SSブログ

この国を蘇らせる力 [評論]



少し変わった世論調査のことを書きます。
「あなたは、どの政党を支持しますか」という調査ではありません。
「あなたは、今の政治に変化を求めますか」という調査です。
この調査の目的は何だったのでしょう。
野党の奮起を促すのが目的だったのかもしれませんが、質問の文言を無視すれば、行き詰った政治環境という今の時代に相応しい質問だったと思います。
調査をしたのが、反政府運動の先頭に立っている朝日新聞だったことも、とても斬新な調査だったと思います。朝日新聞の記者は、「いまの政治について聞いてみたところ、有権者の複雑な思いが表れる結果となりました」と言っています。傲岸不遜という言葉が似合う朝日新聞社が路線変更するとは思えませんが、どんな対応をするのかは興味あります。

質問。
今の政治について、「あなたは、大きく変わって欲しいと思いますか」、それとも「それほどではない、と思っていますか」というものです。とても、不思議な質問です。まさに、曖昧文化ならではの質問だと思います。
「大きく変わってほしい」と答えたのは52%。
「それほどでもない」が44%です。
朝日の解説では、「大きく変わってほしい」が「それほどでもない」を上回ったことに注目しています。2019年の調査では、47%と43%だったそうです。
47%と43%の差に、52%と44%の差に、意味はあるのでしょうか。
私には、国民の皆さんが、2019年も、2022年も、「なあ、なあ」「まあ、まあ」と言っているように聞こえます。
そもそも、国民の皆さんは政治に関心はありません。「お上」は「お上」、「下々」は「下々」だと思っています。「俺には関係ねぇ」ことについて聞かれても困ります。「ふむ、ふむ、どっちでもいいよ」と言っているのだと思います。
質問が、そもそも、曖昧です。
「大きく変わる」とは、どういうことなのでしょう。
「それほどでもない」って、どう解釈すればいいのでしょう。
つまり、質問をした朝日新聞にも、調査に答えた国民にも、問題意識が無いということなのではないでしょうか。両者共、実に、「日本らしい」対応だったと思います。

次の質問。
自民党に対抗する勢力として、いまの野党に「期待できますか」「期待できませんか」
       期待できる   期待できない
全体       13%      80%
18~29歳    20%      74%
30代      18%      74%
40代      12%      84%
50代      13%      81%
60代       7%      89%
70歳以上    13%      78%
この質問では、明確な答えが出ています。
質問を、「期待できますか」「期待できませんか」から「存在価値がありますか」「存在価値はありませんか」と置き換えたとしても、それほどの差は出ないと思います。もちろん、「いい人」ばかりですから、これほどの極端な差は出ないでしょうが、30%対70%くらいの結果は出るのではないかと思います。
しかし、逆に、「自民党政治に期待しますか」と問えば、8割の方が「YES」とは言わないと思います。この調査は、既存政党では、この国は蘇らないということを示していると思います。このブログで、何度も指摘しているように、日本には新しい政治集団が必要なのです。それは、右でも左でもありません。口先ではなく、実際に「国民生活を守る」ための政治集団が必要なのです。過去の、現在の、延長線上に、この国の未来はないということを認識しない限り、新しい政治集団という発想は生まれません。今は、そういう時代なのです。

この世論調査をした朝日新聞社は、この結果を見て、何度も、真剣な議論したものと推察します。どんな議論があったのか、どんな結論が出たのかは、私達にはわかりません。
でも、今の日本の空気は、当然のことですが、朝日新聞社のある場所にも、充満しているものと思います。
その空気とは「曖昧」という名の空気です。
原因の追究をしようとしたとは思えません。もっと言えば、原因の原因、原因の原因の原因を追究したとは思えません。
結果に、どう対応するのか、結果を捻じ曲げるためには、どうすればいいのかが議論されたのではないかと推察します。結果を捻じ伏せるという思考が、今の日本人の思考のトレンドにまでなっていると思います。もしも、この推測が正しいとすると、朝日新聞社の皆さんは、総力を挙げて非難している自民党政権と同じことをやっていることになります。
朝日新聞社は、いや、朝日新聞社も、変われないと思います。
これでは、国力衰退という泥沼から逃れることはできませんし、ますます、泥沼化することになります。
私は、朝日新聞社の皆さんが、どのような共通思想を持っているのか、知りません。
もしも、その思想が、戦前の反省から生まれているとすると、「反政府」が基本的な思想なのかもしれません。これも、結果に対する対応です。
もしかすると、もともと、日本人の思考は「結果対応」が基本だったのかもしれません。大化の改新や明治維新の短い期間だけ、「原因対応」があったのだと考えると、「結果対応」は致し方のないことなのかもしれません。
しかし、この国は、今、大化の改新や明治維新が必要な時代を迎えています。
朝日新聞社は、社員の皆さんは、そのことに気付いているのでしょうか。
朝日新聞社に勤務する友人はいませんが、朝日新聞社には優秀な方が大勢いると思います。私のような負け組と違って、彼等は、優秀な知力を持っていると思います。そんな皆さんが、どうして、時代認識を誤っているのか、不思議で仕方ありません。朝日新聞社では、まだ、学生運動最盛期の空気が残っているのでしょうか。ジャーナリストの皆さんに求められているのは、現実認識と時代認識なのではないかと思います。しかし、私には、皆さんが、まだ、昭和を生きているように見えてしまいます。
朝日新聞の主張は、左翼系の野党の皆さんと同じような主張が多いと感じますので、両者の共通項は「反政府」なのかもしれません。いや、「反政府」が目的になっているように見えてしまいます。政府の瑕疵を見つけて、批判し、攻撃することがジャーナリストの使命なのでしょうか。皆さんには、国民生活を守るという使命はないのでしょうか。いや、「反政府」に徹すれば、国民生活は守れると信じているのでしょうか。もちろん、政府に迎合しろとは言いません。私達が目を向けなければならないのは、政府でも反政府でもありません。国民生活を守るために、国が衰退する原因を見つけて対処することです。
とても、違和感があります。
今、求められているのは、学力でも知力でもなく、そのことに気付く感性が求められているのではないかと思います。
この世論調査を担当した朝日新聞社の方は、今の政治が、「大きく変わって欲しい」と思っていると答えた52%に注目していますが、「大きく変わる」という内容を提示することなく、「大きく変わって欲しい、と思いますか」と問えば「ふむ、ふむ」と答えるのです。
もしも、52%ではなく82%を期待しているのであれば、もっと具体的な質問をする必要があります。
朝日新聞社の皆さんが、この国を共産主義国にして、日本の「人民日報」になりたいと思っているのであれば、「アメリカのポチをやめて、中国のポチになりたいと思いますか」という質問をすれば、国民は明確に答えてくれると思います。
国民の皆さんの基準と、朝日新聞社の基準が異なることを無視して、「52%は、凄い数字だ」と喜んでいるのは、ただの「我田引水」にすぎないと思います。
これも、曖昧の副作用です。
もちろん、自民党政権が国家運営に失敗していることは、私も同意見です。
でも、「反政府」の先には何があるのでしょう。
共産主義政権であれば容認できるのでしょうか。
共産主義政権と、また、二人三脚をするのでしょうか。「人民日報」が目標なのですか。
それ、違うと思います。
朝日新聞社は、今日からでも、民主主義の旗手になれる存在です。いや、それこそが、朝日新聞社の使命だと思います。
政治家の勘違いも、ジャーナリストの勘違いも、国民の勘違いも、全て、目的と責務の欠如から生まれている勘違いだと思います。
朝日新聞社がジャーナリズムを続ける目的は、何なのでしょう。
「反政府」が目的になれるのでしょうか。
そうは思えません。
目的がないから、勘違いしているのではありませんか。
目的がないのは、言葉の定義が為されていないことから生まれています。
先ず、言葉の定義をしませんか。
そして、国の責務と国民の責務を明確にしてみませんか。
そうすれば、自ずと、目的は生まれます。
仮に、「子供達の未来を守る」ことが目的だとしてみましょう。
国は、政府は、その目的を実現するためのシステムとして存在するだけです。
政府が、民主主義政権であろうと、共産主義政権であろうと関係ありません。
「親政府」である必要も、「反政府」である必要もありません。
私達の目的は、「反政府」ではなく、「子供達の未来」を守ることです。
「子供達の未来を守る」ための最大の仕事が、国力衰退を止めることです。

朝日新聞社の皆さんにお願いです。
この国では、今、貧しい人が増え続けています。
それは、自民党の、総理大臣の、せいなのでしょうか。
もちろん、彼等にも責任があります。
しかし、原因は、もっと深いところにあります。
どうか、原因の原因の原因を見つけてください。
皆さんは、数百万人の読者を持っています。テレビを通じて数千万人の国民に、原因の原因の原因を伝える手段を持っているのです。朝日新聞社も古い会社ですから、内部の権力闘争は熾烈だと言われていますが、皆さんは、ジャーナリストなのです。是非、「ジャーナリズムは誰のためにあるのか」を思い出してください。皆さんは、政府に振り回されるのではなく、「親政府」でもなく、「反政府」でもなく、ジャーナリストとしての責務を果たす責任があります。どうか、そのことに気付いてください。
政府に、自民党に、ケチをつけていても何も生まれません。問題を矮小化するのは、ジャーナリズムの仕事ではありません。たとえ、安倍元総理が森友問題で断罪されたとしても、この国の衰退は止まらないのです。
これでは、まさに、「不毛」な日々です。
「不毛」な日々は、貧しい人を増やすだけです。
皆さんには、やるべきことがあるはずです。
自民党も、総理大臣も逆らえない原則を見つけることでしか、この国は再生しません。
皆さんには、この国を蘇らせる力があるのです。
成績優秀な、頭脳明晰な皆さんが、どうして、そのことに気付かないのでしょう。
朝日新聞社だけではなく、優秀な頭脳を持っている方は沢山いると思います。そんな皆さんが、原因の原因の原因に気付かないのは、頭脳の問題ではなく、感性の問題なのではないかと思います。是非、何かを感じ取ってください。
そうです。言葉の定義に気付けば済むことです。簡単なことです。

余談ですが、立憲民主党と朝日新聞社は、喧嘩でもしたのでしょうか。
両者は、同じ穴の狢だと思っていましたが、立憲の元代表の枝野さんが朝日新聞をぼろ糞に言っています。
「ばかを言うな。お前らが批判をちゃんとしないから俺たちの仕事が増えているのではないか。メディアこそ仕事をさぼっているではないか。最初に(民主主義の発展を求める)大正デモクラシーから軍の支援に回ったのは朝日新聞だった。今回も似たような感じが危なくて仕方ない」
朝日新聞を「お前ら」呼ばわりです。
枝野さんだけではなく、旧民主党の「お偉いさん」は、碌な人がいません。まるで、自分を見ているようで、背中が寒くなります。


2022-09-06



nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

家族がともに暮らせる [評論]



アフガニスタンで非業の最後を遂げた医師・中村哲さん。
アフガニスタンの人々のために、全人生を捧げた中村医師が、アフガニスタン内部の争いの中で殺害されたのです。理不尽の極みだと思います。
中村さんを紹介する記事から、彼の願いを見てみます。

中村さんは、1984年国際医療NGOの医師としてアフガニスタンとの国境近くの、パキスタン、ペシャワールに着任、治療に当たった。そこで、アフガニスタン難民の苦境を知る。難民は、国に帰っても、診療所もなく医者もいないのである。その後も医療活動を続けるが、1991年には、アフガニスタンに診療所を建て活動の拠点とした。
 ところが、アフガニスタンは2000年夏、100年に一度の大干ばつに襲われ、井戸も干上がり、飢えと渇きの中、全国で400万人が飢餓線上をさまよったのである。子供たちも日に数百人が亡くなっていた。きれいな水があるだけでかなりの回復が望めても、その水がなかった。栄養状態と衛生状態は最悪であった。
 「食糧生産が上がらないから栄養失調になる。それから水が汚い。下痢なんかで簡単に子供が死んでいくわけですね。そういう状態を改善すれば、医者を100人連れてくるより、水路を1本作った方がいいですね。病気の予防という観点からすれば、水路1本が、医者何百人分の働きをするわけで、医療と命を大切にするという意味では理屈ではなく直結しているわけですね。」「背景にあるものを断たないと、病気は減らないし、悲劇は減らないですね。」中村さんは語っている。
中村さんは白衣を脱ぎ用水路建設に乗り出した。日本の専門書を頼りに自ら設計図を書き重機を操作し共に汗を流し共に考え、農民とともに用水路建設に取り組んだ。水源は7000メートル級の山々の氷河を源流とするクナール川であり、資金はペシャワール会に集まった3億円であった。
 2003年用水路建設は始まった。農民も参加した。
中村さん達は何度も困難に遭いながらも、知恵を出し工夫し過去に学び、強い意志を持って臨んだ。農民の中に生き、敬意をもって彼らに接し、アフガンの村人らも自分たちの将来に夢を持った。緑の土地を生み、農業をするという夢である。灼熱の日々も彼らは用水路建設に打ち込んだ。
 着工から7年(2010年)、ガンベリ砂漠までの25キロの用水路が完成した。10万人の人々を潤した。
用水路の水は不毛の土地を緑の沃野に変えていった。水路の両岸には柳を植えた。根が「蛇籠」に食い込み、護岸の役目を果たした。
帰郷者が増え、農業が営まれ春には美しい緑の大地となった。秋には米の収穫があった。畜産が始まり、特産品が作られ週末に市(いち)が立った。人々の信頼が困難に打ち勝っていた。彼らは農業で生計をたて、家族がともに暮らせるという幸福感でいっぱいであった。用水路は次々と延びて1万6000ヘクタールの土地が潤い、60万人の命が繋がった。しかし、国民全体では、まだ3分の1が食糧不足である。

中村医師は私達の誇りです。日本人にとっての誇りだけではなく、アフガニスタン人の誇りであり、人類の誇りだと思います。
日本に住む私達の中には、「自分の力で生計をたて、貧しくても、家族がともに暮らせる」ことが幸せだと感じない人もいるかもしれません。でも、それが、幸せなのだと思います。国は、国民が幸せを得られる環境を作るのが仕事です。ですから、本来であれば、中村医師がやったことは、国がやるべき仕事だったのです。それを、個人が、しかも、外国人が、アフガニスタン人の幸せのために、人生を賭けてくれたのです。素晴らしいことです。
私は、アフガニスタンという土地を知りません。辺境の地だと聞いています。
医師として現地に行ったことも素晴らしいことですが、医師でありながら用水路建設という大事業をやってのけた、その胆力は称賛に値します。
なぜ、彼は、日本にいる私達から見れば無謀なことをやったのでしょう。
患者を救いたいという意志が彼を動かしたのだと思います。
彼は、何日も、いや、何年も、考えたと思います。病気の原因になっている貧困について、考え続けていたと思います。彼が辿り着いたのは「水」でした。原因の原因の原因を探して、見つけたのが「水」だったのです。
彼は、口先で「水が必要だ」と言っても埒が明かないことを知り、自分で、行動することにしたのだと思います。アフガニスタンは、紛争が続いた国ですが、それでも、国です。国家が国民の生活を守るために灌漑工事をしても不思議ではありませんでしたが、歴代の政権はその責務を果たしませんでした。アフガニスタンでも、国の目的や国の責務は明確ではなかったものと思います。
ですから、21世紀になって初めて、国ではなく、国民でもなく、外国人が灌漑工事を始めたのです。
普通の感覚では、こんなことは出来ません。
中村医師は、それをやってのけたのです。
中村医師は、医師として、目の前の病に立ち向かいたかったのだと思います。
これが、人間の能力なのだと思います。
私達が中村医師から学ぶことは、原因の原因の原因を探すことだと思います。
彼が、医師の派遣や診療所の開設を要求することを続けていたら、灌漑工事は今でも始まっていなかったと思います。
余談ですが、いつの日か、私達の国はアフガニスタンよりも貧しい国になります。
多分、中村医師のような方が束になって出現したとしても、再建には気の遠くなるような時間が必要になると思います。

中村医師が辿り着いた原因の原因の原因が「水」であったことは、特に、珍しいものではありません。いや、気が付いていても、余りにも「水不足」が当たり前になっていると、気付けないものなのだと思います。私達の国の衰退の原因の原因の原因が「曖昧」であることにも、「曖昧」が当たり前だと気付けないものです。
古今東西、古くから、そして、今でも、「水」は常に問題を抱えてきました。
そして、この先も、「水」は問題であり続けます。
なぜなのでしょう。
人間は、水分なしには生き延びることができないからです。「水」と食料は、私達が生きるために不可欠なものなのです。
中村医師が実証したように、「水」は飲み物としての価値だけではなく、食糧を作るためには不可欠な要素です。「水」を失うということは、水も食料も失うということです。
今のところ、海水で穀物生産が可能になったという事実はありません。いつの日か、その技術が開発される日が来るのかどうかは、まだ、わかりません。海水の淡水化技術は存在しますが、コストが必要であり、無尽蔵に使えるものではありません。
参考までに、利用可能な「水資源」について、ネットの記事から抜粋してみましょう。
「地球上の水の量は約14億立方キロメートルとも言われており、豊富な水に囲まれていることが分かります。しかし、そのほとんどは海水で、淡水の割合は約2.5%しかありません。さらに、そのほとんどが南極や北極周辺の氷や氷河、人々が暮らす地域の地下水となっているので、人間が暮らす地域で確保できる淡水は約0.01%しかありません」
「大陸では河川で接する国同士、あるいは一つの国の中でも水の所有権などをめぐる対立・紛争が、2010年以降だけでも世界で大小450件以上発生しています」
「戦争状態にある地域では、多くの水インフラが攻撃を受けているほか、井戸に毒物が投入されるといった事件も度々起きています」
「人口の増加に伴い、水の使用量は増加の一途をたどっています。1950年から1995年の間で世界での水の使用は約2.74倍になっています。特に生活用水の使用量が6.76倍と急増しています。国連によると今後、世界の人口は2050年には約97億3000万人になると予測されています(2015年では約73億5000万人)」
「そしてOECDの予測では、人口増加に伴う水の使用量は、世界全体で2000年から2050年の間に55%増加し、2050年には深刻な水不足に陥る河川流域の人口は39億人、世界人口の40%を越える可能性があるともされています」
水に関する災害も無視できません。
旱魃や洪水は、最近始まったものではなく、人間が地球上に存在し始めた時から、常に存在した災害です。
最近の災害だけでも、大きな被害をもたらした災害は数十カ国で起きています。
現状と予測可能な将来を見る限り、「水資源」を巡る争い事は不可避のように見えます。
国連は、地球上の皆で幸せになりましょうと言っていますが、世界のトレンドは逆です。いや、争い事が増えることが予測されているので、皆で協力しましょうと言っているのだと思います。
「水」を予測しただけでも、世界で争い事が増えるのは避けられません。
争い事の種は「水」だけではありません。
食糧不足も、この先、現実になります。
では、空気は大丈夫でしょうか。
私達が生きるためには、水と食糧さえあればと思うかもしれませんが、そうではありません。
空気がなければ生きていけません。ただ、空気さえあれば、どんな空気でもいいというものでもありません。放射性物質が地表を覆えば、私達は日常的に被爆することになります。それだけではなく、食物も被爆しますので、食糧からも放射性物質の害を受けます。
まだ、プーチンは核兵器を使っていませんが、使わないという保障はありませんし、北朝鮮やパキスタンだけではなく、それ以外の国が核兵器を使う可能性もあります。それを阻止する手段を、私達人類は持っていません。
ま、ここまで悲観的な予測をすると、私達には選択肢はありません。
いつか、人類は絶滅する宿命にあると考えるしかありません。
でも。
その日まで、意味はないのかもしれませんが、私達は最大限の努力をするしかありません。
多分、よくわかりませんが、それが人間の使命なのだと思います。
努力をしても、何の役にも立たないかもしれませんが、何もせずに絶滅するよりは、少しは気が晴れるかもしれません。その程度の効果しかないかもしれませんが、それが、人間が人間であることの証になるかもしれません。何億年か何千億年かの未来に、人類に変わる生物が地球を支配する日が来るかもしれません。地球史の中に、人類という雄々しき生物が存在していたという証が残ることも価値があるのではないでしょうか。
今は、水の安全保障を、食糧の安全保障を、燃料の安全保障を、防衛の安全保障を、確保しなくてはなりません。生きるために不可欠なものを守ることです。
そう考えると、国力衰退を野放しにしている私達は、自分の首を絞めていることになります。

多分、多くの方が頭ではわかっているのだと思いますが、お偉い先生方が議論するのは、枝葉のことばかりです。
間違っています。
私達の国に、今、必要なのは、目的と責務です。
何をやっても、日本の国力は衰退する一方です。国家運営を担っている自民党を責める人達がいますが、自民党以外の既存の政治集団が国家運営を担当しても、この国力衰退は止められません。そんなビジョンを打ち出している政治集団は存在していません。その典型的な例ですが、野党は「ばら撒き政策」しか言いません。国民にとって、自民党は、最低最悪の政治集団ですが、野党は、自民党よりも最低最悪なのです。
今存在する政党は、どの党も国民の利益にはならないのです。そんなことは、国民の皆さんは理解しているはずです。それなのに、どうして、あてがい扶持しかないと思っているのでしょう。それは、皆さんが国民の責務を知らないからです。
どうして、そのことに気付かないのでしょう。
特定の誰かの力で、例えば、自民党が頑張れば、国力は増えるのでしょうか。
違います。
国力は、国民の皆さんの力で増やすしかないのです。
国民の皆さんが変わらなければ、この国力衰退のトレンドは変わりません。
国民が変われば、自民党でも立憲民主党でもない、新しい政治集団が生まれるのです。国民の皆さんが目的と責務を明確にすれば、国民の要求に応える政治集団は、自動的に誕生するのです。なぜなら、国民の一票がなければ、国民の外注先になれないからです。司法も立法も行政も、全て、国民の外注先です。特に、立法は、国民の一票がなければ、外注先にもなれないのです。
こんなことは、民主国家では、当たり前のことです。
中村医師が実践したように、原因の原因の原因を見つけなければなりません。
用水路建設なんて医師の仕事ではありませんが、彼は、それをやったのです。
中村医師がやったことを、私達がやるのは間違っていますか。
要は、国民の意志が、どこにあるかで、国は変わるのです。
敗戦後、日本国民の多くの皆さんが「世界に追いつき、世界を追い越せ」と願いました。
奇跡と言われた戦後復興は、国民の皆さんの意志で生まれたのです。
日本国民には、その力があるのです。
でも、今回は、壊れるのを待っていたら、奇跡は起きません。
どうか、そのことに気付いてください。


2022-09-05



nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

人生100年時代 [評論]



物価上昇が実感できるほどの上昇になってきました。庶民にとって節約は欠くことのできない生活防衛術です。しかし、税金や保険料、そして生活インフラである電気ガス水道料金、住居費は、節約が困難です。今、電気・ガス料金は毎月のように値上がりしていますが、まだ、欧州ほどの値上がりにはなっていません。それでも、庶民にとって、今の環境は暗雲です。この先も、環境の悪化は、続きます。
現行の社会保障制度も大きく変えなければ、社会の維持は困難になります。
人口減少と高齢化と国力衰退が進んでいるのですから、当たり前のことです。ただ、その対策は先送りされていましたので、これから顕在化するものと思います。
現役で働いている皆さんは、多額の社会保障保険料を支払っています。それが、20年後には4割増しになるという試算もあります。就業者だけに負担を強いることはできませんので、社会保障費の削減は避けられません。年金給付額の削減と医療費自己負担額の増加は、老後の生活を厳しいものにします。
これが、皆さんの近未来の現実です。そんなこと、知っていますよね。ただ、現実に直面した時には、手の打ちようがありません。70歳未満の皆さんには、恐ろしい未来が待っているのです。
なんてことを書いても、実感は湧かないと思います。また、未来予測を読んだとしても、「だから、なに、俺には関係ねぇ」と言う方が大半だと思います。
それでも、とりあえず、書いておきます。
社会保障制度の改定や、このブログでも何度も取り上げた老後資金不足者の増加、政府による「人生100年時代」という宣伝等々で、働きたい、或いは、働かざるを得ない高齢者の増加が予測されています。
高齢者の仕事探しに関する調査によれば、「70代」というキーワードの検索が5年前と比べて、53.7倍に増えたそうです。
「人生100年時代」というキャッフレーズは、既に、トレンドになっているようです。
しかし。
今の「人生100年時代」と、10年後の「人生100年時代」と、20年後の「人生100年時代」は、全く別物だと思う必要があります。それは、経済の衰退が進み、高齢者が就業できる仕事が減少していくからです。カネもない、仕事もない、老人が増えるのです。それが、将来の現実です。今の国力衰退トレンドを延長してみれば、国民生活が破綻することは、容易に予見できます。だから、国民の将来不安を大きくさせないために、こんなキャッフレーズが生まれたのです。「人生100年時代」は国民の勘違いを誘う言葉です。

ここで、10年後、20年後の国民生活を予測してみましょう。
いつものように、悲観論による予測ですから、話半分だと思ってください。
現在、60歳の方が10年後に70歳になり、現在、50歳の方が20年後に70歳になります。
70歳でも働かなくてはならないと思っている方が、とても多くいます。
「働きたい」という意欲は、とても素晴らしいことだと思います。「働かざるを得ない」という認識も、やむを得ないことだと思います。
では、70歳の老人の仕事はあるのでしょうか。
意欲や認識があっても、仕事がなければ、実現しません。
現在の日本の雇用環境は、ほぼ、完全雇用に近い状態だと言われています。
人手が足りません。
働こうと思えば、理想の仕事ではないとしても、仕事はあります。
これが、今の環境です。
この環境は、10年後も20年後も変わらないのでしょうか。
そうではない、と思います。
日本だけではありませんが、コロナは世界の時間を止めてしまいました。いや、時間が止まったのではなく、環境変化が止まってしまったのです。
しかし、環境は、必ず、変化します。
人為的に止められていた変化は、解き放たれて、大きな変化として私達の前に姿を現します。コロナで大盤振る舞いをした雇用調整助成金や持続化給付金等々の施策が、企業の倒産・廃業を、勤労者の失業を、一時的に止めました。
環境変化が動き出すということは、企業の倒産・廃業や、勤労者の失業を増加させるということであり、その空気は、さらに多くの悪しき変化を表面に出します。
では、企業の倒産・廃業や、勤労者の失業は、高齢者の就業環境にとってどんな意味を持つのでしょう。
明らかに、仕事の場所が減少することであり、競争相手が増えるということです。
国は、「年齢によって採用の合否を決めてはならない」と定めています。
では、もしも、皆さんが社員を雇う立場にいて、50歳の応募者と70歳の応募者がいた時に、どちらの人を採用しますか。
私なら、躊躇なく、50歳の人を採用します。
採用理由なんて、どうにでもなります。「50歳の人のほうが適性が高いと判断した」と言えばいいのです。採用者の個人的判断に、国が四の五の言うことはできません。
今でも、老人の就業環境は良くないと言われていますが、その就業環境は更に悪化します。
10年後20年後30年後40年後に70歳になる皆さん。
皆さんは、死ぬまで働き続けることが可能だと思っていますか。
もしも、そう思っているのであれば、それは甘いと言わざるを得ません。
働く場所がなければ、働けないのです。
そんなこと当たり前です。皆さん、知っています。
極端な話ですが、死ぬまで働けるのであれば、それほど多くの貯金は必要ないはずです。今も、老後も、そこそこの生活ができるのであれば、無理して貯金をする意味はあるのでしょうか。ところが、実際には、老後のために貯金をしなければならないと思っている方が大半です。もちろん、思うように貯金は増えませんが、それでも、何とかしたいとは思っているはずです。今の貯金は、もう、昔の宣伝文句のように「悠々自適の老後」のための貯金ではないことを、皆さんはわかっています。そうです。生き延びるためには貯金が必要だということを知っているのです。
ネット空間には「老後資金の貯め方」という記事が溢れています。10年前には、こんな記事はありませんでした。国民の皆さんの関心が高いから、記事が増えたのです。それは、皆さんの選択肢は、老後資金を貯めるという選択肢しか残されていないということです。
70歳になっても、80歳になっても、仕事はある、なんてことはありません。
これが現実であり、今後、その現実は皆さんの目にもはっきりと見えてきます。

政府は、投資を推奨しています。岸田総理は、預貯金という個人資産の有効活用で経済を活性化させると言っています。
では、投資で老後資金は確保できるのでしょうか。
とんでもありません。
実数は知りませんが、調査もされていないと思いますが、投資で老後資金を確保した人は、ほんの一握りの人だと思います。投資で、老後資金を失った人のほうが、はるかに多いと思います。
そもそも、30代40代50代の皆さんの預貯金額は、とても少ない。
投資には、資金が必要です。
仮に、100万円の資金で、年5%の利益を出したとしても、5万円です。それを20年貯めても100万円にしかなりません。しかし、老後資金は数千万円という単位で必要になるのです。これを「焼け石に水」と言うのです。
では、リスクを取って、年100%の利益を出したとします。それを20年間貯めても、2000万円にしかなりません。もちろん、ないよりはあったほうがいいです。では、リスクがリスクになった時は、どうするのでしょう。自己資金がゼロになるだけではなく、借金を抱えることになります。それを続ければ、自己破産の道しかありません。
一方、100億円の資金を持っている方がいたとします。年3%の利益を出すだけで、3億円が手に入ります。もちろん、このような人は、老後資金を貯める必要はありませんので、別の動機で投資をしているのです。
つまり、庶民は、投資では、老後資金は貯められないのです。
私も、一時期、投資で生活をしていた時期がありました。
もちろん、私は投資の成功者ではありません。初期に大損をし、その後、それを取り返しただけです。収支は、ゼロです。投資をした意味はなかったということです。でも、圧倒的にマイナス収支で撤退した方が多いと思います。私は、運に恵まれていただけです。
ですから、私と同じような庶民の皆さんに、投資はお勧めできません。
仮に、安全資産と言われている株があり、配当が年2%あるという銘柄でも、株価は変動しますし、未来永劫、盤石な企業なんて存在しません。経済環境が変われば、何が起きても不思議ではないのです。
30年前から日本の国力衰退は始まりました。
衰退という症状は、大怪我や大病と違い、徐々に衰える症状です。昨日と今日で何か変化があるかと問われると、答えることが出来ないような変化でしかありません。しかし、時間が経つと、明らかな結果が見えます。例えば、日本が、30年前から今日まで世界平均レベルの経済成長をしていれば、日本のGDPは1000兆円になっていたと思いますが、まだ、500兆円台から抜け出せません。30年という単位で見れば、これほどの差が出るのです。
ですから、10年後20年後の雇用環境なんて、今とは全く違うものになっていても不思議ではないのです。
これは、根拠のない、ただの預言ですが、10年後20年後に70歳になる皆さんの働き場所はないと思います。年金制度の改定も行われると思います。物価は、想像も出来ないようなレベルになっていると思います。
もしも、この預言が当たれば、今、皆さんが住んでいる場所が、皆さんの姥捨て山になるのです。10年後20年後、老人の餓死問題は社会問題になるということです。
でも、手の打ちようがありません。
30年前に対処していれば、変わっていたかもしれません。今、対処すれば、少しは先延ばしできるかもしれません。でも、その現実に直面した時には、どうすることもできません。
国力が衰退するということは、経済規模が縮小するということです。経済規模が縮小するということは、皆さんが貧しくなるということです。しかし、世界は、日本とは関係なく変化し続けます。物価は、ますます、高くなります。それが世界の趨勢です。その世界の流れから取り残された国の国民は、辛酸を舐めることになります。
日本は、今のトレンドを放置すれば、アフガニスタンよりも、スーダンよりも、貧しい国になります。トレンドを変えなければ、世界最貧国になるのです。それが、トレンドです。

国力は、誰か一人の力で出来ているのではありません。全ての国民が、国家運営者、企業経営者、公務員を含む勤労者の皆さん、あらゆる人達の力が寄せ集まって国力になっているとすると、皆さんが頑張っていないことが原因だと思います。
日本は、なぜ、こんな国になってしまったのでしょう。
先送りばかりしてきたからなのでしょうか。
為政者に傑出した人物がいなかったからでしょうか。
国家運営者が率先して「自分さえよければ」をやってきたからでしょうか。
国民が「自分さえよければ」が自分の権利だと勘違いしたためでしょうか。
多分、数え挙げれば、いくらでも原因は見つかると思います。
そして、どの原因も簡単に克服できるようなものではありません。
そんな原因が、山のようにあって、私達はどうするつもりなのでしょう。
私達は、原因を見つけるという行動はしませんでした。
何らかの事案で、その原因を見つけることはあっても、何度も、「二度とこのようなことが・・・」と口先では言いましたが、対策は取りませんでした。
いつも、他人事だったのです。
日本でも、「なあ、なあ」「まあ、まあ」という曖昧文化が薄まった時期がありました。それが敗戦後の日本です。「なあ、なあ」「まあ、まあ」よりも「喰うこと」のほうが大事だった時期です。だから、日本は奇跡の戦後復興に成功したのです。
先ず、原因の究明が必要です。ただ、ここまで重い症状になってしまうと、単一の原因が究明できたとしても、対応策がありません。
必要なのは、原因の原因の究明であり、原因の原因の原因の究明です。
私は、原因の原因の原因は、曖昧文化だと思っています。
老人の多くが餓死をするような社会が予見できるのです。
放置しておいていいとは思えません。
確かに餓死をするのは、圧倒的に老人が多いと思いますが、そんな社会が若者にとってもいい社会だとは思えません。
例外はあるとは思いますが、ほとんどの人が「カネが欲しい」と思いますし、「楽をしたい」と思うものです。できれば、「楽をして、カネ儲けがしたい」と思います。しかし、この人間の欲望を野放しにすると、社会が壊れます。山奥で、一人で、生きているのであれば、何をやっても自由です。しかし、集団で社会を構成する場合には、そこに一定のルールが必要になります。集団は、「One for All」「All for One」で成り立っているのです。
集団社会を機能させるためには、歴史と伝統ではなく、目的と責務が必要なのです。
「自分さえよければ」「俺には関係ねぇ」では、社会は壊れます。日本は、今、その状態にあることに気付いてください。「欲」は必要ですが、「欲」だけでは社会は機能しません。
お願いします。言葉の定義をしてください。
このままだと「ヤバイ」です。


2022-09-04



nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

想定外を想定内に [評論]



世界各地で水害や旱魃の被害が増えています。日本も、です。
災害に遭遇した人は、「まさか、こんなことになるなんて」「こんなの初めて」と言います。災害とは、そういうものです。それでも、災害は起きます。そして、人々は、次も、「まさか、こんなことになるなんて」「こんなの初めて」と言います。
それは、私達の生活の時間軸と災害の時間軸が違うことから起きている勘違いです。
その時間軸を調整する仕組みがないと、この勘違いは無くなりません。
そのためには、「自然災害」という言葉を定義することが必要です。
時間軸、被害の規模、その個別の対応を明確にする必要があるのだと思います。
特に危険な要素があるのが大規模災害です。難しいことだとは思いますが、事前対応という仕組みが生まれなければ、大規模災害に対応できないと思います。
水害による被害は死者数も少なく、泥をかきだしたり、掃除をすることで復旧することが可能です。手間や出費は増えますが、生きてさえいれば、元の生活に戻ることは可能です。
しかし、大規模災害では、そうはいきません。
生活そのものが根底から崩れる可能性があるのです。
一口に「自然災害」と言っても、ピンキリです。
そのピンキリが認識されずに、全部ひっくるめて「自然災害」と呼ぶことに問題があるのではないでしょうか。
大規模災害に対しては、事前対応が不可欠なのだと思います。
では、将来の災害に対して準備万端を心がけていれば済むのでしょうか。
「そんな心配していたら、生活ができない」と言います。
その通りです。先ずは、日々の生活です。
では、災害に対して準備をしなくてもいいのでしょうか。
それも、違います。
地球そのものが変動期に入っていますので、今後も災害は頻繁に起きると思われます。
水害や旱魃だけではなく、巨大地震や火山噴火も予測されています。庶民にとっては、戦争だって災害と同じです。
ですから、事前対応は、必要だと思います。
では、将来の災害に対する事前対応とは、何でしょう。
自助努力しかないのでしょうか。
もちろん、自助努力は不可欠です。
ただ、漠然とした自助努力という言葉だけでは、災害に対応することは無理です。
いつも、言葉は踊りますが、明確な目標はありません。
災害対応でも、「曖昧」という土台の上にあります。
確かに、曖昧は心地よいものです。でも、災害で被害を受けるのは国民の皆さんです。
「自然災害は、仕方がない」のでしょうか。
一度、災害について、深堀をしてみる必要はないのでしょうか。
私達は、災害に対処するために生きているわけではありません。先ず、現実の生活が優先します。ただ、何もせずに災害に直面するよりは、充分ではないとしても、日常事として、災害を捉えていれば、少しは被害を小さくすることができるかもしれません。
そのためには、意識と行動が必要です。
行動は、意識から生まれます。
そして、人間の意識は、風潮から生まれます。世間が騒いでいれば、何となくであっても、考えるものです。そういう意味では、国民に対する広報や啓蒙活動は不可欠だと思いますが、政府は積極的ではありません。「国民生活を守る」ことが政府の最優先課題であれば、本気で、広報に力を入れる必要があります。「みだりに、不安を、増長する」なんて言い訳は何の役にも立ちません。ただの、先送りにすぎません。
「1カ月分の水と食料と医薬品は備蓄してください」と広報し続ければ、政府のお願いに従順に従う日本人であれば、100人の内、10人くらいは実行してくれるかもしれません。今は、医師会の都合で投薬は4週間分しか処方されませんが、備蓄分を考えて8週間分を処方するようにすれば、今よりも備蓄薬品は手元に残ります。些細なことですが、些細なことの積み重ねが必要なのだと思います。
では、自助努力しか方策はないのでしょうか。
そうではありません。
国が対応策を持つことです。
そのためには、国の責務を明確にすることが必要です。国の責務が「国民生活を守ること」であれば、これは、明らかに、国の仕事です。
国民は、何のために税金を支払っているのでしょう。
それは、国民生活を守る仕事をするためには、カネが必要だからです。
税金は、2000年間、存在しています。
ですから、私達にとっては、税金は「当たり前」になっています。
では、国民生活を守るという目的は「当たり前」なのでしょうか。
いいえ、目的は曖昧になっています。
個人の力では及ばないことでも、多くの国民の税金を投入することで、大規模災害の被害を小さくすることは可能なのではないでしょうか。
自然災害は防ぐことは出来ませんが、災害後の生活破綻を救うことは出来ます。
理想論に過ぎませんが、国民と国が共に努力することで災害の被害は小さくできるのです。
今は明確になっていませんが、それが、国の責務であり、国民の責務なのだと思います。
特に、巨大災害の場合は、このことが重要になります。
何度も書いていますが、東南海地震や首都直下地震や十勝沖地震などは、事前対応が明暗を分けることになります。
今のように、何もかも「ごちゃ混ぜ」の災害に対応するのは難しいと思います。
「災害」という言葉を定義し、災害の種類を明確にし、災害の等級別に定義を整理し、それぞれの災害対応に関する責務を明確にすることが必要なのだと思います。
水害による床下浸水と東日本大震災の津波被害を同一視できないことくらい、誰にもわかります。この国には、「激甚災害」というシステムがあるのですから、できないことではありません。「激甚災害指定」が補助金支給のための線引きとして使われている現状は、とても、曖昧なシステムだと思います。
国は、責務が明確になることを嫌います。国家運営に従事する人が責務の明確化を嫌うのは、責任問題が前面に出てくるからです。ですから、彼等は、出来る限り責任を取らないようにと動くことになります。国家運営者にとっては、曖昧がベストなのです。自分達の「匙加減」でどのようにでもなる統治方式がベストなのです。国としての目的などあってはならないのです。目的が明確であれば、当然、責務に焦点が当たり、曖昧が薄れていくからです。何事も「なあ、なあ」「まあ、まあ」が最適であり、それが「歴史と伝統」という名で正当化されてきたのです。
もちろん、国が、国民が豊かになるのであれば、「曖昧」でも「歴史と伝統」でも、一向に構いません。しかし、この国は、今、国力衰退に直面しているのです。
「歴史と伝統」、これって、国民のために存在するシステムなのでしょうか。国民は、「お上」のお達しに従うことが責務なのでしょうか。今のような国力衰退が進行する時代に、「お上」に「おんぶにだっこ」で何とかなるのでしょうか。
国民の皆さんが気付くしかないと思います。最終的に責任を取るのは国民の皆さんです。どうか、そのことに気付いて欲しいと思います。

東南海地震の被害想定は、何度も変更されています。今後も変更されると思います。
地震動による被害、津波による被害は、対応が困難です。
私達にできることは、地震発生後の被害を減らすことなのではないでしょうか。
その時に必要なのが、想定外を想定内にすることだと思います。
文字数の関係で、停電の被害想定だけを書きますが、2700万軒が停電するそうです。
ただ、これは、あくまでも、想定内の被害であり、想定外の被害は含まれていません。
数年前に、台風の直撃を受けた千葉で停電が発生し、その復旧に20日間かかったことがありました。多分、復旧期間の想定は、数日だったのではないでしょうか。台風被害だけで、20日間も停電したのです。仮に、想定外の停電が1300万軒あり、復旧に6カ月間かかったとすると、約8000万人の人が、電気のない生活を強いられることになります。
ミクロの視点で見ると、被害想定には書かれていない被害が生活を逼迫させます。
被災地で、小さなスーパーを経営していたAさんがいたとします。家族は、4人。従業員はパートの主婦が2人。6人の人が、このスーパーで生活を支えていたとして、彼等の生活はどうなるのでしょう。幸い、店舗の倒壊は免れましたが、修理・補強工事は必要です。では、商売の元になる商品は配送されるのでしょうか。売るものがなければ、商売はできません。しかも、停電ですから、電気を必要とする商品は扱えません。Aさんと家族、パートの人は、収入がなくなるのです。
地震による経済的な直接被害額は約200兆円とされていますが、想定外の、連鎖被害が300兆円だと仮定すれば、1年分のGDPが失われることになります。
東南海地震は、阪神大震災や東日本大震災の10個分の被害が想定されています。
その復旧・復興には、数十年という時間が必要です。
そんな体力が、この国にあるのでしょうか。
借金をすれば、何とかなるのでしょうか。
例えば、政府が復興資金として、500兆円の国債を増発したとしましょう。
誰が、その国債を買ってくれるのでしょう。
国が国債を買い戻してくれる当てはありません。利息だって支払ってくれるかどうかわかりません。そんな危険な商品に投資をしてくれる人はいないと思います。
それは、東南海地震が起きたら、この国は破綻するということです。
借金が出来なければ、振る袖が無いのですから、国が国民生活を守ることはできません。国民の皆さんは自力で立ち上がるしかないのです。

想定内と想定外の話題を追加しておきます。
プーチンの核恫喝とバイデンの弱腰が世界を震撼させました。
では、アメリカとロシアが核戦争を始めたら、どんな被害が出るのか。
その規模により、犠牲者の数は様々だと思いますが、数千万人から数億人の被害が想定されているのではないかと想像します。これが、想定内の数値です。
しかし、想定外の数値が出て来ました。
ラトガース大学の研究チームが発表した被害は、50億人の犠牲者です。世界人口の半数が犠牲になるのです。その根拠は、煤煙です。核爆発で生じた煤煙が大気を覆い、日光を遮ることで農産物の生産が壊滅的なダメージを受け、世界的な飢饉による犠牲者が、核爆発による衝撃や熱風被害よりも多くなると予測したのです。これが、想定外の数値です。
もっとも、発表された後は、もう、想定外の数値としては扱われませんが、想定されていない状態であれば、50億人という数値は出て来ません。

想定外を想定外のまま放置するのは大変危険です。
東南海地震や首都直下地震や十勝沖地震という大規模災害については、想定外を想定内にする作業が不可欠だと思います。


2022-09-03



nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

本来の仕事をしてください [評論]



マスコミは、7月、8月と統一教会騒動で盛り上がりました。
普通は75日も経てば下火になるのですが、自民党の皆さんは、嵐が去るのをじっと待っているのでしょうが、今回は、少し、長引くかもしれません。
野党は、こんな美味しいネタ、無視できません。
スキャンダル追及しか頭にない野党は、モリ・カケ・サクラと同じノリで自民党を追求することが自分達の仕事だと思っています。立憲民主党も、ここは、ブーメラン覚悟で突っ込むしかないと思います。
ほんとに、学習能力がないと思います。
野党は、「ああでもない、こうでもない」と得意になって叫びます。
与党は、「うん」でも「すん」でもなく、「知りませんでした」「気付きませんでした」「もう、しません」と弁明し、口先対応で、「うやむや」にするテクニックで、対抗します。
まさに、茶番劇です。
茶番劇を見飽きている国民は、「またか」と関心を失います。
いつものように、与党と野党とマスコミと国民が、皆で一致協力をして、生産性を無視した行動を続けている国、それが日本です。
今、この国は、統一教会騒動をやっている時なのでしょうか。
違います。
国力衰退を、何とかして食い止めなければならない時です。
この国の現状から見れば、多くの国民の生活を守るという視点からは、統一教会騒動も安倍銃撃事件も些細なことに見えます。
特に、野党とマスコミは、何故か、枝葉のほうへと視点を持って行きたがります。
なぜ、重箱の隅へと行きたがるのか、ほんとに、不思議でなりません。
枯れた葉を見つけ、勝ち誇ったように、統一教会と自民党の癒着に焦点を当てようと必死になります。まるで、自分達が警察や検察になったつもりなのかもしれません。
私には、原因を見つけることのほうが、はるかに優先される事のように思えるのですが、野党とマスコミは、非難と批判が自分達の責務だと考えています。もちろん、全ては選挙のためです。選挙のためなら何でもするという発想は、自民党と統一教会の関係と同じ構図に見えます。どいつもこいつも、ピンからキリまで、お偉い政治家の先生方は、全員が「選挙、選挙、選挙」です。国民生活のことが頭をよぎることはないのでしょうか。
何らかの問題を解決しようと思えば、本来であれば、枝や葉ではなく、幹に根や大地に視点を向ける必要があります。原因は、枝葉にあるのではなく、幹に根や大地にあるからです。しかし、政界では、一に選挙、二に選挙、三四がなくて、五に選挙です。彼等の本来の目的である「国民生活を守る」という目的の「こ」の字も出て来ません。これでは、幹に根や大地に目を向けることができません。
与党が選挙のために統一教会を利用し、野党は統一教会を非難することで選挙を有利にしようとします。これは、政治家の皆さんの頭の中は選挙で一杯であり、それは、選挙結果から得られる利得が美味しいからです。政治家は、本来の目的である国民生活を守るために国会議員になるのではなく、自分の利得のために国会議員になるのです。
しかし、野党の皆さん。
皆さんが、モリ・カケ・サクラで世間の注目を集めた結果が、選挙での敗北だったのです。自民党は得意の「うやむや」で切り抜けてしまいました。
このことを、野党の皆さんは、どう考えているのでしょう。
統一教会騒動でも同じことをやるのでしょうか。
芸がない、と言うか、戦略がない、と言うか、学習能力がないとしか思えません。
この先、いくら統一教会騒動で世間の注目を集めたとしても、選挙で国民の支持が得られないことを、どうして理解できないのでしょう。しかも、国政選挙はこの3年間ありません。
それでも。
ただ、ただ、選挙のことしか念頭にありません。
まさに、不毛です。
亡者の群れを見ているようです。
国会議員の責務は、何ですか。
選挙に勝つことですか。
そうではないと思います。
国民生活を守ることです。
こんな当たり前なことが、なぜ、無視されるのでしょう。
国力が衰退しているのに、不毛な政治と不毛なマスコミと不毛な国民と不毛な社会が幅を効かせています。どこかに、生産的な空気は存在しているのでしょうか。誰もが、自分の欲望を満たすことだけを考え、皆で、国や国民や子供達のことは「俺には関係ねぇ」と言っています。いや、だから、国力が衰退しているのです。
枝や葉に問題がないとは言いませんが、問題は、幹であり根っ子であり大地です。
どうして、誰も、そのことに気付かないのでしょう。
この国には、1億2000万もの頭脳が存在しているのです。
しかし、幹や根や大地に問題があると指摘する方が一人もいません。
そのことに気付いている人が一人もいないとは思いませんが、誰も、声を出しません。
根が腐り、幹が衰え、枝葉が枯れるのは時間の問題だと思います。現に、政治の世界が腐っている状況は、誰の目にも明らかです。国民生活も腐り始めています。
今、着目しなければならないのは、大地です。
私達は、砂の上に家を建てているのです。
当然、家は倒れます。
これ、自然の摂理です。
私達は、自然の摂理には逆らえないことを知る必要があると思います。

誰々が、統一教会の会合に出席した。
誰々が、選挙の応援を頼んだ。
誰々が、便宜を図った。
誰々が、票を貰った。
誰々が、誰々が、誰々が。
これらは、全部、選挙絡みの枝葉の出来事です。
確かに、野党の皆さんにとっては許しがたいことだと思います。
ただ、統一教会への便宜供与は、自民党がやっている数ある「ズル」の一部分にすぎません。仮に、自民党が統一教会と絶縁したとしても、政治環境に変化はありません。
問題は、国家運営システムが機能していない、いや、システムそのものが穴だらけだったから起きていることです。いやいや、穴は意図して作られたものです。目的もなく、責務も明確ではありませんので、自民党はどんなシステムでも作れるのです。
目を向けるのは、システムの背景です。
数千億円もの日本国民の資産が、韓国へ持ち去られたのです。
結果、家庭崩壊も起きました。元総理大臣を殺す人も出て来ました。
これで、国民生活を守っていることになるのでしょうか。
それを許す仕組みがあったことが問題なのです。
システムが間違っていたのです。
それは、選挙「命」の政治家が、自分達の利権を守るために、「なあ、なあ」「まあ、まあ」をやってきたからです。
そして、そんな構造が容認されたのは、国の責務が、国民の責務が、曖昧なまま、ずるずると封建制度を引き摺ってしまったからです。
原因の原因の原因を見つけ、対処するしか方法はないと思います。既存の政党・政治集団の中に、そんな主張をしているところがあるのでしょうか。ありません。
私は、何度も、既存政党ではこの国の運営は出来ないと書きました。
それは、自民党でも、立憲民主党でも、それ以外の政党でも、国家運営の能力を持っていないということです。彼等は、砂上の楼閣を建てることが、仕事だと勘違いしているのです。
それは、国会議事堂での議論を見れば一目瞭然です。国会論議はモリ・カケ・サクラであり、その延長線上にある統一教会騒動です。この先、国会が開会されれば、統一教会騒動一色になると思います。でも、国会は、ワイドショーではありません。国会は、スキャンダルで盛り上がる場所ではありません。
国会は、どうやって、国民生活を守るのかを議論する場所です。
今、この国が直面しているのは、国力衰退です。国民生活が危険な状態になっているのです。どうやって、この国力衰退に向き合い、克服していくのかが議論されなければなりません。国会が、そんな議論で盛り上がったという話は、一度も聞いたことがありません。
国会にいるのは、国会議員と官僚の皆さんです。国会議員と官僚の皆さんが、「国力衰退」について、全く、認知していないとは思えません。確かに、その認知度には濃淡はあるのでしょうが、全く知らないという人は一人もいないと思います。しかし、誰も、「知らんぷり」です。
何故なのでしょう。
国会議員と官僚の皆さんが、自分の利益にならないと考えているからだと思います。国民の生活を守ることより、自分の既得権益を守ることが優先されているからだと思います。
責務が明確になっていないから、国会議員と官僚の皆さんにとって、国民生活のことは、二の次三の次でも、構わないのです。
でも、何も議論しないわけにはいきませんので、スキャンダルで盛り上がるのです。
枝葉に視点を当てることで、仕事をしている「ふり」をしているのです。
では、何故、こんな間尺に合わないことが、まかり通っているのでしょう。
国民の皆さんが、何も言わないからです。
そして、それは、この国が、国民が、目的と責務を持っていないからです。
国民の皆さんには、今の禄でもない国会議員や官僚に「本来の仕事をしろ」と言う責務があると思います。
「それを、どうやって、伝えればいいと言うのだ」と疑問に思うでしょう。
確かに、そんな仕組みは、どこにもありません。
でも、仕組みは、作ればいいだけです。
国民の皆さんは、「お上」の許可がないと何もできないと思っていませんか。
この国は、封建制度の国なのですか。
民主国家では、皆さんが、皆さんの生活を守る。これ、当たり前のことです。
それが、民主主義だと思います。
もちろん、国民には生活をする権利があると同時に、責務もあります。
それが、何一つ明確になっていないから、皆さんは「俺には関係ねぇ」と思っているのです。
これ、勘違いです。

先程、国会議員や官僚の皆さんへ「本来の仕事をしろ」という仕組みが必要であり、仕組みは作ればいいと書きました。
もちろん、仕組みを作るのは、国民の仕事ではなく、国会議員や官僚の仕事です。
国民の皆さんがやることは、「国とは、国民とは、民主主義とは」という言葉の定義をすることです。そうすれば、目的と責務が明確になります。目的と責務が明確になれば、自動的に仕組みは作られます。それが、国の持っている機能です。
国の責務と国民の責務が明確になれば、国会の責務も、国会議員や官僚の責務も明確になりますし、国民の責務も明確になり、進むべき道が見えてきます。そして、初めて国力衰退というトレンドに変化が生まれるのです。
枝葉の部分を、いくら繕っても、幹や根っ子は変わりません。大地を変え、根っ子を変え、幹を変えれば、枝や葉は勝手に変わります。
そんな仕事を請け負う政党が、この国に存在しているのでしょうか。
いいえ、存在しません。
国民の皆さんが、言葉の定義をすれば、目的と責務を明確にすれば、国会議員はその原則に逆らえません。なぜなら、国民の一票を貰わなければ、国会議員になれないからです。そして、国会議員が、本来の仕事をするためには、官僚に協力しろという圧力をかけなければなりません。国民生活は、そうやって守られるのです。
例えば、投票が国民の責務だと認定されたら、投票率は上がります。投票率が上がれば、組織票だけでは選挙に勝てなくなります。統一教会の出る幕はありません。
国民が政治に関心を持つことも国民の責務だと認定されたら、国会議員も官僚も「好き勝手」はできません。国民の一票には、大きな力があるのです。民主国家では、国民の皆さんが主役なのです。だから、主権者と呼ばれているのです。
これが、民主主義だと思います。
習近平やプーチンのやり方は民主主義ではありません。ただ、国民の皆さんが、独裁政権のほうが、封建制度のほうが、楽だと思えば、その選択肢だってあるのが民主主義です。
それを決めるのは、国民の皆さんです。
もちろん、最終責任を取るのは、どんな統治システムであっても国民の皆さんです。
国民の皆さんは、どうするのですか。
モリ・カケ・サクラ、統一教会で盛り上がっていれば楽しいのですか。
皆さんの生活は、この先、もっと苦しくなりますが、それが快感なのですか。
自分を、家族を、守る必要はないのですか。


2022-09-02



nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

大規模軍事演習 [評論]



8月2日、アメリカのナンシー・ペロシ下院議長が台湾を訪問しました。
ペロシ氏は、4月に訪問予定でしたが、コロナに感染し、4月は中止されました。
その後、米中間でペロシ問題は、火種になっていて、7月には、中国の恫喝外交が軍事対応を含む内容にまでエスカレートしました。
公的なものではありませんが、ペロシ機を撃墜せよ、という発言すら出て来ました。
中国が得意とする、脅しと威嚇行為を駆使した宣伝戦です。この脅しと威嚇行為を駆使した宣伝戦は、大変危険なものです。それは、宣伝の積りが宣伝で終わるという保障がないからです。相手を騙すだけではなく、自分をも騙す結果になることがあります。
現在の台湾問題は、「台湾は中国の一部である」という中国共産党の主張を、助平根性で認めたアメリカにあると思います。当時、世界の超大国であったアメリカは、経済的な利益を得るために、中国を傘下に収めようとしたのです。どんな国でも、どんな時でも、「欲」が最優先ですから、仕方ありません。
しかし、統治体制の違う中国は、独自の考えで、国力の増強に邁進しました。アメリカに取り込まれるなんてことは、当初から考えていなかったと思います。それは、彼等が持つ中国四千年の歴史観によるものだと思います。
そして、経済的にも軍事的にも、アメリカに対抗できるだけの国になりました。その手法には批判もありますが、合法でも非合法でも、彼等が頑張って手にしたものです。
中国が居丈高になるのは仕方ありません。
国家運営に理想的なモデルはないのかもしれません。
国家は永続しなければなりません。それが、国家運営の至上命題です。
しかし、1年、10年、100年、千年、1万年という期間を考えると、共通した答はありません。「栄枯盛衰は世の常」と言われるのは、そのためだと思います。
ドイツの有為転変が、国家運営の難しさを示しています。
冷戦終結後、幾多の試練を乗り越えて、ドイツは、ロシアと中国に接近することで利益を得て、ヨーロッパのリーダーにまでなりました。10年単位の国家運営では大成功です。しかし、今、エネルギー問題でドイツは苦境に立っています。中国への依存も増加しています。この先、ドイツがどんな環境に置かれるのかは見通せません。もしかすると、100年単位で総括すると失敗したことになるかもしれません。
ドイツだけではありません。多くの国が、これまでの国家運営方式では成り立たない時代を迎えているのだと思います。
世界秩序を決めるのは「欲」です。
「欲」の大きさと強さが、世界秩序を決め、弱者はそれに従わねばなりません。
ただし、「両雄並び立たず」と言われるように、世界を支配するのは、特定の民族の「欲」になります。それが、中華民族なのか、アングロサクソンなのかはわかりません。少なくとも、日本民族ではないことは確かです。
中華民族の「欲」も、アングロサクソンの「欲」も、半端ではありません。それに比べると、日本民族の「欲」は、夢見る少女の「願い」くらいのものだと思います。
「欲」と「欲」の対決が、ペロシ台湾訪問を契機にして、軍事対応にまでエスカレートしたのが、中国人民軍による、台湾周辺での大規模軍事演習という名の恫喝です。
台湾の全方位を制圧する形での軍事演習は、もう、普通の軍事演習ではありません。
4日間の演習ですが、事実上の台湾封鎖であり、あからさまな、軍事恫喝です。
習近平は、まだ本気でアメリカと戦争をするつもりはないと思いますが、中国人民軍は、アメリカと戦いたいと思っていると言われています。習近平が、どこまで人民軍を掌握できているのか不明ですが、習近平としても、軍を軽く扱うわけにはいきません。軍が反抗すれば、習近平の権力は即座に消滅します。実力組織の力は、特に、中国の歴史の中では、巨大です。それは、人民軍主導でアメリカとの戦争が始まる危険があるということです。
今回の軍事演習で、人民軍が演習区域として発表した6ヶ所の領域には、台湾の領空・領海を含む領域が3カ所あります。明らかに、領空・領海侵犯をする意図があります。仮に、アメリカの領空・領海の中で、人民軍が軍事演習をすれば、即座に開戦になります。
それだけではなく、沖縄を含む東シナ海全域が、演習領域だと発言している人民軍関係者もいます。既に、日本は巻き込まれています。
中国人民軍のミサイルは、台湾の上空を越えたものもあり、日本のEEZ内に着弾したミサイルもあります。明らかに、日本は攻撃の標的です。
今回の人民軍の演習は、脅しの範囲を越えています。彼等は、本気です。多分、習近平にも止められなかったものと思います。
もちろん、ペロシの訪台が米中戦争の開戦にはなりませんが、開戦に一歩近づいたことは否定できません。
アメリカ軍もペロシを守るために、それなりの態勢は取りましたが、その態勢を見た人民軍は、アメリカに勝てると思ったのではないでしょうか。
ここで、人民軍が後退することは考え難いと思います。
中国の場合、政府と軍と人民は独自の存在だと思うほうが正しいと思います。
軍人は、どの国の軍人も、プライドを大事にします。
今回の軍事演習は、人民軍のターニングポイントになるような気がします。
ここで、尻尾を巻くわけにはいかない所まで事態を進めてしまった人民軍に「撤退」の言葉はないと思います。過去3回の台湾海峡危機では、アメリカ軍に押されて、3度も「撤退」しました。プライドの高い彼等は、地団太を踏んだと思います。25年もの歳月をかけて実力をつけた人民軍の軍人にとって、「撤退」は「屈辱」でしかありません。そんなこと、軍人としてのプライドが許しません。たとえ、習近平が皇帝と呼ばれるようになっても、軍人のプライドをなくすことは出来ないと思います。
中国人民軍が強気になっている原因は、プライドだけではありません。
バイデン政権の、弱腰、日和見外交があるからです。
バイデンは、「軍は、ペロシ訪台を歓迎していない」と言って、ペロシを止めようとしました。民主党は政権党ですが、大統領府と議会は一枚岩ではありません。「できるだけ、穏便に」というバイデン政権の色が、ペロシ訪台の対応でも出てしまいました。
アメリカは、国民が分断されているだけではなく、政権と議会も分断されています。
もう、古き良き時代のアメリカではありません。
中国人民軍が、強気になるのも頷けます。
平時であれば、この弱腰、日和見外交は、柔軟な外交として意味があると思いますが、非常時では通用しません。まだ開戦されていませんので、戦時ではありませんが、非常時であるという認識をバイデン政権は持っていないのかもしれません。「まあ、まあ」という日本の対応と似ているように見えてしまいます。
香港への対応でも、アフガニスタン撤退の対応でも、ウクライナ戦争の対応でも、アメリカの弱腰は世界が見ています。プーチンの核の恫喝に、アメリカは手も足も出せませんでした。限定的な武器援助でお茶を濁しただけです。
ロシアがウクライナに軍事侵攻したのは、アフガニスタンのアメリカを見た結果であり、中国の台湾周辺軍事演習は、ウクライナ侵攻を見た結果です。北朝鮮も、好きなだけミサイル発射実験をしました。イランも、核開発で強気になっています。これらは、アメリカの弱体化が招いた自然現象です。サル山でも、年老いたボス猿に挑む若猿は出て来ます。
アメリカも、アメリカが弱体化していることは承知しています。ですから、同盟国に「何とかしろ」と言っています。しかし、同盟国は、まだまだ、アメリカを頼りにしています。他人の褌で相撲を取る癖が抜けません。それは、欧州各国も、日本も、韓国も、それ以外の同盟国も同じです。アメリカが、アメリカ本土だけを守り、それ以外の地域の紛争に対しては「俺には関係ねぇ」と本気で言ったら、同盟国はどうするのでしょう。例えば、日本は、自国を守ることが出来ますか。現実から逃げるだけの日本は、自分で自分の国を守る力を持っていません。「平和憲法を守れ」と言う人ばかりです。時代が大きく変わろうとしているのに、全く、その認識を持てていません。ここでも、「なあ、なあ」「まあ、まあ」が価値基準になっているのです。
中国やロシアや北朝鮮を「ならず者国家」だと非難してみても、屁のツッパリにもなりません。「ならず者国家」は、現に、存在しているのです。
日本政府が、得意の「遺憾砲」を何発撃っても、何も変わりません。
国民が「戦争反対、平和、平和」というデモをしたって、何も変わりません。
全ての国民に、国と国民生活を守る責務があることを、国民は誰一人知りません。

中国をここまで大きなモンスターにしてしまったのは、助平根性しかないアメリカであり、日本であり、欧州各国です。もう、中国を、モンスターを、制御することは出来ません。小国になったロシアの軍事侵攻でさえ、制御できていません。
先進国と言われる国々に、核戦争を覚悟して、第三次世界大戦を戦う覚悟はあるのでしょうか。そんなことが出来ないことは、ウクライナ戦争で証明されました。
アメリカの時代は終わりました。
もう、時代の潮流は、中国によって作られる時代になったのです。
今回の大規模軍事演習は、中国のやりたい放題です。
世界は、自由主義陣営は何をしたのでしょう。
遠くから「遺憾砲」を撃つだけです。
台湾の皆さんは、艱難辛苦に耐え、最後の一人まで、中国と戦うのでしょうか。
そんなことは、しないと思います。
力による限定的な台湾封鎖も実行されました。経済制裁も始まりました。様々な裏工作は続けられています。台湾の皆さんは、口には出さないかもしれませんが、内心では「ヤバイ」ことを理解したと思います。今回は、4日間の台湾封鎖でしたが、次は、10日になり、1カ月になります。中国の得意なサラミ戦術が始まったと理解したと思います。
台湾のエネルギー備蓄は20日分だと言われています。
海と空を封鎖されたら、国民生活は、簡単に破綻するのです。
過去3回の台湾危機は、アメリカが阻止しました。しかし、アメリカは、今回の軍事演習を止めませんでした。それは、止めるだけの力がなかったからです。では、次の軍事演習は止めるのですか。いいえ、今回と同じで、何もしないと思います。
自由や民主主義は大事です。でも、命のほうが、もっと大事です。
中国の度重なる軍事恫喝は、台湾人の恐怖心を呼び醒まします。理屈よりも、恐怖心という本能のほうが、はるかに強大です。
近い将来、台湾で政権交代が起きるのは必然だと思います。
アメリカも日本も、台湾を守ることはできません。
今回の大規模軍事演習を止められなかったということは、台湾併合実現への第一歩が動き始めたということです。この動きは、止まりません。いや、アメリカにも日本にも、いやいや、中国でさえ、止められません。
自由民主主義陣営は、自分の利益のために、香港を見捨て、アフガニスタンを見捨て、ウクライナを見捨て、今、台湾を見捨てようとしています。
次は、日本を見捨て、東欧諸国を見捨て、中東が見捨てられます。どの国も、自国を守ることしか考えなくなります。
世界覇権は、もう、中国のものです。
何年か前に、「中国領日本自治区」という言葉を使いました。読まれた方は、いつものヨタ話だと思っていたと想像します。でも、輪郭が見えてきたと思いませんか。この先は、もっと、明確に見えてくると思います。
今回の大規模軍事演習は、大きな転換点になりました。
日本の場合、中国に征服される日が早いのか、国力衰退による自滅が早いのかは、まだわかりません。ただ、どちらにしても、国民生活は破綻します。
多分、この先、数百年は、忍従の日々が続くものと思います。
ま、私達は、2000年間、「じっと、我慢する」生活を続けてきたのですから、我慢には慣れています。それしか救いがないのは、悲しいことですが、潮流には勝てません。

では、中国に死角はないのでしょうか。
いいえ、どんな国にも死角はあります。
いつの時代でも、内乱は中国の日常であり、死角です。
習近平と人民軍と人民は一枚岩になれません。日本民族とは違い、中華民族は、人民だからという理由で「欲」を捨てたりしません。ですから、中国では、必要以上の弾圧が不可欠です。そして、弾圧は、新たな反抗を生み出します。人間の「欲」を制御することは誰にも出来ないのです。強権を持つ中国共産党でも無理です。中国での内乱は必然だと思います。
それだけではありません。何故か、不幸は不幸を呼びます。最近の旱魃が、その不幸の1つになる可能性もあります。内乱の原因は、いつの時代でも食糧です。中国の17の王朝の内、5つの王朝は旱魃で倒れたと言われています。
ただ。
問題は、時間です。
中国が世界征服を成し遂げる可能性はあります。
しかし、中国の支配が永続するわけではありません。
中国帝国の寿命が、数十年なのか、数百年なのかはわかりません。
ただ、少なくとも、その間は、世界は中国の奴隷に甘んじることになります。


2022-09-01



nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:blog