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日本人に未来はない [評論]



ユニクロと言えば、今や、世界ブランドですが、そのユニクロを運営するファーストリテイリング代表取締役会長兼社長の柳井正氏が米誌「TIME(タイム)」(12月4日号)のインタビュー記事で、日本に警鐘を鳴らしているというニュースがありました。
タイム誌を読んでいませんので、ニュースで紹介された断片的な発言を見てみます。

「目を覚ませ。日本は全然先進国ではない。30年間も休眠状態だったのだから」
「日本経済は、製造業への不健全な執着、労働者が企業の肥大化に条件づけられていること、そして税収ではなく急増する借金で賄われている予算のために崖っぷちにある」
「12月、日本の内閣は税収が4,930億ドルしか見込まれていないにもかかわらず、2023年度一般会計予算として過去最高の8,580億ドルを承認し、同期間に2,500億ドルの新規国債発行を計画している」
「日本の公的債務はすでにGDPの264%に達して世界最高となっている、1990年から2019年にかけて、名目賃金(インフレ調整なし)は米国の145%と比べて4%しか上昇していない。生産性はG7の中で、最下位で低迷している」
「北京や上海では、日本の同じ役職と比べた場合、2倍、3倍の報酬をもらっている」
「日本経済を正常化する必要がある」
「日本の政府と官僚は意識を変えるべきだ。なぜなら彼らは何も知らないからだ」
「日本の最大の欠点は個性がないこと」
「日本人は自立すべき」
「もっと世界に足を踏み入れていき、より積極的にならなければ、日本人に未来はない」

発言内容は間違っていません。中でも、「最大の欠点は個性がないこと」「日本人は自立すべき」「日本人に未来はない」という発言は、客観情勢の分析ではなく、柳井氏の意志が入っています。彼の直感は、日本人にしては珍しく、正しい方向を見ていると思います。
「個性がない」ことを欠点と捉える彼の意識は、一般的な日本人の感覚と少し違います。一般的な日本人は、「横並び」に安心感を持ちます。「出過ぎないこと」「指をさされないこと」「その他大勢の中にいること」が、良き事で、「個性を持たない」ことが大人の対応と敬われていることを、知っています。それが日本人です。「俺が、俺が」は嫌われます。いかに上手に「いい人」を演じることが出来るか。日本人は、そこに苦心します。
それは、2000年という長い時間を使って洗脳されてきたからです。日本人は、「個性を持つこと」が良き事だとは教えられていません。歴代の権力者は、一律に「お上」に従う民を育てるために、個性を持たない民を作ったのです。日本人は、昨日今日、個性を失ったのではありません。ですから、明日から、個性を持つことは不可能です。
「個性を持つ」ためには、文化を変えるしかありませんが、柳井氏は、そのことに気付いていません。いや、柳井氏だけではなく、誰も気付きません。
気付いていれば、責務や目的や文化に言及していたのではないかと思います。
柳井さんの仕事はユニクロを成長させることです。それは、見事にやっています。
これまでは、日本という国を救うことが自分の仕事だとは考えていなかったのだと思います。それでも、多分ですが、73歳という年齢が、「このままでは、まずい」と思わせたのではないでしょうか。自分に対する責任、家族に対する責任、会社に対する責任、社会に対する責任、国に対する責任、全ての人が、多くの責任を背負っています。年齢を重ね、自分の背負っている責任について、ほんの少しだけ、気付いたのかもしれません。彼の本業は会社経営ですから、彼の主張が幼いものであったとしても、仕方がないと思います。彼は、ユニクロをこれほどの会社に育てたのですから、充分、責務は果たしていると思います。
「日本人に未来はない」と言っています。ユニクロは世界企業ですから、日本が沈没しても困ることはないと思いますが、世界的な視野に立っている柳井氏は、多分、日本の凋落をヒシヒシと実感しているのだろうと思います。世界的な立場にいますので、タイム誌の取材に応じたことは不思議ではありませんが、日本の雑誌ではなかったことも、日本衰退の客観的な証拠の1つになります。

では、柳井氏が日本国に注文を付けたことで、何かが変わるのかというと、そんなことは起きません。
全く、何も、変わりません。
政治・経済・経営という分野で責任ある仕事をしている人であれば、後半の三行を除いて、彼の言うことは特別なものではなく、常識みたいなものだと思います。「皆、知っている」ことです。「皆、知っている」けど、何も変わっていません。これが現実です。
誰もが「なあ、なあ、まあ、まあ」の社会では、大人の対応として、口に出さないだけだと思います。そういう意味では、柳井さんは、個人の特性だけではなく、「なあ、なあ、まあ、まあ」の社会と少し距離がある場所に住んでいるのでしょう。ただ、「なあ、なあ、まあ、まあ」の社会で生きている人達の心に刺さることはありません。「個性」だとか「自立」なんて言われても、言葉が通り過ぎていくだけです。
「で。だから。なに」で終わりです。
私が、弱小ブログで叫んでみても、何も変わらないのと同じで、知名度のある方が世界的な雑誌で警鐘を鳴らしても、何の役にも立たない。これが、現実です。
でも、「ヤバイ」のは「ヤバイ」のです。ほんとに、多くの方が「ヤバイ」と思っているのに、どうすることも出来ない。こういう状態を、「救いようがない」状態と言うのだと思います。皆さん、「見て見ぬふり」をするしかありません。袋小路です。
なぜ、私達はこんな袋小路にいるのでしょう。
これが、「なあ、なあ、まあ、まあ」文化の副作用です。
皆に責任があって、誰にも責任が無い状態。これが「なあ、なあ、まあ、まあ」の凄い所です。そのことに、誰も気付いていないのです。いや、薄っすらと気付いている人はいるのかもしれませんが、「どうすれば、いいのか」がわかりません。それは、誰もが、「なあ、なあ、まあ、まあ」という土俵の上に立って考えるからです。
「なあ、なあ、まあ、まあ」には、答がありません。全部、間違っているけど、全部、間違っていないのですから、答はありません。文化の巨大さには、感服するしかありません。日本人は、ものすごい文化を作ったのです。多分、地球上にこれほどの文化は存在しないと思います。
ただ、文化のせいで国が滅びるのは、いかがなものかと思います。
文化という呪縛から逃れることが出来ず、行き着く先が地獄だとすれば、文化を誇るのは、考え物です。

何度も、何度も、耳にタコだと思いますが、誰も指摘しませんが、この国の衰退が止まらないのは、この「なあ、なあ、まあ、まあ」文化にあります。
柳井氏のように、症状を示して「ヤバイ」と言う方もいれば、「よくわかんないけど、何となく、ヤバイ」と思っている方もいます。
しかし、「ヤバイ」の元凶が文化にあることは、誰も知りません。
柳井氏も、衰退の症状は指摘しますが、具体的な解決法は提示しません。「個性を持て」「自立しろ」「積極的になれ」と言われても、国民は、具体的にどうすればいいのかわかりません。国民全員が柳井正であれば、可能なのでしょうが、日本では、柳井氏のほうが変人なのです。
私は、柳井氏の意見は間違っていないと思いますが、国民の皆さんは、「日本人は自立していない」と言われても、意味が分からないと思います。いや、自分達が自立していないことを知りません。
各人が、自分の責務を果たすことが「自立する」ということなのだと思いますが、誰も、自分に責務があるなんて思っていません。柳井氏には、どうすれば、日本人が自立できるのか、その方策を提案して欲しかったと思います。柳井氏本人は、「個性的」で「自立」していて、「積極性」も持っているのでしょうが、「俺にできるのだから、誰でもできるだろう」は通用しません。
日本の喫緊の課題は、多くの方が、指摘し始めた国力衰退です。
国力衰退の現象は多岐にわたり、その各々に原因があります。
それらの原因の原因の1つが、「自立していない日本人」だとすれば、なぜ、「日本人は自立していないのか」の原因があるはずです。
それが、「責務」であり、「目的」なのだと思います。そして、「責務」と「目的」に辿り着けない原因が、「なあ、なあ、まあ、まあ」文化なのです。
原因の、原因の、原因を見つけなければ、「自立」は出来ないと思います。
どうすれば、日本人は「自立」できるのか。
文化を変えるしか方法はないと思います。
「なあ、なあ、まあ、まあ」文化ではなく、「言葉の定義をする」文化に変え、「責務」を明確にし、「目的」を持てば、勝手に「自立」するのだと思います。
「自立」という言葉を選択したと言うことは、柳井さんは、朧気ながら、「責務と目的」が必要だということを直感で知っているからだと思います。
そんな柳井さんでも、文化に辿り着いていません。
著名な学者も有能な経営者も、文化の傍まで行きますが、皆さん、文化には気付きません。ほんとに、不思議なくらい、誰一人気付かないのです。
いつかは、「なあ、なあ、まあ、まあ」文化に気付く人が出てくると思いますが、どうすれば、文化を変えられるのかに気付くまでに、また、時間が必要です。
そんな時間は、もう、残っていないと思います。

柳井氏は、「日本人に未来はない」と言っていますが、今、世論調査で「日本の未来は明るいと思いますか」という質問をしたら、どんな答が返って来るのでしょう。
多分、「日本の未来は暗い」と回答する人のほうが多いと思います。
そして、多分、国民は「自分のせいではない」と思っているのではないでしょうか。
一方、国家運営を担っている人達も「自分のせいではない」と思っている。
この国では、皆が悪いけど、誰も悪くない、で済んでしまうのです。実に、絶妙な落とし所があって、皆さん、胸をなでおろします。漠然と、何の根拠もなく、「自分だけは、悪くない」と信じ切っています。
それは、誰も自分の責務を知らないから、成り立つのです。
全員が「俺は悪くない」と納得し、他者の「俺は悪くない」にも目をつぶり、全員が横並びでも、支障がないのが日本社会です。柳井さんが、日本人は、「個性がない」「自立していない」と言っているのは、そのことに、漠然と気付いているからだと思います。
「見なければ、言わなければ、騒がなければ、無視すれば、何事も無いことにできる」
どうやら、「先送り」が好きなのは、自民党だけではないようです。
政治家も官僚も企業経営者も国民も、「先送り」が大好きなのです。
日本人は、基本的に、争い事が、「波風を立てる」ことが嫌いです。ですから、「ヤバイ」案件は、結論を出すのではなく、「先送り」をするのです。しかし、「先送り」は「先送り」であって、何も問題は解決していません。「先送り」された案件は熟成して、大きく育つだけです。中には、時間が解決してくれる案件もありますが、そうではないものも沢山あります。あらゆることを「先送り」しますので、1つ1つの案件は小さなものであっても、数が集まると、それなりの破壊力を持つことになります。
「なあ、なあ、まあ、まあ」文化は、ほんとに、凄いと思います。
何故、こんな文化が生まれたのか。
それは、日本人が「いい人」ばかりだから、だと思います。
ほんとに、日本人は、底なしの「いい人」なのだと思います。日本以外の国では、こういう文化は生まれなかったと思います。

「ユニクロ」を知らない人は少ないと思います。ここまで「ユニクロ」を育てた柳井氏は有能であり、有名な人です。そんな柳井氏の発言であっても、日本の衰退は微動だにしません。なぜなのでしょう。それは、有名か無名かには関係がないのだと思います。多分、必要なのは「数」だと思います。日本企業の経営者の皆さん全員が、柳井氏と同じ発言をしても、変化しないと思います。「数」という力を持っているのは国民だけです。ですから、数百万人、数千万人の国民が行動しない限り、この国の衰退は止まらないのだと思います。
ところが、皆さんは「俺には関係ねぇ」と言っています。ですから、衰退は進み、もう、これ以上衰退できないという所まで行きます。そこは、地獄と言われている場所です。
ほんとに、どこにも、救いがありません。


2024-01-01



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