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社会そのものを変える [評論]



昨日は、ユニクロの柳井氏の言葉を引用させてもらいましたが、今日は、サッカー選手だった本田圭佑氏の言葉を引用させてもらいます。

先月、自民党政治資金パーティーの収入に東京地検の捜査が入ったというニュースがありました。ロッキード、リクルート、の次はパーティーなのかもしれません。これも、日本の歴史です。政治改革を「先送り」し、ほとぼりが褪めた頃に「なし崩し」で利権を取り戻し、それが事件になる、という歴史です。歴史は繰り返します。
ただ、騒いでいるのは、新聞・テレビ・野党という、いつものメンバーです。ただ、その目的が、自民党に傷を負わせたいという余りにも姑息で小さなものであるのも、いつも通りです。政治システムを、政界の常識を、温存したままでは、何をやっても変わりません。
過去をズルズルと引き摺り、「なあ、なあ、まあ、まあ」でお茶を濁しているのは、この国に、目的が存在しないからです。目的が存在しませんから、達成する必要がないために、達成するために不可欠となる個々人の責務がありません。皆で仲良く「俺には関係ねぇ」と言っていればいいのです。
一部、左傾の国民の皆さんは反応していますが、大半の国民は醒めた目で見ています。
いや。
「俺には関係ねぇ」
「いつものことだ」
「どうしようもないだろう」
と諦めています。
リクルート事件で、「献金は止めましょう」という空気が生まれ、「でも、政治には、カネがかかる」という訳の分からない、政治家に都合の良い理由で政党助成金という制度が誕生しました。何でも反対の共産党を除き、与党にとっても野党にとっても、願ってもない甘い蜜ですから、法律ができました。
国民の税金で、浄財で、政治家を支えれば、腐敗は無くなるだろう、という性善説に基づいた法律でしたが、政党助成金も献金も頂くという結果になりました。「なあ、なあ、まあ、まあ」の社会では、元の木阿弥、なし崩し、は日常であり、政治家だけがウハウハです。
政党助成金は、既に、既得権益ですから、手放すことはないと思います。政治家は、騒ぎが収まるまで、少し、大人しくしておかねばならないと思っているでしょう。この歴史と文化を変えることが出来るのは国民の皆さんしかいませんが、国民の皆さんは、こんなこと、いつまでやらせておくのでしょう。
沈黙は了解と同じです。
政治家だけではなく、誰だって、おカネが大好きです。
ただ、私達は法律を作る権限はありませんが、政治家は、それが可能です。
国民は法律になってしまうと、何も言いません。「いい人」ばかりですから。
昔、国家権力は法と武力だと書いたことがあります。
その法と武力を使えるのが政治家です。
権力の前では、国民は無力です。
国民の皆さんが諦めてしまうのは仕方ないことなのだと思います。
では。
国民は「お上」の御慈悲に縋るしかないのでしょうか。
お殿様とお代官様と越後屋が、「自分さえよければ」をやっているのに、国民は「ウンともスン」とも言いません。これ、封建制度です。確かに、物理的には「土下座」という風習はなくなりましたが、私達は、精神的には、未だに「土下座」している「下々」です。
何故なのでしょう。
それは、国民が言葉の定義を知らないからです。
何となく民主主義、何となく服従、何となく平和、どれも「何となく」です。
これが「なあ、なあ、まあ、まあ」文化の効果です。これほど統治に適した文化は、宗教を除き、他の民族ではありません。古来より「知らしむべからず、寄らしむべし」と言われている統治システムは、この曖昧文化で実現したのです。
国民は、何も知りませんので、「下々」を返上したいと思っても、子供達のために立ち上がりたいと思っても、根拠が見出せません。「ふむ、ふむ」と頷くだけです。
1億2000万人もの国民がいるのに、そのことに気付く人がいません。
ほんとに、ヘタレな国民だと思います。
「偉そうに。お前が、何とかできるのか」
もちろん、私一人では、どうすることもできません。
でも、国民の皆さんであれば、「何とかできる」のです。
政治家だって人の子です。怖いものは怖いのです。特に、選挙での落選は、滅茶苦茶、怖いです。国民に嫌われたら、美味しい蜜は吸えません。
そう考えると、国民の強みは、投票権にしかないのです。民主国家に限定されますが、国家権力に対抗できるのは投票権だけです。皆さんは、投票権が、使い方によれば、強力な武器になることを知りません。宝の持ち腐れです。
自分が稼いだカネを、「法律だ」「税金だ」「保険料だ」と言われてピンハネされ、政党助成金という名目で政治家の美味しい蜜にしてしまって、「俺には関係ねぇ」「いつものことだ」「どうしようもないだろう」でいいのでしょうか。
税金だけではありません。政治家に献金するのは、その見返りがあるから献金するのです。献金している人は、慈善活動で献金しているわけではありません。一部の人達が自分の利益のために、カネを出して利益を得られる仕組みが、国民の利益になるとは思えません。
これで、いいんですか。
おかしいと思います。
しかし、国民は、「誰かが、何とか、してくれ」と思っています。
どうやら、私達の未来が暗いことに気付き始めた国民ですが、行動を起こすつもりはないようです。これを、ヘタレと呼ぶのです。
国民の皆さんは、悲劇のヒロインなんですか。それとも、マゾなんですか。ただのヘタレなんですか。
真っ暗な私達の未来を、この現実を、変えるのは国民の皆さんしかいないということに、どうか、気付いてください。

サッカー界のビックマウスと呼ばれた本田圭佑氏までが、日本に注文を付けています。
「私は日本人と私たちの未来を信じています。しかし、私たちはできるだけ早く多くのことを変えなければなりません」
「多くの腐敗した制度や無能な老人が権力を握り続けています。それらを変えられなければ、今よりもさらに厳しい状況に直面することになるでしょう」
確かに、「たかが、昔のサッカー選手」かもしれませんが、スポーツ選手にまで、こんなことを言わせるのは、よほど、この国が危険な場所にいるということです。ユニクロの柳井氏と似ている危機感を持っているのは、本田圭佑氏も世界を飛び回っているからだと思います。
いろいろな方が「ヤバイ」と言います。
国民の皆さんも「ヤバイ」と思っています。
でも。
「どうすればいいのか」が、誰にもわかっていません。
柳井氏も本田氏もわかっていません。
「ヤバイ、ヤバイ」と言うだけでは、何も変わりません。
誰か、このドン詰まり状態の日本を変える提案をしていますか。
そんな方は、いません。
何故か、わかりますか。
それは、原因が文化にあるからです。しかも、曖昧文化です。何もかもが曖昧で、確実なものは何一つないのですから、原因が特定できません。原因が文化そのものにあることに気付かなければ、提案のしようがないのです。しかし、その文化の上で考えるのですから、いくら考えても、文化には気付かないのです。
世界を見ている柳井氏や本田氏は、少しだけ、文化の影響力が衰えているために、朧気に危険が見えているのです。でも、朧気では、文化に気付きません。

話題になりませんが、野党は大々的に政治資金パーティーをやっているのでしょうか。
多分、野党がパーティー券を売っても買ってくれる人はいないから、やりたくても出来ないでしょうし、やれたとしても、お付き合い程度の献金では収益は見込めないのだと思います。政治資金パーティーは、パーティー券を買ってくれる人達に見返りがあって成り立つのです。野党には差し出す見返りがありません。仮に、政権交代の可能性が出た政党であれば、先行投資としての献金はあるかもしれませんが、今、そんな政党はありません。献金と利益供与はコインの裏表です。
今は、地検が自民党議員を逮捕することに期待しています。
なぜ、国民運動にしないのでしょう。
それは、規模は自民党ほど大きくはありませんが、自分の首を絞めるからだと思います。自分の小悪を守るためには、大悪を認めるしかありません。
野党も、国民と同じで、ヘタレです。
自民党と自民党を支える利権集団だけが美味しい果実を手に出来るのです。
これは、民主国家ではありません。
でも、国民の皆さんは、自分に責務があるなんてこと知りませんので、「別に、俺、それでも構わないよ」と考えています。「面倒なことに巻き込まないでよ」と思っています。
ですから、この国は、潰れます。
この国を壊すのは、子供達の未来を奪うのは、「欲ボケ政治家」に票を投じている国民の皆さんなんです。
国民の皆さんがヘタレだから、政治家は「欲」に忠実になれるのです。
こんな簡単な事、どうして気付かないのか、不思議でなりません。

本田圭佑氏が指摘しているように、「多くの腐敗した制度」を変える必要があります。でも、このままでは変わりません。何でも、「なあ、なあ、まあ、まあ」で片が付くので、変えようがないのです。
多くの国民の本音は。
「自民党政権では駄目だ」
「しかし、とても、野党には、政権を任せられない」
「だから、自民党しかない」
これが、国民の皆さんの本音だと思います。
まさに、袋小路です。どこにも、逃げ場がありません。
何が問題なのでしょう。
この国では、国民が新しい選択肢を作ったことがありません。
選択肢は、「どこかの、誰か」が用意してくれるものなのです。
これが、日本の歴史と伝統です。
この既成概念を壊さなければ、何も始まりませんが、そのことに気付いている人がいません。だから、袋小路で身動きが取れないのです。
つまり、国民が新しい選択肢を作らなければ、このままだということです。
いくら「ヤバイぞ」と叫んでみても、何も変わりません。
棚から牡丹餅は落ちてきません。

この国では、6人に1人の子供が、「飢え」を体験していると言われます。
100円のおにぎりも買えません。
当然、塾なんて夢のまた夢です。
「子ども食堂」が大繁殖しているのに、私達大人は「見て見ぬふり」です。
皆さんは知らないと思いますが、国民には、全ての子供が飢えることなく成長することに力を注ぐ責務があります。「寄付をしろ」という意味ではありません。大人には、一人の例外もなく、子供達が安心して成長できる社会を作る責務があるのです。「俺には関係ねぇ」と言える国民は1人もいません。
今は、子供達のために寄付をしている人でさえも、ボランティアをしている人でさえも、充分責務を果たしているとは言えません。社会そのものを変えるのが、国民の責務です。
しかし、誰一人、国民の責務を知りません。
ですから、責務を果たすことができないのです。
日本国民は、ほんとに、「いい人」ばかりです。今は、その「いい人」の部分が政治家に利用されていますが、責務を知った「いい人」は、本物の「いい人」になると思います。そして、懸命に子供達の未来を守ろうとするでしょう。そんな国民が、責務を果たそうとしない政治家に票を投じることはないと思います。そうなれば、「欲」の塊でしかない政治家でも、政治家の責務を果たすしかありません。国民が変われば、強欲な政治家であっても変わらざるを得ないのです。国は、国民次第で、どのようにでも変われます。
もちろん、理想通りになることはありませんが、この国は変わると思います。いや、これ以外に変わる方法はないと思います。世界で民主主義が行き詰っています。日本が成功すれば、それが世界基準の民主主義になるかもしれません。


2024-01-02



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