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重箱の隅の権力闘争 [評論]



私には、この国が、ボロボロに見えます。至る所で、壊れています。毎月、そのボロボロの現象を書いていますが、一般市民が、知ることが出来る範囲は限定的なものだと思います。私が知らない場所でも崩壊は起きているものと思います。ほんとに、ヤバイ状態です。
今日も、「言葉の定義」の欠如が招いている、一事が万事の事例を書きます。

9月3日に、菅総理大臣が退陣を表明しました。
「おい、おい」
いろいろな立場の人が、一様に、驚きの表情でした。
菅さんは、なぜ、退陣表明をしたのでしょう。
自民党衆議院議員の、選挙に不慣れな約100名の若手議員と選挙で落選が予測されていた(自民党の調査では、かなり厳しい状況だったそうです)議員の反発が強かったと言われています。276人の議員の半数以上の議員が、自分の選挙に不安を持っていたということです。そして、彼等は、「スガが人気ないからや」と思っていたようです。自己中にしか見えませんが、「俺のせいやない。スガのせいや」と言いながら、自分さえも騙しているのです。こんな最低な奴が、「俺は、国会議員のお偉い先生様なのだぞ」とふんぞり返っているのです。世も末だと思います。
若手議員が、その若手議員の代表になった小泉進次郎議員が、菅さんでは選挙に勝てないと主張し、菅さんを退陣に追い込んだと言われています。
でも、ちょっと、待ってください。
菅さんは、建前だとしても、日本国民、1億2000万人、を代表する人です。
その去就を、100人が決めてしまったのです。
「いつもの事、じゃないか」と言われればその通りなのですが。
どうやら、総理大臣は、1億2000万人の代表ではないということのようです。
「我が国は議院内閣制だから当然だ」と言う方がいると思いますが、議院内閣制であれば、100人で決めても許されるということになります。では、国民は、そんな権限を国会議員に付託したのでしょうか。定義がありませんので、不明です。
衆議院議員の得票率が、仮に、有権者の3割の票だとします。有権者数が1億人だとすると、3000万人が現職の議員に投票したことになります。衆議院議員は465人ですから、1人当たり65000票です。その100人分だとすると、650万票です。これは、有権者数に対して、6.5%です。仮に、6.5%に当たる有権者が、全権を議員に移譲していたとしても、総理大臣の首をすげ変える権利はないと思います。
しかも、国民は、議員に全権を委譲したわけではありません。もちろん、何の定義もありませんので、議員は何をやってもいいことになっていますが。
国会議員は、選挙で当選すれば、何をしても許されると決めたのは誰なのでしょう。
いや、誰も、決めていません。ここでも、曖昧による自由裁量権が行使されています。国会議員の先生方は、「俺は、国民の代表だ」と勝手に言っていますが、その行動は、自分の利益のために、全力を注いているようにしかみえません。それは、「国会議員とは」という定義がないからです。議員にとって、この曖昧と自由裁量権は、蜜の味なのです。
今回の騒動は、100人の国会議員が、自分が選挙で落選するかもしれないという恐怖心から行動したのです。これは、どう見ても、「有権者の付託」を盾にできるような理由ではありません。まさに「自分さえよければ」の見本になるような行動です。
要は、国会議員になれば、何をやっても許されるという暗黙の基準が存在するということが、今回も表面化したのだと思います。もちろん、そんなことで四の五の言う国民はいませんので、国民の理解を得ていると言っても筋は通ります。逆に、国民が、四の五の言わないから、国会議員は、自分の権利だと勘違いしてしまうのです。これも、「国民とは」という定義があれば、国会議員の勝手は許されなかったと思います。ですから、言葉の定義をしない国民の皆さんの責任だと思います。「国会議員とは」という言葉の定義があれば、国民も黙っていないでしょうし、国会議員も、こんな無茶はしないと思います。責務が曖昧だから、何もかもが曖昧だから、無茶が通っているのです。
「権力闘争は、どんな組織でも存在する。仕方がない」という見方が、一般的に認知され、私達は、100人が国政を動かしたことを、「ふむ、ふむ」と受け取ったのです。まるで、他人事のように受け入れたのです。「しゃあないやん。こんなもんやで」と。
もちろん、国会議員だけが悪いのではありません。一番、悪いのは、言葉の定義をしない国民なのだと思います。好きにやらせれば、誰だって、国会議員だって、私だって、自分の利益を最優先にします。それを許しているのは、国民の皆さんなのです。
国会議員は「俺の勝手だろ」と言い、国民は「俺には関係ねぇ」と言っているのです。
こんな国が繁栄するのでしょうか。
国力が衰退しているのは、必然なのではありませんか。

少し、話はそれます。
野党は「自民党には国家運営の資格がない」と言っていますが、本音では、自民党の暴挙を阻止する手段を持っていないと思い込んでいるのです。そうなんでしょうか。
もしも、国民のために働きたいと本気で願っているのであれば、本気になれば、道は見えてくるはずです。何も出来ないと思っているのは、彼等が本気になっていないということだと思います。「言葉の定義・国民会議」を作り、全国の幅広い市民から言葉の定義を集め、市民と議論し、集約し、目的と責務を明確にすれば、自民党の暴挙を止めることは可能だと思います。ただし、念のために言っておきますが、先ず、「市民」の定義をしてください。野党の皆さんが市民連合と呼んでいる人達が、左翼おたくの皆さんが、傷を嘗め合う仲間が、市民ではありません。普通の市民と議論してください。市民との議論には、多くの時間と労力が必要になりますが、本気になれば出来ないことではないと思います。
野党の皆さんは気付いていないと思いますが、皆さんの意識は歪んでいます。定義をしたとしても、権利の主張ばかりを取り上げ、責務は無視することになると思いますので、ほとんど期待は出来ませんが、国民会議を開催すれば、「やったふり」はできます。
野党の皆さんは、自民党ばかり見るのではなく、国民を見れば、戦略は作れるはずです。遠くで、自民党に向かってキャンキャンと吠えるだけで、しかも、自分の利益を優先していたのでは、何も出来ません。「自民党には国家運営の資格がない」と言いますが、野党の皆さんには、もっと、ありません。自民党政治には終止符を打たねばなりません。しかし、その後に自民党政治を上回る最悪の政権が誕生したのでは、国民は堪りません。
なぜ、自分達が政権を担えば、かくかくしかじかのシステムで、今回のような暴挙は防止しますと言わないのでしょう。これでは、同じ穴の狢になる気、満々です。
9月初旬に、立憲民主党が政権公約の第一号というものを発表しました。政権取ったら「これ、すぐ、やります」という公約だそうです。
部外者の私でも、恥ずかしくて、ここに掲載できません。
興味ある方は、立憲のホームページで見てください。
国としての構想も描けない、政策も作れない、何の展望もない政党の政治家が、「俺は、野党だけど、国会議員の先生様だぞ」と上から目線で国民を見下ろしているのです。
立憲民主党に一票を投じる人がいるのが、不思議です。
もちろん、立憲民主党以外の政党に投票することを勧めているのではありません。納得できる政党は、1つも存在しません。だからと言って、立憲民主党は、いくら何でも、いかがかと思います。これが、野党第一党です。ほんと、もったいないです。
菅総理退陣の一報を受けて、東京株式市場は上昇しました。投資家は、潮目が変わったと判断したのです。自民党が政権を維持する、と確信したのです。投資家は、「欲」を源泉にして行動しますので、それなりに当たります。
野党の皆さん、政権交代という目標を捨ててください。
それと、スキャンダルや上げ足取りをしても、国民は喜びません。ワイドショーで盛り上がれば、国民の関心はスキャンダルにあると思うかもしれませんが、そうではありません。国民は、憂さ晴らしをしているだけです。国民を馬鹿にしてはいけません。
どんな理念で、どんなシステムを構築し、どうやって国民生活を守るのかを示してください。また、バラマキ政策では、一部の国民しか喜びませんし、そもそも、継続不能です。この国の国力衰退を止めるシステムを国民に示してください。そうすれば、自民党を倒す必要はありません。自民党は、勝手に倒れてくれます。現状認識、原因究明、対策立案という基本ができていないのです。政権交代という目的は、結果を捻じ曲げようとするものです。これでは、デフレ脱却と言う自民党の二番煎じです。なぜ、自分達は野党なのか、を知り、その原因を克服することが先だと思います。
野党は、自民党に釘付けになっている視線を外し、国民を見ることです。
実は、この国で、一番非難されなければならないのは、「俺には関係ねぇ」と言っている国民です。その事に気付いていますか。国民に向かって「お前等、しっかりしろ」と非難すべきです。もちろん、大反撃を受けます。しかし、国民と切磋琢磨することでしか、展望は開けません。そんな度胸、ありませんか。昔ながらの自民党批難作戦に固執するのは、余りにも芸がないと思います。自民党が禄でもない政党だということは、誰でも知っています。でも、「禄でもない政党」で競い合うのはいかがなものでしょう。
何度も書きますが、既存の政党に、この国を、国民を、救う力量はないということです。与党も野党も、この国が「ヤバイ」ことになっていることを無視して、国家運営ができると勘違いしているのは、国民にとって大きな不幸だと思います。
新しい政治集団を誕生させなければ、国民はドツボにはまります。
そのために、ぜひ、言葉の定義をしてほしいと思います。
30年前から、日本の危機は、その度合いを深めているのです。野党の方は、口を開くと、政府のコロナ対策を批判するだけです。モリ・カケ・サクラがコロナに変わっただけです。モリ・カケ・サクラやコロナが課題ではないと言いませんが、日本の最重要課題は、30年前から国力の衰退です。どうして、この現実を無視するのでしょう。野党の皆さんは、国民に、新しいシステムを提示し、国力の衰退を止め、反転させ、国を、国民を、守る責務があるのです。今、皆さんがやっている、風が吹いて政権が転がり込んでくる日を待っている姿勢は、国民には何の役にも立たない、ただの助平根性集団の醜態にすぎません。現状認識、原因究明、対策立案という基本をやってください。仮に、風が吹いて政権交代が起きれば、こんな政党に国政を委ねれば、国民は、更なる不幸に直面するだけです。

ごめんなさい。悪いのは自民党です。
そもそも、この権力闘争の原点は、100人の国会議員が、選挙区の市民の生活のためではなく、自分が選挙で落選するから、という個人的な理由で強行突破をしてしまったことにあります。
この国は、自民党の100人の国会議員のためにあるのでしょうか。
「そんな、馬鹿な」と思いますが、これが現実です。
今回の騒動も、この国が、国民のためではなく、「お上」の一部の人達の利益のために運営されているという証です。
私は、戦前の若手将校が反乱を起こした226事件を思い出しました。226事件の若手将校は、国民のためではなく、軍のために反乱を起こし、今回も、国民のためではなく、自民党の若手政治家のために反乱を起こしました。私には、とても危険な兆候に見えます。
226事件が敗戦へ直結しいるわけではありませんが、226事件の延長線上に敗戦があることは否定できません。だとすると、私達は、いま、日本崩壊へ向かっている、そのプロセスの上に立っている、のかもしれません。

政治評論家やコメンテーターと呼ばれる人達が、テレビやネットで、連日、この問題について発信しています。
でも、やっているのは、権力闘争の内輪話です。
国会議員の越権行為を話題にしている人はいません。
こういう国家運営が、ずっと、続いているのです。
皆さん、慣れていますので、違和感を持つ人はいません。
では、これが、民主主義なのでしょうか。
国民の存在感は、どこにあるのですか。
多分、国会議員のお偉い先生方は、自分は一国一城の主だと思っているのでしよう。
私には、封建制度にしか見えません。
もしも、「国とは、国民とは、民主主義とは」という言葉の定義があっても、同じようなことが許されるのでしょうか。
もしも、仮に、今回の自民党内紛劇の結果、当落線上にいた国会議員が当選したとしたら、それは、立派な利権だと言えると思います。「お上」集団の中の個人の利権がまかり通る国家運営システムが堂々と運営されているのです。
今回の自民党内権力闘争に対する批判は、いろいろな方がしていますが、皆さん、本質を見ていません。「民主主義とは、何ですか」と問いたいです。
政治評論家の皆さんが、稼ぎ時だとばかりに、言いたい放題のことを言っています。
権力闘争の構図を解説してくれますが、構図がそれほど大事なのでしょうか。国民を無視していることのほうが、遥かに大きな問題だと思いますが、そんな解説はありません。「これが日本政治の現実なのだ」とシレッと言い放ちます。
もちろん、左翼の一部の方は、国民軽視だと批判しますが、いつものように批判のための批判という場所から離れられません。どうして、原因を究明し、対策を提示しないのでしょう。選挙が近いのですから、野党にとっては、願ってもないチャンスが来ているのです。野党の皆さんも、この国の課題がどこにあるのかが分かっていないから、行動できないのです。国民生活を守る確かな提案をすれば、政権のほうからやって来ます。野党の皆さんの目的は、間違っています。
与党も野党も、視野狭窄病に罹患し、国民の存在が見えていません。皆さん、「これでもか」とばかりに「自分さえよければ」に専念しています。
それなのに。
相変わらず、国民の皆さんは、素知らぬ顔です。
「いつものことだ。こんなもんだろう」という認識が一番多いと思います。
国家運営を他人事だと思っている国が繁栄するとは思えません。
国民は、自分達がコケにされていることに気付いていません。いや、ずっと、コケにされ続けていますので、コケにされることが日常だと思っています。
メディアのニュースも、メディア主導の議論も、重箱の隅に限定されています。これでは、国民の皆さんも、重箱の隅が好きだなのだと思われます。
でも、最終的に実害を受けるのは国民の皆さんなのです。

この国に、重箱の隅で権力闘争をやっている余裕なんてないはずです。
重箱の隅の権力闘争は、落ち目の国でよく出てくる現象です。
私達は、その現象を目の当たりにしているのです。
ここは、危機感を持つところだと思いますが、皆さん、平気な顔です。
でも、最終責任を取るのは、皆さんなんですよ。
どうして、平気な顔でいられるのか、理解に苦しみます。私は、いつも、皆さんを「いい人」だと言いますが、そんなはずありませんよね。もしも、100%「いい人」だったら、皆さんは、オバケです。ありえません。それでも、皆さんは「いい人」を演じます。自分だけはドツボにはまらないと信じているのですか。それ、無理ですから。


2021-10-01



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