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我慢強くて、いい人、ばかり [評論]



「我田引水」という言葉があります。
私の主張に適した事柄だけを並べて、まるで、100%、私の意見が正しいかのような文章を書いていますが、私は、勝手に正しいと思っていますが、これも「我田引水」だと思いますので、信用していただく必要はありません。
あくまでも、これは、私の勝手で書いていることです。
素人の私が、月に6本の文章を書くのは、決して、楽ではありません。それでも、書けてしまっているのです。これは、それだけ、私の主張に適したネタがあるということです。
ほんとは、私のような悲観論者が、書くネタに困る世の中になってほしいです。

今年も、10月から、たばこ税が増税されます。
これで、4年連続の増税です。
喫煙者は減少していますので、「俺には関係ねぇ」という人のほうが多いと思いますが、私のように禁煙が出来ない意志薄弱者にとっては、増税は痛手です。
「だったら、禁煙すればいいのだ」と言われると思いますが、それが出来ません。
「だったら、自己責任だろ」と言われても仕方ありません。
でも、少しだけ、八つ当たりさせてください。
私達が若い頃は、国が煙草を売っていたのです。あの頃は、国家推奨の嗜好品だったのです。中毒性があることは最初からわかっていたことなのに、税収のために、国が中毒者を増やしていたのです。ところが、手のひらを返して、国民の健康を守るためにという名目を作り、「どんどん、税金を取ってやれ」というやり方に代わりました。ま、どっちに転んでも税を取る姿勢は同じだということですが。
「国は強制していませんよ。たばこを吸うことを選択したのは、あくまでも、あなたですよね」と言われれば、反論できませんが、禁煙できない私が悪いのでしょうが、親の仇のように増税するのは、騙されているようで、気分のいいものではありません。
曖昧統治の国の「お上」には、自分達が手のひらを反しているという意識はありません。いつでも、自分達が正しいと思っています。「国民のため」という言葉も言い訳に使える便利な言葉だと思っているのではないでしょうか。国民の健康を守るのが国の使命であれば、そもそも、煙草を売ってはいけなかったのです。財政事情が悪化してなければ、たばこ税の増税はしなかったと思います。国家運営に失敗したから、増税しなければならなくなりました。些細なことですが、これも、目的と責務が曖昧だから起きたことです。
でも、これが、今の世の中です。諦めるしかありません。
ただ、この先、喫煙者だけが泣く社会ではなくなります。
ありとあらゆる税が増税されますし、新しい税も作られます。
話題に挙がっているものだけでも、見てみましょう。
事業収益1千万円以下の小さな事業者は消費税を免除されていましたが、2023年から変更されます。小企業にとっては、かなり厳しい増税になります。
混乱していた酒税は整理されましたが、これは、増税準備だと考えておくべきです。
所得税も、高所得者の税金は増税されましたが、高所得者の定義なんていつでも変更可能ですから、これも、増税準備です。
相続税と贈与税が整理されて、一本化されるそうです。相続税は増税されたばかりですが、贈与税と関連付けることで、実質的な増税が可能です。
先月、炭素税について書きましたが、どんな名称になるのかはわかりませんが、カーボンニュートラルに関連した新税が作られます。
よく意味の分からない出国税という新税も作られるそうです。
貧乏人から批判が出ている金融取引税が増税されるかどうかはわかりません。お金持ちの皆さんは「お上」に影響力がありますので、簡単には変わらないでしょうが、それでも、背に腹が代えられなくなれば、増税の可能性はあります。
そして、真打は、コロナ復興税です。
震災復興税という前例がありますので、コロナ復興税は当然のように作られます。コロナ復興という主旨で、消費税を15%にするという案も浮上しているそうです。
皆さん、大丈夫ですか。
これ等の増税は、5年以内程度の短期予測ですが、中長期的に予測した場合は、消費税の増税は避けられません。中期的には15%、長期的には20%~25%になると思います。環境次第で、早まるかもしれません。
忘れてはいけないのは、年々増額されている各種保険料の増額です。
いつになるのかはわかりませんが、生活保護保険も新設されると思います。
国民の皆さんは、増税に耐えられますか。
これまでの増税は、「ほとぼりが冷める」のを待って行われてきましたが、最近は、その「ほとぼりが冷めた」と判定される時間が短くなってきています。たばこ税は、昔は、数年の間隔がありましたが、今は、1年になりました。消費者としては、とても、「ほとぼりが冷めた」とは思えない時期に新しい増税がやってきます。
喫煙は、喫煙者は、悪だと言われ始めたのがいつの頃か忘れましたが、喫煙者は、いくらでも袋叩きにしてもいいという空気が出来ています。「早く、1000円にしろ」という声も聞きます。喫煙者としては、大変、肩身の狭い思いをしています。
でも、非喫煙者の皆さん、安心していては駄目です。
是非、「一事が万事」という言葉を思い出してください。
煙草という切り口ではなく、増税という切り口で見てみると、皆さんの周りには危険が一杯あるのです。
「なに、俺は大丈夫だ」と信じている皆さん、ほんとに、大丈夫なのですか。
皆さんは、大丈夫だと思っているあなたの今の環境が永遠に続くと信じていませんか。
それは、勘違いです。
環境なんて、簡単に変わります。
リストラ、倒産、病気、災害、戦争があっても大丈夫なのですか。
突然、奈落の底へ堕ちる危険は、誰にでもあるのです。
それは、数千万人と言われる非正規労働者の誕生で証明されています。
コロナ後遺症で働くことが出来ずに、生活に困窮している人もいます。
貧乏人になって、初めて実感するのかもしれませんが、税や保険料は、貧乏人には大きな負担になるのです。
今の日本社会は、いつ、誰が、新規貧乏人になっても不思議ではありません。
「俺には関係ねぇ」と言える人は一人もいないのです。

では、なぜ、こんな国になってしまったのでしょう。
「国力衰退」で国家運営費用が集まらなくなったからです。
個人でも、企業でも、国でも、必要経費は年々増加するものです。
30年前(1990年)の国の一般会計予算は69兆円でした。2021年度の予算は100兆円を越えました。それだけではなく、何度も、定例的に、補正予算が組まれてきました。
しかし、その間の日本のGDPは0.1%しか増えていません。
増加する必要経費は、借金で賄われてきたのです。
もう、誰一人、借金を返済するというイメージを持っている人はいないと思います。
50年経っても、100年経っても、この借金は返済できません。子供達の時代に、孫達の時代に、昭和・平成・令和の大人達が作った借金は、どう影響するのでしょう。
コロナでも、大盤振る舞いをしました。これは「毒を食らわば皿まで」という心境なのだと思います。
それでも、国家運営は続けなければいけません。
そのためには、カネが必要なのです。
ですから、国が崩壊するまで、増税は続きます。
国民は、ますます、貧しくなります。
私達は、悪循環というループの上にいるのです。
行き着く先は、地獄です。
こんなこと、普通に考えれば誰にでもわかることです。
しかし、誰も、そのことには触れませんし、原因を究明することもありませんので、対策なんて生まれるわけがないのです。
貧乏になるのは国民の皆さんです。
でも、国民は、何も言いません。
ほんとに、我慢強い、「いい人」ばかりです。
ごめんなさい。変人の私には、皆さんが「馬鹿」に見えます。
「そんなこと、変人のお前に言われたくない」と思うかもしれませんが、第三者の目で見ても、例えば外国人が見ても、「馬鹿」という評価は外れていないと思います。もちろん、礼儀がありますので、彼等は「馬鹿」という言葉は使わずに、「不思議な人達」だと言うかもしれませんが、それは「馬鹿じゃないの」ということです。
外国人から見ると、日本人はストイックに見えるそうです。「武士の国は、違うな」なんて思う外国人もいるそうです。それ、勘違いですから。「ふむ、ふむ」「へら、へら」をやっているのは武士ではなく、皆、百姓の末裔なのです。
自分の身は自分で守らなければなりません。これ、人類の基本原則です。
「お上」が守るのは「お上」自身です。「下々」のことは守りません。
これも、当たり前のことです。
皆さんは、自分が「お上」の立場だったら、自分の利益を犠牲にして「下々」を守りますか。
そんなことは、しないと思います。
我慢強くて「いい人」であれば、報われると信じているのかもしれませんが、そんな奇跡は起きません。判定するのが神様か運命なのかはわかりませんが、地獄へ堕ちる人が「いい人」なのかどうかは判定基準に入っていません。必要となる人数が無作為に選ばれるのです。我慢強い人でも、「いい人」でも、区別なく、地獄へ堕ちます。ただ、その人選は、なぜか、貧乏人グループから始まるようです。

私は、国民を糞味噌に言いますが、糞味噌には違いないと思いますが、それでも、今日だけは、敢えて、擁護しておきたいと思います。珍しくて、済みません。
国民の皆さんは、声を出そうとしても、どこに向かって、何に対して、声を出せばいいのかが見つけられません。「じわじわ、ずるずる、何となく」という変化に対しては声の出しようがないのです。逆に、これが、曖昧統治の最も優れている部分です。「曖昧」が尊ばれるお国柄ですから、「下々」の私達は、何事も明確にすることを避ける習慣を持っています。現実を知ってはいけない、「お上」の領域を犯してはいけない、と思っています。もちろん、「お上」も知らせてくれません。それが古くからある曖昧統治システムなのです。何も知らされていない民は、仕方なく「お上」に頼ろうとします。だから、「ふむ、ふむ」も「へら、へら」も不思議ではないのです。
日本人でも、打ち倒す相手が見えている時には、行動します。
近年では、倒幕運動があり、安保闘争がありました。倒幕運動は部分的には成功しましたが、安保闘争は完敗でした。それでも、行動できたのです。
しかし、今は、打ち倒す相手が見えません。
だから、日本人は行動を起こさないのです。
この「じわじわ、ずるずる、何となく」は、大変危険な兆候ですが、何を打ち倒せばいいのかは、全く、見えません。
「じわじわ、ずるずる、何となく」の顕著な事象が、国力の衰退です。
数々の数値を見れば、「国力衰退」は明らかなのですが、数値は数値でしかなく、打ち倒す相手とは認定されません。ですから、「国力衰退」が問題だという意識が持てません。
問題意識が持てないので、原因の究明は行われません。原因の究明が行われないのですから、対策は生まれません。それが、一層、「じわじわ、ずるずる、何となく」を得体のしれないものに替えてしまうのです。
ただ、理屈や風評には左右されないものが一つだけあります。それが人間の直感です。ほとんどの国民が「不安」を抱いていますが、それは、よくわからないが、何となく「不安」だというものです。直感は、無意識にですが、根っ子を見ているのです。
この「じわじわ、ずるずる、何となく」という「国力衰退」に対処しなければなりませんが、「皆さん、打ち倒す相手は国力衰退なのですよ」なんて言っても、行動のしようがありません。国力衰退は徳川慶喜でも岸信介でもないからです。
では、どうするのだ。
どうすることも、できません。
このまま、「じわじわ、ずるずる、何となく」滅びるのを待つだけです。
私の主張では、打ち倒す相手は「曖昧」が作り出した「国力衰退」です。
「はあ、曖昧、何、それ。お前こそ曖昧だろ」
その通りです。これでは、誰も賛同してくれません。
その通りなのですが、それでも、打ち倒す相手は「曖昧」なのです。
ただ、私には、皆さんを説得する言葉がありません。
ここに、限界があります。
どうすれば、いいのでしょう。
残念ですが、お手上げです。


2021-09-03



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