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子供達の未来のために私達はここにいる [評論]



先月、日本円は、世界一の対外純資産で維持されているという話について書きました。
国際収支の黒字は、今のところ継続されています。
今は、まだ、対外投資額(FDI)は、世界第2位です。
ただ、逆の数値、日本国内へのFDIは、確認はしていませんが、世界196カ国中、196位だと言う方がいます。仮に196位ではなく、50位であろうと100位であろうと、この落差に危機感は持たないのでしょうか。
国内は衰退へ向かい、海外への金貸し業で生計を立てている国、それが日本です。
私の目には、大変危険な状況に見えます。
環境は、必ず、例外なく、変わります。
全般的な世界環境、世界経済秩序、世界商取引環境も変化するということです。
少し長い目で見れば、私達が立っている場所は、薄氷と同じなのです。
中でも、大きく環境変化を起こすものが戦争だと思います。
第3次世界大戦は、必ず、起きると思っている私には、日本の未来が明るいとは思えません。戦争になれば、対外資産なんて、ただの紙屑になります。いや、デジタルの時代ですから紙屑にもなりません。
自力という言葉があります。
最後は、自力が鍵を握ります。
その自力が、年々、低下している国、それが日本です。

私の論理構成の中にあるのが「れば、たら、もし」であることは認めます。
「国際環境が変化す、れば」
「戦争が起き、れば」
全て、未来の話ですから、「れば、たら、もし」です。
逆に。
「国際環境が今のままであ、れば」
「戦争が起きなけ、れば」
これも「れば、たら、もし」です。
私は悲観的な予測をし、皆さんは楽観的な予測をする。
確かに、どっちもどっち、だと思います。
では、「どっちもどっち」だから無視していいのでしょうか。
そうではないと思います。
ここで、国の目的を見てください。
今のところ、そんなものは、ありませんので、目には見えないと思いますが、ここは、無理矢理、想像してください。ここで言う「国の目的」というのは、政治家の口先の言葉のことではありません。国民のコンセンサスを得ている、実のある、国の目的です。
国の目的は、国民生活を守ることです。もちろん、今は、曖昧の中に埋没していて、こんな目的は目に見えていませんが、国民は、「この国に生まれてよかった」と思いたいのです。
「環境が変化したのだから、国民生活が守れなくても仕方がない」で済むのでしょうか。
そうではないと思います。
どんな環境であっても、国は国民生活を守らなければなりません。
それが、国の責務です。
多くの方が、「国民生活を守る」という言葉から連想するのは、弱者の救済だと思います。これは、野党の助平根性から生まれた副作用であり、実現不可能な夢であり、結果に対する対処療法のことです。何度も書いていますが、結果を変えようとする対処療法では問題は解決しません。これまで、対処療法で成功した事例は、世界中探しても見つからないと思います。日本でも、失敗の連続ですし、対処療法の副作用だけが残り、症状を悪化させることのほうが普通です。
「国民生活を守る」という言葉の意味は、弱者を作らないシステムを作るということです。もちろん、完璧なシステムは存在しないと思いますが、少なくとも、努力は、常に必要になります。
そして、それが、国の責務です。
ただ、システムは、システムにすぎません。
システムそのものが何かを生み出すわけではありません。
国民の力がなければ、システムは機能しないのです。
先程書いた「自力」は、国民が作るのです。いや、国民にしか作れません。そう考えれば、国家運営者の仕事は決まってきます。政治家や官僚に国力を生み出す力がないのですから、国力を生み出す国民を支えるのが国家運営者の仕事です。国家運営者は「お上」などではなく、「縁の下の力」として働く立場にあるのです。ところが、「お上」も「下々」も、そうは考えていません。それは、言葉の定義がないからです。
ただ、私は、国家運営者が不要だと言っているのではありません。
国民の力だけではなく、「縁の下の力」も不可欠な存在です。
国の形を歪めている「お上」と「下々」という意識を、是正する必要があると思っているのです。意識改革が起きなければ、日本は、このまま、ずるずると朽ちていきます。
その意識改革に必要になるのが言葉の定義です。
私達は、日々の生活に忙殺されていて、FDIなどという数値を見る機会はありません。仮に、FDIの数値を見たことがあるという人が数百万人いたとしても、1億2000万人の中の、たかが数百万人であり、しかも、ほとんどの人が私のような役立たずの老人であり、「ふむ、ふむ」で終わると思います。そのことを問題視したとしても意味はありません。「餅は餅屋」という言葉があるように、それぞれに専門分野があるのです。
FDIと同じような数値が、山のようにあります。
「縁の下の力」の出番が、ここにあるのです。
そして、私達は、そのために、彼等に仕事をしてもらうために、税金を納めているのです。
全ての人達の力が、全てではないとしても多くの人の力が、この国を作っているのです。だとすると、皆が「自分さえよければ」をやっていたのでは、国は機能しません。
そんなことは、当たり前のことだと思うかもしれませんが、その当たり前が当たり前になっていないから、国が衰退しているのです。
多くの国民が頑張っていると思っています。国家運営者の皆さんの中にも頑張っていると思っている人は大勢いると思います。それでも、国は衰退しているのです。
それは、この国に目的がないからだと思います。
目的があれば、目的を達成したいという意識が普通に生まれます。
衰退する国を救う方法は、目的を持つことから始めるべきだと思います。いや、他に方法はないと思います。
「何のために生きるのか、なぜ、自分は、ここにいるのか」という哲学的な疑問に答はありません。
でも、「子供達の未来」のために、「私達はここにいる」のだと考えてしまえばいいのではないでしょうか。
仮想目的に過ぎないのかもしれませんが、それでも、生きる意味はあると思います。
子供達の未来を守れるのは、環境変化に弱い海外への投資ではなく、環境の変化に強い国内の「自力」が子供達を守ることになると思います。
ここで、以前にも提案しましたが、「なに、それ」という無茶な提案をしてみます。
世界的な食糧不足の時代が来ると言われています。
食べる物があれば、最低限、生き延びることは可能です。
国力衰退は、工業だけではなく、農業や漁業でも進んでいます。いや、農業や漁業は、先行して衰退した業種です。
世界環境が変化した時の最大の課題が食糧です。
農業、漁業へ資金を投入し、技術革新をする時だと思います。
国民を飢えさせることなく、海外への食糧輸出ができる農業大国になることが、日本の生きる道なのかもしれません。

環境は、必ず、例外なく、変わります、と書きました。ここで言う環境は経済環境ですが、私達の生活を破壊する環境変化は経済的な変化だけではありません。
「人口、財政、戦争、災害、疫病」という五大災禍は、私達の生活に直結しています。
コロナで忘れられていますが、地震は私達の生活を大きく変えます。
ここで、2019年7月に書いた、東南海地震と首都直下地震の被害想定の数値を再掲載しておきたいと思います。2年前の数字ですから、今の数字とは違うかもしれません。また、この数値には目に見える被害しか含まれていません。でも、国民の皆さんの生活は、この数値では見えない部分で大きく毀損していることを想像で補ってください。
東南海地震と首都直下地震が同時発生したと考えてください。
それは、同じ場所で、1854年と1855年に連動して発生しているからです。その地震は、安政東南海地震と安政江戸地震と呼ばれています。この地域の地震は90年~150年の間隔で起きているそうですから、必ず、起きる地震だと言われています。

          東南海    首都直下    東日本    倍率

被害総額      150兆円    95兆円   16兆円  15.3倍
死者・行方不明    35万人     7万人    2万人  21.0倍
建物の全壊・消失  250万棟   130万棟   13万棟  29.2倍
被災地域の人口  6000万人  3500万人  750万人  12.7倍
避難者数     1000万人   700万人   50万人  34.0倍
災害関連死       8万人     2万人    5千人  20.0倍

倍率は、東日本大震災と比較した時の、被害の大きさです。
東日本大震災の映像を憶えている方も多いと思いますが、あの東日本大震災が、約20個、束になって、やって来るのです。
被災地にいた人も、被災地にはならなかった人も、それまでの生活が続くとは思わないのではないでしょうか。
皆さんの生活は激変するのです。
その時に必要になるのが、「自力」であり「底力」なのだと思います。
被災地の人達を救援することだけが、国の仕事ではありません。多くの国民が、再び、生活を取り戻せるようなシステムを作っておくことが国の仕事です。ところが、日本の「自力」は、年々、衰えています。国に対して、「本来の仕事をしろ」と言えるのは国民だけなのです。しかし、そんな声はありません。それは、言葉の定義がないからです。
あらゆることが「曖昧」の中にあって、「お上」は「自分さえよければ」をやっているだけで、日本の未来は、子供達の未来は、放置されたままなのです。
このままでいい、とは思えません。
言葉の定義をして、目的と責務を明確にして、システムを作り替え、国民のために存在する国にすべきだと思います。
これは、国民の仕事だと思います。
数字を見てもらえばわかりますが、死者数はコロナの比ではありません。コロナでは、家屋の倒壊や道路の寸断はありませんが、地震では、人命以外の物理的な被害があります。当然、生活基盤を失う人は、桁外れなほど多いと思います。
今の国家運営システムで、コロナで右往左往しているシステムで、巨大地震に対応できるとは、とても、思えません。
国家運営システムを根っ子から変えることを強く推奨します。
あと、「右」とか「左」の議論は意味がありません。「右」も「左」も国民を無視しているという点では同じ穴の狢だからです。国民のためのシステムを作って欲しいと思います。


2021-09-02



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