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大きな壁があります [評論]



大きな壁とは、何でしょう。
このブログの過去の文を読んでいただいた方は知っているかもしれませんが、壁とは、「歴史」と「伝統」と「文化」です。この「歴史、伝統、文化」には、良き面と悪しき面があります。その議論を始めると、時が、いくらあっても足りません。乱暴ですが、今は否定するしかないと思います。それは、「歴史、伝統、文化」よりも大きな課題があるからです。先ず、国家崩壊を防がねばなりません。国が壊れてしまえば、「歴史」も「伝統」も「文化」も意味をなくします。世界最貧国になってしまって、「歴史、伝統、文化」を大事にしていても、腹は膨れません。

その例として、今日は地方発の小さなニュースについて書きます。
このブログでは、これまで、国会議員の皆さんのことを「お偉い国会議員の先生方」という言い方をしてきました。私は、「先生」を敬称として使ったのではなく、蔑称として使っていますと断って、書いてきました。「先生」という呼称を蔑称として使っているのは、変人の私だけでしょう。確かに、「些細なことに、目鯨立てなさんな」と言われれば、「ごめんなさい」と言うしかないのかもしれませんが、どうして、「〇〇さん」「〇〇君」ではいけないのか、そこがわかりません。これも、歴史と伝統なんでしょうか。確かに、多くの国民の皆さんは、国会議員は「お偉い先生」だと思っています。「皆さんはお偉い先生なのですから、どうぞ、何でも、好きにしてください」と言っているようなものです。お偉い先生は、「もちろん、好きにやらせてもらっています」と言っています。国民の皆さんは、お偉い先生の不祥事に眉を顰めますが、そもそも、それは、皆さんが認めているから、彼等は堂々とやっているのです。
本来、彼等は、外注先の社員にすぎません。仕事を発注している国民の皆さんが、外注先の社員の好き勝手を許していたのでは、いい仕事はできません。
これは、変人の私の言い分です。
でも、大阪府議会で「先生という呼称をやめませんか」という提案が議会で話し合われたというニュースがあります。
こんな馬鹿な提案するのは、維新の会くらいのものだろうと思いますが、提案したのが何党であっても、大阪府民としては、喜ばしいことだと思っています。ただ、この動きが、今後、どのような展開を見せるのかわかりません。提案者がその根っ子に気付いているかどうかもわかりません。それでも、一石を投じたことにはなると思います。

ある記事を転載します。
大阪府議会では21日開かれた議会運営委員会で、森和臣議長(大阪維新の会)と三宅史明副議長(公明党)から、議員を『先生』と呼ぶことについて、「『先生』という呼称は本来、教師や医者に使うもので、住民や職員との間で心理的な上下関係を生んだり、議員が『特別』だという勘違いの助長につながりかねない。今後は府議会全体の取り組みとして、○○議員や○○さんと呼ぶとするよう」議員に対し、これまで慣例的に使っていた『先生』という呼び方を使わない提案があり、議論が交わされました。
この中で、自民党の原田亮幹事長は「『先生』と呼ばれたいわけではないので反対はしないが…」とした上で、「ここ(大阪府議会)で決めても地元で(『先生』と)呼ばれるし、自分で律することが出来るかどうかだと思う。府議会で他にもたくさん議論しなければならないことがあるのに、こんなことをルール化しようと話し合っているのが、なんか恥ずべき事じゃないのか」「職員が(議員の)名前を覚えるのは大変そうだが」などという意見を出しました。
議会運営委員会の後、森和臣議長は「議員はあくまで選挙で選ばれてますが、府民の皆さんと対等な関係というので、そういうことを議員自身がしっかり分かっていかないといけないというのもありまして、『先生』はよくないんじゃないかな。今後は、職員などに名前を覚えてもらう努力もしないといけない」と報道陣にコメントしました。
今後、各会派で話し合い、28日の議会運営委員会で賛同が得られれば、その日に議員や大阪府庁の職員に通達を出すとしています。

記事によれば、自民党の議員は、「こんな提案は、恥ずべき事だ」と言っています。
大阪弁で言えば、「しょもないことを、言うな」ということなのでしょう。
でも、これは「恥ずべき事」なのでしょうか。
「自民党の先生、あなたは、何様なのですか」と問えば。
「俺は、お偉い議員様だ」という答が返って来るのかもしれません。
この提案は、他党の議員から出されたものですから「恥ずべき事」で済むのかもしれませんが、もしも、大阪府民から提案されたら、どんな発言をしたのでしょう。想像するだけでも不快ですから、やめておきます。
全国的なニュースになっている話題だけを見ても、国会議員の先生方も地方議員の先生方も、国民から見れば「恥ずべき事」しかしていないように見えていますが、どう整合性をとるのでしょう。
もっと言えば、ニュースにはなっていない「恥ずべき事」は山のようにあると思います。
もちろん、市民である私達に「恥ずべき事」はないのかというと、そんなことはありません。そう考えると、「先生」という呼称で、「恥ずべき事」を誤魔化してしまうのはいかがなものでしょう。ただ、「恥ずべき事」の比較をした時、比較するようなことではありませんが、私達市民の「恥ずべき事」は些細なもので、「先生方」の「恥ずべき事」には勝てません。そう考えると、やはり、なんか変です。
テレビでは、専門家の先生(どこかの大学の教授だったと思います)が、「先生と言う呼称が問題ではなく、実態が伴っていないことが問題なのだと思います」と答えていました。「先生という敬称に相応しい仕事をすればいいだけの話です」ということのようですが、そんなこと可能なのでしょうか。いえいえ、無理です。
どうも、専門家の先生も、議員と言う名の「先生」と同じ穴に住んでいるようです。

やはり、これも、歴史と伝統の副作用だと思います。
議員の先生方は、歴史と伝統に支えられ、自分は「一国一城の主だ」と思っています。
彼等は、自分が住民の、国民の、代弁者だとは思っていません。自分が「お上」で、住民も、国民も、「下々」だと思っています。
自分は、住民より偉い、選ばれた存在であり、住民から仕事を請け負っている外注先だという認識はないものと思います。
よく似ているのが、封建時代の「お殿様」の感覚なのだと思います。お殿様のルーツは封建制度にあります。日本の国体の基盤にあるのは、今でも、民主主義風王政並立封建制度だということです。民主主義とか王政という形容詞はついていますが、本体は封建制度です。
それは、これまで、国として、民主主義を定義しなかったからです。
昔の殿様も贅沢三昧をする殿様が一般的です。農民に優しい統治をした変わり者の殿様は「名君」と呼ばれました。数少ない、珍しい、殿様だったから、「名君」と呼ばれたものと思います。
封建制度下の国では、仕方ありません。殿様に反抗する庶民は処刑されてきたのですから、殿様には逆らえません。そのDNAが、まだ、生き残っているのでしょうか。

ただ、「先生という呼称は使わないようにしましょう」という提案は表層的なものに過ぎないということを理解して欲しいと思います。提案した議会運営委員会の議長でさえ、その根底にあるのは「議員とは、何」という定義不在だということに気付いていないと思います。
そう考えると、今回の提案は、意図したものではないと思いますが、大きな「問い」の入り口に立った動きだと思います。
その大きな「問い」とは。
「国とは、何ですか」
「国民とは、何ですか」
「民主主義とは、何ですか」
という「問い」です。
もう一歩、前に進めば、その「問い」そのものに気付くことができます。
「議員とは、何」「議会とは、何」という問いの答も見えてきます。もしも、議員が住民から住民生活を守るという仕事を請け負った外注先だとすると、誰も、外注先の社員を「先生」とは呼ばないと思います。
先生という呼称一つを見ても、私達の社会は「勘違い」の上に築かれているように見えます。「勘違い」という砂で作られた土台の上にある社会が壊れるのは必然なのかもしれません。私達は、自分の生活を守るために、そろそろ、封建制度は卒業しなければなりません。「お上が、何とかしてくれる」なんて願望は幻想にすぎません。崩壊した国が、「お上」が、庶民を救ってくれたなどという歴史は、どこにもありません。最後は、国民の皆さんが責任を取るのです。これが歴史であり、現実です。
ただ、「お上」に都合の良い歴史と「お上」に都合の良い伝統と、そして、「お上」に都合の良い文化という大きな壁があります。
その壁に遮られて、今日まで、まだ、誰一人、言葉の定義に気付いた人はいません。
歴史、伝統、文化が、この国を亡ぼすのだとすると、間違いなく亡びると思いますが、とても、悲しいことだと思います。
もしかすると、「問い」に気付くだけで、その運命を変えることができるのかもしれないのに、歴史、伝統、文化がそれを遮っているとすると、本末転倒だと思います。
「問い」に気付き、挑戦し、目的と責務を見つけ、亡国を防いでほしいと思います。
ま、奇跡なのでしょうが、願わずにはいられません。


2022-10-06



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最終責任は国民が負う [評論]



今日は、ロシアが出した部分動員令について、短く、書きます。
戦争で勝つためには、特に攻撃側には、敵より数倍の兵力が必要だと言われます。
日本の戦国時代でも、籠城戦が多用されたのは、敵よりも兵力で劣る側が食糧と水を確保して籠城したのは、この法則が有効だったということだと思います。
だとしても、籠城すれば勝てるということではありません。籠城している側は、相手が引き揚げれば、勝ったことになりますが、それは、引き分けに過ぎず、勝利ではありません。
ただ、厄介なことに、必ず、防衛側の犠牲が少ないということでもありません。
それが、独ソ戦です。攻めていたのはドイツです。
独ソ戦では、攻撃側のドイツの犠牲者は、約400万人ですが、ソ連側の犠牲者は1500万人だと言われています。この犠牲者数については、いろいろな数字がありますが、ソ連側の犠牲者が多かったことは間違いないようです。数年間、断続的に戦っていましたので、この戦争に参加した兵士が何人なのかは知りません。仮に、兵士の損耗率が3割だとすると5000万人の兵士が参戦したことになります。これは、驚異的な動員力だと思います。
当時のソ連の人口は、約2億人、ドイツの人口は約7000万人でした。
国の動員能力が戦争の勝敗を決するということのようです。
それは、人口の多い国が勝つということです。
今の時点では、中国が世界最強の国だということです。

さて、今、ロシアとウクライナが戦争をしています。
戦争の初期は、火力に勝るロシアが占領地を増やす展開でしたが、西側の武器供与によりウクライナが反撃して、戦争は膠着状態になっています。
開戦時のロシアの兵力は20万人と言われました。「ロシアは、たった20万人の兵力で、どんな勝利を目指しているのでしょう」と専門家の方が首をひねっていました。
ウクライナ軍は、70万人から100万人と言われていますので、ロシアは、300万人の兵力を送り込まなければならない状況になっています。
プーチンは、国民総動員令を出す勇気はありませんので、部分動員令という名の徴兵令を出しました。規模は30万人だと言っていますが、必要な兵員は300万人です。ロシア全土では2500万人の兵力が徴兵可能だと言っていますので、300万人は可能な数字です。
少し時間はかかりますが、ロシアが300万人の兵力を投入できれば、ウクライナに勝利することが可能です。ただ、ウクライナは、自国の防衛ですから、士気が高く、数字以上の力を出す可能性があるとすると、ロシアは、500万人から1000万人の兵力が必要です。だとしても、ロシアには、それだけの力があります。
ロシアの動員令で、ロシア・ウクライナ戦争は、フェーズが変わりました。
放置すれば、ウクライナはロシアに併合されます。
NATOは、ウクライナをどうするのかを決めなくてはならなくなりました。
ウクライナを見捨てるのでしょうか。
それが、一番、現実的な対応です。
では、自由と民主主義、法の支配を主張してきた西側諸国は、その価値を捨てるのでしょうか。「ならず者国家」による蹂躙を認めるのでしょうか。
ロシアは、「ならず者国家」の中では、小さな「ならず者国家」です。最大の「ならず者国家」である中国は、14億人の人口を持っていますので、兵員の動員力では世界最強です。ロシアのゴリ押しを認めるということは、中国に屈服するということを意味します。
さあ、どうするのでしょう。

今起きているロシアとウクライナの戦争は、1対1の戦争ではなく、自由主義陣営と専制主義陣営の戦争が始まっているということです。
たまたま、戦争の始まった地域がウクライナだったということに過ぎません。
ここで、動員令という非常事態を計算に入れずに、各国の軍事力を見てみましょう。
装備を除外して、兵員だけの比較をしてみると、日本は国土防衛なんて不可能だということが見えてきます。兵員数では、日本は24位です。
1.中国    300万人
2.インド   280
3.アメリカ  150
4.北朝鮮   140
5.ロシア   140
6.パキスタン 100
7.エジプト   80
8.イラク    80
9.ブラジル   70
10.韓国    65
・・・・・・
24.日本    25
この中で、日本に武力侵攻してくる可能性のある国は、中国、北朝鮮、ロシア、韓国の4カ国だと思いますが、中国は日本の12倍の兵力です。一番少ない韓国でも2倍以上です。もっとも、韓国が日本に侵攻してくるのは、北朝鮮との統一後になると思いますので、朝鮮半島の兵力は200万人になります。中国もロシアも朝鮮も、日本を占領する力を持っているということです。
しかも、日本には徴兵制度がありませんので、予備役と呼ばれる軍務経験者は全国レベルでも数万人だと言われています。仮に、総動員令をかけて徴兵したとしても、全員が素人ですから、銃の分解から教育しなければなりません。そもそも、新兵に支給する数百万丁の銃はないと思います。もしも、武力侵攻、プーチン流の特別軍事行動が起きれば、防ぎようがありません。
では、どうやって国土防衛をすればいいのでしょう。
日米同盟だけではなく、世界規模で軍事同盟を結び、協力して専制国家と戦うしかありません。そのためには、他国を守れる国になる必要がありますが、現行の憲法では不可能です。
日本の安全保障環境を見ると、国土防衛なんて夢のまた夢です。
いっそのこと、平和憲法が日本を守ってくれるというお伽話がお伽話でなかったらと思います。でも、もしも、平和憲法が日本を守ってくれるのであれば、鉄腕アトムだって、宇宙戦艦ヤマトだって、ガンダムだって、日本を守ってくれると思います。
そんな夢みたいなこと、実現可能なのでしょうか。
私達は、安全保障の分野でも、夢見る乙女に過ぎないのだと思います。
日本は、アニメ先進国だと言われることがありますが、日本は、アニメの世界でしか生きていけない国なのかもしれません。とても、現実世界には適応できません。
ロシアは、補給に問題があって戦争に支障を来していると言われていますが、それは、A地点からB地点に、武器・弾薬・食糧・部品を移動させるロジスティックに問題があるということです。しかし、日本の場合、運ぶべき武器・弾薬・部品がありません。継戦能力は数日分しかないと言われています。つい先日、価格高騰で演習用のガソリンが買えなくなって、予備費で賄ったという話もありました。
もしも、仮に、どこかの国が武力侵攻してきたら、私達には白旗を挙げるという選択肢しかないということです。勝つ可能性のない戦争で、無駄に自衛隊員を死なすのは間違いだと思います。それとも、又、「天皇陛下万歳」と叫んで玉砕するのですか。
もちろん、敗戦後の辛酸(拷問、虐殺、レイプ、拉致、貧困、飢餓等々)は、国民の皆さんで分かち合うことになります。
どんな事態が起きようと、最終責任は国民が負うのです。
これ、人間社会の鉄則です。
例えば、10階のビルの手すりを掴んでいた手を離せば、落下する。落下すれば、どうなるかなんて、誰でもわかることです。
そんな当たり前な事に気付かなかつたことを、世間では自業自得と言います。誰を責めることもできません。皆さんが責任を取るのです。
ロシアのウクライナ侵攻を見た皆さんは、憲法に書いてある「平和を愛する諸国民」がブラックジョークに過ぎなかったことを知ってしまいました。今でも、ロシアに占領されたウクライナの都市では、拷問、虐殺、レイプ、拉致が行われています。ウクライナのGDPは半減していますので、今後、貧困と飢餓が進行します。日本だけではなく、どこの国でもウクライナになる危険はあるのです。
「そうかもしれないけど、今は、物価対策だろ」
私達は、そうやって、80年も「先送り」を続けてきたのです。
この先も、80年、「先送り」をすると考えるほうが自然です。
でも、それが、国民の皆さんの判断なのですから、仕方ありません。
責任を取らされても、仕方ない、ということです。
どうか、夢の世界が続きますように、と祈ります。


2022-10-05



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背に腹は代えられない [評論]



統一教会騒動で自民党が叩かれています。
どう見ても、自民党に非があるのですから仕方ありません。
しかし、国民目線で見ると、次から次へと、不祥事が出てくるのに、国民には自民党という選択肢しかありません。何と不幸な国なのでしょう。
統一教会騒動が終息したら、この国は繁栄するのですか。
統一教会の被害者を救済すれば、国民の生活は楽になるのですか。
違うと思います。
それなのに、国民の皆さんは、空気に流されて、本物の問題を見ていません。
将来不安は、大きくなる一方です。
ほんとは不安なのに、「太っ腹な人」を気取っている国民の皆さん、「物わかりの良い人」を演じている国民の皆さん、「ふむ、ふむ」「まあ、まあ」と言っている国民の皆さん、皆さんは愚かな政治家に協力して、この国を壊していることに気付いていますか。
もちろん、気付いていないから、やっているのだと思います。自分は正しいと信じているから、やっているのでしょう。では、皆さんの不安は、一体、何なのですか。「不安なんてない」と言えますか。自分自身を納得させられますか。
国力衰退が進んでいますので、近い将来、この国は壊れます。世界の最貧国になります。そんな未来を政治は先取りしているかのようです。世界最低の国になれば、モリ・カケ・サクラも統一教会も些細なことに過ぎません。汚職なんて、日常です。反社会団体との癒着も、常識です。いや、政府そのものが反社会団体になります。想像もできないかもしれませんが、国民の犠牲だけで成り立つ国になるのです。皆さんは、もう「下々」でもなくなります。「クズ」です。そんな未来が、刻々と近づいているのです。
壊れる時は、あらゆるものが壊れます。
国民の皆さん。
漠然と「ヤバイかも」と思っていますよね。
何となく、不安ですよね。
そろそろ、気付かなければ、責任を取らされるのは、皆さんです。それが、世界共通のルールです。例外はありません。

一連の反自民騒動は、いつまで、続くのでしょう。
マスコミは、新しい材料があり、視聴率が取れる間は、この騒動を続けます。
でも、そのうち、国民は飽きてきます。
視聴率が落ちてくれば、マスコミの騒動は終わります。
マスコミは正義のために報道しているのではなく、当たり前のことですが、利益のために報道をしているのです。ワイドショーでは、正論や義憤がふんだんに出て来ますが、視聴率のための演出です。商売ですから、当然です。視聴率が落ちれば、止めます。
ただ、今回の騒動は、中々鎮静化しません。売り上げ減少に苦しむテレビ業界にとっては、願ってもない騒動が起きてくれました。密かに、統一教会に感謝しているかもしれません。これまでは、テレビ局のスタジオが舞台でしたが、10月から、舞台は国会に移り、茶番劇は継続されます。本当は、国力衰退を阻止する議論をやって欲しいと思いますが、そんな舞台にはならないと思います。与党も野党も、国民生活のための仕事を、全く、しません。与党も野党も、やっていることは「自分さえよければ」です。
今回の騒動の始まりは、安倍銃撃事件という、これまでになかった事件が発端ですから、インパクトが強かったことで、75日では収まりません。
しかも、パート2として、銃撃犯の犯罪動機になった統一教会が表に出て来ました。
それだけではなく、国葬が、パート3になってしまったのです。
そのオマケとして、五輪汚職まで、彩を添えてしまいました。
まさに、火に油を注いだのですから、鎮静化には時間がかかります。
ただ、時の神は、自民党を助けました。
もし、あの銃撃事件が、昨年の衆議院選挙の時に起きていたら、今年の参議院選挙で、自民党は大敗していました。自民党には、まだ、3年の時間があります。国民の関心は、3年も続くことはありません。
そして、いつものように、「なあ、なあ」「まあ、まあ」の世界になります。
マスコミの中には、選挙制度に問題があるという指摘もあります。
選挙制度に問題があることは、過去に、何度も指摘しましたし、何度も提案をしました。もっとも、私の提案は無茶苦茶な提案ですから、「ふむ、ふむ」と頷いてくれた人はいなかったかもしれません。それでも、選挙制度に問題があることは確かです。
では、選挙制度を変えれば、この国は変わるのでしょうか。
変わりません。
自民党が統一教会との関係を絶てば、この国は変わるのでしょうか。
変わりません。
総理大臣を替えれば、この国は変わるのでしょうか。
変わりません。
政権交代が起きたら、この国は変わるのでしょうか。
いいえ、変わりません。
そんなことは、皆さん、知っています。
しかし、国民の皆さんは、誰一人、このままでいいとは思っていません。
ただ、どうしたらいいのか、さっぱり、わかりません。
ずるずると、「なあ、なあ」「まあ、まあ」を続けるしかありません。
今が、高度成長期にあるのであれば、何の問題もありません。
しかし、今は、国力衰退期なのです。
当然、皆さんの生活に影響します。
それを、放置しておいていいのですか。
今は、藁でも掴まねばならない時なのではありませんか。

これは、政治家の問題ではなく、宗教法人の問題ではなく、銃撃犯の問題でもありません。宗教って、何ですか。個人の生活を壊す宗教でも、宗教なのですか。百歩譲って、そんな宗教でも宗教だとしてみましょう。それでも、今回の問題は、信仰の問題ではありません。政治が、宗教が、犯罪者が、好き勝手にやっていることが問題なのです。
それは、原則が欠如しているから起きていることです。「目的」と「責務」が明確になっていないことが問題なのです。
信仰は個人の自由です。個人の自由ということは、責任を取るのも個人だということです。人権派弁護士の皆さんは、被害者の救済を声高に言います。彼等は、国が救済しろと言います。それは、税金を使えという意味です。もちろん、信仰した当人の家庭が崩壊し、家族が路頭に迷ったのであれば、その家族を救済する必要はありますが、その時は、保護責任遺棄の罪で、信仰した当人を逮捕して裁く必要がありますし、献金を強要した宗教法人も裁かねばなりません。
個人にも、宗教法人にも、国にも、それぞれの「責務」があるのです。
しかし、今は、その「責務」が、どれも曖昧なままです。
必要なのは、国民の責務、法人の責務、国の責務の明確化です。
先程、選挙制度を変えても、統一教会との関係を絶っても、総理大臣を替えても、政権交代が起きても、何も変わらないと書きました。
それは、この国に「目的」と「責務」がないからです。
銃撃事件を起こした容疑者の母親には、家族を守る責務があったのです。しかし、母親は、信仰を理由にして「自分さえよければ」をしていたのです。同じように、安倍銃撃事件も、統一教会騒動も、国葬騒動も、五輪汚職騒動も、全て、「自分さえよければ」の結果です。それは、誰も、自分の責務を知らなかったからです。

薄々としか感じていないかもしれませんが、私達は、ドン詰まりの場所にいます。
先が見えません。
何をすればいいのかも、わかりません。
立ち往生の状態です。
そんな国に住む私達は、国力衰退というトレンドの上を前に進んでいるのです。
国力衰退の先に、どんな結末が待っているのか、いい加減、理解する必要があります。
「俺には関係ねぇ」なんて言える人は、一人もいないのです。
では、私が提案している「言葉の定義」をすれば、光が見えるのでしょうか。
それは、わかりません。
国民の皆さんが、どんな定義をするかで変わります。
定義次第です。
光が見えることもあるかもしれませんし、何も変わらないかもしれませんし、状況が悪くなるかもしれません。
ここで、重要なのは、光が見える可能性があるということだと思います。他に、根っ子に踏み込んだ提案がありませんので、可能性そのものがないのですから、多少でも可能性のある提案は、検討する価値があると思います。ただ、可能性ですから、そうならない場合もあることは否定しません。
皆さんは、どんな定義をするのでしょう。
どうか、自分で考えてください。
皆さんは、大きな声を出す人に影響される性癖を持っています。
特に、「お上」の声には、弱い。
でも、この国の主人公は皆さんです。皆さんは「下々」の一人ではありません。
それは、皆さんが、責任者だということです。
最後に責任を取るのは、皆さんです。
皆さんが、言葉の定義をすれば、そのことも見えてきます。
これまでの曖昧な世界が、「お上」と「下々」という世界が、「なあ、なあ」「まあ、まあ」の世界が、不思議だと感じることができます。
自分の、家族の生活を守ることが一番です。もちろん、「自分さえよければ」をやればいいと言っているのではありません。これまで、「お上」だけが「いいとこ取り」をしてきました。皆さんが、同じように「いいとこ取り」をすれば、何も変わりません。
結果的に、自分の家族を守れる社会を作るために、何が必要なのかを考えてください。
皆さんには、自分の生活を守る権利がありますが、と同時に、自分以外の人の生活を守る責務もあるのです。それが、責任者の責務です。
皆さんにとっては、初めての経験だと思います。
「下々」のままのほうが楽だと思います。
それでも、やらねばならない時が来ているのです。
それは、背に腹は代えられないからです。


2022-10-04



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奇跡を待ちます [評論]



円安が進み、24年ぶりとなる為替介入が行われました。
ドル円チャートを見てもらえばわかりますが、150円から250円の間には抵抗ラインが1本もありません。150円が意識されたのは自然なことです。オーバーシュートしてしまえば、250円を越えてしまうかもしれません。
今回の為替介入は、後日、「財務省は、何もしなかった」と言われないように、形ばかりの抵抗をして見せたということなのかもしれません。
仮に、1ドル300円になれば、日本経済は瀕死の重傷です。
更に、500円になり、1,000円になれば、国が崩壊します。
これは、この国が、国家運営に失敗したということです。
過去、50年の、いや、150年の国家運営が失敗だったことを証明することになります。
私の予測が、評価が、絶対に正しいと言うつもりはありません。
でも、可能性はゼロではなく、かなり高い確率で国家崩壊は現実になります。
私達は、とても危険な場所に立っているのですが、そのことに気付いている方がいません。ましてや、その原因に気付いている方は、一人もいません。これは、とても危険です。確かに、国民の皆さんは不安を感じています。その不安の根拠は明確になっていませんが、多くの皆さんが漠然と感じている「不安感」は間違っていないのです。
そうです。この国は、皆さんの生活は、壊れるのです。だから、不安なのです。

これまでも円安の破壊力について書いてきましたが、これまでは予測に過ぎませんでしたが、もう、予測とか警告という時期ではなくなったのではないかと思います。
為替変動は金利差から生まれるという通説があります。
確かに、金利差で為替が変動する事実は存在します。
では、今の円安は、金利差だけで起きている現象なのでしょうか。
そうではありません。
ここは、専門家の方の見解を読み込んでみてください。
中でも、日本の国力衰退が、円安を進めます。これが、一番危険です。
日本経済の衰退が、当然のように、日本通貨の衰退につながっているとすると、金融政策で何とかなるようなものではありません。
特に、貿易収支の赤字化が定着し、経常収支を心配する方も出てきました。何度も書きますが、国際環境の大きな変化があれば、所得収支は激変します。そして、世界は、今、大きな曲がり角に来ているという時代を迎えています。とても、危険です。
私には、当たり前の現象が起きているように見えます。
日本の国力衰退が進行すれば、当然、円安になるということです。

今の状況を見れば、デフレ脱却というスローガンだけで、場当たり的な国家運営をしてきた国が国家運営に失敗したということです。
成長戦略という矢がないアベノミクスが失敗だったことが証明されたのです。
異次元金融緩和という金融戦略も、失敗したのです。
元々、金融政策は、インフレや失業を是正する短期政策として使われるものです。
数年で結果が出ない場合は、金融政策では対応できないものなのですから、政策転換をしなければなりません。
それなのに、10年間、「2%の物価上昇」目標を維持し、結局、達成できませんでした。
これは、短期政策の、金融政策の、領域を逸脱しています。
今、日本で起きている物価上昇は、国の政策が功を奏して起きているのではありません。国際環境の変化で起きているインフレです。日本は、何も成し遂げていないのです。

2013年、アベノミクスが発表された時、私は「アベノミクスは失敗する」と書きました。多くの方が歓迎していた時のことですから、変人だと思われた筈です。
なぜ、失敗するのか。それは、謳い文句である3本の矢の中の成長戦略という矢が、当初から存在しなかったからです。
本来であれば、成長戦略を成功させるために、金融政策と財政政策で成長戦略を支援するものです。それが、金融政策である異次元金融緩和で始まったのです。
その後も、成長戦略は姿を見せませんでした。
異次元金融緩和と財政出動で、力任せの政策で、円安と株高を起こし、景気の下支えをせざるを得なくなってしまいました。中身は何一つ変わっていないのに、弥縫策で、それも異次元の弥縫策でその場しのぎをやったのです。中身が変わっていませんので、成長戦略がありませんでしたので、物価上昇は起きないまま、10年経過したのです。
当初から、失敗が約束されていた政策なのに、経済界も経済評論家も反対をしませんでした。当時は、誰もが拍手していたのです。ですから、これは安倍さん一人の責任ではありません。

では、何が間違っていたのでしょう。
第一に、政策そのものが間違っていました。これは、よくあることです。
第二に、それを修正できませんでした。いつもの「まあ、まあ」です。
第三に、10年経っても、修正できないままです。
これは、この国に、構造的な問題があるということです。

では、その失敗の原因はどこにあるのでしょう。
「間違い」を「間違い」と言えない空気の存在。
「失敗」を「失敗」と言えない空気の存在。
「なあ、なあ」「まあ、まあ」で済んでしまう空気の存在。
この国は、原理原則ではなく、空気で動いているのです。

では、原因の原因は。
「お上」と「下々」という意識。
原理原則の不在。

では、原因の原因の原因は。
曖昧文化に流され、言葉の定義が出来ずに、目的と責務を明確にできなかったことです。

アベノミクスという政策を見てみましょう。
アベノミクスを立案したのは安倍さん一人ではありません。
安倍さんをサポートする大勢の官僚がいました。
アベノミクスという政策に、私が指摘したような欠陥が存在することは、多くの官僚が、いや、官僚の皆さん全員が、気付いていたと思います。
しかし、総理大臣に逆らえる官僚がいなかった。
政権中枢にも、「お上」と「下々」意識があったということです。
政策の間違いを指摘出来なかったのは、原理原則がなかったからです。
「総理、この政策は、かくかくしかじかの理由で間違っています」と言えるだけの原則がなかったのです。原則がないまま、そんなことを言えば、左遷です。国として、共通する原則がなかったために、皆で責任逃れをしたのです。総理大臣という権力者に対して弱い立場の官僚は、忖度して、拍手するしかなかったのだと思います。日本中の優秀な頭脳を集めたのに、何の役にも立ちませんでした。まさに、浪費です。
仮に、官僚が「国民生活を守る」ことを目的としていたとしても、上下関係により、政策が安倍総理の権力の強化を目的にしてしまっても、黙るしかなかったのです。
百歩譲りましょう。
もしも、安倍さんに、耳に痛い進言でも聞くという度量があれば、何とかなっていたのかもしれません。しかし、「そんなリーダーがどこにいるのだ」と言われれば、答はありません。個人差のある「人間の度量」などに頼ってはいけないということだと思います。「人間の度量」ではなく、多くの皆さんが共有できる「目的」と「責務」が必要なのだと思います。
総理大臣とその周辺の人達は、本意ではなかったとしても、一致協力して、間違えました。
では、経済界は、何か注文を付けたのでしょうか。
いいえ、忖度しました。円安のほうが重要だったのです。
経済評論家は、なぜ、黙っていたのでしょう。
自分の身が可愛かったのです。
残念なことに、野党には、この欠陥に気付く知識がありませんでした。
それは、野党も「国民生活を守る」ことが唯一無二の目的ではなかったということです。ただ、ただ、訳も分からずに、「安倍政治、反対」しか言えませんでした。
ですから、皆で一致協力して、国家運営に失敗したのです。
では、国民は、どうしたのでしょう。
一部の人は「ふむ、ふむ」と頷き、一部の人は「俺には関係ねぇ」と言い、多くの国民は「お上」の仕事には口を出せないと信じていたのです。日光東照宮の猿と同じです。
自分達の生活を左右する国家運営なのに、誰もが、他人事だったのです。
その点では、国民も同罪です。
どこにも、救いがありません。
誰を責めることもできません。
これは、総理大臣の顔を替えても、何も変わらないということです。
こんなこと、いつまでやるのですか。
こういう国家運営が、「なあ、なあ」「まあ、まあ」の国家運営が、150年も続いたのです。潰れても、不思議はありません。

何度も書きますが、国民の皆さんは、ほぼ全員の皆さんが、将来に不安を感じています。それは、皆さんが、気付いてはいないかもしれませんが、動物としての本能を持っているからです。私達の目には見えませんが、日常の事象の背後で、何か得体のしれないものが蠢いていることを本能は察知しています。だから、不安なのです。
論理的な思考よりも、直感のほうが正しかったという体験は何度もあります。特に、生命維持に関する場合は、本能のほうが優れていると思います。
皆さんは、必死に貯金をしようとしています。しかし、どれだけ頑張って貯金を増やしても、インフレがやってくれば、貯金なんて何の役にも立ちません。国が崩壊する時は、1,000%の、10,000%のインフレがやってきます。必要になるのは、現物の食糧だけです。50年分の、100年分の食糧備蓄を持っている人なんて存在しません。皆さんは、飢えに苦しむ生活を余儀なくされるのです。皆さんは、動物の本能として、その危険を知っています。だから、不安なのです。第二次世界大戦敗戦時の日本の食糧自給率は88%でした。今は、40%を切っています。大変苦しかった、あの敗戦時の食糧難と、これからやって来る食糧難は、別物です。国連の食糧支援が期待できない場合は、バタバタと人が死んでいきます。この国には、数千万人の餓死者が出ても不思議ではないほどの食糧しかないのです。
「お上」が何かしてくれるわけではありません。皆さんは、自力で生き延びるしかないのです。いつの時代でも、それが現実だったのです。そして、皆さんの本能は、その事を知っています。多くの先人たちが体験したように、皆さんも、皆さんの家族も、絶望の中で死を迎える可能性があるのです。それも、これまでに例を見ないほどの大量死です。
ほんとに、それでいいのですか。
「お偉い先生方」に国家運営を丸投げしていてはいけません。自分の身は、家族の命は、皆さんが守らなければならないのです。
そのためには、皆さんが目を醒まし、目的を持ち、責務を明確にし、崩壊を阻止することで、生き延びる選択肢を手に入れる必要があります。崩壊してしまえば、その選択肢はありません。「お上」次第ではなく、「国民の皆さん」次第なのです。

しかし、原理原則を生み出す作業そのものは難しいものではありませんが、その作業が必要であるという認識を持つことは、簡単ではありません。
意識の変革と時間が必要です。
意識の変革など微塵もありませんし、時間も残り少しです。
ですから、国家崩壊は、甘んじて受け入れるしかないと思います。
ただ。
皆さんは、最貧国になったまま、朽ち果てることを望んでいるわけではないと思います。
再生が必要です。
しかし、それも、簡単なことではありません。
この国を崩壊へと導いた昭和・平成時代の日本人は、後世の日本人のために、出来る限りのことをする責務があると思います。
私は、それが、言葉の定義であり、そこから生まれる「目的」と「責務」だと思います。
あと、どのくらいの時間が残されているのかはわかりませんが、崩壊は防げませんが、私達は最後まで努力するしかないと思います。
そうは言っても、「言葉の定義」に気付いている方がいません。
ただ、私は気付きましたし、この文章を読んでくれた人の中には、気付いてくれた人がいるかもしれません。ゼロではないのです。
奇跡を待つことにします。


2022-10-03



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何とかなるさ [評論]



岸田総理大臣の評価が、つるべ落としのように低下しています。
統一教会と国葬と五輪疑惑のせいなのでしょうか。
違うと思います。
薄々気付いていた「なんだ、この人、口先だけなんだ」が、多くの国民に見透かされた結果だと思います。
ただ、気の毒なのは、岸田さん自身も、何をすればいいのか、わからないことです。
岸田さん以外の人が総理大臣をやっても、同じです。
そろそろ、そのことに気付きましょうよ。
国民の皆さん、ぜひ、原因の原因の原因を見つけてください。皆さんが気付けば、政治は、自動的に変わります。

統一教会と国葬と五輪疑惑という後ろ向きな話題で、国家運営の中心にある政権が右往左往しています。国民は、大変、不安に思っています。
では、国力衰退という窮地に立っているこの国を、どうやって再生するのかという本来の仕事はどうなっているのでしょう。
それが、見えません。
新しい資本主義、田園都市構想、デジタルトランスフォーメーション、グリーントランスフォーメーション、その他にも、言葉だけは踊っています。
で、何か、変わり始めたのでしょうか。
国民に、そんな実感はありません。
「時間がかかるんだよ」
そうなのかもしれませんが、積極的に評価する方が少ないのはどうしてなのでしょう。
少なくとも、国民を引き付けているようには見えません。
国民の協力がなくては、何も始まりません。
これは、今に始まったことではありませんが、枝葉の部分だけに目を向けていることで起きている勘違いが原因だと思います。
国の盛衰は、国民次第なのです。
そうであれば、国民意識を変えるしか方法はないとおもうのですが、軽薄な言葉だけが飛び交う国になっています。
何よりも、国民が「俺には関係ねぇ」と言っていたのでは、何も始まりません。
マスコミ主導で生まれる世論であっても、世論を無視できないのが国です。
だったら、政府主導で世論を生み出せばいいのです。
そのためには、国民が納得してくれる理念を示す必要があります。
それが、国の目的と責務であり、国民の目的と責務です。
目的と責務を明確にすることが、国家運営者の仕事だと思います。
中身のないお題目は理念ではありません。新しい資本主義というお題目は、手段に過ぎません。理念のない手段が成果を出すことはありません。

岸田政権発足時は、いつもの事ですが、それなりに政権支持率もありました。
「何となく、期待してみたい」
「悪さ、はしない人に見える」
「優しそう」
「きっと、いい人に違いない」
二階さんが総理になっていたら、別の評価になっていたと思います。
でも、この岸田評価は、毒にも薬にもならないという評価でもあります。
確かに、政権支持率は、どこの国でも、時間と共に下落するものです。
しかし、ついに、政権支持率下落トレンドが始まったように見えます。もっとも、1年間、何もせずに、持ち堪えたのですから、それはそれで、立派なものです。
だとしても。
物価上昇を実感していない国民は、一人もいないのではないでしょうか。
まだ、日本の物価上昇は2%とか3%ですが、世界トレンドから見れば、トルコのように80%にならないとしても、8%になっても不思議ではありません。特に、日本の場合は、マイナス物価というデフレからの出発ですから、庶民の実感は大きいと思います。
この30年間で、貧困層が激増しました。
それは、物価上昇に耐えられる体力を失っている人が大勢いるということです。
この先、節約では乗り越えられない時がやって来ると思います。
「お上が悪い」というトレンドが生まれます。
そんな中、統一教会と国葬と五輪疑惑で岸田政権は追い込まれました。
当面、選挙はありませんので、頭を低くして嵐が過ぎ去るのを待つようですが、ほんとに、国民の皆さんは忘れてくれるのでしょうか。
岸田政権が得意とする「小出し、後出し、むにゃむにゃ」は、少し尾を引くように思えます。
五輪疑惑に関しては、東京地検特捜部が動いていて、逮捕者も出ています。政治側のキーマンは、安倍元総理のようですが、既に、亡くなっていますので、東京地検は、どこまで迫れるのでしょうか。
これまでも、今も、これからも、国が支出するカネには蟻がたかるものです。これ、どこの国でも常識です。極論ですが、政治家の使命は蟻に便宜を図り、上前を撥ねる、ことだと思います。それは、後進国の様子を見れば一目瞭然です。日本も例外ではありません。いや、先進国と言われる日本ですが、倫理とか公平という分野では、立派に後進国だと言うことだと思います。それは、「ふむ、ふむ」と頷いてくれる従順な国民の存在があるからです。政治家は、後進国のように「やりたい放題」ができるのです。
私が、いつも、不思議に思うのは、国民の皆さんが慣れ親しんできた「ふむ、ふむ」は国民の首を絞めるロープだということに気付かないことです。
ただ、今回の三大疑惑で、国民の皆さんは、少しだけ心配になったようです。
「このままじゃ、ヤバクねぇ」
ただ、どうすればいいのか、国民の皆さんには体験がありませんので、心配は心配のままで終わります。
政権を託すに足る野党が存在していたら、国民の選択肢もあったのでしょうが、立憲民主党や共産党だけではなく、どの野党も、国民の信頼は得られません。
最終的には、いつものように、「うやむや」にするしかないと思います。
国葬に関しては、「国葬とは」という定義が存在しないまま、国葬をすることに決めてしまったために、いつものように言葉で誤魔化すしか手がなくなりました。
左翼の皆さんは、チャンスと捉え、デモをしていますが、右翼側からは極左暴力団と呼ばれ、国民からも遊離し始めています。
完全に、政争の具になりました。こんなこと、いつまでやるのでしょう。
葬式で点数を稼ぐ。葬式で政敵を倒す。この次元の低い争いが、誰かの利益になるのでしょうか。いいえ、何も生み出しません。
岸田さんに責任が無いとは言いませんが、岸田さんではない誰かがやっても同じです。
と言うことは、「なあ、なあ」「まあ、まあ」しか能のない岸田さんに原因があるのではなく、「なあ、なあ」「まあ、まあ」そのものに原因があるということです。
いい加減、気付いてもいいと思うのですが、残念です。
「不幸は群れてやって来る」という格言(個人的な格言)から見ると、岸田さんも不幸の神様が選んだとしか思えません。
ただ、これは、岸田さん個人の問題ではありません。
「目的」と「責務」が欠けていることが、問題なのです。

国際環境の変化が顕著です。
ウクライナ戦争、欧州のエネルギー危機、中東産油国の生き残り戦略、イラン核合意の不透明と中東戦争の可能性、世界のエネルギー危機、貧困国の食糧不足、肥料の枯渇、中国の台湾への軍事恫喝と軍事侵攻の可能性の増大、中国国内の経済の変調、アメリカ国内の分断の進行、韓国の迷走、北朝鮮の強気、その上、世界規模での災害の多発、まさに、不幸の神様が世界規模で活躍し始めたようです。
そんな中、日本の国力衰退は、着々と進んでいます。
統一教会とか国葬とか五輪疑惑なんて、やっている場合ではないと思います。
ロシアの核恫喝が有効に機能したことで、イランは核兵器の保有に全力投球しています。それを、イスラエルが黙って見ているとは思えません。イスラエルの情報収集能力は世界のトップクラスです。イランの核弾頭完成の情報を知ることは可能です。イスラエルの国土を破壊するために何発の核兵器が必要になるのかは知りませんが、イスラエルは国家存亡を賭けて、躊躇なくイランの核施設を攻撃します。イスラエルにとっての土地は、他の国の領土に対する執着の何倍もの価値があります。
中東戦争の始まりです。
さて、日本は、エネルギーの調達をどうするのでしょう。
日本だけではなく、世界中でエネルギー不足が深刻になります。欧州も中国も、アジアの国々も、窮地に立ちます。南シナ海で、日本のタンカーが中国に拿捕されるかもしれません。シーレーンが破壊されたら、食糧の輸入にも影響します。そもそも、世界が不安定になれば、食糧生産国は自国の国民を守るために、食糧輸出を制限します。災害が多発していることで、既に、食糧輸出を制限している国もあります。
世界環境の現実を見れば、今、私達が、この国が、やらねばならないことは、エネルギーの、食糧の、国土の安全保障であり、進行する国力衰退を阻止することです。
これらの安全保障は、今日、何かをすれば、明日、結果が出るようなものではありません。10年単位の、100年単位の、時間が必要とされることです。
そのことに、着手できているのでしょうか。
とても、そうは、思えません。
それは、国民の皆さんの未来は、真っ暗だということです。
「なあに、これまでもいろいろあったけど、何とかなったじゃない。心配いらない。今度も何とかなるさ」
ほんとに、そうなのでしょうか。
時代が、世界が、変わってきているのです。過去の延長線上に未来があると信じる根拠は、どこにあるのでしょう。
電気料金やガソリン料金が上がっています。節電要請もあります。老朽化した発電所を無理矢理稼働させています。もう、限界なのではありませんか。石油やLNGが入手できなくなっても、やっていけるのですか。
もしも、この国に、「目的」と「責務」があったら、岸田政権のような迷走はしなかったのではないかと思います。


2022-10-02



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検討します、注視します [評論]



イギリスのガス電力市場監督局は、家庭用エネルギー料金が10月から80%引き上げられ、平均で年額3549ポンド(約570,000円)になると表明した、というニュースがありました。1カ月では約48,000円です。1年前(月額約10,000円)と比較すると5倍になったそうです。
また、今後の予測として、来年の1月には、700,000円(月額で58,000円)になると言われています。
9月の調査によると、イギリスのバーガーショップのフィッシュバーガーセットが3,000円だったそうです。ランチに3,000円出せる人は多くないと思います。バーガーショップの営業は大丈夫なのでしょうか。
インフレは、イギリスだけの問題ではありません。世界中がインフレです。
以前に、「電気料金が10倍になったら」という試算を書いたことがありますが、イギリスでは、それが現実になりそうな環境になっています。イギリス庶民は、生活防衛に必死になっているものと思いますが、生活防衛には限度があり、生活が破綻する人が出てくるものと思います。年金生活者である私の場合、日常的に切り詰めた生活をしていますので、生活防衛策は多くありません。日本で、仮に、電気料金が5倍になれば、私には食料品の購買を減らす選択肢しか残されていません。3食を2食に、2食を1食に減らすしかないと思います。
イギリスでは、ジョンソン英首相の後任を選ぶ与党保守党の党首選が行われましたが、その最大の争点になったのが減税でした。
欧州ほどのインフレにはなっていませんが、日本の世論調査でも、国民が政府に求める政策の一番目は物価対策だったそうです。

世界中の国の国民に多大な影響を与えているエネルギー価格。
ただ、国によって、その影響は違います。
エネルギー価格は、庶民の生活に影響を与えるだけではなく、産業の基盤ですから、先進国ほど大きく影響を受けます。
また、先進国の国民は、電気・ガス・水道は「あって当たり前」の生活に慣れていますので、貧しい国の国民に比べれば、大きな影響を受けています。
しかし、もう少し視野を広げると、食糧価格の高騰が世界の混乱を招く状況になっています。
ウクライナ戦争で食糧供給に問題が出ただけではなく、多くの国で水害と旱魃が食糧生産に黄信号を出しています。特に、中国で天候不順による食糧不足が現実化すると、中国政府は爆買いをしますから、世界から食糧が消えてしまいます。
後進国の庶民にとっては、電気・ガスよりも食糧価格のほうが深刻です。
ただし、もっと深刻な事態は、価格ではなく量です。
国連が、貧困国への食糧援助をしていますが、価格の高騰により買える量が減り、援助のレベルを落としています。この先、もしも、カネを出しても食糧が買えない状況になれば、貧困国への食糧支援そのものができなくなります。

国連世界食糧計画(WFP)が世界の飢餓人口は最大8億2800万人に達すると警告した、というニュースがあります。世界人口は80億人ですから、1割の人が食糧難に直面しているということです。
その原因は、4つあるそうです。
1. 継続的な紛争:飢餓人口の6割が戦争と暴力に苦しむ地域に居住している。
2. 気候変動:人命、農作物、生活が破壊され、人々の生活それ自体が地域ごと破綻する。
3. COVID-19:物資と資金の停滞と流動化が、飢餓を前例ない水準に押し上げた。
4. コスト上昇:人件費、食糧費など、あらゆる場面でコストが過去最高となった。

国連世界食糧計画(WFP)の警告には、電気・ガス料金という言葉は一度も出てきません。それは、電気・ガスでは飢餓を防げないからです。
世界規模で地球を俯瞰してみると、価格高騰、戦争、紛争、気候変動という現象が顕著になり、それが食糧不足を招いています。
世界各地の旱魃も、数百年に一度と言われるような旱魃になっています。
妄想ですが、私には「不幸の神様が世界総会を開こうとしている」ように見えます。
人間にとって最も大切なものが生命です。しかし、世界中に生命の危険が見えます。
これは、世界の潮流が変わろうとしている証なのではないでしょうか。
私には、世界が、本物の混沌と騒乱の時代へと向かっているように思えてなりません。

日本でも、各種商品が、値上げラッシュの様相を呈していますが、企業収益、企業内部留保、税収、等々が増加しています。まるで、好景気がやって来ているような現象です。
日本って、好景気なのですか。
どう贔屓目に見ても、そのようには見えません。
線香花火が燃え尽きる時、最後に、一瞬だけ、強い光が出ます。その後に、火の玉がポトリと落ちます。
私は体験がありませんが、人が死ぬ時、一瞬、平穏が訪れると言われます。
もしも、それが自然の摂理だとすると、今の疑似好景気は、日本崩壊への最後の通過点なのかもしれません。
しかし、岸田政権は、危機感もなく、アフリカへ4兆円の支援をすると言っています。
理解不能です。
自国の国民は、物価対策を求めているのです。
減税であれ、補助金であれ、給付金であれ、財源が必要です。また、借金ですか。
そんな中、防衛費の大幅増額もされます。これは、増税ですか。
高齢者の増加で社会保障費は増える一方です。借金ですか。
恒例となってしまった補正予算も、大盤振る舞いです。借金、借金、借金。
岸田政権が、何をしようとしているのか、私には理解できません。
財務省が、「匙を投げる」ほどの手詰まりなのでしょうか。
この30年間で、数万点の商品が値上げされた時代があったでしょうか。
初めてです。
これは、時代が一歩前進したことを示す現象です。
どの方向へと前進したのでしょう。
この国の、これまでの動きは、そのトレンドは、国力衰退です。
では、値上げラッシュは、このトレンドを変える動きなのでしょうか。
違うと思います。
国力衰退というトレンドを加速させる方向へと前進したと捉えるのが自然です。
アフリカ諸国を支援することは間違っていません。しかし、政府がやるべき仕事は、この国を、4兆円でも40兆円でも支援できる国にすることです。衰退する一方の国がやることではありません。これは、本末転倒です。
慌てて防衛費の増額をしなければならなかったのは、これまでの自民党政権の失政が原因です。そのことを国民に謝罪した上で、国民に「国防に対する意識」を持ってもらうための方策を講じた上で、防衛費の増額はするべきだと思います。
数十年前から、少子高齢化の社会が来ることはわかっていました。何一つ対応しなかったことを明確にし、その原因を追究し、揺るぎない原則を打ち立てることで、この先、苦しい生活を強いられる国民の理解を得なければなりません。
国家運営費の半分を借金に頼っている異常事態を、平常だと思っている異常に気付く必要があると思います。
どれをとっても、国が本来の責務を果たしていないことが原因です。
そのことに気付くことから始める必要があります。
今の総理大臣は、メモ用のノートを片手に、銀座の高級クラブで、「検討、検討」と笑顔を振りまきながら、借金に頼り、カネをばら撒いている愚か者にしか見えません。
もちろん、総理大臣の愚行の責任を取るのは、国民の皆さんです。
岸田政権が発足してから、そろそろ1年になりますが、国のために、国民のために、岸田政権は何をしたのでしょう。
「謳い文句」、「大風呂敷」、「空手形」、「検討します」以外に何かやったのでしょうか。
政界遊泳術では優れた手腕があったのでしょうが、「なあ、なあ」「まあ、まあ」術には秀でているようですが、岸田さんの政治家としての信念は何なのか、聞いてみたいです。もしかすると、「皆さんと、うまくやること」という答が返ってくるのかもしれません。確かに、多方面に「いい顔」をすることは上手ですし、この国では彼のような調整役は有能な人材の部類に入るのかもしれません。でも、失敗のツケは国民に回ってくるのです。
世界の激動を目の当たりにすると、岸田さんの無能ぶりが際立ちます。多分、今が昭和40年だったら、岸田さんは名宰相と呼ばれていたかもしれません。
しかし、岸田以外に誰に任せたらいいのか、と問われると、答がありません。
と言うことは、総理大臣の資質の問題ではないのだと思います。
何度も書きますが、国民次第なのだと思います。
国民の皆さんは、安全保障に無関心です。
安全保障は戦争に特化した概念ではありません。エネルギーも食糧も水も安全保障の大きな要素です。国民生活を守るということは、それらのものを守るということです。そのことを、国民が意識することで、国のあり方は違ったものになります。「国民生活を守る」ということは、国民の皆さんが、安全保障に関心を持つということだと思います。
しかし、この国には「目的」も「責務」もありません。だから、国民の皆さんが、そのことに気付く条件が満たされていません。


2022-10-01



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