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同情はできません [評論]



太古の昔から、人間社会と不条理は切っても切れない関係にあると思います。それは、宇宙の物理的な法則と人間の「欲」が鬩ぎ合い、そこから零れ落ちて硬い結晶になったものが不条理なのではないかと思うからです。ですから、人間社会では「どうしようもない」ことは普通に存在します。ただ、その不条理の量は、社会によって差があるように見えます。不条理は人間の「欲」が生み出しているものなのですから、不条理の少ない社会のほうが生き易いとすると、それを制御するのも人間の仕事だと思います。
その不条理に泣いている国民がいます。福島の漁業関係者の皆さんです。
確かに、気の毒だとは思いますが、同情はできません。
それは、福島の漁業関係者の皆さんを含む、国民の皆さんの自業自得だからです。
この国は、未だに、封建制度下にあります。「下々」は、この2000年間、ずっと、「泣き寝入り」をしてきました。そして、今も悔し涙を流し、「泣き寝入り」するしか選択肢がない人達がいます。でも、どうすることもできません。なぜなら、皆さんは「国民」ではなく「下々」だからです。
皆さんは、いつまで「下々」を続けるつもりですか。
もちろん、国民になったからと言って、無条件に納得できる結果がえられるわけではありません、それでも、今よりは、納得しやすい環境が生まれると無思います。
「何もしなくても、正義は勝つ」なんて、思っていませんか。
「我慢していれば、正義が勝つ」なんて、思っていませんか。
「いい人を演じていれば、正義が勝つ」なんて、思っていませんか。
「お上の指示を守っていれば、正義が実現する」なんて、思っていませんか。
それ全部、勘違いです。不条理は存在するのです。正義は、向こうからやってくるのではありません。正義は、皆さんが意識して勝ち取るものなのです。
少しでも、不条理が少なくなる社会を作るしか方法はありません。そんな社会を作るのは、総理大臣ではなく、皆さんです。国民の皆さんの意識次第で、そういう社会は作ることが可能なのです。

8月に、「放射性物質を除去した汚染水」の海洋放出が始まりました。
放出に賛成する方は「処理水」と呼び、反対する方は「汚染水」と呼んでいます。
ここでは、両者の間を取り「汚染処理水」と呼んでみます。
政治的な思惑で反対している中国と韓国は、今は、除きます。
海洋放出に賛成しているのは政府と東京電力で、反対しているのは、漁業関係者です。
ま、誰が見ても、漁業関係者に勝ち目はありません。
先日も、自民党の得意技は「先送り」と「なし崩し」だと書きましたが、この事案でも、その得意技が使われました。
政府と東電は2015年に「関係者の理解なしには(処理水の)いかなる処分も行わない」と地元漁業者に約束することで「先送り」をし、ほとぼりを冷ますための一定の時間を置き、関係者の理解はないまま、補助金をチラつかせて、海洋放出を決めて、8月に「なし崩し」的に実行されました。いつものやり方です。
漁業関係者は、「騙された」と言っているそうですが、違うと思います。「なあ、なあ」「まあ、まあ」の社会では、日常的に起きる、ありふれた事です。
漁業関係者の皆さんは2015年に約束した時に、「約束を守らなかった時には、具体的に、どう責任を取ってくれるのですか」と言って、責任の取り方を明確にしておく必要がありました。これは、権力と対峙する時の国民の責務です。
でも、「なあ、なあ」「まあ、まあ」の世界では、こんな対応を取る人はいません。ですから、これは、「なあ、なあ」「まあ、まあ」で約束をしたと思い込んでいた漁業関係者の自業自得です。
政府は、最初から、「先送り」と「なし崩し」をするつもりでした。
日本では、一事が万事、この「先送り」と「なし崩し」で何とかなるのです。それは、日本社会が「なあ、なあ」「まあ、まあ」で動いているからです。
閣議決定の前に、政府と漁業関係者の会合がありました。あれは、「なし崩し」のための儀式に過ぎませんが、その中での、岸田総理の発言を見てみたいと思います。
「漁業者の『これまで通り漁業を続けたい』という思いを重く受け止めている。国として海洋放出を行う以上、安全に完遂すること、また安心してなりわいを継続できるよう必要な対策をとり続けることを、たとえ今後数十年の長期にわたろうとも、全責任を持って対応することを約束する」
私には、身のない、虚しい、具体性のない、口先発言にしか聞こえません。儀式で使われる祝詞ですから、総理は定型文を読み上げただけだと思います。
当然、漁業関係者の賛同は得られませんでした。でも、政府にとっては、儀式をすることが大事な事であって、漁業関係者の賛同を得ることが目的ではありませんでした。
政府も、「なし崩し」が褒められることではないとわかっています。自分を納得させるためにも、是非とも、儀式が必要なのだと思います。
「汚染処理水」の海洋放出は、30年続くと言われています。
ただ、当初の予定は、ほぼ、反故にされますので、50年、100年と続くことになると思われます。その間に、失敗や手違いは、必ず、起きます。ですから、ほぼ、間違いなく、福島の魚の放射能汚染は再発します。汚染が発生する度に、復旧に長い時間が必要になるのです。
では、海洋放出をせず、福島県を「汚染処理水」タンクで埋め尽くし、日本全土をタンクで埋め尽くすことができるかと言うと、それも出来ません。
誰かが泣くしかありません。

どうすれば、いいのでしょう。
多分、どうすることも出来ないのだと思います。
岸田総理は、また、「全責任を持って対応することを約束する」と言っていますが、これは、新たに「先送り」をする、と言っていることと同じです。
国は、以前に「約束します」と言っていましたが、約束を守りましたか。漁業関係者の皆さんは、取るに足らない漁民なのですか。違います。皆さんは、国民です。補助金を出せば「生活を守る」ことになるのですか。違うと思います。「生活を守る」ということは、「誇り」を守るということだと思います。皆さんは、「我々は、補助金が欲しいのではない。漁がしたいんだ」と言っています。それは、「誇り」を失いたくないということだと思います。
漁業関係者の皆さんだけではなく、多くの国民の皆さんも、国の責務を知りません。そんな国で、「誇りを守る」なんて言っても通用しません。
先ず、やらねばならないのは、国の責務を明らかにすることだと思います。それをやらなかった国民の皆さんに責任があるのです。
それと、悪しき風習が、漁業関係者の皆さんと国民の間を遠ざけています。それが左翼の皆さんの、いつもの、政局に利用しようとする助平根性丸出しの、「反対、反対」です。まるで、中国共産党の出先機関みたいです。国民の皆さんは、左翼が声を出すと、身を引きます。これでは、福島の皆さんを、国と左翼が協力して潰しているように見えてしまいます。

何か方法はないのでしょうか。
ありません。
ただ、解決策にはなりませんが、漁業関係者の皆さんが、「不条理だけど、仕方がない」と納得する方法はあるかもしれません。
その為には、「約束とは」「責任とは」という言葉の定義が必要なのだと思います。
責任の取り方を、「なあ、なあ」「まあ、まあ」ではなく、法律にしておけば、「不条理だけど、仕方がない」と諦めがつけられるかもしれないと思うのです。
例えば、根本原因は、原子力発電にあるとして、原子力行政を進めた、国会議員100人、官僚100人、東京電力社員100人が辞職して責任を取るとしてみましょう。首にされる国会議員、官僚、東電社員にとっては、不条理でしかありません。今は、漁業関係者だけが不条理の中にいます。もしも、他にも不条理を受け入れる人達がいれば、「何で、俺達だけが」と思っている漁業関係者は、「仕方ない」と思えるかもしれません。
国は、補助金を出せば責任を取っていることになると思っているようですが、その補助金の源資は税金です。責任を取っているのは国ではなく国民です。国家運営をしている皆さんは、総理大臣は、何1つ責任を取っていません。
岸田さんは、漁業関係者に被害が出た時には、議員辞職するのでしょうか。
しません。
5年後の、10年後の総理大臣が、責任を取って議員辞職をするのでしょうか。
そんなことは、しないと思います。
「先送り」のための約束は、空約束であり、何の価値もありません。
国家運営に携わった者は、原子力発電で儲けた電力会社は、誰も責任を取らないでは、納得がいかないと思うのです。
政治家の言う「責任」は言葉だけです。自分の身を切る「責任」が存在して、初めて「責任を取る」という言葉が意味を持つのだと思います。
刑法では、人を殺せば懲役刑、3人殺せば死刑、という決まりがあります。
なぜ、国家運営には、その法律がないのでしょう。
法律を作っているのは、国家運営者だからです。自分が不利益になる法律は作りません。
どうしようもないことは、必ず、起きます。人間社会では、一部の誰かが、不利益を被る状況は必ず生まれるのです。
後は、それを、どう、納得するかの問題だと思います。
公平・公正・平等は実現しません。
でも、近づける努力は必要だと思います。
次善の策でしかありませんが、漁業関係者も国会議員も官僚も東京電力社員も不利益を被るのであれば、「仕方ない」と納得することは可能だと思います。
漁業関係者の皆さんは悔しい思いをしているでしょう。
でも、それは、皆さんが「なあ、なあ」「まあ、まあ」の社会を容認しているからです。
封建制度下の社会では、「下々」は「泣き寝入り」が当たり前です。
皆さんは、未だに、その「泣き寝入り」をしているのですから、皆さんは、「お上」にとって、お手本になるような、立派な「下々」なんです。「泣き寝入り」が悔しいのであれば、先ずは、「下々」を卒業することだと思います。
「お上」が「私が悪うございました」と言うとでも思っているのですか。
それは、甘いと思います。棚から牡丹餅は落ちてきません。自分の身は自分で守るしかないのです。そのためには、「下々」ではなく、「国民」になることです。ただ、何もせずに国民になれるわけではありません。勝ち取るしかないのです。
その努力をしなかった国民の皆さんの自業自得だと思います。
「どうしろ、と言うのだ」
そうなんです。国民の皆さんは、どうすればいいのか、そこがわかりません。
ですから、私は言葉の定義を提案しています。もっとも、誰一人耳を傾けてくれる国民の方はいませんので、何の役にも立っていません。でも、国民の賛同を得られたら、もしかすると、何かが変わるかもしれません。

言葉の定義は、責務を明確にするためです。
責務を明確にし、その責務に沿った法律で国を運営すれば、被害を受ける国民を無くすことは出来ないとしても、納得感は得られると思います。
ただ、これは、恐ろしいほどの仕事量ですから、簡単に実現するとは思いません。
でも、責務を明確にし、それをオーソライズするだけでも、この国は変わります。
それは、自己規制がかかるからです。「こんなことやっていたら、ヤバイかも」と思えば、「自分さえよければ」や「俺には関係ねぇ」は随分減ると思います。「先送り」と「なし崩し」も簡単ではなくなると思います。
福島の漁業関係者だけではなく、ほとんどの国民の皆さんは、未だに「下々」を守っています。今は、福島の漁業関係者が悔しい思いをしていますが、この先は、多くの皆さんが悔しい思いを、泣き寝入りを、体験することになります。
今の福島の漁業関係者の皆さんの姿は、明日の国民の皆さんの姿です。

これまでの、日本の歴史の中で、言葉の定義、責務の明確化、目的の創造を提案した人はいないのではないかと思っています。2000年の歴史の中で初めてのことだと思います。
ですから、理解されないとしても不思議ではありません。
でも、この国は、今、瀕死の状態です。
私達が変わらなければ、朽ち果てるだけだと思います。
皆さんは不安です。はっきりとしたものではないけど、何となく、不安です。
それは、皆さんの直感が、そのことに気付いているからなのです。
放置していて、いいのでしょうか。
私は、軍事クーデターを起こせと言っているのではありません。
言葉の定義をしてみませんか、言っているのです。
そんなに難しいことなのでしょうか。


2023-09-04



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