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武士の娘 [文学系]



杉本鉞子著の「武士の娘」という本を読みました。
原題は「A Daughter of the Samurai」です。大岩美代という方が訳したものです。
英語で書かれた、日本人による、日本の生活の話です。杉本鉞子氏は明治6年に、旧長岡藩の家老の家に生まれ、幼少時代はまだ越後の国という呼び方が相応しい土地で過ごしました。ところが、結婚した相手がアメリカで貿易商をやっていた兄の友人の日本人でした。少し、ややこしいですね。アメリカで生活していると、アメリカ人から「日本では、こんな時、どうするの」「日本にも、こんなお祭りはありますか」と日本のことをよく聞かれたそうです。日本のことを、アメリカ人に話しているうちにいろいろなことを書きとめるようになり、自分の生い立ちや生活をまとめたようです。
明治初期の地方都市の歴史の一部でもあったのでしょう。日本に大名というお殿様が何人いたのか調べていませんが、仮に100人とします。禄高によって多少の違いはあったかもしれませんが、一つの藩に5人の家老職の人がいたとすると、全国では500人です。徳川将軍家を別にすれは、武家社会の頂点にいた500人です。その娘なのですから、お姫様になります。明治維新以降に生まれていますので、既に姫君ではなかったのですが、まだまだ武家社会の空気はなくなっていない時代だったと思います。
結婚相手が決まり、渡米するために、明治の初期に英語を習得する目的でミッションスクールに通います。教師も外国人が多くいたというのですから驚きです。あの時代、英語の勉強をしていた女学生など数えるぐらいしかいません。特別の場所にいた特別のお嬢さんの生活史のようなもので、現在の私達が読むと別世界の雰囲気もありました。
なぜ、こんなことを書くのかというと、この本は世界で七ヶ国語に翻訳されている書物なのです。原文が英語だったので翻訳しやすかったのだと思いますが、見知らぬ国の方がこの本を読んで、日本人を理解したのだとすると、少し心配になりました。
翻訳ですから、文章力は原作者だけのものではないと思いますが、文章は活き活きとしていて、大変読みやすいものになっていました。自伝に近いものですが、時代と歴史と当時の女性の意識に触れるという意味では、それなりに楽しい本でした。
いつの世でも、女は逞しいのだと、あらためて感じさせられました。

著者の生まれた家には仏壇が大切な場所にあり、お寺や神社の話も出てきます。本人はミッションスクールに通い、クリスチャンの洗礼も受けたようですが、日本人のキリスト教信者だったようです。キリスト教やイスラム教は排他的な宗教ですが、仏教は少し違います。と言うより、日本人の宗教観が異質なのかもしれません。
日本では仏教も神道も山の神も海の神も、等しく神であり、それを無理なく受け入れるのが日本人です。日本人は、キリストもモハメッドも仏陀も通り超えた無限の場所にいる筈の神のような大きなものを神だと思っている部分があります。私の母もクリスチャンですが、父は建前では浄土真宗の不信心者ですし、私に至っては無神論者です。でも、母は夫にも私にも宗教のことで何かを要求したことはありません。日本人クリスチャンは、自分だけがクリスチャンであれば、そこで完結できるようです。
私は、若いころに無銭旅行に出たことがあります。食費以外はお金を使わない旅行です。ですから、ひたすら歩き、野宿します。でも、寒い時期でしたので野宿は大変です。ある日、寝場所を確保しようと、教会の牧師の家を訪ねました。汚れた旅人ですから、危険だと思ったようで、断られました。また、別の日に、お寺を訪ねて本堂の片隅を貸して欲しいと頼みました。早朝に和尚と掃除をする条件で、本堂を貸してもらいました。朝になり、和尚と境内を掃除して、礼を言って出かけようとしたら、「めしを食っていけ」と言われました。「なに、家族と同じものしか出せん」と言われ、私は有難く朝食をいただきました。そのときのみそ汁の味は今でも忘れません。私が無神論者だと言っても、あの和尚なら笑い飛ばしてくれるでしょう。
私の母はキリスト教で救われたと思ったでしょうし、私はキリスト教に不信感を持ちました。国家でも企業でも宗教でも、その担い手の資質によるという説に説得力があるように思います。
読書感想文の筈でしたが、また、脇道に逸れてしまいました。
小説を書くということは、私の場合、挫折を捜す旅のようなものなのですが、何故か捨てることができません。書く度に、自分の書いたものに挫折しますし、素晴らしい作品に出逢うと、やはり挫折しそうになります。それでも、また、書き始める。ほとんど、病気といってもいいのかもしれません。
前回、吉村昭の本を読んでいると書きましたが、今も、氏の「間宮林蔵」を読んでいます。但し、私は雑食ですから同時並行で他の作家も読んでいます。最近読んだものは、吉村昭、杉本鉞子、北方水滸伝・陽令伝、新保祐一、堂場瞬一、太田欄三、藤沢修平、山本周五郎、薬丸岳、深町秋生等で、何の脈絡もない内容になっています。
私は女流作家を苦手にしていますので、杉本鉞子は異例です。しかし、最近は女流作家が増えてきました。これは、時代を反映しているように思います。先日参加した「覆面作家企画」でも、皆さん無名の小説書きですが、やはり女性の方に才能があるように感じました。スポーツ界でも女子が活躍しています。男子も頑張れ、です。


2011-11-13



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