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臍を噛む思い [評論]



エジプトでCOP27が開催されました。
今回のテーマは「損失と損害への補償」だと言われています。
ウクライナ戦争によるエネルギー危機に直面し、排出規制を議論したくない欧州と、カネが欲しい後進国の思惑が一致した結果のテーマになったようです。
だとすると、世界会議は、高邁な理想論を論ずる場ではなく、各々の欲望を満たす戦いの場のようです。ま、それでも、温暖化対策を放棄するわけにはいかないのでしょう。でも、私には、皆さんがドン・キホーテをやっているように見えてなりません。温暖化対策程度で人類絶滅が防げるとは思えないのです。
後進国は、「地球環境を壊したのは、先進国だ。俺達は、その被害者だ。だから、先進国はカネを出せ」と言います。
数の上では、圧倒的に後進国のほうが多いのですから、全会一致の会議では発言力は強くなります。先進国も一枚岩ではありませんので、裏工作も困難です。
2019年のデータで、世界のCO2排出量を見てみましょう。
1位 中国     29.5%
2位 アメリカ   14.0
3位 インド     6.9
4位 ロシア     4.9
5位 日本      3.2
国連加盟の国が196カ国だとすると、残りの191カ国の平均排出量は、1国当たり0.22%です。中国の排出量は、それらの国の平均排出量よりも飛び抜けて多い(130倍)のですが、中国の存在感は感じられません。いつもは声高に叫ぶ中国外交部の声も聞こえてきません。アメリカの大統領が出席して演説しましたが、まさに「言うだけ番長」でした。
世界全体のCO2排出量は360億トンと言われますが、単純平均をすると1カ国当たり1.8億トンのCO2を排出していることになります。そんな時に、ウクライナ戦争によるCO2排出量増加は約1億トンと言われていますので、ロシアは、CO2排出に大きく貢献していることになります。
この地球上に、正義は存在するのでしょうか。
いいえ。明らかに、「欲」のほうが勝っています。

このCOP27は、欧州主導で始まりました。
欧州は、理想を看板にすることが好きです。
数年前、難民問題で欧州が混乱した時、多くの人達が「難民を救え」と声を出しました。しかし、今は、難民を、どうやって他国に押し付けるのかが焦点になっています。
欧州に限らず、人道主義という謳い文句は、「自分の利益が損なわれない限り」という条件付きのものであり、いつでも、変更可能なのです。
欧州は、今、ウクライナ戦争によるエネルギー危機を迎え、「自分の利益が損なわれている」のだから、石炭火力を使うことを容認することになっています。数年前は、石炭火力を止めようとしない日本は袋叩きになっていました。
人道主義と呼ぶよりも、ご都合主義と呼ぶほうが正しいのかもしれません。
先進国は、日本も含めて、2050年とか2060年にCO2排出をゼロにすると宣言しています。30年先、40年先のことですから、誰もが「言うだけ番長」をやっているように見えます。では、多少長引いたとしても、CO2排出ゼロが実現するかというと、そんな予測は実現することはないと思います。
なぜなら、利益を失ってでも、或いは、損失を出してでも、CO2排出ゼロを実現する理由がないからです。
「そう言えば、昔、そんな議論があったよな」という日が来ると思います。
人間は、どの国の人でも、「欲」が最優先です。
もちろん、理想なんて無視してしまえ、というのは間違っています。理想は、理想として、あったほうがいいです。しかし、それは、あくまでも、理想としての理想です。現実ではありません。
後進国の皆さんだって、CO2排出なんてことには関心がありません。先進国から、1円でも多く取るためには、どうすればいいのかが関心事です。
人類は、いつかはわかりませんが、絶滅する日を迎えます。
その日を一日でも先延ばしする努力は、あってもいいとは思いますが、地球史や宇宙史の中では些細なことにすぎません。理想や努力は尊いものですが、それが実現するという保障はどこにもありません。
もっとも、「幸せとは、自己満足である」と言った人がいますが、人は、誰でも、幸せを願うものですから、これで、いいのかもしれません。
「欲」がなければ、人間は死に絶えます。「欲」があれば、同じく、死に絶えます。つまり、人類は死に絶える運命にあるということです。
だとすると、高邁な理想に引き摺られるのではなく、現実的な対応が求められているのだと思います。地球温暖化による海面上昇で被害に遭う人達を、どう救うのか。旱魃や洪水に強い農業をどう確立するのか。現実的な課題は、多く存在しています。そこに注力することのほうが、大事なのではないかと思います。
ただ、地球環境の破壊はCO2だけではありません。
放射性物質による環境破壊があります。
核兵器の拡散と使用は、近い将来の課題として浮上しています。
ウクライナ戦争で明るみに出たことの一つに、ロシア製武器の脆弱性があります。
これまで、ロシアから武器を買っていた国々は、ウクライナ戦争を見て、役に立たない武器を買っていたことを知り、「ヤバイ」と思っています。
ロシアの経済的な強みは、資源と武器でした。武器市場でのロシアの存在感は大きかったと思います。この先、ロシア製の武器が市場から駆逐されていくことは容易に想像できます。現に、韓国が武器輸出を急増させています。ただし、韓国の武器市場での成長は一時的なものに終わり、他の市場でも見られるように、韓国製の次に台頭してくるのが中国製です。武器市場でも、アメリカと中国による寡占状態が生まれると思います。
では、ロシアはどうするのでしょう。
資源の安定的購買者を失い、武器市場でも顧客を失えば、ロシア唯一の強みである核兵器を売るしか道はなくなります。
世界に紛争地域と呼ばれる場所はいくつもあります。今後も、紛争地域がなくなることはありません。そんな地域で、一発でケリをつけられる武器が簡単に購入できるとすると、紛争当事者は躊躇なく採用すると思います。
ロシアには、核兵器の技術を輸出するという選択肢もあります。既に、イランとの協議が始まっているという記事も出ています。
そんなロシアを止めることが出来る国はありません。
たとえ、低出力の戦術核だとしても、放射性物質は発生します。福島原発事故でも証明されたように、放射性物質は風で拡散されます。
核拡散と核使用が日常となれば、地球環境は破壊されることになります。
CO2による温暖化よりも、早く、現実のものになる可能性もあります。
ウクライナ戦争は、そのパンドラの蓋を開けたのかもしれません。

視線を引いて、地球を俯瞰して見てみると、人々は、右往左往しながら、「ああでもない、こうでもない」と言いながら、不確実な未来へと歩んでいるように見えます。
これは、地球温暖化対策に限ったことではありません。
皆さんには、明るい未来が見えているのでしょうか。
私の目には「人類絶滅」という文字が見えます。もしかすると、「人類絶滅」は、それほど遠い未来ではないのかもしれません。
では、世界を救う方策は、ないのでしょうか。
多分、ないと思います。
絶滅の危機が現実になった時、それは、温暖化による危機ではなく、戦争による世界的な危機だと思いますが、人々は「何か、やれることがあったんじゃないだろうか」と思うかもしれません。しかし、手遅れです。
その元凶は、全て、人間の「欲」から生まれています。
ほんとに、人間の「欲」は厄介です。理性では、わかっているのに、事前の対策は打てないものなのです。この先、50年を見ていれば、地球温暖化対策を見ていれば、そのことは証明されると思います。

地球規模での「人類絶滅」は、まだ、空想の域を出ませんが、この国の国力衰退による国家崩壊は、もう、空想の問題ではありません。私達の身近の現実問題になっています。近い将来、皆さんの身に降りかかるのが国力衰退による国民生活の崩壊です。
今年になってから、国力衰退や国力低下に言及する方が増えました。国民の皆さんも「ふむ、ふむ」と頷いていると思います。
もう、国力衰退は現実なのです。
ところが、誰一人、その解決策を提示できていません。
本来であれば、国家運営を担う政治が先頭に立たなければならない場面ですが、政治は「ばら撒き」策しか思いつきません。
国力が衰退しているだけではなく、頭脳も衰退しているようです。なぜ、原因の原因の原因を見つけて、対処しようとしないのか、ほんとに、不思議でなりません。
過去にも国力が衰退した時代はありましたが、今回の国力衰退は、別物です。小手先や口先や弥縫策で何とかなるようなものではありません。
今、私達が直面している危機は、日本の歴史が1万5000年だとすると、1万5000年で体験したことない、初めての危機だと思います。直近の敗戦よりも深刻な危機です。世界史の中には、国家運営に失敗して消滅してしまった国もあります。日本は、世界史の史実として残されるような国になる可能性があるのです。
多分、皆さんは「まさか」「大袈裟な」と感じると思います。
でも、皆さんの「まさか」なんて、簡単に実現するのです。
「まさか、徳川が滅びるなんて」「まさか、日本が戦争に負けるなんて」と当時の人は思っていました。つまり、過去の延長線上に未来があるという常識は、いつでも、常識ではなくなる日が来るということです。皆さんの「まさか」なんて、何の役にも立ちません。
民間でも、国力衰退や国力低下に言及する方が増えてきましたし、国家運営を担っている皆さんにも、その意識はあると思いますが、相変わらず、「なあ、なあ」「まあ、まあ」で何とかなると思っています。その程度の危機意識しか持っていないのです。
そうではありません。今回の危機は、これまでに体験したことのないほどの危機なのです。チョロチョロとした対策で、「何とかなる」ようなものではありません。「ばら撒き」なんて論外です。
歴史的な危機に対しては、歴史的な対策が必要です。
その選択肢の一つとしてあるのが、文化を変えるという方法です。
歴史的な危機だという認識のない人に、こんなことを言っても「馬の耳に念仏」かもしれませんが、これまでに類を見ない対策を立てるしかないのです。
私は、「なあ、なあ」「まあ、まあ」という曖昧文化を、言葉の定義をするという文化に変えて、「目的を持ちましょう」と提案しています。
多分、皆さんは、「何じゃ、そりゃあ」と思うでしょう。
「経済対策や構造改革じゃないのか」と呆れるのではないでしょうか。
残念ですが、この国の衰退は、原因の原因の原因に対応するするしかないと思います。
その原因の原因の原因は、文化なのです。
文化を変え、これまで持てなかった「目的を持つ」ということです。
国民の皆さんのマインドを変えるしか方法はないと思います。
そのための「目的」です。
これまでのように、「お上」に丸投げをしていれば、ドツボに嵌るのは皆さんです。そのことを皆さんの直感は知っています。だから、不安なのです。
ほんとに厄介なことですが、「嗚呼、あの時、ああしていれば、こうしていれば」なんて思っても、何の役にも立ちません。後になって、「あの時」というのが、今です。
私達は「臍を噛む」ことはできませんが、「臍を噛む思い」は体験することができます。崩壊すれば、「臍を噛む思い」を体験する時間は、たっぷりと用意されています。今は、危機を乗り越える知恵を出す時だと思います。


2022-12-04



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