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お殿様 [評論]



このブログは、暗くて、悪しき未来の話ばかりです。
明るくて、ハッピーな未来のほうが、誰にとっても望ましいものですが、現実は、そうはいきません。
私達は、自分の生活のために、子供達の未来のために、悪しき未来を回避する必要があると思っています。そのためには、悪しき未来を知らなければなりません。
今日も、悪しき未来の話です。

7月、WHOが「鳥インフルエンザのヒト感染に警告を出した」という記事がありました。
WHOは、鳥インフルエンザが、すでに26種類の哺乳類への感染を確認しており、人間への感染は避けられないと言っています。
鳥インフルエンザ「H5N1ウイルス」の人間への最初の感染例は1997年の香港で始まりました。その後、東南アジアや中国などアジアを中心に多数の感染者を出し、2003年から2019年2月までの感染者数は860人で、うち454人が死亡したそうです。この数字は致死率が52.8%であることを示しています。
ウイルスは常に変異し続けています。
今後、鳥インフルエンザ「H5N1ウイルス」が、どう変化するかはわかりません。弱毒化する可能性もありますので、希望は持ちたいと思いますが、どんな現実がやってくるかは、その時になってみなければわかりません。
ヒト・ヒト感染が始まるのは時間の問題だとすると、事前の対策が重要になりますが、日本の場合は、得意の「先送り」が対応を遅らせる可能性があります。いや、ほとんど、何の対応もないまま感染爆発に遭遇すると考えるほうがいいと思います。
鳥インフルエンザに感染した鶏が数千羽、数万羽の単位で殺処分されていることを見ると、感染力の強いウイルスのようです。
もしも、鳥インフルエンザのウイルスが本格的にヒト・ヒト感染するウイルスに変異した時は、新型コロナウイルスとは別物になります。
もちろん、ワクチンや治療薬の研究は行われていると思いますが、仮に、致死率が10%まで抑えられたとしても、新型コロナの10倍の死亡者が出ます。
今は、鳥インフルエンザは四類に分類されていますが、ヒト・ヒト感染が始まれば、一類に分類されるほどの感染症になります。
日本の新型コロナの感染者数は、累計で、約3千3百万人です。
もしも、致死率が10%だと仮定すると、鳥インフルエンザでは、330万人が死にます。この330万人は、都道府県別人口分布の10位に当たる静岡県の人口に匹敵します。
新型コロナの致死率1%でも、あれほどの大混乱を巻き起こしたことを考えると、致死率10%とか50%は、天地をひっくり返すほどの混乱になると思います。しかも「ぶっつけ本番」で遭遇することになります。
電気・ガス・水道・鉄道・物流・医療といった社会インフラを支えてくれている人達が、自分の命の危険を承知で仕事をしてくれるのでしょうか。どんな仕事をしていても、人命は人命です。彼等が家に閉じこもったとしても文句は言えません。
多分、社会も経済も麻痺します。
それは、弱者が、感染症以外の原因で淘汰されることを意味します。

仮に、鳥インフルエンザウイルスによるパンデミックが、5年後に起きたとしましょう。
5年後の日本は、どんな国になっているでしょうか。
国力衰退は、5年分進んでいます。
世界環境の変化度合いによりますが、GDPのマイナス成長が始まっているかもしれません。当然、税収は減少していて、国家財政は、青息吐息だと思います。
六公四民は、実現しているかもしれません。いや、七公三民の可能性も排除できません。
新型コロナで大盤振る舞いをしましたが、鳥インフルエンザでは、そんな余力はありません。いや、又、大盤振る舞いをするかもしれませんが、パンデミックではなく、国家崩壊が先にやって来る可能性があります。
私達は、今、「毒を喰らわば皿まで」という言葉を実践しています。
「1200兆円も借金しているのだから、あと100兆円余分に借りても、いけるんじゃない」
「鳥インフルエンザだから、あと200兆円借りようぜ」
「大丈夫、大丈夫、ここまで借りても潰れてないんだから、問題ないって」

ここで、借金のメカニズムを単純化して考えてみます。
借金も商取引です。
商取引は、買い手と売り手が存在して、成り立ちます。
国が借金をするということは、国が、国債を発行して売り手となり、金融機関が買い手として現金の用意ができて、初めて、取引が成立します。
もしも、金融機関が現金を用意できなければ、商取引は成立せず、国は、借金そのものが出来なくなります。
では、金融機関は、その現金をどうやって調達するのでしょう。
個人の預貯金、企業の流動資産を集めて、調達します。
ところが。
鳥インフルエンザで経済が麻痺し、個人や企業が、現金を一斉に引き出したら、金融機関は払い戻しに応じなければなりません。現金を用意するために、債券を売却する必要も出て来ます。そんな時には、新しい債券の購入はできません。
それは、個人や企業が、資産を現金化する必要が出た時には、債券を買う人がいなくなるということです。
国が、債権の販売ができなくなったら、財政運営は出来なくなります。
これが、デフォルトです。
個人と企業の資産が、借金の総額よりも多ければ、国債の購買力はあります。
しかし、個人と企業の資産が大きく減少したり、国債残高が個人と企業の資産よりも大きくなった時には、国債発行による借金は出来なくなります。
これが、単純なメカニズムです。
国力が衰退し、国民所得が減少していますが、それでも、個人や企業は必死に貯金します。
それは、「いざ」となった時に使うためです。
もしも、その「いざ」を鳥インフルエンザが生み出した場合には、商取引の均衡が破綻することになります。
それは、デフォルトが起きるということです。
では、国がデフォルトすれば、何が起きるのでしょう。
国が負担している社会保障費が支払い不能になります。
「無い袖は振れない」状態になるのです。
この「無い袖」の「袖」とは、現金のことです。
借金できなければ、現金が入りません。
現金を手に入れるためには、増税をするしかありません。
六公四民では、足りません。
七公三民だって、八公二民だってあり得ます。
鳥インフルエンザで、命の危険に直面し、増税で生活が圧迫され、弱い立場の人から淘汰されていくことになります。
「まさか、そんなことには、ならんだろう」
確かに、ここに書いたことは極端な例ですが、否定できるのでしょうか。
いいえ、可能性は否定できません。
実際にどうなるのかは、誰にもわかりませんが、この予測に近い状態が起きた時に、私達には何か手段はあるのでしょうか。
ないと思います。
ということは、このような状態を招かないような国家運営をしなければならない、ということです。
でも、今は、そのような国家運営はされていません。
鳥インフルエンザパンデミックに備えて、南海トラフ地震のような巨大地震に備えて、基金を用意するという国家運営はされていません。
今は、借金をするのではなく、予測されている災害に対処するために基金を積み立てる必要がある時だと思います。
それが、あるべき国家運営の姿です。
なぜなら、国は、国民生活を守るために存在しているシステムだからです。
先送りをして、出たとこ勝負では、大変危険です。
国は、責務を果たそうとしていません。

政治家のお偉い先生方は「政治は、結果責任だ」と言います。
では、結果が出て、その責任を取った政治家はいたのでしょうか。
そんな政治家は、過去に、存在していないと思います。
確かに、軍人の中には、結果責任をとり、自刃した人がいますが、政治家は、そんなことはしません。国家運営に従事している官僚の皆さんは、「トカゲのしっぽ」にされて責任を取らされることはありますが、政治家はそんなヘマはしません。
結果責任とは、責任を免除されているという言葉のようです。
なぜ、こんな不条理がまかり通っているのか。
それは、責務が明確ではないからです。
目的もありません。
政治家は、やりたい放題、「自分さえよければ」が公的に認められている特権階級だということです。
江戸時代の「お殿様」と同じです。
政治家は、「お殿様」なんですか。
今は、「お殿様」という名称ではなく「お偉い先生様」と呼ばれています。
でも、本人は、「お殿様」の積りなのでしょう。
政治家は、当然のように、主権者よりも、「お殿様」のほうが偉いと思っています。
日本は、民主国家ではありませんので、致し方ありません。
でも、皆さんは、それでいいのですか。
これって、政治家になれなかった皆さんの自己責任なんですか。
違うと思います。
民主主義は、そういう制度ではありません。
やはり。
ここは「国とは、国民とは、民主主義とは」という言葉の定義をして、責務を明確にし、目的を持つ必要があるのだと思います。
鳥インフルエンザパンデミックであろうと、南海トラフ地震のような巨大地震であろうと、実害を受けるのは国民の皆さんです。
国民の皆さんにも、責務があります。
自分の生活を守ること。
家族の生活を守ること。
皆さんの仲間である国民の生活を守ること。
それが、国民の皆さんの責務です。
民主主義国家では、お殿様や独裁者のために、国というシステムがあるのではありません。
国というシステムは、国民の皆さんの生活を守るためにあるのです。
言葉の定義をすれば、当たり前のことなのですが、何もかも「ぼんやり」としたシステムの中では、国民生活は守れない仕組みになっているのです。
どうか、そのことに気付いて欲しいと思います。


2023-09-02



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