SSブログ

無知な総理と無知な国民 [評論]



このブログでは、「国力衰退」と「日本崩壊」を主なテーマにして書いてきました。
弱小ブログであることと私の提案が常識外れのものであるために、「言葉の定義」は、国民の皆さんに全く伝わりません。何度も、何度も、「もう、やめよう」と思いました。でも、崩壊を防ぐ方法が他にないのですから、書き続けるしかないと思って続けています。自分でも「無駄なことを」と思うことがありますが、他に方法がないのですから、仕方ありません。確かに、「文化を変えましょう」なんて提案を真剣に考えてくれる人なんていないのかもしれませんが、他に方法がありません。
読んでくれた皆さんでも、ヨタ話の類として読んでくれたものと思います。
しかし、最近では、多くの方が「国力衰退」と「日本崩壊」に言及し始め、もはや、ヨタ話では済まない状況が生まれています。
そんな風潮の記事の表題等を、いくつか見て見ましょう。
「国家と無理心中するだけ」
「日本が衰退期であることは否めない」
「90%の日本国民が超貧困層に」
「日本には恐ろしい未来が待っている」
「日本は衰退中の老人国家」
「日本が、衰退途上国にカテゴライズされている」
「衰え続ける日本、根本的問題は」
「衰退日本にトドメを刺す」
「衰退する日本の現状」
「人口減と借金で、30年後に日本終了」
10年前は、こんな表題はいくら探しても見つかりませんでした。
今、このような文章を書いている方に、「ヨタ話を書いている」という意識は、微塵もないと思います。
国力衰退に気付く人が増えたということは、これが、私達の現実なのです。いや、現実は存在していたのですから、どうして、今まで気付かなかったのか、それが不思議です。
まだ、大きな国民世論にまでは育っていませんが、時間の問題で、衰退に気付く人が増え続けていくものと思います。だって、大多数の国民は、薄々とではあっても、そのことを知っているからです。ただ、国民の皆さんは「いい人」ばかりですから、あまり大騒ぎはしません。それでも、意識は大きく変化していくと思います。
それは、六公四民、物価上昇、賃金減少、経済凋落、金融危機、倒産・失業・社会不安、いろいろな負の材料が束になって押し寄せてくるからです。自然災害も無視できません。
いろいろな方が、現状に問題意識を持ってくれたことは、とても、いい事です。
国民の皆さんの不安感も、当然のことだと思います。
でも、今のやり方を続ければ、「日本崩壊」が現実になります。
それは、原因の究明、いや、「原因の、原因の、原因」に誰一人気付いていないからです。
これでは、対処のしようがありません。
皆さんは、日本崩壊の生き証人になるのです。阿鼻叫喚を叫ぶのは皆さんです。
ですから、どうか、一日も早く、自分と自分の家族を守る方法を見つけてください。国家崩壊という巨大な奔流に巻き込まれたら、先ず、助かりません。何かが出来るとすれば、今です。もう手遅れかもしれませんが、騙されたと思って言葉の定義をしてください。

いろいろな方が、いろいろな視点から、衰退の原因を上げています。
国家運営の失敗。
人口減少。
無気力な国民。
どの視点も間違っていません。
でも、それは。原因の1つにすぎません。
なぜ、国家運営は失敗しているのか。そして、なぜ、同時に、人口は減少しているのか。そして、なぜ、同時に、国民は無気力になったのか。全てに共通する原因は何なのか。
個別の原因に対処していても、衰退は止まりません。個々の原因の原因を「原因の原因」と呼ぶならば、その「原因の原因」に対処しなければ、事態は変わりません。
私達は、この「原因の原因」を見つけていないのです。
これは、わたしの個人的な意見に過ぎませんが、原因の原因は、「目的と責務が曖昧」だからだと思います。これは、確かに私の個人的な意見ですが、原因の原因を見つけている人がいないのですから、今のところ、これが唯一の原因の原因なのだと思います。
目的と責務なんて言っても、皆さんには、何のことなのかわからないと思いますが、少し、掘り下げて現実を見れば、わかると思います。政治家だけが、官僚だけが、責務を果たしていないのではありません。国民の皆さんを含む、全ての日本人が責務を果たしていないから、この国は衰退しているのです。
では。
なぜ、この国には目的がなく、責務が明確ではないのでしょう。
それは、言葉の定義をしなかったからです。
では。
なぜ、私達は、言葉の定義をしなかったのでしょう。
それは、私達が、言葉の定義をするという文化を持っていなかったからです。
私達の文化は、曖昧文化と呼ばれています。
曖昧文化の下では、言葉の定義という概念は存在していません。いや、言葉の定義をしないことが、曖昧文化の神髄なのです。
つまり、原因の原因の原因は、文化なんです。
このことに気付いている人が一人もいません。
これでは、対処できません。

この曖昧文化を、下世話な言葉で、わかりやすく言えば、「なあ、なあ」「まあ、まあ」です。あらゆることに境目がありません。
目的であれ、責務であれ、曖昧にすることが、私達の文化なのですから、個々人には明確な責務がありません。結果、誰も責任を取らなくて済むのです。
これは、楽です。
皆で楽をしてきたのです。
「俺には関係ねぇ」と言っても許されてしまいます。
皆で仲良く楽をしていて、国が豊かになるなんてことは起きません。
これでは、潰れないほうが不思議です。
本来、国にも、国民にも、責務があります。「俺には関係ねぇ」と言える人は、一人もいません。私達は、それを「なあ、なあ」「まあ、まあ」で誤魔化してきたのです。

この30年間、日本政府は、何もしなかったわけではありません。いや、「何とかしたい」と数々の政策を実施してきました。でも、国力衰退は粛々と進んでいます。それは、これまでの「やり方」が間違っていたことを証明しています。
もしも、この窮地を脱したいと思うのなら、文化を変えるしか方法はないと思います。
確かに、これまでは、「なあ、なあ」「まあ、まあ」で何とかなってきましたので、多くの方が、「まあ、いつものように、何とかなるだろう」と思っています。中には「なるようにしかならねえ」「俺には関係ねぇ」と思っている人も大勢いると思います。
実際に、これまでは、「なあ、なあ」「まあ、まあ」で何とかなってきました。
しかし、実は、「なあ、なあ」「まあ、まあ」は万能ではなかったのです。
この先、その事が、明らかになります。日本の歴史上、初めてかもしれません。
今、「なあ、なあ」「まあ、まあ」が、限界を迎えているのだと思います。

「なあ、なあ」「まあ、まあ」は曖昧文化から生まれました。
確かに、「なあ、なあ」「まあ、まあ」は優れものです。多くの方にとって、心地良いものでもありました。しかし、国が崩壊してしまったのでは元も子もありません。
中には、「なあ、なあ」「まあ、まあ」に問題があるのではないかということに、薄っすらと気付いている人もいます。しかし、この「なあ、なあ」「まあ、まあ」は、特定の場所にあるのではなく、国にも、国民にも、社会にも存在しているのです。いや、この国は、「なあ、なあ」「まあ、まあ」で出来ていると言っても過言ではありません。それが、文化というものだと思います。特定の誰かが「なあ、なあ」「まあ、まあ」をやめれば済むという話ではありません。

日本衰退の原因の原因の原因は、文化なんです。
曖昧文化の「曖昧」という言葉の対極にあるのが「定義」という概念だと思います。
「曖昧」は意識的に境界線を作らないことで成り立っていて、「定義」は意識的に境界線を作ることで成り立ちます。
一見、「曖昧」のほうが楽に見えますが、その結果が国力衰退です。その先にあるのは崩壊です。地獄に堕ちて七転八倒するくらいなら、責務を果たすほうが楽だと思います。
国民の皆さんは、「このまま、楽をしたいですか」、それとも、「崩壊を回避したいですか」、と問われているのです。
もちろん、楽をして、崩壊を回避したいと思うでしょう。
しかし、残念ですが、そういう選択肢はありません。選択肢は2つしかありません。「曖昧」を選択するか、「定義」を選択するかの、どちらかです。もちろん、3つ目の選択肢があるのであれば、そんな選択肢はないと思いますが、提示してください。

皆さんが、国家崩壊を望まないのであれば、「定義」を選択することをお勧めします。
先ず。
「国とは、何ですか」
「国民とは、何ですか」
「民主主義とは、何ですか」
という言葉の定義をしてください。
言葉の定義をすれば。
国とは、国民生活を守るために作られた人為的なシステムだと言うことに気付くはずです。
今、総理大臣がやっていることは、狭い視野では間違っていません。
確かに、外敵から国民を守ることも必要です。人口減少を防ぐための対策も必要です。
では、そのために、国のシステムを六公四民にすれば、国民生活を守れるのでしょうか。
それは、違います。
六公四民は、それだけで、国民生活を破壊します。
防衛も少子化対策も、国民生活を犠牲にして達成しても意味がないのです。
先ず、国を豊かにし、国民を豊かにし、国民生活を犠牲にしなくても済む範囲で税を集め、それで、国防も、少子化対策もしなければなりません。
こんなこと、当たり前のことです。
では、誰が、この国を豊かにするのですか。
それが出来るのは、国民だけです。
国民には、国を豊かにする責務があるのです。
「俺には関係ねぇ」では済みません。
ところが、誰一人、自分の責務を知りません。
総理大臣も国民も、自分の責務を知らないのですから、責務を果たそうと思うこともありません。
だから、この国は衰退しているのです。
総理も国民も、皆さん、紛れもなく「いい人」なんですが、無知な総理と無知な国民の組み合わせは、最悪の組み合わせだと思います。
私達は、袋小路に追い込まれ、曖昧文化にどっぷりと浸かり、何事も「なあ、なあ」「まあ、まあ」で誤魔化し、「俺には関係ねぇ」と嘯き、皆で仲良く地獄へ堕ちようとしているのです。無知という罪に対する罰としては重いかもしれませんが、仕方ありません。
皆さんは、言葉の定義をするという習慣を持っていませんでした。ただ、それだけのことで、窮地に立っているのです。ほんと、理不尽なことだと思いま。
誰かが、このことに気付いてくれることを期待したいです。

日本人は優秀な民族です。
やれば、出来る子なんです。
奇跡の戦後復興だって、やってのけたのです。
ほんと、もったいないと思います。


2023-06-01



nice!(0)  コメント(0)