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ヒモに貢ぐ女 [評論]



今日も、国民の皆さんのことをボロクソに書きます。
国民の皆さんを、これほど悪しざまに書くブログは他にないと思います。
悪しざまには書きますが、悪意はありません。
この国は壊れかけています。近い将来、壊れます。
そんな国を救えるのは、国民の皆さんしかいないから、「どうか、目を醒ましてください」とお願いしているのです。
「これが、お願いしている者の態度か」と言われれば、「ごめんなさい」と言うしかありませんが。

自民党裏金事件は、検察の捜査では、煮え切らない形で終わりました。
多くの皆さんがそう感じるのは、「4000万円」という線引きだと思います。
生活が苦しくなる一方の国民から見れば、自民党のやったことも検察の捜査も、「許せない」と思っても仕方ありません。「1円」と「4000万円」の線引きの違いを「ふむ、ふむ」と頷ける国民は少ないと思います。今回の検察の「4000万円」という線引きは、これまでの政治家と検察の鬩ぎあいの中から「なあ、なあ、まあ、まあ」で生まれたものです。たとえ、1万円の不記載であっても、会計責任者を起訴することは可能です。しかし、それをやれば政治家と検察の戦争が始まります。そこで利用されたのが「なあ、なあ、まあ、まあ」です。検査官にも個人の生活があるのですから、退職覚悟で「前例を破れ」とは言えません。しかし、「目的と責務」があれば、政治家の横暴は防げると思います。
正義を追求しなければならない検察官には、忸怩たる思いはあったと思います。幹部を起訴できなかったのは現行法の「ザル」のせいだと言いたかったのだと思います。
「ザル法では、これが、限界ですよ」「国民の皆さんは、これでいいのですか」という検察の意見表明だと思います。
この先は、法律そのものの議論が始まります。
政治資金規正法に焦点が当たったことは、検察の意図が成功したということです。
ただ、検察が期待するような結果は得られないと思います。
政治資金規正法は、政治家が苦心をして作り上げた財産です。その財産を毀損するような改正は、政治家にはできません。
過去の経緯から推測すれば、与党の改正案、与野党協議、世論の誘導、ほとぼりの冷める時間、等々の「ああでもない、こうでもない」の騒動の後で、「なあ、なあ、まあ、まあ」の法案が作られて、終わると思います。
そして、その法律も、いつの日か、元の木阿弥になります。
また、同じことを繰り返すのですか。国民の皆さんは、それでいいのですか。
確かに、現状では、方法はありません。国民は、手も足も出せません。
だったら、この国の主権者である国民の皆さんは、どうして、このようなシステムを変えようとしないのでしょう。これでは、独裁国と同じです。日本の場合は、独裁者は入れ替わりますが、誰が独裁者になっても、国民は「下々」のままです。
その責任は、国民、政治家、自民党、安倍派の4者の誰にあるのでしょう。政治家に、自民党に、安倍派に一票を入れている、主権者である国民に最大の責任があります。確かに、自民党以外に投票先はありません。投票先が無ければ、国民が作ればいいのですが、そういう議論は、全く、出ません。

自民党の対応も旧来通りですが、これから始まる野党の対応も、旧来通りのものになると思います。国力繁栄が終わり、国力停滞の時期も終わり、この先にあるのは国力衰退だけです。そんな時代に、旧来のやり方が通用するとは思えません。
検察が捜査結果を公表した後に、共産党主催のデモがありました。デモに参加したのは800人だそうです。この先も、何度となくデモは計画されると思いますが、それで、与党の改正案が変わるとは思えません。もしも、変化があるとすれば、数十万人、数百万人のデモに発展した時だけだと思います。数十万人、数百万人のデモは、共産党だけでは難しいと思いますので、自民党も国民の要求には配慮が必要になります。
でも、それは、あくまでも、配慮でしかありません。決めるのは自民党です。
総理大臣の諮問機関として、第三者委員会を立ち上げて、そこで議論すべきだという方もいます。でも、その第三者委員会の議長と委員を指名するのは自民党です。
予算を決めるのも、税金を決めるのも、社会保険料を決めるのも、自民党です。
国家運営の全ての権限は自民党にあり、それを継続維持するためには選挙で勝つ必要があり、多額のカネが必要なのです。つまり、自民党の国家運営は「選挙とカネ」のためにあるのであって、「国民生活を守る」ためではありません。
自民党は、法と武力を手にすることで、「お上」になり、「下々」の国民は、手出しも、口出しもできません。これ、中国共産党と、どこが違うのでしょう。
国民には投票権があるじゃないか、という人がいますが、その通りですが、目的と責務がない状態では、投票権は何の武器にもなっていません。
野党よりも、ほんの少しましな政治をしていれば、国民は自民党に一票を入れてくれます。「自民党は、ひどい」「でも、野党は、もっと、ひどい」「しゃーない」で、自民党が与党を維持するという構図が続いていますが、どうして、国民の出番はないのでしょう。
それは、国民の皆さんの意識が「下々」のままだからです。
「下々」は「お上」に逆らうようなことはしません。
「自民党よ、しっかりしてくれよ」という国民はいるでしょうが、「自民党なんて、無くしてしまえ」という国民は、多くないと思います。
自民党議員だけではなく、禄でもない政治家しかいないのですから、国民は、自民党しか選択できないのです。「政治とカネ」問題が起きると、左翼の方は「自民党に投票するな」と言います。確かに、自民党に投票する人は減りますが、有権者の選択は、「投票所に行かない」という選択になります。だって、野党の候補者に投票することが解決にならないと思っているからです。投票率が下がり続けているのはそのためです。
でも、国民の皆さんは、ほんとに、それでいいのですか。
どうして、皆さん自身が、新しい選択肢を作ろうとしないのでしょう。
そんなこと、「下々」の仕事ではないと信じているからです。
100人中100人が「俺ではない、誰かが、何とかしろ」と思っています。
政権を倒して、自分が甘い果実を食べたいと思っている人達だけが「打倒、自民党」を叫ぶだけです。「目的」も「責務」も無い状態で、誰が「お上」になっても変わりません。いや、国民の皆さんは、ロシアや北朝鮮や中国になりたいとは思っていません。そんなことになるのであれば、自民党でいいと思っています。ただ、これも、大きな勘違いです。なぜなら、自民党のやっていることは、自分の党に利益になる法律を作っている中国のやり方と瓜二つだからです。
これでは、余りにも選択肢が劣悪だと思います。劣悪な選択肢の「どちらが、ましか」で選択している限り、どちらに転んでも劣悪なのです。
では、この劣悪な環境を変えるのは、変えることが出来るのは誰でしょう。
国民しかいません。
しかし、国民の皆さんは「俺には関係ねぇ」「俺ではない誰かが何とかしてくれ」「俺は、別に、下々でも構わねぇ」と思っています。
「お上」も「お上」なら、「下々」も「下々」です。
皆さんと「自民党の欲ボケ老人」に差があるのでしょうか。
いいえ、無責任という点で、同じだと思います。
この国を壊していているのは政治家だけではありません。国民の皆さんが協力して壊しているのです。ですから、この国は、地獄になります。
でも、地獄は悲惨です。そんな場所に、何の責もない子供達を連れて行くのは間違っていると思います。どれほど多くの子供達が苦しみ、命を失うのかを考えると、悲しくなります。大人は自業自得で済みますが、子供に責任はありません。
「お上」であろうと「下々」であろうと、大人には大人の責務があります。それは、大人であるというだけで、自分の子供だけではなく全ての子供を守るという責務です。
そのことに気付かない大人は、下の下だと思います。
「下々」も「下の下」も卒業して欲しいと思います。

検察が捜査し、立件し、多くの報道が流れ、お祭り騒ぎになりましたが、野党は、お祭りを継続しようとしますが、国民の関心は、いつまで続くのでしょう。
半年後、1年後に選挙があったとして、自民党の当選者数は減ると思いますが、第1党は変わらないと思います。ですから、自民党政権は続きます。
自民党は、「禊は済んだ」「国民の信頼は得た」と言います。
国民の皆さんは、自民党を信頼しているのでしょうか。
いいえ、他に選択肢がないだけです。
法律を変えろ、という議論はありますが、法改正議論は「なあ、なあ、まあ、まあ」で決着します。法改正が不要だと言うつもりはありませんが、法改正では政治構造は変わりません。この国は、政治の分野だけではなく、あらゆる分野の「あり方」を根本から変える必要に迫られています。そのことに気付いていないから、国力衰退という症状が表面化しているのだと思います。「あり方」を変えるためには、文化を変えるしかないのではないでしょうか。
でも、そんな指摘は、誰もしません。
それは、危機感がないだけではなく、時代認識が間違っているからだと思います。
国民は、ぬるま湯に浸かったまま、習慣的に、自民党に投票します。そして、批判だけは一人前にします。
自民党しか投票先が無い現状を変える責務を負っているのは国民です。責務を果たしていないのは国民なのです。しかし、国民に、そんな自覚はありません。それは、誰も、国民の責務を知らないからです。
戦後政治史を見ても、細川政権と民主党政権という短期間の政権交代は起きましたが、国民の選択は、自民党政権に戻りました。
殴られても、蹴られても、国民負担でケツの毛まで抜かれても、国民には、自民党という選択肢しかないのです。これでは、まるで、ヒモと貢ぐ女の関係です。ヒモは、自分では稼がず、搾り取り、使う、人です。貢ぐ女は、体を酷使して、稼ぐ人です。まさに、政治家と国民の関係に酷似しています。
いつまで、こんな関係を続けるのでしょう。
このままでは、貢ぐ女の体はボロボロになります。
逃げ出せばいいのに、貢ぐ女は、自分にはヒモの男しかないと思い込んでいます。
ヒモに依存したままでは、苦しみの中で、死ぬだけです。
確かに、女の周辺にいる男は禄でもない男ばかりですから、自分を守ってくれる男を見つけるのは至難の業だと思いますが、貢ぐ女には他に方法はありません。
でも、ヒモのような「政治家」と、貢ぐ女のような「国民」の関係は、少し違います。
自民党政治家とその他の政治家は、どの政治家も同じですが、国民の場合は、自分の意識を変えることで、全く新しい政治家を作り出すことが可能です。
この差は大きいと思います。
自民党政治家も他の政治家も、過去の延長線上にいます。ヒモは、いつまでも、ヒモでしかないのです。ヒモでいる限り、選挙で勝っている限り、ヒモは、政治家は、安泰であり、美味しい果実にありつけるのです。
国民が変わらなければ、ヒモと貢ぐ女のような関係は変わりません。
貢ぐ女も国民も、ヒモや政治家にマインドコントールされています。
その道具として使われているのが、力であり、歴史と伝統であり、常識であり、曖昧文化であり、それらを統合した「なあ、なあ、まあ、まあ」です。
貢ぐ女と国民に共通しているのは、どちらも、「いい人」です。
こんな関係は、やめるべきだと思います。


2024-02-04



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