には薫り高い小説と一気読みできる小説と箸にも棒にもかからない小説の三種類があるように思っています。
どこが薫り高いのか、は具体的に指摘できませんが、薫り高いとしか表現しようがない小説があるのです。一人の作家が薫り高い小説とそうではない小説を書くのではなく、その作家が書くと薫り高い作品になってしまうという類のものです。しかし、ベストセラー作家が、薫り高い作品を書くとは限りません。逆に、寡作な作家の中に、そういう作家がいることが多いようです。純文学かどうかという意味ではありません。
高田郁さんといえば、「みをつくし料理帖」ですが、私は「出世花」や「あい」の方が好きです。逆に、「みをつくし料理帖」がベストセラーであることが不思議です。その原因は、多分、私の嗜好が一般的ではないという証明なのでしょう。宮部みゆきが読めない理由も自分では解説できません。でも、宮部みゆきの方が売れているようです。ですから、これはあくまでも個人の趣味です。
私にとって薫り高い小説というのは、文章でもなく、題材でもなく、ストーリーでもないように思います。作者の個人情報を知りませんので、作者の生き様や人格はわかりません。優しい人なのかどうかもわかりません。作者の視点なのかもしれません。でも、ある作家が書くと、土の匂い、潮の匂い、空の匂い、洪水や極寒の匂いまで薫り高く伝わってきます。人間の醜さや優しさまでも同じです。不思議です。
「あい」を読んでいて、私は何度も本を閉じました。それは、読み終わってしまうのが「もったいない」と思ったからです。もっと、高田ワールドに浸っていたいという願いだったのかもしれません。こういう小説に出会うことは、それほど多くはありません。
少し褒めすぎかもしれませんが、これは嗜好の問題ですからお許しください。
自分が書いた小説がどんな場所にあるのかは、まったくわかりません。多分、箸にも棒にもかからない小説以下の小説なのでしょう。自分で自分の小説を読んでも評価できないのはなぜなのか、それは、今でも疑問です。ただ、書く前と、書いている時と、書いた後に別々の自分がいたような感触を持っています。「あい」のような小説を書いてみたいという気持はありますが、ペンを握ると書けません。これが、才能なのでしょうか。
心を震わせてくれる小説や絵画や音楽に出会った時だけは、人間に生まれてよかったと思います。そんなチャンスは、滅多にありませんが。

読書感想文を書いていて、こんな平和な時代に終わりが来るなんて思いもよりません。
でも、11年後、今日明日の水と食料の確保に走り回らねばならない私達は、その上、電気もない環境では、読書に費やす時間など持てません。
いつか、忘れてしまうのでしょう。
今は、読書を贅沢という人は少ないと思います。でも、11年後の日本では贅沢な趣味になります。環境が変われば、あらゆる基準が変わるのです。


2015-04-03



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