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頑張らないから衰える [評論]



2013年、約10年前に、当時の総理大臣だった安倍総理が「アベノミクス」という政策を示し、多くの方が、歓迎し、拍手し、褒めました。
でも、最近では。
アベノミクスは、失敗だったという意見が多くなりました。
私も、アベノミクスは失敗だったと思います。しかし、未だに、その原因の原因については、誰も知りません。いや、知らないのではなく、気付いていないのだと思います。
よく「政治は結果責任だ」と言われますが、10年という時間を無駄にした責任を政治は取ったのでしょうか。いいえ、安倍総理が銃弾で倒れたのは、アベノミクスの失敗の結果ではなく、統一教会問題が原因でした。
では、誰かが、自民党が、その責任を取ったのでしょうか。
いいえ、誰も、責任は取っていません。
失われた30年の中の10年は、アベノミクスの時代です。
つまり、「政治は結果責任だ」という言い伝えには何の意味もない、ということです。この言葉は「先送り」の言い訳にすぎません。
政治は、何をやっても許される、ということのようです。
もちろん、責任の取りようがありませんから、当たり前のことです。
墓前で、安倍さんに「時間を返せ」と言ってもても意味がありません。
では、アベノミクスをもて囃した人達、何も言わなかった人達、に責任はないのでしょうか。
これも、責任の取りようがありません。
では、アベノミクスに反対した人達に、責任はないのでしょうか。
そんな人達はいませんでしたが、アベノミクスに代わる政策を提示した方はいませんでしたので、責任を取る人が、そもそも、存在しません。
失われた30年の責任を取る人は、一人もいない、ということです。
30年間で、日本の国力は大きく損なわれました。
では、この国力衰退という結果の責任は、誰が取るのでしょう。
国民が、責任を取るしか方法はありません。
ですから、皆さんの生活が苦しくなっているのです。
世界に後れをとり、貧困化が進み、国力は衰退し、国家破綻へと向かっている国では、その国の国民の皆さんが、最終的には、飢えることで責任を取るのです。
これが現実です。
何があっても責任を取るのは国民です。それは、その国の統治方法が違っても、どんな国でも、変わりません。
しかし、そのことに気付く人がいませんので、どうすることも出来ません。なぜ、気付かないのか、不思議ですが、「俺には関係ねぇ」と思っています。
「いえ、いえ、これ、あなたの問題ですよ」と言いたいです。
ただ、皆さんには動物的な直感がありますので、何が起きるかは見通せていませんが、「不安」だけは感じています。
実に厄介です。
こういう仕組みを研究する学問はないのでしょうか。

10年前に、アベノミクスが発表された時に、このブログでは、「アベノミクスは失敗する」と書きました。
その理由は、成長戦略と財政出動と金融緩和という3本の矢の中の成長戦略という矢が存在していなかったからです。あの時は、「幻の矢」だと書きました。
当時は、まだ、「目的と責務」に気付いていませんでしたので、アベノミクスに対する提案は出来ませんでしたが、失敗することだけは理解していました。財政出動と金融緩和では、国は豊かになりません。国が豊かになるために必要なものは成長戦略ですが、肝心要の成長戦略が存在しなければ、それを支えるための財政支出と金融緩和は意味を持ちません。ですから、成功する可能性はゼロでした。
そんなこと、冷静に考えれば、誰にでもわかることです。
多分、多くの方が、「ひょっこり」と、成長戦略が、どこかから、魔法のように、出てくることを期待したのではないかと思います。皆で、夢を見たのです。しかし、夢は夢でしかありません。10年経過した今でも、成長戦略なるものは出てきていません。誰もが「俺ではない、誰かが、何とかしてくれる」と考えていたのです。
今でも、アベノミクスの失敗の本当の原因を理解している人はいないと思います。
いや、原因が見えている人はいますが、その原因の原因が見えている人はいないと思います。そうです。成長戦略が生まれなかった原因の原因は、「目的と責務」の欠如です。
「政府とは」という言葉の定義をしてみれば、原因は見つけられます。
政府には、成長産業を生み出す力がありません。当たり前です。
過去の成長の原動力を見れば、それは一目瞭然です。
蒸気機関車、印刷機、大型船、電気、飛行機、半導体、プログラミング、これらの成長産業を生み出したのは民間の、国民の誰かが、生み出したものです。政府は、それを「より大きく、より強くする」方策は取れますが、新技術が生まれなければ、政府には何も出来ません。
安倍さんは、「政府とは」という言葉の定義を知らなかったために、失敗したのです。
「目的と責務」がないために、誰が、何をするのか、が曖昧だったことが、成長戦略を生み出せなかった原因です。
成長産業を生み出す責を負っていたのは国民ですが、政府も国民も、そのことを知らなかったのです。自分ではない誰かが、何となく、どこかから自然と湧き出してきてくれるものだと思っていたのかもしれません。日本は神の国だから、神風が吹くと信じていたのかもしれません。そんな都合のいいことは起きなかったということだと思います。
この30年間、国民の皆さんは、どう行動したのでしょう。
国民の皆さんは現状維持に邁進しました。優秀な方ばかりですから、見事に、現状維持には成功しました。でも、現状維持は、相対的劣化を意味します。それが、今の日本で起きていることです。

では、どうすれば良かったのでしょう。
当時は提案できませんでしたが、今なら提案できます。
先ず、「言葉の定義」をすることです。
そして、「目的と責務」を明確にすることです。
その上で、国民の皆さんに「俺には関係ねぇ」をやめてもらうことです。
国民に頑張ってもらうしか方法はないのです。
国の繁栄は、国民次第なのです。
政府に出来ることは、国民を支えることです。
政府は、上から目線で四の五の言うのではなく、国民の富をピンハネして私腹を肥やすことでもなく、ただ、ひたすら、国民を支えることが、政府の仕事です。なぜなら、政府も政治家も富を生み出す能力も、責任を取る能力もないからです。
それは、「国とは、国民とは、民主主義とは」という言葉の定義をすれば理解できると思います。
政治家には、責任を取る能力がありません。責任を取るのは国民です。
そのことを否定できる人はいませんし、逃れることもできません。責任を取りたくないのであれば、海外へ移住し、日本国民をやめることです。他に方法はありません。日本に住んでいる限り、「俺には関係ねぇ」と言える人は1人もいません。
国民が頑張らなければ、国は衰退するのです。
今、皆さんは頑張っていますか。
頑張っていないからGAFAMの仲間になれていないのではありませんか。
「飢え」たくないのであれば、頑張るしかないのです。
これが現実です。
現状維持に邁進したのは国民だけではありませんでした。
政府も、現状維持を優先したのです。
税収が横這いだったのに、予算は着実に増加しました。それは、少子高齢化で、必要とされる社会保障費が増加したからです。もしも、税収に応じた国家運営をするのであれば、社会保障費を大幅に減額しなければなりませんが、そんなことをすれば、自民党に一票を入れてくれている高齢者を敵に回してしまいます。借金に借金を重ねて、社会保障を維持し、もう、その泥沼からは抜け出せないほどの借金になってしまいました。

私達の国は、今、「のりしろ」の上に立っているのだと思います。
別の言葉で言えば、「過去の遺産」で食いつないでいると言えます。
国民が新たな富を生み出せなければ、このまま、国力衰退は進み、国民生活は破綻し、多くの国民が飢えに苦しむことになります。

そんな時代なのに、私達の現在地を、誰も知ろうとしていません。
過去の延長線上に未来があるなんて、誰も保障していないのに、漠然と、それを前提にしています。ですから、多くの方が、未だに、「現状維持」と「守り」を重視しています。
若者は、20年後30年後40年後の資金を確保しようとNISAに飛びついています。
40年後に、資産が5000万円になることを夢見ているのです。
40年後に株式市場そのものが存在しているという保障はないのに、です。
なぜ、この国が破綻に向かって進んでいることを無視するのか、理解できません。
本当は、皆さんは、皆さんの直感は、わかっている筈です。
先ずは、国を豊かにすることです。それが、大前提です。この国の未来は、この国の皆さんの力でしか作れません。どんな国でも、どんな時代でも、「現状維持」と「守り」で「何とかなる」なんてことはあり得ません。皆さんの未来は、漠然と、どこかから、やってくるのではありません。未来は、皆さんが築くものなのです。そして、「挑戦」と「攻め」でしか、未来は築けません。歴史を見れば、誰にでも理解できることだと思います。
政府の仕事は、いかに国民を「その気」にさせるか、だと思います。

アベノミクスの後遺症で日銀が四苦八苦しています。
財務省も危機感を持っていると思います。
国債の応札が不調だと言われています。金利上昇の局面では、よく見られる現象だそうですが、ほんとに、原因はそれだけなのでしょうか。
円安も当たり前になりました。150円でも、驚きはなくなりました。金利差だけが原因なのでしょうか。
倒産件数は低水準で推移していますが、いつ爆発しても不思議ではありません。1984年の20841件や2001年の19164件を大幅に越える日が来ると思います。
私には、この国にエネルギーが満ち溢れているようには見えません。その沈滞現象として国力が衰退しているように見えてなりません。頑張らないから衰える、という自然の摂理のようなものを感じます。

いくら、「政治が悪い」、「自民党が悪い」と言ってみても、何も変わりません。
政権交代しても、何も変わりません。
国民が変わらなければ、何も変わりません。
何も変わらなければ、どうなるかを考えて欲しいです。
このまま、国力衰退が進み、皆さんは飢える国の国民になるのです。
国民の皆さんは、ほんとに、そんな日本でいいのでしょうか。
国民の皆さん、どうか、言葉の定義をし、責務を明確にし、目的を持ってください。それだけで、この国は変われます。政治家の責務を知ってしまった国民は、「なあ、なあ、まあ、まあ」で投票できなくなります。政治家は、国民の皆さん一人一人の一票がなければ、国会議員にはなれませんし、裏金を作ることも出来ません。責務を果たさない政治家は、国民の一票を貰えなくなります。
国民が変われば、この先に待っている地獄の日々を回避することも夢ではありません。「俺には関係ねぇ」と言っていたら、必ず、後悔します。


2024-03-01



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