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何のための市場調査 [評論]



このブログでは、度々、アンケートや各種調査のニュースを取り上げています。
私は悲観論者です。その悲観論者が度々取り上げているということは、それだけ、悲観的なアンケートと結果が多いということだと思います。
「10年後、あなたの年収は、どのくらい増えていると思いますか」
「次の海外旅行は、どこへ行きたいですか」
「次に買いたいものは、何ですか」
というアンケートであれば、私は取り上げなかったと思います。
いわゆる市場調査という統計手法は、傾向を把握するものであり、実態と完璧に一致するものではありません。それでも、傾向であっても、現実と真逆の結果が出てくる訳ではありません。現実に近い結果が得られるから、アンケートや調査が行われるのです。

例えば、「老後の金銭面は、安心できそうですか? 不安ですか?」というアンケートがあります。最近、この手の調査が増えてきたという印象があります。30年前には、こんな市場調査は行われませんでした。ここにも、国力衰退の現実があります。
多分、質問する人も、質問される人も、この国が「ヤバイ」ことを知っているものと思います。その上で、皆で、他人事のように質問して、他人事のように回答している。見て見ぬふりをすることが大人の対応だと思っているのです。「ドツボ」に嵌るのは自分なのに、実に、奥ゆかしい人達ばかりです。いや、馬鹿丸出しに見えてしまいます。
結果は、安心が14%、不安が62%、わからないが24%だったそうです。
不安だと回答している62%の皆さんは、どうして、不安のままで大人しくしているのでしょう。
「どうしろ、と言うのだ」「どうしようもないだろう」と言われるかもしれません。
そうなんでしょうか。
何もしなくて、いいのでしょうか。
62%の人達が我慢すれば、済むことなんでしょうか。
特に若者の不安が多かったそうです。20代30代の若者が、70代80代の老後のことを想像するのは不可能だと思います。私が20代30代の頃に、70代80代の自分が想像できていたかと言えば、全く出来ていなかったと思います。多分、今の若者でも、それは同じだと思います。ただ、社会に漂う空気は、決して楽観できるものではありませんので、「安心」とは答えられなかったものと思います。誰も騒ぎませんが、誰もが「ヤバイ」ことを知っています。どうして、「俺には関係ねぇ」で済ましてしまうのか、ほんとに、不思議です。
ただ、「安心」と答えた人が14%しかいないという現実は悲惨です。仮に、統計上の誤差があったとしても、1割が9割になることはありません。
私には「貧困へまっしぐら」の国に見えますが、違うのでしょうか。
それとも、「まあ、まあ、何とかなるさ」と思っているのでしょうか。
国民の皆さんも、本音では、そう思っていないと思います。
「お先真っ暗」だと思っている人が62%、「先は見えていない」と思っている人が24%、「前途洋々、薔薇色」だと思っている人が14%だとすると、この国は、「お先真っ暗」な国だと言ってもいいと思います。
国民の皆さんは、この世相をどう捉えているのでしょう。
私には、国が壊れているように見えます。
「まさか」「大袈裟だ」と言う方もいると思います。
そんな方でさえ、心の中で「何となく不安だ」という意識があるはずです。多くの国民が不安を感じているから、アンケートにも結果として反映しているのだと思います。皆さんの漠然とした不安は、正しい判断をしているのです。間違いなく、近い将来、「あちゃー」という日を迎えます。

別の調査結果を見てみましょう。
NHK放送文化研究所の「国民生活時間調査2020」によるメディア調査の結果です。
毎日、必ず、テレビを見る人は79%だそうです。
この数字を多いと見るか少ないと見るかは意見が分かれると思いますが、5年前の調査では85%だったそうです。2005年までは、ずっと90%台でした。
年代別では。
      2020年 2015年
10代前半   56%    78%
10代後半   47     71
20代     51     69
30代     63     75
40代     68     81
50代     83     90
60代     94     ---
70代     95     ---

この数字を見ると、時代が変わっていることが如実に示されていると思います。
昭和の空気に支配されているのは、私達老人だけなのかもしれません。
もちろん、老人の私から見れば、今の時代が正しいとは思いません。電車に100人の乗客がいるとして、95人はスマホを見ています。本を読んでいる人が1人、寝ている人が4人という景色が当たり前になりました。これも、やはり、変だと思います。
でも、これが現実です。
新聞購読者も減少していますが、新聞とテレビというメディアに縛り付けられているのは、50代以上の老人と老人予備軍のようです。
新聞社やテレビ局のお得意様の老人は、近々、確実に死にます。これは、新聞を読む人、テレビを観る人が、今よりも更に減るということです。
これでは、将来の展望は暗いものしかありません。
これは、明らかにテレビ局の収入が減少するということを表しています。
花形産業だったテレビ業界にも、希望退職の潮流は流れ込んでいます。
テレビ視聴者の減少は、トレンドなのですから、この先、加速することはあっても元に戻ることはありません。
民放5局の2020年度決算は。
フジテレビ、広告収入は14%減、売上高は15%減
テレビ朝日、広告収入は12%減、売上高も12%減
TBS、   広告収入は11%減、売上高が10%減
テレビ東京、広告収入が11%減、売上高は7%減
日本テレビ、広告収入が08%減、売上高は7%減
だそうです。
民放は広告収入で成り立っています。
お先真っ暗です。
新聞離れやテレビ離れだけが問題ではありません。
もっと大きなトレンドは、国力の衰退トレンドです。
国力衰退は、必ず、経済の縮小につながります。
国力衰退による経済縮小は、新聞社やテレビ局だけが影響を受けるわけではありません。あらゆる民間企業が影響を受けるのです。
私達は、時代の変化を承知しておく必要があるということだと思います。

もう1つ数字を見てみます。
世界大学ランキングという調査があります。
               上位50位内    勝手ですが
       最高順位     大学数      ランキング
イギリス      1        6         A
アメリカ      2        24         A
スイス      14        2         B
カナダ      18        3         B
中国       20        2         C
シンガポール   25        2         C
オーストラリア  31        1         D
ドイツ      32        3         C
日本       36        1         D
スウェーデン   36        1         D

教育は国力の基盤だと言われています。
日本は、東京大学が1校だけ、36位にあります。経済大国、技術大国と呼ぶには少し違和感があります。教育分野でも、小手先の手直しではなく、根本からの立て直しが必要なのではないかと思います。

いつの世でも、社会は変化するものです。未来永劫、変化しない社会なんてものは存在しません。そんなことは、誰でも知っています。ただ、その変化が、どのような変化なのかは認識されにくいものです。
久しぶりに会った親戚のおばちゃんが「あら、〇〇ちゃん、大きくなったわね」と言う場面は多くの方が体験していると思います。自分の子供は、毎日見ていますので、その変化を強く意識することがありません。子供が反抗期を迎えた時に、「あれっ」と思うくらいです。日常的に見ているものの変化は見え難いという特徴があります。
でも、変化はしているのです。
ただ、変化にもいろいろあります。
子供がすくすくと成長してくれるのはいいことですが、国がずるずると衰えていくのは歓迎できません。
柱に子供の背丈を記録していくと、成長が視認できます。
同じように、国の衰退も数値化すると見えてきます。
アンケートや調査で、結果が数値化されるのは、そのためです。
では、数値があれば、それでお終いなのかというと、そうではありません。
数値を、その現実を、認識し、それが悪しき数値であれば、原因究明をし、対策を立てなければ、数値には何の意味もありません。数値を見て「ふむ、ふむ」と頷いていたのでは、数値にする意味がないのです。
今は、色々な調査が行われていますが、「調査ごっこ」をして遊んでいるように見えます。
必要なのは、現状認識と原因究明と対策立案なのですが、私達の国では、この当たり前のことが行われていません。
「下々」は、「お上」の仕事だと思っています。
「お上」は、「下々」が黙っているのだから、何もしなくてもいいと思っています。
だから、ずるずると衰退しているのです。
これは、国と国民の責務が曖昧なために起きている現象です。責務が明確になっていれば、現状認識と原因究明と対策立案は行われていた可能性が高いと思います。
しかし、現在は、目的も責務も明確にはなっていません。
あらゆることが、「なあ、なあ」「まあ、まあ」で通り過ぎていくだけです。
現状認識と原因究明と対策立案という当たり前のことが行われるためには、言葉の定義と目的と責務が必要だということです。
このこと自体、当たり前のことだと思いますが、そのことを指摘する方がいません。
とても、不思議だと思っています。
私の目には、この国が壊れているようにしか見えません。
もう、「国力衰退」は基礎疾患と言っても過言ではありません。
それなのに、この国の基礎疾患については誰も議論していません。
枝葉のことを重箱の隅で議論することは好きですが、根っ子の部分は素通りします。モリ・カケ・サクラなんて些細なことです。コロナやオリンピックだって些細なことだと思います。私達が本気で議論しなければならないのは「国力衰退」だと思います。多くの数値が「国力衰退」を教えてくれています。それなのに、「国力衰退」と向き合おうとはしません。
貧困に苦しむ人達が、日々、年々、増加しています。
ところが、貧困層の方も、そうではない方も、見て見ぬふりです。
全く、理に適っていません。
「これ、なんかの、呪いなのか」とさえ思ってしまいます。
どう贔屓目に見ても、この国の「国力衰退」は明らかです。
でも、誰も、何も、しようとはしません。
やっていることは、枝葉の対応ばかりです。
葉っぱの一部が腐っている。
だから、腐っている部分を隠そう。
腐っている部分を切除しよう。
栄養分を注射しよう。
でも、痛んでいるのは葉っぱだけではありません。
葉っぱが痛んでいるのは木が痛んでいるからです。木が痛んでいるのは森が痛んでいるからです。森が痛んでいるのは土が痛んでいるからです。
つまり、土台となる土が痛んでいるのです。
どうして、土を見ようとしないのでしょう。
異常だと思います。「呪いだ」と言われても納得してしまいそうです。


2022-04-06



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埼玉県の少年の命 [評論]



1月に、埼玉県で、ある15歳の少年が死亡しました。
「またか」という事件がよく起きます。
この事件も、この国の社会崩壊が始まっていることを示す「氷山の一角」だと思います。
母子家庭だったようですが、母親の交際相手だという男が同居し、その男にも子供がいたようで、大人2人と子供8人の大家族だったそうです。長男だった少年は、子供達の面倒を見ていて、学校へは行っていません。
江戸時代であれば、こんな家族は当たり前だったと思います。
私は、何度も、この国は平安時代に戻ると書いていますが、既に、この国は、時間を逆回しにして、江戸時代に戻りつつあるということなのでしょうか。
国民を大事にしない、子供を大事にしないことが、当たり前に感じられる社会になろうとしています。
「ヤングケアラー」という言葉が、最近、散見されます。
この少年もヤングケアラーだったようです。
ワードで一発変換ができないということは、かなり、新しい言葉なのでしょう。
18歳以下の子供が、家族の世話をみるために、学校へは行かずに介護に専念している子供達のことを指す言葉だそうです。家族の中に、介護を要する老人や障碍者や子供達がいる場合、長男や長女がその介護を引き受けるというケースが多いそうです。
埼玉県の少年は、どうだったのでしょう。
彼の場合、兄弟の面倒を見るという介護を引き受けていただけではなく、母親の交際相手である男からの虐待にも耐えていたようです。
少年は、ヤングケアラーだっただけではなく、虐待の犠牲者でもあったのです。
そんな仏様のような少年が、仏になってしまったのだとすると、やりきれません。
ところが、中学生の17人に1人は、ヤングケアラーだというデータもあります。
少年の母親(38歳)も学校には行っていなかったそうですから、これは、この少年だけの問題ではありません。
この事件は、社会が病んでいるということであり、国が病んでいるということだと思います。
私達の国は、時代を逆行するような国でいいのでしょうか。
私達は、子供達の未来を食い荒らしているだけではなく、子供達の今をも食い荒らしているのです。どうして、こんな国になってしまったのでしょう。
このままの国でいいとは、とても、思えません。
この事件に対するメディアや国民の皆さんの反応は、行政批判と「可哀そう」と犯人捜しが多いと思います。もちろん、何も感じない人だっているのですから、怒ったり悲しんだりすることは必要です。
でも、それだけでいいのでしょうか。行政を批判していたら、涙を流していたら、犯人が捕まれば、それでいいのでしょうか。
違うと思います。
根っ子を変えなければ、この国は、どんどん、時代を逆行します。
これは、特定の誰かのせい、なんかではありません。誰が総理大臣になっても変わりません。実際に30年前から、もう何人も総理大臣が変わりましたが、何一つ変わっていません。と言うことは、国民の皆さん、全員の問題なのだと思います。国民の皆さんが、変わることでしか、このトレンドは変わらないのだと思います。
どうして、そういう視点が生まれないのでしょう。
ほんとに、不思議でなりません。
傍観者として「ああだ、こうだ」と言っているのが一番楽ですが、誰もが、いつかは、傍観者だと思っていた自分が当事者になる日が来るのです。
自分を守りましょうよ。家族を守りましょうよ。子供達を守りましょうよ。社会を、国を守りましょうよ。私達は、この社会で生きていくしかないのです。

警察が虐待の疑いで児童相談所へ通告した子どもの数は、10万件を超えています。警察事案になる虐待は一部のケースだと言われていますから、実際に虐待されている子供は、この何倍にもなると思います。児童虐待が褒められるようなことではないことは誰でも知っています。しかし、国民運動にはなりません。国民の総意で子供達を守ろうという意識は、この国には存在していません。それは、この国に目的がないからです。
もしも、仮に、皆さんの目的が「子供達の未来を守る」ことだったら、この事件は看過できないと思うのではないでしょうか。行政批判や「可哀そう」や犯人捜しよりも、「なぜ」という疑問が先にあったのではないでしょうか。
確かに、ひどい親はいます。「子供の未来なんて、知るか」と言う親もいると思います。それでも、世間が「子供達の未来を守る」ことを目的としていたら、親の好き勝手は、少しは緩くなるかもしれません。
国に目的があれば、この事件の少年が助かったかどうかはわかりませんが、何もないよりは、助かる可能性は高くなっていたのではないかと思います。
大人の虐待で死ぬ子供が後を絶ちません。
自殺をする子供もいます。
この風潮は、50年前にはなかったのではないでしょうか。
これは、国民の皆さんへの警告だと思うのです。
このままだと、「皆さんも、地獄へ堕ちることになりますよ」という警告です。
私達は、私達の国は、何かを間違っていると思うのですが、誰も「なぜ」と言いません。誰も原因を見つけようとしませんから、何が間違っているのかもわかりません。確かに「見て見ぬふり」をしていても罪には問われません。でも、「明日は我が身」だとは思わないのでしょうか。「俺に限って」「私に限って」と思っているのだとすると、それは勘違いです。日本の相対的貧困者は2000万人だと言われています。彼等も、かつては、「俺に限って」「私に限って」と思っていたのでしょうが、貧困層の仲間入りをしました。これが、現実です。

岸田政権の「新しい資本主義」は、未だに、その全貌が見えませんが、見えている範囲で想像してみると、1つの箱の中に、あれもこれも、見境なく、詰め込んだ福袋のような政策のようです。そこには、思想も、寄るべき理念もなく、下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる的な、自称「新・政策」があるだけの「ごった煮」に見えます。何が新しいのか、全く見えてきません。この福袋的思考は、平成ではなく、昭和の臭いがします。
エコノミストの皆さんが何も言いません。このことは、評価のしようがない、と言っているようなものです。専門家でも、どう評価すればいいのか、よくわからないのだと思います。
岸田政権は、6月に全貌を明らかにする、と言っていますが、なぜ、6月なのでしょう。選挙日程に合わせた選挙対策なのではないか、と思ってしまうほど、不思議な政策です。
もしかすると、岸田さんは「アベノミクス」に対抗するために、政策の数で勝負しようとしたのでしょうか。「アベノミクス」と張り合っているようでは、日本再生は夢のまた夢です。取り返しのつかない後遺症を残してしまったアベノミクスですが、岸田さんは、更に大きな後遺症を生み出そうとしているのかもしれません。
岸田さんの念頭には、埼玉県の少年や、ヤングケアラーのことはあるのでしょうか。
岸田さんは、話を聞くのが特技だそうですが、この事件の話は聞いていないのでしょうか。話を聞くだけなら、私にだって出来ますが、彼の特技は特技なんでしょうか。
どんな問題意識を持っているのでしょう。岸田さんは、どうやって「子供達の未来」と「子供達の現在」を守ろうとしているのでしょうか。
何も考えていないのではないかと思えてなりません。
何度か、テレビで「新しい資本主義」についての政権幹部の方の話を聞きましたが、その政策の芯にあるのは「れば、たら、もし」の山でした。政権幹部の方は、政策の数の多さを自慢げに話していました。救いようがありません。
百歩譲って、無理矢理ですが、仮に総理大臣の目的が「子供達の未来を守る」ことだったと仮定してみましょう。例えば、ヤングケアラー問題が社会的な大問題になった時は、どんな政策を打ちだすのでしょう。給付金の話が出て、一件落着だと思います。与党も野党も、思考停止になっていて、ばら撒き政策しか思いつかないのです。
結果を変えることに汲々とし、根っ子を変えるという発想は、全く、ありません。
私は、何度も、この国には目的が必要だと書いています。
目的は、どこかから、突然、ポンッ、と出てくるようなものではありません。
目的は、国の責務と国民の責務を明確にして、初めて生まれるものです。
責務が曖昧なままで、「子供達の未来を守る」ことを目的にしても意味がありません。
なぜなら、目的を担保する責務がないのですから、スローガンに過ぎないのです。
この国の国家運営を請け負っている皆さんは、スローガンやそれなりの政策らしきものを提示しておけば、国民は「いい人」ばかりですから、「ふむ、ふむ」と頷いてくれることを知っています。最終責任を取る国民が「ふむ、ふむ」と言ってくれるのですから、こんなに心強いことはありません。国家運営者と国民のこの見事なほどの連携があって、この国は、ずるずると、衰退しているのです。

政治家の力で国を繁栄させることはできませんが、政治家は頑張る国民を支える環境を創り出すことは出来ます。私のような個人には出来ませんが、国は、国民に働きかけて、国民自らが、目的を作り、責務を明確にするように誘導することも、可能です。
自分の権力欲や金銭欲は、一時的に棚上げにして、国民のために働く集団になって欲しいと思います。国が再興できれば、また、権力とカネに執着する政治家に戻ればいいのです。少なくとも、今は、強欲を封印する時だと思います。
ただ、政治家に自浄能力を求めても、何の効果もありません。
人間であれば、「欲」に負けるのは当たり前です。特に、政治家の欲は、半端ではなく、「強欲」と呼んでもいいような欲です。自浄能力の出る幕はありません。必要なのは、国民が原則を見つけることです。それが、国の責務であり、国家運営の定義と国会議員の責務なのだと思います。
国民の皆さんは、国会議員をお偉い先生だと思っているかもしれませんが、政治家は、国民の外注先の社員にすぎません。その外注先を指導する責務を負っているのは、主権者である国民の皆さんです。この国は、政治家主権国家ではありません。
政治家が、国民生活を顧みることもなく、自分の利権ばかりに走っている現状を変える責務を皆さんは負っているのです。どうか、そのことに気付いてください。
放置すれば、埼玉県の少年のような事件は、この先も起きます。
と言うことは、埼玉県の少年や、ヤングケアラーを生み出しているのは、政治家を野放しにしている国民の皆さんだということです。行政批判や「可哀そう」や犯人捜しをしている場合ではないと思います。行政批判や「可哀そう」や犯人捜しで終わらせていたら、いつか、自分の番がやってくるのです。
しかし、国民の皆さんは忙しい。個別の案件ごとに外注先を指導していたのでは、切りがありませんし、埒があきません。その通りです。
彼等の行動基準を変える原則を見つけるしかないと思います。
そのためには、先ず、皆さん自身が変わることが必要なのです。
国民の皆さんが動かなければ、何も変わりません。
この国は、国民の出番が必要なほど、重篤な病に罹患しているのです。
大人の皆さんが、埼玉県の少年や、ヤングケアラーというドツボにはまることは、年齢的にみて、ないでしょうが、違う形でドツボにはまる日がやって来ます。

なぜ、どうして、野党の政治家は、埼玉県の少年や、ヤングケアラーのことを放置しているのでしょう。埼玉県には、野党の政治家はいないのでしょうか。ヤングケアラーは、全国規模で存在していると思いますが、そこにも、野党の政治家はいないのでしょうか。野党の国会議員には、国民生活を守る責務はないのでしょうか。「子供達の未来を守る」ことは、彼等の目的ではないのでしょうか。
いつも、国会議員は、国民の代表だと言っていますが、ほんとに、国民生活を見て、国民の代表をしているのでしょうか。とても、そうは、思えません。
国が衰退し、国民が貧しくなっているのに、彼等は、ただただ、自分の選挙のことしか考えていません。7000万円もらえれば、それで、いいのでしょうか。
野党の政治家の皆さんは、本気で、国民生活を守りたいと思うのであれば、自民党と向き合うのではなく、国民と向き合わねばならないと思います。政権を取りたいのであれば、有権者である国民と向き合うしかないのに、自民党の粗探しばかりです。自民党を非難していれば、歳費が手に入るから、それでいいのでしょうか。
国民の皆さんは、どうして、こんな役立たずに、一票を入れるのですか。
野党政治家だけではなく、国家運営を委託されている人達は、誰も、国民生活を守りません。
だから、子供達が命を失っているのです。
「国家運営って、何ですか」
「国会議員って、何なんですか」
必要なのは、原則だと思います。
政治家だけではなく、いや、クズのような政治家だけではなく、国民の皆さんまで、「自分さえよければ」「今さえよければ」をやっていれば、今の日本のようになるのです。このドン詰まりを抜け出すためには、国民の皆さんが「俺には関係ねぇ」をやめるしかないと思います。皆さんは、この国の最終責任者なのです。埼玉県の少年の命も、皆さんの手中にあったのです。
皆さんは、他人事のように、行政批判や「可哀そう」や犯人捜しをしている場合ではありません。これは、皆さんの自分事なのです。明日は我が身なのです。この国の、このトレンドを変えなければ、形は違うかもしれませんが、皆さんも同じような理不尽に出会うことになります。
どうか、そのことに、気付いてください。


2022-04-05



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最低の国民を演じている皆さん [評論]



子ども食堂の推移

2018年    2286ヶ所
2019年    3718
2020年    4960
2021年    6007

かなり前に、自分で「子ども食堂」が作れないものかと調べたことがありました。
私には、調理師という資格とカネと体力と時間というハードルが高くて諦めました。でも、あれから5年以上も生きているのですから、一歩を踏み出していたら、出来ていたのかもしれません。
当時の「子ども食堂」は300ヶ所ほどだったと思いますが、今は、6000ヶ所です。
大勢の方が、いろいろな障害を乗り越えて、ここまで「子ども食堂」が増えたことは、賞賛に値すると思います。
「子ども食堂」が出来た切っ掛けは、食事も穫れない子供達を「何とかしたい」という方が始めたものです。特に、母子家庭の子供達が貧困のしわ寄せで被害者になっていました。
コロナで、最大の被害に遭ったのが、やはり、非正規雇用が多い母子家庭だと思います。コロナで、一気にニーズが高まり、善意の人達が頑張ったのだと思います。
日本人には、国民の皆さんには、これだけの力があるのです。
「子ども食堂」に係わっている人が、数十万人なのか数百万人なのか知りませんが、大勢の方が力を貸してくれたのです。それは、一部の人に「子供達を守りたい」という目的があったからだと思います。
ただ、「子ども食堂」は、「子供達の今を守る」ものです。もちろん、今が守れなければ未来なんて守れませんから、「今を守る」ことは、「未来を守る」ために必須です。
しかし、市井の皆さんの努力があったとしても、大きな潮流の前では無力です。
このまま、国力衰退が続けば、どこかで限界を迎えます。
私達は、その限界に向けて進んでいるのです。
これでは、「子供達の未来」は守れません。
それでも、「子供達の未来」は、守らねばなりません。もちろん、国民の皆さんが「子供達の未来」なんて守る必要はないと判断すれば、「子供達の未来」のために自分が犠牲になるのは嫌だと言うのであれば、それも選択肢としてあります。
皆さんは、どんな判断をするのでしょう。
その前に、私達の社会に、そんな判断を求める機運があるのでしょうか。
ありません。
今は、「なあ、なあ」「まあ、まあ」ですから、誰もそんな選択肢を突き付けてくることはしません。
何もかも曖昧です。問題は、やはり、「曖昧」にあると思います。
子供食堂の関係者は、頑張っていますが、関係者を除く1億2000万人の国民の皆さんは「ふ~ん」と思っているのではないでしょうか。「俺には関係ねぇ」「俺だって、助けて欲しい」と思っている方が大半だと思います。
本音で「子供達の未来なんて、知るか」と言う人は少ないと思います。
でも、「何とかしよう」と思っている方も、少ないのではないかと思います。
皆さんは、「子供達の未来を守る」ことは必要なのかもしれないが、それは「国の仕事だろう」と思うのではないでしょうか。
では、国が「何とかする」のでしょうか。
少なくとも、今は何もしていません。
現に、6000ヶ所の「子ども食堂」は、民間主導で行われています。もちろん、行政の協力は欠かせませんが、行政が主導しているわけではありません。
この先も、国は、何もしません。
もちろん、「やってるふり」はするでしょう。しかし、「ふり」では子供達を守れません。
一部の国民を除いて、多くの国民の皆さんの意識の中に「子供達を守ろう」という意識が無いのが原因だと思います。そんな社会では、「子ども食堂」が選挙の争点になることはありませんので、国会議員のお偉い先生方は、何もしなくてもいいのです。
もしも、国の目的が、国民の目的が、個人の目的が、「子供達の未来を守る」ことだとオーソライズされていたら、きっと、国民意識は違っていたと思います。
そもそも、この国には、目的がありません。
何もかも、「なあ、なあ」「まあ、まあ」で流されているだけです。
もしも、万が一、奇跡的に、国民の皆さんが、強く「子供達の未来を守りたい」と思っていたら、社会全体が、そう動くのです。
欲望に支配されている政治家は、残念ながら、国民の一票を貰わなければ、カネになりません。一票を貰うためであれば、国民に擦り寄ってきます。多くの国民が「子供達の未来を守りたい」と願っているのであれば、真剣にその方策を探すしかありません。
ただ、「子ども食堂」が必要になった原因究明が出来ていないように、表層的な結果を捻じ曲げようとします。「子ども食堂」が必要になったのは、貧しい人が増えたからだと解釈します。それは、間違っていません。だったら、貧しい人にカネを配ればいいという「ばら撒き政策」が採用されます。
そうではなくて、なぜ、貧しい人が増えたのか、貧しい人を作らないようにするためには、何が必要なのかを考えて欲しいと思います。そのためには、貧困化の原因を見つけなければなりません。
50年前に「子ども食堂」のニーズがゼロだったのかというと、そうではないと思いますが、今ほどのニーズはなかったと思います。それは、国全体が豊かだったからです。だとすると、国力が衰退し、貧困層が増えたことが、「子ども食堂」のニーズを高めたということです。国を豊かにすれば、「子ども食堂」のニーズは減るのです。
「ばら撒き」では、国は豊かになりません。
国が豊かにならなければ、ばら撒きを続けなければなりません。
国力衰退を止めることが、子供達を救うことになるのです。
ただ、ばら撒きは、カネをばら撒くだけの体力が国にあれば、たとえ、ばら撒きだとしても、短期間ですが、子供達を救います。ばら撒きでは何も解決しませんが、もしかすると、原因究明をしようとする人が出てくるかもしれません。なんて、希望的な観測をしがちですが、きっと、そんなことにはならないのでしょう。
国は、借金をして、子供世帯に10万円をばら撒きました。
おかげで、その分、国力は衰退しました。この先も、ばら撒きをするために自転車操業が続けられ、国力は更に衰退します。
もちろん、ばら撒きでは何も変わらないことを、皆さん、知っています。でも、どうすればいいのか、誰も、その答を持っていません。根っ子から変えなければ、この国は沈んでしまうことを、皆さん、知っています。国力衰退の原因の究明が必要なのですが、それができません。それは、皆さんが、一人残らず、曖昧の海に浮かんでいるからです。
「別に、いいじゃん。なるようにしかならないのだから」
「自分さえよければ、今さえよければ、とりあえず、それでいいんじゃない」
「原因究明なんて、なんか、邪魔くさそうだし、やめようよ」
もしも、他国で、その国の国民が、こんなことしか考えていないのであれば、そんな国が崩壊したって、誰も不思議だとは思わないのではないでしょうか。皆さんだって、他国のことなら、「自業自得だろ」と笑うと思います。
皆さんは、そんな最低の国民を演じているのです。
もちろん、日本の皆さんは、そんな最低な奴ではありません。
心の底では「これじゃ、まずいんじゃないだろうか」と思っているはずです。
しかし、皆さんは、どうしても「下々」根性から抜けられません。
ひたすら、大人しく、出しゃばらず、穏便に、波風を立てず、従順に、「お上」の意のままに、という「下々」根性を2000年かけて骨の髄まで刷り込まれてしまったのです。
でも、皆さんは、もっと昔、1万年もの間、「子供達の未来を守る」ために、大人が尽力をした時代を持っているのです。どうか、その時のことを思い出してください。
例えば、縄文時代に、125人の村があったとしましょう。
当時の平均寿命を50歳とした時、20歳以下の子供が1人もいない村であれば、単純計算ですが、30年後には消滅するのです。
「別に、消滅したって、いいじゃないか」という意見もあると思います。
村民の皆さんが、どう判断するのかであり、「やはり、永続してくれたほうが嬉しい」という人が多ければ、多分、そういう人のほうが多いと思いますが、125人が永続の努力をすべきなのだと思います。
当時、出産は命懸けだったと思います。皆で妊婦を大事にし、生まれた子供を大事にしていたと思います。誰の子供であっても、子供は宝物だと思っていた人は多かったのではないでしょうか。
人間も動物なのですから、種の保存は本能的に持っていたと思います。自分の身を守る本能、生殖本能、食欲、これらは全て永続するための本能です。そんな人間が、「自分さえよければ、今さえよければ、子供なんて、どうでもいい」なんて考えなかったと思います。
もちろん、永続なんて求めないという人が半数を越えれば、それはそれで、間違っていないのだと思います。
皆さんは、どう思うのでしょうか。
子供もいない、若者もいない村では、年寄りだけが残り、当然、悲惨な最期を迎えることになりますが、それを受け入れればいいだけの話です。今の時代であれば、安楽死の方法だって選択できます。
要は、国民の皆さんが、「どうしたいのか」という問題だと思います。
こんな議論は、なされたことがあるのでしょうか。
多分、無い、と思います。
永続を選ぶか、消滅を選ぶか、で生き方は全く違うものになると思います。
皆さんは、何の選択もしていません。ただ、何となく、時が過ぎていくのを、見ているだけです。抵抗をしなければ、楽をしていれば、行き着く先を決めるのは、私達人間ではなく、トレンドです。トレンドが右肩下がりであれば、人間は、下り坂を進むのです。
実際に、満足に食べることが出来ずに、栄養面では学校給食だけが頼りだという子供達がいるのです。親の収入が、子供の学力や体力に影響があるというデータもあります。
こんな子供達が増えている今の国家運営は、亡国の国家運営だと思います。

また、乱暴な提案をしてみたいと思います。
先ず、子供を守る法、という法律を作ってください。
親の収入に関係なく、18歳までは、食事も学習も運動も衣服も日用品も、国が面倒みるという法律です。
そのために必要となる財源を、子供税を新設し、一般会計ではなく、子供養育特別会計で管理し、国民には、消費に10%の子供税を認めてもらうという法律です。消費税を10%から20%へ増税すると考えてもらえば分かり易いと思います。
皆さんは、子供税の新設を受け入れますか。
永続か消滅かの議論も出来ると思います。
以前に提案した安楽死法で、年金を廃止し、借金を返済し、子供に国費を使い、言葉の定義をし、目的と責務を明確にし、日本は、新しい日本になるのです。
無茶苦茶な提案ですが、日本は、そのくらいの窮地に立っていると思ってください。
このまま先送りを続けていれば、皆で、ドツボにはまります。


2022-04-04



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世界は新しいフェーズに入りました [評論]



今回のウクライナ戦争で、新しい国際常識が生まれました。
それは、「核兵器には、誰も、逆らえない」という常識です。
この新常識を作ったのは、1952年生まれのプーチンと1942年生まれのバイデンです。若者の暴走を諭す年齢の2人が、暴走してしまったのです。国際的な老害です。
世界秩序は、新しいフェーズに入ったということです。
次の台湾戦争では、更に、新しい常識が生まれると思います。
核の傘の「傘」は絵に描いた餅にすぎない、という常識です。
台湾の世論調査によると、ウクライナ戦争前、台湾有事にアメリカが参戦してくれると思っていた人は65%でしたが、今は、35%だそうです。日本の自衛隊が参戦してくれると思っている台湾人は43%ですから、驚きです。アメリカが参戦せずに日本が参戦することはありませんが、台湾の人は、日本へ期待しています。
中国が、アメリカに「手を出すな。手を出したら核攻撃をするぞ」と言えば、アメリカは台湾に「武器を送るから、あと、頑張って」と言うでしょう。アメリカ経済は中国に依存していますので、ロシアに課したような経済制裁は、中国には出せません。
アメリカ大統領は「台湾で、アジアで、第三次世界大戦を起こすわけにはいかない」「欧州やアジアの戦争に関与して、アメリカに核ミサイルを撃たせるわけにはいかない。私にはアメリカ国民を守る責務がある」と言えばいいのです。アメリカ大統領の言い分は、正しいと思います。バイデンには、台湾の国民や日本の国民を守る責務はありません。
この新しい常識の下で、日米同盟が、何かの役に立つのでしょうか。
今回のウクライナ戦争は、世界秩序のガラガラポンの始まりです。正解のない世界が始まるのです。

今日は、このブログに相応しい絶望的なシナリオを書いてみたいと思います。
ご承知の通り、私は悲観論者ですから、話半分だと思って読んでください。
荒唐無稽なシナリオですが、西側諸国の政府、専門家の皆さんは、口には出しませんが、想定の中には入っているものと思います。
それは、最終戦争と言われていた戦争が現実になるというシナリオです。
最終戦争とは核戦争です。
お花畑と言われる日本でも、核兵器の話題が賑わいを見せています。
「世界で唯一の被爆国である日本は、核戦争には反対します」という意見があります。プーチンに「だから、なに」と言われたら答えようがありません。「核シェアリングが必要だ」という意見もあります。「非核三原則を無視するのか」と声高に主張する方もいます。いつの時代の話をしているのでしょう。「非核三原則」を持っている国には核ミサイルは飛んで来ないと言う原則でもあるのでしょうか。
正解はありません。あるのは、潮流という現実です。
核の恫喝こそが世界最強であるという潮流です。
いつものように、日本は潮流に流されることになります。
今となっては、北朝鮮の非核化なんて、笑い話でしかありません。
追い詰められたロシアが、核兵器を使用したら、何が起きるのでしょう。

今の時点では、ウクライナ戦争は終わっていませんが、ロシア軍は苦戦しています。
もしも、このまま、膠着状態が続くとすると、ロシアもウクライナも限界を迎えます。
限界の先にあるものは、当然のことですが、膠着状態を打破するための新戦術です。それが核攻撃です。それ以外に、事態を変える方法はないと思います。
もしも、ロシアが核兵器を使ったとして、NATOとアメリカは、「見て見ぬふり」ができるのでしょうか。
その公算は、決して低くないと思いますが、ウクライナを見捨てることはできても、核の恫喝には、核使用には、毅然と対応しなければ、国際秩序が破壊され、失うものが大きすぎますが、どうするのでしょう。
私達は、世界の未来を左右する分岐点に立っています。
NATOは、ロシアが使用した同程度の核兵器を、使うのでしょうか。
「見て見ぬふり」はできないとしても、核兵器を使うというハードルは、かなり高いハードルだと思います。アメリカのバイデン大統領は「第三次世界大戦(=核戦争)を始めることはできない」と言っています。一部で、ロシアが核兵器を使用したら、NATOが、アメリカが、ウクライナ戦争に参戦すると言われていますが、ほんとに、そうなのでしょうか。
アメリカ政府も、NATO主要国の首脳も、決めかねているのではないでしょうか。
ウクライナを見殺しにする公算は、決して低くないと思います。

先ず、NATOが何もしなかった場合を想定してみます。
仮に、キエフの大統領府に核ミサイルが着弾したら、キエフは全滅するでしょう。
ゼレンスキー大統領の肉体は蒸発し、肉片すら見つからないと思います。
地下に避難していた市民は、爆発や熱風は逃れることが出来るかもしれませんが、地下から出ることが出来ません。核兵器の場合は、一次被害は免れても、二次被害、三次被害があります。放射性物質の威力は、広島で証明されています。
地上に出れば放射性物質に晒され死にますし、地下に閉じこもれば、食糧と水が枯渇して餓死します。しかも、ウクライナ市民が避難しているのは地下シェルターではなく、単なる地下室や地下鉄の構内ですから、放射性物質の侵入は防げません。
キエフに、阿鼻叫喚、死屍累々という世界がやって来るのです。広島の再現です。
リーダーを失い、キエフ市民を失ったウクライナに、組織的な反撃が出来るとは思えません。キエフ核攻撃で、この戦争は終わります。ゲリラ戦は続くかもしれませんが、ロシアが作った新政権が国家統治をすることになり、内戦状態になるしかありません。それよりも、被爆地で、どうやって生きていくのでしょう。
では、ウクライナ戦争が終結したことで、世界は平穏になるのでしょうか。
いいえ、そうはいきません。
ロシアは、「経済制裁を解除しろ」と要求します。「経済制裁で生じたロシアの損害を賠償しろ」と要求します。
「要求を受け入れなければ、NATO各国を核攻撃する」と言うかもしれません。
仮に、経済制裁を解除し、賠償金を支払ったとしましょう。
ロシアは、それで満足するのでしょうか。
いいえ、満足しません。
次から次へと要求をエスカレートしていきます。
世界がロシアの植民地になり、プーチン帝国が完成するまで、要求は続きます。
ま、100年ほど辛抱すれば、プーチン帝国も衰えるでしょうから、時代は変わると思いますが、当面は、辛抱しなければなりません。
西側諸国の皆さんは、こんな世界を容認するのでしょうか。

では、次に、NATOが核による報復攻撃をしたとします。
モスクワに、キエフに投下されたものと同程度の核兵器を命中させたとします。
「お互い様だから」と言って、笑って済むことではないと思います。
瞬時に、ロンドン、パリ、ベルリンに核攻撃が行われるかもしれません。
全面戦争の始まりです。
これは、もう、押しも押されぬ、第三次世界大戦の開戦です。
ここでは、世界最大の変数である中国が、どう動くのかは、除外しておきます。
厄介なのが、ロシアには、核攻撃自動システムというものがあることです。
それが、「ペリメトル」と呼ばれている自動制御システムです。これは、人間が核の発射ボタンを押すのではなく、システムが自動で核兵器を次々と発射するのです。仮に、プーチンが死んでも、ロシアの核弾頭は世界へ飛び出していくのです。その数は数百発と言われていますが、正確な数はわかりません。東京にも1発くらいは来るのかもしれません。
ロシアの核兵器だけではなく、世界は、自国を守るために核兵器を使います。
世界で、数百発、数千発の核兵器が飛び交うのですから、核爆発による犠牲者の数は、数百万人なのか、数千万人なのか、数億人なのかわかりません。
核爆発による被害よりも、圧倒的に大きな被害は放射性物質による被害です。
風が放射性物質を運びますから、地球の北半球は、放射性物質で汚染されます。
ロシアの自動制御システムの信頼性が、どのくらいあるのかは、素人の私にはわかりません。
冷戦時代は、核戦争の恐ろしさが世界の共通認識になり、核兵器は、敵国だけではなく、自国も被害に遭うのだから使えない武器と言われるようになりましたが、自分の国が滅んでも、核兵器を使うという指導者が出てきました。それが、プーチンです。「ロシアなき地球など、ロシアにとっては何の価値もない」と言っています。NATOは東方拡大し、ロシアを滅ぼそうとしている。だから、「NATOに滅ぼされる前に、俺が核兵器を使って、何が悪い」と思っているのではないでしょうか。
こうなってしまうと、どんな言葉も、どんな願いも、どんな経済制裁も、意味を持ちません。

ウラジミール・プーチンという一人の男が、世界滅亡の引き金を引いたのです。
私達は、その歴史的瞬間を生きています。
世界が、ロシア帝国を認めれば、人類がプーチン大王の下僕になれば、とりあえず、世界滅亡は回避できます。もちろん、奴隷として生きるのは大変だと思います。でも、人間には環境適応能力がありますので、奴隷の生活にも慣れます。
私には、どちらがいいのか、わかりません。
皆さんは、どうしたいですか。
アメリカのどこかの部署で、プーチン暗殺計画が真剣に検討されていると思います。
プーチンを排除できれば、第3の選択肢が浮上するかもしれません。
いや、西側の国にとっては、この選択肢しかないように思います。
ただ、歴史を見てみても、敵の大将の暗殺に成功した例はありません。
もしも、幸運にも、プーチン暗殺に成功したとしても、「ペリメトル」がある限り、それで世界が平和になるわけではありません。たとえ、「ペリメトル」が役立たずのシステムだったとしても、習近平がいます。
習近平も皇帝になることを望んでいます。
今、習近平は、全力で核弾頭を増産しています。
ロシアの核攻撃自動システムよりも優秀なシステムを完成させるかもしれません。
仮に、プーチンと習近平を排除できたとしても、更に恐ろしい権力者が出現するかもしれません。いや、必ず、出現します。
世界の公正と信義など、何の役にも立たないということです。仮に、9,999,999,999人が公正と信義を重んじたとしても、1人が公正と信義を無視すれば、全てが崩れるのです。
いや、公正と信義を無視する人間はプーチンだけではありません。私達の国にも「死刑になりたいから、無差別殺人をした」と言う犯罪者がいます。もしも、この犯罪者が権力を持っていれば、プーチンになれるのです。

禄でもないシナリオを2つ書きました。
第3の選択肢は、役に立たないと思います。
皆さんは、どちらを選びますか。
プーチン帝国の植民地になるか、汚染された地球で生きていくかの二択です。
ただ、日本の場合は、少し環境が違います。
この時期の世界大戦は、大きな負担になります。
それは、時期的に、日本単独の国家崩壊の時期と重なるからです。
国際秩序も、国際経済も、国際金融も、大きく変わります。それは、日本崩壊の背中を押すことになります。
国は潰れ、世界大戦が始まり、核ミサイルが飛んでくるのです。
さあ、皆さんは、どうしますか。
どうすることも出来ませんよね。

確かに、極論にすぎません。
でも、可能性がゼロではありません。
だからと言って、今更、どうすることも出来ません。
「これは、宿命だ」と諦めてもらうことが現実的な対応なのかもしれません。
やはり、「わび、さび、諦念」の世界が、私達の住処なのかもしれません。
不確定要素が多すぎて、多分、誰にも、未来予測は出来ないのだと思います。
しかし、楽観的な未来予測の幅は狭まっているように見えます。
今は、まだ、プーチンの脅しは口先だけですが、これが、このまま10年続くわけではありません。ごく近い将来、プーチンは結論を迫られます。それは、明日かもしれませんし、1年後かもしれません。恫喝だけでも、世界は変わりましたが、プーチンがボタンを押した時から、世界秩序は物理的に変わります。
私達には、対応する手段がありません。考えても、議論しても、答はありません。


2022-04-03



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昼寝していて大丈夫なのですか [評論]



この文章を書いている今も、ロシア・ウクライナ戦争のニュースが日々更新されています。
私は、2月24日の開戦時に、ウクライナはすぐに制圧されるだろうと思っていました。
しかし、ウクライナ軍とウクライナ人は、抵抗しています。今の時点で、まだ、首都キエフは陥落していません。
昔の戦争と違って、多くの映像が世界に発信されていますので、日本でも、多くの方があの映像を見ているものと思います。
ただ、南部では、地下に避難している人達の食糧や水は底をつき始めました。市民の大量虐殺も始まっています。更に大規模な爆撃も始まると言われています。
ロシアは、東部に戦力を集めるようですから、マリウポリでの市民虐殺は、この先も続きます。キエフのロシア軍は後退しましたが、化学兵器による攻撃の準備かもしれません。
これまでは、数百人、数千人の犠牲でしたが、化学兵器や核兵器が使われれば、この先は、数十万人、数百万人の犠牲を覚悟しなければなりません。
これが、国家運営に失敗した国の姿です。
国の責務は、国民の生活を、国民の命を、守ることです。
ウクライナという国は、その責務を果たしませんでした。
もしかすると、ウクライナ政府もウクライナ人も、公正と信義と平和を信じていたのかもしれません。でも、信じた結果が、市民の殺戮です。これが、現実です。
今、世界の目の前で、市民の生活が破壊され、市民の命が失われているのです。あれは、映画でもドラマでもありません。現実に起きていることです。
否定しようのない現実です。
皆さんは、プーチンが悪い、と言います。
その通りですが、プーチンという人物が存在していることも現実です。
現実に対応することが、国家運営です。
失敗してから「ああでもない、こうでもない」なんて言ってみても、何の役にも立ちません。
政治家の先生方は、「政治は結果責任だ」と言います。でも、悪しき結果が出て、責任を取るのは。政治家ではなく、国民です。結果が出てからでは遅いのです。
国家運営は、万に一つも失敗してはいけません。

しかし、日本では、他人事です。
もちろん、皆さんは「気の毒なウクライナ人には、助かって欲しい」と思っています。
ロシアの暴挙は許せませんよね。
正義は、ウクライナにありますよね。
でも、どこの国も、援軍を出しません。
国連も静かなものです。
正義や理想が、間違っているのですか。
いいえ、これが、現実なのです。
正義や理想と現実は同じ土俵にあるわけではありません。正義という土俵と、理想という土俵と、現実という土俵は、交わることのない場所にあるのです。
現実の前では、正義も理想も、何ら価値を持ちません。
人道主義愛好者の皆さん、平和主義愛好者の皆さん。
皆さんは、どうして、黙っているのですか。どうして、行動しないのですか。マリウポリの街に立ち「戦争反対、平和、平和」と叫んでください。ロシア軍の兵士と話し合い、攻撃をやめさせてください。皆さんは、話し合いで解決できると信じているのですから、恐れることはないと思います。どうして、マリウポリに行かないのですか。
正義を追求するという旗を掲げて、モリ・カケ・サクラをあれほど追求していた立憲民主党の皆さん、共産党の皆さん。もちろん、モリ・カケ・サクラは非難されるべきものですが、ロシアの行動は非難されるものではないのですか。皆さんは、外交力で解決すると国民に約束していました。どうか、プーチンと話し合って、攻撃を止めてください。今こそ、皆さんの出番です。ウクライナを、世界を、助けてください。人命が失われている映像があります。皆さんは、コロナ対策で、人命が最優先だと言っていました。ウクライナの人命は人命ではないのでしょうか。口先ではなく、行動が必要です。
総理大臣のお粗末な認識にも驚きます。ロシアがウクライナの原発を攻撃したことを受けて、原発に警察の専従警備部隊を設置すると言っています。軍を相手に、警察力で何をするつもりなのでしょう。拳銃の弾丸で戦車の砲弾を撃ち落とすのでしょうか。能天気としか言いようがありません。警察官が気の毒です。
平和ボケの国では、こんなものなのでしょうか。
悲惨な映像を見ても、誰も、あの光景を「明日のわが身」だとは思っていません。漠然とした不安は感じていますが、何もしていません。
戦争では、タブーなんて存在しません。建前では、何も防げません。建前の象徴である国連も、国際司法も、国際法も、何一つ機能していません。これが、現実です。
それでも、日本の空気は「俺には関係ねぇ」というものです。
多くの方が、口先で「悪いのは、ロシアだ」と言います。
その通りですが、私達は何をしているのでしょう。
「頑張れ、頑張れ」と一部の人達が、声を上げています。経済制裁もしています。日本は防弾チョッキですが、他国は武器も送っています。
「あとは、ウクライナが頑張ってください」ということです。
でも、これが、現実です。
どこの国も、自分の国の国民を犠牲にしてでも、ウクライナを助けることはしません。
当たり前です。
正義や理想よりも、ロシアの悪や西側の欲のほうが、はるかに強力です。
これが、現実です。
現実が全てです。
ウクライナの大統領は、アメリカが、NATOが、助けてくれないと怒っていますが、怒ってみても何の足しにもなりません。
ですから、くどいようですが、日本の皆さんも、「自分の身は自分で守る」しか選択肢がないことを、是非、知って欲しいと思います。責任を取るのは皆さんなのです。
人道も平和も正義も理想も追求するべきです。しかし、人道も平和も正義も理想も、自国の安全保障という土台の上でしか役に立ちません。ウクライナの皆さんには申し訳ありませんが、私達は、ウクライナの失敗から学ばなければなりません。
岸田総理は、G7の決定に追随することで頭が一杯です。対話が得意な岸田さんは、今こそ、国民との対話をしなければならないと思います。
今、岸田さんがやらねばならないことは、日本で戦争が始まる前に、日本の国民に語り掛けることです。「国民の皆さん、このウクライナの惨状を目に焼き付けておいてください。ウクライナは、明日の我が国の姿です。国民の皆さんに何が出来るのか、是非、考えてください」と。

私は「自分の身は自分で守る」ことが鉄則だと書きましたが、これが難題です。
それは、この国が「国力衰退病」という病に冒されているからです。
人口は、どんどん減少します。GDPも、どんどん減少します。ということは、国防力も、どんどん減少するということです。
最後は、国民の素の力で、侵略を防がねばなりませんが、国民は、昼寝をしているだけではなく、諸国民の正義を信じる「いい人」ばかりです。とても、外敵から、自分を守らねばならないという現実に気付くことはないと思います。
どこを切り取っても、この国は、亡びる運命にあると思います。
安全保障は、国の根幹だと言われますが、私達は、その根幹を根幹とするための根幹が必要なのだと思います。それが、目的と責務だと思います。
それでも、私達が生き続けるためには、今の難関は乗り越えなくてはなりません。
国の、そして国民の、目的を作り、国の、国民の、責務を明確にし、ゼロから出発することが求められているのだと思います。
専門家の皆さんは、「日米同盟の強化」とか「敵基地攻撃手段」とか「核兵器の議論」を推奨しています。
でも、問題は、そこにあるのではありません。
必要なのは、国としての原則です。
寄るべき根拠を持たずに小手先の対策をとっても、結果は得られません。
これは、個々の手法の問題ではありません。国家運営を担う皆さんの、国民の皆さんの、意識の問題です。意識を変えなければ、日本もウクライナになるということです。
私達にウクライナを救うことはできません。
しかし、自分の身は守らねばなりません。
プーチンは、人類史上初めて現れた怪物ではありません。
力のある国の権力者は、誰でも、プーチンになれるのです。
アメリカのバイデン大統領は「ウクライナで第三次世界大戦を始めるつもりはない」と言いました。いやいや、ウクライナで始めなくても、第三次世界大戦は始まります。
私は、これまでも、第三次世界大戦は必ず起きると書いてきました。
「まだ、起きてないじゃないか」「いつ、起きるのだ」と言う人がいるかもしれません。
大丈夫です。待っていてください。必ず、起きます。
世界大戦が世界大戦になるまでには、色々なことが起きます。
でも、最終的には、世界大戦で決着をつけることになるのです。同じことを繰り返してきたのが、私達の歴史です。古人も「二度あることは、三度ある」と言っています。
ウクライナ戦争は、世界大戦へと至るプロセスの一局面です。
第三次世界大戦は、民主国家連合軍とロシア軍との戦いではありません。民主国家連合軍と専制国家連合軍との戦いです。専制国家の親玉は、中国です。ウクライナ戦争では、本命の中国が出てきていません。いや、戦争を仲裁する用意があると言っています。ウクライナ戦争は、本戦ではなく予戦なのです。
第三次世界大戦の戦場はアジアです。
それも、東アジアです。
つまり、日本が主戦場になるのです。
私達のお花畑にミサイルが飛んでくるのです。
皆さん、昼寝していて大丈夫なのですか。
禄でもない今の国家運営者に任せておいて、大丈夫なのですか。
皆さんは「お上」に丸投げをしています。しかし、責任を取るのは、皆さんです。そのことは、承知しておいてください。


2022-04-02



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集団安全保障という概念 [評論]



国家の責務は、国民の生活を守り、国民の命を守ることだと書いてきました。
国が、その責務を守るためには、「子供達の未来を守る」ことを目的とすれば達成可能だと書いてきました。
もちろん、国が、100%責務を守ることなどできません。
それでも、国は、その責務を果たす努力をしなければなりません。
結果的に見れば、今回のウクライナ戦争は、ウクライナという国が責務を果たせなかったことを証明しています。隣国に、プーチンという悪逆非道な指導者がいたことは不運ですが、それでも、ウクライナは国民の生活と国民の命を守らねばなりませんでした。戦争になってしまえば、どんなに頑張っても国民を守れません。これが、現実です。
日本でも、世界でも、「プーチンが悪い」と言います。
そのことに、誰も異論はないでしょう。
でも、そんなことを言ってみても、失われた生活は、失われた命は帰ってきません。
私達は、ウクライナ戦争から、そのことを学ぶ必要があります。
ロシアとウクライナは、地球がお花畑ではないことを、公正と信義が地球の原則ではないことを証明してくれたのです。

ウクライナの国民は、徹底抗戦するという政府に同調し、多くの市民が銃を手にしています。ウクライナの歴史が、市民を動かしているのだと思います。
日本人は体験したことがありませんが、ソ連のスターリン時代に、ウクライナはスターリンの圧政により人口の20%、1000万人(実数は確定されていません)が餓死しました。スターリンによるジェノサイドと言われています。あの時の苦難は、密かに語り継がれていたと思います。ロシアの突然の侵略が、ウクライナ人の奥底に沈んでいた恐怖心を刺激しました。自分達を、自分の国を、守りたいと思うのは自然であり、どこまで抵抗できるかはわかりませんが、抵抗しようという意識は、あって当然だと思います。
ウクライナの予備役の若者は、軍の招集に応じ、「今、ウクライナを守らなければ、子供達に顔向けできない」と言っています。
政府が強制するまでもなく、ウクライナの人達は、自発的に「子供達の未来を守りたい」という目的を持っているのです。日本には、目的の欠片もありません。日本が他国に侵略された時、国のために銃を取るという人は10%だそうです。
私も、迷わずに銃を取りたいと思いますが、私のような老人は戦力にはならないのでしょう。この10%の中には、私のような老人も含まれているものと思いますので、実際に戦ってくれる人は、もっと、少ないと思います。でも、私は家族を守りたい。友人を守りたい。自分の子供だけではなく子供達を守りたい。いや、何よりも、子供達の未来を守りたい。チベットやウイグルや香港の子供達は、夢を持てるのでしょうか。圧政下に置かれた地域の子供達の様子は私達にはわかりませんが、とても、暗いものだと思います。この国を、そんな場所にしてはいけないと思います。これって、間違っているのでしょうか。
お花畑国家の日本では、多分、私が間違っているのだと思います。
プーチンは、「市民を人間の盾にするな」「盾にしたら、市民でも殺すぞ」と言っています。
でも、そのプーチンの目的は、ウクライナ市民をNATO軍に対する人間の盾として使うことです。ウクライナをNATOとの緩衝地域にするということは、そういうことです。「ウクライナ人は、ロシア人のために、まっ先に死んでくれ」と言っているのです。ロシアとの戦争で被害者になるか、NATOとの戦争で被害者になるのかの選択肢しかありません。今回の戦争で、100万人、200万人死んでも、まだ、4000万人の死兵が残るという計算なのかもしれません。
もちろん、私達もアメリカを守るための死兵ですから、ウクライナと同じです。
身も蓋もありませんが、「自分の国は自分で守る」しか選択肢はないのです。

日本では、「一般国民に犠牲者がでるのだから、降参しろ」「殺される前に、国外へ逃げろ」と言う方がいます。でも、ウクライナ人は戦っています。
これは、日本が専制国家に征服された経験がないからだと思います。
チベット、ウイグル、香港の皆さんが、中国の支配下で納得しているとは思えません。
征服された国にとっては、何よりも、子供達の未来を奪われることが苦痛だと思います。
日本人の、このお花畑のような感覚は、目的と責務の欠如が原因なのだと思います。
もしも、「子供達の未来を守る」ことが目的であれば、「子供達の未来を守る」ことが大人の責務であれば、大人が「降参しろ」とか「逃げろ」とは言えないと思います。
ただ、戦争が始まってしまえば、どんな選択肢を選んでも、厳しい未来しかありません。
今日は、何度も書きますが、私達は自業自得の見本を見ているのです。
この厳しい現実は、ウクライナ政府が国家運営に失敗したことが原因です。そのことで追い詰められるのは、市民です。どんな国でも、最終責任は、市民が取るのです。
また、日本でも、この戦争にNATOが関与すれば、世界大戦になり、核兵器が使われるのだから、ウクライナには抵抗しないで欲しい、と言う方もいます。
気持ちはわかります。誰でも、自分が一番大事なのです。これ、当たり前です。
だからこそ、国家運営は、間違ってはいけないのです。
ほとんどの方が、戦争を始めた「ロシアが悪い」と言います。私も、そう思います。
でも、そんなこと言っても、戦争が始まってしまったら、もう、意味ありません。
ロシアと同じくらい、いや、ロシア以上に、ウクライナ政府に責任があると思います。もっと言えば、そんな政府に丸投げをしていたウクライナ国民に責任があると思います。平たく言えば、自業自得だと思います。
私達にできることは、このウクライナ戦争から何を学ぶか、ということだと思います。
日本は、どうして、ウクライナ戦争を、自分事として考えないのでしょう。G7の決定に従うことしか念頭にありません。
そもそも、「アメリカ様が守ってくれる」「日米安保が基軸」「アメリカのポチで結構」と思っている日本人に、ウクライナのことを四の五の言う資格はないと思います。
「他人様のことを四の五の言う前に、先ずは、お前が自分を、自分の国を、守る行動をしろ」と言いたいです。現実は容赦なしにやってきます。

日本では、国防に関する調査が話題になったことがありません。タブーですから。
今回の出来事で「不安だ」と言う方は8割もいるそうですが、「国家崩壊の不安」でさえ放置している日本人は、「安全保障の不安」も、曖昧という空間に置き去りにし、結局、タブーは守られます。この国には、正面から向き合うという習慣がありません。
フィンランドという国の調査を見てみましょう。フィンランドは、ロシアの隣国の1つです。ロシアとの間に1300キロという長い国境線がある国です。
フィンランドは、EUには加盟していますが、NATOには加盟していません。
いろいろな経緯があって、ロシアを仮想敵国とした軍事同盟であるNATOへの加盟は、ロシアに睨まれるからという理由で中立を主張していたのです。
しかし、ロシアのウクライナ侵攻を目の前で見せられたフィンランド国民は、慌てました。
中立などという理屈がロシアには通じないことを知ったのです。
「自分の国は自分で守る」という鉄則は、揺るぎない鉄則ですが、小国には限界があるのも事実です。集団安全保障という概念が生まれたのは、当然のことだと思います。
「俺一人では、戦えないけど、皆で戦えば守れるかもしれない」と思うのは自然です。
フィンランドでは、国民意識が激変しました。
       NATO加盟に賛成  どちらでもない  NATO加盟に反対
2017年      19%        28%        53%
2022年      53%        19%        28%
2017年の「どちらでもない」という人達は、「反対」に近い「どちらでもない」だったと思いますが、2022年の「どちらでもない」は「賛成」に近い「どちらでもない」に変わったと思います。明確に「反対」を主張する人は3割しかいません。既に、「賛成」は6割を超えたそうです。隣国のスウェーデンでも、同じような変化が起きています。
今後、ロシアがどんな勝ち方をするかによりますが、フィンランドもスウェーデンも、近い将来、NATOに加盟することになるのでしょう。
フィンランドの首相は、まだ、消極的ですが、国民の意思は無視できません。NATO加盟に動き出すしかないと思います。国は、国民次第で変わるということです。
フィンランドとスウェーデンが加盟すれば、NATOは32カ国の軍事同盟になります。これほどの集団安全保障の仕組みを持っている地域は、欧州だけです。
プーチンが欧州の帝王になるのは、簡単ではありません。
どうしても帝王になりたいのであれば、核兵器を使うしか選択肢はありません。
プーチンなら決断できるかもしれませんが、プーチン以外のロシア人には、難しい決断になると思います。NATOも核兵器を持っています。アメリカのICBMもあります。当然、敵は反撃をしてきますので、ロシアも安全ではありません。普通のロシア人であれば、ビビリます。
チキンゲームにはなりますが、集団安全保障という枠組みは機能するということです。
いや、他に選択肢はないと思います。

では、アジアではどうでしょう。
アジアの国同士の軍事同盟は存在していません。
悪逆非道な権力者は、プーチンだけなのでしょうか。
もしかすると、習近平は、プーチンが真っ青になるくらいの極悪人なのかもしれません。チベットやウイグルや香港の弾圧を見る限り、その可能性は高いと思います。
アジアの国々は、どうやって、中国から、自分の国を守るつもりなのでしょう。
中国は、度々、「アジア版NATOを作るな」と言っています。それは、NATOのような軍事同盟が、中国にとって脅威だと知っているからです。
軍事同盟を持っていない小国は、どのようにでも料理できます。中国が警戒しているのは、アジア版NATOという集団安全保障概念です。
中国の軍拡は目を見張るほどの勢いで進んでいます。軍事超大国のアメリカに匹敵するほどの軍事力を手に入れています。今では、日本もベトナムも単独で中国と戦う能力はありません。アジアの国々は、単独で、中国に対峙しなければならないのです。
それなのに、集団安全保障という概念が、アジアにはないのです。
日本は、「自分の国は自分で守る」ことが必須になりますが、日米同盟も必要ですが、しかし、それだけで守れるとは思えません。ここは、アジアの国々を説得し、日本を含む小国による軍事同盟が不可欠になると思います。リーダーシップを取るのは日本しかいないと思うのですが、残念なことに、日本には、原則もなく、外交力という力もありません。あるのは、「なあ、なあ」「まあ、まあ」です。
集団安全保障という体制のないアジアでは、中国は、各個撃破でアジアの覇権が手に入るのです。中国の目的である世界制覇の第一歩は、アジアの制覇です。
中国が征服する国は、台湾だけではなく、ASEANの国々、朝鮮半島の国々、そして、日本。
日本と韓国の背後にはアメリカがいますが、アメリカが手を出さなければ、いや、手を出さない可能性は高まっていますので、簡単なものです。既に、ASEANの中には、経済的に占領されている国もあります。
ただ、世界中の至る所で潮流が変わり始めています。
このことは、中国でも、経済の問題を抱えるということです。
これまでのような発展ができなくなると、14億人の国民の不満が溜まります。
今でも、中国では、「もめ事」が後を絶ちません。
今後、経済成長の鈍化に引きずられて、「もめ事」は多く、大きくなっていきます。
特に、中国人は「カネ、カネ、カネ」ですから、経済成長の鈍化は、人民の「カネ」を直撃します。人民にとっては、一大事です。「カネが手に入る間は、習近平体制を認めてやっている」というのが、中国人民の本音だと思います。
中国共産党は、共産党支配を守るために、国民の関心を「カネ」から他のものに変えなければならなくなります。そんな時、歴史の常道として、戦争や他国の征服が使われます。権力者は自分の権力を守るためであれば、何でもします。

私は、「言葉の定義」を推奨しています。「戦争」という言葉も、二文字の言葉ですが、その中身は一様ではありません。定義が曖昧だと、当然、対応も曖昧になるものです。
ウクライナ政府の戦争定義に甘さがあったことで、多くの国民を死なせていると思います。
ウクライナがNATOに加盟していれば、ロシアは侵略出来なかったと思います。
ウクライナ戦争が始まるまでは、最も危険なのはバルト三国だと言われていました。しかし、ロシアはウクライナに侵攻しました。それは、バルト三国がNATOに加盟していたからです。プーチンは、ウクライナ相手であれば勝てると判断したのです。
国民の命を守るのが国の仕事だとすれば、ウクライナ政府は万難を排して動くべきだったと思います。その政府を動かすのは、国民の意識です。ですから、ウクライナ国民にも責任があります。ウクライナは、小国は小国なりに、鉄則があるのですから、それを忘れるべきではなかったと思います。戦争が始まってしまった今となっては「繰り言」に過ぎませんが、鉄則を破ったのはウクライナです。これは、ウクライナの自業自得です。NATOの問題ではありません。ウクライナは、NATOが加盟させてくれなかった、と言っていますが、ウクライナ政府は、万難を排したのでしょうか。なぜ、バルト三国は加盟できたのでしょう。これは推測に過ぎませんが、ウクライナには助平根性があったのだと思います。
国と国民が対話をし、切磋琢磨して、自分を守るために力を合わせなければ、国を守ることはできません。特に、小国は、鉄則に忠実である必要があります。必要なのは、国の意識であり、国民の意識です。どちらが欠けていても、国を守ることはできません。
そう考えると、国にも国民にも危機意識のない日本は、とても危険です。
もちろん、戦争になって苦しむのは国民の皆さんです。
それは、ウクライナの国民を見ていればわかることです。
だから、国民が一番重い責務を担っているのです。
どうか、そのことを、分かって欲しいと思います。
戦争をしなくても済む国を作るしかないのです。
人間社会では、道理が通るわけではありません。それは、プーチンを見れば一目瞭然です。
他人のせいにしていたのでは、自分を守ることはできません。
軍事力も、小国なりにある。
多国間軍事同盟にも参加している。
国民意識も高い。
大きな抵抗が予測できる。
攻める側の国だって計算をします。こんな国を攻めるのは、難しいと思います。
戦争をしないためには、ウクライナのように、いとも簡単に、餌食になるような国家運営をしていては駄目だということです。
「この国に戦争を仕掛けたら痛い目に遭いそうだ」と思ってもらえる国家運営が必要なのだと思います。その基本は、国民意識だと思います。
国を守るということは、人を守ることであり、子供達の未来を守ることです。
国を守るために戦うという国民が10%しかいないような国は、お花畑で昼寝をしているような国は、子供達の未来を守ろうとしない国は、滅びても仕方ありません。
スイスが中立を守っているのは、皆兵制度の国であり、国民は全員が軍人であり、スイスの国民に戦う意志があるからです。彼等は昼寝をしているのではありません。彼等は、自分の国を守るために、子供達の未来を守るために、戦う意志があるのです。制度は必要ですが、制度が国を守るのではありません。国民の意志が国を守るのです。ですから、国の形を決めるのは政府ではなく国民の意識だと思います。
やはり、この国に必要なのは、目的と責務だと思います。


20222-04-01



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