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安全保障 [評論]



今、欧州では、嵐が吹き荒れています。
滅多に洪水なんて起きないポルトガルでの洪水の話ではありません。
インフレという嵐です。
イギリスとドイツは10%を越えていますが、フランスは7%と健闘しています。しかし、東欧諸国は、どの国も20%を越えるインフレです。食料品に限れば30%から40%のインフレです。
なぜ、こんな事になってしまったのでしょう。
経済のグローバル化の副作用だと思います。
人は、すぐに忘れてしまいますが、何事にも前提条件があるのです。
経済のグローバル化にも、前提条件がありましたが、グローバル化に慣れてしまって、その前提条件を忘れていたのです。
その前提条件とは。
世界が仲良くしてい「れば」
パンデミックが起きなけ「れば」
異常気象にならなけ「れば」
前提条件が成り立たなくなった時の措置を用意してい「れば」
いろいろな「・・・れば」が成り立たなくなった結果です。
「れば、たら、もしも」は、必ず破綻します。これも、社会の原則です。
特に、生活必需品を輸入に頼っていた時に、大きな影響があります。
兵器や自動車や時計やブランド商品が輸入できなくなっても、庶民は困りません。
しかし、エネルギーや食糧を輸入に頼っていると、前提条件が成り立たなくなった時に痛い目に遭うという事例が、世界各地で起きているのです。
どこの国でも、経済的な利益が優先されます。それは、仕方ありません。
しかし、経済的利益よりも優先しなければならないものがあるのです。それが、改めて、認識されたのが今回のインフレの教訓です。事前対応が必要だったのです。そして、この事前対応こそが国の仕事です。
安全保障の観点からは、価格は重要ではありません。エネルギーは、パチンとスイッチを切り替えるようには変わりません。かなり長い時間が必要です。ですから、エネルギー安全保障は、国の仕事なのです。国が、安全保障対策をしなかったことが、インフレを招いています。これも、国家運営の失敗です。
万全の国土防衛政策をしなかったために、ウクライナはロシアの軍事侵攻を許してしまいました。これも、国家運営の失敗です。
国土安全保障、エネルギー安全保障、食料と水の安全保障は、国が責任を持って対応しなければならない仕事です。もちろん、経済安全保障、社会安全保障、労働安全保障、環境安全保障も重要ですが、国土安全保障、エネルギー安全保障、食料と水の安全保障は、最重要課題だと思います。
さて、日本は、これらの安全保障は万全なのでしょうか。
いいえ、大変、危険な状態です。
太古の昔から、衣食住は、生きていくために、欠かせないものです。
「衣」は、体温を維持するためのものであり、今は、エネルギーです。
「食」は、文字通り、食料です。人間は栄養を補給しなければ生きていけません。
「住」は、安全を守るための住処です。国防は、そのために必要です。
誰でも知っていることです。
しかし、平時には、自国生産のものでも、輸入されたものでも、問題はありませんので、不都合を感じないために、つい、疎かにしてしまいます。
ウクライナでは、多くの国民が死んでいます。生活も苦しくなっています。実際に、衣食住が壊されているのです。それなのに、ウクライナのインフレ率は26%にもなっています。踏んだり蹴ったりです。どの国でも、国家運営に失敗すれば、ウクライナになるということです。それが、国家運営の不作為から生まれていることに気付いて欲しいです。
日本の国土安全保障、エネルギー安全保障、食料と水の安全保障は。どれをとっても、危険な領域にあります。それは、国が仕事をしていないということです。それは、国家運営を請け負っている皆さんが、自分の利益しか考えていないということです。特に、政治家のお偉い先生方は、選挙のことしか関心がありません。彼等にとって、国民や国民生活は、「俺には関係ねぇ」存在なのです。いや、国民は票を入れてくれる人であり、守るべき対象ではないのです。
国家運営の仕事に就いている人は、どこの国でも高給取りです。インフレになっても、困窮するということはありません。しかも、どこの国でも、彼等は税金で生活しているのです。その税金を払っているのは国民なのに、国家運営に失敗した時は、国民が責任を取り、被害者になるのです。
これは、間違っていると思います。
それは、国民が、平時に、何も言わないからです。お偉い先生方の好き勝手を認めていれば、彼等も人間なんですから、自分の利益だけを考えるようになります。ですから、常に、言うべきことを言わなければならないのです。いや、言わないほうが悪いのです。性善説は、稀に起きることはあっても、それは、たまたま、だと思う必要があります。だって、人間なのですから。
ですから。
「お偉い人達が、何とかしてくれる」なんてことは、幻想に過ぎません。
お偉い人達のほうが、欲の皮は厚くできているのです。

「衣食住」の安全保障は国の責務です。
では、国民の責務は何でしょう。
悪しき潮流を作らないことです。
「いい人」を演じていれば、何とかなる、と思っていませんか。
それは、幻想にすぎません。
人間の心の内なんて誰にも見えませんから、人は、無意識の内に、「いい人」を演じます。でも、自分の心の内は、自分には、見えます。そこには、「いい人」の自分もいれば、「悪い人」の自分もいます。でも、「得をしたいから」或いは「損をしたくないから」は本能ですから、どうしても、「いい人」を演じます。これは、どうしようもないことだと思います。確かに、「いい人」を演じていたら、日常生活は、それなりに回ります。ですから、「いい人」を演じることは役に立つと考えてしまいます。
しかし、私達の生活にあるのは日常だけではありません。非日常が存在しているのです。非日常は危険です。その中でも、特に危険な非日常が潮流です。
一旦潮流が生まれてしまうと、個人の力ではどうすることもできません。「いい人」も「悪い人」も根こそぎ流してしまうのが、潮流です。
今、国力衰退というトレンドが、潮流へと変化しています。
これは、日常の対応では、どうすることもできません。
どれほど「いい人」を演じていても、潮流には敵いません。
つまり、「いい人」を演じているだけでは、立ち行かない場合があるのが現実なのです。
その顕著な例が、第二次世界大戦へと突き進んでいき、戦争という潮流に巻き込まれた日本です。戦前の日本人は、誰もが「いい人」ではなかったのでしょうか。そうではありません。ほとんどの日本人が「いい人」を演じていたのに、生活は根こそぎ壊されたのです。
今、また、同じことが起きようとしています。
それが、国力衰退という潮流です。
潮流の前では、いくら「いい人」を演じていても、何の役にも立ちません。
軋轢が出ることを承知の上で、「いい人」を演じることをやめなければならない時もあるのです。潮流が奔流になる前に、「いい人」を演じることをやめ、身を切る必要があります。その時に必要になるのが目的です。目的があれば、自分との折り合いもつけられます。
ただ、その事は、国民の皆さんが、自ら気付くしかありません。
その時に必要になるのが、言葉の定義なのだと思います。
ほんとに、言葉の定義が確立していれば、と思います。国の責務と国民の責務が明確になっていれば、国民の皆さんも気付くことができていたと思います。
どうして、誰も、そのことに気付かないのでしょう。
それが、文化です。曖昧を良しとする文化です。
あらゆることが、曖昧の中に溶けてしまっているのです。ですから、目的も責務も、何一つ明確なものはなく、「なあ、なあ」「まあ、まあ」で終わってしまいます。
文化の壁は、それほど、恐ろしいほど、巨大な壁になっているのです。
人類史を見ると、過去に、文化が、国を、国民を消滅させたという事例がありますが、この国も、そうなる運命なのでしょうか。
国民の皆さんが気付かない限り、その危険は高いと思います。
こんなことを書いても、変人のヨタ話だとしか思われないのだと思います。確かに、私は変人です。自分でも、そう思います。でも、ヨタ話ではありません。現に、この国は壊れ始めています。それなのに、誰も、解決策を持っていません。
皆さんは、ご自分では気づいていないと思いますが、曖昧温泉に浸かって、「ふむ、ふむ」と言っている人なのです。そんな姿を、一歩引いて、客観的に見れば、きっと、皆さんでも笑ってしまうと思います。温泉の周囲の環境は悪化しています。湯温も下り始めています。
どうするのですか。
いつまで、「ふむ、ふむ」を続けるのですか。
先ず、曖昧という温泉から出ることをお勧めします。もちろん、定義をするという文化が心地よい環境だとは思いません。でも、国民にとっては、少しは良い環境になると思います。


2023-01-03



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