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奇跡を待ちます [評論]



円安が進み、24年ぶりとなる為替介入が行われました。
ドル円チャートを見てもらえばわかりますが、150円から250円の間には抵抗ラインが1本もありません。150円が意識されたのは自然なことです。オーバーシュートしてしまえば、250円を越えてしまうかもしれません。
今回の為替介入は、後日、「財務省は、何もしなかった」と言われないように、形ばかりの抵抗をして見せたということなのかもしれません。
仮に、1ドル300円になれば、日本経済は瀕死の重傷です。
更に、500円になり、1,000円になれば、国が崩壊します。
これは、この国が、国家運営に失敗したということです。
過去、50年の、いや、150年の国家運営が失敗だったことを証明することになります。
私の予測が、評価が、絶対に正しいと言うつもりはありません。
でも、可能性はゼロではなく、かなり高い確率で国家崩壊は現実になります。
私達は、とても危険な場所に立っているのですが、そのことに気付いている方がいません。ましてや、その原因に気付いている方は、一人もいません。これは、とても危険です。確かに、国民の皆さんは不安を感じています。その不安の根拠は明確になっていませんが、多くの皆さんが漠然と感じている「不安感」は間違っていないのです。
そうです。この国は、皆さんの生活は、壊れるのです。だから、不安なのです。

これまでも円安の破壊力について書いてきましたが、これまでは予測に過ぎませんでしたが、もう、予測とか警告という時期ではなくなったのではないかと思います。
為替変動は金利差から生まれるという通説があります。
確かに、金利差で為替が変動する事実は存在します。
では、今の円安は、金利差だけで起きている現象なのでしょうか。
そうではありません。
ここは、専門家の方の見解を読み込んでみてください。
中でも、日本の国力衰退が、円安を進めます。これが、一番危険です。
日本経済の衰退が、当然のように、日本通貨の衰退につながっているとすると、金融政策で何とかなるようなものではありません。
特に、貿易収支の赤字化が定着し、経常収支を心配する方も出てきました。何度も書きますが、国際環境の大きな変化があれば、所得収支は激変します。そして、世界は、今、大きな曲がり角に来ているという時代を迎えています。とても、危険です。
私には、当たり前の現象が起きているように見えます。
日本の国力衰退が進行すれば、当然、円安になるということです。

今の状況を見れば、デフレ脱却というスローガンだけで、場当たり的な国家運営をしてきた国が国家運営に失敗したということです。
成長戦略という矢がないアベノミクスが失敗だったことが証明されたのです。
異次元金融緩和という金融戦略も、失敗したのです。
元々、金融政策は、インフレや失業を是正する短期政策として使われるものです。
数年で結果が出ない場合は、金融政策では対応できないものなのですから、政策転換をしなければなりません。
それなのに、10年間、「2%の物価上昇」目標を維持し、結局、達成できませんでした。
これは、短期政策の、金融政策の、領域を逸脱しています。
今、日本で起きている物価上昇は、国の政策が功を奏して起きているのではありません。国際環境の変化で起きているインフレです。日本は、何も成し遂げていないのです。

2013年、アベノミクスが発表された時、私は「アベノミクスは失敗する」と書きました。多くの方が歓迎していた時のことですから、変人だと思われた筈です。
なぜ、失敗するのか。それは、謳い文句である3本の矢の中の成長戦略という矢が、当初から存在しなかったからです。
本来であれば、成長戦略を成功させるために、金融政策と財政政策で成長戦略を支援するものです。それが、金融政策である異次元金融緩和で始まったのです。
その後も、成長戦略は姿を見せませんでした。
異次元金融緩和と財政出動で、力任せの政策で、円安と株高を起こし、景気の下支えをせざるを得なくなってしまいました。中身は何一つ変わっていないのに、弥縫策で、それも異次元の弥縫策でその場しのぎをやったのです。中身が変わっていませんので、成長戦略がありませんでしたので、物価上昇は起きないまま、10年経過したのです。
当初から、失敗が約束されていた政策なのに、経済界も経済評論家も反対をしませんでした。当時は、誰もが拍手していたのです。ですから、これは安倍さん一人の責任ではありません。

では、何が間違っていたのでしょう。
第一に、政策そのものが間違っていました。これは、よくあることです。
第二に、それを修正できませんでした。いつもの「まあ、まあ」です。
第三に、10年経っても、修正できないままです。
これは、この国に、構造的な問題があるということです。

では、その失敗の原因はどこにあるのでしょう。
「間違い」を「間違い」と言えない空気の存在。
「失敗」を「失敗」と言えない空気の存在。
「なあ、なあ」「まあ、まあ」で済んでしまう空気の存在。
この国は、原理原則ではなく、空気で動いているのです。

では、原因の原因は。
「お上」と「下々」という意識。
原理原則の不在。

では、原因の原因の原因は。
曖昧文化に流され、言葉の定義が出来ずに、目的と責務を明確にできなかったことです。

アベノミクスという政策を見てみましょう。
アベノミクスを立案したのは安倍さん一人ではありません。
安倍さんをサポートする大勢の官僚がいました。
アベノミクスという政策に、私が指摘したような欠陥が存在することは、多くの官僚が、いや、官僚の皆さん全員が、気付いていたと思います。
しかし、総理大臣に逆らえる官僚がいなかった。
政権中枢にも、「お上」と「下々」意識があったということです。
政策の間違いを指摘出来なかったのは、原理原則がなかったからです。
「総理、この政策は、かくかくしかじかの理由で間違っています」と言えるだけの原則がなかったのです。原則がないまま、そんなことを言えば、左遷です。国として、共通する原則がなかったために、皆で責任逃れをしたのです。総理大臣という権力者に対して弱い立場の官僚は、忖度して、拍手するしかなかったのだと思います。日本中の優秀な頭脳を集めたのに、何の役にも立ちませんでした。まさに、浪費です。
仮に、官僚が「国民生活を守る」ことを目的としていたとしても、上下関係により、政策が安倍総理の権力の強化を目的にしてしまっても、黙るしかなかったのです。
百歩譲りましょう。
もしも、安倍さんに、耳に痛い進言でも聞くという度量があれば、何とかなっていたのかもしれません。しかし、「そんなリーダーがどこにいるのだ」と言われれば、答はありません。個人差のある「人間の度量」などに頼ってはいけないということだと思います。「人間の度量」ではなく、多くの皆さんが共有できる「目的」と「責務」が必要なのだと思います。
総理大臣とその周辺の人達は、本意ではなかったとしても、一致協力して、間違えました。
では、経済界は、何か注文を付けたのでしょうか。
いいえ、忖度しました。円安のほうが重要だったのです。
経済評論家は、なぜ、黙っていたのでしょう。
自分の身が可愛かったのです。
残念なことに、野党には、この欠陥に気付く知識がありませんでした。
それは、野党も「国民生活を守る」ことが唯一無二の目的ではなかったということです。ただ、ただ、訳も分からずに、「安倍政治、反対」しか言えませんでした。
ですから、皆で一致協力して、国家運営に失敗したのです。
では、国民は、どうしたのでしょう。
一部の人は「ふむ、ふむ」と頷き、一部の人は「俺には関係ねぇ」と言い、多くの国民は「お上」の仕事には口を出せないと信じていたのです。日光東照宮の猿と同じです。
自分達の生活を左右する国家運営なのに、誰もが、他人事だったのです。
その点では、国民も同罪です。
どこにも、救いがありません。
誰を責めることもできません。
これは、総理大臣の顔を替えても、何も変わらないということです。
こんなこと、いつまでやるのですか。
こういう国家運営が、「なあ、なあ」「まあ、まあ」の国家運営が、150年も続いたのです。潰れても、不思議はありません。

何度も書きますが、国民の皆さんは、ほぼ全員の皆さんが、将来に不安を感じています。それは、皆さんが、気付いてはいないかもしれませんが、動物としての本能を持っているからです。私達の目には見えませんが、日常の事象の背後で、何か得体のしれないものが蠢いていることを本能は察知しています。だから、不安なのです。
論理的な思考よりも、直感のほうが正しかったという体験は何度もあります。特に、生命維持に関する場合は、本能のほうが優れていると思います。
皆さんは、必死に貯金をしようとしています。しかし、どれだけ頑張って貯金を増やしても、インフレがやってくれば、貯金なんて何の役にも立ちません。国が崩壊する時は、1,000%の、10,000%のインフレがやってきます。必要になるのは、現物の食糧だけです。50年分の、100年分の食糧備蓄を持っている人なんて存在しません。皆さんは、飢えに苦しむ生活を余儀なくされるのです。皆さんは、動物の本能として、その危険を知っています。だから、不安なのです。第二次世界大戦敗戦時の日本の食糧自給率は88%でした。今は、40%を切っています。大変苦しかった、あの敗戦時の食糧難と、これからやって来る食糧難は、別物です。国連の食糧支援が期待できない場合は、バタバタと人が死んでいきます。この国には、数千万人の餓死者が出ても不思議ではないほどの食糧しかないのです。
「お上」が何かしてくれるわけではありません。皆さんは、自力で生き延びるしかないのです。いつの時代でも、それが現実だったのです。そして、皆さんの本能は、その事を知っています。多くの先人たちが体験したように、皆さんも、皆さんの家族も、絶望の中で死を迎える可能性があるのです。それも、これまでに例を見ないほどの大量死です。
ほんとに、それでいいのですか。
「お偉い先生方」に国家運営を丸投げしていてはいけません。自分の身は、家族の命は、皆さんが守らなければならないのです。
そのためには、皆さんが目を醒まし、目的を持ち、責務を明確にし、崩壊を阻止することで、生き延びる選択肢を手に入れる必要があります。崩壊してしまえば、その選択肢はありません。「お上」次第ではなく、「国民の皆さん」次第なのです。

しかし、原理原則を生み出す作業そのものは難しいものではありませんが、その作業が必要であるという認識を持つことは、簡単ではありません。
意識の変革と時間が必要です。
意識の変革など微塵もありませんし、時間も残り少しです。
ですから、国家崩壊は、甘んじて受け入れるしかないと思います。
ただ。
皆さんは、最貧国になったまま、朽ち果てることを望んでいるわけではないと思います。
再生が必要です。
しかし、それも、簡単なことではありません。
この国を崩壊へと導いた昭和・平成時代の日本人は、後世の日本人のために、出来る限りのことをする責務があると思います。
私は、それが、言葉の定義であり、そこから生まれる「目的」と「責務」だと思います。
あと、どのくらいの時間が残されているのかはわかりませんが、崩壊は防げませんが、私達は最後まで努力するしかないと思います。
そうは言っても、「言葉の定義」に気付いている方がいません。
ただ、私は気付きましたし、この文章を読んでくれた人の中には、気付いてくれた人がいるかもしれません。ゼロではないのです。
奇跡を待つことにします。


2022-10-03



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