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時代の落とし子 [評論]



ホテル「東急イン」に対する受信料裁判で、NHKが勝訴しました。
他の裁判でも、なぜか、NHKが勝訴し続けています。中には、NHK側に明らかな瑕疵があり、敗訴した事例はありましたが、それは稀なケースだと思います。
私には、実に、不思議な現象に見えますが、長いものには巻かれたほうがいいのでしょうか。多分、ほとんどの国民は、惰性で、長いものに巻かれています。
先月、時代について書きました。このNHK問題も時代の落とし子だと思います。
放送法が成立した時の時代と今の時代は隔世の感があります。
昔は、ラジオ受信機でさえ、津々浦々にあったわけではなく、テレビ放送が始まったころは、テレビ受信機を持っている家庭は特別の家庭でした。これは、たとえ話ですが、庄屋様の家によそ行きの服を着てテレビ鑑賞に出かけるようなイベントが、テレビ鑑賞だったと思います。一般家庭にとって、テレビを買った、カラーテレビを買った、というのも大きな出来事でした。ですから、テレビを買えば受信料を支払うことは、ごく自然な成り行きだったと思います。当時、放送法の存在など、国民は知りませんでした。契約や契約書についても、庶民は知識を持っていませんでしたので、NHKのやりたい放題だったと思います。「契約」という概念すら一般的ではありませんでした。「受信機を持っていたら、契約をしなければならない、と法で定められています」と言われ、NHKが差し出す書類にサインする。その契約書の中に、受信料の支払い義務が書かれているのです。庶民には、契約書を交わしているという意識は、ありませんでした。しかし、現実には、その書類が契約書であり、法的に効力を持つことになるのです。これでは、庶民の無知につけこみ、法解釈を自分の都合に合わせ、金銭をだまし取る悪徳商法と何ら変わりません。そうやって、NHKは肥大化していき、その肥大化した所帯を支えるために、受信料の値上げや受信契約獲得に力を入れ、裁判まで起こすことになったのです。これは、既得権益を守ることに全力投球をしていると言っても過言ではありません。既得権益を守るために、時代を無視しているのです。
一方、司法は常に判例主義を第一義にしています。
一貫性という観点からは判例主義には価値があるかもしれません。しかし、司法に対する信頼感が薄れているのは現実です。司法が国民の信頼を失えば、国そのものの存続が危険に晒されます。時代により環境が違うのですから、国民の意識も変化しています。それを、過去の判例で国民を押し込めることには、無理があります。そんな時代感覚から裁判員裁判は発足したのでしょうが、それが見せかけの変革であることは、国民の目にも見えるようになってきました。裁判員裁判は地方裁判所だけに採用されている方式です。「なあに、高裁で過去の判例に戻せばいいだけのことだ」と司法関係者は高をくくっていたのでしょう。つまり、変革は変革ではなく、騙しに過ぎなかったのです。司法も、時代を無視しているのです。
過去の判例に沿えば、NHKを敗訴させるわけにはいきません。もしも、国民意識を前提として、公平な裁きをすれば、NHKが敗訴する可能性は増えます。それは、過去の価値観にしがみ付いている司法の否定にもなります。
司法も、行政も、立法も、過去の価値観に支配されていて、これで、明日の日本が生まれるのでしょうか。日本中に満ちている閉塞感の元凶は、ここにあるのではないでしょうか。つまり、国民が「お先真っ暗」と感じている現状は、私達自身が、過去に縛られていることによるものだと思われてなりません。
現実的な矛盾を見てみましょう。
放送法成立時点の社会で、年金に頼って生活している老人の数は何人だったでしょう。今は、4人に1人は年金生活者です。私が年金生活者の代表ではありませんが、私の年金は年間100万円です。生活にゆとりはありません。そんな老人が、年収1,200万円のNHK職員を支える妥当性があるのでしょうか。2,000万人も存在する非正規労働者の年収が、200万だとすると、彼等が高給取りのNHK職員を支える理由も見当たりません。もちろん、私の年金を1,200万円にしてくれたら、NHKの受信料は支払うかもしれません。NHKは観ませんから、無駄な費用ですが、1,200万円の収入があれば、「おつきあい」として支払ってもいいです。接待交際費だと思えばいいのです。
民法にある「契約」と放送法にある「契約」が、別のものになっています。ダブルスタンダードを司法が容認しているのです。お金が動けば商取引です。NHKの受信料は、税金のような特別のものではありません。ただ、特殊な契約なのですから、契約書のサインの有無の前に、契約書が契約書としての要件を満たしているのかを裁かねばなりません。
その最大の差は、NHKとの契約には選択肢がないことです。一方的な契約内容に同意することが、放送法での「契約」です。そんな「契約」は民法では存在しません。例えば、アパートの賃貸契約でも、契約期限や解約の条文があります。最近では、敷金の返還も義務付けられました。それなのに、簡単に目を通しただけですが、受信契約書に書かれているのは、NHKの都合ばかりです。これが、対等な契約書として存在していることのほうが異常だと思います。これは、いつものように「なあなあ」「まあまあ」で時間が経過したに過ぎません。私は、いつも、この国は封建制度のままだと書きますが、それは、対等という意識の欠如が当たり前に存在している社会だからです。
70前にはBS放送もCS放送もありませんでした。スクランブル技術も実用化されていませんでした。しかし、今は当たり前のように有料放送が存在しています。スポーツ観戦が希望の人、ドラマや映画を鑑賞したい人、アニメを観たい人。お金さえ出せば、自分の好きなものが観れる時代なのです。観たくもない映像を流しておいて、料金を支払え、というやり方は時代に合いません。これは、今では送り付け詐欺と呼ばれるやり方です。
仮に、1年間、風呂に入らなかったとしましょう。「垢」は溜まります。「臭い」も強烈です。これは、人間にだけ起きることなのでしょうか。明治維新から150年。この国にも「垢」は溜まっているのではありませんか。風呂に入るべきだと思います。
私の考えが古いのかもしれませんが、未だに、デジタル化の意味がわかりません。アナログ時代の放送とデジタル時代の放送の差異も実感できません。ネット回線を接続しろよ、と言われるかもしれませんが、回線を接続すれば、どんなメリットがあるのか、よくわかりません。そんな老人は多いと思います。デジタル化に際してB-CASカードを推進したのはNHKだけだと言われています。受信料を求めていない民放各社は、B-CASカードにメリットはありません。B-CASカードを付けても、付けなくても、民放には関係なかったので、NHKの主張を認めたのです。つまり、民放はNHKの既得権益を守る姿勢に負けたのです。それは、視聴者である国民よりも、同業者であるNHKの利益を優先させたということです。昨今、テレビ局の経営が苦しくなっていると言われていますが、国民に向き合うという姿勢を無くした放送から国民が離反するのは必然的な結果なのではないでしょうか。

今、最高裁でNHKの案件が審理されています。
NHKは高裁で勝訴したにもかかわらず、この案件を最高裁に上訴したのです。法務大臣も動員して、NHKは勝つつもりです。法務大臣が意見陳述するのは、戦後2例目だということですが、どれほどの裏金が動いたかはわかりません。裁判に勝てるのであれば、政府に100億、最高裁に150億(判事一人当たり10億円)払っても、元はとれます。
NHKの要求は「NHKが契約締結を申し入れてから2週間経ったら契約が成立する」という判決です。何という傲慢なのでしょう。一方的な契約であっても、契約さえ締結してしまえば、受信料を取れるという確信があるのです。
憲法違反かどうかが争われていますが、憲法違反以前に、法の精神に合致しているのかどうかを審理すべきだと思います。税金には強制力がありますが、契約の締結に強制力を持たせるのは、違法です。以前にも、国営放送にすれば、こんな無茶をしなくても済むのに、彼等がそれをしないのは、年収の半減を許容できないからだと書きました。NHK職員の平均年収は、1,200万円ですが、公務員の年収は600万円です。一般国民の年収の3倍も4倍も貰っているNHK職員は、600万円になるだけでも許せないのです。もちろん、国もNHKを国営放送にするつもりはありません。国営放送にして、税金で運営するためには増税が必要になります。そんなことをすれば、選挙で勝てません。両社の利害は一致しています。
もしも、最高裁がNHKの要求に屈したら、この国は、中国やロシアや北朝鮮レベルの国になってしまいます。国民の福利のためという建前ですが、これでは法治国家ではなくなってしまいます。
国家権力が牙をむきだした事象の一つだと思います。利権のためであれば、国家権力を使うという、ならず者国家になるのです。たかが、NHK問題ですが、それだけでは終わりません。こういう動きは広がっていきます。気が付けば、国民は身動きのできない状態に押し込まれていたということになるのです。
これは、たまり続けた「垢」による弊害です。
時代は動いています。時代は変わっています。それだけではありません。その変化のスピードは、今後、ますます加速されます。
もう、革命でしか国民を納得させられる方法はなくなってきています。革命には、痛みも伴います。だったら、明日の日本のために、明日の国民のために、時代に合わせた変革をやるしかないのではないでしょうか。
やはり、風呂に入りましょう。
既得権益死守や現状維持は限界に来ています。それは、今では「垢」になっています。風呂に入って、「垢」を落とし、明日を築く時なのではありませんか。



中学校の学習指導要領に銃剣道が記載されるという話があります。
銃剣道。
「なに、それ」と思われる方もいるでしょう。
銃剣術とは、戦場で弾薬が尽きたら、小銃の先に短剣を装着し、敵との白兵戦で、敵を刺し殺して勝つという目的で生まれた戦闘術です。ナポレオンの時代に誕生したと言われています。
この学習指導要領は2020年以降になるようですが、議論が起きています。
私も驚きました。
時代が、昭和20年以前に戻ってしまったのではないかと錯覚しそうです。
モノクロ映像で、校庭で銃剣術の訓練をしている子供達の姿を見ることがありますが、カラー映像でも、現在の中学生達の銃剣道の練習をする映像が、普通に放送される日がやってくるのでしょうか。
何か、変じゃないですか。
私は、左翼でも右翼でもありません。ただの国民です。でも、国が右傾化してくると、普通の国民でさえ左翼に見えてしまうのではないかと心配しています。
大臣が教育勅語を褒め称え、教育勅語を学校で教えても良いという閣議決定をし、子供達に銃剣道を教えようとし、この国は、まさに、「日本会議」大活躍の状態になっています。
変です。
でも、国民は、変だとは思っていないようです。
北朝鮮の脅威が宣伝されて、右翼は押せ押せモードになっています。
軍事力は不可欠ですが、それは、銃剣道などではありません。
「・・道」という言葉。この「道」を付けると、近代スポーツに生まれ変わるという錯覚を多くの方が持っています。
柔道も剣道も銃剣道も、かつては、柔術であり剣術であり銃剣術でした。そして、それは、全て、戦争で人殺しをするための技だったのです。
柔術や剣術は、古くからありました。伝統という観点だけに着目すれば、人殺しの技術がスポーツになることはありうると思います。それは、時間には技術を変える力があるからだと思います。でも、銃剣術は明治以降に輸入した技術です。「・・道」という言葉に変えても、まだ、生々しさは残ってしまいます。ほんの70年前に、アメリカ兵を殺すために訓練していた殺人技術なのです。
では、政府は、なぜ、こんなことをしようとしているのか。
天皇国に戻りたい、という一念から、無理を通そうとしているのです。
彼等にとっての雛形は、天皇制度と大日本帝国陸軍ですが、これは、時代錯誤です。
以前に、天皇陛下の生前退位を希望する放送について書いたときに、あの発言は、天皇の抵抗だと書きました。私の意見は少数意見で、いや、多分、私一人だけの意見だったようで、驚きました。しかし、私は、今でも、あれは政府に対する天皇の反抗だったと思っています。天皇は、「日本会議」の空気を感じていたのだと思います。
「日本会議」は天皇国を実現したいと考えていますが、天皇自身は、天皇国なんて「とんでもない」と考えているのではないでしょうか。二度と「天皇陛下、万歳」と叫んで死んで行く兵士を作りたくない、それが昭和天皇の悲願だったから、と書きました。本来、政治的発言を禁じられている立場の天皇が、私事を理由に政治的な発言をし、国民に、「日本会議」による不穏な空気を察してもらいたいと願ったのではないかと思っています。
天皇国も時代錯誤ですが、教育勅語も銃剣術も時代に合っていません。
神社の利益を最大限にするために、権力を利用する人達は、やはり、魑魅魍魎族の一員なのでしょう。既に、政府は、半分、乗っ取られていますが、国民は抵抗しなくてはなりません。
終戦間際の日本で、女性や子供に銃剣術を教え、残念ながら銃も短剣も在庫がないから、竹槍を使い、米兵に抵抗しようとしたのです。今では、笑い話ですが、当時は、真剣に練習していたと言われています。一億玉砕などという発想は、今では、ありえません。
自衛隊では、今でも銃剣術を教えているそうですが、自衛隊はどんな戦争を想定しているのでしょう。こんな軍隊で、この国を守れるのでしょうか。多分、精神力を鍛えるためだと言うのでしょう。今の時代、精神力で戦争はできません。自衛隊が、銃剣術を使って戦う状態は、明らかに負け戦です。自衛隊は、また、無駄な犠牲を生み出す愚行を繰り返すつもりなのでしょうか。「二度とこのようなことは・・・・」には、二度目も三度目もあるのが常識なのですから、大変危険です。
銃剣道人口は、自衛隊員に限定されているそうです。中学校でも銃剣道を教え、精神を鍛え、天皇の臣民に育てようとすることが目的のようにみえます。まるで、大日本帝国陸軍の亡霊が舞い戻ってきたような状況です。
「日本会議」が活躍し始めてから、時計の逆回しが起きています。
これも、時代の落とし子なのかもしれません。
今の安倍政権が誕生した時、まだ、世界は右傾化していませんでした。世界は、安倍総理を右翼だとして警戒し、オバマも笑顔を見せませんでした。安倍さんが、ケネディ駐日大使を篭絡した結果、アメリカとの関係は修復されましたが、世界は安倍を右翼政治家だと判断していたのです。世界の諜報力は、流石に、優秀です。日本国民は、安倍さんが右翼政治家だと知りませんでした。もっとも、今は、右翼政治家が時代の先端を行っているようですから、安倍さんは先駆者なのかもしれません。ただ、個人的には「天皇陛下、万歳」は勘弁してもらいたいと思っています。なぜなら、そうなれば、国民はまた虫けらになってしまうからです。人間でいたいという願いは、贅沢なのでしょうか。


共謀罪と呼ばれている組織犯罪処罰法が国会で議論されていますが、どのようにでも運営できる法律に、野党は大反対をしています。確かに、日本が得意とする曖昧法制のように見えます。ここに、「日本会議」の息がかかっているとすると、特高警察の復活が目的かもしれません。今の野党の力では廃案にするのは難しく、「日本会議」の独壇場です。
NHK問題も、「日本会議」問題も、どんどん国民の安寧から離れて行くようです。
その根底にあるのは、特定の集団の「欲」です。
ほんとに、「欲」は怖いです。
しかし、これが、現実です。


2017-05-01



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