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江戸末期の日本 [評論]



先月、年内に解散総選挙があると予測しました。外れていたら「ごめんなさい」と書きましたが、見事、外れたようです。申し訳ありません。
これで、岸田さんの総理大臣を続けたいという願いは、頓挫しました。
自民党議員と官僚から、総掛かりで反対され、解散は諦めたようです。
「右も、左も」「あれも、これも」「ふむ、ふむ」「へら、へら」で政界を泳いできた岸田さんでも、難しいのが選挙です。
来年の自民党総裁選挙では、「岸田では選挙を戦えない」が主流になると思われます。
政治家にとって、最大で唯一の目的は、自分の選挙です。「強欲」と二人連れですから、そのエネルギーは半端ではありません。
選挙では、「先送り」と「なし崩し」という得意技が使えませんが、自民党には伝家の宝刀があります。「総理の顔のすげ替え」です。もちろん、限度はありますが、なかなか、優秀な手法です。これまで、何度も、この手で窮地を凌いできました。総理大臣の顔を替えても、自民党は変わらないのに、なぜか、国民は「ほい、ほい」と票を入れます。ほんとに、不思議な国民です。
ただ、今回は、この伝家の宝刀が功を奏するかどうか、わかりません。
有権者である国民の皆さんの空気が、これまでと、少し、違います。
多くの国民の皆さんが、実際に、「痛み」を感じているからです。
原因は、生活に直接影響する物価高です。しかも、増税が待ち構えています。
自民党にとってドル箱だった老人票が、これまでは、惰性や「何となく」で自民党に投票していた老人が、当てにできないということです。自民党の受け皿になれるような政党は存在しませんが、それでも、「自民党に投票するのは、今回は、止めておこう」と考える人が増えると予測できます。それは、自民党の一人負けがあり得るということです。
では、国民の判断は正しいのでしょうか。
いいえ、間違っています。
自民党が政権を維持すれば、「なし崩し増税」が現実になり、崩壊します。
野党が政権を取れば、バラマキで自滅します。
どの政党も、日本再生のプランを持っていないのですから、事態が好転することはありません。どの政党が政権を取っても、国民生活は壊れます。自民党政権を続けたほうが、少しは「先送り」ができると思いますが、行き着く場所は同じ「ドツボ」です。
自民党か、それ以外の党か、という価値判断そのものが間違っているのです。
国民の皆さんは、自分は何もせず、棚から牡丹餅が落ちてくるのを待っていますが、そんな美味しい話は存在しません。自分達が、汗をかかなければ、努力をしなければ、「ドツボ」に落ちても文句は言えないのです。私が無茶なお願いをしているのでしょうか。皆さんは、生活をするために、汗をかいていませんか、努力をしていませんか。いいえ、皆さん、頑張っていると思います。国家運営でも、同じです。ここは、皆さんの国です。しかも、皆さんは主権者です。汗をかくことも、努力をすることも、当たり前のことだと思います。
皆さんは、自分の手で、新しい政治集団を作るしかないのです。もちろん、皆さんに政治家になれ、と言っているのではありません。言葉の定義をすればいいのです。

日本の空気は、澱んでいます。
「訳もなく、不安」
「空気が、不快」
「気持ちが、ザワザワする」
「明日は、どうなるの」
今、多くの国民の皆さんが、不快と不安を感じています。
多分、今の状況は、江戸末期の日本と似ているのではないかと想像します。
江戸末期、この国を統治していた徳川幕府の老中に事態を打開する力はありませんでした。武家による国家統治というシステムが限界を超えていましたが、自己否定できないためにダラダラと続けていたのです。今の自民党政権も、かつての老中と同じように見えます。
迷走し始めた、いや、元々、何も持っていなかった岸田総理への批判が増えているのは、岸田さん個人の問題だけではないと思います。こんな時代でなければ、「なあ、なあ、まあ、まあ」の申し子のような岸田さんは、総理大臣を無難にこなせたのかもしれません。
日本の閉塞感の元凶は、岸田文雄や井伊直弼ではありません。国家統治システム(民主主義風王政並立封建制度)そのものが限界を迎えているのです。

自然界にも潮流がありますが、黒潮は、遠くから見ていると区別がつきません。
同じように、人間社会に現れる潮流も、物理的には見えないものです。
でも、人間は、その潮流を肌で感じることはできます。
その潮流が悪しき潮流の場合、皆さんは、不快や不安という感情を持つのだと思います。
今、この国を覆っている悪しき潮流とは、国力衰退という潮流です。
この点でも、徳川末期と似ています。
潮流も、ここまで大きくなってしまうと、その流れを変えるのは簡単ではありません。
人は、特に、潮流を認識していない人は、「何とかしよう」として、目先の対策を、小手先で、打とうとします。これを、弥縫策と呼びます。しかし、弥縫策を弄しても、潮流の勢いはビクともしません。逆に、弥縫策を打てば打つほど、潮流にエネルギーを供給する結果になります。
それが、今、この国で起きていることです。
バラマキと借金と増税の話しか出て来ません。
まさに、どれも、典型的な弥縫策です。
何が問題なのかは明らかだと思います。
誰もが、「何か、変」だと感じているのですが、「何を、どうすれば、いいのか」がわからない。そのことが問題なのです。ただ、これは、今に始まったことではなく、この2000年間、私達はその答を見つけていません。
江戸末期でも、「何を、どうすれば、いいのか」がわからない人達が、「とりあえず、昔に戻してみよう」と考えて、尊王思想を持ち出しました。天皇の権威が失われて長い時間が過ぎましたが、その間にも、何度となく利用されてきたのが天皇です。日本の権力闘争の定番と言ってもいいと思いますが、先祖がえりをして成功することは難しいと思います。
「錦の御旗」を掲げて政権交代を成し遂げた明治政府は民主主義を選択する道もあったのですが、尊王思想を利用したことで、天皇制を看板に掲げるしかありませんでした。
しかし、その看板は、第二次世界大戦の敗戦で、結果的に失敗します。
それは、原因を見つけていないからです。
いや、表面的な原因に振り回されているのです。
原因には、その原因の原因があり、原因の原因には、その原因があるのです。
この原因の原因の原因を見つけるしか道はありませんが、これが、至難の業です。
でも、誰かが見つける以外に方法はないと思います。
潮流は、物理的に見えるものではありません。
直感で知ることは可能ですが、それは、漠然とした形をしていて、対応策を立案する材料を見つけることは出来ません。それでも、現実を認識し、それを強く憂慮している人が、潮流を変える道筋を見つけ、時代を変えてきたのが、人間の歴史です。人間には、そんな力があるのです。その時に、力になったのが、学者と呼ばれる人達です。日本では、まだ、2000年間成功していませんが、誰かが打開策を見つけるしかありません。
学者は、肉体的な力ではなく、仮説を組み立て、想像をたくましくして、潮流を具体的な形として見せる仕事をする力を持っています。
ただ、学者であれば、いいのかと言うと、そうではありません。
知識を吸収し、それを他者に教えることを仕事とするのが学者です。
ただ、彼等は、自分が吸収した知識を越えることはできません。しかし、今、必要なのは、学者が学者を越えることです。
現在、いや、過去も、それを越えた人は、それほど多くはないと思います。
余り名前は知られていませんが、江戸時代末期に河田小龍という学者がいました。
狩野派を学んだ画家ですが、ジョン万次郎との出会いが河田小龍を変えました。世界に目を向けたのです。その河田小龍の私塾「墨雲洞」に通ったのが坂本龍馬です。河田小龍は坂本龍馬に「世界を見よ」と教えました。河田小龍との出会いがなければ、歴史上の坂本龍馬は存在していなかったかもしれません。
今の日本に、河田小龍や坂本龍馬は存在しているのでしょうか。
私が知らないだけで、存在しているのかもしれませんが、未だに世に出て来ません。
江戸城の老中であれば、世界の激動に触れた人はいたかもしれませんが、土佐の片田舎で、「世界を見よ」なんてことを言う人は珍しいと思います。そんな土佐に、たまたま、坂本龍馬がいて、たまたま、「墨雲洞」で河田小龍と出会ったなんてことは、奇跡的な出来事だったのかもしれません。
その後、坂本龍馬は、多くの人と出会い、多くの学者と出会い、多くの知識を吸収し、「この国を変えなければ、日本は植民地になってしまう」と確信したのだと思います。命を懸けて、日本中を走り回り、日本が変わる力の1つになりました。もちろん、坂本龍馬が倒幕したわけではありませんが、坂本龍馬が存在していなければ、違う歴史もあったのではないかと思います。
しかし、残念なことに、河田小龍と坂本龍馬の出会いは成功しませんでした。
あの時代、ほんの少しですが、市民革命が起きる可能性を秘めていたと思います。しかし、市民蜂起にはならずに、権力闘争になり、徳川に代わって長州が権力を握りました。これを、元の木阿弥と言うのだと思います。私達が、未だに「下々」を続けているのは、国民が何事も成し遂げていないからだと思います。
もしも、坂本龍馬が暗殺されずに江戸時代が終わり、明治政府が発足していたら、坂本龍馬は海外に逃げ出していたと思います。坂本龍馬は貧困階級の下級武士でした。彼は、この国を民のための国にしたいと願っていたと思います。ですから、天皇制という封建制度を引き継いだ明治政府のあり様には、落胆していたと思います。
歴史上、「なあ、なあ、まあ、まあ」文化に毒されなかった唯一の人物は、織田信長だったと思いますが、織田信長が日本の民を幸せにしたかどうかは、わかりません。それは、信長が民主主義的思想を持っていたかどうかわからないからです。信長が天下平定をしていたら、天皇に代わって、自分が「神」になっていたのではないかと想像します。
この国は、2000年間変わっていません。国の統治システムや権力者は様々に変わりましたが、「文化」は変わっていません。「文化」を変えようとした人は存在しません。いや、そもそも、「文化」に着目する人なんていないと思います。しかし、ここまで行き詰ると、「文化」を変えるくらいしか方法はないと思います。今こそ、明治維新で出来なかったことをやる時だと思います。
「文化」が2000年間変わらないことが、いい事なのか悪いことなのかは議論の必要がありますが、少なくとも、今は、民が不幸になる道を歩んでいるようにしか見えません。結果が出てからでは遅いと思いますので、私達は新しい道を見つける必要があるように見えます。もちろん、「なあ、なあ、まあ、まあ」文化を「言葉を定義する」文化に変えても、それで成功するかどうかはわかりません。でも、何もしなければ、いや、弥縫策に終始していたら、皆さんの生活は、間違いなく、破壊されることになります。既に、生活が壊れて四苦八苦している人が増えていますが、まだ、国民全員が同じドツボに落ちているわけではありません。今なら、まだ、多少の修正は可能なのではないかと思います。先ずは、国力衰退という潮流を止めなければなりません。そして、反転させなければなりません。全ての皆さんの生活を安定させるまでには長い時間が必要ですが、皆でドツボに落ちるよりはいいと思います。
国民という視点から見た時、市民革命になる可能性があった明治維新ですが、ただの権力闘争になったために失敗だったと思います。国民は、この2000年間、何一つやっていません。2000年間、ずっと、棚から牡丹餅が落ちてくるのを待っていただけです。自分の生活を守るために、自分が汗をかくのは当たり前だと思いますが、そうはしませんでした。
国民の皆さん。
今は、「自分さえよければ」と「俺には関係ねぇ」は封印してください。
国民の皆さんの生活を、守れるのは、皆さんしかいないのです。
既存の政治家に国民生活を守る能力はありません。それは、もう、充分、証明されていると思います。
そのために、どうか、言葉の定義をしてください。そして、国家運営のシステムを変えてください。それ以外に、国民の皆さんの生活を守る方法はないと思います。


2023-12-03



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