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希望的観測よりも現実を [評論]



アフガニスタンが混乱しています。
それでも、アフガニスタン情勢の日本への政治的、経済的影響は、ほとんど、ありません。もっとも、アフガニスタンには、日本も多額の国費を投入していたのですから、それが無駄金になってしまいましたが、税金なんですが、その件で騒ぐ人はいません。
まさに、対岸の火事です。
それでも、それなりの数の方々が心配をしています。
世界では、人道上の心配をする方が多いのかもしれませんが、日本では、日本の安全保障を心配する方が多いように見えます。もちろん、心配するべきだと思いますが、75日経てば、この話題は消えていくと思います。
私は、この10年間、日米安保は消滅すると書いてきました。アメリカは日本を守らない、と書いてきました。私だけではなく、少数の人の意見としてはあったと思いますが、「まさか」、と笑われていたのだと思います。でも、古人が残してくれた言葉にある「氷山の一角」「一事が万事」「二度あることは三度ある」は、今でも有効なのです。ベトナムやアフガニスタンで起きたことが、日本で起きても不思議ではないのです。
アメリカの軍事力に依存している多くの国で、今回のことが心配されています。
今、一番、アメリカ軍の力を必要としている国が台湾だと思います。台湾政府は強がりを言っていますが動揺しています。しかし、フィナンシャルタイムズ紙が指摘しているように「タリバンとも戦おうとしないアメリカが、中国やロシアと戦えるのだろうか」という心配は拭えません。中国は、言葉でも行動でも、そんな台湾に攻勢をかけています。バイデン大統領は「台湾は守る」と明言しましたが、その後に、政府高官がその発言を取り消しています。そのことで、アメリカの信頼性は更に低下しました。「おい、おい、大丈夫か」
台湾の市民の皆さんが本気で「ヤバイ」と感じたら、政権交代が起き、台湾は中国に吸収されます。
アメリカ軍を必要としているのは、台湾だけではありません。
韓国の文政権を除き、台湾も日本も欧州諸国もアジアの国々も、アメリカ軍を必要としています。これが、現実です。私は、バイデン政権の「逃げ腰」を指摘してきましたが、世界もそのことに気付いてしまったのではないかと思います。もちろん、アメリカにはアメリカの国益を守る権利がありますので、アメリカが悪いわけではありません。
ただ。
今回の醜態は、アメリカの威信を大きく傷つけました。
バイデン政権は、更に、「逃げ腰」になると思います。
相手が悪かったと思います。
アメリカが多額の資金(数百兆円)を投入しても、どこかへ消えてしまうアフガニスタン政府の腐敗構造が、アメリカの支援を頓挫させた大きな一因だと思います。アフガニスタン軍の軍事教育を担当したアメリカ軍は、戦う意志のないアフガニスタン兵を間近で見ています。アフガニスタン軍兵士の最高指揮官である大統領が率先して逃げるような人なのですから、兵士だけではなく、皆で白旗を挙げたのです。政府も軍も、自分の国を自分で守ろうとしなかったのです。国として機能していません。アメリカが逃げるのも必然でした。
これも、現実です。
最低限の基本は守らねばなりません。
自分の身は自分で守る。
自分の国も自分で守るしか方法はないのです。
アフガニスタン政府は、その責務を果たしませんでした。では、大統領だけが悪いのでしょうか。そうではありません。そんな政府を容認していた、黙っていた、国民に責任があります。アフガニスタン国民が厳しい環境に戻ったとしても、それは、自業自得だと思います。どこの国の「お上」でも、自分の利益を優先させます。「国民の利益を優先させる国家運営をしろ」と国民が要求しない限り、ドツボにはまるのは国民なのです。
アメリカに「おんぶにだっこ」で「俺達は安泰だ」と思っている日本の皆さん。
私達の国はアフガニスタンとは違うのでしょうか。

戦争は、絶対に、起こしてはいけません。
でも、戦争は起きるのです。それが、現実です。人類史は、戦争史です。
ですから、私達は、戦争から逃げるのではなく、戦争と正面から向き合い、「戦争とは」という言葉の定義をしなければなりません。「何となく戦争反対」は最悪の対応です。
「戦争反対」という言葉だけで、空気だけで、戦争がなくなるわけではないのです。
最終的に、国民生活を守るためには、どうすればいいのかを見つける必要があります。他国を占領する必要はありませんが、国民生活を守るために、自分の国は自分で守らねばなりません。「国とは、国民とは」という定義があれば、当たり前のことです。
でも、「自分の国は自分で守る」という世論は、日本国内にありません。
皆さんは、「日米安保があるじゃないか」と思っています。
いや、「何とかなるさ」と思っています。
「神の国、日本は、不滅だ」と信じている方もいるでしょう。
そんな皆さんは、アメリカ軍のアフガニスタン撤退を、どう説明するのでしょう。
もちろん、今日明日に在日米軍が撤退するわけではありません。
アメリカは、日本を防波堤として利用するだけしておいて、撤退します。
そこに残るのは、アフガニスタンのように、ボロボロになった日本です。
でも、仕方ありません。自分の国は自分で守るという鉄則を守らなかった日本政府に責任があるからです。そして、残念ですが、政府には責任能力がありませんので、国民が責任を取らされます。それは、アフガニスタンを見ていればわかります。
アメリカは悪くありません。私がアメリカの立場であれば、同じことをすると思います。
では、どうして、日本は、自分の国を自分で守ろうとしないのでしょう。
簡単です。
国民が、戦争反対と言っているからです。
いや、少し違います。
国民ではなく、「もやもや」とした空気が、戦争反対と言っているのです。いや、そもそも、日本という国は、空気で、動いているのです。これが曖昧統治システムです。
全国民とは思いませんが、戦争反対を唱えていれば安全が確保できると勘違いしている人が、それなりにいるのです。もちろん、論理的な判断ではありません。空気です。
これも、「戦争とは」という言葉の定義がないからです。
左翼の皆さんが戦争反対を利用しているだけなら、どこの国でも起きることですが、日本では、一般国民の中にも戦争反対と叫ぶことで平和が守れると「何となく」「根拠なく」信じている人がそれなりにいるのです。私からは「お目出度い人」にしか見えませんが、彼等は、そのことを信じているのです。もちろん、確証なんて持っていないと思いますが、きっと、そのほうが、気が休まるのだと思います。戦争に反対するような「いい人」でいたいのだと思います。
でも、実際に戦争が始まれば、空気なんて吹き飛ばされます。
仮に、米中戦争が始まったとしましょう。
日本は、「俺には関係ねぇ」と言えるのでしょうか。
アメリカ陣営に参加するか、中国陣営に参加するか、の選択肢はありますが、アメリカ側に参加すれば中国軍と、中国側に参加すればアメリカ軍と戦うことを強要されます。「日本は、観客席で見ていてください」なんてことは、誰も言いません。
戦争反対を唱える人達は、空気だけを読んでいた日本人は、武器を捨て、「煮るなり焼くなり、どうぞ、自由にしてください」と言うのでしょうか。「戦わない」という選択肢があることは否定しませんが、皆さん「私の命を、どうぞ、ご自由に」と言う度胸はあるのですか。
国民の皆さんが、どんな理不尽に逢おうとも、戦わないと決めるのであれば、その意見は尊重されていいと思います。ただ、理不尽に対峙する覚悟もなく、「戦いたくない」と言うのは、ただの我儘に過ぎません。
戦争も戦争反対も、先ず、自分が死を受け入れて、初めて成り立つことなのです。
認めたくはありませんが、それが戦争です。
国民は「いいとこ取り」をしたいのです。あるのは覚悟ではなく、助平根性です。
ここにも、「曖昧」があります。戦争の定義もなく、度胸も覚悟もなく、ただ、何となく、戦争は嫌だと言っても、それは、甘えでしかありません。
私達の日常生活でも、自分に都合の良いことだけが起きて欲しいと願っても、叶うことがありません。そんなこと、わかっていると思います。それは、国際関係でも同じです。

確かに、これまでの日本は、この「曖昧」で生き延びてきました。
その曖昧が機能した環境は失われています。国家運営の失敗が続いていますが、それは偶然ではありません。曖昧統治システムの機能不全による必然なのです。
国際関係に影響されずに生き延びるという選択肢はなくなっています。
嫌でも、国際基準に従う時代になっているのです。
その国際基準の代表例が「自分の国は自分で守る」というルールです。
「鎖国していれば」「戦争に反対していれば」「神の国であれば」「日米安保があれば」なんてことを言っていても国は守れません。国を守れないということは、国民を守れないということなのです。そのことに気付いて欲しいです。
小国が列強の餌食のなるのは、昔も今も同じです。
ですから、大国の力を借りることは仕方がありません。
それでも、基本は「自分の国は自分で守る」という鉄則なのです。
バイデン大統領は「アフガニスタン正規軍がタリバンと戦わないのに、なぜ、アメリカ兵が血を流さねばならないのだ」と言っていました。これも、国際基準です。
アメリカ国内世論は、今回の、突如の、アフガニスタン撤退に反対していますが、それは、突然だったからです。もともと、アフガニスタン撤退は7割以上の国民が賛成していました。しかし、世論は、人道の問題を指摘し、撤退の仕方が悪いと言っているのです。人道的な意見は、時間が経てば、環境が変われば消えてしまいます。自分の利益を減損してでもアフガニスタン人を守るというアメリカ人はいません。
共和党は「テロの温床になる」という観点から反対していますが、アメリカがテロ集団のタリバンを制圧できなかったのは現実です。アメリカは、テロとの戦いに負けたのです。共和党は、その事を認めたくないから、バイデンを非難しているのです。
現実には勝てません。
日本は大丈夫なのでしょうか。
世界では、「なあ、なあ」「まあ、まあ」は通用しません。
世界では、「曖昧」よりも現実が優先されます。これが、世界です。

では、世界最強の曖昧国である日本は、どうすればいいのでしょう。
曖昧から離脱するしかありません。
安全保障で必要になるのは、国民の皆さんに、戦争を、戦争の現実を、知ってもらうことです。戦争は、プラスとマイナスの比較ではありません。マイナスとマイナスの比較なのです。どちらのマイナスを選ぶのかという選択なのです。そこに、必要になるのが覚悟だと思いますが、日本にあるのは、曖昧と勘違いと能天気です。
国民が、覚悟もなく、戦争反対を唱えている限り、国民生活は守れません。戦争に、何が何でも反対なのであれば、自分の命を犠牲にしてでも、戦争には反対するという覚悟が必要なのです。
曖昧からは何も生まれません。
私は、曖昧から離脱する方法は、言葉の定義をすることだと主張してきました。
安全保障問題でも同じです。
「戦争とは」「戦争反対とは」「安全保障とは」「国際基準とは」等々の言葉の定義をする必要があります。
ただ、それらの言葉の定義をするためには、その前提条件として「国とは、国民とは、民主主義とは」という言葉の定義がなければなりません。
国全体として、曖昧からの離脱をする必要があるのです。
そうであれば、国の形を変えるしかありません。
でも、そんな機運はどこにもありません。
このまま、「なあ、なあ」「まあ、まあ」も「戦争反対」も続くということです。
私達が歩んでいる先には「ドツボ」しかないということだと思います。アフガニスタン人の人権を心配している場合ではありません。

何度も、何度も、くどくて、済みません。国民の皆さんは気付いていないと思いますが、私達の国は「曖昧」という土台の上に築かれている国です。
「お上」の利益は、この曖昧から生まれているのです。国家運営で失敗しても、実際に失敗の連続ですが、「なあ、なあ」「まあ、まあ」で、すべて「うやむや」にできるシステム。それがこの国の国家運営システムです。「お上」は傷つきません。責任は、すべて、国民が取ってくれます。だから、「お上」は「曖昧」を捨てることが出来ません。
ここで、「お上」という言葉について考えてみます。
「お上」って、誰。
総理大臣でしょうか。
違います。総理大臣は「お上」の一員ではありますが、総理大臣が「お上」ではありません。
「お上」集団を「お上」と呼び、「下々」集団を「下々」と呼んでいるだけです。「お上」にも、「下々」にも、色々な方が所属しています。
お偉い先生方と呼ばれる種族の皆さんは「お上」の一員です。そのお偉い先生方のために仕事をしている皆さんも「お上」の一員です。「お上」との関係で利益を得ている皆さんも一員です。それだけではありません。共産党や朝日や毎日という「お上」に反対することで仕事が成り立っている人達も、寄生虫という意味で「お上」の一員です。皆さん、同じ穴の狢です。かなりの数の方が「お上」の一員ですが、それでも、国民の1割か2割であり、圧倒的に「下々」の人達のほうが多いと思います。
別の視点から見ると、「お上」は「曖昧」で利益を得ている人であり、「下々」は「曖昧」で利益を失っている人達です。もちろん、「下々」はその事に気付いていませんから、平穏無事に見えますが、「お上」にとっては、知らぬが仏という有難い存在です。
逆の視点で区別すると、「言葉の定義」をすれば利益を失う人達が「お上」であり、そうではない人が「下々」です。皆さんは、言葉の定義をして、何か不都合がありますか。不都合が生じる人が「お上」の一員であり、そうではない人が「下々」です。
「お上」の皆さんに共通しているのが「曖昧」の堅持です。ここに挙げた人達は、「曖昧」がなければ、利益を失う人達ばかりです。
しかも、ここに挙げた「お上」の人達は、権力を持っているだけではなく、明らかに、「下々」よりも発言力があります。発言力のない「下々」は、日本の歴史と伝統に従い、耐えることが仕事です。
でも、これって、変じゃないですか。
「下々」のほうが圧倒的に多いのです。
ほんと、不思議です。
「お前は、マルキストか」と言われるかもしれませんが、私は左翼ではありません。
強いて言えば、「子供達の未来を守りたい」と願っている老人です。
それは、子供であることが不利であるというだけではなく、「下々」の子供達のほうが、圧倒的に不利だからです。
「じゃあ、人道主義者か」
それも違います。
どんな言葉を使えばいいのかわかりません。
「人類主義者」なんて言葉はありませんが、明日の人類になる子供達を、普通に守りたいと願っている者です。


2021-09-06



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