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人生100年時代 [評論]



物価上昇が実感できるほどの上昇になってきました。庶民にとって節約は欠くことのできない生活防衛術です。しかし、税金や保険料、そして生活インフラである電気ガス水道料金、住居費は、節約が困難です。今、電気・ガス料金は毎月のように値上がりしていますが、まだ、欧州ほどの値上がりにはなっていません。それでも、庶民にとって、今の環境は暗雲です。この先も、環境の悪化は、続きます。
現行の社会保障制度も大きく変えなければ、社会の維持は困難になります。
人口減少と高齢化と国力衰退が進んでいるのですから、当たり前のことです。ただ、その対策は先送りされていましたので、これから顕在化するものと思います。
現役で働いている皆さんは、多額の社会保障保険料を支払っています。それが、20年後には4割増しになるという試算もあります。就業者だけに負担を強いることはできませんので、社会保障費の削減は避けられません。年金給付額の削減と医療費自己負担額の増加は、老後の生活を厳しいものにします。
これが、皆さんの近未来の現実です。そんなこと、知っていますよね。ただ、現実に直面した時には、手の打ちようがありません。70歳未満の皆さんには、恐ろしい未来が待っているのです。
なんてことを書いても、実感は湧かないと思います。また、未来予測を読んだとしても、「だから、なに、俺には関係ねぇ」と言う方が大半だと思います。
それでも、とりあえず、書いておきます。
社会保障制度の改定や、このブログでも何度も取り上げた老後資金不足者の増加、政府による「人生100年時代」という宣伝等々で、働きたい、或いは、働かざるを得ない高齢者の増加が予測されています。
高齢者の仕事探しに関する調査によれば、「70代」というキーワードの検索が5年前と比べて、53.7倍に増えたそうです。
「人生100年時代」というキャッフレーズは、既に、トレンドになっているようです。
しかし。
今の「人生100年時代」と、10年後の「人生100年時代」と、20年後の「人生100年時代」は、全く別物だと思う必要があります。それは、経済の衰退が進み、高齢者が就業できる仕事が減少していくからです。カネもない、仕事もない、老人が増えるのです。それが、将来の現実です。今の国力衰退トレンドを延長してみれば、国民生活が破綻することは、容易に予見できます。だから、国民の将来不安を大きくさせないために、こんなキャッフレーズが生まれたのです。「人生100年時代」は国民の勘違いを誘う言葉です。

ここで、10年後、20年後の国民生活を予測してみましょう。
いつものように、悲観論による予測ですから、話半分だと思ってください。
現在、60歳の方が10年後に70歳になり、現在、50歳の方が20年後に70歳になります。
70歳でも働かなくてはならないと思っている方が、とても多くいます。
「働きたい」という意欲は、とても素晴らしいことだと思います。「働かざるを得ない」という認識も、やむを得ないことだと思います。
では、70歳の老人の仕事はあるのでしょうか。
意欲や認識があっても、仕事がなければ、実現しません。
現在の日本の雇用環境は、ほぼ、完全雇用に近い状態だと言われています。
人手が足りません。
働こうと思えば、理想の仕事ではないとしても、仕事はあります。
これが、今の環境です。
この環境は、10年後も20年後も変わらないのでしょうか。
そうではない、と思います。
日本だけではありませんが、コロナは世界の時間を止めてしまいました。いや、時間が止まったのではなく、環境変化が止まってしまったのです。
しかし、環境は、必ず、変化します。
人為的に止められていた変化は、解き放たれて、大きな変化として私達の前に姿を現します。コロナで大盤振る舞いをした雇用調整助成金や持続化給付金等々の施策が、企業の倒産・廃業を、勤労者の失業を、一時的に止めました。
環境変化が動き出すということは、企業の倒産・廃業や、勤労者の失業を増加させるということであり、その空気は、さらに多くの悪しき変化を表面に出します。
では、企業の倒産・廃業や、勤労者の失業は、高齢者の就業環境にとってどんな意味を持つのでしょう。
明らかに、仕事の場所が減少することであり、競争相手が増えるということです。
国は、「年齢によって採用の合否を決めてはならない」と定めています。
では、もしも、皆さんが社員を雇う立場にいて、50歳の応募者と70歳の応募者がいた時に、どちらの人を採用しますか。
私なら、躊躇なく、50歳の人を採用します。
採用理由なんて、どうにでもなります。「50歳の人のほうが適性が高いと判断した」と言えばいいのです。採用者の個人的判断に、国が四の五の言うことはできません。
今でも、老人の就業環境は良くないと言われていますが、その就業環境は更に悪化します。
10年後20年後30年後40年後に70歳になる皆さん。
皆さんは、死ぬまで働き続けることが可能だと思っていますか。
もしも、そう思っているのであれば、それは甘いと言わざるを得ません。
働く場所がなければ、働けないのです。
そんなこと当たり前です。皆さん、知っています。
極端な話ですが、死ぬまで働けるのであれば、それほど多くの貯金は必要ないはずです。今も、老後も、そこそこの生活ができるのであれば、無理して貯金をする意味はあるのでしょうか。ところが、実際には、老後のために貯金をしなければならないと思っている方が大半です。もちろん、思うように貯金は増えませんが、それでも、何とかしたいとは思っているはずです。今の貯金は、もう、昔の宣伝文句のように「悠々自適の老後」のための貯金ではないことを、皆さんはわかっています。そうです。生き延びるためには貯金が必要だということを知っているのです。
ネット空間には「老後資金の貯め方」という記事が溢れています。10年前には、こんな記事はありませんでした。国民の皆さんの関心が高いから、記事が増えたのです。それは、皆さんの選択肢は、老後資金を貯めるという選択肢しか残されていないということです。
70歳になっても、80歳になっても、仕事はある、なんてことはありません。
これが現実であり、今後、その現実は皆さんの目にもはっきりと見えてきます。

政府は、投資を推奨しています。岸田総理は、預貯金という個人資産の有効活用で経済を活性化させると言っています。
では、投資で老後資金は確保できるのでしょうか。
とんでもありません。
実数は知りませんが、調査もされていないと思いますが、投資で老後資金を確保した人は、ほんの一握りの人だと思います。投資で、老後資金を失った人のほうが、はるかに多いと思います。
そもそも、30代40代50代の皆さんの預貯金額は、とても少ない。
投資には、資金が必要です。
仮に、100万円の資金で、年5%の利益を出したとしても、5万円です。それを20年貯めても100万円にしかなりません。しかし、老後資金は数千万円という単位で必要になるのです。これを「焼け石に水」と言うのです。
では、リスクを取って、年100%の利益を出したとします。それを20年間貯めても、2000万円にしかなりません。もちろん、ないよりはあったほうがいいです。では、リスクがリスクになった時は、どうするのでしょう。自己資金がゼロになるだけではなく、借金を抱えることになります。それを続ければ、自己破産の道しかありません。
一方、100億円の資金を持っている方がいたとします。年3%の利益を出すだけで、3億円が手に入ります。もちろん、このような人は、老後資金を貯める必要はありませんので、別の動機で投資をしているのです。
つまり、庶民は、投資では、老後資金は貯められないのです。
私も、一時期、投資で生活をしていた時期がありました。
もちろん、私は投資の成功者ではありません。初期に大損をし、その後、それを取り返しただけです。収支は、ゼロです。投資をした意味はなかったということです。でも、圧倒的にマイナス収支で撤退した方が多いと思います。私は、運に恵まれていただけです。
ですから、私と同じような庶民の皆さんに、投資はお勧めできません。
仮に、安全資産と言われている株があり、配当が年2%あるという銘柄でも、株価は変動しますし、未来永劫、盤石な企業なんて存在しません。経済環境が変われば、何が起きても不思議ではないのです。
30年前から日本の国力衰退は始まりました。
衰退という症状は、大怪我や大病と違い、徐々に衰える症状です。昨日と今日で何か変化があるかと問われると、答えることが出来ないような変化でしかありません。しかし、時間が経つと、明らかな結果が見えます。例えば、日本が、30年前から今日まで世界平均レベルの経済成長をしていれば、日本のGDPは1000兆円になっていたと思いますが、まだ、500兆円台から抜け出せません。30年という単位で見れば、これほどの差が出るのです。
ですから、10年後20年後の雇用環境なんて、今とは全く違うものになっていても不思議ではないのです。
これは、根拠のない、ただの預言ですが、10年後20年後に70歳になる皆さんの働き場所はないと思います。年金制度の改定も行われると思います。物価は、想像も出来ないようなレベルになっていると思います。
もしも、この預言が当たれば、今、皆さんが住んでいる場所が、皆さんの姥捨て山になるのです。10年後20年後、老人の餓死問題は社会問題になるということです。
でも、手の打ちようがありません。
30年前に対処していれば、変わっていたかもしれません。今、対処すれば、少しは先延ばしできるかもしれません。でも、その現実に直面した時には、どうすることもできません。
国力が衰退するということは、経済規模が縮小するということです。経済規模が縮小するということは、皆さんが貧しくなるということです。しかし、世界は、日本とは関係なく変化し続けます。物価は、ますます、高くなります。それが世界の趨勢です。その世界の流れから取り残された国の国民は、辛酸を舐めることになります。
日本は、今のトレンドを放置すれば、アフガニスタンよりも、スーダンよりも、貧しい国になります。トレンドを変えなければ、世界最貧国になるのです。それが、トレンドです。

国力は、誰か一人の力で出来ているのではありません。全ての国民が、国家運営者、企業経営者、公務員を含む勤労者の皆さん、あらゆる人達の力が寄せ集まって国力になっているとすると、皆さんが頑張っていないことが原因だと思います。
日本は、なぜ、こんな国になってしまったのでしょう。
先送りばかりしてきたからなのでしょうか。
為政者に傑出した人物がいなかったからでしょうか。
国家運営者が率先して「自分さえよければ」をやってきたからでしょうか。
国民が「自分さえよければ」が自分の権利だと勘違いしたためでしょうか。
多分、数え挙げれば、いくらでも原因は見つかると思います。
そして、どの原因も簡単に克服できるようなものではありません。
そんな原因が、山のようにあって、私達はどうするつもりなのでしょう。
私達は、原因を見つけるという行動はしませんでした。
何らかの事案で、その原因を見つけることはあっても、何度も、「二度とこのようなことが・・・」と口先では言いましたが、対策は取りませんでした。
いつも、他人事だったのです。
日本でも、「なあ、なあ」「まあ、まあ」という曖昧文化が薄まった時期がありました。それが敗戦後の日本です。「なあ、なあ」「まあ、まあ」よりも「喰うこと」のほうが大事だった時期です。だから、日本は奇跡の戦後復興に成功したのです。
先ず、原因の究明が必要です。ただ、ここまで重い症状になってしまうと、単一の原因が究明できたとしても、対応策がありません。
必要なのは、原因の原因の究明であり、原因の原因の原因の究明です。
私は、原因の原因の原因は、曖昧文化だと思っています。
老人の多くが餓死をするような社会が予見できるのです。
放置しておいていいとは思えません。
確かに餓死をするのは、圧倒的に老人が多いと思いますが、そんな社会が若者にとってもいい社会だとは思えません。
例外はあるとは思いますが、ほとんどの人が「カネが欲しい」と思いますし、「楽をしたい」と思うものです。できれば、「楽をして、カネ儲けがしたい」と思います。しかし、この人間の欲望を野放しにすると、社会が壊れます。山奥で、一人で、生きているのであれば、何をやっても自由です。しかし、集団で社会を構成する場合には、そこに一定のルールが必要になります。集団は、「One for All」「All for One」で成り立っているのです。
集団社会を機能させるためには、歴史と伝統ではなく、目的と責務が必要なのです。
「自分さえよければ」「俺には関係ねぇ」では、社会は壊れます。日本は、今、その状態にあることに気付いてください。「欲」は必要ですが、「欲」だけでは社会は機能しません。
お願いします。言葉の定義をしてください。
このままだと「ヤバイ」です。


2022-09-04



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