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最強の武器 [評論]



日本の就業者数の35%に当たる約2000万人の方の「年収」は300万円以下です。国会議員は、「月収」で300万円以上稼いでいます。そんな国会議員が、さらに、数十万円から数千万円の無税のカネを稼いでいるのです。
庶民の金銭感覚から見ると、自民党裏金事件での立件は、納得いかないと思うのが普通だと思います。
政治資金だけではなく、裏金だけでも庶民感覚からは遠く離れてます。
でも、怒ってみても、不平不満を並べても、私達にはどうすることも出来ません。
国民の皆さんは、どんどん、「やる気」を失うと思います。
国を繁栄させるのは国民次第ですが、「やる気」を失った国民が、国を豊かにするとは考えられません。
今回の事件も、国力衰退の背中を押します。
政治家は、自分で富を生み出すことは出来ない人達で、彼等は、国民が「やる気」になって富を生み出すことを支援するのが仕事です。
ところが、その政治家が、国民の「やる気」を奪っているのです。
逆です。変です。これ、間違っています。
しかし、どうすることも出来ませんよね。
このまま、ずるずると、じわじわと、壊れるのを待つしかありません。
なぜなら、国民の皆さんは「俺ではない、誰かが、何とかしてくれ」と思っているからです。
でも、「誰か」なんて人は存在しません。
つまり、国力衰退は行き着く所まで行くということです。
国力衰退の先にある国家破綻は、「何もしない」という判断をした国民の皆さんが選んだ道です。その責任は、国民の皆さんにあります。
今回の事件でも不平不満を口にする方は、それなりにいます。
「で、どうするんですか」と問うことはあっても、その対応策は小手先のもので、政治家は簡単に克服するだけです。何度も、そうやってきました。
中には、選挙で「自民党議員に投票するな」と言う人はいますが、そのほとんどが、左翼の皆さんです。左翼の皆さんも、自民党のような権力が欲しいのです。いや、左翼の方だけではなく、誰でも、カネは欲しいです。
では、左翼の扇動に乗って立憲・共産党に投票すれば、皆さんの生活は豊かになるのでしょうか。
そんな結果は望めません。
皆さんの生活は、今より悪化すると思います。
バラマキで、一時的には楽になりますが、バラマキは続きません。バラマキの反動で、生活はもっと苦しくなると思います。
他に方法はあるのでしょうか。
あります。それが「目的と責務」を明確することです。
国民の皆さんは、その「目的と責務」を明確にする義務があるだけではなく、それを実現する武器も持っているのです。その武器が投票権です。
皆さんの持っている投票権は、武器なんです。それも、最強の武器です。投票権に勝てる武器は独裁しかありません。
でも、投票するに値する政治家がいないのですから、武器は使い物になりません。
最強の武器である投票権は、「目的と責務」と言う環境が整わなければ、二束三文の価値もないのです。
もしも、自分の生活に死活的に重要な政策を実行してくれる政治家がいれば、国民は、武器である投票権を使うと思います。投票率は飛躍的に高くなると思います。
では、今のシステムで、投票所に足を運んでいる人は、どうして、投票所に足を運んでいるのでしょう。
自分が所属する団体の要求に応じている人。
知人、友人に頼まれた人。
「投票は国民の義務」だと信じている人。
ただ、ただ、惰性で投票所を訪問している人。
誰一人、「国民生活を守る」ために、投票所に行っている人はいません。
当たり前です。「国民生活を守る」ために立候補している人がいないからです。
それだけではなく、4割以上の国民の皆さんは、「俺には関係ねぇ」と思っています。
つまり、国民も、国民の目的が「国民生活を守る」ことだとは思っていないのです。
そして、生活が苦しくなって、「俺ではない、誰か、何とかしてくれ ! 」と思っている。そんな都合のいいこと起きるのでしょうか。これって、自業自得なのではないでしょうか。
この投票するに値する政治家が存在しない現実を変えるためには、国民の皆さんが投票するに値する政治集団を作るしかありませんが、そのような論調は皆無です。それは、新しい政治集団を作る方法が見えていないからです。

人間社会に平等なんてものはありません。
平等、公平、公正が叫ばれるのは、無いから叫ばれるのです。
人間社会のあり様は、「強さ」で決まります。
これは、どんな社会でも、古今東西、例外がありません。
本来であれば、最強の武器を持っている者が最強になるはずですが、武器が武器であるという認識が無ければ、何の役にも立ちません。
政治家と検察と国民の「強さ」を比較してみましょう。
検察と国民では、どちらが強いか。
明らかに、検察のほうが強いです。それは、検察には、法律という武器があるからです。国民は、法律を作ることができませんし、法律を使って捜査、逮捕、起訴する権限を持っていません。捜査、逮捕、起訴されるだけです。
では、政治家と検察では、どちらが強いか。
明らかに、政治家のほうが強いです。それは、政治家が、法律を作る権限と検察組織を支配する権限を持っているからです。検察は、法律で定められた範囲でしか仕事が出来ませんし、政治家が作った悪法を取り締まることはできません。そして、検察は司法の一員であるだけでなく、官僚組織の一部ですから、前例を逸脱することはしません。政治家は、長い年月を使って、その前例を自分達に有利になるように努力してきました。前例は、政治家にとっての財産です。政治家は、原則のない環境を利用し、得意の「なあ、なあ、まあ、まあ」を駆使し、前例を勝ち取ってきたのです。政治家は「なあ、なあ、まあ、まあ」のプロです。官僚に勝ち目はありません。
例えば、政治資金規正法に「4000万円以下の不記載は起訴しない」という条文はありません。でも、起訴の相場があるのです。それが前例です。
これは、「なあ、なあ、まあ、まあ」が機能していなければ、あり得ないことです。
国は、国民に対しては「1円の瑕疵も許さない」のに、政治家に対しては「4000万円までの瑕疵は認める」のです。こんな不合理は、力関係を抜きには起き得ません。
力を持っていない国民は泣き寝入りをするしかないのです。
政治家と検察と国民の「強さ」を見ると、政治家、検察、国民の順になります。
でも、投票権は、その最強の政治家の去就を左右できるのです。政治家は、選挙で落選すれば、ただのジジイです。最弱の国民は、最強の武器を持っていながら、その武器を使う術を知りません。国民は、無知が原因で、最弱に甘んじ、自分で自分の首を絞めているのです。
封建制度下では、民が最弱の存在でしたが、民主主義では違います。
民主主義の最大の特徴は「主権在民」です。本来、国民が最強の存在であるのが、民主主義です。しかし、現実は、そうなっていません。国民は、封建制度下の民百姓と同じ、最弱の存在のままです。
それは、国民の皆さんか民主主義を定義しないからです。
ただ、古来より、私達は言葉の定義をするという習慣を持っていませんでした。「なあ、なあ、まあ、まあ」の社会では言葉の定義など必要なかったのです。でも、私達の生活が、ここまで追い詰められると、いや、生活崩壊を目前にしているのですから、自分の身を守るために「なあ、なあ、まあ、まあ」とは決別する必要が出てきたのです。
今回の「政治とカネ」問題は、私達の社会のあり様の悪しき一部分です。社会の基盤を変えなければ、悪しき部分は別の場所でも出ます。国民の貧困化も国力衰退も、同じ原因によるものです。これは、皆さんの生活の破綻に繋がるものです。
こんなこと、いつまで続けるのですか。
不平、不満、泣き言を言うだけで、いつものように、泣き寝入りをするのですか。
いや、泣き寝入りしていられるのであれば、いいのですが、寝ていられません。
地獄では、飢えと寒さと恐怖で、寝てはいられないからです。

さて、国会が開幕して、いつもの茶番劇が始まります。
「目的と責務」が無い状態で、枝葉の議論をしても、成果は期待できません。
野党は、政治資金問題で「ああでもない、こうでもない」と言います。
でも、野党は、言うだけしかできません。
自民党は、政治資金規正法に手を入れるかもしれませんが、大幅改正をすることはないと思います。自民党にとって政治資金規正法は財産です。
政治家の目的は「選挙に勝つ」ことです。そのためには、カネが必要です。野党候補に勝つためには、より多くのカネが必要です。政治家にとって、特に与党の政治家にとって、カネを生み出してくれる政治資金規正法は必要不可欠な武器であり、しかも、「笊」であることが必要です。それを決めることが出来るのは与党だけです。
国民は、今、自民党に「うんざり」しています。ですから、「ほとぼり」が冷めるまで解散総選挙はできません。カネがあっても、選挙に勝てない可能性があるからです。
ただ、冷却期間は、1年も必要ありません。半年もあれば、国民は興味を失ってくれます。国民に対してゼロ回答は難しいと思いますが、嵐が去るのを待てばいいだけですから、そこそこの対策案を提示すれば済みます。国会では、野党の追及に、失言をしないようにするだけです。もちろん、「何もしない」という選択肢はありません。それは、身から出た錆ですから、仕方ないと思います。
儀式として、玉虫色の案を採決すれば、今回の政治とカネ問題は終わりです。
ま、10年くらい凌げれば、成功だと思います。
それに対し、野党も国民も対抗する手段を持っていません。与党の独壇場です。
いや、手段はありますが、そのことを誰も知りません。手段があっても、その存在を知らなければ、手段にはなりません。
今は、法が最強の武器ですが、法を越える武器はないのでしょうか。
あります。
それは、国民の意識だと思います。
国民の意識は、法を変えることだって可能です。
国会議員って、何をする人なのですか。
選挙運動をする人なんですか。
違いますよね。「国民生活を守る」ための仕事をする人です。言葉を換えると、国会議員の責務は、国民生活を守ることです。
では、今、国民の生活は守られていますか。
とても、守られているとは言えないと思います。
国民の皆さんが、言葉の定義をし、責務を明確にし、目的を構築し、「目的を達成してくれる政治家に投票します」と言えば、この国は変わります。
目的が生まれ、責務が明確になり、その目的を達成するための政治集団が生まれれば、公職選挙法も政治資金規正法も変わります。
「目的と責務」が明確になり、国民意識が変われば、ただ、ただ、選挙運動をする人は、「国民生活を守る」仕事をしない人は、国会議員になれません。
ただ、私の提案には、大きな弱点があります。この提案の前提には、国民の皆さんが「いい人」であることが条件です。
「責務は守りたくない」という人もいるでしょうし、「目的なんて糞喰らえ」と思う人もいるでしょうし、そもそも「責務」では「欲」には勝てません。いや、「欲」に勝てるものはありません。「欲」が最強です。それでも、変わると思います。なぜなら、幸いなことに、日本人の多くが「いい人」だからです。
この提案は、日本でしか成り立たないのかもしれません。


2024-02-03



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