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飢餓に苦しむ国 [評論]



今日も、想像ではなく、妄想を書きます。全貌が見えているわけではありませんが、日本の崩壊シナリオは決まっているのではないかと思っています。それは、後世になって振り返って見た時、きっと、頷けるシナリオなのだと思います。
そのシナリオの主役を演じているのが、国民の皆さんです。もちろん、皆さんに、自分達が主役を演じているという認識はありません。
今の時点では、ヨタ話だと思っていただいても、構いません。1年か2年で、その方向性は見えると思いますので、その時は、ヨタ話がヨタ話で終わらない可能性もあります。
そのシナリオの今年の最初のページが、衆議院解散総選挙で、政界に変化が出ることだと思います。その時期については、岸田さんの「僕、総理大臣、続けたい」という執念の強さによって決まると思います。
岸田総理で解散総選挙をすれば、自民党が大敗することは避けられません。
岸田降ろしも本格的になってきましたが、実現可能なのでしょうか。自民党内の反対を押し切って、総理大臣専権事項と言われる解散権を、岸田さんは行使できるのでしょうか。
岸田さんに、何もかも捨てる覚悟があれば、可能だと思います。
この「何もかも」は「何もかも」です。岸田さんの政治生命、岸田一族の政治生命、を含めて「何もかも」です。この代償は、かなり、大きいと思います。
今の自民党にとっての最善の策は、任期満了選挙です。
仮に、9月まで解散総選挙が出来ない場合でも、岸田さんを引きずり降ろしたとしても、新しい総理大臣で解散するのは、今回だけは、止めたほうがいいと思います。
そのくらい、裏金事件は尾を引きました。これまでも、「不幸は不幸を呼ぶ」と書いてきましたが、自民党にとって都合の悪い事件が次々と起きました。これらの悪評が消えるまでには、それなりの時間が必要になります。
4月の補選の、ある街中インタビューで、「さすがに、今は、自民党に投票できない」と言っている有権者がいました。「どうするんですか」と問われると、「これまで、自民党にしか投票しなかったから、どこに投票したらいいのかわからん。投票には行かないと思う」と答えていました。「どうして、自民党なんですか」と問われ、「そうさな、習慣かな」と答えていました。さすがの「何となく自民党」という国民も、今は、自民党に投票する気にはならないようです。「どうしても、自民党」という有権者は多くはありませんので、「何となく自民党」の有権者が躊躇する状況で選挙をするのは間違っています。
こんな書き方をすると、私が自民党を応援していると思う方がいるかもしれません。
そんなことは、ありません。
政権交代が起きれば、この国の崩壊が早まると思いますので、時間稼ぎが必要だという視点で書いています。もっとも、国民の皆さんが立ち上がらなければ、この時間稼ぎは何の役にも立ちません。自民党政権が続いたとしても、この国は崩壊します。崩壊がいつになるのかの違いがあるだけです。

自民党の支持率が下がったために、立憲民主党の支持率が上昇しています。
4月の補選で立憲民主党が3勝したことで、この国は、崩壊へ向けて大きな1歩を踏み出したと思います。この1歩前進は、国民の皆さんが選んだことですので、ぜひ、憶えておいて欲しいと思います。
仮に、6月か9月に選挙が行われ、政界勢力図が大幅に変わったとします。議席数は、独断と偏見だけの私の妄想です。いえ、100%作文です。
立憲民主党   140
維新の会    130
自民党     120
公明党      30
共産党      20
その他の党    25
もしも、仮に、立憲民主党が過半数は取れないが、第一党になった時、立憲民主党と共産党とその他の弱小政党を足しても過半数に届かない場合、自民党はどうするのでしょう。
自民と維新が連立すれば過半数は越えますが、安定過半数を確保するためには、自民、公明、維新、国民の連立政権を作るしかありません。そのためには、公明と維新の仲介が必要になります。それに成功すれば政権交代は起きません。公明と維新は、選挙区で直接対決をしていますので、簡単ではありませんが、自民党は何とかしなければなりません。
ただ、ここ1年の公明党の自民党に対する姿勢は、それ以前と違います。
「おまえら、いいかげんにしろよ」という怒りが見えています。
公明党は、もともと、自民党よりも立憲民主党に近いと思いますが、立憲民主党が共産党と組んでいる状態では、仲間にはなれません。
立憲、維新、公明、共産、その他が纏まれる可能性は、ほぼ、ないと思います。
ただ、権力を握るためであれば、何が起きても不思議ではありませんが、権力に対する執着心が一番強い政党は、自民党だと思いますので、第三党になったとしても、政権維持に邁進するものと思います。

今回の裏金事件は、これまでの一強多弱の時代を終わらせたのかもしれません。
日本崩壊シナリオが30年前から始まっているとすると、今年は「起承転結」の「転」の時代に当たるのかもしれません。「結」が崩壊の完成ですから、もう少しです。
欧州並みの連立政権の時代に入ったとすると、不安定な政権運営になり、いろいろなものが変わっていくものと思います。その変化は、安定に向かうのではなく不安定に向かいます。選挙制度も、今の自民党有利な選挙制度は続かない可能性もあり、自民党の力は更に弱まる可能性もあります。
未来予測は難しくなりますが、崩壊へのスピードは速まると思います。
崩壊は分断から始まります。
そして、分断の症状は、政治にあらわれます。
今、世界の先進国と呼ばれている国々で起きている分断も、崩壊への序章です。一強多弱で、何とか安定していた日本も、分断の時代へと移行することになります。
そんな時代に鍵となるのが経済です。
日本は、自他ともに認めるように、衰退国の先頭を走っています。
世界で、「日本病」という固有名詞があるのは、日本だけです。ですから、世界に先んじて、崩壊するのは日本です。
社会が分断しても、経済が拡大していれば、不均衡ながらも、社会は前に進むのかもしれませんが、経済が縮小し、国力が衰退している国では、崩壊への道が加速します。
保守か革新かという分断になるのではなく、「千々に乱れる」状態になり、これまで何となく存在していた一体感も失われ、「自分さえよければ」が更に強まるのではないかと思います。「いい人」は「いい人」を演じることに疲れ、「守り」に入ります。誰もが、目先の自分の利益にしか興味を示さなくなります。それは、更に、経済の収縮を進め、税収の減少が顕著になり、国は、国民負担を増やすことに注力します。まさに、悪循環です。
国が崩壊する時は、仕方ありません。

新しい歴史が始まる切っ掛けは、大事件とは限りません。
たかが、数億円の裏金事件が、日本の衰退の背中を押すことになれば、裏金事件は裏金事件以上の大事件になってしまったということだと思います。
この裏金事件を大事件にしてしまった要因は、国民の不安心理だと思います。
生活は厳しくなる一方で、重税感に押しつぶされ、将来に光が見えない閉塞感が、多くの国民の不安を掻き立てています。
岸田さんは、消費税を20%にしたわけではないのに、「増税メガネ」と揶揄されます。それは、国民が重税感を感じているからです。国民は、500円でも、1000円でも、増税に反対したいのです。
でも、国民の皆さんは、自業自得という言葉を知りません。
民主党野田政権で、消費税増税が議論された時、最初反対していた国民は、「税と社会保障の一体改革」という言葉に騙され、約7割の国民が「仕方ない」と納得しました。ほんとに、驚きました。あの時、いつものように「いい人」を演じ、「大人の対応」と「太っ腹」と「ふむ、ふむ」をやったのは国民の皆さんです。弱小ブログで反対を言っても意味がありませんでしたが、私は、何度も、「皆さん、騙されているのですよ」と書きました。その結果が、今の重税感です。これを自業自得と言うのです。
もしも、運命が存在し、崩壊シナリオが既に決まっているのであれば、私達は、そのシナリオを忠実に前に進めているのかもしれません。
五公五民を決めた主役は国民でした。この先に待っている不安定政治を決めるのも国民です。それは、国家崩壊を主導するのは国民だということです。
国民の皆さんは、自業自得という言葉を知らないだけではなく、自分達が崩壊の主役を演じていることも知らないのだと思います。
多分、「俺は悪くない、悪いのは政治家だ」と信じているのでしょう。
それ、違いますから。
禄でもない政治家に一票を投じているのは国民の皆さんです。皆さんが、あの禄でもない政治家を生み出しているのです。「国会議員とは」という言葉の定義がありませんので、未だに、地元に利益を持ってくる「おらが村の代表」に票を入れる人がいます。もっと酷いのは、お城の御姫様に票を入れる人もいます。まさに、封建時代です。
「じゃあ、誰に投票しろと言うのだ」と言うでしょう。
国民の皆さんは、自分達は「下々」であり、「下々」はあてがい扶持を受け入れるものだ、と信じています。それは、皆さんが今でも自分達は「下々」だと信じているからです。そんな法律は、どこにもありません。皆さんの意識がそう信じているのです。
どうして、自分達の生活を守ってくれる政治家を、自分で生み出さないのですか。皆さんは「下々」ではなく、主権者なのです。
「民主主義とは」という言葉の定義がないために、封建時代の「お上と下々」が今でも続いているのです。これが歴史と伝統の力です。
確かに「なあ、なあ、まあ、まあ」は楽です。
でも、「なあ、なあ、まあ、まあ」のご利益を享受しているのは政治家です。皆さんの何倍ものご利益を得ています。政治家を縛れば、自分達も縛られる。その通りです。でも、そこにあるのは助平根性なんではありませんか。そんなことで国家が崩壊したのでは元も子もありません。
もう、間に合わないかもしれませんが、万に1つの可能性に賭けるのであれば、今からでも「言葉の定義」に挑戦すべきだと思います。
それとも、また、自業自得で泣き寝入りするのですか。
この国は、着実に、崩壊へと向かっています。
そんなこと、皆さんにもわかっている筈です。
皆さんは、どうしたいのですか。
生活を守りたいのではありませんか。
ささやかな幸せでも、失いたくないのではありませんか。
このまま、放置すれば、この国は飢餓に苦しむ国になるのです。今の苦しい生活でさえ天国のように思えるかもしれません。
もう、「なあ、なあ、まあ、まあ」は限界です。
そのことに気付いてください。
私は革命を推奨していますが、「国会を爆破しろ」とか「総理大臣を殺せ」なんてことを言っているのではありません。「言葉の定義」をしてくださいとお願いしているのです。
でも、「言葉の定義」という革命が簡単なことだとは言いません。
困難という点では、これまでにあった戦国時代や倒幕よりも難しい革命かもしれません。それは、2000年も続いた文化に挑戦することになるからです。
でも、背に腹は代えられません。
多分、誰も気付いていないのでしょうが、私達は、今、そこまで追い詰められているのです。
そのことは、皆さんも、薄々とですが、気付いています。皆さんは、この国の崩壊を予見しているから不安なのです。皆さんの不安は間違っていません。
どうか、飢餓社会になる前に気付いてください。
確かに、「言葉の定義」をすれば、国民の責務も明確になります。主権者ですから、最も重い責務を負うことになります。それでも、飢餓に苦しむ国になるよりは、はるかにいいと思います。


2024-05-04



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