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本来の仕事をしてください [評論]



マスコミは、7月、8月と統一教会騒動で盛り上がりました。
普通は75日も経てば下火になるのですが、自民党の皆さんは、嵐が去るのをじっと待っているのでしょうが、今回は、少し、長引くかもしれません。
野党は、こんな美味しいネタ、無視できません。
スキャンダル追及しか頭にない野党は、モリ・カケ・サクラと同じノリで自民党を追求することが自分達の仕事だと思っています。立憲民主党も、ここは、ブーメラン覚悟で突っ込むしかないと思います。
ほんとに、学習能力がないと思います。
野党は、「ああでもない、こうでもない」と得意になって叫びます。
与党は、「うん」でも「すん」でもなく、「知りませんでした」「気付きませんでした」「もう、しません」と弁明し、口先対応で、「うやむや」にするテクニックで、対抗します。
まさに、茶番劇です。
茶番劇を見飽きている国民は、「またか」と関心を失います。
いつものように、与党と野党とマスコミと国民が、皆で一致協力をして、生産性を無視した行動を続けている国、それが日本です。
今、この国は、統一教会騒動をやっている時なのでしょうか。
違います。
国力衰退を、何とかして食い止めなければならない時です。
この国の現状から見れば、多くの国民の生活を守るという視点からは、統一教会騒動も安倍銃撃事件も些細なことに見えます。
特に、野党とマスコミは、何故か、枝葉のほうへと視点を持って行きたがります。
なぜ、重箱の隅へと行きたがるのか、ほんとに、不思議でなりません。
枯れた葉を見つけ、勝ち誇ったように、統一教会と自民党の癒着に焦点を当てようと必死になります。まるで、自分達が警察や検察になったつもりなのかもしれません。
私には、原因を見つけることのほうが、はるかに優先される事のように思えるのですが、野党とマスコミは、非難と批判が自分達の責務だと考えています。もちろん、全ては選挙のためです。選挙のためなら何でもするという発想は、自民党と統一教会の関係と同じ構図に見えます。どいつもこいつも、ピンからキリまで、お偉い政治家の先生方は、全員が「選挙、選挙、選挙」です。国民生活のことが頭をよぎることはないのでしょうか。
何らかの問題を解決しようと思えば、本来であれば、枝や葉ではなく、幹に根や大地に視点を向ける必要があります。原因は、枝葉にあるのではなく、幹に根や大地にあるからです。しかし、政界では、一に選挙、二に選挙、三四がなくて、五に選挙です。彼等の本来の目的である「国民生活を守る」という目的の「こ」の字も出て来ません。これでは、幹に根や大地に目を向けることができません。
与党が選挙のために統一教会を利用し、野党は統一教会を非難することで選挙を有利にしようとします。これは、政治家の皆さんの頭の中は選挙で一杯であり、それは、選挙結果から得られる利得が美味しいからです。政治家は、本来の目的である国民生活を守るために国会議員になるのではなく、自分の利得のために国会議員になるのです。
しかし、野党の皆さん。
皆さんが、モリ・カケ・サクラで世間の注目を集めた結果が、選挙での敗北だったのです。自民党は得意の「うやむや」で切り抜けてしまいました。
このことを、野党の皆さんは、どう考えているのでしょう。
統一教会騒動でも同じことをやるのでしょうか。
芸がない、と言うか、戦略がない、と言うか、学習能力がないとしか思えません。
この先、いくら統一教会騒動で世間の注目を集めたとしても、選挙で国民の支持が得られないことを、どうして理解できないのでしょう。しかも、国政選挙はこの3年間ありません。
それでも。
ただ、ただ、選挙のことしか念頭にありません。
まさに、不毛です。
亡者の群れを見ているようです。
国会議員の責務は、何ですか。
選挙に勝つことですか。
そうではないと思います。
国民生活を守ることです。
こんな当たり前なことが、なぜ、無視されるのでしょう。
国力が衰退しているのに、不毛な政治と不毛なマスコミと不毛な国民と不毛な社会が幅を効かせています。どこかに、生産的な空気は存在しているのでしょうか。誰もが、自分の欲望を満たすことだけを考え、皆で、国や国民や子供達のことは「俺には関係ねぇ」と言っています。いや、だから、国力が衰退しているのです。
枝や葉に問題がないとは言いませんが、問題は、幹であり根っ子であり大地です。
どうして、誰も、そのことに気付かないのでしょう。
この国には、1億2000万もの頭脳が存在しているのです。
しかし、幹や根や大地に問題があると指摘する方が一人もいません。
そのことに気付いている人が一人もいないとは思いませんが、誰も、声を出しません。
根が腐り、幹が衰え、枝葉が枯れるのは時間の問題だと思います。現に、政治の世界が腐っている状況は、誰の目にも明らかです。国民生活も腐り始めています。
今、着目しなければならないのは、大地です。
私達は、砂の上に家を建てているのです。
当然、家は倒れます。
これ、自然の摂理です。
私達は、自然の摂理には逆らえないことを知る必要があると思います。

誰々が、統一教会の会合に出席した。
誰々が、選挙の応援を頼んだ。
誰々が、便宜を図った。
誰々が、票を貰った。
誰々が、誰々が、誰々が。
これらは、全部、選挙絡みの枝葉の出来事です。
確かに、野党の皆さんにとっては許しがたいことだと思います。
ただ、統一教会への便宜供与は、自民党がやっている数ある「ズル」の一部分にすぎません。仮に、自民党が統一教会と絶縁したとしても、政治環境に変化はありません。
問題は、国家運営システムが機能していない、いや、システムそのものが穴だらけだったから起きていることです。いやいや、穴は意図して作られたものです。目的もなく、責務も明確ではありませんので、自民党はどんなシステムでも作れるのです。
目を向けるのは、システムの背景です。
数千億円もの日本国民の資産が、韓国へ持ち去られたのです。
結果、家庭崩壊も起きました。元総理大臣を殺す人も出て来ました。
これで、国民生活を守っていることになるのでしょうか。
それを許す仕組みがあったことが問題なのです。
システムが間違っていたのです。
それは、選挙「命」の政治家が、自分達の利権を守るために、「なあ、なあ」「まあ、まあ」をやってきたからです。
そして、そんな構造が容認されたのは、国の責務が、国民の責務が、曖昧なまま、ずるずると封建制度を引き摺ってしまったからです。
原因の原因の原因を見つけ、対処するしか方法はないと思います。既存の政党・政治集団の中に、そんな主張をしているところがあるのでしょうか。ありません。
私は、何度も、既存政党ではこの国の運営は出来ないと書きました。
それは、自民党でも、立憲民主党でも、それ以外の政党でも、国家運営の能力を持っていないということです。彼等は、砂上の楼閣を建てることが、仕事だと勘違いしているのです。
それは、国会議事堂での議論を見れば一目瞭然です。国会論議はモリ・カケ・サクラであり、その延長線上にある統一教会騒動です。この先、国会が開会されれば、統一教会騒動一色になると思います。でも、国会は、ワイドショーではありません。国会は、スキャンダルで盛り上がる場所ではありません。
国会は、どうやって、国民生活を守るのかを議論する場所です。
今、この国が直面しているのは、国力衰退です。国民生活が危険な状態になっているのです。どうやって、この国力衰退に向き合い、克服していくのかが議論されなければなりません。国会が、そんな議論で盛り上がったという話は、一度も聞いたことがありません。
国会にいるのは、国会議員と官僚の皆さんです。国会議員と官僚の皆さんが、「国力衰退」について、全く、認知していないとは思えません。確かに、その認知度には濃淡はあるのでしょうが、全く知らないという人は一人もいないと思います。しかし、誰も、「知らんぷり」です。
何故なのでしょう。
国会議員と官僚の皆さんが、自分の利益にならないと考えているからだと思います。国民の生活を守ることより、自分の既得権益を守ることが優先されているからだと思います。
責務が明確になっていないから、国会議員と官僚の皆さんにとって、国民生活のことは、二の次三の次でも、構わないのです。
でも、何も議論しないわけにはいきませんので、スキャンダルで盛り上がるのです。
枝葉に視点を当てることで、仕事をしている「ふり」をしているのです。
では、何故、こんな間尺に合わないことが、まかり通っているのでしょう。
国民の皆さんが、何も言わないからです。
そして、それは、この国が、国民が、目的と責務を持っていないからです。
国民の皆さんには、今の禄でもない国会議員や官僚に「本来の仕事をしろ」と言う責務があると思います。
「それを、どうやって、伝えればいいと言うのだ」と疑問に思うでしょう。
確かに、そんな仕組みは、どこにもありません。
でも、仕組みは、作ればいいだけです。
国民の皆さんは、「お上」の許可がないと何もできないと思っていませんか。
この国は、封建制度の国なのですか。
民主国家では、皆さんが、皆さんの生活を守る。これ、当たり前のことです。
それが、民主主義だと思います。
もちろん、国民には生活をする権利があると同時に、責務もあります。
それが、何一つ明確になっていないから、皆さんは「俺には関係ねぇ」と思っているのです。
これ、勘違いです。

先程、国会議員や官僚の皆さんへ「本来の仕事をしろ」という仕組みが必要であり、仕組みは作ればいいと書きました。
もちろん、仕組みを作るのは、国民の仕事ではなく、国会議員や官僚の仕事です。
国民の皆さんがやることは、「国とは、国民とは、民主主義とは」という言葉の定義をすることです。そうすれば、目的と責務が明確になります。目的と責務が明確になれば、自動的に仕組みは作られます。それが、国の持っている機能です。
国の責務と国民の責務が明確になれば、国会の責務も、国会議員や官僚の責務も明確になりますし、国民の責務も明確になり、進むべき道が見えてきます。そして、初めて国力衰退というトレンドに変化が生まれるのです。
枝葉の部分を、いくら繕っても、幹や根っ子は変わりません。大地を変え、根っ子を変え、幹を変えれば、枝や葉は勝手に変わります。
そんな仕事を請け負う政党が、この国に存在しているのでしょうか。
いいえ、存在しません。
国民の皆さんが、言葉の定義をすれば、目的と責務を明確にすれば、国会議員はその原則に逆らえません。なぜなら、国民の一票を貰わなければ、国会議員になれないからです。そして、国会議員が、本来の仕事をするためには、官僚に協力しろという圧力をかけなければなりません。国民生活は、そうやって守られるのです。
例えば、投票が国民の責務だと認定されたら、投票率は上がります。投票率が上がれば、組織票だけでは選挙に勝てなくなります。統一教会の出る幕はありません。
国民が政治に関心を持つことも国民の責務だと認定されたら、国会議員も官僚も「好き勝手」はできません。国民の一票には、大きな力があるのです。民主国家では、国民の皆さんが主役なのです。だから、主権者と呼ばれているのです。
これが、民主主義だと思います。
習近平やプーチンのやり方は民主主義ではありません。ただ、国民の皆さんが、独裁政権のほうが、封建制度のほうが、楽だと思えば、その選択肢だってあるのが民主主義です。
それを決めるのは、国民の皆さんです。
もちろん、最終責任を取るのは、どんな統治システムであっても国民の皆さんです。
国民の皆さんは、どうするのですか。
モリ・カケ・サクラ、統一教会で盛り上がっていれば楽しいのですか。
皆さんの生活は、この先、もっと苦しくなりますが、それが快感なのですか。
自分を、家族を、守る必要はないのですか。


2022-09-02



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