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集団安全保障という概念 [評論]



国家の責務は、国民の生活を守り、国民の命を守ることだと書いてきました。
国が、その責務を守るためには、「子供達の未来を守る」ことを目的とすれば達成可能だと書いてきました。
もちろん、国が、100%責務を守ることなどできません。
それでも、国は、その責務を果たす努力をしなければなりません。
結果的に見れば、今回のウクライナ戦争は、ウクライナという国が責務を果たせなかったことを証明しています。隣国に、プーチンという悪逆非道な指導者がいたことは不運ですが、それでも、ウクライナは国民の生活と国民の命を守らねばなりませんでした。戦争になってしまえば、どんなに頑張っても国民を守れません。これが、現実です。
日本でも、世界でも、「プーチンが悪い」と言います。
そのことに、誰も異論はないでしょう。
でも、そんなことを言ってみても、失われた生活は、失われた命は帰ってきません。
私達は、ウクライナ戦争から、そのことを学ぶ必要があります。
ロシアとウクライナは、地球がお花畑ではないことを、公正と信義が地球の原則ではないことを証明してくれたのです。

ウクライナの国民は、徹底抗戦するという政府に同調し、多くの市民が銃を手にしています。ウクライナの歴史が、市民を動かしているのだと思います。
日本人は体験したことがありませんが、ソ連のスターリン時代に、ウクライナはスターリンの圧政により人口の20%、1000万人(実数は確定されていません)が餓死しました。スターリンによるジェノサイドと言われています。あの時の苦難は、密かに語り継がれていたと思います。ロシアの突然の侵略が、ウクライナ人の奥底に沈んでいた恐怖心を刺激しました。自分達を、自分の国を、守りたいと思うのは自然であり、どこまで抵抗できるかはわかりませんが、抵抗しようという意識は、あって当然だと思います。
ウクライナの予備役の若者は、軍の招集に応じ、「今、ウクライナを守らなければ、子供達に顔向けできない」と言っています。
政府が強制するまでもなく、ウクライナの人達は、自発的に「子供達の未来を守りたい」という目的を持っているのです。日本には、目的の欠片もありません。日本が他国に侵略された時、国のために銃を取るという人は10%だそうです。
私も、迷わずに銃を取りたいと思いますが、私のような老人は戦力にはならないのでしょう。この10%の中には、私のような老人も含まれているものと思いますので、実際に戦ってくれる人は、もっと、少ないと思います。でも、私は家族を守りたい。友人を守りたい。自分の子供だけではなく子供達を守りたい。いや、何よりも、子供達の未来を守りたい。チベットやウイグルや香港の子供達は、夢を持てるのでしょうか。圧政下に置かれた地域の子供達の様子は私達にはわかりませんが、とても、暗いものだと思います。この国を、そんな場所にしてはいけないと思います。これって、間違っているのでしょうか。
お花畑国家の日本では、多分、私が間違っているのだと思います。
プーチンは、「市民を人間の盾にするな」「盾にしたら、市民でも殺すぞ」と言っています。
でも、そのプーチンの目的は、ウクライナ市民をNATO軍に対する人間の盾として使うことです。ウクライナをNATOとの緩衝地域にするということは、そういうことです。「ウクライナ人は、ロシア人のために、まっ先に死んでくれ」と言っているのです。ロシアとの戦争で被害者になるか、NATOとの戦争で被害者になるのかの選択肢しかありません。今回の戦争で、100万人、200万人死んでも、まだ、4000万人の死兵が残るという計算なのかもしれません。
もちろん、私達もアメリカを守るための死兵ですから、ウクライナと同じです。
身も蓋もありませんが、「自分の国は自分で守る」しか選択肢はないのです。

日本では、「一般国民に犠牲者がでるのだから、降参しろ」「殺される前に、国外へ逃げろ」と言う方がいます。でも、ウクライナ人は戦っています。
これは、日本が専制国家に征服された経験がないからだと思います。
チベット、ウイグル、香港の皆さんが、中国の支配下で納得しているとは思えません。
征服された国にとっては、何よりも、子供達の未来を奪われることが苦痛だと思います。
日本人の、このお花畑のような感覚は、目的と責務の欠如が原因なのだと思います。
もしも、「子供達の未来を守る」ことが目的であれば、「子供達の未来を守る」ことが大人の責務であれば、大人が「降参しろ」とか「逃げろ」とは言えないと思います。
ただ、戦争が始まってしまえば、どんな選択肢を選んでも、厳しい未来しかありません。
今日は、何度も書きますが、私達は自業自得の見本を見ているのです。
この厳しい現実は、ウクライナ政府が国家運営に失敗したことが原因です。そのことで追い詰められるのは、市民です。どんな国でも、最終責任は、市民が取るのです。
また、日本でも、この戦争にNATOが関与すれば、世界大戦になり、核兵器が使われるのだから、ウクライナには抵抗しないで欲しい、と言う方もいます。
気持ちはわかります。誰でも、自分が一番大事なのです。これ、当たり前です。
だからこそ、国家運営は、間違ってはいけないのです。
ほとんどの方が、戦争を始めた「ロシアが悪い」と言います。私も、そう思います。
でも、そんなこと言っても、戦争が始まってしまったら、もう、意味ありません。
ロシアと同じくらい、いや、ロシア以上に、ウクライナ政府に責任があると思います。もっと言えば、そんな政府に丸投げをしていたウクライナ国民に責任があると思います。平たく言えば、自業自得だと思います。
私達にできることは、このウクライナ戦争から何を学ぶか、ということだと思います。
日本は、どうして、ウクライナ戦争を、自分事として考えないのでしょう。G7の決定に従うことしか念頭にありません。
そもそも、「アメリカ様が守ってくれる」「日米安保が基軸」「アメリカのポチで結構」と思っている日本人に、ウクライナのことを四の五の言う資格はないと思います。
「他人様のことを四の五の言う前に、先ずは、お前が自分を、自分の国を、守る行動をしろ」と言いたいです。現実は容赦なしにやってきます。

日本では、国防に関する調査が話題になったことがありません。タブーですから。
今回の出来事で「不安だ」と言う方は8割もいるそうですが、「国家崩壊の不安」でさえ放置している日本人は、「安全保障の不安」も、曖昧という空間に置き去りにし、結局、タブーは守られます。この国には、正面から向き合うという習慣がありません。
フィンランドという国の調査を見てみましょう。フィンランドは、ロシアの隣国の1つです。ロシアとの間に1300キロという長い国境線がある国です。
フィンランドは、EUには加盟していますが、NATOには加盟していません。
いろいろな経緯があって、ロシアを仮想敵国とした軍事同盟であるNATOへの加盟は、ロシアに睨まれるからという理由で中立を主張していたのです。
しかし、ロシアのウクライナ侵攻を目の前で見せられたフィンランド国民は、慌てました。
中立などという理屈がロシアには通じないことを知ったのです。
「自分の国は自分で守る」という鉄則は、揺るぎない鉄則ですが、小国には限界があるのも事実です。集団安全保障という概念が生まれたのは、当然のことだと思います。
「俺一人では、戦えないけど、皆で戦えば守れるかもしれない」と思うのは自然です。
フィンランドでは、国民意識が激変しました。
       NATO加盟に賛成  どちらでもない  NATO加盟に反対
2017年      19%        28%        53%
2022年      53%        19%        28%
2017年の「どちらでもない」という人達は、「反対」に近い「どちらでもない」だったと思いますが、2022年の「どちらでもない」は「賛成」に近い「どちらでもない」に変わったと思います。明確に「反対」を主張する人は3割しかいません。既に、「賛成」は6割を超えたそうです。隣国のスウェーデンでも、同じような変化が起きています。
今後、ロシアがどんな勝ち方をするかによりますが、フィンランドもスウェーデンも、近い将来、NATOに加盟することになるのでしょう。
フィンランドの首相は、まだ、消極的ですが、国民の意思は無視できません。NATO加盟に動き出すしかないと思います。国は、国民次第で変わるということです。
フィンランドとスウェーデンが加盟すれば、NATOは32カ国の軍事同盟になります。これほどの集団安全保障の仕組みを持っている地域は、欧州だけです。
プーチンが欧州の帝王になるのは、簡単ではありません。
どうしても帝王になりたいのであれば、核兵器を使うしか選択肢はありません。
プーチンなら決断できるかもしれませんが、プーチン以外のロシア人には、難しい決断になると思います。NATOも核兵器を持っています。アメリカのICBMもあります。当然、敵は反撃をしてきますので、ロシアも安全ではありません。普通のロシア人であれば、ビビリます。
チキンゲームにはなりますが、集団安全保障という枠組みは機能するということです。
いや、他に選択肢はないと思います。

では、アジアではどうでしょう。
アジアの国同士の軍事同盟は存在していません。
悪逆非道な権力者は、プーチンだけなのでしょうか。
もしかすると、習近平は、プーチンが真っ青になるくらいの極悪人なのかもしれません。チベットやウイグルや香港の弾圧を見る限り、その可能性は高いと思います。
アジアの国々は、どうやって、中国から、自分の国を守るつもりなのでしょう。
中国は、度々、「アジア版NATOを作るな」と言っています。それは、NATOのような軍事同盟が、中国にとって脅威だと知っているからです。
軍事同盟を持っていない小国は、どのようにでも料理できます。中国が警戒しているのは、アジア版NATOという集団安全保障概念です。
中国の軍拡は目を見張るほどの勢いで進んでいます。軍事超大国のアメリカに匹敵するほどの軍事力を手に入れています。今では、日本もベトナムも単独で中国と戦う能力はありません。アジアの国々は、単独で、中国に対峙しなければならないのです。
それなのに、集団安全保障という概念が、アジアにはないのです。
日本は、「自分の国は自分で守る」ことが必須になりますが、日米同盟も必要ですが、しかし、それだけで守れるとは思えません。ここは、アジアの国々を説得し、日本を含む小国による軍事同盟が不可欠になると思います。リーダーシップを取るのは日本しかいないと思うのですが、残念なことに、日本には、原則もなく、外交力という力もありません。あるのは、「なあ、なあ」「まあ、まあ」です。
集団安全保障という体制のないアジアでは、中国は、各個撃破でアジアの覇権が手に入るのです。中国の目的である世界制覇の第一歩は、アジアの制覇です。
中国が征服する国は、台湾だけではなく、ASEANの国々、朝鮮半島の国々、そして、日本。
日本と韓国の背後にはアメリカがいますが、アメリカが手を出さなければ、いや、手を出さない可能性は高まっていますので、簡単なものです。既に、ASEANの中には、経済的に占領されている国もあります。
ただ、世界中の至る所で潮流が変わり始めています。
このことは、中国でも、経済の問題を抱えるということです。
これまでのような発展ができなくなると、14億人の国民の不満が溜まります。
今でも、中国では、「もめ事」が後を絶ちません。
今後、経済成長の鈍化に引きずられて、「もめ事」は多く、大きくなっていきます。
特に、中国人は「カネ、カネ、カネ」ですから、経済成長の鈍化は、人民の「カネ」を直撃します。人民にとっては、一大事です。「カネが手に入る間は、習近平体制を認めてやっている」というのが、中国人民の本音だと思います。
中国共産党は、共産党支配を守るために、国民の関心を「カネ」から他のものに変えなければならなくなります。そんな時、歴史の常道として、戦争や他国の征服が使われます。権力者は自分の権力を守るためであれば、何でもします。

私は、「言葉の定義」を推奨しています。「戦争」という言葉も、二文字の言葉ですが、その中身は一様ではありません。定義が曖昧だと、当然、対応も曖昧になるものです。
ウクライナ政府の戦争定義に甘さがあったことで、多くの国民を死なせていると思います。
ウクライナがNATOに加盟していれば、ロシアは侵略出来なかったと思います。
ウクライナ戦争が始まるまでは、最も危険なのはバルト三国だと言われていました。しかし、ロシアはウクライナに侵攻しました。それは、バルト三国がNATOに加盟していたからです。プーチンは、ウクライナ相手であれば勝てると判断したのです。
国民の命を守るのが国の仕事だとすれば、ウクライナ政府は万難を排して動くべきだったと思います。その政府を動かすのは、国民の意識です。ですから、ウクライナ国民にも責任があります。ウクライナは、小国は小国なりに、鉄則があるのですから、それを忘れるべきではなかったと思います。戦争が始まってしまった今となっては「繰り言」に過ぎませんが、鉄則を破ったのはウクライナです。これは、ウクライナの自業自得です。NATOの問題ではありません。ウクライナは、NATOが加盟させてくれなかった、と言っていますが、ウクライナ政府は、万難を排したのでしょうか。なぜ、バルト三国は加盟できたのでしょう。これは推測に過ぎませんが、ウクライナには助平根性があったのだと思います。
国と国民が対話をし、切磋琢磨して、自分を守るために力を合わせなければ、国を守ることはできません。特に、小国は、鉄則に忠実である必要があります。必要なのは、国の意識であり、国民の意識です。どちらが欠けていても、国を守ることはできません。
そう考えると、国にも国民にも危機意識のない日本は、とても危険です。
もちろん、戦争になって苦しむのは国民の皆さんです。
それは、ウクライナの国民を見ていればわかることです。
だから、国民が一番重い責務を担っているのです。
どうか、そのことを、分かって欲しいと思います。
戦争をしなくても済む国を作るしかないのです。
人間社会では、道理が通るわけではありません。それは、プーチンを見れば一目瞭然です。
他人のせいにしていたのでは、自分を守ることはできません。
軍事力も、小国なりにある。
多国間軍事同盟にも参加している。
国民意識も高い。
大きな抵抗が予測できる。
攻める側の国だって計算をします。こんな国を攻めるのは、難しいと思います。
戦争をしないためには、ウクライナのように、いとも簡単に、餌食になるような国家運営をしていては駄目だということです。
「この国に戦争を仕掛けたら痛い目に遭いそうだ」と思ってもらえる国家運営が必要なのだと思います。その基本は、国民意識だと思います。
国を守るということは、人を守ることであり、子供達の未来を守ることです。
国を守るために戦うという国民が10%しかいないような国は、お花畑で昼寝をしているような国は、子供達の未来を守ろうとしない国は、滅びても仕方ありません。
スイスが中立を守っているのは、皆兵制度の国であり、国民は全員が軍人であり、スイスの国民に戦う意志があるからです。彼等は昼寝をしているのではありません。彼等は、自分の国を守るために、子供達の未来を守るために、戦う意志があるのです。制度は必要ですが、制度が国を守るのではありません。国民の意志が国を守るのです。ですから、国の形を決めるのは政府ではなく国民の意識だと思います。
やはり、この国に必要なのは、目的と責務だと思います。


20222-04-01



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