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津々浦々 [評論]



今日は、地域発の「時の話題」です。
日本の、兵庫県の、明石市の、市長の話題、です。
天下国家を左右するような話題ではありませんが、根っ子は同じ「文化」の副作用です。
津々浦々、人々の心の隅から隅まで、影響を与えて、この国を雪隠攻めにしている文化という課題を書きます。文化とは、そういうものですから、変えるのは容易なことではありませんが、それでも、ここまで追い詰められたら、そこに手を付けるしか選択肢はないのではないかと思います。

市長も権力者の一員ですが、その影は薄いと思います。市民の中には、自分の住む市の市長の名前を知らない人もいると思います。それでも、住民にとっては、一番身近にいる権力者です。
この国には、約800の市があります。ですから、約800人の市長がいます。
市の運営は市長と市議会が両輪となって行われます。それは、市長も市議会議員も選挙で選ばれるからです。
建前は立派なものですが、市議会議員選挙の投票率は、市長選よりも低く、その権力に正当性があるのかどうかは、とても、疑問です。いや、有権者の大半が「なあ、なあ」「まあ、まあ」で投票しているのですから、選挙そのものに意味がありません。選挙は、単なる儀式になってしまっています。
一般市民は、「俺には関係ねぇ」とか「誰がやっても同じだろ」とか「何も変わらないだろう」と思っているので、投票には行きません。利害関係、義理等に縛られた人達だけが、自分の信条とは無縁の行動をした結果が、今の市政なのだと思います。特に、村の掟が残っている地方では、長老の意見で投票先が決まります。重大な責務を負っている主権者であるという意識は、希薄です。いや、ゼロです。
そのことで、違和感を持つ人はいません。「こんなもんだろう」で終わりです。これも、歴史と伝統の一面です。縄文時代には存在していたと思いますが、「自分達で自分の街を運営しよう」という、民主主義の原点は、もう、この国に存在していません。市は、「お上」の出先機関なのです。今でも、「お代官さま」は存在しているのです。それが、たまたま、選挙という儀式を通過しているために、あたかも、民主主義のように見えるのです。もっとも、これは国政でも同じです。
選挙が儀式になっている原因は、この国が、民主主義風王政並立封建制度という国体だからです。これも曖昧文化が生み出したものです。民主主義も天皇制も「お上」と「下々」という封建体制も包含した体制なのです。3つの体制は、どの体制でも、他の体制とは排他的な関係にあるのに、それらを全て包含したものが、この国の統治システムなのですから、国体そのものが、矛盾を受け入れている体制なのですから、「お上」は、基本、何をやってもいいのです。
ただし、「国民のため」「皆さんの生活のため」という言葉だけは必要です。風味だけですが民主主義という文字がありますから、封建制度下の江戸時代と違って、言葉は必要です。でも、言葉だけでいいのです。
「お上」にとって、これほど美味しい仕組みはありません。解釈次第で、何でも出来るのです。逆に、何もしなくてもいいのです。最終的には、国民が責任を取ってくれるのですから、責任を取る必要もなく、笑いが止まりません。
時代ごとに、多少の違いはありますが、この仕組みが、2000年も続いているのです。
これが、世界に誇る、日本の歴史と伝統です。
そんな環境の中で、事件は起きました。
「市長暴言事件」です。
明石市長の暴言は、数多くあるようですが、辞任に至るような大きな事件になったのは、2件です。
最初の事件は5年前です。
記事によると、「2017年6月に、遅れていた道路拡張工事の立ち退き交渉を巡って市役所職員に対し「あほちゃうか。火をつけて捕まってこい。燃やしてしまえ」と暴言を浴びせていたことが19年1月の報道で発覚した」「これを受け泉氏は2月に辞職」「3月の市長選挙に改めて出馬し、投票者の7割の票を得て当選した」そうです。
二度目の事件は、昨年の10月。
記事によると、「『問責なんか出しやがって。ふざけとるんか』と、『お前ら議員なんかみんな落としてやる』と、そういうふうなことを言われまして。30万都市のリーダーたるべき方が発せられる言葉ではないというふうに思いますね」(明石市議会 榎本和夫議長)。
市長は別の女性市議にも「お前、問責に賛成するなら覚えておけよ」と繰り返し発言したということで、泉市長はその日のうちに2人に謝罪の電話をかけています。その後、2023年4月の任期満了で、出馬しないことを表明した」そうです。
文字にしてみると、ほんとに、下らない争いに見えます。
でも、よくある争いでもあります。
市長本人は認識してないかもしれませんが、多分、自分がぬるま湯に入っている一員であるという認識がなく、半覚半睡状態の周囲の人達が出す空気にイライラしていたのだと思います。周囲の人は、皆さん、同じ空気の中で生活していますので、違和感はないのでしょうが、目を醒ましている人にとっては、イライラの元になります。
一方、半覚半睡状態が秩序だと信じている人達にとっては、なんで、暴言をぶつけられるのか理解できないと思います。怒りまで覚えます。普通は、「場を弁え」「荒波をたてず」「大人の対応をする」ことが常識なのです。
いわゆる、「なあ、なあ」「まあ、まあ」が最善の処世術なのだと思います。
多分、800の市の大半の市政は、「なあ、なあ」「まあ、まあ」の論理で行われているものと推察します。それが、市政の歴史と伝統なのだと思います。
そんな中で、時折、まれに、異端者が出現します。
明石市長も、そんな異端者の一人だったのだと思います。
「口は禍の元」という諺がありますが、明石市長は、それを実践しました。
もちろん、私には暴言を批判する資格はありません。このブログでは、明石市長の暴言なんて「愛ある助言」にしか聞こえないような、ひどい暴言を、数多く書いています。
この暴言事件の根っ子にあるのは、「なあ、なあ」「まあ、まあ」という自治体行政の実態だと思います。それに、ブチ切れたのであれば、その気持ちは、よくわかります。
明石市長は、「大人の対応」が苦手だったのでしょう。

ただ、明石市は、子育て世代の人達に人気の市です。
市長の独断と偏見による市政ですが、子育て支援が充実していて、人口が増えています。人口減少の時代に、地方都市なのに、人口が増えているのです。
議員や職員にとっては天敵かもしれませんが、市民にとっては「良き市長」です。
「なあ、なあ」「まあ、まあ」で市民を犠牲にする市長と、議員や職員に暴言を吐くけど、市民のために働く市長と、どちらがいいのでしょう。
確かに、暴言も吐かず、市民の生活を優先してくれる市長が理想なのでしょうが、現実に、そんな市長はいるのでしょうか。そのためには、「なあ、なあ」「まあ、まあ」と市民生活を両立させる必要がありますが、カネか絡みますので、至難の業です。
意識的に市民に対する施策を実施しなければ、市民生活は向上しません。議員と関係のある人達だけが美味しい果実を食べる社会は、衰えます。これまでの利権行政が、これからも続く利権行政が、地方衰退の一因であることは間違いないと思います。
この構図は、明石市に限ったことではありません。
歴史と伝統に培われた社会のあり方が、市民の利益の最大化を目指したものではないことが、特定の人達だけが得をする社会のあり方が、間違っているのだと思います。それは、この国が民主国家ではないことに起因しています。日本の民主主義は風味にすぎません。
そんな社会ですから、個人的には、市長の暴言を容認したい気持ちのほうが大きいです。
民主主義を定義し、本気で、選挙制度を変えれば、日本は変わります。
できれば、議員や職員の皆さんが、ぬるま湯から出る方法で解消して欲しいと思いますが、そんなことが実現することはありませんので、民主主義で利益を得られる国民が気付き、本物の民主主義の国になればいいだけなのではないかと思ってしまいます。
しかし、そんな議論は、1ミリも存在していません。
議論しましょうよ。
言葉の定義をしましょうよ。
津々浦々、人々の心の隅から隅まで埋め尽くしている曖昧文化を変えなければ、この国は変わりません。私達の社会では、「まやかし」という怪物が暴れ回っています。報道の大半は、その結果が表面化したものばかりです。そして、この「まやかし」という怪物を増長させているのが曖昧文化です。曖昧は、庶民にも、小さく、ささやかな「利」がありますが、為政者には「巨利」があるのです。だから、為政者は、積極的に曖昧文化を広めたのです。私達は、民は、そのことに気付く必要があります。今や、「利」よりも「不利」のほうが大きいと思います。

市長と対立しているのは、自民党と公明党の議員のようです。
議員の方の気持ちも理解できます。私が自民党の市議会議員だったら、同じようなことをしたと思いますので、理解できるという意味で、決して、擁護はではません。
自分達の利権の源資である予算を、子育て支援へ振り向けられ、それまで美味しかった予算が減ってしまったのです。何のために議員をやっているのか、忸怩たる思いがあったのでしょう。「これじゃ、苦労して議員になった意味、ないじゃん」と思っているかもしれません。
議員の正義の中には、美味しい果実も含まれていたということなのだと思います。この正義は、いや、利権は、日本全国にある正義であり、利権なのですから、彼等は、正しいと信じて疑いません。子供が、「〇〇が欲しい、みんな持ってるもん」「皆って、誰よ」「AちゃんもBちゃんも持ってるもん」という理屈と同じです。母子の会話の中で、〇〇が子供に必要かどうか、ではなく、皆と一緒のものが欲しいという要求です。自民党議員にとって、利権は、歴史と伝統に培われた正義なのだと思います。
しかし、変人の明石市長は、自民党議員の利権を奪えば、人口が増える自治体になれることを、証明してしまいました。市長は、「どこの自治体でも、出来ることなんです」と言っています。「もちろん、国でも、出来ます」と言っています。自民党議員にとっては、明石市長は、既存の価値観を壊す、歴史と伝統を蔑ろにする極悪人なのだと思います。
では、明石市ではない自治体で、これが実現できるのか、と言うと、先ず、無理です。
明石市長のような変人は、他の自治体にはいないと思います。市長である泉房穂氏の個性があって成り立つことなのだと思います。
しかし、特別な個性がなくても実現できる方法があります。
それが、言葉の定義です。
「民主主義とは」「市政とは」「市長とは」「市議会議員とは」「住民とは」という言葉を定義すれば、どこの自治体でも実現可能となります。
では、それを実現するのは、誰ですか。
自民党議員がやりますか。
彼等が、墓穴を掘るようなことをすることはありません。
利益を得られるのは市民です。市民がやるしかないのです。牡丹餅が落ちてくるのを待っていたのでは、生活は変わりません。
民主主義というのは、市民にとって美味しいシステムなのに、どうして、気が付かないのでしょう。ほんとに、不思議でなりません。
子育て支援に予算を使ってくれたら、助かる市民は大勢いるのです。泉房穂明石市長がいなくても、言葉の定義をすれば、それが手に入るのです。

泉房穂明石市長は、立候補しないと言いましたが、まだ、安心できません。
地域政党を立ち上げて、市議会議員になりたい人を公募しています。5人内定したという噂もあります。市長選挙へは子供政策を推進してくれる人を推薦するようです。もしも、大阪の維新の会のように地域政党として幅を効かせるようになったら、大変です。自民党議員の利権は、ますます、遠ざかります。
明石市の混乱を見て、維新の会も候補者を立てるという噂まで出ています。
利権が少なくなっただけではなく、落選の危険まで生まれてしまいました。
暴言を告発し、天敵を退治するはずが、敵は、牙をむいてきたのです。
自民党議員の皆さんは、どうするのでしょう。
「暴言ごときで騒がなければよかった」と後悔することになるかもしれません。
そもそも、暴言をぶつけられた時、どうして、得意の「なあ、なあ」「まあ、まあ」で対処しなかったのでしょう。多分、「俺は、お偉い議員様だぞ」という驕りがあったのではないでしょうか。


2023-01-05



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真正面から向き合う [評論]



国民の皆さんも、漠然とは感じていることだと思いますが、この国は壊れ始めています。
皆さんも、「なんか、ヤバそう」と思っているのではないでしょうか。
昨年は、「国力低下」とか「国力衰退」という言葉が数多く出てくるようになりました。数年前は、このブログでしか使われない言葉でした。今年も、その傾向は続くと思います。もしかすると、流行語になるのかもしれません。
12月に恒例となった「今年の一文字」があります。その年に起きた、既に、過去に起きた社会風潮を表す一文字だとすると、今年の一文字が「衰」とか「壊」にならないことを願います。昨年は「戦」でした。
実際に壊れていることを目の当たりにしているから、このような言葉が出てくるのです。
その証左を数字で見てみます。

国の債務残高が、GDP比260%になっていることは有名です。
日本は、毎年、借金経営を続けている国なのです。
しかし、「ここまで借金しても破綻しないのだから、この先も、大丈夫だろう」というのが多くの方の認識です。
それは、違います。
破綻してしまった時のダメージが半端ではありません。
財務省の官僚の皆さんが追い詰められるだけではありません。国民生活が、ズタズタに切り裂かれるのです。
後講釈であれば、なんとでも言えます。
破綻してから「やはり、無理だったか」「俺も、心配してたんだ」なんて言ってみても意味ありません。
破綻は、明日かもしれませんし、5年後かもしれませんが、間違いなく、破綻します。
冷静に見れば、誰にでもわかることです。MMT論者や借金経営で恩恵を享受している人は、いろいろと言い訳を述べますが、借金経営を続けることができないことくらい、誰にでもわかることです。皆さんは、薄氷の上に立っているのです。何らかの外力が加わるか、温度変化があるか、誰かが氷上で暴れれば、氷は割れます。今は、奇跡的に、氷が割れていないだけだと思います。

日本人の給料は上がらない、と言われます。
では、対前年比で、賃金上昇率はどう変化しているのか見てみます。
1954年は、前年比104.8%の上昇でした。
1961年に、前年比112.1%になりました。
1974年に、前年比124.1%上昇を記録しました。
1977年に、前年比107.9%になりました。
2001年に、前年比99.0%になりました。
2020年の上昇率は、前年比100.7%です。
上の数字は平均値ですが、中身が変化しています。
2021年の平均年収は、443万円だそうです。
ただ、2極分化が進み、中小企業の社員の給料は減少傾向にあります。勤労者の53%が400万円以下になっているのは、そのためです。日本は、99.7%が中小企業なのですから、仕方ありません。
2000年以降、100%を切ったり越えたりしていますが、安定して、およそ100%です。それは、中小企業の貧乏人がますます貧乏になっているということです。特に、一人親世帯は、大変苦しい生活を強いられています。充分な栄養を摂れない子供達が大勢います。
これって、壊れているのではありませんか。

少子高齢化により、社会保障費の増加が止まりません。
国は、借金経営ですから、ともかく、カネがありません。
国民から搾り取るしか方法がないのです。
企業に定年年齢の延長をお願いし、年金保険料を払ってくれる人を確保しています。
国民年金保険料の納付年限も5年延ばしました。
パートもアルバイトも、厚生年金に加入させ、保険料を納付してくれる人を増やしました。
今は、年金支給開始年齢は選択可能ですが、この先、年金支給開始年齢が変更されます。70歳、75歳に変更されると言われています。
65歳で年金を受給した人が平均寿命(85歳)まで生きると、20年ですが、その受給開始年齢を75歳にすれば、年金支給額は半額で済むという計算のようです。
もう、あの手、この手、で繕わなくてはならない状態です。

防衛予算の増額方針が決まりました。その財源の中に「歳出削減」という項目があり、年間3兆円の歳出削減が盛り込まれています。歳出削減が可能なのであれば、なぜ、今まで削減をしなかったのでしょう。簡単に歳出を削減できるのであれば、3兆円ではなく、43兆円全額を歳出削減で賄えないのでしょうか。
ここからは、私の勝手な憶測に過ぎません。削減対象になった歳出は、どこかで、その費用を賄える目途が立たねばなりません。検討されている方策の1つが、生活保護受給者の医療費(約1.8兆円)を国費で負担するのをやめて、国民健康保険会計から払うという制度変更です。形の上では歳出削減になります。結果、国民の皆さんが支払う保険料が上がり、それで肩代わりするということになります。玉突き方式しかないと思います。歳出増を、税金、保険料、国債という名前に変える、いわゆる玉突き方式で誤魔化すしかないのだと思います。もしも、私の憶測が当たっているとすると、増税(1兆円)よりも多い額が保険料負担で賄われることになります。多分、「社会保障の質の向上」というような謳い文句が生まれるのではないかと思います。私は、これまで、何度となく「生活保護保険」の可能性に言及してきました。医療費は、その第一弾になるのかもしれません。「生活が苦しい人達を皆さんで支えてください」というスローガンは、いつ出てきても不思議ではありません。税金よりも保険料のハードルが低い理由が、よくわかりませんが、国民負担という意味では同じだと思います。
四苦八苦です。弥縫策の連打です。これって、壊れているのではありませんか。

出産育児一時金という制度があります。少子高齢化対策としては必要な施策です。しかし、財源がありません。そこで、75歳以上の後期高齢者にも負担してもらうことになりました。もう、形振りは構っていられないと言っているようなものです。
子供手当の財源もなく、施策が宙に浮いています。

そんな中、庶民の生活を苦しめているのが、物価高です。
光熱費の高騰が顕著ですが、生活に必要な多くの商品が値上げされています。
値上げされた品目は、作年は、約2万品目でした。今年の春には、第2波の値上げラッシュがやってくると言われています。光熱費は継続して値上げされます。
世界的な資源価格の高騰を受けて、電力自由化で誕生した新電力という会社が立ち往生しています。約20%の企業が、倒産や廃業、電力事業の契約停止や撤退に追い込まれました。
ギシギシという音がしているようです。
秩序が失われているように見えます。これも、壊れている証左です。

まだ、数字にはなっていませんが、今年から、廃業・倒産の第1波が始まると予測されています。それは、一部で、コロナ借金の返済が始まるからです。そんな時期に、日銀が長期金利のイールドカーブを変更しました。世界は、金融緩和政策の変更と捉え、円相場も変動しました。ただ、今年は、日銀総裁が交代する時期です。もし、短期金利政策が変更されたら、20万社と言われるゾンビ企業は資金繰りが難しくなります。資金繰りが出来ないということは、倒産するということです。倒産よりも廃業を選ぶ企業もあると思います。ゾンビ企業だけではなく、大企業でも倒産する会社が出てくると思います。
この先、もっと、一般国民の目にも「壊れる様子が見える」ようになるのです。
これが、国力衰退の実態なのだと思います。

1つ1つの事象を見ていると、「まあ、こんなことも、あるよな」で終わってしまうのかもしれませんが、視線を引いて全体を見ると、「ヤバイ」ように見えます。ここに挙げたこと以外にも、衰退の兆候は数多くあると思います。
これ、放置しておいて、いいのでしょうか。
国が発展途上にある時にも、問題は数多くありますが、発展が打ち消してくれます。
いつの時代でも、課題はあるものです。しかし、今は、問題が深刻に見えます。
それは、国が衰退途上にあるからだと思います。
ですから、この国力衰退問題は放置しておいてはいけないのだと思います。
しかし、衰退の原因に迫る本物の対策が講じられていません。
弥縫策に忙しくて手が回らないのだとすると、衰退は進むだけです。
衰退の先に、何か希望はあるのでしょうか。
いいえ、衰退の先にあるのは、間違いなく、滅亡だと思います。
だとしたら。
私達は、この国力衰退問題の原因に真正面から向き合うしかないと思います。
どうか、一日も早く、気付いて欲しいです。
ただ、この国力衰退という問題は、余りにも大きく、余りにも根深い問題ですから、簡単には対処できません。
金融政策でも景気政策でも労働政策でも社会政策でも、役に立ちません。
構造改革でも、生産性向上でも、追いつけません。
もう、これまでのような「なあ、なあ」「まあ、まあ」では、無理なのです。
文化を変えないと、真正面から向き合えない問題なのだと思います。
政策や手法や制度では、方が付かないものがあります。国力衰退も、その1つです。
最後は、人間力に頼るしか道はないと思います。それも、1億2千万人の人間力を結集することでしか解決しない問題なのだと思います。それを実現したのが戦後復興です。何度でも再現することは奇跡とは呼びません。ですから、戦後復興の奇跡は二度と起きることはないのでしょう。でも、今、この国に必要なのは、その奇跡だと思います。
数千年をかけて築き上げた文化を変える国なんて存在しないと思いますが、でも、もしも、それができれば、それも奇跡なのだと思います。
そのことに気付いている人がいません。ゼロです。
国家運営に携わっている政治家や官僚だけではなく、学者や有識者と呼ばれる人達も気付いていません。最も致命的なことは、国民の皆さんが、「俺には関係ねぇ」と思っていることです。これでは、希望の欠片もありません。ゼロなのです。
私は、諄いほど「文化を変えましょう」と書いていますが、誰も、取り合ってくれません。「お前、なに、寝言、言ってるの」としか思われていないのだと思います。ほんと、不思議なくらい、気付いてくれる人がいません。
しかし、時間は、どんどん、進みます。衰退も進みます。
誰も気付かないのですから、希望は、全く、ありません。
行き着く先は、ドツボです。
皆さんがドツボに落ちるのを見ているしかないのです。
ほんとに、悲しいことです。


2023-01-04



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安全保障 [評論]



今、欧州では、嵐が吹き荒れています。
滅多に洪水なんて起きないポルトガルでの洪水の話ではありません。
インフレという嵐です。
イギリスとドイツは10%を越えていますが、フランスは7%と健闘しています。しかし、東欧諸国は、どの国も20%を越えるインフレです。食料品に限れば30%から40%のインフレです。
なぜ、こんな事になってしまったのでしょう。
経済のグローバル化の副作用だと思います。
人は、すぐに忘れてしまいますが、何事にも前提条件があるのです。
経済のグローバル化にも、前提条件がありましたが、グローバル化に慣れてしまって、その前提条件を忘れていたのです。
その前提条件とは。
世界が仲良くしてい「れば」
パンデミックが起きなけ「れば」
異常気象にならなけ「れば」
前提条件が成り立たなくなった時の措置を用意してい「れば」
いろいろな「・・・れば」が成り立たなくなった結果です。
「れば、たら、もしも」は、必ず破綻します。これも、社会の原則です。
特に、生活必需品を輸入に頼っていた時に、大きな影響があります。
兵器や自動車や時計やブランド商品が輸入できなくなっても、庶民は困りません。
しかし、エネルギーや食糧を輸入に頼っていると、前提条件が成り立たなくなった時に痛い目に遭うという事例が、世界各地で起きているのです。
どこの国でも、経済的な利益が優先されます。それは、仕方ありません。
しかし、経済的利益よりも優先しなければならないものがあるのです。それが、改めて、認識されたのが今回のインフレの教訓です。事前対応が必要だったのです。そして、この事前対応こそが国の仕事です。
安全保障の観点からは、価格は重要ではありません。エネルギーは、パチンとスイッチを切り替えるようには変わりません。かなり長い時間が必要です。ですから、エネルギー安全保障は、国の仕事なのです。国が、安全保障対策をしなかったことが、インフレを招いています。これも、国家運営の失敗です。
万全の国土防衛政策をしなかったために、ウクライナはロシアの軍事侵攻を許してしまいました。これも、国家運営の失敗です。
国土安全保障、エネルギー安全保障、食料と水の安全保障は、国が責任を持って対応しなければならない仕事です。もちろん、経済安全保障、社会安全保障、労働安全保障、環境安全保障も重要ですが、国土安全保障、エネルギー安全保障、食料と水の安全保障は、最重要課題だと思います。
さて、日本は、これらの安全保障は万全なのでしょうか。
いいえ、大変、危険な状態です。
太古の昔から、衣食住は、生きていくために、欠かせないものです。
「衣」は、体温を維持するためのものであり、今は、エネルギーです。
「食」は、文字通り、食料です。人間は栄養を補給しなければ生きていけません。
「住」は、安全を守るための住処です。国防は、そのために必要です。
誰でも知っていることです。
しかし、平時には、自国生産のものでも、輸入されたものでも、問題はありませんので、不都合を感じないために、つい、疎かにしてしまいます。
ウクライナでは、多くの国民が死んでいます。生活も苦しくなっています。実際に、衣食住が壊されているのです。それなのに、ウクライナのインフレ率は26%にもなっています。踏んだり蹴ったりです。どの国でも、国家運営に失敗すれば、ウクライナになるということです。それが、国家運営の不作為から生まれていることに気付いて欲しいです。
日本の国土安全保障、エネルギー安全保障、食料と水の安全保障は。どれをとっても、危険な領域にあります。それは、国が仕事をしていないということです。それは、国家運営を請け負っている皆さんが、自分の利益しか考えていないということです。特に、政治家のお偉い先生方は、選挙のことしか関心がありません。彼等にとって、国民や国民生活は、「俺には関係ねぇ」存在なのです。いや、国民は票を入れてくれる人であり、守るべき対象ではないのです。
国家運営の仕事に就いている人は、どこの国でも高給取りです。インフレになっても、困窮するということはありません。しかも、どこの国でも、彼等は税金で生活しているのです。その税金を払っているのは国民なのに、国家運営に失敗した時は、国民が責任を取り、被害者になるのです。
これは、間違っていると思います。
それは、国民が、平時に、何も言わないからです。お偉い先生方の好き勝手を認めていれば、彼等も人間なんですから、自分の利益だけを考えるようになります。ですから、常に、言うべきことを言わなければならないのです。いや、言わないほうが悪いのです。性善説は、稀に起きることはあっても、それは、たまたま、だと思う必要があります。だって、人間なのですから。
ですから。
「お偉い人達が、何とかしてくれる」なんてことは、幻想に過ぎません。
お偉い人達のほうが、欲の皮は厚くできているのです。

「衣食住」の安全保障は国の責務です。
では、国民の責務は何でしょう。
悪しき潮流を作らないことです。
「いい人」を演じていれば、何とかなる、と思っていませんか。
それは、幻想にすぎません。
人間の心の内なんて誰にも見えませんから、人は、無意識の内に、「いい人」を演じます。でも、自分の心の内は、自分には、見えます。そこには、「いい人」の自分もいれば、「悪い人」の自分もいます。でも、「得をしたいから」或いは「損をしたくないから」は本能ですから、どうしても、「いい人」を演じます。これは、どうしようもないことだと思います。確かに、「いい人」を演じていたら、日常生活は、それなりに回ります。ですから、「いい人」を演じることは役に立つと考えてしまいます。
しかし、私達の生活にあるのは日常だけではありません。非日常が存在しているのです。非日常は危険です。その中でも、特に危険な非日常が潮流です。
一旦潮流が生まれてしまうと、個人の力ではどうすることもできません。「いい人」も「悪い人」も根こそぎ流してしまうのが、潮流です。
今、国力衰退というトレンドが、潮流へと変化しています。
これは、日常の対応では、どうすることもできません。
どれほど「いい人」を演じていても、潮流には敵いません。
つまり、「いい人」を演じているだけでは、立ち行かない場合があるのが現実なのです。
その顕著な例が、第二次世界大戦へと突き進んでいき、戦争という潮流に巻き込まれた日本です。戦前の日本人は、誰もが「いい人」ではなかったのでしょうか。そうではありません。ほとんどの日本人が「いい人」を演じていたのに、生活は根こそぎ壊されたのです。
今、また、同じことが起きようとしています。
それが、国力衰退という潮流です。
潮流の前では、いくら「いい人」を演じていても、何の役にも立ちません。
軋轢が出ることを承知の上で、「いい人」を演じることをやめなければならない時もあるのです。潮流が奔流になる前に、「いい人」を演じることをやめ、身を切る必要があります。その時に必要になるのが目的です。目的があれば、自分との折り合いもつけられます。
ただ、その事は、国民の皆さんが、自ら気付くしかありません。
その時に必要になるのが、言葉の定義なのだと思います。
ほんとに、言葉の定義が確立していれば、と思います。国の責務と国民の責務が明確になっていれば、国民の皆さんも気付くことができていたと思います。
どうして、誰も、そのことに気付かないのでしょう。
それが、文化です。曖昧を良しとする文化です。
あらゆることが、曖昧の中に溶けてしまっているのです。ですから、目的も責務も、何一つ明確なものはなく、「なあ、なあ」「まあ、まあ」で終わってしまいます。
文化の壁は、それほど、恐ろしいほど、巨大な壁になっているのです。
人類史を見ると、過去に、文化が、国を、国民を消滅させたという事例がありますが、この国も、そうなる運命なのでしょうか。
国民の皆さんが気付かない限り、その危険は高いと思います。
こんなことを書いても、変人のヨタ話だとしか思われないのだと思います。確かに、私は変人です。自分でも、そう思います。でも、ヨタ話ではありません。現に、この国は壊れ始めています。それなのに、誰も、解決策を持っていません。
皆さんは、ご自分では気づいていないと思いますが、曖昧温泉に浸かって、「ふむ、ふむ」と言っている人なのです。そんな姿を、一歩引いて、客観的に見れば、きっと、皆さんでも笑ってしまうと思います。温泉の周囲の環境は悪化しています。湯温も下り始めています。
どうするのですか。
いつまで、「ふむ、ふむ」を続けるのですか。
先ず、曖昧という温泉から出ることをお勧めします。もちろん、定義をするという文化が心地よい環境だとは思いません。でも、国民にとっては、少しは良い環境になると思います。


2023-01-03



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群れる蟻 [評論]



岸田総理が、昨年の5月に、アメリカのバイデン大統領が来日した時に「防衛費を、GDP比2%にします」と約束しました。
なぜ、あんな大見得を切ったのか、未だに、私には理解できません。
だって、岸田さんは、「増税はしません」と宣言していたのですから、増税もせずに、この国が、これ以上の歳出増なんて出来る状態ではないことはわかっていたはずです。
確かに、未だに諸国民の信義を信じている一部の人を除き、多くの国民の皆さんは、ウクライナ戦争の報道を見て、「何となく」ではあっても、防衛力の強化が必要なことは認めています。
ただ、防衛力の強化は、言葉だけでは出来ません。
カネが必要なのです。
いや、カネ以上に重要なことがあります。それは、「なぜ、防衛力が必要なのか。誰を守るのか。ほんとに、守れるのか」という問いに対する答がないことです。いや、問い、そのものがありません。
カネも防衛力の必要性も、全て、曖昧の中に埋もれているのです。ですから、私達は、無駄なことに時間を割いているのです。「防衛とは」という定義が必要です。
戦争になれば、莫大な戦費が必要です。平時の予算の3倍は必要だと言われています。
では、仮に、年間300兆円の戦費が、10年必要だとすると、3000兆円のカネが必要になるということです。消費税1%の税収が2兆円だとすると、消費税を150%にしなければなりません。こんなこと、実現不能です。
だから、どこの国も戦争になれば、国債を、戦時国債を、発行するのです。
もちろん、戦時国債は、敗戦国になれば紙屑になりますが、他に手段はありません。
では、日本で、戦時国債が発行できるのでしょうか。
誰が、その国債を買ってくれるのですか。
銀行ですか、保険会社ですか、証券会社ですか、ファンドですか。
どこにも、そんな余力はありません。
これまで、金融機関が国債に投資している原資は国民から預かっている資産です。当たり前のことですが、国民資産以上の資金は、国内にはありません。皆さんの預貯金は、既に、過去の国債購入に使われてしまっています。
もしも、国民資産が2000兆円あって、それが手つかずで残っていたとしたら、7年程度は戦争をすることが可能です。でも、無い袖は振れません。
では、海外の金融機関が買ってくれるのですか。
敗戦国になる可能性がある国の国債を買ってくれる海外金融機関はありません。
それだけではありません。
今回、防衛力強化の議論で出てきたのが継戦能力という言葉です。弾丸が3日分しかない。弾薬保管庫がない。補給路が、補給能力がない。つまり、戦争になれば、日本は3日で無力になるという問題です。
更に、自衛隊員は20万人と言われていますが、戦争になれば死者も出ますし、負傷者も出ます。あっと言う間に数万人が戦線を離脱するのです。それは、ウクライナ戦争を見れば、一目瞭然です。しかし、人員補充ができません。
つまり、日本には、戦争遂行能力が無いのです。
それは、防衛費を、GDP比2%にしても意味がないということです。
そもそも、日本政府に、国民を守る意志はありません。これまでも、今でも、ご主人様であるアメリカが、日本を守ってくれると思っています。
岸田さんがやっているのは、言葉遊びです。政治家の言葉遊びのために、増税されるのです。国民を守るためと言って増税しても、実際には、戦費がない、弾薬がない、兵士がいない。これでは、国民を守ることなんてできません。これは、明らかに、詐欺です。

では、どうすれば、国を守ることが出来るのでしょう。
暫定的に、6つの項目を挙げてみます。
1. 税を納めてくれる国民を豊かにする。
2. 国の目的を作る。
3. 国の責務と国民の責務を明確にする。
4. 国民の国防意識を高める。
5. 財政赤字をゼロにする。
6. 徴兵制度を作る。
これ以外にも必要なことはあると思いますが、気付いた時点で追加します。
6項目、やる気になれば、出来ることばかりです。
ただ、今は、どの項目も手付かずのままです。
このままだと、なし崩しで、空気だけで、何となく、「なあ、なあ」「まあ、まあ」で、戦争に突入することになります。第二次世界大戦の時と同じです。
日本の得意技ですが、どんな結果になるのかは、歴史が示しています。
更に、悪い条件があります。
それは、国が、日々、衰退していることです。
国民が、日々、貧しくなっていることです。
どう見ても、この国は、戦争なんて出来る国ではありません。
それは、今や最大の敵国になった中国の反応を見ても明らかです。もしも、日本の2%が中国にとって死活的に問題なのであれば、歴史問題、反日デモ、経済的ないやがらせ等々、あらゆる手段を使って対応しなければなりません。しかし、猛反対は起きていません。既に、中国にとって、日本は脅威ではないのです。なぜなら、彼等は、緻密な計算をしているのですから、日本が戦争のできる国ではないことを知っているのです。今は、日本から、古き良き技術を奪うことができれば、いいのです。軍事的には、今の日本は、東南アジアの国々と同じ比重しかありません。2%は、井の中の蛙にしか価値が無いのです。

それなのに。
上記の国防の前提を無視したまま、2%が独り歩きをしています。
しかも。
国防費という名の予算獲得競争が起きています。
岸田さんは、「防衛費を2%にするとは言ったが、兵器と兵員を増やすという約束はしていない。防衛関連費だって立派な防衛費だ」と思っているのかもしれません。
この先、国防費という名目で、いろいろな事業が生まれます。
年間5兆円という、真っ新な砂糖の山が突然湧き出したのです。
蟻が、あちらこちらから集まってきています。
しかも、その砂糖の山の財源は、増税と国債です。
こんな美味しい砂糖は、久しぶりです。
利権屋と呼ばれる蟻の手腕の見せ所です。
つまり、岸田政権も、与党も、国民を守るつもりはないということです。
もちろん、野党も、国民を守るつもりはありません。
それは、上記の6つの条件に手を付ける政権も政党も存在しないからです。
将来の国民の負担である国債と今の国民の負担である増税は、蟻の餌になるだけです。
それでも、国民の皆さんは「ぶー、ぶー」と言いながらも税金を納めます。
ほんとに、「いい人」です。いや、「いい人」もここまでやると「馬鹿」でしかないと思います。国民を守ろうとしない国に、なぜ、国民が貢ぐのですか。ホストに貢ぐオバサンと同じです。これは馬鹿のすることです。だって、日本は戦費が無くて、戦えないのです。戦っても、自衛隊員は無駄死にするだけです。
先月も書きましたが、国防費は、国民が負担するのが筋です。しかし、それは、前提条件が、上記の6つの条件が、満たされなければなりません。今のままで税を負担すれば、それは、皆さんのカネをドブに捨てるようなものです。
多分、国民の皆さんは、そんなことには気付かずに、不満はあっても、大人の対応をして、最終的には「ふむ、ふむ」と頷くのでしょう。
何と言っても、「お上」のお達しですから、「下々」を自認する皆さんは従うしかありません。それが、日本流の民主主義風王政並立封建制度の正しいあり方ですから。
先月、防衛力強化という課題は、総論賛成、各論反対に動くと書きましたが、増税に対する反発は、その空気は、既に、生まれています。左翼の皆さんが、指を咥えて見ているとは思えませんので、予測通りの展開だと思いますが、岸田総理は、また、口先で、増税を正当化しようとして、火に油を注ぎました。明石市の市長がツイートで、「岸田さん、もう、決断しなくてもいいですから・・・」と書いていたそうですが、岸田さんは決断をやめるべきなのかもしれません。「決断しない総理」が岸田さんに相応しい称号なのかもしれません。
先程も書きましたが、国防費は、本来は国民生活を守るための費用ですから、国民が負担するのが筋です。ところが、総理は、先程挙げた6つの要件を曖昧にしたまま、「今を生きる国民の責任として、増税の重みを背負ってください」と語りました。岸田さんの言っていることは間違っていません。しかし、国は何もしないけど、前提条件は無視するけど、予算は有難く使うけど、国民の皆さんを守ることは出来ないけど、国民は増税に耐える責務がある、と言っていることになります。これでは、国民の同意は得られません。流石にまずいと思ったのか、原稿に書かれていた「国民の責任」という言葉を、実際には「我々の責任」と言ったと修正しました。でも、これは言葉の問題ではありません。行動の問題だと思います。
国民の皆さんは、漠然としたものではありますが、6つの要件をおぼろげに知っているのです。それも、皆さんの不安感の原因の1つです。確かに、「いい人」ばかりの国民ですが、流石に、これは、「ふむ、ふむ」とは言えません。「ふむ、ふむ」とは言いませんが、税金は払います。それが「下々」の責務ですから。
「国とは、国民とは、民主主義とは」という言葉の定義が確立していれば、こんなことにはならなかったと思います。
もちろん、言葉の定義が確立していたとしても、強かな蟻は、定義をかいくぐって砂糖を食べに来ますが、それでも、今よりは大きく改善されると思います。
先ずは、言葉の定義から始めることです。
それが、国防の基礎です。
言葉の定義が確立すれば、国力衰退も止められるかもしれません。


2023-01-02



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無知は大罪 [評論]



昨年の後半から体調を崩し、これまでのように書くことが難しくなってきました。
歳ですから仕方ありません。
もしも、更新が途絶えたら、「「ついに、くたばったか」と思ってください。
もう、この国は壊れ始めています。時間がありません。
全く、役には立っていませんが、「子供達の未来を守りたい」と願っています。

昨年の7月、経常収支の季節調整値が赤字になったそうです。
貿易収支ではありません。経常収支です。貿易収支は、ずっと赤字です。
これは、8年ぶりだそうです。
コロナ、ウクライナ、資源高騰、天候不順、円安等々の異常事態によるものであることは否定できませんが、では、今年からは、元に戻るのでしょうか。
そうはならないと思います。インフレに関しては、今年が本番になると言われています。
戻って欲しいとは思いますが、簡単なことではありません。それに、新しい異常事態と呼ばれるようなことは、常に起きるからです。それは、コロナ、ウクライナ、資源高騰が予測されていなかったことを見れば、予測されていた天候不順、円安に対して対応できなかったことを見れば、一目瞭然です。
つまり、今は、異常事態くらいでは、びくともしないほどの国の体力が必要とされている時代なのだと思います。
日々、体力が衰えている日本にとっては、厳しい時代です。
では、体力がないと何が起きるのでしょう。
いろいろな不具合が起きますが、これまでも、何度も言及しましたが、致命傷になるのが、円安です。
どんどん、衰退が可視化されてきたこの国に、投資をしようとする人はいません。
投資する価値のない国の通貨は、誰も相手にしてくれません。
海外でも、日本の経常収支の赤字は報道されています。
日本にとって、最後の砦であった経常収支が赤字転落したことで、中国の報道では、日本が、2023年にリセッションに入るとしています。確かに、円相場は、経常収支の黒字で維持されていた側面が大きいのですから、中国の報道が的中する可能性はあります。
一時的に150円まで円安になりましたが、あれは、日米の金利差による円安という側面が強かったからで、まだ、国力衰退は織り込まれていません。
私が心配している円安は、1ドルが、1,000円とか、10,000円という円安です。
いや、国際通貨としての価値を無くす日が来ることを心配しています。
タイのバーツ、リトアニアのリタス、トルコのリラ、チリのペソ、エチオピアのブルと同じ扱いの通貨になるのです。
「円安なんて、俺には関係ねぇ」と言う方もいると思います。
それは、勘違いです。
1ドル1000円になれば、電気代は今の10倍になります。もちろん、電気代だけではありません。生活費が、今の10倍必要になるのです。もしも、月額20万円で生活している人がいて、物価の高騰に連動させて、月収を200万円に高騰させることが可能なのでしょうか。いや、もっと、分かり易く言えば、20万円で生活をしていた家族に、明日から、「2万円で生活しろ」と言うことと同じです。
不可能です。
ただ、円安は、明日、突然、1000円になるわけではありません。ですから、多少の時間的な余裕はあります。多分、半年とか1年は、1000円にはなりません。それでも、300円でも、500円でも、耐えられないと思います。
そんな円安トレンドが、いつから始まるのか、誰も知りません。私にも、わかりません。
それでも、このままであれば、その日は、必ず、やってきます。素人の私でも、その程度のことは、保証できます。もちろん、私が保証したって、何の役にも立ちませんが。
しかし、この国では、そんな議論がありません。
かなりの数の人が、その事を知っているのに、誰も議論しません。
一致協力して、大人の対応をしています。
これで、いいのですか。
では。
なぜ、議論すらしないのでしょう。
その答は簡単です。
それは、誰一人、解決策を持っていないからです。解決の目途も立たずに議論すれば、責任論が出てしまうから、議論できないのです。
1ドル1000円の時代が来ることが予見できる人は、原因が「国力衰退」にあることを知っています。しかし、余りにも課題が大きすぎて、糸口さえ見つけられません。だから、議論ができないのです。
立憲民主党は「さあ、政権交代だ」と騒いでいます。
政権を交代して、どうするのですか。
立憲民主党の皆さんは、この国の「国力衰退」を、どうやって止めるのですか。いや、「国力衰退」という原因にさえ気付いていないのではありませんか。もし、原因を知っていれば、国会で、「政治とカネ」の議論ばかりしているのは、なぜ、なのですか。
もしも、立憲民主党の皆さんが、ほんとに、国民に対して責任を持っているのであれば、本物の議論をしなければなりません。口では、国民とか、国民生活という言葉を使いますが、何もしないのですから、選挙のためだとしか思えません。
社会党全盛時代もそうでしたが、国会で、何十年も「政治とカネ」の話しかしないのは、野党の皆さんも、国民生活を守るという行動をしていないということです。国民生活を守るためには、「国力衰退」を止めるしかないのです。野党の皆さんは、そんな行動をしているのですか。重箱の隅の、その又、隅をほじくり返して「政治とカネ」の話をして、国民にどんな利益があるのですか。「生活に苦しむ人が大勢いる」と言うのであれば、その原因と解決策を見つけてください。それが、国民生活を守るという言葉の意味です。
野党の支持率が低迷しているのは、課題を把握していないだけではなく、選挙対策しかしていないところに原因があるのです。
もちろん、自民党を擁護するつもりは、さらさら、ありません。
ひどいものです。
防衛費増強予算に蟻が群がっているのを見ても、自民党に国民生活を守る意志は、全く、ありません。国土も、国民も、国民生活も、守るつもりはないのです。
増税と社会保険料増額の議論だけは、熱心です。
国民の皆さんは、これでいいのですか。
給料は上がらない、負担は増え、物価も上がる。
どうして、「俺には関係ねぇ」なんて言えるのでしょう。
「下々」は、耐えればいいのですか。
ドツボに嵌るのは、皆さんなんですよ。
それなのに、国民の皆さんの基本姿勢は、「俺には関係ねぇ」「ふむ、ふむ」です。
これ、違うと思います。逃げている場合ではないと思います。なぜなら、逃げ切れないからです。主権者として、課題と向き合うという選択肢しかないと思います。
知らないとは思いますが、皆さんには「子供達の未来を守る」という責務があります。例外はありません。国民の皆さん、全員に責務があるのです。
国民の皆さんは、本物の議論をしない政治家と同じです。
何もしない政治家に罪があるのは間違いありませんが、そんな政治家を野放しにしている国民の皆さんの罪は、もっと重いと思います。この国の主権者は皆さんです。国家運営の仕事を政治家に外注していますが、責任者は、あくまでも、国民の皆さんなのです。
どこの国でも同じですが、国民意識を越えるような政治は、存在しません。
国民が無責任であれば、政治も無責任になるのです。
この国が衰退しているのは、政治家が悪いのではありません。いや、政治家だけが悪いのではありません。国民の皆さんが。輪をかけて悪いのです。ですから、国が崩壊すれば、国民が責任を取るのです。これ、人間社会の基本ルールです。
国民の皆さん、全員に、責任があるのです。ですから、国民の皆さんが乗り越えるしかないのです。
どうして、こんな簡単なことが無視されるのか、ほんとに、不思議です。
言葉の定義をしないから、「なあ、なあ」「まあ、まあ」で済ませるから、袋小路に追い詰められて右往左往することになるのです。
無知は怖いです。
皆さんは、人間社会の基本ルールも、自分の責務も知らないのだと思います。
知っているのに知らんぷりをするほど根性曲がっているとは思えません。だって、基本、皆さんは「いい人」なのですから。
皆さんは、ただ、ただ、無知なだけなのだと思います。
もちろん、無知だったら、お目こぼしがあるなんてことはありません。
無知は、重罪です。
相応の償いはしてもらわねばなりません。
無期懲役か死罪の二択です。
今日の食い物を手に入れるために全ての時間を当てる生活をしてください。もちろん、手に入らない日もあると思います。次の日は、今日よりも頑張ってください。それでも手に入らない時は、次の次の日に、何とかしてください。最低でも水と、煮沸する薪だけは確保してください、1週間くらいは、水だけで生きていけます。それでも、手に入らない時は、諦めてください。なに、死ねば終わります。それが、皆さんの償いの方法です。北朝鮮では、一生、満足できる食事をすることなく死ぬ人が大勢いると思います。皆さんは、どうして、北朝鮮のようになりたいのか、不思議でなりません。
無知は大罪だと思います。


2023-01-01



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