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現実を見てみませんか [評論]



昨日は、人口減少をマクロな視点で書きましたが、今日は、少しミクロな視点から現実を見たいと思います。
「国力衰退」の最大の要因は、国民の意識レベルですが、人口減少は、長期的で物理的な要因としては最大のものだと思います。また、国力衰退と人口減少は密接に影響し合い、悪循環という悪いスパイラルに入っていますので、是正することは容易なことではありません。これは、私達が得意とする「先送り」に終始した結果ですから、今更、手の施しようはありません。
目の前で起きていることを、一つずつ、解決していくしか方法はないと思います。ただ、これが簡単なことではありません。「無理」と言ったほうが正しいのかもしれません。少なくとも、今の延長線上に解決策はありません。
私は、文化の革命を強く推奨していますが、他に方法があるようには思えません。国民の皆さんが、そのことに気付かなければ、この国は滅びます。崩壊の確率は99%だと思っています。崩壊を確信している私でも、「何とかなる」のであれば、ぜひ、「何とかなって欲しい」と思っています。いや、祈っています。もう、神頼みでも構いません。

些細なことですが、生涯未婚率の上昇が止まらない、という現実があります。
この現実は、明らかに出生数を減らします。

      1950年  1985年  2020年  2040年(予測)
男性未婚率  1.5    3.9    25.7    29.5 %
女性未婚率  1.5    4.3    14.9    18.7 %

この数字も、右肩上がりですから、喜ぶべき数字でないことは明らかです。これは、少子化、そして、人口減少を後押しする数字だからです。
独断と偏見で、この数字を分析してみます。素人の分析ですから、分析が正しいかどうかは、わかりません。でも、些細なことですが、これも、「国力衰退」の一つの側面ですから、分析は必要だと思いました。
2020年の数字でも、男性の4人に1人が生涯未婚で人生を終わります。
これが悪しき事なのかどうかの判断は、一人一人違うと思いますが、人口減少に寄与するという点では、決して、歓迎できるものではないように思えます。
男性と女性の数字が、どんどん乖離していますが、これは、男性と女性の価値観の違いが出ているのではないかと思っています。
バツ1の男性と未婚の女性が結婚する確率に比べて、バツ1の女性と未婚の男性が結婚する確率が非常に少ないと言われています。男がロマンチストで、女がリアリストだとすれば、この乖離も頷けます。経済力さえあれば、男性は何回でも結婚出来るようです。要は、カネがモノを言うのです。
1950年の社会通念では、結婚するのが当たり前だと思われていた。もちろん、離婚など「もってのほか」だったでしょう。
1985年でも、その社会通念は生きていたと思いますが、1960年頃を底にして、離婚率は上昇しましたが、社会的には、まだ歓迎されていなかったと思います。
では、その後、社会通念が変わり、未婚も離婚も当たり前の社会通念が生まれたのでしょうか。確かに、結婚に対する考え方も、離婚に対する考え方も変わりましたが、ここまで、劇的な変化があったとは思えません。
ドラマや小説では、いわゆる建前では、いろいろと理屈はつけられますが、現実的な問題として捉えれば、最も大きな要因は、貧困化だったと思います。これも、失われた30年の軌跡だと思えば腑に落ちます。
昔は、親が決めた結婚相手を拒否できなかった女性が、自分の意思で結婚を決める時代に変わったことで、社会通念を変えたと思います。それは、女性にも、まだ充分ではありませんが、経済力が持てる時代になったからだと思います。1950年の女性にとっては、結婚しか生きる道がなかった時代とは違います。
そして、女性は、リアリストですから、経済力のない男性を選ばなくなった。
今は、経済的に苦労してでも、旦那様の我儘を許すような女性は少ないと思います。
男性の経済力が、どんどん低くなっていき、結婚相手が見つからない女性がいることは確かですが、「経済的な苦労をするくらいなら、独身でもいいわ。取り敢えず、生きていけるから」という女性が増えたということなのではないでしょうか。
年収100万円の男性と結婚する女性は少ないと思います。「好きで、好きで、大好きで」、「男一人くらい、養ってやってもいい」と思う経済力のある女性であれば、結婚してくれるかもしれません。
ですから、女性の未婚率が貧困化の度合いを示しているのではないかと思います。
男性未婚率は1985年の3.9%から、35年後、25.7%へと約6.5倍になっています。これは、まさに、「失われた30年」と同時期であり、日本の衰退と軌を一にしています。

違う視点の数値も見てみましょう。
ある調査で、30代~50代の日本人男性を既婚者と未婚者に分け、「あなたはどれくらい幸福ですか」と質問したところ、未婚男性の43.5%が「全く幸福でない」と回答したのに対して既婚男性で「全く幸福でない」はわずか6.5%だったようです。
個人的には「まさか」と思いますが、そうではないのかもしれません。

厚生労働省の人口動態統計を元に未婚者と既婚者の死亡率を算出したところ、45歳~65歳の未婚男性は同世代の既婚男性の2.2倍になっていたそうです。
別の調査でも、40歳~79歳までの男女約10万人の婚姻と死亡の状態を調査した結果、未婚男性が心筋梗塞で死亡が既婚男性の3.5倍にもなり、心臓発作による死亡が2.2倍、呼吸器感系疾患による死亡は2.4倍、自殺を含む外因死が2.2倍との結果も出ているそうです。
これは、男という生き物が脆弱な生き物である証拠なのかもしれません。

また、別の調査では、35歳~39歳の男性正規社員と男性非正規社員の未婚率を調べると、正規社員の30%に対して、非正規社員の未婚率は70%だったそうです。
これは、貧困化の象徴的な現象だと思います。

2020年の出生数は前年比24407人少ない840832人となり、最少記録を更新しました。合計特殊出生率も0.02ポイント低下して1.34になったそうです。

未婚率も、人口減少を促進する要因になっていると思います。
未婚率の原因は多岐にわたる要因があると思いますが、貧困化を止めれば、ある程度、未婚率の減少だって可能かもしれません。
この先、貧困化が進めば、結婚したとしても、夫婦で目一杯働くしかありませんので、子供を生み育てるという余裕はなく、経済的な理由だけで子供を産まないという選択をする人は、今よりも増えると思います。
この現実を見ても、「国力衰退」と「国民の貧困化」を阻止する必要があると思います。

次に、地方の衰退という現実を見てみます。
「2020年の国勢調査を受け、人口減少率や財政力の法的基準に応じて「過疎地域」に指定される自治体が、22年度に全国1718市町村(東京23区を除く)の51・5%にあたる885市町村に上ることが分かった」というニュースがあります。
続きを見てみましょう。
「政府が返済の7割を負担して自治体を支援する過疎対策事業債(過疎債)の費用として、総務省は22年度当初予算案に前年度比200億円増の5200億円を計上。10年度からは1・9倍に増え、日本の人口減少が続けば今後も増額が避けられない見通しだ。また財務省によると、地方の債務残高はバブル崩壊後の94年度に100兆円を超え、21年度末時点で約192兆円に上る見込み。単純計算では、地方財政だけで日本国民1人あたり約155万円の借金を背負っている計算になる」
「総務省幹部は、重く受け止めている。このままでは行政サービス・社会保障など社会の基本機能の存続も危うい。地方維持の議論は待ったなしだ、と話す」

日本の自治体の半分が、過疎地域です。
この過疎地域も右肩上がりの統計になっています。
国の半分の自治体が過疎地域だという現実は、国力衰退の証明なのだと思います。
では、国から「国力衰退を止めよう」という決意表明はあるのでしょうか。
そんな決意は聞いたことがありません。
確かに、これまで、過疎化を止めよう、という掛け声はありました。
岸田政権でも、掛け声だけは出しています。
でも、全く、状況は変わらず、今後も、変わる見通しはありません。
これは、ただの掛け声だけでは役に立たないということだと思います。
今の掛け声は、国の命運をかけた本気の掛け声ではなく、ただのスローガンに過ぎないということなのだと思います。国は、覚悟を持って過疎化を止めようとはしていません。
地方の過疎化は、敗戦後に始まっています。
国を挙げて経済復興に邁進した日本では、人口の大移動が起きました。地方の若者が都市部へ、工業地帯へと大移動して日本経済を復興させました。これは、大変革です。
その結果、地方には若者がいなくなりました。
あの大変革を、今、スローガンで「何とかしよう」としているのです。
「やってるふり」をしているようにしか見えません。
今、都市部の若者が地方へと大移動する条件はありません。
この先、食糧確保に窮した若者が、農民になるために、田舎へと大移動する条件は生まれますが、それは、まだ、少し先のことです。
働き手の減少で、税収が減った地方自治体は、働く場所を作ろうと頑張りました。どこの自治体でも工業団地を作る時代がありました。
工業団地だけではなく、企業誘致を積極的に行わなければ、自治体の存続にも影響するということで、スーパーや量販店の誘致も積極的にやりましたが、それが、更なる衰退につながり、地元の商店街はシャッター街になってしまいました。地方が疲弊し、住民の購買力が落ちれば、営利企業は成り立ちません。企業は、当然、撤退します。地方に残るのはシャッター街という残骸です。
これは、明らかに、国家運営の失敗です。個別の地方自治体に「何とかする」方法はなかったと思います。
今起きている過疎化は、50年前でも想定可能でした。
しかし、国は、国全体のシステム設計をせずに、「先送り」を続けたのです。
今となっては、手のつけようがありません。
過疎化は、今後も、進みます。
死んだ子供の歳を数えても、何の意味もありませんが、もしも、敗戦後に「言葉の定義」をし、民主主義を確立し、国の目的、国を運営する集団の目的、国民の目的、それぞれの責務を明確にしていたら、こんなことにはならなかったのではないかと思います。
もしも、国の目的が「子供達の未来を守る」ことだとすると、こんな状況にはなっていなかったのではないかと思います。
目的と責務さえあれば、薔薇色の世界があるとは言いません。
でも、原則があれば、そこに戻ることだって夢ではありません。
私達には、戻る場所もないのです。
もう、手遅れであることは否定できません。
それでも、今からでも、私達の原点になるものを作る必要はあると思います。
国力を高める仕事も、国を運営するという仕事も、とても、片手間でできるような仕事ではありません。
では、現実は、どうでしょう。
本来、国力を高める責務を負った国民は、「俺には関係ねぇ」と言っています。一方、縁の下で国民を支える仕事を請け負った国家運営者は、銭勘定に忙しく、国民生活のことは意に介していません。どっちもどっちです。
このことを、国が国として機能していないという現実を、国民の皆さんが、知る必要があります。これは、鶏が先か卵が先かという問題ではありません。最終責任を負っている国民が変わるしか方法はありません。これまでのように、「お上」に「おんぶにだっこ」では、皆さんの生活は守られないのです。
いろいろな現象が、そのことを証明してくれています。

人口減少、国力の衰退、国民の貧困化は税収の減少を招き、この国は、社会保障制度を維持できない国になります。しかも、いつ、財政破綻を起こしても不思議ではないのです。
このことを、国民の皆さんは理解しているのでしょうか。
皆さんは、理解はしていませんが、皆さんの直感はその事を知っています。
皆さんの不安感は、間違っていません。
未婚の問題も、過疎の問題も、私には崩壊の足音に聞こえていますが、国民の皆さんの耳には、どう聞こえているのでしょう。


2022-03-04



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