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始めることが大事です [評論]



私の書いていることは、ほとんどが未来の話です。しかも、荒唐無稽なヨタ話にしか見えないものばかりです。本人は、それなりに、真面目に書いているつもりですが、世間の常識からは大きく逸脱していることは確かです。
未来と言っても、10年とか20年先の話です。
今日は、100年とか200年の未来を書いてみたいと思います。
私は、そこまで、日本が存続しているとは思いませんが、もしも、万が一、存続していたらという話です。
これまで30年、じわじわと壊れてきた日本が存続できるのは、もしかすると、3年かもしれません。運がよくても、30年が限界だと思っています。
50年後の日本は、国として残っている可能性は、まだ、ありますが、中身は様変わりして、今の日本とは違う日本になっていると思います。
ですから、100年後の日本、200年後の日本は、全く別の日本だと思っています。
いや、もう、日本という呼称もないのかもしれませんが、日本人が生きているという意味だけで日本だとしてみます。

「未来の年表」の著者である河合 雅司さんの人口推計を見てみましょう。
2020年    1億2622万人
2053年      9924万人
2065年      8807万人
2100年      5971万人
この先は単純推計のようです。
2220年(200年後) 1000万人
2320年(300年後)  300万人
2900年         0.1万人 (1000人)
3000年         ゼロ

ここには書いていませんが、100年後は4200万人という推計があります。日本の人口は100年後に、現在の1/3になります。
図にはしませんでしたが、人口減少も、見事なほどの右肩下がりです。
日本の未来を象徴しているようなグラフになると思います。
3000年まで、地球が無事なのかどうかはわかりませんが、3000年には、日本に住む日本人はゼロになる計算です。これも、トレンドです。ただ、河合氏の推測は、とても楽観的な推測だと思います。それは、「国力衰退」による人口減少が抜けているからです。
2100年には、今の人口の半分になります。
それでも、人口6000万人の国は、まだ、国としては大きいほうだと思います。
200年後の1000万人でも、1000万人の国は沢山あります。
しかし、300年後の300万人の国は、小国の部類に入ると思います。
でも、その減少スピードは、目を見張るものがあります。昔、世界第2位の経済大国と呼ばれた国とは思えません。
皆さんは、人口1000万人の日本は、具体的に、どんな国になっていると思いますか。人口300万人の日本は、どうでしょう。
超長期予測ではありますが、この数字は絶望的な数字だと思います。

人口問題を見ただけでも、日本は危機的状況です。
この人口減少を、知らない人はいないのではないかと思います。
でも、私達は、皆で、仲良く、「見て見ぬふり」をしています。
河合氏のように、人口問題を俎上に挙げる方はいますが、少数派です。
ただ、河合氏の主張は、予測であり、問題提起であり、具体的な対策ではありません。もちろん、問題提起は大事ですが、問題提起で事態が好転するわけではありません。
政府は、少子化対策風の政策はやっています。風味をつけるだけでは、少子化は防げないと思いますが、「やってるふり」は上手です。でも、少子化にブレーキがかかったことはありません。結果が出ていないということは、何もしていないことと同じです。
結果的に少子化は無視されているのです。
ですから、少子化は、今後も、粛々と進行します。
では、人口減少は、今の環境のまま、ただ、人口が減るだけで済むのでしょうか。
これは、数字だけの問題なのでしょうか。
そうではありません。
私達の生活環境は、大きく変化、いや、激変するのです。
私達は、時計を逆回しにして、平安時代へ、縄文時代へと向かうと思います。そして、時計を逆回しにするということは、大きな痛みを伴うということです。「俺は大丈夫たろう」と思っている方、残念ですが、「俺には関係ねぇ」と言える人は一人もいません。
先ず、近未来を見てみましょう。
生産者人口が減ります。
2020年の生産者人口は、約7400万人です。2065年の生産者人口は4500万人になると推測されています。約4割減少します。僅か45年です。
それは、GDPが減るということです。
GDPが減るということは、税収が減るということです。
更に、厄介なことに、人口は均等に減るわけではありません。
高齢者人口が減少するのは、人口減少から、かなり遅れて減り始めるのです。
65歳以上の老人は、2020年には、3600万人ですが、2065年の老人は、まだ、3400万人もいるのです。
税収が減少するだけではなく、社会保険料を負担している生産者人口が減少すれば、社会保障費の財源がなくなるということです。もちろん、財源がなくなれば、年金だけではなく、医療も介護も提供できなくなります。生活保護なんて、論外です。
溢れんばかりの高齢者を、どうするつもりなのでしょう。
今でも、老人の孤独死は増加していますが、将来は、この程度では済みません。
部屋で孤独死する老人が増加することは容易に想像できますし、次第に慣れてきましたが、餓死する老人、路上で死ぬ老人、自分で命を絶つ老人が増えるのです。
税収が減少すれば、公務員も減少します。市役所も、警察も、消防も、人手不足になります。路上死した老人の遺体が何日も放置されることだってあると思います。
変化は、老後だけではありません。2040年までに、日本の地方自治体という仕組みは、半分になると言われています。地方に住む若者の生活基盤も失われるのです。
自治体そのものが消滅するのですから、公共サービスも消滅します。
地方には、生活環境がなくなるのです。
以前に、水道代の話題を書いたことがありますが、地方では、水道だけではなく、電気もガスも交通機関も、警察も消防も、あらゆる生活インフラが絶滅するのです。平安時代の生活に戻ると考えれば分かり易いと思います。
当然、国は、住民に移住するように働きかけます。移住を拒否し、故郷で生きていきたいという人もいると思います。何とか、生活が成り立つのであれば、生きていけます。
誰にも頼ることなく、自立生活が出来ればいいのですが、簡単ではありません。それは食糧の確保、水の確保、燃料の確保との闘いになります。それは、気候との闘いでもあります。お天気次第では、農業には凶作はつきものですから、生き延びることが不可能になることがあるのです。農耕だけでは命を守れませんので、狩猟生活を復活させることになります。福島の立ち入り禁止地区では、野生動物が闊歩しています。弓矢や槍が必需品になります。地方は一足先に縄文時代に突入するのです。
こんな時代が来ることは、多くの方が知っています。国家運営を担当している皆さんは、誰もが知っています。与党の議員も、野党の議員も知っています。でも、皆で、「知らんぷり」をしています。国民の皆さんも、それを「見て見ぬふり」をしています。まるで、他人事です。50年後は、100年後は、もう生きていないのだから、「俺には関係ねぇ」と思っているのでしょうか。では、子供達は、孫達は、どうすればいいのですか。これは、「目的」が欠如していることの弊害です。もしも、「子供達の未来のため」が「目的」であれば、放置しおくことなんて出来ないはずです。
世界中から、日本中から、轟轟と非難を浴びることになると思いますが、私は「安楽死法案」を提案したことがあります。現代版の、国立姥捨て山施設の建設を推奨しました。
確かに、無茶苦茶な提案です。
しかし、背に腹は代えられません。
施設の目的は、短期間の老人の食糧を保障し、温泉も用意し、死を受け入れるカリキュラムを作り、できるだけ心安らかに旅立ってもらう場所にすることです。
老人に安楽死してもらえれば、随分と、荷は軽くなると思います。
ただ、3000万人もの老人ですから、殺すのは簡単ではありません。でも、老人を間引けば、生き残る確率は高くなります。
じわじわ、ずるずる、と押し寄せる人口減少による環境変化に対して、国民の皆さんは、どう対応するのですか。「お上」に丸投げしていて、何とかなるのですか。
それは、甘いと思います。

人口減少問題は、私達にとって致命的な大問題ですが、私は、人口減少による日本崩壊は、それほど現実味はないと思っています。
それは、人口減少による崩壊よりも、「国力衰退」による崩壊のほうが、明らかに早いと思うからです。
もちろん、人口減少は「国力衰退」の大きな要因ですから、無縁ではありません。比較するようなことではないのかもしれません。
国力衰退も、経済縮小へ直結しています。経済縮小は、企業と個人の所得を減少させます。所得の減少は、GDPの減少になり、GDPの減少は税収の減少になります。税収の減少は、社会保障の縮小になります。貧乏人ばかりが増えて、日々を生きていくことでさえ、困難になります。その上、税や保険料の負担率も高くなります。こうなるのは、それほど遠い未来ではありません。
日本が世界一の最貧国になるのが、いつなのかはわかりませんが、少なくとも、100年とか200年という時間軸ではないと思います。
個人的には、来年、ドツボにはまったとしても驚きません。3年後でも、30年後でも驚きません。ただ、100年後ということはないと思います。
人口問題を解決するのは、絶望的です。人口問題に焦点を合わせていると、指を咥えて見ていることしか出来ません。
ただ、「国力衰退」に対応するのであれば、まだ、希望があるかもしれません。「国力衰退」を止めて、反転させることができれば、もしかすると、人口問題も対応可能になるかもしれません。
「国力衰退」を止める方法は、国民の意識次第だと書いてきました。
国民の意識が変われば、人口問題への対応も可能かもしれません。今は、その具体策を持っているわけではありませんが、希望は持てるのではないかと思います。「国力衰退」による経済問題も社会問題も国民の問題です。当然、人口問題も国民の問題として、意識次第で、変えることは不可能ではありません。
国民意識が今のままなら、人口問題は、絶望的だと思います。
先ずは、「国力衰退」に対応することから始めてみませんか。
そのためには、目的と責務を明確にするしかありません。
それも、国民主導で、新しい価値観を生み出すことです。
助平根性しか持っていない「お上」主導の価値観の変更では、この国は救えません。
国民にも助平根性はありますが、「お上」ほどひどいものではありません。
国民全員で、助平根性を封印するしかないと思います。
「子供達の未来を守る」という目的があれば、国民が心を一つにすることも出来るのでしょうが、この国には目的がありません。でも、目的さえあれば、日本人なら、出来ると思います。もしかすると、これが出来るのは日本人しかいないのかもしれません。
人口減少という問題は、この先、多くの国で現実になります。日本は、世界のトップを走っているだけです。もしも、「国力衰退」に対応できれば、日本は再浮上できます。その可能性があるのは、日本だけなのかもしれません。
このまま、朽ち果てる日を待つのか、それに抵抗するのかは、国民の皆さん次第です。
皆さんは、どうしたいですか。
言葉の定義をすることも、目的と責務を明確にすることも、難しいことではありません。難しいのは、その目的と責務を、国民の皆さんが行動し、果たすことです。これは、困難を極めます。しかし、目的があれば、日本人なら、やれるかもしれません。
人間には、誰にでも、良き面と悪しき面があります。
伝統にも、良き面と悪しき面があります。
いまは、日本人の悪しき面が、伝統の悪しき面だけが、発揮されています。
その意識さえ変えることができれば、この国は生まれ変わります。日本人には、その力があります。
意識を変えてください。
このままだと、宝の持ち腐れになってしまいます。
今、人口減少問題まで考えると、「とても、無理だ」となります。
「国力衰退」を何とかしましょう。
そのためには、目的と責務を見つけましょう。
「言葉の定義」をすれば、目的と責務を見つけることができます。
「国とは、国民とは、民主主義とは」という言葉の定義から始めましょう。
もちろん、言葉の定義が唯一の方法ではないと思います。
また、言葉の定義は万能薬ではないと思います。言葉の定義では乗り越えられないことだってあると思います。言葉の定義は、ほんの入り口なのかもしれません。でも、そこで、また、知恵を出せばいいのです。やり始めることが大事なのだと思います。
人口問題ほど絶望的ではありませんが、「国力衰退」だって、簡単な課題ではありません。
でも、先ず、取り掛からなければ、何も始まりません。
「俺には関係ねぇ」と言って、逃げている場合ではないと思います。
実行するのは、国民の皆さん一人一人の責務だと思います。


2022-03-03



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