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必要なのは手段ではなく理念 [評論]



このブログは、ほぼ10年前から「日本崩壊」を書き続けています。
その出発点は、何の根拠もない直感によるものでしたから、妄想だとお断りして書きました。
後付けで、理屈を探し、正当化に励みました。
そして、数々のグラフから、「国力衰退」の実態を見つけて、日本のトレンドが「崩壊」へ向かっているという確信を得ました。もちろん、未来のことですから、確定しているわけではありません。ただ、妄想ではなく、推定になったと思います。
そして、「日本崩壊」の元凶である「国力衰退」を止める方法はないかと模索しましたが、見つけられませんでした。そこで、またも、直感で、「言葉の定義」を提案しました。
この提案が正しいかどうかは、まだ、わかりません。数値で証明できるとは思いませんが、それに近いものが欲しいと思っています。
ただ、今回の衆議院選挙を見ていて、方向性は間違っていないと思いました。
今の日本に必要なのは、政治や政策という手法ではなく、目的や責務という理念なのではないかと強く感じました。
まだ、道半ばですが、証明できることを願っています。
これは、我田引水ですから、いつものように、眉に唾をお願いします。

この文章を書いている時点では、衆議院選挙の結果は、出ていません。
ただ、何党が勝とうが、何党が負けようが、国民が、日々、貧しくなっているこの現状を、「国力衰退」を、変えることは出来ません。
それは、政治や政策では、もう、この国の崩壊は防げないということです。
各党の選挙公約を見ても、そこに光は見えません。
ただ、政治や政策では崩壊を防げないとしても、問題意識は必要です。
この国の問題は、国民の貧困化です。それは、この国が衰退しているからです。しかし、「国力衰退」の阻止を公約にしている政党がありません。野党でさえ、「国力衰退」という言葉すら使っていません。どの党も、「国力衰退」を「見て見ぬふり」をしているのです。
バラ撒きで何とか票を集めようという浅ましい根性が悲しいです。
民主国家であれば、何よりも優先しなければならないのが、国民生活を守ることであり、国民生活を守るためには、「国力衰退」の回避が必要であり、国家運営者は回避行動に尽力する必要があります。しかし、皆で、「俺には関係ねぇ」と言っています。
今、この国で起きていることは、昭和・平成・令和という時代が終わる末期症状なのではないかと思います。放置すれば、死に至ります。
たとえば、癌の末期になると、手術も化学療法も役に立ちません。モルヒネで痛みを和らげることしかできません。それと同じで、どの党の、どんな政策も、役に立たない時代になったから、バラ撒きしか残っていなかったのだと思います。
しかも、どの党も、バラ撒きの財源は借金です。
コロナで、箍が外れて、いくら借金をしても許されるという空気が生まれたからです。
誰も、未来を見ようとしない風潮は、困ったものです。
中でも最悪なのは、国民の皆さんです。国民は、「だって、俺達には選択肢がないんだもん」と言っているのです。他人事です。どうして、自分で選択肢を作ろうとしないのでしょう。皆さんは、「下々」なんかではありません。皆さんは、一番大きな責務を負っている主権者です。政治家がこの国を変えるのではなく、国民の皆さんが変えるのです。
これは、多分、私達の常識が、「お上」と「下々」という意識が、時代に合っていないからだと思いました。
日本の優れた頭脳が一番多く集まっている場所が、中央官庁です。
100%ではないとしても、彼等は良かれと思って国家運営をしてきたと思います。しかし、何一つ成果は出ませんでした。株価が上昇したのが成果ですか。有効求人倍率が1.0を越えたことが成果なんですか。違うと思います。国力の衰退は進み、貧困層が増えました。最高頭脳集団が奮闘したのに、大きな流れは、何も変わっていないのです。
これは、「政策が間違っているから、国力衰退が止まらない」のではないと思います。
##### 正しい政策があれば、何とかなるだろう ##### という思い込みが間違っているのだと思います。多分、これを、常識の落とし穴と言うのだと思います。
これは、政治でもなく、政策でもない、ということです。
国を繁栄させるのも、国を衰退させるのも、国民次第です。政治や政策に出来ることは限られています。皆で、仲良く、勘違いしているのです。国民の皆さんが、この「国力衰退」を何とかしたいと思わなければ、何をやっても無駄だということです。
今、必要なのは、政治でも、政策でもなく、国民意識だと思います。
常識に縛られたまま、為す術がなくなり、皆で、バラ撒きを選択するしか方法が無かったのだと思います。それが、今回の衆議院選挙です。
今のままでは、誰が総理大臣をやろうと、何党が政権を取ろうと、日本は変わりません。このまま、ずるずると沈んでいくだけです。
その象徴的な政策が、総理大臣の「所得倍増計画」です。吃驚です。無知な国民でさえ「えっ、いつの話だよ」と言っているのに、総理大臣は時代錯誤に気付いていません。
30年やっても駄目だったのです。60年やっても、100年やっても駄目だと思います。いい加減、気付いて欲しいと思います。常識を疑うには充分な時間が過ぎたと思います。こういう時は、原点に戻るしかないと思います。いや、私達には戻るべき原点がありませんので、先ず、それを作ることです。

私は、これまで、何度も「不思議だ」「理解できない」という言葉を使ってきました。
また、多くの方が、正体不明の「不安感」を持っています。
きっと、その根っ子は同じなんだと思います。
常識と現実のギャップが、不思議とか不安を生み出しているのではないでしょうか。
それは、人間が経験則に基づいて考え、行動する生き物だからだと思います。この経験則は、常識を生み出す源泉です。日々の生活は、この経験則の上で成り立っています。経験則は、私達の生活そのものなのです。ただ、残念なことに、この経験則は、環境に大きく影響されます。そして、環境は徐々に変化するので、気付き難いという性質があります。そんな時に必要になるのが、立ち還るべき原点なのですが、この国には、その原点がありません。環境変化に対応できず、還るべき原点もないのであれば、時代に合った行動は取れません。それが、今の日本です。
30年変わらないということは、私達の経験則が間違っていたということです。これは、30年間、何もしなかったことと同じです。その事に、是非、気付いて欲しいです。
国は衰退し、貧困化が進み、住みづらい社会になってしまったために、政治不信が生まれ、バラ撒きという選択肢しか残らなかったのです。
では、どうすればいいのでしょう。
誰も、解決策を提示しません。誰も、国民意識が問題だと言いません。
必要だったのは、政治や政策という手法の問題ではなく、国民意識という理念の問題だと思います。今回の衆議院選挙は、手法の限界を示した選挙だったと思います。
選挙を見ていて、私は、そのことに「はた」と気付きました。
さて、何人の人が、このことに気付いてくれたのでしょう。

では、理念とは、何でしょう。
私達は、なぜ、ここにいるのだろう。その問いに答はありませんが、敢えて、その理屈を人為的に決めましょう、というのが理念なのだと思います。
具体的には、国と国民の、目的であり責務だと思います。
目的と責務を明確にした土台の上での国家運営が必要なのだと思います。
今の「なあ、なあ」「まあ、まあ」方式の国家運営では、行き詰まった時に回帰する原点がありません。なぜなら、原点そのものが「なあ、なあ」「まあ、まあ」で見えないからです。
行き詰ったから、倉庫で埃まみれだった「所得倍増計画」まで持ち出すしかなかったのです。私達は、戻るべき目的も責務も持っていませんので、うろたえて、さらに古い常識に戻ろうとしているのです。岸田さんは、「なあ、なあ」「まあ、まあ」の申し子のような政治家だと聞きます。岸田さんらしいと言えばそうなのでしょうが、これは「ヤバイ」です。
もちろん、国民全員で国家運営ができるわけではありません。国民に出来ることは、目的と責務を明確にし、国民自身の意識を変え、国家運営者に戻るべき場所を示すことです。これが、国民の責務だと思います。そもそも、発注者(国民)は外注先(国家運営者)に、製品の仕様と性能を提示しなければなりません。「何でもいいから、納品してくれ」なんて取引は存在しません。
時代は、国民の皆さんに、「さあ、この国をどうするのですか」と問うているのです。時代は、政治家に問うているのではありません。これは、国民が決めることです。
時代は、国民の皆さんに、「常識を疑わなくてもいいのですか」と問うているのです。
さあ、皆さん、どうしますか。
「そんな、意識を変えろ、なんて急に言われたって」と思いますよね。
そんな経験は、この2000年間、ありませんでしたので、理解不能だと思います。
それでも、「意識を変える」か「今の衰退を続ける」かの二択しかありません。
それが現実です。
もちろん、「今の衰退を続ける」という選択肢もあります。
もしも、半数以上の国民の皆さんが「今の衰退を続ける」を選択するのであれば、その意思は尊重されるべきだと思います。
皆さんは、どう考えているのでしょう。
正解は、多分、「何も考えていない」というものだと思います。
ただし、「何も考えていない」としても、「俺には関係ねぇ」と言っていても、それは、「今の衰退を続ける」を選択したことになります。これを、消極的選択と言います。その場合には、北朝鮮やベネズエラのように、貧困と飢餓の中で、理不尽な殺戮の中で、絶望の中で死を迎える覚悟は持っておかねばならないということです。
「こんなことになるなんて、知らなかった」と言っても、何の役にも立ちません。
なぜなら、皆さんには、知る責務があったからです。
これは、自分の責務を果たさなかった皆さんの自業自得です。
国民の皆さんは、国民の責務そのものを知らないのですから、お気の毒だとは思いますが、そのことも、皆さんの自業自得だと思います。
今のこの状況を続ければ、皆さんは、失意の中で死を迎えることをお約束します。これは、私が約束しているのではありません。トレンドが約束しているのです。

もう、手遅れかもしれませんが、皆さんの意識を変えてみませんか。
別に難しいことではありません。
「言葉の定義」をするだけでいいのです。
皆さんは、この国の「何」なのですか。
枯れ木の一本なのですか。それとも、一匹の虫けらなんですか。
違いますよね。
皆さんは、人間であり、この国の主権者です。
そして、この国は主権者である皆さんのために存在しているのです。
「お上」や総理大臣や天皇のために存在しているのではありません。
国民の皆さんが、主権者としての意識を持ってくれればいいのです。
主権者とは、最終責任を取る人のことです。
皆さん以外に責任を取ってくれる人は存在しません。
崩壊している国を見てください。ベネズエラのマドゥロ大統領が責任を取っていますか。北朝鮮の金正恩が責任を取っていますか。ベネズエラや北朝鮮で、貧困や飢餓や生命喪失という実質的な責任を取っているのは国民です。
日本だけは、違うのですか。日本では、自分ではない誰かが、責任を取ってくれるのですか。そんな人がいるのであれば、是非、教えてください。
「国力衰退」が進み、世界の最貧国になった時、誰が、責任を取るのでしょう。
国民の皆さん以外に、そんな人はいません。
生活はどうしますか。食糧はどうしますか。医薬品はどうしますか。
誰かが与えてくれるのですか。天から降って来るのですか。
皆さんは、貧困や飢餓や生命喪失という形で物理的な責任を取る立場にいるのです。
それが、主権者なのです。
皆さんは、「親方日の丸」とか「おんぶにだっこ」が大好きだと思いますが、主権者には、そんな権利はありません。逆に、皆さんは、子供達を守る立場にいるのです。
この国を、ベネズエラや北朝鮮のような国にしないようにするのが、皆さんの、主権者の、責務です。
この国の現状と、この国の未来に、責任を持つのが主権者です。
「主権者なんて、勘弁してくれ」と言いたくなります。
私も、そう思います。でも、これは、いかに国民の皆さんが責務を果たしていないかの証でもあると思います。この落差の大きさに気付かないまま、時は流れているのです。私には、これこそが日本の致命傷に見えます。
皆さんは、主権者の責務を知りませんよね。
自分が主権者だという意識もなく、ましてや、主権者の責務なんて、考えたこともありませんよね。それを知ってもらうことが、意識を変えるという言葉の意味です。
たまたま、この国は民主国家という看板を掲げています。
独裁国家では不可能であっても、民主国家であれば、国民の皆さんが崩壊を防ぐことが可能なのです。
主権者の責務を知ってもらうためには、皆さんが、ご自分で「国とは、国民とは、民主主義とは」という言葉の定義をしてみてください。皆さんの責務は、そこにあります。同時に、国の責務も明確になります。その上、目的も見えてくると思います。
「子供達の未来を守る」ことを、目的にしてみませんか。
子供達を守ろうとすると、自分を守らなければなりません。自分を守るためには、「国力衰退」を止めなければなりません。既存の「お上」の好き勝手を許していたのでは、子供達の未来は守れません。是非、「下々」意識を卒業してください。残念ながら、皆さんは、「下々」ではなく、重い責務を持った主権者なのです。
この国は、国民の皆さんの国であり、未来の国民の皆さんの国なのです。
選挙カーで声を張り上げている欲ボケ亡者の国ではありません。


2021-11-01



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