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窮地に立っても何もしない人々 [評論]



今、自民党では、政治資金規正法の最終案が真剣に検討されていると思います。「ここまでは譲れるが、この一文は必須だ」という内容だと思います。そうです、抜け穴を作るために知恵を絞っているのです。自民党と自民党議員にとっては、カネが全てです。今回は、騒ぎが大きくなりましたので、多少の妥協は必要ですが、全面改定の必要はありません。何よりも、自民党案でしか法律は成立しないのですから、心配いりません。
元々、お代官先と越後屋の流れを汲み、経済界の代弁者であった自民党ですが、野党になった自民党には何の価値もない事を知ってしまった自民党は、あらためて、「政権を維持する」ことが目的になったのです。カネのためなら、魂を売ることなど些細なことに過ぎません。
民主主義も国民も国家も、二の次、三の次でいいのです。先ず、カネです。自民党が政権を維持すること以外は、何を犠牲にしても構わない。そのためには、選挙で勝たなければならない。そのためには、何としてもカネが必要。
つまり、カネのためには、カネが必要。
これは、民主主義ではないと思います。
ところが。
最近よく聞く言葉に「民主主義のコスト」という言葉があります。
民主主義でも、それ以外でも、コストは必要です。しかし、民主主義から遠く離れている人が言っているのですから、驚きの発言です。
自民党は、言葉作りが上手です。これは、長年の政権政党であった自民党が作り上げた能力です。日本の国民の皆さんは「いい人」ばかりですから、簡単に騙されてくれます。
「民主主義のコスト」も、その1つです。「民主主義政治にはカネがかかる」も「民主主義政治の自由を守るため」も、錬金術の小道具の1つです。
民主主義という言葉を、自民党だけではなく多くの方が使います。でも、「そもそも、民主主義って、何なんだ」と言う方がいません。誰も、「民主主義とは」という言葉を定義しません。民主主義とは、自民党議員を筆頭に、野党議員や官僚や利権集団の利益を守ることではなく、国民生活を守る仕組みのはずです。
しかし、現実は、国民生活は守られていません。
「民主主義とは」という言葉の定義をして、一番損をするのは政治家です。しかし、そんな政治家が、堂々と、「民主主義のコスト」という言葉を使います。
でも、誰も、そのことを変だと思いません。
どうしてなのでしょう。
それは、あらゆる言葉が曖昧な意味しか持っていないからです。
あれも、これも、全部、民主主義で構わないのですから、実に重宝な言葉です。
「一定程度の・・・」とか「概ね・・・」とか「グラデーションが・・・」という曖昧を誘導する言葉も、よく使われます。「・・・は禁止、でも、この程度は・・・」も使われます。「議論をして」という言葉も「落としどころを探しましょう」と言う意味です。
彼等にとって、曖昧こそが打ち出の小槌なのです。
言葉が、いい加減に、ぞんざいに、利益誘導の小道具に使われているのは、誰も言葉の定義をするという習慣を持っていないからだと思います。
岸田総理は「決意、覚悟、検討」という言葉ばかりで、何も実行しない、と野党に責められていました。言葉を、岸田さんを非難しても、何の役にも立ちません。それは、「決意、覚悟、検討」という言葉にも、曖昧な意味しかないからです。
どの言葉も、広い意味しかなく、何をやっても、何もやらなくても、別に、構わない。
あらゆることが「なあ、なあ、まあ、まあ」で済んでしまいます。
もちろん、「なあ、なあ、まあ、まあ」には悪しき面しかないとは言いません。しかし、今の時代、悪しき面ばかりが際立っています。
国民生活が守られていれば、その条件が満たされていれば、「なあ、なあ、まあ、まあ」は優れたやり方なのだと思います。

ただ、自民党だけが悪いのかと言うと、それも違います。
政治資金を厳密に規定してしまうと、野党議員も苦しくなります。
政党助成金も政策活動費も文書交通費も、全部、廃止すれば簡単ですが、与党の国会議員であれ。野党の国会議員であれ、そんなことはしません。
自分が損をしない範囲で規制するのがベストです。
野党議員が「政治資金の透明性」に焦点を当てているのは、自分の利権(政党助成金、政策活動費、文書交通費、高額な歳費)そのものを失いたくないという助平根性があるからです。
国会議員という職業そのものが、利権職業になっているのです。
国会議員は、国家運営の仕事を請け負っていますが、国力衰退、国民の貧困化という現実を見れば、彼等は国会議員の責務を果たしていません。にもかかわらず、与党議員も野党議員も数千万円の収入を得ています。更に企業献金で数千万円の収入を得ている与党議員のほうが悪質であることは確かですが、仕事をしないのに収入を得ているのは、野党議員も同じです。
世論調査の数字を見ると、どの政党の支持率も最低ラインです。無党派と言われる有権者が半数を超えています。国民の皆さんは、与党議員も野党議員も仕事をしていないことを知っているのです。国民の1/3が、年収300万円以下の生活をしている国で、仕事をしていない国会議員が数千万円の収入を得ている国、それが今の日本です。もしも、政治が結果責任だとするのであれば、全議員が責任を取って辞職し、15年の公民権停止を受け入れる必要があります。「カネ、カネ、カネ」の与党議員と「アラ探し」の野党議員に、数千万円もの価値があるとは思えません。そもそも、日本の政策は官僚が作っています。国会議員は何もしていません。官僚が作った政策を書いたルーレットに矢を飛ばし、優先順位を決めても、今と同じだと思います。
私は、何度も、自民党だろうが共産党であろうが、既存政党にこの国の運営を任せておくと、地獄になりますよ、と書いています。政党支持率を見れば、国民の皆さんも、そう思っているということです。
与党議員という狢と野党議員という狢が戦っても、国民には何の利益もありません。
しかし、国民は、どうすることもできないと思い込んでいます。
それは、これまで、国民が「何かをした」という経験がないからです。国民生活を守ってくれる政党を作るしか方法はありませんが、国民は、その方法を知りません。
岸田総理は「国民の政治に対する信頼を取り戻さなければならない」と言っています。
「言うだけ」は岸田さんの得意技ではありますが、「言うだけ」では信頼を取り戻すのは難しいと思います。
そこで、岸田さんに提言があります。
政党助成金廃止法案、政策活動費廃止法案、文書交通費廃止法案、議員歳費半減法案を成立させて、その予算を子供手当に回せば、国民は岸田さんも自民党も政治家も信頼してくれると思います。それほど難しいことではないと思いますが、どうでしょう。
覚悟を決め、火の玉になれば、出来ないことではないと思います。
いや、無理です。
閣議決定も出来ませんし、本会議で採決しても、賛成票は岸田さんの1票だけです。
逆に、総理大臣の議員資格を剥奪する法律が存在するのかどうかは知りませんが、もし、そんな法律があれば、全会一致で採決されると思います。
ですから、岸田さんにとっては、大変危険な方法だと思います。
岸田さんだけではなく、国会議員の皆さんは「自分さえよければ」という腐海に浸かっていますので、そんな発想は頭をかすめることもないと思います。
でも、「カネ、カネ、カネ」のままでは国民の信頼は得られないと思います。
国民の怒りが収まるまで先送りをし、これまでのように、「なあ、なあ、まあ、まあ」で着地点を見つけるしかありません。日本では、実際に、これで何とかなるのです。これまでも、「先送り」と「なし崩し」の上に今の政治風土があるのです。政治家に任せておけば、今回もそうなります。「いい人」ばかりの国でしか、こんな国家運営はできません。
ただ、こんなことやっていて、国が豊かになることなんてありません。
私は、「この国は、地獄へ向かって一直線だ」と書いていますが、皆さんは「そんな馬鹿な」と思っているのでしょうが、大丈夫なんですか。皆さんも、心のどこかで「ヤバイかも」と思っている筈です。でなければ、皆さんの不安は説明が付きません。
しかし、それでも、皆さんは「俺には関係ねぇ」と言います。
驚くほど多くの皆さんが、そう思っています。

ここで、ある大学が発表している「日本人の特性」を転記しておきます。
集団で行動する
統一性(皆と同じ)を好む
目立つのを嫌がる
相手への配慮から、遠回しな言いまわしをすることが多い(意見の衝突を避けたい)
人に意見を合わせる
あまり感情を表に出さない
比較的大人しい性格の人が多く、友人になるまでに時間がかかる
会話時の人と人との距離感(パーソナルスペース)は比較的離れているが、電車内等は例外
(通勤時間等は公共交通機関が非常に混雑する)
整列をして順番待ちをすることが苦にならない(割り込みはマナー違反)
マナーやルールを重んじる
人によって外国人に対する特有のイメージを持っている(固定概念)
英語を使うのを恥ずかしがる
挨拶はほとんどの場合軽い会釈やお辞儀で、相手に求められた場合のみ握手を返す
一般的に、同僚同士で話すときにボディータッチはしない
相手への敬意を示すために社交辞令を言うことが多い(嫌味ではなく思いやり)
熱い飲み物や麺類(ラーメン・そば・うどん等)は音を立ててすする
時間を守るのは礼儀として当然だと考えている
お土産等を渡すことが多いがすべてをお返しする必要がない

一言で言うと、日本人は、とても「いい人」の集まりなのだと思います。
こんな「いい人」ばかりの国は、どこを探しても見当たらないと思います。
そのことは、素晴らしいことだと思いますが、「窮地に立っても何もできない」という国民だと言うこともできます。「国民」という呼称よりも「下々」という呼称が似合います。
曖昧を好んだ日本人が曖昧文化を作ったのか、曖昧文化のために日本人が曖昧になったのか、私にはわかりません。
でも、文化の影響は大きいと思います。
まさに、今、この国は、皆さんの生活は、窮地に立っています。
しかし、皆さんが行動を起こすことはないと思います。
ですから、このまま、この国は崩壊します。いや、もう、崩壊は始まっています。
仕方のない事です。
確かに、皆さんは「いい人」です。でも、それは、根っからの「いい人」ではなく、「いい人」を演じているから「いい人」なのだと思います。波風を立てたくないから、そのほうが楽だから、演じているのだと思います。だって、日本人も人間なのですから、「欲」には勝てません。政治家だけではなく、国民も「なあ、なあ、まあ、まあ」が好きです。
それでも、国が崩壊するということは、大変なことだと思います。
敗戦後の日本以上に過酷な現実に直面することになります。
特に、食料が不足することになります。
きっと、後悔すると思います。
ぜひ、目を醒まして欲しいです。
第二次世界大戦へ突入してしまった時代と似ていると言う人もいます。
中でも「下々」の皆さんの意識が似ていることが一番問題なのだと思います。
この窮地は、皆さんにとっての窮地なのですが、皆さんに行動を起こす意識はありません。
多分、「いい人」を演じ続けるのだと思います。


2024-03-02



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