SSブログ

情報収集と分析 [評論]



東京都議選で自民党が大敗しました。
57議席が23議席になったのですから、6割減です。
自民党にとっては、かつて、民主党が政権を取った時の悪夢が、再現したと言っても過言ではありません。これは、後遺症として残ります。
菅官房長官も、流石に、今回は「たかが、地方選挙」という言い訳はできませんでした。
公明党の山口代表だけが、「たかが、地方選挙」という言い方をしていましたが、これは東京都政で自民党との連立を解消した罪滅ぼしの発言でしかないと思います。公明党にとって、東京都議選は、国政選挙クラスの重要選挙だと言われています。公明党は都議選で負けるわけにはいかなかったのです。その理屈は、私にはわかりません。不思議です。
東京都の公明党は、かなり早い時期に自民党との連立を解消しました。公明党の選挙参謀が優秀だったということなのでしょう。自民党は、公明党の動きに気付かずに、何の反応もできませんでした。国政での連立があるのだから、大丈夫だと思い込んでいたのでしょうか。もし、そうであれば、お粗末としか思えません。
落選した自民党都議は、「小池旋風よりも、公明党が痛かった」と語っていました。自民党は、創価学会票という下駄をはいた選挙をしてきたことを忘れていたのです。国政でも、自民党は、創価学会票という下駄を再確認することになります。ほんとに、宗教団体は強い。公明党は、イスラム教徒によるテロを否定すると思いますが、創価学会の信徒も、右向け右と言えば、全員が右を向きます。私には、大きな差はないように見えます。民主主義の対極にありますが、信教の自由は、民主主義では認められます。民主主義も、なかなか、辛いことがあります。できれば、信仰は、もう少し純粋であって欲しいと思いますが、宗教が権力と結託することは、太古の昔からの、世界規模での歴史なのですから、致し方ありません。これも、現実です。ですから、選挙に関しては、公明党の力は最強です。まあ、公明党の価値は、そこにしかありませんが、それも大きな価値です。これで、憲法改正も、少し難易度が上がったと思います。
ここまで、言葉による騙しが有効に効いていましたが、国民は、そのことに薄々気付き始めたのかもしれません。これで、得意の言葉騙しが通用しなくなる流れが生まれてしまう可能性があります。安倍総理は「真摯に反省して・・・・」と言っていますが、その会見が終了した足で、東京でも最高級といわれるフレンチレストランに行き、ワインを味わっていたのでは反省しているようにはみえません。恐怖は感じているかもしれませんが、反省はしていないと思います。国民は、白けています。軽々しい言葉と、虚言と、空気が支配するこの国の国民は、どうすれば、幸せになれるのでしょうか。
私は、森友問題で安倍政権打倒は難しいと書きました。しかし、いつものように、不幸は不幸を呼ぶという現象が起きています。加計学園、大臣発言、総理発言と目白押しです。どれも、無責任な言葉の洪水状態です。そのせいで、安倍政権の支持率は急降下しました。でも、政党支持率を見てみると、無党派層は増えましたが、自民党支持率はそれほど減っていません。自民党の支持率は30%あります。他の政党は、どこも、一桁の支持率しかありません。とても、自民党政治にストップをかけられるような状況ではありません。
実体の伴わない政治。この流れを大きくするものがあるとすれば、海外要因になると思います。アメリカの横車が押し寄せれば、更に、空しい言葉が溢れることになります。トランプ政権はハチャメチャ度を増幅させていますので、何としても「実績」が欲しいでしょう。G20でも、孤立というより、浮いているという表現が似合いそうでした。「G20の作業部会の所在なさげなトランプ氏」という写真が報道されていましたが、ポツンと一人で立っている姿がとても象徴的で、気の毒になりました。かなりの重症です。もう、事実上の「村八分」状態です。最後の写真撮影では、左端から2番目に並んでいました。中央の主催国のメルケルさんの隣に習近平さん、その隣にプーチンさんという並び方です。どうも、メルケルさんは、きつい人のようです。過去に、アメリカ大統領が中央から外れたことはなかったように思います。トランプ政権では、内政問題の解決も、進んでいません。そのことで、共和党が時間的な要因でデッドロックする可能性もあります。内政も外交も、次々と、トランプ自身が問題を作り出しているのですから、共和党も苦労します。トランプを他の誰かに変えれば、問題が片付く状態は、アメリカの不幸です。そんな中で、中国と全面対決するだけの体制は、まだありませんし、欧州は反旗を翻していますから、安易度から言えば、韓国、日本、カナダ、メキシコが候補になります。韓国が一番料理しやすいとは思いますが、北朝鮮が絡んできますから、北朝鮮が絡んでくるということは、中国やロシアも絡んできますから、面倒です。カナダもメキシコも、表面上は強気を維持していますから、消去法で選べば、日本に矛先を向けることが最善の策になります。トランプが、なりふり構わずに、成果を求めた場合、安倍さんは対応できるのでしょうか。自分から「わん、わん」とポチになった経緯がありますので、難しいのではないかと心配しています。

自民党が都議選で大敗した翌日、北朝鮮のミサイルが、日本の排他的経済水域に落下しました。北朝鮮は、都議選で自民党が大敗したことを祝って祝砲を打ったわけではなく、アメリカの独立記念日への贈り物と、G20へのメッセージとして発射したようです。成果があったかどうかは不明ですが、G20の共同声明では北朝鮮問題は取り上げられませんでした。北朝鮮とアメリカのチキンゲームは、どうやら、北朝鮮の勝利で終わるようです。後で振り返ってみれば、これも時代の曲がり角の出来事になるのでしょう。
ミサイルは9時39分に発射され、40分間飛んだそうです。アメリカも、ミサイルがICBMだと発表しました。ワシントンに届くミサイルが開発されるのも時間の問題だとされ、それも、近い将来、実現するだろうと言われています。もしも、北朝鮮が頑張って100発のミサイルを製造し、全弾、ワシントンに向けて発射したとして、アメリカは防衛できるのでしょうか。「窮鼠猫を噛む」という事態は、起こり得ます。仮に、半分のミサイルを打ち落としたとして、残りの50発がワシントンで爆発し、その中に、原子爆弾が含まれていたとすると、ワシントンは壊滅します。もちろん、アメリカは、即座に、報復をするでしょう。北朝鮮には、ミサイル防衛システムが存在していないと思いますので、アメリカのICBMは、全弾、標的を破壊するものと思います。それで、北朝鮮は白旗を挙げるのでしょうか。多分、そうはならないと思います。ミサイルとロケット弾が韓国に降り注ぎます。休戦ラインを越えて、陸上部隊も韓国になだれ込みます。心配なのは、北朝鮮軍が飢えているということです。食料補給が現地調達だとすると、これほど強い軍隊はありません。
過去のシミュレーションでは、在韓米軍に5万人の、韓国軍に50万人の犠牲者が出るとされています。民間人の犠牲者は、数百万人になる可能性があります。在日米軍の駐屯地に向けてもミサイルは発射されます。ついでに、東京にもミサイルが飛んでくるでしょう。その時の犠牲者は、400万人という予測もあるようです。
窮鼠が猫を噛む事態は防ぎようがありません。過去に、窮鼠状態だった日本が真珠湾攻撃をしたのと同じです。経済制裁で追いつめられている北朝鮮が、日本と同じことをしないという保証はありません。北朝鮮は、今、紛れもなく、窮鼠です。アメリカは、その窮鼠を更に追いつめようとしています。
アメリカは、北朝鮮のミサイルの射程距離が進化したことで、尻に火がついて焦っていますが、日本はどうするのでしょう。
防衛省がミサイル発射の第一報を発表したのが12分後の9時51分。ミサイルがノドンであれば、既に着弾した後です。菅官房長官が記者会見をしたのが、10時30分。その時点では着弾地点もミサイルの種類も判明していません。自治体は、この体制で、どうやって、住民を守るのでしょう。
いつものように「情報収集と分析を」と発表しましたが、着弾から10分後に、情報収集と分析をしていて、どうやって、国民を守るのでしょう。実際には、詳細が判明していて、軍事情報の保秘のために発表しなかったのであれば、いいのですが、優秀な菅官房長官の表情からは何もわかりませんでした。もしかすると、ミサイル発射の情報も、アメリカの監視システムから貰ったものかもしれません。本来であれば、着弾地点の延長線上にある、秋田県や北海道に、着弾前に、避難情報を出さなければならなかったのではないかと思います。このままでは、全国一斉の警報を出しておいて、政府は責任を果たしましたというアリバイ作りになってしまいそうです。これは、責任逃れの言葉遊びです。頻繁に警報が出て、ミサイルが落ちてこなければ、誰も避難しようとは思わなくなります。
安倍総理は、大臣の不祥事があると、稲田大臣の辞任の時も、「任命責任は私にあります」と堂々と言いますが、「責任を取る」とは言いません。ただ、「真摯に反省します」という常套句を、「反省しています」という顔で言うだけです。「責任」という言葉を、無害な言葉に変えてしまいました。
このような、実質的な行動の伴わない言葉が溢れています。もっとも、これは、今に始まったことではありませんので、「まあ、まあ」で決着するのでしょう。
でも、それでいいのでしょうか。
本気で、安全保障を考えるべきなのではありませんか。
実際に、有事が発生したら、政府は「想定外」で済ませばいいのですが、国民はたまったものではありません。
戦争は、相撲のように「よーい、はっけよい」で始まるとは限りません。先制攻撃を防ぐことはできません。ですから、国民に犠牲者が出ることは、防げません。そのことは、国民に伝えるべきです。一人の犠牲者も出さないような言い方は卑怯です。犠牲者は、必ず、出ます。その上で、被害を拡大させない行動を取ることが政府の責務です。「情報収集と分析」という定型発表は、何の意味もありません。国民は「情報収集と分析」という言葉で安心しているのかもしれませんが、「お上」は国民のために対応してくれていると思い込んでいるのかもしれませんが、ほんとに、そうなのでしょうか。毎回、毎回、判で押したように「情報収集」を口にしているのは、マニュアルによる発表なのではありませんか。
なし崩しで防衛力の強化をするのではなく、憲法改正をする前に、国防ビジョンを示し、国民投票をしてみては、どうでしょう。国民は、賛成してくれると思います。そうすれば、9条に自衛隊の文字を追加するような姑息なことをしなくても済みます。

東京都知事選挙で小池氏が勝った時も書きましたが、選択肢さえあれば、都民は自民党に「ノー」と言うだけの判断力を持っています。今回も、都民は、自民党東京都議団に「ノー」と言っただけではなく、自民党と安倍政権に「ノー」と言ったのです。都民は、森友や加計問題で自民党を見限ったのではありません。言葉で逃げようとした自民党の対応に、不安を持ったから、自民党に投票しなかったのです。ただ、これも、空気によるものです。理詰めで都民ファーストに投票したわけではありません。だって、定義がないのですから、理詰めをする原点がありません。空気に動かされた付和雷同状態に過ぎないのです。
「お上」が言葉騙しで何とかなっていた時代は終わっているのです。もちろん、国民はそのことに気付いていませんから、また、騙される状態に戻るのでしょう。国も国民も、時代に追い付いていませんから、「なあ、なあ」「まあ、まあ」で時代遅れの安全地帯に戻り、安堵することになります。
国民は、漠然と、何となく、そのことに気付いているのかもしれませんが、原因が把握できていないのですから、また、空気で動きます。
それでも、選択肢さえあれば、いつでも、自民党は政権を失います。
それを証明したのが、前回の都知事選挙であり、今回の東京都議選です。
どうして、野党の政治家はそのことに気が付かないのでしょう。
専門的な情報収集や分析は必要ありません。金と票にしか関心がなく、感性と想像力を失ってしまった政治家は、直感も無くしてしまったのでしょうか。直感があれば、何をすればいいのか、簡単にわかるはずです。そうです、民進党ではなく、共産党でもなく、国民目線の第二自民党を作ればいいのです。業界団体の利益優先ではなく、一般国民の目線で政治が出来る集団を作ればいいのです。金がなければ選挙は戦えないと泣き言を言うかもしれません。ほんとに、そうなのでしょうか。仮に、そうであったとしたら、新しい集金システムの構築を全力でやるべきでしょう。新しいシステムの構築は、そう簡単にはできません。でも、それでも、しぼり出すしかないと思います。イデオロギーや過去の経緯は関係ありません。そんな屁のツッパリにもならない過去は、全部、捨てなくてはなりません。
もちろん、そのことをわかっていたとしても、今ある金と票を失う恐怖に勝たねばなりません。人間には、それが、できません。更に言えば、自民党に代わる受け皿集団ができると、金と票を求めて、信念なき政治家を呼び寄せてしまいます。民主主義には数が必要ですから、そんな有象無象も受け入れてしまいます。第2の民主党の誕生です。なかなか、うまくいきません。最終的には、国民意識でしか国の改造はできないことになります。でも、きっと、そこに突破口があるような気がします。
今は、どんな嘘をついても、政治家は選挙で選ばれます。政治家の都合で政治が行われるのではなく、政治家の生殺与奪権を握っているのが国民であれば、政治家は、常に、国民に視線を向けるしかありません。できれば、創価学会も、自主投票を第一義にしてくれるとありがたいものです。もっとも、これは、民主主義の定義がなくては、実現しないことですから、可能性はありませんが、それでも選挙制度の改革は必要だと思います。
過去に、度々、現行の選挙システムを変えるべきだと書いてきましたように、公職選挙法を大幅に変えることが必要ですが、それに取り組む政治家が出てきた時が、日本の民主主義の始まりなのかもしれません。以前にも書きましたが、選挙制度の改革というのは、一票の格差の問題や、中選挙区と小選挙区の問題でもありません。国民の本音の意志が反映できる新しい概念の制度が必要なのです。政治家の政治家による政治家のための選挙制度では、国民目線が生まれることはありません。
「国とは」の定義が、もしも、「国民の生命と財産を守る」ことであれば、国家運営者は、常に、国民目線で物事を見なければなりません。最近の風潮ですが、「国民の生命と財産を守る」と言う言葉からは安全保障を連想される方が多いかもしれません。安全保障も、その要素の一つですが、経済も、財政も、社会も、食料も、災害も、未来も、「国民の生命と財産を守る」ことです。
そのためには、政治家による、国民のための選挙制度にする必要があります。しかし、そのような発言はどこからも聞こえてきません。国民から聞こえてこないのですから、政治家から聞こえることはありません。国民次第で国は変われるのですが、定義のない曖昧国家の国民には、難しい注文なのでしょうか。この定義のない曖昧国家が、全ての元凶なのですから、国民が、先ず、そのことに気付く必要がありますが、そんな声も、聞こえてきません。小学校の頃から、「国とは、国民とは、民主主義とは」という定義について、子供達が議論することが定着すれば、国民の意識は変わってくるものと思います。ただ、50年くらいの時間は必要です。
このままでは、必ず、「あちゃー」と言う日が来ます。
間違えました。「あちゃー」を通り越して、阿鼻叫喚の日がやって来ます。
ただ、これは、起こるべくして起こることであり、自業自得なのですから、私達が助平根性を捨てられなかったのですから、諦めるしかありません。70年前にチャンスはありましたが、封建制度から民主制度に移行するためには、350万人の犠牲では少なかったようです。だから、数千万人の犠牲者を出し、新しい国造りをするための、国家崩壊がやってくるのです。次は、定義をすることから始めて欲しいものです。
もっとも、阿鼻叫喚の日々がやってきたら、「誰の責任か」なんて話をしても、意味がありませんし、そんなことやっているゆとりはありません。今日の食料を確保することが、それだけが、私達の仕事になります。


2017-08-01



nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(1) 
共通テーマ:blog

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 1