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国家運営の要 2 [評論]



参考までに、二人以上世帯の数字も書いておきます。
貯蓄額の平均値は、1791万円。中央値は1061万円です。
単身世帯よりも多い数字になっています。
ただ、二人以上世帯の場合は、負債額が大きいので、それを加味する必要があります。
負債のほとんどは、住宅ローンです。(単位は、万円です)
     貯蓄    負債    差し引き
70~99  2259     86    2178
60~69  2384     242    2142
50~59  1703     696    1044
40~49  1081    1281    -150
30~39   708    1244    -536

負債を持っている世帯に限定した時の数字は下記のとおりです。
     貯蓄    負債    差し引き
60~99  1725     802     923
50~59  1380    1235     145
40~49   952    1850     -898
30~39   678    2142    -1464

この数字を見ても、30代40代50代の皆さんの将来は厳しいと思います。
30代40代50代の皆さんが老後に突入した時の日本社会を想像してください。
そこは、別世界だと思います。
退職金は、年々、減少しています。
中小企業の場合は、退職金制度もない企業があります。
もちろん、非正規社員に退職金はありません。
この先、大金が入って来る期待は持てません。いつまで雇ってもらえるのかも定かではありません。単身世帯でも二人以上世帯でも、30代40代50代の皆さんの将来は、老後資金という点で、とても、暗い未来しかありません。
皆さん、どうするのでしょう。
どうすることも、出来ませんが、心配です。

国民の何パーセントの方が、これらの数字を見ているのかは知りませんが、その比率は、とても低いと思います。私の勝手な推測ですが、1%以下ではないかと思います。他人様の貯金の額を知っても腹はふくれません。でも、もしも、この国の目的が「子供達の未来を守る」ことだとすると、少し、意味が違います。大人は、国と国民は、協力して、今、将来の社会不安を製造している最中なのです。将来の社会不安を生み出す大人のこの行為は、子供と無関係ではありません。それは、子供達の未来を暗くする要因だからです。
でも、官僚の皆さんは、多くの方が承知していると思います。自分の省の所管事項ではないとしても、官僚の一般常識として認識していると思います。8割の官僚の皆さんが認識していたとしても驚きません。
では、官僚の皆さんは、この数字を、どう分析するのでしょう。
薔薇色の未来が待っていると分析する方はいないと思います。
将来、社会不安の元になると考えたのではないでしょうか。
私は、過去に遡って調べたわけではありませんが、調査は、毎年、定期的に行われています。貯蓄額が上昇トレンドにはなっていないと思いますので、官僚の皆さんは「ヤバイ」と思っているものと推察します。
官僚は、当然、政治家に意見具申をします。
私なら、「大臣、これ、ヤバイですよ」くらいしか言えませんが、官僚の皆さんは的確な将来予測を提示したと思います。
もちろん、このデータだけではなく、多くのデータが「ヤバイ」を裏付けているのですから、官僚の説明には説得力があります。
何年前か忘れましたが、自民党が「自助、共助、公助」を強調する姿勢を見せたことがあります。最近では、菅前総理も言っていました。
政治家にとっては、有権者に向かって自己責任論を振りかざすのは利益になりません。
ほんとは、言いたくなかったと思います。
しかし、官僚は、結果が出てから自己責任論を持ち出すのは危険だと進言したと思います。少しずつ、じわじわと、自己責任論を浸透させる必要があると判断した官僚の進言を政治家が受け入れたのだと思います。
今では、多くの方が、皆さん、「いい人」ばかりですから、一定程度、自己責任論を容認しています。
非正規労働者が暴動を起こしていないのも、この空気の賜物です。
何度も書いて恐縮ですが、この国は、国民共通の価値基準で動いているのではありません。空気で動いているのです。
一気に空気を入れ替えれば、多くの国民に気付かれてしまいますので、徐々に、じわじわと、空気を醸成していくことが国家運営の要となっています。
本来であれば、データはあるのですから、誰にでも分析することは可能です。しかし、国民は、データを精査するという習慣を持っていません。いや、データに興味がありません。空気に従うことが、自分の役目だと信じ切っています。
国家運営者と国民の間にある、得体のしれない空気というものの絶妙なバランスで、この国は動いているのです。官僚が動かしていると言っても過言ではないと思います。

この国は、この先も、どんどん、着実に、壊れ続けます。
このトレンドという潮流は、大きく、太く、変化していきます。
国を、国民を、呑み込んでしまうくらい大きな潮流に育ちます。
黒潮に逆らって泳ぐことが不可能なことくらい、多くの方が知っています。
「国力衰退」は、黒潮級の潮流になろうとしているのです。
放置していていいのでしょうか。
そんなはずはありません。
では、誰が、この「国力衰退」を食い止め、潮流を変えてくれるのですか。
政治家ですか。官僚ですか。学者ですか。いわゆる、お偉い先生方ですか。
違うと思います。
彼等に、そんな力はありません。
国民しかいないのです。
でも、そんな提案をしている人を、私は知りません。
国や政府に対する批判や非難は山のようにあります。
しかし、国民を非難する人がいません。
本来であれば、「俺には関係ねぇ」と言っている国民が、主権者である国民が、一番非難されなければならないと思いますが、誰もが、知らん顔です。
どうしてなのでしょう。
何よりも、国民は投票権を持っていますから、政治家は迂闊なことは言えません。
「国民とは」という言葉の定義がないからです。
国民が、曖昧な空気に流されているからです。
皆さんが、「俺達、下々の出る幕ではない」と思っているからです。
もっとも、国民は、そのほうが楽ですから、動きません。
だとすると、この国を壊しているのは、責務を果たしていない国民だということになります。
もちろん、国民は、その事を知りません。国民が意図的に国を壊しているのではありません。でも、責務を果たさないから、皆さんの国は壊れていっているのです。
この国の現行の国家運営システム(「なあ、なあ」「まあ、まあ」によるシステム)が、機能しない時代を迎えています。だから、国力が衰退し、貧困化が進み、将来不安を抱えた人しかいない国になってしまったのです。これが、現実です。
これは、優秀な国民を持っている国なのに、もったいないことに無視しているからです。
国民自身も、自分のことを、今でも「下々」だと思っているからです。
国民の皆さんは、この窮地を救うのは自分達だということを知りません。
知らないということは、いかに優秀な国民であったとしても、意味がありません。
これは、恐ろしいことだと思います。

現状を変える方法が、1つだけあります。いや、私は、1つしかないと思います。
文化を、変えることです。文化を嘗めちゃいけません。文化こそが、国の原動力なのです。
この国は、これまで、30年前まで、2000年もの間、「なあ、なあ」「まあ、まあ」という文化で、国家運営が出来ていたのです。これは、凄いことです。しかし、ここまで国が疲弊すると、曖昧文化では衰退という潮流を変えられません。実際に、何も変わりませんでした。私達は、この30年で、その事を証明したと考えてください。
「曖昧」という言葉の対極にある言葉が「定義」だと思います。「曖昧」を是正する必要が生まれてしまったということは、「定義」という文化を育てて、文化そのものを変える必要が生まれたということです。2000年の歴史を変えるかどうかの時代になったのです。それほど、この国力衰退という国難は大きいものだと思います。失敗した時は、歴史上経験のない、初めての難局を迎えることになります。
確かに、文化は空気のようなものですから、目には見え難いかもしれません。でも、「国力衰退」の原因を掘り進めていくと、文化という巨大な岩盤にぶつかるのです。文化は、それほど巨大な存在だということです。
もしも、ドツボにはまりたくないのなら、私達が変わらなければなりません。
そのためには、言葉の定義をするという文化を導入する必要があります。
もちろん、文化は、一朝一夕に変わりません。
それでも、始めなければ、変わるものも変わりません。
背に腹はかえられないのです。
1億2000万人の国民の力でしか、この潮流は止められません。

ただ、残念なことに、こんな声は、変人の私が、一人で吠えているだけで、どこにもありません。
多分、このまま、この国は崩壊するのでしょう。
崩壊後の日本人が気付いてくれたら、と思っています。


2022-03-06



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国家運営の要 1 [評論]



今日も調査データを見てもらいます。
2020年度、金融広報中央委員会による、家計の金融行動に関する世論調査(単身世帯)というデータです。
     貯蓄
    ゼロ円  100万円  (小計)  500万円 (中計)    中央値
20代  43.2%  28.3%   (71.5%)  23.2%   (94.7%)   8万円
30代  31.1%  19.9%   (51.0%)  22.6%   (73.6%)   70万円
40代  35.5%  15.2%   (50.7%)  22.0%   (72.7%)   40万円
50代  41.0%  10.4%   (51.4%)  19.7%   (71.1%)   30万円
60代  29.4%  09.1%  (38.5%)  21.3%   (59.8%)   300万円

500万円以上の貯蓄を持っている人もいますが、人数が少ないので省略しました。
単身世帯のデータだから、と思っているかもしれませんが、単身世帯は年々増加し、今は約4割が単身世帯です。単身世帯が日本の標準世帯です。
いつの間にか、年間の孤独死3万人、孤立状態1000万人、と言われる時代になりました。
もちろん、一般世帯の人達にも無貯蓄の人はいますし、500万円以下の貯蓄しかない人も大勢います。老夫婦の場合、どちらかが死ねば、単身世帯になります。
これが、私達の現実です。
驚きは、どの年代も、貯蓄ゼロ円の人が一番多いことです。
次に、年代別の貯蓄額のデータの(小計)を見てください。30代40代50代の数字がとても似ています。たまたま、なのでしょうが、0.7%の誤差しかありません。(中計)の数字でも、2.5%の差しかありません。30代40代50代の人と言えば、「働き盛り」と言われる人達です。これは、明らかに、収入が少ないことを示していると思います。これが、日本の現実です。では、将来は、どうなるのでしょう。将来という視点から見れば、この数字は大変危険な数字だと思います。
20代の貯蓄額が少ないのは、収入が少ないということだけではなく、まだ、貯蓄という意識は少ない年代だと思いますので、頷けます。
60代の貯蓄額が他の年代よりも多くなっているのは、時代背景が違っていたことと老後直前ですから、頑張って貯蓄したのかもしれません。それでも、貯蓄ゼロ円の人が約3割います。老後直前の60代なのに6割の人が、貯蓄500万円未満です。
30代40代50代の皆さんは、その5割が、100万円未満の貯蓄しかなく、7割の方が500万円未満の貯蓄しか持っていません。
次に、中央値を見てみましょう。
60代の方の中央値は300万円です。この300万円の貯蓄は役に立つのでしょうか。
将来試算をしてみましょう。
病気をしない、冠婚葬祭もない、物価も上昇しない、贅沢もしない、そんな毎日が、20年間も続くのでしょうか。仮に、今日と同じ日が20年間継続されたとして、60歳の方が80歳まで生きるとすると、月に1万2500円しか使えません。もちろん、ポックリと死ぬ必要がありますし、葬儀は出さないという前提です。
とても、300万円では、老後を乗り切れないと思いますが、どうするつもりなのでしょう。金融庁の老後資金2000万円騒動の時にも書きましたが、老後資金2000万円でも、老後を乗り切るには無理があると書きました。私は、1億円必要だと書きましたが、巷では、5000万円という数字が多いのではないかと思います。
もう1つ、危険な数字があります。それが、30代40代50代の中央値です。
貯蓄額の少ない人が多いだけではなく、中央値が異常に低いと思います。50代の方の中央値は30万円です。30代40代50代の中央値を単純平均すれば45万円です。30万円も45万円もゼロではありませんが、限りなくゼロに近い数字です。
では、30代40代50代の皆さんは、この先、今の60代の人よりも多く貯蓄できるという根拠があるのでしょうか。
私には、今50代の人が60歳になった時に同じ数字が出せるとは思えないのです。
そもそも、今の60代の皆さんが、この数字では、とても老後を乗り切れないのです。それなのに、50代の人は、今の60代の人を上回れないとすると、悲惨です。
2000万円で老後を乗り切ることが無理だとしても、先ず、60代の皆さんの中央値を2000万円にしなければなりません。
では、50代の方の中央値が、60代になるまでに、中央値2000万円になる可能性はあるのでしょうか。
中央値30万円を、2000万円に、ですか。
不可能だと思います。

ここで、30年という時間軸で、上の数字を見てみます。
60歳の方の30年前は30代です。当たり前ですが。
50歳の方の30年前は20代です。これも、当たり前。
この国が衰退し始めたのが30年前です。
多分、30年前は、まだ、年功序列・定年退職の風習が残っていた時代だと思います。賃金の上昇が徐々に小さくなり、収入の増えない時代に突入し始めた頃です。60代の皆さんの時代は、古き良き昔の風習が、まだ、少し残っていたのだと思います。
30代40代50代は、「国力衰退」の影響を正面から受けた人達だと思います。途中に就職氷河期という時代もありました。非正規社員が増えたのも、この年代です。
もしも、この分析が正しいとすると、30代40代50代の貯蓄額は、このまま横這いで続く可能性があります。その理由は、国力衰退が続くからです。
と言うことは、7割の人が、貯蓄500万円以下で、老後に突入します。
老後を乗り切れない人が、大量に出てくるということです。
老人の生活基盤は年金です。貯蓄もなく、年金受給資格もない人は、いないのでしょうか。ここでは、そういう方はいないと仮定します。20年後30年後40年後、年金制度は破綻することなく、現状が引き継がれるものと仮定します。
年金受給額は、平均で月14万円だと言われています。国民年金の方は月6万円です。年金受給額の中央値は、7万円です。
私達は、平均値を見て、「ふむ、ふむ」と頷いてしまいますが、平均値は、あくまでも平均値であり、全員が14万円を受給できるわけではありません。半分以上の方は、14万円以下の年金しか受給できません。当然、年金ゼロの人もいます。
その上、健康保険や介護保険が天引きされますので、実際に手にする金額は、もっと少なくなります。家賃の高い都会での生活は無理です。特に、老人が、東京で暮らすのは無理です。しかし、引っ越しには、新しい住まいの費用と引っ越し業者に支払う費用と、長年溜まり続けていた不用品の処分等に、少なくとも数十万円の一時的な費用が必要です。
年金受給額の一番集中しているのが、月に6万円~7万円の人達です。仮に、年金受給額7万円の人が、50万円の引っ越し費用を支払って、田舎に引っ越しをし、家賃が4万円だとしたら、生活は成り立つのでしょうか。水道光熱費や自治会費等の諸々の費用が1万円だとすると、かなり食費を切り詰めなければなりません。外出着は買わないとしても、下着類は必要です。薬代や医療費も必要です。インスタントラーメンばかり食べていたら体を壊します。歯ブラシだって、同じものを10年は使えません。
だとすると、選択肢は、「とことん、永遠に、死ぬまで、働く」ことと、ポックリと死ぬことだと思います。
たとえ、1万円でも2万円でも、毎月、収入があるのは、何よりも大事です。
いや、貯金が無いのですから、働くしかありません。
働く老人が増えることは明らかです。引っ越した地方に仕事はあるのでしょうか。
もっと、切実な現実があります。
病気になれば働けません。
老人は、自分の体を長いこと使ってきていて、体中いろいろな箇所が賞味期限切れになっていて、病気とは親和性が高いのです。
例えば、認知症を見てみましょう。
認知症患者は、2025年には700万人になり、2050年には1000万人になると予測されています。老人の1/3が認知症患者です。85歳以上の老人は、50%が認知症です。
このデータの対象者は単身世帯の人です。認知症に罹患したら、どうするのでしょう。
30代の人でも、40年後には、70代になります。
50代の人が70代になるまでには、20年しかありません。
20年後、40年後には、認知症の薬が風邪薬程度になっているのでしょうか。
もちろん、認知症だけが病気ではありません。しかも、内臓だけではありません。
身体能力の衰えた老人は、よく転びます。若い時であれば、踏ん張れますが、「あれれ」と思いながらも倒れます。老人は骨が脆くっていますので、簡単に骨折します。骨折をして寝ていると、筋肉が衰えて、骨折が治っても歩けなくなる老人が多くいます。運動ができなくなると、内臓にも影響します。
老人にとっては、医療費は不可欠の生存条件です。老人用の施設に入所する費用も欠かせません。医療にしても、施設にしても、必要になるのがカネです。
しかし、これから老人になる人達は、そのカネがありません。
私が30代40代50代の頃に、老人になった時の自分が想像できていたかというと、全く出来ていなかったと思います。
多分、誰でも、そんなものだろうと思います。
でも、現実は、決して、楽観できるものではありません。
カネが全てだとは言いませんが、老後人生はカネ次第だと思います。
カネがない人は、ともかく、健康が第一です。ピンピンコロリは、冗談ではなく、理想とすべきだと思います。少なくとも、私は、そう思って頑張っています。
病気になって、仕事が出来なくなり、貯金もない。
多くの老人が、絶望の淵に立つのは、不思議なことではありません。
このデータを見ただけでも、お先真っ暗だと思います。
3000万人の老人の全部が、そんな境遇になるわけではありませんが、仮に1割の老人が絶望の淵に立つとしたら、300万人の老人が、そうなるのです。
300万人という人数は半端ではありません。
人間にとって、絶望は、死への扉に手をかけるようなものです。
決して、いいことはありません。
皆さんの将来には、地獄が大きな口を開けて待ち構えているのです。
「何とかなる」のでしょうか。いいえ、「何ともならない」と思います。
「お上」が面倒見てくれるのですか。いいえ、「お上」は「自己責任でお願いします」と言っています。
生活保護制度があるじゃないか、と思っている方もいるでしょう。では、そんな財源、どこにあるのですか。この国は「衰退国家」なのです。この先、税収はどんどん減少するのです。生活保護費に回せる財源なんてありません。
そもそも、生活保護費による生活は、悠々自適の生活ではありません。最低限の生活を保障するのが生活保護費です。しかも、この最低限の基準は、いつでも変更可能です。
この国は、もう経済大国日本ではありません。
「国力衰退」という現実から、目を逸らすべきではないと思います。

文字数が多くなりましたので、2回に分けます。


2022-03-05



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現実を見てみませんか [評論]



昨日は、人口減少をマクロな視点で書きましたが、今日は、少しミクロな視点から現実を見たいと思います。
「国力衰退」の最大の要因は、国民の意識レベルですが、人口減少は、長期的で物理的な要因としては最大のものだと思います。また、国力衰退と人口減少は密接に影響し合い、悪循環という悪いスパイラルに入っていますので、是正することは容易なことではありません。これは、私達が得意とする「先送り」に終始した結果ですから、今更、手の施しようはありません。
目の前で起きていることを、一つずつ、解決していくしか方法はないと思います。ただ、これが簡単なことではありません。「無理」と言ったほうが正しいのかもしれません。少なくとも、今の延長線上に解決策はありません。
私は、文化の革命を強く推奨していますが、他に方法があるようには思えません。国民の皆さんが、そのことに気付かなければ、この国は滅びます。崩壊の確率は99%だと思っています。崩壊を確信している私でも、「何とかなる」のであれば、ぜひ、「何とかなって欲しい」と思っています。いや、祈っています。もう、神頼みでも構いません。

些細なことですが、生涯未婚率の上昇が止まらない、という現実があります。
この現実は、明らかに出生数を減らします。

      1950年  1985年  2020年  2040年(予測)
男性未婚率  1.5    3.9    25.7    29.5 %
女性未婚率  1.5    4.3    14.9    18.7 %

この数字も、右肩上がりですから、喜ぶべき数字でないことは明らかです。これは、少子化、そして、人口減少を後押しする数字だからです。
独断と偏見で、この数字を分析してみます。素人の分析ですから、分析が正しいかどうかは、わかりません。でも、些細なことですが、これも、「国力衰退」の一つの側面ですから、分析は必要だと思いました。
2020年の数字でも、男性の4人に1人が生涯未婚で人生を終わります。
これが悪しき事なのかどうかの判断は、一人一人違うと思いますが、人口減少に寄与するという点では、決して、歓迎できるものではないように思えます。
男性と女性の数字が、どんどん乖離していますが、これは、男性と女性の価値観の違いが出ているのではないかと思っています。
バツ1の男性と未婚の女性が結婚する確率に比べて、バツ1の女性と未婚の男性が結婚する確率が非常に少ないと言われています。男がロマンチストで、女がリアリストだとすれば、この乖離も頷けます。経済力さえあれば、男性は何回でも結婚出来るようです。要は、カネがモノを言うのです。
1950年の社会通念では、結婚するのが当たり前だと思われていた。もちろん、離婚など「もってのほか」だったでしょう。
1985年でも、その社会通念は生きていたと思いますが、1960年頃を底にして、離婚率は上昇しましたが、社会的には、まだ歓迎されていなかったと思います。
では、その後、社会通念が変わり、未婚も離婚も当たり前の社会通念が生まれたのでしょうか。確かに、結婚に対する考え方も、離婚に対する考え方も変わりましたが、ここまで、劇的な変化があったとは思えません。
ドラマや小説では、いわゆる建前では、いろいろと理屈はつけられますが、現実的な問題として捉えれば、最も大きな要因は、貧困化だったと思います。これも、失われた30年の軌跡だと思えば腑に落ちます。
昔は、親が決めた結婚相手を拒否できなかった女性が、自分の意思で結婚を決める時代に変わったことで、社会通念を変えたと思います。それは、女性にも、まだ充分ではありませんが、経済力が持てる時代になったからだと思います。1950年の女性にとっては、結婚しか生きる道がなかった時代とは違います。
そして、女性は、リアリストですから、経済力のない男性を選ばなくなった。
今は、経済的に苦労してでも、旦那様の我儘を許すような女性は少ないと思います。
男性の経済力が、どんどん低くなっていき、結婚相手が見つからない女性がいることは確かですが、「経済的な苦労をするくらいなら、独身でもいいわ。取り敢えず、生きていけるから」という女性が増えたということなのではないでしょうか。
年収100万円の男性と結婚する女性は少ないと思います。「好きで、好きで、大好きで」、「男一人くらい、養ってやってもいい」と思う経済力のある女性であれば、結婚してくれるかもしれません。
ですから、女性の未婚率が貧困化の度合いを示しているのではないかと思います。
男性未婚率は1985年の3.9%から、35年後、25.7%へと約6.5倍になっています。これは、まさに、「失われた30年」と同時期であり、日本の衰退と軌を一にしています。

違う視点の数値も見てみましょう。
ある調査で、30代~50代の日本人男性を既婚者と未婚者に分け、「あなたはどれくらい幸福ですか」と質問したところ、未婚男性の43.5%が「全く幸福でない」と回答したのに対して既婚男性で「全く幸福でない」はわずか6.5%だったようです。
個人的には「まさか」と思いますが、そうではないのかもしれません。

厚生労働省の人口動態統計を元に未婚者と既婚者の死亡率を算出したところ、45歳~65歳の未婚男性は同世代の既婚男性の2.2倍になっていたそうです。
別の調査でも、40歳~79歳までの男女約10万人の婚姻と死亡の状態を調査した結果、未婚男性が心筋梗塞で死亡が既婚男性の3.5倍にもなり、心臓発作による死亡が2.2倍、呼吸器感系疾患による死亡は2.4倍、自殺を含む外因死が2.2倍との結果も出ているそうです。
これは、男という生き物が脆弱な生き物である証拠なのかもしれません。

また、別の調査では、35歳~39歳の男性正規社員と男性非正規社員の未婚率を調べると、正規社員の30%に対して、非正規社員の未婚率は70%だったそうです。
これは、貧困化の象徴的な現象だと思います。

2020年の出生数は前年比24407人少ない840832人となり、最少記録を更新しました。合計特殊出生率も0.02ポイント低下して1.34になったそうです。

未婚率も、人口減少を促進する要因になっていると思います。
未婚率の原因は多岐にわたる要因があると思いますが、貧困化を止めれば、ある程度、未婚率の減少だって可能かもしれません。
この先、貧困化が進めば、結婚したとしても、夫婦で目一杯働くしかありませんので、子供を生み育てるという余裕はなく、経済的な理由だけで子供を産まないという選択をする人は、今よりも増えると思います。
この現実を見ても、「国力衰退」と「国民の貧困化」を阻止する必要があると思います。

次に、地方の衰退という現実を見てみます。
「2020年の国勢調査を受け、人口減少率や財政力の法的基準に応じて「過疎地域」に指定される自治体が、22年度に全国1718市町村(東京23区を除く)の51・5%にあたる885市町村に上ることが分かった」というニュースがあります。
続きを見てみましょう。
「政府が返済の7割を負担して自治体を支援する過疎対策事業債(過疎債)の費用として、総務省は22年度当初予算案に前年度比200億円増の5200億円を計上。10年度からは1・9倍に増え、日本の人口減少が続けば今後も増額が避けられない見通しだ。また財務省によると、地方の債務残高はバブル崩壊後の94年度に100兆円を超え、21年度末時点で約192兆円に上る見込み。単純計算では、地方財政だけで日本国民1人あたり約155万円の借金を背負っている計算になる」
「総務省幹部は、重く受け止めている。このままでは行政サービス・社会保障など社会の基本機能の存続も危うい。地方維持の議論は待ったなしだ、と話す」

日本の自治体の半分が、過疎地域です。
この過疎地域も右肩上がりの統計になっています。
国の半分の自治体が過疎地域だという現実は、国力衰退の証明なのだと思います。
では、国から「国力衰退を止めよう」という決意表明はあるのでしょうか。
そんな決意は聞いたことがありません。
確かに、これまで、過疎化を止めよう、という掛け声はありました。
岸田政権でも、掛け声だけは出しています。
でも、全く、状況は変わらず、今後も、変わる見通しはありません。
これは、ただの掛け声だけでは役に立たないということだと思います。
今の掛け声は、国の命運をかけた本気の掛け声ではなく、ただのスローガンに過ぎないということなのだと思います。国は、覚悟を持って過疎化を止めようとはしていません。
地方の過疎化は、敗戦後に始まっています。
国を挙げて経済復興に邁進した日本では、人口の大移動が起きました。地方の若者が都市部へ、工業地帯へと大移動して日本経済を復興させました。これは、大変革です。
その結果、地方には若者がいなくなりました。
あの大変革を、今、スローガンで「何とかしよう」としているのです。
「やってるふり」をしているようにしか見えません。
今、都市部の若者が地方へと大移動する条件はありません。
この先、食糧確保に窮した若者が、農民になるために、田舎へと大移動する条件は生まれますが、それは、まだ、少し先のことです。
働き手の減少で、税収が減った地方自治体は、働く場所を作ろうと頑張りました。どこの自治体でも工業団地を作る時代がありました。
工業団地だけではなく、企業誘致を積極的に行わなければ、自治体の存続にも影響するということで、スーパーや量販店の誘致も積極的にやりましたが、それが、更なる衰退につながり、地元の商店街はシャッター街になってしまいました。地方が疲弊し、住民の購買力が落ちれば、営利企業は成り立ちません。企業は、当然、撤退します。地方に残るのはシャッター街という残骸です。
これは、明らかに、国家運営の失敗です。個別の地方自治体に「何とかする」方法はなかったと思います。
今起きている過疎化は、50年前でも想定可能でした。
しかし、国は、国全体のシステム設計をせずに、「先送り」を続けたのです。
今となっては、手のつけようがありません。
過疎化は、今後も、進みます。
死んだ子供の歳を数えても、何の意味もありませんが、もしも、敗戦後に「言葉の定義」をし、民主主義を確立し、国の目的、国を運営する集団の目的、国民の目的、それぞれの責務を明確にしていたら、こんなことにはならなかったのではないかと思います。
もしも、国の目的が「子供達の未来を守る」ことだとすると、こんな状況にはなっていなかったのではないかと思います。
目的と責務さえあれば、薔薇色の世界があるとは言いません。
でも、原則があれば、そこに戻ることだって夢ではありません。
私達には、戻る場所もないのです。
もう、手遅れであることは否定できません。
それでも、今からでも、私達の原点になるものを作る必要はあると思います。
国力を高める仕事も、国を運営するという仕事も、とても、片手間でできるような仕事ではありません。
では、現実は、どうでしょう。
本来、国力を高める責務を負った国民は、「俺には関係ねぇ」と言っています。一方、縁の下で国民を支える仕事を請け負った国家運営者は、銭勘定に忙しく、国民生活のことは意に介していません。どっちもどっちです。
このことを、国が国として機能していないという現実を、国民の皆さんが、知る必要があります。これは、鶏が先か卵が先かという問題ではありません。最終責任を負っている国民が変わるしか方法はありません。これまでのように、「お上」に「おんぶにだっこ」では、皆さんの生活は守られないのです。
いろいろな現象が、そのことを証明してくれています。

人口減少、国力の衰退、国民の貧困化は税収の減少を招き、この国は、社会保障制度を維持できない国になります。しかも、いつ、財政破綻を起こしても不思議ではないのです。
このことを、国民の皆さんは理解しているのでしょうか。
皆さんは、理解はしていませんが、皆さんの直感はその事を知っています。
皆さんの不安感は、間違っていません。
未婚の問題も、過疎の問題も、私には崩壊の足音に聞こえていますが、国民の皆さんの耳には、どう聞こえているのでしょう。


2022-03-04



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始めることが大事です [評論]



私の書いていることは、ほとんどが未来の話です。しかも、荒唐無稽なヨタ話にしか見えないものばかりです。本人は、それなりに、真面目に書いているつもりですが、世間の常識からは大きく逸脱していることは確かです。
未来と言っても、10年とか20年先の話です。
今日は、100年とか200年の未来を書いてみたいと思います。
私は、そこまで、日本が存続しているとは思いませんが、もしも、万が一、存続していたらという話です。
これまで30年、じわじわと壊れてきた日本が存続できるのは、もしかすると、3年かもしれません。運がよくても、30年が限界だと思っています。
50年後の日本は、国として残っている可能性は、まだ、ありますが、中身は様変わりして、今の日本とは違う日本になっていると思います。
ですから、100年後の日本、200年後の日本は、全く別の日本だと思っています。
いや、もう、日本という呼称もないのかもしれませんが、日本人が生きているという意味だけで日本だとしてみます。

「未来の年表」の著者である河合 雅司さんの人口推計を見てみましょう。
2020年    1億2622万人
2053年      9924万人
2065年      8807万人
2100年      5971万人
この先は単純推計のようです。
2220年(200年後) 1000万人
2320年(300年後)  300万人
2900年         0.1万人 (1000人)
3000年         ゼロ

ここには書いていませんが、100年後は4200万人という推計があります。日本の人口は100年後に、現在の1/3になります。
図にはしませんでしたが、人口減少も、見事なほどの右肩下がりです。
日本の未来を象徴しているようなグラフになると思います。
3000年まで、地球が無事なのかどうかはわかりませんが、3000年には、日本に住む日本人はゼロになる計算です。これも、トレンドです。ただ、河合氏の推測は、とても楽観的な推測だと思います。それは、「国力衰退」による人口減少が抜けているからです。
2100年には、今の人口の半分になります。
それでも、人口6000万人の国は、まだ、国としては大きいほうだと思います。
200年後の1000万人でも、1000万人の国は沢山あります。
しかし、300年後の300万人の国は、小国の部類に入ると思います。
でも、その減少スピードは、目を見張るものがあります。昔、世界第2位の経済大国と呼ばれた国とは思えません。
皆さんは、人口1000万人の日本は、具体的に、どんな国になっていると思いますか。人口300万人の日本は、どうでしょう。
超長期予測ではありますが、この数字は絶望的な数字だと思います。

人口問題を見ただけでも、日本は危機的状況です。
この人口減少を、知らない人はいないのではないかと思います。
でも、私達は、皆で、仲良く、「見て見ぬふり」をしています。
河合氏のように、人口問題を俎上に挙げる方はいますが、少数派です。
ただ、河合氏の主張は、予測であり、問題提起であり、具体的な対策ではありません。もちろん、問題提起は大事ですが、問題提起で事態が好転するわけではありません。
政府は、少子化対策風の政策はやっています。風味をつけるだけでは、少子化は防げないと思いますが、「やってるふり」は上手です。でも、少子化にブレーキがかかったことはありません。結果が出ていないということは、何もしていないことと同じです。
結果的に少子化は無視されているのです。
ですから、少子化は、今後も、粛々と進行します。
では、人口減少は、今の環境のまま、ただ、人口が減るだけで済むのでしょうか。
これは、数字だけの問題なのでしょうか。
そうではありません。
私達の生活環境は、大きく変化、いや、激変するのです。
私達は、時計を逆回しにして、平安時代へ、縄文時代へと向かうと思います。そして、時計を逆回しにするということは、大きな痛みを伴うということです。「俺は大丈夫たろう」と思っている方、残念ですが、「俺には関係ねぇ」と言える人は一人もいません。
先ず、近未来を見てみましょう。
生産者人口が減ります。
2020年の生産者人口は、約7400万人です。2065年の生産者人口は4500万人になると推測されています。約4割減少します。僅か45年です。
それは、GDPが減るということです。
GDPが減るということは、税収が減るということです。
更に、厄介なことに、人口は均等に減るわけではありません。
高齢者人口が減少するのは、人口減少から、かなり遅れて減り始めるのです。
65歳以上の老人は、2020年には、3600万人ですが、2065年の老人は、まだ、3400万人もいるのです。
税収が減少するだけではなく、社会保険料を負担している生産者人口が減少すれば、社会保障費の財源がなくなるということです。もちろん、財源がなくなれば、年金だけではなく、医療も介護も提供できなくなります。生活保護なんて、論外です。
溢れんばかりの高齢者を、どうするつもりなのでしょう。
今でも、老人の孤独死は増加していますが、将来は、この程度では済みません。
部屋で孤独死する老人が増加することは容易に想像できますし、次第に慣れてきましたが、餓死する老人、路上で死ぬ老人、自分で命を絶つ老人が増えるのです。
税収が減少すれば、公務員も減少します。市役所も、警察も、消防も、人手不足になります。路上死した老人の遺体が何日も放置されることだってあると思います。
変化は、老後だけではありません。2040年までに、日本の地方自治体という仕組みは、半分になると言われています。地方に住む若者の生活基盤も失われるのです。
自治体そのものが消滅するのですから、公共サービスも消滅します。
地方には、生活環境がなくなるのです。
以前に、水道代の話題を書いたことがありますが、地方では、水道だけではなく、電気もガスも交通機関も、警察も消防も、あらゆる生活インフラが絶滅するのです。平安時代の生活に戻ると考えれば分かり易いと思います。
当然、国は、住民に移住するように働きかけます。移住を拒否し、故郷で生きていきたいという人もいると思います。何とか、生活が成り立つのであれば、生きていけます。
誰にも頼ることなく、自立生活が出来ればいいのですが、簡単ではありません。それは食糧の確保、水の確保、燃料の確保との闘いになります。それは、気候との闘いでもあります。お天気次第では、農業には凶作はつきものですから、生き延びることが不可能になることがあるのです。農耕だけでは命を守れませんので、狩猟生活を復活させることになります。福島の立ち入り禁止地区では、野生動物が闊歩しています。弓矢や槍が必需品になります。地方は一足先に縄文時代に突入するのです。
こんな時代が来ることは、多くの方が知っています。国家運営を担当している皆さんは、誰もが知っています。与党の議員も、野党の議員も知っています。でも、皆で、「知らんぷり」をしています。国民の皆さんも、それを「見て見ぬふり」をしています。まるで、他人事です。50年後は、100年後は、もう生きていないのだから、「俺には関係ねぇ」と思っているのでしょうか。では、子供達は、孫達は、どうすればいいのですか。これは、「目的」が欠如していることの弊害です。もしも、「子供達の未来のため」が「目的」であれば、放置しおくことなんて出来ないはずです。
世界中から、日本中から、轟轟と非難を浴びることになると思いますが、私は「安楽死法案」を提案したことがあります。現代版の、国立姥捨て山施設の建設を推奨しました。
確かに、無茶苦茶な提案です。
しかし、背に腹は代えられません。
施設の目的は、短期間の老人の食糧を保障し、温泉も用意し、死を受け入れるカリキュラムを作り、できるだけ心安らかに旅立ってもらう場所にすることです。
老人に安楽死してもらえれば、随分と、荷は軽くなると思います。
ただ、3000万人もの老人ですから、殺すのは簡単ではありません。でも、老人を間引けば、生き残る確率は高くなります。
じわじわ、ずるずる、と押し寄せる人口減少による環境変化に対して、国民の皆さんは、どう対応するのですか。「お上」に丸投げしていて、何とかなるのですか。
それは、甘いと思います。

人口減少問題は、私達にとって致命的な大問題ですが、私は、人口減少による日本崩壊は、それほど現実味はないと思っています。
それは、人口減少による崩壊よりも、「国力衰退」による崩壊のほうが、明らかに早いと思うからです。
もちろん、人口減少は「国力衰退」の大きな要因ですから、無縁ではありません。比較するようなことではないのかもしれません。
国力衰退も、経済縮小へ直結しています。経済縮小は、企業と個人の所得を減少させます。所得の減少は、GDPの減少になり、GDPの減少は税収の減少になります。税収の減少は、社会保障の縮小になります。貧乏人ばかりが増えて、日々を生きていくことでさえ、困難になります。その上、税や保険料の負担率も高くなります。こうなるのは、それほど遠い未来ではありません。
日本が世界一の最貧国になるのが、いつなのかはわかりませんが、少なくとも、100年とか200年という時間軸ではないと思います。
個人的には、来年、ドツボにはまったとしても驚きません。3年後でも、30年後でも驚きません。ただ、100年後ということはないと思います。
人口問題を解決するのは、絶望的です。人口問題に焦点を合わせていると、指を咥えて見ていることしか出来ません。
ただ、「国力衰退」に対応するのであれば、まだ、希望があるかもしれません。「国力衰退」を止めて、反転させることができれば、もしかすると、人口問題も対応可能になるかもしれません。
「国力衰退」を止める方法は、国民の意識次第だと書いてきました。
国民の意識が変われば、人口問題への対応も可能かもしれません。今は、その具体策を持っているわけではありませんが、希望は持てるのではないかと思います。「国力衰退」による経済問題も社会問題も国民の問題です。当然、人口問題も国民の問題として、意識次第で、変えることは不可能ではありません。
国民意識が今のままなら、人口問題は、絶望的だと思います。
先ずは、「国力衰退」に対応することから始めてみませんか。
そのためには、目的と責務を明確にするしかありません。
それも、国民主導で、新しい価値観を生み出すことです。
助平根性しか持っていない「お上」主導の価値観の変更では、この国は救えません。
国民にも助平根性はありますが、「お上」ほどひどいものではありません。
国民全員で、助平根性を封印するしかないと思います。
「子供達の未来を守る」という目的があれば、国民が心を一つにすることも出来るのでしょうが、この国には目的がありません。でも、目的さえあれば、日本人なら、出来ると思います。もしかすると、これが出来るのは日本人しかいないのかもしれません。
人口減少という問題は、この先、多くの国で現実になります。日本は、世界のトップを走っているだけです。もしも、「国力衰退」に対応できれば、日本は再浮上できます。その可能性があるのは、日本だけなのかもしれません。
このまま、朽ち果てる日を待つのか、それに抵抗するのかは、国民の皆さん次第です。
皆さんは、どうしたいですか。
言葉の定義をすることも、目的と責務を明確にすることも、難しいことではありません。難しいのは、その目的と責務を、国民の皆さんが行動し、果たすことです。これは、困難を極めます。しかし、目的があれば、日本人なら、やれるかもしれません。
人間には、誰にでも、良き面と悪しき面があります。
伝統にも、良き面と悪しき面があります。
いまは、日本人の悪しき面が、伝統の悪しき面だけが、発揮されています。
その意識さえ変えることができれば、この国は生まれ変わります。日本人には、その力があります。
意識を変えてください。
このままだと、宝の持ち腐れになってしまいます。
今、人口減少問題まで考えると、「とても、無理だ」となります。
「国力衰退」を何とかしましょう。
そのためには、目的と責務を見つけましょう。
「言葉の定義」をすれば、目的と責務を見つけることができます。
「国とは、国民とは、民主主義とは」という言葉の定義から始めましょう。
もちろん、言葉の定義が唯一の方法ではないと思います。
また、言葉の定義は万能薬ではないと思います。言葉の定義では乗り越えられないことだってあると思います。言葉の定義は、ほんの入り口なのかもしれません。でも、そこで、また、知恵を出せばいいのです。やり始めることが大事なのだと思います。
人口問題ほど絶望的ではありませんが、「国力衰退」だって、簡単な課題ではありません。
でも、先ず、取り掛からなければ、何も始まりません。
「俺には関係ねぇ」と言って、逃げている場合ではないと思います。
実行するのは、国民の皆さん一人一人の責務だと思います。


2022-03-03



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戦わずに降伏しますか [評論]



今日は、日本の安全保障の話を書きます。
尚、この文章はウクライナで戦争が始まる前に書いた文章に手を加えたものです。
私の独断と偏見に基づく話ですから、いつものように、眉に唾をお願いします。

新体制になった立憲民主党が、本格的な論戦の場になる今の通常国会で、どんな働きをするのか期待をしていました。
結論を先に書くと、「やっぱり、駄目か」というものです。
立憲民主党の弱点は、安全保障・外交だと、世間では言われています。
私は、そうは思っていません。
立憲民主党は、寄って立つ理念を持っていないことが、弱点であり、それが安全保障・外交で、顕著に表れているだけだと思います。
立憲民主党は、「かくかくしかじかの理念」に基づき、この国を、「かくかくしかじかの国」にしたいというものを提示して欲しいと思います。
一方の自民党も、既得権益に執着するだけの、役立たず、です。
与党第一党と野党第一党が、これでは、国民は救われません。

岸田総理が「敵基地攻撃能力」という言葉を使い続けています。
私の中で、私が勝手に抱いている岸田さんのイメージ(ぺこぺこ、いじいじ、まあまあ)と「敵基地攻撃能力」という言葉が、合体しません。とても、不自然に見えるのです。多分、これは、私個人の問題なのでしょう。
公明党は、「敵基地攻撃能力」という言葉が気に入らないと言っています。マイルドな言葉にすれば、問題は解決するのでしょうか。相変わらず、「なあ、なあ」「まあ、まあ」で、何とかなると思っているようです。
共産党は「憲法9条が日本を守ってくれる」と言っています。
立憲民主党の泉さんが、国会で敵基地攻撃能力について質問し、「中途半端な敵基地攻撃能力を持って、総理は、何をしたいのですか」と言っています。
岸田さんの答は、「憲法、国際法、日米の防衛分担の中で、適切に考えていきたい」というものです。いつものことですが、議論が嚙み合っていません。それでも、時間は過ぎていきます。岸田総理は、数は数えていませんが、何度も同じ言葉を使っています。
国家運営を担う人達が、こんな茶番をしていて、国民生活は守れるのでしょうか。
岸田さんも、泉さんも、お二人とも、「れば、たら、もし」の質疑応答をして、責務を果たしていると思っているのでしょうか。お二人とも、「国家・国民を守る」と言いますが、「れば、たら、もし」で、どうやって守るのでしょう。お二人とも、足が地についていません。
しかも、お二人とも、日米安保を前提にして話していますが、日米安保が砂上の楼閣ではないという保障はどこにあるのでしょう。
岸田さんが言う日米の防衛分担って、何ですか。「鉾と盾」ですか。
何度も書いていますが、アメリカがアジアで何をするのかは、アメリカがアメリカの国益を基に決めるのであって、日本が決めることではありません。勝手に「鉾と盾」なんて決めていていいのですか。暗黙の了解や阿吽の呼吸は、機能するのですか。日本の文化とアメリカの文化は同じなのですか。
そもそも、日米安保は、どうして生まれたのですか。
アメリカの都合で生まれた条約です。
試しに、太平洋と大西洋が無いと仮定してください。
アメリカの隣国は、日本であり、イギリスであり、欧州大陸の国々です。
アメリカ本土の防衛のために、日本と欧州にアメリカ軍の基地を持つために生まれた条約が、日米同盟でありNATOです。
もしも、日本と欧州が敵対勢力に潰されたら、アメリカは自国の西海岸と東海岸で自国を守ればいいのです。
もちろん、アメリカ軍は、日本にも欧州にも駐留しています。それらの軍は守らなければなりません。でも、危ないと思えば、本国へ撤退すればいいだけです。
アメリカ軍兵士の血を流す価値があるかどうかは、アメリカの国益次第です。
「きっと、アメリカさまが、守ってくれる」なんて思っていて、いいのですか。

アフガニスタンの失態で、バイデン政権は世界に嘗められてしまいました。
あの撤退失敗で、世界は大きく変わりました。
ロシアも、イランも、中国も、北朝鮮も、強気になったのです。
ロシアは軍事侵攻までやってしまいました。
ウクライナ危機が始まった時、バイデンは、早々に、軍事対応というオプションを外すと公言し、プーチンを喜ばせてしまいました。プーチンは「押せ、押せ」です。その後、アメリカは、周辺国へ数千人の部隊を派兵しましたが、「私、やってます」という言い訳にしか見えません。「実は、私、弱腰なんです」と言っているようなものです。中国に対峙できないだけではなく、ロシアにもイランにも北朝鮮にも、胸を張りません。どうやって責任逃れをしようか、としているようにしか見えません。
プーチンの自信に満ちた態度が、バイデン政権の弱腰を象徴しています。
イランの核合意問題でも、イランは息を吹き返しました。イスラエルを攻撃できる国産ミサイルを完成させ、発表していますので、イスラエルの先制攻撃を誘発させる意図でもあるのでしょうか。イランも強気です。
北朝鮮も、ミサイル発射を、堂々とやっています。グゥワムを標的にした中距離ミサイルを発射しても、アメリカは国連で騒ぐだけです。安保理決議もできません。
中国はまだ動いていませんが、バイデンの足元を見ながら、脅しの度合いを強くしていくと思います。台湾の正面にある福建省の軍備増大は着々と行われていますが、プーチンに習って、一気に20万人規模の軍を移動させるかもしれません。海を挟んでいますので、1000隻の船舶を配置するかもしれません。福建省では、空軍基地も増強していますので、2000機の戦闘機を集結させるかもしれません。別に、台湾に侵攻する必要はありません。今、中国空軍は、台湾の防空識別圏の端っこを侵犯しているだけですが、台湾本土に大量の空軍機を送り込むかもしれません。500機の中国軍機が横一列になって領空侵犯をすれば、力の差は歴然としているのですから、台湾のスクランブルは役に立ちません。さて、アメリカは、どんな対応をするのでしょう。多分、口先介入しかしないのではないかと思います。
軍事力の圧力は強大です。台湾が膝を折ったとしても不思議ではないと思います。
アメリカの弱体化が見えるようになったのは、バイデンの資質だけではなないと思います。アメリカという国が弱体化しているからです。アメリカ国内が一枚岩ではなくなったことも大きく影響していると思います。
これは、時代が変わったということだと思います。
日本だけではなく、アメリカの同盟国は、自分の国の安全は自分で確保しなければなりません。ただ、アメリカから離反することはできません。中国やロシアに世界を支配されてしまうと、もっと、大幅に国益を損なうからです。
世界は、風雲急を告げているのです。
もう、第三次世界大戦は、いつ、始まってもいい状態を迎えていると思います。

アメリカは、昔のアメリカではありません。日本も、本気で自国の安全保障を確立する必要があります。
ただ、国内では、寝ぼけた議論しかありません。
立憲民主党の泉さんと岸田総理の議論(議論にもなっていませんが)を見れば、どちらも、本気でこの国の安全保障を考えているとは思えません。
ここで、架空の質疑応答を想像してみましょう。
岸田さんは、「では、泉さんは、どうやって、国土と国民を守るのですか。立憲民主党は提案型の政党なのですよね」と質問しなければなりません。
泉さんは、当事者意識はなく、外交交渉をするのは自民党であり外務省なのですから、「外交交渉で、戦争を防ぎます」と言うでしょう。
「では、外交交渉が成功しない場合は、どうしますか」
「そりゃあ、何としても、成功させるのです」
「どうやって」
「そりゃあ、成功させるのです」
「外交交渉は、あくまでも交渉です。それはご存知ですよね。では、交渉で、沖縄と沖縄の島々を譲ってくれるのなら、と言われたら、泉さんは、その条件を呑むのですか」
「そんなことは、できません」
「では、どうやって、成功させるのですか、交渉では妥協が必要なことくらいわかってますよね。泉さんは、どんな条件を提示するのですか」
「質問するのは、私です」
「いや、ご提案をお願いしているのです。中途半端な敵基地攻撃能力すらなければ、日本は敵のミサイル攻撃を受け続けるのです。沖縄が駄目なら、九州を差し出すのですか、それとも、金銭で解決するのですか。どうか、教えてください」
「そのために、日米安保があるでしょう」
「アメリカが、在日米軍を撤退させたら、どうするのですか。日米安保は永遠の条約ではなく、いつでも破棄できるのです」
「そんなことは、しないでしょう」
「どうして、ですか」
「何度も言いますが、質問者は私です」
「泉さんには、何の提案もない、ということで、よろしいですか」
「そんな話をしているのではありません」
「では、何の話、でしょう。国民を、どうやって、守るのかという話ですよね」
「私の質問に答えてください」
「憲法、国際法、日米の防衛分担の中で、適切に考えていくと言っています」
議論というのは、どちらかが一方的に質問をして、一方が答えるだけのものなのでしょうか。これで、議論と呼べるのですか。今は、事前に質問事項を知らせ、事前に回答を用意し、馴れ合いの茶番をやっているだけなのではありませんか。皆で「やってるふり」をしているだけに見えます。あの予算委員会の席に、出席者数分の7000万円の現金を置いてみてください。予算委員会は札束の山です。議員は、「なあ、なあ」「まあ、まあ」で「やってるふり」をしていればいいだけです。本気で、国民を守ってもらいたいものです。

立憲民主党には、まだ、共産党との選挙協力を熱望している議員もいます。
去年の衆議院選挙の総括も、玉虫色になってしまいました。もともと、民主党は、総括が下手ですが、形だけの総括をして、一件落着でいいのでしょうか。ま、昔の民主党は、総括すらしなかったのですから、進歩したのかもしれません。
泉代表の手腕が問われます。
とは言え、泉さんは、党の最高顧問の暴走老人を止めることもできませんし、幹事長は枝野さんの子分ですし、政調会長や国対委員長は空回りをしています。泉さんに、立憲の党内を纏められるとは思えません。
「なあ、なあ」「まあ、まあ」の自民党の独壇場では困ります。

さて、国民の皆さんは、立憲民主党の泉代表が、皆さんの生活を守ってくれると思いますか。「戦争反対、平和、平和」と言っていたら平和は守れると思いますか。
与党の皆さんも、野党の皆さんも、日本がウクライナ状態になった時、どうやって戦争を回避するのか、その方法を教えてください。
軍事力というものは、問答無用の凶器なのです。理屈も、願いも、言葉も、通用しません。それが、軍事力です。
第三次世界大戦の相手は、専制主義連合軍であり、中国、ロシア、イラン、北朝鮮です。中国もロシアも北朝鮮も、私達の隣国です。4カ国の中の3カ国が、私達の隣国なのです。世界で一番危険な場所にあるのが日本なのではありませんか。
皆さんの選択肢は2つあります。
戦って、自分を守る。
戦わずに、降伏する。
戦うこともしない、降伏もしない、という選択肢はありません。なぜなら、それを決めるのは私達ではなく、敵国だからです。
野党の皆さんが大切にしている憲法に「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われわれの安全と生存を保持しようと決意した。われわれは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う」と書いてあります。
中国、ロシア、イラン、北朝鮮は、平和を愛する諸国なのですか。
国際社会は、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めているのでしょうか。チベット、ウイグル、香港、台湾、ウクライナ、中東の国々では、平和が実現しているのでしょうか。
何という空疎、何という虚構なのでしょう。これを平和憲法と崇めている私達は、一体、何者なのですか。日本は、現実離れした桃源郷にあるのですか。
先程の選択肢のどちらを選ぶのかは、国民の皆さんです。勝手に政府に決めさせてはいけません。主権者は国民なのですから、政府に、そんな権限はありません。
なんてことは、建前です。皆さんは、「お上」に丸投げしていますから、日本に限っては、政府が決めてもいいのです。国民の皆さんは、何も決めなくていいのですから、楽でいいとは思いますが、文句は言えません。もっとも、忍従には慣れているでしょうから、私が心配することではないのかもしれません。
政府が、戦うと言えば、戦ってください。
政府が、降伏すると言えば、強制収容所に行ってください。
ウイグルでは、数百万人と言われていますが、日本の人口規模であれば、数千万人が強制収容所に連行されることになります。
ウクライナもイエメンも台湾も韓半島も他人事だと思っていませんか。
それは、勘違いです。明日は我が身なのです。
ご主人様が、アメリカ様が、守ってくれるなんて幻想は、捨てる必要があります。
こんな文章を書くと「お前は右翼か」と言われるでしょうが、私は、右翼でも左翼でもありません。現実を見ているだけです。


2022-03-02



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戦争が始まりました [評論]



私は、これまで、何度となく、「地球上から戦争はなくならない」と書いてきました。
そのことを、プーチンが証明してくれました。
もちろん、プーチンに感謝しているわけではありません。
今日も、あらためて、「自分の国は自分で守る」という鉄則について書きます。

2022年2月24日、ロシアがウクライナに軍事侵攻しました。
まだ、1週間も過ぎていませんので、今後の展開はわかりませんが、ウクライナが、いつまで抵抗できるのかが焦点になりそうです。
開戦前、アメリカ政府が、「明日にも軍事侵攻が始まる」と言い続けていましたが、多くの方が、ロシアは軍事侵攻をしないだろうと予測していました。私も、そう思っていました。それは、プーチンが、軍の移動をさせただけで多くの政治的利益を得ていたからです。政治ゲームでは、プーチンが勝者だったのです。
プーチンは、軍事侵攻の理由として「ウクライナのナチス化とジェノサイド」を挙げています。これは、戦争を仕掛ける側にとっては、合理性に欠ける陳腐な理由でも、理由になるという証です。
プーチンの本音は、私なんかにはわからないと思いますが、核兵器を武器にして、時代を変える覇者になろうとしているのかもしれません。
アメリカもNATOも、ウクライナに派兵するつもりはないようですが、「あの時、ロシア軍を止めておかなければならなかった」という結果になるかもしれません。
バイデンは「第三次世界大戦を始めるわけにはいかない」という理由で、軍事的な選択を排除したと言っていましたが、そのことが、第三次世界大戦の導火線に火をつける結果を生む可能性もあります。人間の思考よりも、時の勢いのほうが、はるかに強大です。
専門家の話を聞けば聞くほど、プーチンの勝利は約束されているようです。専制主義国家と民主主義国家の闘いが始まっていると言われていますし、今回の騒動もその一局面だとすると、これは、外交交渉で折り合えるような代物ではありません。自然な帰結として、時の流れは、既に、第三次世界大戦へと向かっています。
多分、これは、ウクライナだけの問題ではないと思います。
今回の戦争は、既存の世界秩序が壊れていくプロセスの1つだと思います。今は、専制主義国家が「押せ、押せ」ですが、追い詰められれば、民主主義国家もケツを捲る時が来ます。必然的に第三次世界大戦が起きるということだと思います。

軍事侵攻は、戦争です。
20世紀前半を思い出すような古典的な展開でしたが、これは、バーチャルの世界の話ではなく、現実です。ミサイルや砲弾や銃弾で、生身の人間が殺されるのです。
この文章を書いている時点では、ウクライナの首都キエフは陥落していませんが、時間の問題だと言われています。
キエフが陥落し、現政権がロシアの支配下に入れば、戦闘は終わるかもしれません。
ウクライナの大統領は、まだ、キエフにいるようですが、キエフを脱出し、他の地域から指揮をとった場合は、戦闘は続きます。
ウクライナ国民にとっては、ゼレンスキー大統領が処分され、戦闘が終われば、目の前の命の危険からは開放されます。もちろん、ロシアの施政下に入れば、これまでのような自由はありませんが、とりあえず、命は助かります。
ウクライナは、なぜ、こんな状況を迎えたのでしょう。
過去の経緯、プーチンの怨念が直接的な原因だと思いますが、ウクライナの国家運営の失敗が最大の原因だと思います。歴代の大統領が、現職のゼレンスキー大統領が、リーダーの器ではなかったということかもしれません。国家運営は、個人の力量でどうにかなるものではありませんが、それでも、個人の力量が低ければ、失敗の確率は高くなります。日本のリーダーの力量不足には定評がありますので、他国のことを四の五の言えませんが、もしも、プーチンがウクライナの大統領だったら、こんな結果にはなっていなかったのではないかと思います。
アメリカの弱体化とバイデンの力量不足も原因の一つです。
欧州も一枚岩ではなく、自国優先に終始しました。欧州各国の指導者の力量も低く、プーチンのほうが、何枚も役者が上だったことも原因です。国のリーダーは、神のような才能を持つ必要はありません。敵対国のリーダーよりも、一枚か二枚上であればいいのです。
ここで、ロシアとウクライナの軍事力を見てみましょう。
大雑把に言って、10対1の差があります。
それ以外にも、ロシアには過去の遺産があります。ウクライナは、ソ連から独立した時に核兵器を廃棄しましたが、ロシアは温存しました。ロシアは今でも核軍事大国です。武器市場でも確固たる地位を維持しています。
ですから、戦えば、ウクライナがロシアに勝つ確率は、ほぼゼロです。
ウクライナのゼレンスキー大統領も国民も、「まさか、ほんとに、ロシアが攻めてくる」なんてことは、考えてもいなかったと思います。
ゼレンスキー大統領は、政治ゲームをやっているつもりだったと思います。
ウクライナも、日本と同じで、人間社会の鉄則を忘れていた国の一つだと思います。
その鉄則とは、これまで何度も書きましたが、「自分の国は自分で守る」という鉄則です。
過去も、現在も、未来も、この鉄則は変わりません。
ロシア国民もウクライナ国民も戦争なんて望んでいません。
それでも、戦争は起きるのです。
いや、今、それが現実になっているのです。
たとえ、「戦争反対、平和、平和」と叫んでいても、戦争は無くなりません。
なぜ、そんな当たり前なことを、忘れてしまうのでしょう。
歴史を見れば、現実を見れば、一目瞭然なのに、つい、忘れてしまいます。
世界で一番この鉄則を忘れている日本の国民である私が言うのは間違いなのかもしれませんが、今回の戦争は、ウクライナの自業自得だと言うしかありません。
確かに、ロシアとウクライナでは国力の差がありますから、ウクライナがロシア並みの軍事力を持つことはできません。しかし、実際に役に立つかどうかはわかりませんが、保険はかけておく必要があったと思います。政治ゲームをするのではなく、ウクライナは早い時期にNATOに加盟しておくべきでした。クリミヤ紛争があった時が、その時だったと思います。クリミヤとロシアに支配されている地域を捨ててでも、一刻も早くNATOの一員になっておくべきだったと思います。
では、NATOの一員になれば、絶対に安全か、と言うと、それはわかりません。
ウクライナの近隣国であるポーランド、スロベニア、ハンガリー、ルーマニア等はNATO
に加盟していますが、NATO軍が本気で守ってくれるかどうかはわかりません。
なぜなら、プーチンが、核で脅しているからです。プーチンなら核の使用もあり得るかもしれません。ベルリンに、パリに、核攻撃をすると言われたら、ドイツやフランスはどうするのでしょう。NATOのリーダーであるアメリカは、どうするでしょう。
実際に、プーチンは、「自分には核を使う覚悟がある」と公言しています。「たとえ、核戦争で世界が滅びても、ロシアが存在しない世界なんて、ロシアには必要ない」と言っています。仮に、NATO軍がロシア領に迫ってくれば、軍事的に追い詰められれば、プーチンは核を使うかもしれません。いや、そこまで追い詰められなくても、使うかもしれません。それは、戦術核という考えが進んでいるからです。核兵器は、もう、最終兵器ではないのです。それでも、核兵器は核兵器です。その破壊力と環境汚染は無視できません。しかし、現実として、世界的に核兵器に対するハードルは下がっています。最初に、プーチンが使ったとしても不思議ではありません。
ウクライナに侵攻したことで、言葉ではなく行動で証明したことで、プーチンの発言には重みが生まれました。プーチンの言葉は、言葉だけではない可能性が生まれたのです。
ウクライナがNATOに加盟していたら、絶対に安全だということではありません。保険というものは、そういうものです。ただ、無いよりはあったほうがいいです。
ゼレンスキー大統領は「我々は孤立無援で、防戦している。共に戦ってくれる国はいない」と言っています。招集された予備役のウクライナ人が、取材に対し「どうして、世界は助けてくれないのだ」と言ったそうです。個人の喧嘩であれば、助けてくれる人はいるかもしれませんが、国同士の喧嘩を助けてくれる国はありません。なぜなら、自国民の命を捨てでも、他国の国民を救う理由がないからです。それが、現実です。だから、今でも、「自分の国は自分で守る」という鉄則が存在しているのです。
まさに、現実に直面すれば、嘆くことしかできません。
責任は、想像力が足りなかったウクライナ政府にあるのです。
NATOは、同盟国ではないウクライナ領内に部隊を送れません。
いや、それは、建前です。ロシアとNATOが全面戦争を始めれば、NATO主要国も無事では済みませんから、ウクライナには派兵したくありません。
ですから、NATOは、ウクライナを助けるつもりは、さらさら、ないと思います。
米ソ冷戦終結後に、新規に加盟した国々を守るかどうかもわかりません。
いや、フランスがドイツを守るのかと問われれば、答はないと思います。
誰でも、自分が一番可愛いのです。
EU域内は国境がないはずでしたが、コロナで国境を復活させました。それが悪いことだとは思いません。当たり前のことだと思います。NATOに過剰な期待をするのは、間違いだと思います。フランスやドイツが助けてくれるなんて思わないほうが正しいです。
アメリカも欧州の主要国も、今回の戦争で、軍事的対応をするとは一言も言いません。経済制裁と口先介入だけです。
それでも、もしも、ウクライナがNATO加盟国であったなら、プーチンは軍事侵攻を躊躇したかもしれません。
これは、ウクライナ政権が、大統領が、国家運営に失敗したということです。
ロシアとウクライナは地続きです。
例えば、東京に住んでいる皆さん、多摩川を渡れば、中国福建省だとしたら、どうしますか。ロシアとウクライナは、そういう場所にあるのです。
そんな場所で安心しているほうが変です。
ゼレンスキー大統領は、やるべきことをしなかったのです。
日常に埋没していれば、先送りで何とかなると思ってしまうのです。

日本国民の皆さん。
遠く離れたウクライナでの出来事ですが、皆さんには関係ないことなのでしょうか。
そうではない、と思います。
どんな状況になっても、どんな国でも、鉄則は鉄則です。
「自分の国は自分で守る」のです。
ウクライナ [→] 日本、 ロシア [→] 中国、に置き換えてみてください。
同じことが起きても不思議ではありません。
悪逆非道という点では、習近平もプーチンに負けていません。
プーチンや習近平や金正恩のような人間は、いつの時代にもいます。この先も、必ず、権力を握る才能を持った悪逆非道な人間は出現します。それが人間社会の現実です。
ですから、何度も書きますが、地球上から戦争が無くなることはありません。
日本政府の対応を見ていると、今回の戦争は、遠いウクライナで起きている他人事と捉えているようにしか見えません。私には、日本政府がウクライナの大統領と同じような対応をしているように見えます。時代は変わりつつあるのです。今こそ、自分事として捉えなければ、日本はウクライナと同じ自業自得と呼ばれるような結果を覚悟しなければなりません。
政府は、総理大臣は、日本の国民に向けて国民意識を変えるような発信をするべきだと思います。ウクライナのように、敵が攻めてきてから、「市民の皆さん。銃を取って、徹底抗戦してください」とお願いしていたのでは、強力なロシア軍は止められません。ロシア軍は戦車軍団です。小銃を市民に配っても役には立ちません。市民の犠牲が増えるだけです。相手は戦車なのですから、市民に配るのは対戦車ロケットでなければなりません。素人では使いこなせないかもしれませんが、数を撃てば精度は上がります。ウクライナ軍がいない場所でもロケットが飛んでくるようになれば、戦車は動けなくなります。ドイツが、対戦車ロケットを支援すると表明しましたが、欧州各国は、1000丁ではなく、競争して数十万丁のロケットをウクライナに送るべきだと思います。
戦争になる前の国家運営は失敗でしたが、戦争状態になったのですから、「派兵できないのであれば、100万丁のロケット砲を送ってくれ」と言わねばなりません。市民に小銃を渡しているようでは、国家運営に失敗しているとしか言いようがありません。どんな国でも、国の責務は「国民生活を守る」ことです。国民生活の基本は、国民の生命です。自国民に銃を渡して「死んでくれ」と言うのは政府の仕事ではありません。
ウクライナ政府は、最低、最悪の政府だと思います。
今のままだと、日本も同じ道を辿ることになります。


2022-03-01



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