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耐えてください [評論]



「日本の自殺」という本がある、そうです。
約50年前に、月刊誌文芸春秋に発表された「日本は没落する」という論考が一冊の書籍になったものだそうです。私は、いつものように、本文は読んでいません。
宣伝文句を読んで買うと、いつも後悔しますので、買いません。
宣伝文句というものは、その本の本質を紹介するものなので、宣伝文句以上の中身が本に書かれているわけではないようです。つまり、宣伝文句だけで充分なのだと思います。
「日本の自殺」という論考も、「このままだと日本は没落するから、何とかしろ」という警鐘なのですが、警鐘が役に立ったという歴史的事実は、どこかに存在しているのでしょうか。
多分、警鐘は警鐘で、現実とは無縁のものということなのだと思います。
多分、どう抗っても、壊れるものは壊れるし、死ぬものは死ぬのだと思います。
私も、何とか気付いて欲しいと思って、日本崩壊とか国力衰退という警鐘を鳴らしていますが、何の役にも立ちません。これは、私のブログが弱小ブログであることが原因ではないのかもしれません。警鐘を鳴らしている人は大勢います。お偉い学者先生の警鐘でも、何も変わらなかったのですから、警鐘そのものに意味がないのかもしれません。
ですから、この国は、壊れます。これは、必然なのだと思います。
この国には、壊れる条件が満載なのですから、仕方ありません。
問題は、「壊れたら、どうなるのか」ですが、国民生活は、金正恩のいない北朝鮮になると想像してもらえばいいと思います。
多分、そんなことは、それなりに、多くの方が想像していると思いますが、それでも、何も出来ずに、壊れてしまうのだと思います。
その通りなのでしょうが、歴史や必然に抗ってでも、抵抗したいというのも、人間の性なのでしょう。私も、抵抗したいです。個人の力なんて、屁のツッパリにもなりませんし、勝ち目はありませんが、それでも、抵抗したいです。

さて、「日本の自殺」では、ローマの滅亡も、来るべき日本の滅亡も、その原因は「自壊」だとしています。だから、タイトルが「自殺」になっています。
仮に、中国に征服されて、中国領日本自治区になったとしても、真の原因は、中国による征服ではなく「自壊」なのだとしています。
「自壊」の原因は、思想の欠如だとしています。
私も、そう思います。
ただ、問題は、その思想です。
新しい思想を生み出すのでしょうか。
無理だと思います。
では、既存の思想を、どう利用するのでしょう。
仮に、日本に相応しい思想が見つかったとしても、その思想に基づいた行動をしなければ、思想は何の役にも立ちません。
新しい思想と哲学が必要ですが、そう簡単には生まれません。この先、生まれるかどうかもわかりません。
ですから、代用品を探すしかないのだと思います。
既存の西欧の思想の新解釈でも、中国の思想の新解釈でも、日本独自の思想でも構いませんが、どうしても欠かせないものが整合性だと思います。
その上で、その思想が、日本人の行動原理になるのであれば、この際、どんな思想でもいいと思います。
ただ、思想が存在していたとしても、思想の存在と思想の実践は、全く、別物であり、実践しなければ、どんなに立派な思想であっても、何の役にも立ちません。
「日本の自殺」のように、学者先生の書くものは、リアリズムに欠けるようです。過去の事象は的確に捉えますが、未来のことは、曖昧に書きます。警鐘にはなりますが、提案にはなりません。学術書は、多分、そういうものなのだと思います。提案らしきものはありますが、曖昧な、ふわふわしたものです。

ここで、「日本の自殺」を書いた人達の対応策を見てみましょう。
第一に、国民が狭い利己的な欲求の追求に没頭したとき、経済社会は自壊する。
第二に、国民は自分のことは自分で解決するという自立の精神をもたねばならない。福祉主義はそれを壊す。
第三に、エリートが「精神の貴族主義」を失って大衆迎合に陥ったときに国は滅ぶ。
第四に、年上の世代はいたずらに年下の世代にへつらってはならない。
第五に、人間の幸福は決して賃金の額や年金の多寡や、物量の豊富さによって計れるものではない。
どの提言も、至極、真っ当なものです。
でも、この提言が、役に立つとは、とても、思えません。
誰が、実践するのでしょう。
いや、実践するモチベーションは、どこにあるのでしょう。
更に、「日本は没落する」という確固たる認識を持っていない人達が、何か、行動することなんてあるのでしょうか。漠然とした不安では、行動に結びつきません。
スローガンでは、いや、思想であっても、現実は変わりません。
言葉は必要です。しかし、それ以上に必要なのが、行動です。
そして、厄介なことに、言葉と行動の間には、とてつもないほどの距離があるのです。
「日本の自殺」を書いた人達の提言は、「絵に描いた餅」だということです。
別に、私は、「日本の自殺」という提言にケチをつけているのではありません。
上記の提言を実現するのは、リーダーを含む国民です。そのことを、国民には責務があることを、誰一人、知らないのです。だから、「絵に描いた餅」になるしかないのです。

私は、言葉の定義をして、目的と責務を見つけませんか、と提言しています。
私の提言は、思想ではなく、あくまでも、その代用品ですが、それでも、その構築そのものが、ほぼ、不可能です。それは、私が、国民の皆さんに、自ら、言葉の定義に参加してください、と言っているからです。しかし、国民の皆さんは、間違いなく、参加してくれません。国民の皆さんにとっては、国家崩壊でも、他人事に過ぎません。「俺には関係ねぇ。それは、お上の仕事だ」と信じています。この国が、国民を、そういう国民にしたのです。
では、現状の「なあ、なあ」「まあ、まあ」体制で「利」を得ている人達が、政治家、官僚、学者、メディアの皆さんが、言葉の定義をして、目的と責務を明確にすることがあるのでしょうか。いいえ、ありません。なぜなら、「利」を失うからです。
つまり、私の提言も、「絵に描いた餅」なのです。
ただ、言葉の定義をする目的は、国と国民の目的と責務を明確にすることです。目的と責務が明確になれば、行動のモチベーションが生まれますので、実践の可能性が生まれます。
ただ、実際には、国民の皆さんが、言葉の定義をすることはないと思いますので、どう転んでも「絵に描いた餅」です。まさに、「れば、たら、もし」でしかないのです。
それでも。
ドツボに落ちるのは、国民の皆さんですから、国民の皆さんには、言葉の定義をする動機があります。そこに、一縷の望みがあると信じて、くどくどと、言葉の定義という提言をしていますし、続けていきます。
もちろん、奇跡でも起きない限り、実現することはありません。それでも、奇跡が起きることを願い、提言し続けるしかないのです。「徒労」以外の何ものでもないと思いますが、言葉の定義しか、「子供達の未来を守る」方法は、ないように思えてなりません。
私の目的は、「子供達の未来を守る」ことです。
実は、皆さんの目的も、「子供達の未来を守る」ことなのです。生命体の究極の目的は、「永遠」です。そのためには、「子供達の未来を守る」しかないのです。
もしも、「子供達の未来を守る」方法があるのであれば、言葉の定義なんて必要ありません。「なあ、なあ」「まあ、まあ」でも、歴史と伝統でも、「お上」と「下々」でも、共産主義でも、何でも構いません。
でも、今のままでは、子供達の未来は守られません。これだけは、確信できます。
しかし、どうすればいいのか、わかりません。
どうすれば、国民の皆さんが参加してくれるのか、全く、わかりません。
50年前に提言された「日本の自殺」は、錚々たる方々が提案したことだと思います。
しかし、この国は、何も、変わっていません。
この危機を、お偉い学者先生方が知っていても、役に立たなかったのです。
国民が「ヤバイ」と思って、行動してくれなくては、山は動かないのだと思います。
しかし、それを知らせる方法がありません。
私は、発信力のあるいろいろな方に、いろいろな団体に、言葉の定義について提案しましたが、反応は全くありませんでした。
国民の皆さんに、この危険を知らせる方法は、その対処方法を知ってもらう方法は、この弱小ブログしかないのです。
「日本の自殺」を書かれたお偉い学者先生方の提言も、名もなき貧乏人の私の提言も、この国の衰退を止めることはできないようです。
ですから、この国は滅びます。
いつの日か、誰もが「崩壊」を認めざるを得ない環境になります。
ずるずると、今の状態が続き、崩壊の度合いが大きくなった後、多くの皆さんが壊れたことを認めるような状況が生まれ、そこから、騒ぎが大きくなるものと思います。その契機になるのは、世界恐慌、円安、国債破綻、戦争、災害と数多く存在します。しかし、真の原因は、「自壊」です。衰退し続けているこの国が、変化に耐えらないことが致命傷です。

ま、今でも、手遅れなのですから、その時点で騒いでも対応策はありません。この国が、皆さんの目の前で壊れていくのを、皆さんは、見ている事しかできません。
自分の生活も壊れるのですから、かなりの苦痛を伴うことになると思います。
でも、耐えてください。他に、選択肢はありません。時間を遡れば、選択肢はあったのですが、皆さんは、それを選ばなかったのです。耐えてください。


2023-02-01



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