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家族がともに暮らせる [評論]



アフガニスタンで非業の最後を遂げた医師・中村哲さん。
アフガニスタンの人々のために、全人生を捧げた中村医師が、アフガニスタン内部の争いの中で殺害されたのです。理不尽の極みだと思います。
中村さんを紹介する記事から、彼の願いを見てみます。

中村さんは、1984年国際医療NGOの医師としてアフガニスタンとの国境近くの、パキスタン、ペシャワールに着任、治療に当たった。そこで、アフガニスタン難民の苦境を知る。難民は、国に帰っても、診療所もなく医者もいないのである。その後も医療活動を続けるが、1991年には、アフガニスタンに診療所を建て活動の拠点とした。
 ところが、アフガニスタンは2000年夏、100年に一度の大干ばつに襲われ、井戸も干上がり、飢えと渇きの中、全国で400万人が飢餓線上をさまよったのである。子供たちも日に数百人が亡くなっていた。きれいな水があるだけでかなりの回復が望めても、その水がなかった。栄養状態と衛生状態は最悪であった。
 「食糧生産が上がらないから栄養失調になる。それから水が汚い。下痢なんかで簡単に子供が死んでいくわけですね。そういう状態を改善すれば、医者を100人連れてくるより、水路を1本作った方がいいですね。病気の予防という観点からすれば、水路1本が、医者何百人分の働きをするわけで、医療と命を大切にするという意味では理屈ではなく直結しているわけですね。」「背景にあるものを断たないと、病気は減らないし、悲劇は減らないですね。」中村さんは語っている。
中村さんは白衣を脱ぎ用水路建設に乗り出した。日本の専門書を頼りに自ら設計図を書き重機を操作し共に汗を流し共に考え、農民とともに用水路建設に取り組んだ。水源は7000メートル級の山々の氷河を源流とするクナール川であり、資金はペシャワール会に集まった3億円であった。
 2003年用水路建設は始まった。農民も参加した。
中村さん達は何度も困難に遭いながらも、知恵を出し工夫し過去に学び、強い意志を持って臨んだ。農民の中に生き、敬意をもって彼らに接し、アフガンの村人らも自分たちの将来に夢を持った。緑の土地を生み、農業をするという夢である。灼熱の日々も彼らは用水路建設に打ち込んだ。
 着工から7年(2010年)、ガンベリ砂漠までの25キロの用水路が完成した。10万人の人々を潤した。
用水路の水は不毛の土地を緑の沃野に変えていった。水路の両岸には柳を植えた。根が「蛇籠」に食い込み、護岸の役目を果たした。
帰郷者が増え、農業が営まれ春には美しい緑の大地となった。秋には米の収穫があった。畜産が始まり、特産品が作られ週末に市(いち)が立った。人々の信頼が困難に打ち勝っていた。彼らは農業で生計をたて、家族がともに暮らせるという幸福感でいっぱいであった。用水路は次々と延びて1万6000ヘクタールの土地が潤い、60万人の命が繋がった。しかし、国民全体では、まだ3分の1が食糧不足である。

中村医師は私達の誇りです。日本人にとっての誇りだけではなく、アフガニスタン人の誇りであり、人類の誇りだと思います。
日本に住む私達の中には、「自分の力で生計をたて、貧しくても、家族がともに暮らせる」ことが幸せだと感じない人もいるかもしれません。でも、それが、幸せなのだと思います。国は、国民が幸せを得られる環境を作るのが仕事です。ですから、本来であれば、中村医師がやったことは、国がやるべき仕事だったのです。それを、個人が、しかも、外国人が、アフガニスタン人の幸せのために、人生を賭けてくれたのです。素晴らしいことです。
私は、アフガニスタンという土地を知りません。辺境の地だと聞いています。
医師として現地に行ったことも素晴らしいことですが、医師でありながら用水路建設という大事業をやってのけた、その胆力は称賛に値します。
なぜ、彼は、日本にいる私達から見れば無謀なことをやったのでしょう。
患者を救いたいという意志が彼を動かしたのだと思います。
彼は、何日も、いや、何年も、考えたと思います。病気の原因になっている貧困について、考え続けていたと思います。彼が辿り着いたのは「水」でした。原因の原因の原因を探して、見つけたのが「水」だったのです。
彼は、口先で「水が必要だ」と言っても埒が明かないことを知り、自分で、行動することにしたのだと思います。アフガニスタンは、紛争が続いた国ですが、それでも、国です。国家が国民の生活を守るために灌漑工事をしても不思議ではありませんでしたが、歴代の政権はその責務を果たしませんでした。アフガニスタンでも、国の目的や国の責務は明確ではなかったものと思います。
ですから、21世紀になって初めて、国ではなく、国民でもなく、外国人が灌漑工事を始めたのです。
普通の感覚では、こんなことは出来ません。
中村医師は、それをやってのけたのです。
中村医師は、医師として、目の前の病に立ち向かいたかったのだと思います。
これが、人間の能力なのだと思います。
私達が中村医師から学ぶことは、原因の原因の原因を探すことだと思います。
彼が、医師の派遣や診療所の開設を要求することを続けていたら、灌漑工事は今でも始まっていなかったと思います。
余談ですが、いつの日か、私達の国はアフガニスタンよりも貧しい国になります。
多分、中村医師のような方が束になって出現したとしても、再建には気の遠くなるような時間が必要になると思います。

中村医師が辿り着いた原因の原因の原因が「水」であったことは、特に、珍しいものではありません。いや、気が付いていても、余りにも「水不足」が当たり前になっていると、気付けないものなのだと思います。私達の国の衰退の原因の原因の原因が「曖昧」であることにも、「曖昧」が当たり前だと気付けないものです。
古今東西、古くから、そして、今でも、「水」は常に問題を抱えてきました。
そして、この先も、「水」は問題であり続けます。
なぜなのでしょう。
人間は、水分なしには生き延びることができないからです。「水」と食料は、私達が生きるために不可欠なものなのです。
中村医師が実証したように、「水」は飲み物としての価値だけではなく、食糧を作るためには不可欠な要素です。「水」を失うということは、水も食料も失うということです。
今のところ、海水で穀物生産が可能になったという事実はありません。いつの日か、その技術が開発される日が来るのかどうかは、まだ、わかりません。海水の淡水化技術は存在しますが、コストが必要であり、無尽蔵に使えるものではありません。
参考までに、利用可能な「水資源」について、ネットの記事から抜粋してみましょう。
「地球上の水の量は約14億立方キロメートルとも言われており、豊富な水に囲まれていることが分かります。しかし、そのほとんどは海水で、淡水の割合は約2.5%しかありません。さらに、そのほとんどが南極や北極周辺の氷や氷河、人々が暮らす地域の地下水となっているので、人間が暮らす地域で確保できる淡水は約0.01%しかありません」
「大陸では河川で接する国同士、あるいは一つの国の中でも水の所有権などをめぐる対立・紛争が、2010年以降だけでも世界で大小450件以上発生しています」
「戦争状態にある地域では、多くの水インフラが攻撃を受けているほか、井戸に毒物が投入されるといった事件も度々起きています」
「人口の増加に伴い、水の使用量は増加の一途をたどっています。1950年から1995年の間で世界での水の使用は約2.74倍になっています。特に生活用水の使用量が6.76倍と急増しています。国連によると今後、世界の人口は2050年には約97億3000万人になると予測されています(2015年では約73億5000万人)」
「そしてOECDの予測では、人口増加に伴う水の使用量は、世界全体で2000年から2050年の間に55%増加し、2050年には深刻な水不足に陥る河川流域の人口は39億人、世界人口の40%を越える可能性があるともされています」
水に関する災害も無視できません。
旱魃や洪水は、最近始まったものではなく、人間が地球上に存在し始めた時から、常に存在した災害です。
最近の災害だけでも、大きな被害をもたらした災害は数十カ国で起きています。
現状と予測可能な将来を見る限り、「水資源」を巡る争い事は不可避のように見えます。
国連は、地球上の皆で幸せになりましょうと言っていますが、世界のトレンドは逆です。いや、争い事が増えることが予測されているので、皆で協力しましょうと言っているのだと思います。
「水」を予測しただけでも、世界で争い事が増えるのは避けられません。
争い事の種は「水」だけではありません。
食糧不足も、この先、現実になります。
では、空気は大丈夫でしょうか。
私達が生きるためには、水と食糧さえあればと思うかもしれませんが、そうではありません。
空気がなければ生きていけません。ただ、空気さえあれば、どんな空気でもいいというものでもありません。放射性物質が地表を覆えば、私達は日常的に被爆することになります。それだけではなく、食物も被爆しますので、食糧からも放射性物質の害を受けます。
まだ、プーチンは核兵器を使っていませんが、使わないという保障はありませんし、北朝鮮やパキスタンだけではなく、それ以外の国が核兵器を使う可能性もあります。それを阻止する手段を、私達人類は持っていません。
ま、ここまで悲観的な予測をすると、私達には選択肢はありません。
いつか、人類は絶滅する宿命にあると考えるしかありません。
でも。
その日まで、意味はないのかもしれませんが、私達は最大限の努力をするしかありません。
多分、よくわかりませんが、それが人間の使命なのだと思います。
努力をしても、何の役にも立たないかもしれませんが、何もせずに絶滅するよりは、少しは気が晴れるかもしれません。その程度の効果しかないかもしれませんが、それが、人間が人間であることの証になるかもしれません。何億年か何千億年かの未来に、人類に変わる生物が地球を支配する日が来るかもしれません。地球史の中に、人類という雄々しき生物が存在していたという証が残ることも価値があるのではないでしょうか。
今は、水の安全保障を、食糧の安全保障を、燃料の安全保障を、防衛の安全保障を、確保しなくてはなりません。生きるために不可欠なものを守ることです。
そう考えると、国力衰退を野放しにしている私達は、自分の首を絞めていることになります。

多分、多くの方が頭ではわかっているのだと思いますが、お偉い先生方が議論するのは、枝葉のことばかりです。
間違っています。
私達の国に、今、必要なのは、目的と責務です。
何をやっても、日本の国力は衰退する一方です。国家運営を担っている自民党を責める人達がいますが、自民党以外の既存の政治集団が国家運営を担当しても、この国力衰退は止められません。そんなビジョンを打ち出している政治集団は存在していません。その典型的な例ですが、野党は「ばら撒き政策」しか言いません。国民にとって、自民党は、最低最悪の政治集団ですが、野党は、自民党よりも最低最悪なのです。
今存在する政党は、どの党も国民の利益にはならないのです。そんなことは、国民の皆さんは理解しているはずです。それなのに、どうして、あてがい扶持しかないと思っているのでしょう。それは、皆さんが国民の責務を知らないからです。
どうして、そのことに気付かないのでしょう。
特定の誰かの力で、例えば、自民党が頑張れば、国力は増えるのでしょうか。
違います。
国力は、国民の皆さんの力で増やすしかないのです。
国民の皆さんが変わらなければ、この国力衰退のトレンドは変わりません。
国民が変われば、自民党でも立憲民主党でもない、新しい政治集団が生まれるのです。国民の皆さんが目的と責務を明確にすれば、国民の要求に応える政治集団は、自動的に誕生するのです。なぜなら、国民の一票がなければ、国民の外注先になれないからです。司法も立法も行政も、全て、国民の外注先です。特に、立法は、国民の一票がなければ、外注先にもなれないのです。
こんなことは、民主国家では、当たり前のことです。
中村医師が実践したように、原因の原因の原因を見つけなければなりません。
用水路建設なんて医師の仕事ではありませんが、彼は、それをやったのです。
中村医師がやったことを、私達がやるのは間違っていますか。
要は、国民の意志が、どこにあるかで、国は変わるのです。
敗戦後、日本国民の多くの皆さんが「世界に追いつき、世界を追い越せ」と願いました。
奇跡と言われた戦後復興は、国民の皆さんの意志で生まれたのです。
日本国民には、その力があるのです。
でも、今回は、壊れるのを待っていたら、奇跡は起きません。
どうか、そのことに気付いてください。


2022-09-05



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