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私達の得意技は先送り [評論]



何とか持ち堪えていた岸田政権ですが、いよいよ、追い詰められました。
でも、岸田さん、心配はいりません。選挙権を持っている国民の皆さんは「いい人」ばかりですから、自民党内での権力闘争に勝てば、大丈夫です。
多分、岸田さんも、「追い詰められている」とは思っていないでしょう。
それは、岸田さんには、強い味方がいるからです。
「いい人」と「いい人、ぶりっ子」の国民の皆さんです。
言い方を変えれば、忠実な「下々」の国民です。
「いい人」と「いい人、ぶりっ子」を足すと7~8割くらいの国民が味方になってくれます。今は、その半数ほどが迷っていますが、今は迷っているだけで、最終的には味方に戻ってくれると思っているのではないでしょうか。
でも、実際に追い詰められているのは、岸田さんではありません。
追い詰められているのは、国民の皆さんです。
岸田さんも国民の皆さんも、そのことに気付いていません。
元々、「空っぽ」だった政権ですから、こうなることは必然だったかもしれません。岸田さん個人にも、問題はありましたが、総理大臣が誰になっても、大差はないとすると、これは、総理大臣の資質の問題ではないと思います。何度も、諄いかもしれませんが、これは、この国の統治システムの問題です。そろそろ、そのことに気付くべきです。
もう、「なあ、なあ」「まあ、まあ」「先送り」「なし崩し」では、やっていけなくなっています。古き良き時代(民主主義風王政並立封建制度)は限界を超えています。
ところが、政治家も学者もジャーナリストも、国民も、誰一人、「統治システムを変えよう」という声を出しません。その最大の原因は、皆さんが、この国は民主国家だと思い込んでいることにあります。でも、実際には、この国は、民主主義風国家ではありますが、民主国家ではありません。国全体で、「民主主義とは」という定義を共有していないのですから、気付けないのも仕方ありません。
それは、原因の原因の原因を見つけた人がいないからです。
この国の行き詰まりの原因は、国力衰退です。国力衰退の原因は、目的と責務の欠如です。目的と責務の欠如の原因は、言葉の定義をしない文化です。
原因の原因の原因が文化であることに気付いた人がいません。
確かに、気付き難いとは思いますが、気付かなければ、このまま朽ちてしまいます。
そんな国で、国力衰退と国民負担の増加というトレンドは、着実に、前に進んでいます。今のトレンドの行き着く先は、皆さんもご存知だと思いますが、ドツボです。
非難や批判は満ちています。
小手先や口先の提案はありますが、日本の国力衰退はビクともしません。
国民世論も揺れています。
そんな社会環境にある皆さんは、無意識に、何か得体のしれない何かが近づいていることを察知しているようですが、不安ですが、何をしたらいいのか、わかりません。
わかりませんが、わかったふりをして、「ふむ、ふむ」と頷いて、「先送り」をします。
今日は、岸田さんの「先送り」がテーマですが、岸田さんは、単に、国民の写し鏡なのかもしれません。
皆さんは、どうして不安なんですか。
「順風満帆だ」と思っている人が何人いるでしょう。
皆さんの心は、ザワザワしていると想像します。
国民の皆さんだって、今の状況が「ヤバイ」ってことは知っているはずです。
この国の皆さんは、「馬鹿」ではありません。いや、かなり「優秀」な国民だと思います。ただ、皆さんは「知らない」だけです。「馬鹿」ではありませんが、「無知」です。
厄介なことに、たとえ、馬鹿でも無知でも、国が潰れた時の責任は、国民の皆さんが取らされるのです。この鉄則だけは、古今東西、覆ったことはありません。
この国では、これまで、民が「何かをした」という体験がありません。
ずっと、「お上」に丸投げしてきました。
でも、そんなことで何とかなる時代は終わっています。
その結末は、火を見るより明らかだと思います。
皆さんには、「自分の生活を守る」という責務があります。それは法則でもあります。この法則は、人類誕生の時から現在まで、そして、この先も、変わりません。皆さんの生活は皆さんが守るのです。
大きな潮流(国力衰退と国民負担の増加というトレンド)の前では、個人の力では、「自分の生活を守る」という責務を果たすことはできません。大きな潮流に対峙するためには大きな力が必要です。その大きな力を持っているのは、国民だけです。それも、1つの目的のために結集した時の国民の力だけです。このことは、日本だけではなく、どの国でも同じです。
ただ、勘違いしないでください。
野党やメディアがやっているように、批判しろ、とか、非難しろ、と言っているのではありません。批判や非難には何の力もありません。
求められているのは、行動です。
行動と言われると、「〇〇の1つ覚え」のデモを考える人もいるでしょう。しかし、この国の現状はデモ程度では、どうにもなりません。逆に、国民が国民一揆を起こしたら、それだけで、この国は潰れます。必要なのは、的を射た行動です。的を射た行動とは、原因の原因の原因を知った上での行動です。
先ず、知ることです。
この窮地を乗り越えられるのは、出来るだけ多くの国民の皆さんが、「子供達の未来を守る」という同じ目的を持つことなのです。それ以外に、今のところ、道はありません。
少し、根っ子にあるものを見てみましょう。
なぜ、私達は、今、ここにいるのでしょう。
なぜ、人類は、これまで、数十万年も生き延びてきたのでしょう。
人類が、この地球上に存在し始めた時から、私達の願いは「永遠」だったのです。
「永遠」なんて、意味がないと言えば、意味のない事ですが、明確な論理的根拠はありませんが、「永遠」こそが人類の願いだったのです。これは、人類に限定した願いではなく、あらゆる生命体の願いでした。そのために、食べ、子を産み、育ててきたのです。
これまでの長い歴史の中で、「永遠」を否定する思想も価値観も生まれませんでした。忘れているかもしれませんが、今でも、私達の願いは「永遠」なのです。
もちろん、地獄を這うような「永遠」も永遠です。でも、出来れば、幸せな生活のほうがいいと思います。大きな脳に恵まれた人類は、それを自分の手で勝ち取ることができるのです。それが出来るのは人間だけです。
ただ、何もしないで、幸せな生活だけが欲しいという願いは叶いません。それが可能であれば、貧富の差や国力差なんて生まれません。何もしなくていいのであれば、地球上のすべての人類が幸せな生活を享受しているはずです。でも、現実は違います。
私達が、自分の生活を守るということは、簡単なことではありません。必ず、それを阻害するものが存在します。そのほとんどは、人間の「欲」ですが。
その原因を見つけ、原因の原因を見つけ、原因の原因の原因を見つけ、それに対処し、現在の、そして、将来の、幸せな生活を阻害している要因を克服するしか方法はありません。そのためには、多くの国民の皆さんの力が必要なのです。これは、特定のどこかの誰かが実現できるようなものではありません。集団で勝ち取るしかないのです。
もしも、「万能の王」が実在するのであれば、その「王」に全てを委ねるという選択肢はあります。でも、そんな人間は実在しません。多くの民の小さな努力を積み重ねるしか方法はないのです。リーダーシップなんて必要ない、と言っているのではありません。国民と同じ目的を持ち、リーダーの責務を知っている人が、国民の先頭に立つことで、より良き未来を手に入れることは可能です。しかし、その基盤は、あくまで、国民の目的なのです。
現在、国民は目的を持たず、国のリーダーは、「なあ、なあ」「まあ、まあ」「先送り」「なし崩し」で、責任を放棄しているのです。皆で、仲良く、この国をズタズタボロボロにしようとしているのです。
皆さんの未来は、子供達の未来は、真っ暗です。
それほど遠くない未来に、皆さんの生活は根底から壊れると思います。
多くの国民の皆さんの阿鼻叫喚が、今から聞こえるようです。
「ほんとに、皆さん、いいのですか」と問いたいです。

政治だけが悪いわけではありませんが、今の政治は、押しも押されぬ阻害要因です。
これほど「なあ、なあ」「まあ、まあ」「先送り」に特化した政権は珍しいと思います。
岸田政権はフラフラしているように思っている方もいるでしょうが、全くブレていない部分が1つだけあります。
「先送り」です。
どの局面でも、防衛費財源でも、少子化対策財源でも、デジタル化でも、「先送り」を貫徹しています。見事と言うしかありません。
「先送り」と「なし崩し」という合わせ技は、自民党が最も得意とする政治手法ですが、岸田政権ほど、堂々と、いや、臆面もなく、「先送り」をする政権は珍しいと思います。これまでは、「先送り」と「なし崩し」が見えないようにするだけの努力があったように思いますが、岸田政権は、「先送り」を隠すのではなく、総理記者会見を開く度に、前面に押し出しています。もっとも、隠そうが前面に出そうが、本質は「先送り」と「なし崩し」なのですから、この比較には意味がないのかもしれません。
ただ、「先送り」の先にあるのは「なし崩し」です。
ほとぼりが冷めた頃に、頭脳明晰な官僚が知恵を絞って最適な言葉を見つけ、国民負担は重くなります。これまでも、そうやって、国民負担は増えてきたのです。
消費税の導入の時も、国民は反対しました。
議論するからと言って「先送り」をし、ほとぼりが褪めた頃に消費税は導入されました。
10%に増税された時も、国民は反対でしたが、「社会保障の充実のために」という殺し文句を投げられ、国民は「ふむ、ふむ」と頷いて、増税されました。あの時も、6割強の国民が「いい人、ぶりっ子」をして、増税に賛成したのです。
この先も、国民は、きっと、「いい人、ぶりっ子」をすると思います。
私には、救いようのない国民に見えます。
「生活が苦しい」と嘆きながら、「お上」のご指示には「ふむ、ふむ」と言ってしまう。皆さんは、ほんとに、忠実な「下々」です。歴史と伝統は脈々と続いています。多分、自分でも、不思議だと思っているのではないでしょうか。つい、癖で、「ふむ、ふむ」と言ってしまうのです。ほんとに、「いい人」です。
それでも、国民の皆さんも、薄々とではあっても、危険は感じています。
しかし、どうすればいいのか。
それが、わかりません。
いや、「俺達下々には無理だ」と、はなから、諦めています。
この国の民は、自分の力で、国のあり様を変えたという体験がないからです。
民が国を変えるということは簡単なことではありませんが、いろいろな国で実践されていますので、不可能ではありません。しかも、私の提案は、武力を必要としていません。言葉で戦うことはできるのです。
しかし、ほとんどの人が「いい人」で、未だに土下座をしていますし、「下々」意識が染みついていますので、忖度や遠慮が先に立ち、エネルギーは生まれません。「お上に逆らうなんて、そんな恐ろしい、罪なことは、できない」と思い込んでいます。
しかし。
国が崩壊するということは、国民の皆さんの生活が破壊されるということです。
多くの国民の皆さんが、地獄へ堕とされるのを見るのは辛いです。
でも、これが、現実です。
くどいですが、国民の皆さん、「ほんとに、このままで、いいのですか」


2023-09-01



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